ミアキラが次の攻撃を放つために、腕を引き絞り、切っ先が僅かに揺れる。
一見は攻める箇所を相手に悟らせないためのフェイントにみえるが、これが剣戟師同士の立ち会いとなれば、話は変わる。
二拍おいて一度フェイントを入れてから、左腕上腕部に向けた刺突を起点にした一連の攻撃手順を、揺れる切っ先で描き出し伝えているのだ。
観客に気づかれずやりとりをする秘密のサインは、剣戟師にとって基礎の基礎。
仮面に顔を隠すカイラとミアキラが行っているのは、あくまでも剣戟劇。
剣譜、やり取りの詳細を記した台本も存在するが、常連の観客を飽きさせないために、舞台上で組み立てるフリー演技も差し込まれることは多々とある。
揺れを押さえると同時に、ミアキラが矢のように一足飛びに踏み込み、鋭い刺突を突き放つ。
だが事前に分かっているのに、わざと遅れてカイラが回避を開始する。ミアキラの送ってきたサインが分からないと演技するためだろう。
1度目のフェイントに引っかかったカイラは体勢を崩すが、本命の突きを何とか体幹を駆使して捻り避ける。
二の腕をかすめた刺突。素肌には触れてはいないが、裾についた切り込みは本当にぎりぎり。薄紙1枚程度しかない。
こんなぎりぎりの回避は、本来剣戟師ならばやるはずが無い。舞台衣装に傷がつくし、いつ事故が起きてもおかしくない。
不自然に見えない動きでもっと安全に回避する事くらい、生粋の剣戟師であるカイラには可能だ。
しかし相手の攻撃が発動してから軌道を紙一重で避けるのは、あの”化け物”の模倣をするための苦肉の策なのだろう。
崩れた体勢のままカイラが膝の力を抜き倒れ込むように前宙返りをうち、ミアキラの膝を狙った低空蹴りへと自然に移行する。
低空蹴りを防ごうと氷盾が発生。
しかしこの蹴りはおとり。
ケイスを模倣するならば、決めては剣だ。剣で無ければならない。
カイラが膝を曲げ軌道修正し、ミアキラの目前に着地。左手に納刀したままの刀の柄頭を、ミアキラの顎先にめがけて前宙の勢いのままに振り落とす。
まともに決まれば一撃で意識を朦朧とさせる必殺攻撃。
だがまたもや氷盾が発生し、砕け散りながら攻撃を止めた。
氷飛沫がまたも幻想的に舞うなか、その顔に強い怒りを含ませたミアキラは、意にも介せず最初に取り決めた手順の攻撃を無理矢理強行する。
さっきからのこの繰り返しだ。
ミアキラが流れを伝えるが、カイラが一撃で終わらせ連撃へと繋げさせないようにし、ミアキラが氷盾で防ぎ無視して強行。そしてカイラがまた強烈な返しの一撃をたたき込む。
しかし上手く化けてやがる。
所用を済ませ、東庭園に戻ってきたイドラス・レディアスは素直に感心する。
セオリー無視。無理矢理な体勢から繰り出す奇想天外な攻撃。肌をかすめそうな危うい攻撃にも、一切動揺を見せない立ち居振る舞い。
頭のねじが外れているというよりも、頭の中、いや存在その物がおかしい姪っ子を模倣するのは並大抵の苦労ではない。
イドラスはカイラに同情を覚えつつ、楽しげに観戦しているメルアーネ・メギウスの背後へと静かに移動する。
今宵のイドラスは夜会参加者では無く、お付きとして従者服を纏っている。
ここロウガでは、大英雄カヨウ・レディアスの息子という存在は少々目立ちすぎる。
一部の者にはバレバレだが、ただの探索者としてトランドに渡っていた頃の昔の偽名を使い、存在を偽ると、皮肉にも姪っ子と同じ事をやっている。
主人に何かしらの報告に来た従者という形を取っているので、悪目立ちはしないだろうが一応の用心に、周囲に遮音結界を張り巡らせ、口の動きから会話を読み取られないように、口元には擬態魔術も使用する。
「戻った。さっきから見ていると、剣戟の流れがあいつらの十八番ばかりなんだが、ばれてないかアレ? まさかばらしたのかメル姉」
もっともその口調がとても従者とはいえない気安い物になるのは、致し方なしだ。
隠匿魔術を使ってまでするべき別の報告があったが、それよりも先に優先度の高い確認が出来てしまった。
