ルクセライゼン帝都水上都市コルトバーナ。
ルクセライゼン大陸を代表する三大河川と、無数の運河の集結地点として繁栄の極みを迎える帝都。
帝国内のみならず、世界各地から訪れる様々な船を見物できるバーナ湾。その中央に一際巨大な艦が停泊をしていた。
それはお椀をひっくり返したような形状で、島と見間違えるほどに巨大な劇場艦【リオラ】
5つの大劇場を艦内に抱えるリオラはつい2週間前に、初就航を記念したルクセライゼン大陸一周記念公演から戻ったばかりだが、整備もそこそこに、イベント好きなうえに商売っ気豊かな船主の変人女侯爵によって、帝都帰還日替わり公演が大々的に開催されていた。
公演の目玉は、大陸各地で公演しつつスカウトしてきた地方の有名劇団や、無名ながら光る物がある若手剣劇師など、帝都ではあまり馴染みのない異国情緒溢れる剣劇群。
様々な地方伝承が元になった目新しい演目は、目の肥えていた帝都の剣劇ファン達も満足するできばえの物ばかりが、毎日日替わりで行われている上に、一度でも見逃すと次はいつ見られるか分からないという希少所為もあってか、さすが剣劇道楽侯爵と呆れられながらも、連日連夜の大盛況による大入りが謳われ、常連客の中には現皇帝フィリオネスの姿もあったという。
「今夜も陛下は姪御殿の元へとお出かけか。どうにも陛下は御子がいらっしゃらない所為か、血縁者には甘いご様子だ」
バーナ湾を一望できる帝国中央宮殿の一室から、夜の海に浮かび灯り輝く劇場艦リオラを見下ろしていたくすんだ灰色髪の壮年の男が、鮮やかなルビー色のワインが入ったデキャンタをとり、同席する明るい茶色髪の若い男性のグラスへと注ぐ。
「もっともこうしてメルアーネ殿が運んできてくれた、土産を楽しんでいる私たちが言えた義理ではないか。シュバイツァー領地で昨年仕込みの若のみの酒だ。お前の遅刻癖を加味して飲み頃に合わせた。試してみろ」
「好きこのんで、毎回遅刻しているわけではないのだがな……いただこう」
若い男はため口で答えるが、壮年の男は別に不愉快さを感じた様子もなく、対面の席に腰掛けると手酌で自分の分をグラスへと注ぎ、ぐいっと傾ける。
フルティーなさわやかな果実香と、あっさりとした口当たりにほどよい甘さ。
どちらかといえば若い女性が好む類の軽い酒だが、厳つい見た目に反して男も、酒を楽しむなら、この手の若飲み、しかも安価な品の方が好みだったりする。
だが男の立場故にか、他の者から送られる酒は熟成された年代物の高価な品ばかりなうえに、男にも見栄という物があるので、本来の酒の好みはあまり口外していないのだが、こうも見事に嗜好に合った品を持ってこられると、素直に降参して楽しむしかない。
「今宵の相手はファルゲルン家のノリア殿。演目はファルゲルン地方に伝わるオオムカデを退治した王子の話か。メルアーネ殿はなんだかんだ言われながらも、根回しはしっかりとしているな」
男が昨夜皇帝と共に観劇した演目は、男とも縁深いかの大英雄パーティに関した物で、大いに楽しませてもらっていた。
だが世界最大帝国の長である皇帝ともなれば、観劇1つとっても重要な政治活動の1つ。
毎回違う相手を伴い、連日連夜に渡り異なる演目観劇を続けている理由も、男の立場からは言われずとも自ずと見えてくる。
「言動はアレでも病弱だった弟殿や甥御に変わり、長年大公代理を務めている女傑だ。同じ年頃に探索者として、気ままに生きていた俺よりはよっぽど経験をつんでいるだろうよ」
世間一般では剣劇狂い、少年、少女愛好家、同性愛者やらと、いろいろと陰口を叩かれている変人女侯爵だが、こうしてちゃんと相手が隠している好みもついてくる補佐役は、皇帝にとって貴重であろう。
