日は暮れたがまだまだ昼間の暑さの残る時期。氷結魔具でよく冷やされた酒を求めて賑わう酒場はどこも賑やかしく、活気に満ちあふれている。
そんな酒場通りの一つ。探索者向けの仲介屋も兼ねた馴染みの店で今週納品分も最後。
探索者となったことで、内部圧縮と軽量化の奇跡が施された天恵ポーチを得て配達がものすごく楽になったのが一番の恩恵というのが、生活探索者と呼ばれる者達が口を揃えてあげる事例だが、ルディアも強く同意する。
よく使われる傷薬や解毒薬などはとっさの時に判断しやすいように、薬師ギルドによって瓶や容器の種類、形が決まっているので、数えるのも楽だが、問題はルディア特製の特殊調合薬だ。
色とりどりの液体薬、少し異臭を放つ固形薬、鈍色に光る塗り薬など、特徴のある品々をルディアはカウンターに並べていく。
こちらはこの辺りでは見かけない故郷の氷大陸式調合法に基づいた魔術薬であったり、リズン工房先代店主フォーリアより受け継いだ東方式による特注品。
いつもなら一回の納品でせいぜい一つ二つあるくらいだが、迷宮閉鎖期直前で大勢の探索者達が街へと戻ってきているので、一気に高額な特注が殺到したのは嬉しい悲鳴という奴だ。
店が混んでいるこの時間帯を配達時間に選び、わざわざカウンターでやりとりしているのは店側に頼まれているからだ。
うちの店では、これだけの様々な魔術薬を取り扱っているという一種の宣伝となるとのこと。
「少し検品に時間が掛かりそうだな……待ってる間次の注文書でもみながらいつも通り一杯やっていくかい? あと頼まれていた新しい酒も少しは入荷したがどうするよ」
分厚いリストを手にしたマスターが、カウンターの下から新たな注文用紙の束と一緒に、故郷でよく飲まれている強めの蒸留酒の瓶を差し出してくる。
ここのところ酒量と度数が若干増えているような気がしないでもないが、ケイスと友人関係を維持している以上、その辺りを気にするのは今更の話だ。
「上の2人部屋って空いてます? 今日は連れがいるから、じっくり飲みたいので。もちろん部屋代は出しますから」
店内の混み具合を見渡したルディアは、少し考えてから二階の個室兼宿部屋を指さす。
少し離れているところで待っているサナからは、仕事終わりでいいので内密な相談話があるので時間を欲しいと頼まれている。
店に戻ってから話を聞いてもいいのだが、サナの表情から見るにどうせ酒でも飲みながら聞かないと、まともに受け止めたくない面倒な話に決まっている。
だが最近の自宅に置いてある手持ちの酒は、ルディアが飲むにはちょうど良いが、サナに出すのはちょっと躊躇するレベルで強い物ばかり。
いくら同期の友人とはいえ、仮にも一国の姫君を酔い潰すのはどうかなので、ここの店ならノンアルコールカクテルや、次の日に残らない弱めの酒など種類も豊富。
さらに探索者向けの店なので、二階の個室には防諜、防魔術などの対策もされているので密談にはもってこいだ。
追跡者達の存在は気になるが、これだけ人がいる場所で無茶なこともそうそうはしてこないだろう。
そういう意味でも二階の個室を指定したのだが、マスターは大衆向け酒場は初めてなのかフード付き外套で顔と翼を隠しながらも、きょろきょろと興味深げに見ている小柄なサナの方をじっと見てから、
「かまわないが……ルディアさん、やっぱりあんたがあっち系が趣味だって陰口が叩かれないか」
気遣う表情のマスターが、小声で忠告をしてくる。
ここの二階は密談以外にも、連れ込み宿として使われることもあるが、女性2人で使ったからといって、そんな噂が立つような怪しげな店でもない。
非常に不本意であるが、これもまたケイスが原因だ。
基本的に傍若無人で唯我独尊な化け物ケイスだが、ケイスを気にくわない者達も、その容姿に関してだけは絶世の美少女と認めざる得ないほど可愛らしい幼い少女。