抱いた疑念を口にしたイドラスは、非常に疑わしいと疑惑の目をむけた。
何せメルアーネの世間での通称は、剣戟狂いの女公爵。おもしろい剣戟を見るためなら何でもすると悪名高い変人。
このシチュエーションは彼女の好きな展開だと、昔からの付き合いでイドラスは知り尽くしていた。
”互いによく知る2人のライバル”
その彼らが数奇な運命に導かれ対峙するというシチュエーションが。
かつてカイラとミアキラは、メルアーネが主催した舞台で若手剣戟師として幾度も共演した仲だ。
そんな彼女たちの配役で最も多かった物は、奇しくも今のカイラに少しかぶる。
仮面に顔を隠し、名を伏せ、出自を秘した2人の大英雄。大英雄双剣フォールセンに仕えた、2人の若武者【双剣】と呼ばれていた邑源姉妹だ。
「まさか。私がそんな興ざめを望むと? むしろ私はここで立ち会うの反対していたのですよ。何せ噂のフォールセン様の剣技を伝える最後の弟子。もう少しふさわしい舞台がありますでしょう」
もっとも、メルアーネの好みは、どうせなら両者とも正体を知らぬままというのがベスト。わざわざ話すわけが無いと否定する。
「でも始まったから楽しんでいると……となると自力で気づいたか」
「さて、ミアキラさんも確信までには至ってない様子ですが。このまま知らぬ存ぜぬであの子の方も強行するつもりでしょう」
替え玉をしているカイラの正体が、ミアキラにばれているとしたらかなり厄介なことになる。
カイラに対するミアキラの対抗意識や感情というのもあるが、その替え玉の元となったケイスの存在がもっと問題だ。
ケイスは……ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンは、現皇帝の血を唯一引く御子であり、神木ケイアネリスの種を持って生まれた神子。ルクセライゼン帝国帝室最秘匿存在である隠されし皇女。
メルアーネが当主代理を務めるメギウス大公家以外の、他の大公家や、家門を司る紋章院に、下手に存在が発覚すれば、ルクセライゼン帝国全体で戦乱が起きかねない、火種と呼ぶには巨大すぎる物だ。
そしてミアキラ・シュバイツァーは、準皇族と呼ばれるシュバイツァー大公家現当主の孫娘で、むろん青目と呼ばれる青龍血を持つ龍殺しの一族。
龍血を持つ者達は、他の龍血持ちの存在に気づくという特殊能力も相まって、ケイス本人との接触は出来れば避けたく、そして下手に勘ぐられないためにカイラの正体にも気づかれないのがベスト。
今のところカイラの擬態は完璧だといえる。
ケイスが行いそうな無茶苦茶な剣戟を見事にこなしている。
だから本来のカイラが魅せる相手も生かす剣戟とは、全く違う剣戟。
だというのに、なぜミアキラが対峙する仮面剣戟師の中身がカイラだと疑っているのかは気がかりだが、この状況で口を挟めば余計に面倒なことになりかねない。
このまま確信を得ずに終わってくれるのを祈るのみだ。
「それよりもイド。さきほどソウセツ殿達が席を外した理由は分かりましたか?」
何らかの報告を受けて、ソウセツとナイカ2人の上級探索者が席を外したのは、メルアーネとミアキラとの口論が始まる少し前。
その二人が揃って席を外すほどの緊急事態となれば、ケイスがようやく発見でもされたかと疑っていたのだが、
「いや、そういった空気じゃない。さすがにあの二人相手に盗聴はきついから、そこらの警護兵の会話を拾ったが、どうも対迷宮モンスター対策の準備に入ったみたいだ。そこまで切迫した空気じゃないから、今のところ少量が出て来たって所だと思うが」
半年に一度訪れる一部の迷宮を除いて迷宮内へと入れなくなる閉鎖期は、同時にモンスターの異常増殖および迷宮内大規模変動期でもあった。
この時期は住処が破壊されたり、新種モンスターとの生存競争に負けた一部の迷宮モンスターが、迷宮外へと出現する事が稀におきる。
