ロウガの旧市街と新市街は、大河コウリュウの東岸西岸で区分される。
コウリュウ河口を初めて見る者は、そこが湖や海だと錯覚するほどに幅が広く大きい。東岸西岸を繋ぐ渡し船も、休むこと無く24時間多数が運航されているが、利便性に著しく不都合があるのは誰の目にも明らか。
むろん利に聡い者達が多いロウガ議会も手をこまねいていたわけでは無く、天候に左右されず、積み荷や乗客の積み卸しなどの時間を取られること無く、行き来が可能となる手段。東岸西岸を繋ぐロウガ大橋健造計画が立案、施工されている。
石切場から切り出した石材に自立歩行式巨大ゴーレムの術式を施し、移動する建材として用いる橋脚工事が、昼夜問わず急ピッチで行われているが、その完成はまだまだかかり10年以上先という気の長い話だ。
コウリュウ中央。大橋を支える中央橋脚兼新たな街区となる建材ゴーレムの集積体による人工島土台は八割方完成している。
両岸からみる月夜に浮かび上がる新たに出来た島は、ロウガの名所の1つとなっていった。
今宵はその巨大な人工島の横に、大きさはいくらか劣るがそれでも小島と呼ぶべき巨大な船体が錨を降ろし停泊している。
南方大陸ルクセライゼンが誇る巨大劇場船リオラだ。
あまりの巨船のため、東域最大の国際貿易港であるロウガ港でも接岸するスペースが無く、沖合の船溜まりも、他船の航路を塞いでしまうため、港湾管理部が苦心の調整の末に見いだしたのが建造中の人工島を一時的な停泊地としていた。
これはリオラ側にとっても利にかなった提案であった。
劇場艦という役割上リオラは多数の観客を同時に乗降させる事が可能な多数の乗降口を持つが、無数の乗降口は、リオラが属するルクセライゼンが大規模な船舶文化を有し、個人所有も含めて多数の船舶がどこの都市にもあるという前提条件があってこそ、最大限に活用される。
ロウガも多数の船舶を持つが、それらは常時何かしらの役割を持っている事が多く、遊山船となればさほど数は無い。ましてや多数の乗客を劇場艦に運べる大きさとなると限定されてしまう。
しかし建設中の人工島であれば、上物がまだ建設されておらず広々とした空間が広がっており、資材建材を運ぶ貨物船の為の接岸設備も多数設置されている。
人工島を観客の一時待機場所として用いる事で、全ての乗降口を使用した場合と比べ多少は劣るが、それでも乗降をスムーズに行うことが出来るという目算が立っていた。
もっともそれはあくまでも運営上としての問題の1つが解決したに過ぎないのは世の常だ……
ゆっくりと流れるコウリュウの水面。リオラの停泊する人工島からわずかに離れた水上には、水面歩行の神術を使い、夜間警備をする3人の影があった。
「うぁ。どれだけ飛ばしてきてるんだか。また水中に使い魔わんさかなんだけど」
ロウガ警備隊『水狼』に所属する水妖族のレンス・フロランスは、つい一時間前に掃除したはずの水中にわき出してきた使い魔反応に、疲労感の色濃いあきれ顔で報告する。
「また魔術毒を撒いて駆除するから、レンは広がらないように水の流れを押さえといてくれ」
棍の先に使い魔撃退用の魔術毒が入った瓶をつけた水狼隊長のロッソ・ソールディアが、足下の水面へと無造作に突きを打ち込む。
それに合わせてレンが、使い魔の反応水域周囲の水の流れを操り、魔術毒が水域街外に漏れずかつ、最大限に効果を発揮する密封領域を生み出す。
棍の先から放たれた瓶はその勢いに乗って、使い魔反応が広がる水域のほぼ中央で炸裂。魔力を強制消費させる魔術毒によって、使い魔達は内蔵魔力を瞬く間に消費して、もとの石像や、無力な依り代へと戻っていった。
「掃除完了……まじでこれ朝までやんの? きりがなさそうなんだけど」
レンが水流操作を止めると、それら使い魔だった物は、コウリュウの流れにのって海へと流れていった。
「しゃーねぇだろ。ありゃ劇場艦を名乗ってるが、実質ルクセご自慢の最新大型母艦。
そいつが国外初お披露目となりゃ気になる連中はいくらでもいる。しかもあっちの警備兵がお偉方の護衛で、船を留守にしていて人手が足りないってんで要請が来てるんだ。断れるわけもないんだ。2人ともあきらめろ」
水上歩行の神術を用い、空側の警戒を行っていた戦神神官ギド・グラゼムが愛用の槌を空に向かって振ると、少し離れた水面に何かがポチャンと落ちる音が聞こえてきた。
