長大な刀身が放つ銀光。
艶やかな深紅柄が縦横無尽にどこまでも自由に踊る様は、どこか色気さえ醸し出す。
動き一つ一つに意味があり、鳴らす足音は楽団がいない物足りなさを忘れるほどに、見る者達を聞き入らせる。
仮面に素顔を隠し感情を見せない剣戟師だがその剣が語るのは、焦燥、憤り、憤怒、悲しみを乗せた荒々しい剣戟。
舞台上で独演される剣舞は、紛れもなく一級品だと、剣戟劇に疎いルディアでさえ断言できる。
カイラが演じる剣舞は、常夜の砂漠撤退戦と呼ばれる有名な一シーンだ。
大陸中央への橋頭堡確保を目指して意気込んで攻め入った人類連合軍が、壊滅寸前まで追い込まれた常夜の砂漠第一次奪還作戦での無残な負け戦。
その主敵はルディアも因縁があるというか、巻き込まれたあのカンナビスゴーレムだ。
打ち倒した者を取り込み加速度的に力を増すカンナビスゴーレムの大軍を前に、殿として残り孤軍奮闘した大英雄は双剣が1人。
紅十尺と呼ばれる長大な長巻を愛刀とし名を秘した若武者は、生存者達が全員撤退するまで数万の不死身のゴーレム達を相手に斬り潰し鏖殺しつくし、深手を負いながらも自らも見事帰還したという。
最初は技巧の極地である正確無比な剣を、やがて傷ついたことを表現する為にか、正確さを失いながらも力で無理矢理に軌道を修正する剣へ、最後には己の全身全霊を振り絞った唯々敵を屠るための剣へと。
同じ演者が演じているとは思えないほどに構成や剣筋が変化していく剣を、一度も止める事無く振り切ったカイラは、最後に力尽きたかのように両膝をついて、その独演を終わらせた。
言葉を無くして見入っていた観客達は、しばらくしてから我に返り、拍手をしながら、観客席から舞台へと上がると、座り込んだカイラへと賞賛を送る。
「噂以上だ……今のが剣戟師リオラの剣譜か?」
「うわっ。他の演者もいる劇場で見たい! ていうかあたしも立ちたい!」
「つーか構成えぐ。ひたすら全身酷使する剣譜よく演じきれるな。マジでカティラなのかよ」
「さすがに南方最高の剣戟師の遺産。こりゃしばらく忘れられんな」
感嘆の息を深く吐き出したハグロアも、年甲斐も無く紅潮した顔を浮かべている。
観劇素人のルディアですらも言葉を無くすほどの剣戟だ。
同じ剣戟師であるハグロア一座の者達は、今カイラが魅せた剣戟がどれほどのものかよく知るのだろう。
だが演じてみせたカイラの方は、座り込み肩で息をしながら複雑な顔を浮かべている。
「んんや、褒められんちの嬉しいけど、じっつはこいだと、まだ未完成ちゅうか……簡易式なんよね。ロウガにいるみんななら分かるやろうけど、こいは本物のよか短いんらしいしょ?」
今振り回していた舞台用の模造刀へと目を向けたカイラが零した感情には、悔しさめいた色が載っていた。
そして今の一言でカイラが何か言いたいのかを、即座に理解できたのはこの場にはルディアとファンドーレの2人だけだ。
大英雄双剣の1人。邑源雪の死と共に消え失せたその神印宝物は『紅十尺』の銘を持つ。
”公式”には未だ再発見されず、トランド大陸の迷宮のどこかに眠っていると言われる伝説の武具。
東方王国の滅亡や、共通言語、共通単位の普及に伴い、紅十尺の中にも含まれる尺は使われなくなった単位ではある。
だが対となる神印宝物武具、もう1人の双剣こと邑源花陽の黒槍『黒金十尺』は今もロウガの守護者当代ソウセツ・オウゲンに受け継がれており高名。
十尺という単位が約3ケーラだと知る者はそこそこいたりする。だからそこに誤解が生じる。
「ほんもんの紅十尺は、刃の部分やけで十尺。柄の長さもあわせっと今ウチが振ったこれの倍以上はあったみたいんよね」
舞台用の模造刀とはいえ金属製でかなりの重量をもつ長巻は、重量武器と呼んでも差し支えない長物。
これ以上の長さ重さとなると、並の人間にはまともに扱えない物となるのは明白だ。
