島と見間違えるほどに巨大な船は、月光に照らされる海原を白波を立てながら疾走する。
一見は鈍重な見た目ながら、軍用快速輸送船さえしのぐ巡航速度を可能とし、むしろまだまだ余力を持つほどの巨大船。
その異常なまでの高性能は、本来の建造目的が、乾坤一擲なる対龍王決戦特攻兵器であった名残だ。
かつての暗黒時代初期に建造計画が持ち上がりながらも、赤龍王の侵攻と連動して迷宮より溢れたモンスターによって蹂躙されているただ中。
数多の国の滅亡によって起きた、大陸規模の避難民とその救助に伴う、物資不足、食糧不足が積み重なった世界的困窮。
さらには世界最先端の魔導技術を誇った魔術帝国や、トランド大陸最大の軍事力を抱えていた東方王国さえも滅亡し、彼らが秘匿していた秘蔵技術が失われた事による著しい技術後退。
そのような状況では到底建造など出来る訳もなく、机上の空論、もしくは現実逃避、または士気高揚のプロパガンダと、当時からいろいろと言われてきた曰く付きの船である。
どれであったにしろ結局お蔵入りとなった過去の遺物。
そんな埃を被ったどころか、ほぼ化石化していたような建造計画を復活させた女侯爵は、建造理由を聞かれてこう宣ったという。
『姉様のお名前をいただくのに、史上最高と呼ばれる船以外を選べと?』
さすが変人侯爵と呆れながらも納得される一言を元に、人類生存を賭けて計画された戦船は、現代にその性質を全く真逆な物へと変貌させて、蘇る……船名リオラ。
かつて一世を風靡した有名剣戟師リオラ・レディアスの名を冠し【海上劇場艦リオラ】と命名されていた。
海上劇場艦リオラは船内に5つの大劇場を有し、さらに長時間公演時に利用される一万人規模の宿泊施設も常設する、船と呼ぶよりも海上移動都市と呼んだ方がしっくりするほどの規模を誇る。
船体中央にあるもっとも大きな第一大劇場では、天蓋が開かれ優しく照らし出す月夜の元で稽古が行われていた。
来るべき初の海外公演に向けて、午前から始まった稽古も、既に深夜といっても差し支えない時間だというのに、演者達の熱量が下がることはない。
南方式剣戟舞台と呼ばれるルクセライゼン式剣戟興業では、演者本人達は一言の台詞も発しない。
彼らはただ剣を、武具を打ち合わせ、戦いを演じてみせる事に専念し、劇中の舞台説明や劇の流れは、楽団による舞台音楽に合わせて英雄譚を高らかに歌い上げる吟遊詩人達に一任されている。
見ようによっては、軍事訓練としか思えない舞台稽古は、ルクセライゼン帝国が武を誉れとする軍事国家である証でもあるのだろう。
「熱心なこった若い連中は。そろそろ日付が変わる時間だってのに」
「当たり前です。ロウガで行う初の海外記念公演となれば、主題に【大英雄】を置く以外にあり得ません。場合によってはフォールセン様ご本人がご観覧なされるかもしれないとなれば気合いの入り方が違います」
メイン舞台を真正面から見下ろすことの出来る特別貴賓席へと訪れたイドラス・レディアスの暢気な感想に、船主にして興行主でもあるメルアーネ・メギウスはキッと睨み付ける。
大英雄。赤龍王を直接討伐し暗黒時代を終わらせた7人の上級探索者。
暗黒時代初期から活躍を続けた彼らパーティは、国によっては武神やら救世主と神のようにあがめ奉られることもあり、武名に強い敬意をいだく国風であるルクセライゼンにおいても、それは変わらない。
ただイドラスとしては、その大英雄の1人がよりにもよって実母なので、不肖の息子としては、現人神扱いする世間一般との温度差にいつも苦労させられる要因となっている。
もっともそんな心情を素直に晒せば、剣戟狂いのメルアーネの機嫌を一気に損ねて、長い説教が始まるだけなので口をつぐんでおくか、何か話題を変えるに限る。
そして今日の場合は丁度いいというか、本命である話題があったので、早速本題へと入ることにする。
「公演先でいくつかトラブルがあったみたいだ……報告をさせていただいてもよろしいでしょうか全権大使殿?」