しかもそんな美少女風化け物は、ルディアや仲間達には臆面も無くべたべたと甘えてくるので、ルディアはケイスを嫌う者達の間では、同性愛者でしかも少女嗜好趣味と陰口をたたかれているらしい。
「大女で男っ気がないからってやつですか。丁度良い男除けですし、そんな戯れ言より、今からする面倒な話の方が……じゃあ鍵、お借りしますね」
悪意ある噂よりも、次々に押し寄せてくる現実の方が気が重いルディアの現状や心情を察したマスターが、言葉の途中で無言で鍵を出した。
鍵と一緒に注文表と酒瓶を受け取ったルディアは、上を指し示しサナと共に二階へと上がった。
鍵に彫られた番号は廊下の端にあった部屋にはいると、キングサイズのベットとテーブルと椅子が二脚とシンプルな、一晩の借宿を求める者達が多いこの通りではよくある作りとなっている。
「お姫様を招くにはちょっとアレですけど、結構ここの料理とお酒っていけますよ。とりあえず一通り注文して腹ごしらえしてからにしましょ」
「えぇ。そちらの方が私も。素面で話すにはいろいろと気が重いので」
話を聞いたあとでは、食欲が失せる可能性も考慮したルディアの提案に、外套を取ったサナもうなずく。
一応窓とカーテンを閉めてから、テーブルの上にあった呼び鈴の形状になった結界魔導具を発動させると、ルディアとサナ両方の服表面で、バチリとなる音と小さな閃光が一瞬発生して、何かがぽとりと床に落ちた。
見ればそれは追跡、盗聴用に用いられる虫型使い魔の一種。見た目は羽虫ほどの小ささで、常時結界でも発動していなければ気づきにくい代物だ。
ただ魔術防御に関してはの無防備な存在なので簡単に排除できるが、安価かつ使い捨てにしても惜しくなく、使用者を特定するのも難しいと厄介な代物だ。
このような物を使われても驚かなくなった自分に嫌になりながらも、気にするだけ無駄だと割り切ってもいるので無視し、メニューを取ると持ってきた酒よりも弱い物をとりあえず適当に見繕う。
塩っ気の強い海鮮料理をあてに、適当に当たり障りのない世間話をしながらちびちびとグラスを傾けていると、いつの間にか瓶が二本ほど空になっていた。
「で、話は変わりますけど、内密な相談って何ですか?」
そろそろ現実逃避や、まともな状況判断が出来る酒量の、両方の限界に達したのであきらめ、いくら弱い酒といってもルディアのペースにつきあっていた所為でほんのりと頬を染めていたサナに問いかける。
「……ロウガ全域に影響が出そう懸念が生じています。それでルディアさんにご協力をお願いしたくお時間を取っていただきました」
どうせケイスがらみだと思っていたのだが、頭を下げたサナが切り出した話は、想像していた物と若干ニュアンスが違った。
ただの一般市民であるルディアにこのような話を持ってくるとも、解決できるとも思えないが、藁にも縋る思いでという破れかぶれでもなさそうだ。
第一サナはロウガの王女ではあるが、ロウガ王家とは象徴。もっとはっきりってしまえばお飾り。
ロウガを実質的に支配、運営しているのは管理協会ロウガ支部や、有力ギルド長達によって運営されるロウガ評議会。
政治的な話に、ロウガ王家自らが主体的に関わるのはノータッチが不文律。サナの性格も考えれば、わざわざ波風を立たせる様な真似をするはずもない。
「誰の提案です? 無理筋話を持ってきたのは」
「ロウガ支部からの要請、正確にはロウガ支部に名指しで指定して来た方からです」
要はロウガ支部にさえ圧力を掛けられる相手と。
聞きたくないなぁというのが本音だが、工房を運営するルディアとしては諸々の認可権を仕切るロウガ支部に非協力的な態度を見せるのは、後々に響きかねない。
サナには悪いが、面倒なことになると理解しててもただ素直に返事をするのも癪なので、グラスをちびりと傾けて目線で続きを促す。
「自分の書き下ろした剣劇のお披露目公演が、同時期に私たちが始まりの宮を全員で突破した所為で霞んでしまった。想像が現実に負けるなんて名折れ。新しい脚本を書く参考にするから、そのときのお話をロウガ風剣劇に仕立てて自分の劇場で公演しろと。ついでに主立った者達をロウガ記念公演に招いて一緒に観劇させろ、その方から要請があったそうです。ルディアさんはリーダーとして同期をまとめたと知られていますから」