カイラの独白を聞いて、座員達も何を言いたいのかは分かったようだが、どうしてそこにこだわるのかは理解できなかったようだ。
「いやいや、ロウガだとソウセツ様がいるから、マジ物の黒金十尺って1度くらい見たことある人多いけど、あれ再現している舞台は無いってのもカイラも知ってるでしょうが」
「第一その模造紅十尺も劇用の中じゃかなり大物のほうだ。他の所じゃちょっと短い普通の長巻を使って再現しているところもあるけど、文句なんぞ出たこと無いんだが。振れる方向も限定されてまともな剣にならねぇだろ」
「ってか無理っしょ。ここくらい大きい舞台でもそれの長さがぎりぎり。その倍ってなったらまともに振る云々以前に、他の演者交えて剣戟劇なんて出来無いって」
座員達は、本来の紅十尺の長さに合わせた模造刀使用なんて無謀だと口々に断言する。
実際の戦場であるならば、重さを無視すれば、3ケーラを超える長大な刀身は大型モンスター相手でも有効であろうが、カイラ達の戦場は剣戟劇。
あくまで剣の打ち合いや、モンスター役剣戟師との死闘を演じ、英雄譚をみせる芝居。
リアリティを追求するために、逆に舞台に支障が出るなど本末転倒も良いところだ。
「にゃ。実際そうやんね。ねーちゃんらいうとおりんよ。ただんねメルアーネのば……ねーちゃんがその辺こだわるほうやし、そんうえ参考に調べたリオラ先生の未公開剣譜がいくつかあんやけど、そんなかで、未整理だったもんのなかに、さっきの剣戟の初稿バージョンあったんよ。しかも実寸通りのをつこうた剣譜で……」
今は亡き天才剣戟師が残した遺稿。しかも実現不可能と思われる実寸大の紅十尺を用いた剣戟劇。
カイラの話は剣戟師なら強く興味を引かれる話題なのだろう。ハグロア達が色めきだつのも致し方ない。
カイラの説明が少し進むたびに、それは無理だや、いや立ち位置を調整すればあるいは、と各々の意見や感想を喧々諤々とぶつけだしている。
放っておけばそのうち実際にやってみるかと立ち稽古でも始まりそうな盛り上がりの中、冷静でいられたのは、ルディアとファンドーレの2人だけだ。
「長くなりそうね……カイラさんが替え玉どころか、ケイスって名乗っているって誤認されてる対策を今切り出すのは無粋?」
ケイスのパーティメンバーとしては、ただでさえハグロア一座には迷惑を掛けていて申し訳なさを覚えているので、盛り上がっている剣戟師達に水を差すのは気が進まないとルディアは悩む。
「剣戟師である前にルクセライゼン準皇族の姫。圧力を掛ければかなりの無茶が出来るかも知れないが、警戒警報が出て慌ただしい最中だ。さすがに今夜中にどうこうできる……」
しばらく放っておけと言わんばかりだったファンドーレが、急にいぶかしげな顔を浮かべ、ルディアの肩に止まる。
そのまま小声で詠唱を唱え始めたが、すぐに小さく舌打ちをして詠唱を止めた。
迷宮内では斥候役を務めているファンドーレは、一応の用心で常時複数の使い魔を劇場周辺に展開していたが、今の詠唱はその使い魔との魔力接続を確認する物だった。
「使い魔達の反応がおかしい。街区外周に配置した連中が雨が降ってきたことを捉えたが、劇場近隣の連中が感知していない。乗っ取られて欺瞞されたかもしれん」
「今仕掛けてくるって……相当やばそうなんだけど」
「夜会での剣戟でケイスだと確信を抱いた奴でも出たか。いても、いなくても面倒事を引き起こすな。あの馬鹿は」
夜が深い時間とはいえ、現在は特別警戒中で、地下水道からモンスターが出て来た場合に備えて街中には、警備ギルド所属だけで無く臨時警邏役の探索者も多く見回っている。
何か騒ぎが起こればすぐに人が集まってくる。
この状況で何者かが襲撃してくる可能性は低いと思いたいが、騒ぎになる前にどうにか出来る自信があるか、それとも騒ぎになってでも優先する何かがあるのか?