男のご相伴にあずかることになった若い男も、形式張った会食よりも、気のあった友人と気軽に飲み交わせる席と酒を好む。
おそらくメルアーネは、2人が近日中に顔を合わせることを読んで、この酒をわざわざ送ってきたのだろうと2人とも分かっていた。
見た目は親子ほどに離れているが、同い年の同窓生でもあり、それなりに血の近い親戚筋に当たる。
壮年の男は大英雄が1人フォールセンの出身家でもあり、帝国有数の穀物地帯であるシュバイツァー家現当主ライネル・シュバイツァー。
若い男は、上級探索者【青鱗の王】の2つ名でも知られるグライドルア家現当主ミトリ・グライドルア。
グライドルア家は、その領地内に広大な大森林地帯を抱え、高い造船技術を誇る船工廠と船大工達でも知られており、帝国内で新造される船の半分以上は何らかの形でグライドルアが関わっているとされる。
両家とも、ルクセライゼン初代国王の血を引く準皇族であり、同時に南方大陸において覇を競った国主達の末裔でもある。
「どこぞの他家の叔父上に、交易交渉で散々泣かされてきた成果で手強くなったと聞くが違ったか。おかげであの船を作るときには、当家も散々値切られて苦労したんだが」
「嘘をつけ。世界最大の船を作ると聞いて、当主自ら嬉々として協力したと聞いているぞ。それに俺の場合は、先祖の負け分を取り戻しただけよ。メギウス家の先々代が相当に優秀だったからな。どれだけ麦を安く買いたたかれたか」
南方大陸統一帝国ルクセライゼンは、かの暗黒時代に迷宮から無限にわき出してくるモンスター達に対抗し人類の力を集中する為にという名目で、当時のルクセライゼン王国が大陸内の他国を併合して、大陸統一を成し遂げた経緯を持つ。
併合は会談による平和的な物もあったが、そのほとんどは力による強引な物となったが、併合後もルクセライゼンは、敵対していた元王家や連なる者、領土、領民、文化を尊重して、公平に扱う事に苦心したという。
それどころか、龍殺しの一族として知られる帝家は、超常の魔力を持つ王子、姫達を積極的に嫁がせ、婚姻関係を強化し南方大陸平定に全力を注ぎ、人類の反攻作戦を支える屋台骨を作った最大の功労国であると誰もが知ること。
だがその偉功も今は昔……
倒すべき敵、取り戻すべき土地、すべての種族が1つにまとまる困難。
その全てが消え去った後に訪れた平和な時代は、皮肉にも世界最大の大帝国のみならず世界全域で徐々に暗黒時代の反動と軋轢が表面化を始める時代でもあった。
会場劇場艦リオラには毎日無数の荷物や書簡が届けられる。
演者に宛てて書かれたファンレターであったり、舞台上で用いられる小道具や、派手な演出を彩る魔導具といったものから、自作の剣劇の台本【剣譜】を送ってきた若手作家であったり、はたまた帝国内の剣劇コンクールで入賞に輝いた新人役者の推薦状であったり、他国、地方からの公演依頼や、逆に地方劇団の売り込みであったりと、多岐にわたる。
それらは大陸のみならず、大陸外からの品も含まれているが、例え手紙1枚でも魔術文字を用いた召喚魔法陣によりテロ行為の可能性もある為、届けられた荷は全てリオラ下部に設けられた各種現象を沈静化できる魔導検査庫で厳重に精査されてから、各担当部署へと改めて配送されることになっている。
そんな大量の荷物、書籍の一部には、【根】と呼ばれる諜報組織に所属する各地に潜んだ諜報員からの報告書も密かに紛れ込んでいた。
最重要監視対象K介入事象および事後報告
統一歴197年4月にKの助力によって弱小勢力であった第4王子とその派閥による王権が成立したトランド南方小国家地帯内メルティアナ国内にて、敗れた第1王子および第5、第8王子派それぞれの残党によるクーデターの動き。