もっともその数は極々少量で、ロウガ規模の迷宮隣接都市ともなれば、常駐の監視対応部隊もいるので特に問題となることはない。
だがそれでも警戒を重視するのは、かの暗黒時代も始まりは閉鎖期だったからだ。
大陸中の迷宮口から前例が無いほどのモンスターがあふれ出し、普段は迷宮の奥底に生息するはずの火龍の群れさえ出現する異常事態。
暗黒時代の再来を恐れ、そして防ぐためにミノトス管理協会は存在する。
例え少量であろうとも、上級探索者達が動くのは管理協会の存在意義に直結するからに他ならない。
「あぁ。迷宮隣接都市の閉鎖期の名物ですか。確かここ王城のすぐそばでしたね。ロウガの迷宮口は」
「しかしそれにしちゃ奇妙だ。ここの目と鼻の先となりゃ、一応の用心で即座に夜会を中止してもおかしくないんだが、その雰囲気が……っ!?」
ロウガが警戒態勢に入ろうとしているのは間違いないが、どうにも対応が奇妙だと感じ取っていたイドラスが説明の途中で、離れた位置から不意に沸き上がった気配を感じ取り驚愕の色を浮かべる。
同族のような、だが明確に違うと感じる違和感が混じり合った強い気配。
火龍と青龍。異種の龍血を併せ持ちながら、強すぎる気配。
これを感じ取ったのは実に数年ぶりのことだが、忘れるはずも無い。
つい無意識にイドラスが目を向けた方向は南。ロウガの中心、その地下深くだ。
メルアーネを見れば、彼女も感じ取ったようで同じ方向を見ていた。
東庭園を見れば、他にも幾人かが同じように驚きの表情を同方向に向けていた。
それらはメルアーネと同じく、青龍の血を引く者。準皇族、どこかしらの大公家に連なる者達だ。
そしてそれはミアキラも同様だった。
ここまで反撃の一撃を氷盾で完璧に防いでいたミアキラの防御が、その瞬間だけなぜか全く別の場所、カイラから見て反対側に氷盾が発生し、当の本人もなぜかその方向へと目を向けていた。
剣戟の最中に他に気を取られることが無い。
それがミアキラの印象だったカイラは、棒立ちになっている事に驚愕を覚えたが、頭部狙いで無理矢理な体勢で繰り出した一撃を止めるまでの余裕は無かった。
ミアキラなら完全に防ぐという信頼があったから思い切り打ち込めていたと言うこともある。
カイラが出せたのは素の声だけだった。
「かがめ! ミー!」
緊迫したカイラの発した警告が鋭く響き、ミアキラがとっさに膝から力を抜き後方へとしゃがみ込むように倒れる。
直後にミアキラの髪止めの一部をかすめながらも直撃を免れた柄頭の一撃が通り過ぎ、警告を出すのに気を取られ体勢を立て直せなかったカイラも、ミアキラの上に覆い被さるように倒れ込んだ。
絡み合うような無様な倒れかたは剣戟舞台でやってしまったら、目も当てられない大失敗だ。
だがそれよりも致命的な失敗があった。
とっさに出てしまった失敗を繕うためにカイラは即座に立ち上がり、ケイスとしての言動を行おうとまだ倒れていたミアキラに手を差しだすが、
「むぅ、失敗した。興が削が」
「巫山戯るな! やはりお前か! 声を変えただけで、俺が気づかないとでも思ったか!? またか! またお前だけが抜け駆けしたか!」
カイラの手を荒々しく払ったミアキラが激高する。それは先ほどまでの怒りの比では無い。
強い嫉妬の色を込めた暗く激しい怒りの情念がそこにはあった。
ミアキラは言葉だけでは足らないのか、先ほどまでの華麗な剣戟とは真逆に力任せの無理矢理でカイラの仮面を剥がそうとしはじめる。
仮面の下の素顔を衆目に晒して言い訳などさせないという明確な意志が両腕には込められていた。
いきなり激しい嫉妬を含む怒りを向けられたカイラは困惑しつつも、何とかその両手を掴んで抵抗する。
この場にはケイスの素顔を知るロウガ関係者も多い。
ミアキラの言動自体も相当にまずいが、仮面を奪われ替え玉だったと確定させてしまうのがもっとも最悪だ。
だが仮面を剥がすためには手段を選ばない決意が固まったのか、ミアキラが先ほどまで使ってはいなかった拘束魔術を発動。