なんとも逆恨みな理由と理不尽な要請。
ただ言葉の端々に困惑した様子を見せるサナをみるに、その要請を額面通りに受けない方が良さそうだ。
しかしこの話をサナが持ってきた理由も、これで合点がいった。
同期のサナも当然当事者で、事情をよく知るものかつ、ロウガ王家の一員として権威だけなら有している。
「私たちも箝口令をしかれている諸々ありますけど」
史上初の全員突破という偉業は盛んに喧伝されているが、当事者であるルディア達からすれば、世間に出回っている噂話は、かなり諸々を都合良く切り取って脚色したそれこそ物語だ。
扱いに困るのは、もちろん始まりの宮後に起こしたケイス暴走関連がほとんどだが、大量の石化した赤龍死骸という戦略物資の所有権も関わってくる。
「ロウガ支部が、剣劇劇団に協力を要請した上で前後のしっかりしたシナリオを作られたそうです。ただ絶対に作り話だとばれない様にすりあわせして欲しいと」
「相手は劇作りのプロなんですよね。そんなの相手に騙せって……もしばれたらどうなるんですか」
「燭華復興に関する物資や、各ギルドから提供される予定だった資金に諸々問題が起きそうだとのことです。機嫌を損ねたら片手間でそれくらいやりかねないお人です」
「ロウガ支部だけじゃなくて各ギルドって……どこのどなた様ですかその人」
頭痛を覚えてきたのは飲み過ぎた所為だろうか。それとも飲み足りない所為だろうか。
「ルクセライゼン準皇家の一つで、皇太后の出身家系メギウス家当主代理を勤めているメルアーネ女侯爵閣下。剣劇狂いで有名な変人侯爵という噂です。その方が今回の悪夢の島に関わりもあったルクセライゼン皇帝名代として、ご自分の所有する海上劇場艦と共に、数日後にロウガを訪れます」
既に決定事項となっている上に、状況的にもルディアに拒否権はなさそうだ。
だが問題が一つある。最大の問題だ。
「……一番中心のケイスがいませんけど、まずくないですか?」
「まずいです。ものすごくまずいです。諸々のギルドも、機嫌を損ねたら資金打ち切りや、理不尽な圧力を受けるかと恐慌状態で、どうにかしてケイスさんを見つけ出せと独自行動に出ているようです。私もルディアさんと協力してどうにか事態を打破して欲しいといろんな方から頼まれています」
頭を抱えているサナはものすごく必死そうで、申し訳ないが逆にルディアの方が冷静になれるので有り難い。
「あー……なるほどあのやたらと多い人たちその関係ですか」
やけに追跡者が付いていたことにもこれで合点がいく。
大半が水没した悪夢の島から、既にケイスが脱出していると確信している者も大分多いようだ。
ただ、とりあえず今はルディアに出来ることはないと同時に理解した。
なら良いだろうと、取り寄せてもらった故郷の酒の封を開ける。
慣れているルディアでも一口飲んだだけで咽せそうになるほど強い酒だが、この状況下でも確実に酔ったうえで、強制的に眠ることが出来る請け合いの酒だ。
こういう日は余計なこと考えて眠れなくなるよりも、とっとと寝た方が良い。
幸いベットもある。もう潰れてしまおう。いっそのこと全部が終わるまで潰れても良い気がするくらいだ。
放置しているだけで自然と減る酒をグラスに入れ、一気に傾けると喉が焼けるように熱くなるが、それもまた気持ちが良い。
見ればサナが、無言でグラスを出していた。
酒の強さには気づいているがどうやらルディアと同じような気持ちのようだ。
「ぶっつぶれ……何も考えず眠れます。酔い覚まし用の魔術薬なら常備してありますから」
ロウガ王女を酔い潰せばまた妙な悪評が増えそうな気もするが、あれもこれもケイスが悪いという史上最強の免罪符を武器に、女2人の色気もへったくれもない飲み会は魔境へと突入した。