いくら稽古光景と言ってもメルアーネの楽しみである剣戟観劇を遮るのには間違いないので、重要な報告であることを強調する為に畏まってみせる。
軽く頷いたメルアーネは青色の目を輝かせ魔力を高めると、一瞬で室内に数十も重ねた防音結界を発生させた。
己の城とも言える持ち船だが、今回は皇帝の名代でもある外交使節団という一面もあるので、船には他の準皇家に属する者達も乗船している。
水面下ではともかく、面と向かって敵対している他家はないが、情報漏洩に関してはいくら念を入れても損はない。
「それにしても礼儀作法だけは完璧ですが昔ならともかく、今の貴方には似合いませんわね。どこに可愛げを捨ててきたのやら」
メルアーネは扇子を開くと口元を隠し呆れてみせるが、声は楽しげだ。
レディアス家はルクセライゼンでも名門と呼ばれる騎士一族。さらにいえばイドラスは本家長男。
若い頃に出奔して野良探索者になっていなければ、今頃国内の主要騎士団団長か、皇帝直属近衛騎士団幹部に収まっていてもおかしくない実力を有している。
未だに惜しむ親族は数多くいるが、当の本人としては、家名や大英雄の血を引く重圧から解き放たれた探索者時代の方が性に合っていたので、どう言われようとも今更だ。
「適当にいけばいったで、真面目にやれってあんた言うだろうが。いくつかあるけど、あまりどれもよろしくないのばかりだな」
「たまには良いお話を持ってきてもらいたいですね。報告の順番は任せます」
「まず一つ、悪夢の島海域への立ち入り、調査協力の申し出はご丁寧に断られた。余計な物を見つけられても困るってところか」
リオラの転血炉機関出力ならば、邪魔な海水を一時的に排除したり、崩壊した山体の一部を持ち上げることも出来る大規模地形魔術を連続使用可能。
捜索費用もこちらが持つと提案はしたのだが、それらも軒並み断られている。
これ以上ルクセライゼンの影響力が増すことを嫌ったのか、それとも全世界で表面上は禁忌とされている赤龍に直結する魔導技術の証拠を押さえられる事を恐れたのか。
「……物証はいまだ?」
「未発見だ。赤龍転血石の秘匿並びに極秘研究は今のところ証言のみ。しかもそれを証言したのは、密貿易に関与していた監獄長。そいつが自分の罪を軽くする為に司法取引ネタをねつ造しているとでも言われたら、ソウセツの叔父貴もさすがに大手魔術ギルドの長相手となると強行突破は難しい」
「一皮剥けばどこの国や大手ギルドもやっているとはいえ、ここまで大騒ぎになったら落としどころの一つは必要でしょうに。なぜそこまで頑なに……ロウガの重鎮であるならば捨て駒に出来る部下の1人くらいいらっしゃるでしょう」
暗黒時代への恐怖から禁忌とされているが、赤龍に限らず龍種の力が絶大であるのは誰もが認めるところ。
上位迷宮のさらに奥に隠棲している為に龍種を見かけることさえ希となっているが、赤龍に関しては少しだけ事情が違う。
長い戦いの中で赤龍の死骸や、大陸全土に残した魔導技術が迷宮内に眠っている国も数多く、基本的には国から迷宮管理を委託されたミノトス管理協会が、それらの監視や封印を受け持っている。
ただしそれは一般庶民向けの認識。
再び赤龍が現れたときに効率的に対抗するため、赤龍遺構暴走を事前に防ぐためと、いろいろな事情をあげて、特例的に許可を得て堂々と行われている研究をする者達もいれば、技術転用のため秘密裏に研究を行っている国家機関、大手ギルドも数え切れないほどに存在するのは、一定以上の階級にいる者達からすれば常識でしかない。
表に出さえしなければ、出たとしても落としどころの道筋をつけておけば、管理協会からの厳重注意とこれ以上の研究続行禁止程度でなし崩しに終わる程度の問題。
「前に報告をあげた中央のエクライア魔導具工房ギルド後継者問題絡みだ。有力候補者の1人に魔術ギルド長の娘婿がいる。今は身内や部下の失態が有れば、敵対陣営は喜んで叩いてくるだろうが、ちょっと弱い」