思い当たる節とすれば、それこそファンドーレの推測通り先ほどの夜会での騒ぎだ。
つい先日の燭華での騒ぎで、手ひどい損害を受けてケイスへと怨嗟を向けている遊郭経営者は両手の指でも足りないほど。
そこに以前からケイスに恨み辛みを持つ者も合わせると思い当たる節が多すぎて、仕掛けてきた者が何者かを特定することさえ難しい。
だが監視網に何か起きている以上、早急に対応を始めなければ。
「とりあえずハグロアさん達には悪いけど、すぐに警戒を強めた、っぁ!!?」
突如、劇場内の光球照明が全消失し、同時にルディアは、吐き気を催すほどの不快感と恐怖、怒りが入り交じった感情に支配されそうになり、膝をつく。
その異変が起きたのはルディアだけではない。
「くぁっ!?」
「ぁぁっ!!」
「な、なんだっぐぅ!」
肩に乗っていたファンドーレの苦しげなうめき声や、舞台の方からも嗚咽とも慟哭とも取れる叫びが暗闇の中に響き渡る。
暗闇の中で木霊する苦悶の声によって、より際立つ恐怖と不安と怒りから、ルディアは身を守るために腰ベルトの触媒魔術薬に手を伸ばしそうになるが、ファンドーレの叫びがかろうじて正気を僅かに取り戻させる。
「き、強力な精神攻撃か、ぐっ、! 狂乱系だ! 魔力で抵抗しろ! 錯乱して同士討ちになるぞ! 強力な分効果時間は短いはずだ!」
それは凶悪なトラップ魔術の一つで、強制狂化と呼ばれる精神攻撃系魔術に分類される。
しかし威力は強力ではあるが魔力消費が多く基本的には対個人用魔術に分類される。広範囲複数に、これほど強力な効果を与えて来るのならば、術の効果は長くても十数秒もないはず。
術の効果が切れるまで魔力を高めて耐えれば、何とかなる……魔力があればだ。
まずい!
かろうじて残っていたルディアの理性が悲鳴をあげる。
カイラは、今の攻撃に対して何の抵抗力も持たない。
カイラはケイスと同じく魔力変換障害。今は精神攻撃系魔術に抗う術を持たず、しかも先ほど剣舞をしたばかりで、その手には間引きされたとはいえ金属製長巻がある。
「ぁっぁぁぁぁっぁぁぁつ!!!!!!!」
闇に覆われた舞台から血を吐くような絶叫が響き渡るが、ルディア達には何も出来ない。
今カイラを止めるために何か魔術を行使しようとすれば、対抗するための魔力を失い、狂化に飲み込まれるだろう。
カイラの近くにいるハグロア達とて状況は変わらない。
むしろよりまずい。
カイラから攻撃を受けそうになれば、防衛本能が暴走し、それこそ座員同士の殺し合いになってしまう。
どうすることも出来無い……しかし、どうにかしなければ。
その思いだけが先行し、何とか舞台へと顔を向けたルディアの視界が新たな異変を捉える。
真っ白に発光する半透明の少女がいきなり飛び出てきて、舞台を照らし始めた。
それは古い様式の東方王国時代風の服を身につけたまだ幼い少女幽霊、ルディアも知るヨツヤ骨肉堂の看板幽霊のホノカだった。
飛び出てきたホノカが放つ灯りが、模造紅十尺を振りかぶるカイラや、苦しげにうめき声をあげながら膝をつく座員達を照らし出す。
狂乱し正気を失ったカイラは、いきなり現れたホノカへの恐怖に捕らわれたのか、模造紅十尺を叩きつけるようにホノカに向けて切り落とした。
しかし霊体のホノカにただの剣で切りつけても素通りするだけなのだが、斬られたホノカは恐怖で泣き顔になっている。
「うぁぁっ! だ、だからやだって、いったのに! ここ! ここ! は、はやく!」
霊体のホノカに物理攻撃は効かないのだが、『幽霊が斬られたと思うから斬れる』なんて、でたらめなどこぞのとある剣術馬鹿の所為で、トラウマになっているようで、泣き声の悲鳴を上げつつ天井を見上げて必死に手を振る。
それが合図だったのか、それとも偶然か、天井で何かがぶつかったような激しい音が響き渡り、
「時間が無い! 天井ごと斬り飛ばす! 上手く避けろ!」
「まぁたぁ無茶ぶりする」
闇の中であろうとも聞き間違いようの無いやたらと偉そうな鈴のような声と、緊迫した状況でもやけにのんびり聞こえる声が、ルディアの頭上で響いた。