魔導技術においては一、二を争う南方大陸大帝国の最新艦の情報となれば、それが些細であってもいくらでも買い手がいる。
仕事で請け負っている玄人連中なら、使い魔から使用者が特定される足が付くようなへまをするわけも無いだろうし、閉鎖期で戻って来た探索者の中には、小遣い稼ぎの面白半分でちょっかいを掛けてきている者もいることだろう。
使い魔の残骸をわざわざ回収して持ち主を特定するというのも、手間だけが掛かって、結果は期待できず、ともかく潰して回るのが一番効率的な警備方法といえた。
「わーってるけどめんどくせな。これなら夜会警備の方に回った方がまだ楽だったか」
「あーないない。エンジがサムライだからって、よく城内パーティーの警備にかり出されてるけど、置物あつかいだって珍しく文句をいう仕事の1つなんだから。目の前でごちそうだけ見て突っ立てるだけなんてロッソも嫌でしょうが」
水狼の一員でありレンの恋人でもあるエンジュウロウ・カノウは今時希少な生粋のサムライの1人。かつてこの地域で隆盛を誇った東方王国の継承者を自認するロウガにとっては、その継承の正当性を示す駒の1つとして重宝されている。
もっとも剣術バカなエンジュウロウ当人としては、不埒な者による襲撃の可能性が極めて低い王城警備よりも、実戦を伴う前線警備任務の方が良い修行となると、珍しく嫌がる仕事の1つだ。
燭華壊滅や、悪夢の島での大規模迷宮災害。立て続けに起きたロウガの災難に対し、ルクセライゼンは皇帝名代として準皇族を中心とした友好使節団を派遣している
今宵はその主立った使節団のメンバーをロウガ城に迎え歓迎夜会が開催されており、他の隊からも幾人かが警備として回されている。
ただでさえ人手不足な所に、さらに人を抜くなと現場からは大不評だが、立て続けの災害に見舞われたロウガにとっては、復興支援の出資者であるルクセライゼンはないがしろに扱えず、最上級の出迎えをするのは当然といえば当然のことだ。
「そろそろ夜会が始まる。日付が変わる頃には解散予定だったな。日が昇る頃には十分な数の警備兵が戻ってくるらしいから、それまでの我慢だ。そのあともいろいろ面倒事が続く気がするけどな」
効果時間が切れかかっていた水上歩行の神術をかけ直したギドが上流へと目を向ければ、ロウガ城の高い尖塔の1つがかろうじて頭を覗かせている。
あの明かりの元では、見た目は華やかながらも、さぞ面倒で複雑な政治取引や工作が行われることだろう。
「夜会っていえばナイカさんの正装って初めて見たけど、すごく似合ってたのに、なんであんな嫌がってんの?」
警戒は続けながらも一息をいれたレンが、夕方から気になっていた事を、師弟関係でありナイカとの付き合いが古いロッソへと尋ねる。
水狼の副隊長であるが、それ以上に上級探索者にしてロウガ解放戦にも参加した英雄の1人としての名声を持つナイカはロウガ支部に泣きつかれ、警備の1人としてではなく、普段はしない祖国の正装を身につけ夜会に参加していた。
薄緑色のパーティドレスは、白いナイカの肌に映え、見た目の若々しさもあって、着替えや化粧を手伝った同性のレンから見ても、引く手あまたの華の一輪となるだろうと思ったほどだが、当の本人はエンジュウロウと同じくらい嫌そうな顔をしていたのが印象的だった。
「エルフ族で見た目は若いけど中身はババアだからな。恥ずかしいんだろ。あれ未婚者用の正装で、あの人くらいの年代なら既婚者用の正装が当たり前だとか。行き遅れ扱いされたくなきゃ、婚約者もいるんだしとっと国元に帰って結婚すればいいんだけど、まだまだロウガでやることがあるんだとよ」
いつまでも半人前の小僧扱いをしてくる師匠を部下にもつなんてなんて罰ゲームだと、息を吐いたロッソもロウガ王城がある方向へと目を向ける。
「にしても、あそこに嬢ちゃんの身代わりの役者もいるんだろ。アレの代役なんて出来るのか?」
「酒場辺りの評判じゃ、中身がケイス嬢ちゃんだろって憶測が主みたいだから大丈夫だろ。それより偽物の噂を聞きつけた当人でも乗り込んできたら大問題になりそうだけどな。ありゃ易々死ぬタマじゃねぇし、そろそろ脱出してくんじゃねぇか」
悪夢の島の地下で行方不明になったケイスは、取得した宝物によって生存確認されているがその所在は未だ不明。生きている以上どこから出てきてもおかしくない。