「舅といっても、直接的な利害関係の少ない他地方の魔術ギルド長。確かにそこまで責められる弱点にはなり得ません。となれば他に公に出来無い事情があると?」
「推測にさえならない前段階、個人的感触だけどな。次の報告だが、メル姉の脅しで始まったケイネリアの探索は今のところ成果無し。ロウガおよび近郊であいつの存在らしき報告は皆無だそうだ。必死こいて探しているみたいだからもう少し待ってやれよ」
今の段階ではこれ以上の予測は難しいと肩をすくめたイドラスは次の報告に移る。
ルクセライゼン皇帝フィリオネス自らも若き頃に関わった悪夢の島で起きた大規模災害に対して結成された弔問外交団。
その姪であるメルアーネの、自らが手がけた公演初日に、始まりの宮全員突破という快挙をもたらし、舞台への注目度を下げたロウガの新人達に対する意趣返しおよび新規作品作成のための取材旅行。
海上劇場艦リオラのお披露目を兼ねたルクセライゼンが有する技術力を誇示する砲艦外交も兼ねたロウガ公演。
いくつもの思惑のうえに結成された外交使節団というのはあくまでも表向き。
皇帝の血を唯一引く非公式皇女であり、神木ケイアネリスの種を抱いて生まれた神子。
ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンの安否および所在確認並びに、状況によっては本人の意思を無視してでも捕獲……もとい保護せよ。
それこそが出奔以来、数え切れないほどの度重なる大事、小事を引き起こし続け、遂には監獄に収監された上に島沈没に巻き込まれた娘を心配するあまり、帝位継承以来半世紀近く経つが、初めて体調不良で公務を休んだフィリオネスより下された厳命で、外交使節団の真の目的である。
もっともその真の意図を知るのは、リオラ乗艦者にも少なくメルアーネとイドラス。そしてイドラスの根としての配下である数名のみ。
手が足りないにもほどがあるが、今期の始まりの宮で活躍を見せた主立った者達を公演に招待したいという要請と、剣戟に関しては気を害したら何をするか分からないという悪評というメルアーネの剣戟狂いの変人侯爵という異名を遺憾なく発揮して補っている。
「まるで私が狭量ではないですか失礼な。あの子がそう易々見つかったら誰も苦労しませんのに。地下に未だ閉じ込められいる可能性も一応ですが考えていますから、悪夢の島に訪れたかったのですが、仕方ありませんね」
青龍の血を引く皇族、準皇族は同族の存在を感じることが出来るので、島に上陸すればケイネリアがいるかどうかを確認できたかもしれないが、正直未だ島にいる可能性が低いとメルアーネは考えていた。
なにせケイネリアは迷宮育ちの迷宮を突破するために生まれてきた生粋の戦闘狂。
「事件から既に3週間が過ぎ。あいつの化け物じみた闘気と剣術なら、頭上を覆う大量の土砂や岩石も、自分の行く手を塞ぐ敵だつって斬り進んで、とっくに地上へと出没していて当然だわな」
姉の忘れ形見である姪に関して語っているのか、伝説じみた化け物を語っているのか自分でも怪しくなるが、的確な表現で、既にケイネリアは島にはいない可能性が高いとイドラスも判断する。
どうやって脱出したかという疑問は残るが、それを考えるのは時間の無駄だ。
何せケイネリアは、世界を大きく変えるほどの命運を持つ者に宿る神木を持って生まれた大英雄か大魔王の卵なのだ。常識など超えた超常世界に片足を突っ込んで、それでも思うままに生きている化け物。
どうにか脱出したであろうと判断したなら、後はどこに出るかと、これからの行動予測の方が重要となる。
「探し出すよりも、あの子がみずから飛び込んでくる方が早そうですわね。いくつか餌を仕込んでおきましたが……上手く釣れれば良いのですが」
舞台へとメルアーネは目線を戻すと、懸念が籠もった息を軽く吐く。
その目線の先には、深紅色の柄と超長身の刃をもつ巨大すぎる長巻を振り回す演者がいたが、長すぎる武器に悪戦苦闘していて、周りに比べて動きの精彩を欠き、どうしても足をひっぱっているという感想を覚える。