氷で出来た枷がカイラの手足にまとわりつき動きを封じようとしてくる。
それは致命的な攻撃。先天的と後天的の違いはあるが、カイラはケイスと同じく魔力を生み出せない、もしくは少量しか発生させられない魔力変換障害者。
魔術拘束に抵抗しようにも何も術を持たない。
ましてや相手は、強大な魔力を持つ龍血の一族ルクセライゼン準皇家ミアキラだ。
瞬く間に拘束を終えた氷の枷が、カイラから抵抗するための力を奪い去った。
無抵抗に拘束されたカイラの姿に、ミアキラが確信を抱いたようだ。
「魔力変換障害持ちであれだけの剣の腕を持つ者が他に存在するか! お前が! お前だけが剣戟の高みに行こうとするのか! 俺を捨て去って!」
言葉だけを捉えれば、痴話喧嘩にも聞こえない事もない怒りと共に、その正体をはっきりさせようとミアキラが仮面へと手を掛けたその時、けたたましい警報音がロウガ王城だけで無く、ロウガ全域に響き渡る。
その独特の警報音は全世界で共通の意味を示す。すなわち迷宮モンスターの大量出現を表す最大警戒警報。
『ロウガ治安警備隊所属上級探索者のナイカだ! ロウガ地下水道内で大量の新種迷宮モンスターが出現。緊急警戒態勢に移行するよ! 一般市民は一応の用心で帰宅もしくは公共の施設へ待避しときな。手隙の探索者どもは支部および出張所に集合、稼ぎ時さね! 一匹たりとも地上には出すんじゃないよ!』
警報が鳴るなかで響き渡るのは、警報の重大さに対して、警戒を知らせると言うよりも、たいしたことは無いと笑うようなナイカの檄。
上級探索者という最大戦力がちゃんといるという安心感を与えるために、わざと強気な発現をしたようだ。
警報とナイカの檄に思わず手が止まっていたミアキラの一瞬の隙を突いてイドラスが事態の収拾に動く。
「悪いなここまでだ。避難していただきますよ。ミアキラ様」
「待て! まだ話しっ!」
背後から近づいたイドラスは、軽く触れただけで一瞬でミアキラの意識を奪い、力なく倒れたその身体を右腕で丁寧に抱き留めつつ、左手を振ってカイラを拘束していた氷枷を容易く解除する。
「苦労かける。もうしばらく頼む」
「うい。そっちたのんよ」
会場は未だ鳴り響く警報音で始まった混乱の最中、短く言葉を交わした二人は即座に離れる。
どさくさ紛れで何とかごまかすしかないのは致し方ないが、ますます状況が混沌としてきたとイドラスは頭痛を覚える。
先ほど感じた懐かしい化け物の気配は、今は全く感じない。皆無だ。
警報が鳴る直前に一瞬感じただけですっかり消え失せているので、勘違いかと思うほど。
会場に目を向ければ同様に気配を感じていた者達も、警報に顔をしかめながらも、不思議そうなまなざしで気配を感じた方角、ロウガの中心地側へと目を向けていた。
「ご苦労様。目を覚ますと五月蠅いので船に戻します。それより先ほどのは、やはり?」
ミアキラを一瞥して完全に意識を失っている事を確認したメルアーネが言葉少なく尋ねる。
長年の付き合いでもあるので、その一言で言いたいことを全て察したイドラスは小さく頷く。
「だろうな。一応の用心で俺も参加者として討伐に出る」
「こちらからも一部の兵を出せるように手配しておきます。好きに使いなさい。それにしても気配が消えたなら普通なら瀕死か死亡したかと心配の一つもしますが、アレ相手ですとね」
普通の手段では、龍血の気配を隠そうとしても隠せる物では無い。
それこそ数日がかりの儀式魔術を執り行い封じでもしない限り、一瞬で気配が消えたなら瀕死で急激的に弱体化したか、もしくは死んだと判断する。
普通ならそう判断するのが妥当、常識。だが、何せ相手が相手だ。
「俺らが気づいたんだ。あっちも気づいただろうよ」
こちらの存在に気がついて、本来は不可能なはずの龍血を自ら押さえ込んで、気配を隠すくらいの芸当をやりかねない化け物。
常識なんて概念は、ことケイスに対してはすっかり二人は捨て去っていた。