最悪偽物討伐と称して、夜会に殴り込みを掛けてきてもおかしくない、イカレ小娘というのが水狼全員の共通認識だ。
「あーエンジがそうなれば僥倖とか笑ってたんだけど。危険だから止めとけって言ってんのに……」
雑談をしながらも、気を抜かず周辺警戒を続ける水狼達の仕事はまだまだ終わりそうには無かった。
ロッソ達が話題にしていた夜会は、予想通りと言うべきか、それとも予想外の方向からというべきか、開始前、出席者の確認から一悶着が起きていた。
「私は剣士だぞ。なぜ剣を預けねばならん」
今宵の夜会は仮面舞踏会でもないのに顔を隠すマスクを身につけ、変調した声色で誓言する小柄な少女が堂々と胸を張る。
他国の皇族も出席する以上、武器の持ち込みなど厳禁なんて常識以前の、当然の禁止事項であるがそこに真っ正面から噛みつく馬鹿がそこにいた。
受付周辺は人垣が出来て遠回しに見ているが、少女にひるむ様子は一切無い。
「ですから武器類は持ち込みが禁止されおります。こちらで預かりますのでどうぞお渡しください」
受付を任された今宵ロウガで一番不幸なメイドは、困惑しながらも既に何回目かとなる同じ言葉を発するしか無い。
普通ならばこんな聞き分けも無い迷惑な輩なんてすぐさま警備に引き渡して、取り調べや場合によっては投獄というのが常だが、そうも出来無い理由がある。
自分の言動の正否を一切疑わず、それがさも当然だとばかりに宣う少女が提示する招待状は、偽造を疑う余地も無く正式な物だが、そこに名前の記載は無い。
招待状の宛名は【仮面少女剣戟師殿】とだけ記載されている。
今宵の主賓。ロウガ使節団団長であるルクセライゼン貴族が直々に希望したという剣劇の主役級の1人を、追い返すわけにも行かず、メイドはなんとか腰に差した剣を預かろうと説得を続けるが、そんな常識が通る相手ではない。
「では尋ねるが、剣を持っていたとしても私が何を斬るというのだ? もし私に斬られる者がいたというのであれば、その者が相応の罪悪を持つからであろう。ならば斬ればロウガやルクセライゼンの治安が良くなるではないか。であるならば私が剣を持つことに何が問題がある?」
恐れも無く言い切る少女を少し離れた場所で見ていた燃えるよう赤毛が目立つ長身痩躯の薬師が、着慣れない借り物の夜会ドレスの裾を踏まないように悪戦苦闘しながらも周囲の人垣をかき分けて、足早にもめ事の中心へと近づく。
「この馬鹿! いきなりもめ事起こすな! いいからとっとと渡しなさい!」
とりあえず問答無用で頭を叩いて、有無を言わせず腰に差した剣を取り上げて、乱入に困惑していたメイドへと渡す。
不満げなうなり声を上げる剣士は無視して薬師が頭を下げると、周囲はやはりかという空気が占めた。
小柄な少女の横にはよくこの赤毛の長身女性がいるというのは、割と知られてきている。
今の気安いやりとりや、怒られ頭を叩かれても、不機嫌そうにうなるだけで終えているのだから、仮面に隠された少女の素顔がアレだと誰もが確信する。
仮面に顔を隠そうとも、その奇天烈な言動が隠せるわけも無い。
ロウガが誇り、ルクセライゼンの皇族出身という出自を持つ大英雄フォールセンの唯一にして最後の弟子。
なにより、ロウガ新人達の全員生還という偉業を達した原動力とも呼ばれる希代の天才少女剣士だと。
そのまま薬師の女性も一緒にボディチェックをされ、二人揃って受付を通り過ぎて会場へと通される。
厳密に言えば並んでいた他の招待客を幾人もすっ飛ばした横入りなのだが、それに文句を言う者はいない。
猛獣の横には、猛獣使いがいて当然だからだ。
自己評価と、周囲の評価が最近乖離が著しくなってきたと感じながらも、最初の難関を突破したルディアは小さく息を吐きながら、手を握って同行させていた少女へと目を向ける。
いつもよりも少し高い背と感触の違う手のひらが別人だと理解させるが、ケイスだとつい認識してしまうほどによく似ている言動に、脳が混乱してきそうだ。
「……ケイスっぽいを通り越して、ケイスそのものじゃない。現物も見てないのに、どうやったら真似できるんだか」
「当たり前であろうルディ。それが何者であろうともなってみせる、それ役者であるからな」
いつもの様々な地方の方言が混じった癖がある話し言葉は一切消え失せ、流ちょうな共通語で、ケイスに扮したカイラが答える。
ケイス以外の何物でもないと、ルディアが思わず思ってしまうほどのケイス節はまさにケイスであった。