現に今もコンビを組んでいた同じほどの長さの黒塗りの槍を持つ演者にぶつかってしまい、流れが止まり、一時中断してしまった。
遠目ではわかりにくいが、ぶつけられた黒塗りの槍の演者が、深紅の長巻の演者に喰って掛かって、周りが必死に止める一騒ぎが起こっていた。
「紅十尺か……どうせ代役にしたなら、あっちも前の長さに戻したらどうだよ。第一元々の長さに合わせた紅十尺を舞台の上で振るのはさすがに無理があるだろ。叔父貴も言ってたんじゃねぇのか、戦場で自在に振れたのは叔母殿だけって話だ。正直姉貴が生きていても舞台上でさえもてあましたと思うんだが」
武具の名は紅十尺そして黒金十尺。共に神印宝物と呼ばれる神に認められた印を持つ名武具。
東方王国で使われていた長さの単位をもつ大刀と大身槍は共に、刀身だけで十尺、3ケーラを超える。
共に常識外の刃を持つ規格外武器であるが、その名が広く知れ渡っているのは使用者達の武名と共に英雄譚で謳われているからに他ならない。
双剣の勇者フォールセンに仕え、共に暗黒時代の終焉まで駆け抜けた2人の鬼面武者。
赤龍王を討つという誓いと共に真名も素顔も隠していたが故に、主と同じ二つ名である【双剣】と呼ばれる大英雄。
その正体は邑源雪そして邑源華陽。
暗黒時代の始まりとなった狼牙で生まれ、東方大陸最強の武門と呼ばれた邑源一族本家の血を引く姉妹。
黒金十尺は華陽から、雪の養子であった当代のソウセツ・オウゲンに継承されたが、紅十尺は雪の死と共に消え去り、それ以来再発見はされないまま、今もどこかの迷宮に眠っているはずだ。
「紅十尺だけ短くしたら、黒金十尺と釣り合いがとれません。お姉様でしたらいつか振ってみせたはずです。ですから勝手に戻したらうちの主演女優が帰ってきたときにへそを曲げますわよ。あの子は私以上に剣戟狂いで、私に僅かに劣るとはいえお姉様のファンで有り直弟子ですからね」
少し前までは、刃を含めた全体の長さが3ケーラを超えるそれでも規格外に長い長巻と槍が舞台道具として用いられていたが、舞台を観劇していたカヨウやフィリオネスの余計な一言で、本来の長さをメルアーネが知ったのが運の尽き。
舞台演出では外連味を重んじるメルアーネは、武器が本来より半分近く短い状況を許せるはずもなく、早速本来の長さ刃のみで3ケーラ、全体を合わせれば7ケーラに迫る長巻と槍を作成してそれに合わせて剣譜を書き直している。
もっともフィリオネスの懸念は当たり、突き主体であった槍の黒金十尺はまだしも、ぶん回す紅十尺は、メルアーネご自慢の女剣戟師でも扱いきれず、舞台として公開できるレベルには到底至らなかったほどだ。
遂には責任を感じた女剣戟師は一時降板して、修行と称して旅に出てしまっていた。
「似たもの同士だろ。それともう一つの報告があるが、その剣戟師の嬢ちゃんからの緊急連絡だ。どうも……」
それはメルアーネの琴線に振れる報告で、ロウガでの楽しみがまた一つ増える、珍しくケイネリアがらみであるのに朗報であった。
「また面妖な事態に。これもケイネリアに巻き込まれた者の運命でしょうか……どちらにしろ餌が増えるのは好ましいです。全力で演じてみなさい、だけど決してこちら側に出自をばれない様に、それと成長を楽しみにしていますと伝えてください」
「門外漢な草役で根のフォローを頼んでいるだけでも心苦しいのに、これ以上課題を増やしてやるなよ」
楽しげなメルアーネとは正反対に、イドラスは苦い顔を浮かべる。
ケイネリアを誘い込むための罠が増えていくのはいいが、はたしてあの化け物はこの船を持ってしても捕獲できる程度だろうか。
それ以前にちゃんと出て来るか。
何せ相手は予想不能な怪奇生物な姪ケイネリアだ。
ケイネリアに関しては綿密に立てた計画がいつも予想外の要因で崩され、いらぬ苦労ばかりかさむイドラスが懸念を覚えるのは当然といえば当然の帰結であった。