それに伴い近隣諸国間での軍事同盟および破棄が活発化。大規模な地域戦乱へと発展する可能性有り。
同年8月上旬。Kによって殺害された、クライナ連合国前女大公にして上級探索者リワーラ・ノルベス居城における遺骨発掘調査が先月完了。およそ500から700を超える人骨を発見。
Kによって救助された少数の生き残りの証言もあり、リワーラ大公による美容を目的とした儀式魔術および嗜虐的な性的嗜好を満たす為に浚われた少女の亡骸と断定。
クライナ連合内で責任の所在を巡って連合議会が改めて紛糾中。連合からの一部離脱や解体可能性極めて高し。
同年8月下旬。リワーラにKを売ったとおぼしき闇ギルドが壊滅。生存者無し詳細不明。クライナ連合国内暗黒社会に空白が出来た為か、他地域勢力流入と抗争が活発化。治安の急速な悪化が先の報告の一因となる。
同年10月。トランド南東タルガのスラム街にて笑狂曲芸師の二つ名を持つ連続少女殺人犯中級探索者を撃破。その際に心臓をわざと刺されてから、闘気で跳ね返し相手を拘束する【鼓動返し】なる返し技を開発。
現場に居合わせ精神的ショックから長期離脱していた根は、半年前に復帰するも、最近の管理協会から公式発信されるK関連情報に再び精神的不調を再発中。
198年2月。数ヶ月にわたり行方不明になっていたKを再発見。南方街道支道の一つライトラ山道周辺の盗賊、および山賊団を一冬のあいだ山に籠もり駆逐していた模様。ライトラ山道や近隣街道での盗賊被害が激減。ライトラ山道越えルートの安全化により周辺地域経済活発化。
反比例して、今まで使われてきた北側のクルリアン街道交易において壊滅的な利益減少が発生。安全を売りにした高額な通行料や宿代による反発と思われ、これによりいくつかの町村で集落離散が発生。またその一部が盗賊化したと情報有り。
追加情報……ライトラ街道で活動していた山賊団の一部には、クルリアン商工ギルドから、商隊情報や資金斡旋があった証拠を発見。対応を確認中。
同年4月上旬。リトラセ砂漠特別迷宮区【常夜の砂漠】において発生していた砂船遭難事件にKが遭遇。発生原因とおぼしきサンドワーム群の一部を撃破。
撃破の際に少量の血をこぼしたか、もしくは気まぐれで野良モンスターに与えた為か、ここ数ヶ月の間にリトラセ砂漠迷宮群において異常強化された新種モンスターの発生を少数ながら確認。
同年4月下旬。カンナビスにおいて、Kの血によりカンナビス魔法陣再生およびカンナビスゴーレム発生を確認するも、K自身によって撃破される。
これに伴い開発中であったカンナビスゴーレム関連技術を流用した魔具の開発停止および資料破棄が管理協会および竜獣翁により決定。
開発、研究中止によって、中央大手のエクライア魔導具工房ギルド次期工主の選抜に大きな影響が起き、未だ次期工主が決まらぬまま当代が数ヶ月前に意識不明となったことで、さらに下部工房間の争いが激化。
またいくつかの闇ギルドが、封印されたカンナビスゴーレム関連技術を狙い、暗躍中との情報も有り現在調査中。
同年4月から10月。先の騒動で【羽の剣】と呼ばれる特殊剣を手に入れたKによる試し切りとおぼしき痕跡を多数発見。周辺野良モンスターの激減および盗賊団とそれに関連していた地方豪族の壊滅を複数確認。
この期間中のK関連報告は、世界情勢に関連する大事は減少しているが、小事が膨大となる為に別資料を用意。
199年3月。最終目標地点とおぼしきロウガ直前の街で、ロウガ出陣式襲撃事件の元凶となる事件に遭遇。
影響に関して現在調査中…………
「……あのバカ姪は。ぽんぽんと気軽に事件を起こしやがって、調査報告まとめるこっちの身になりやがれ」
未整理で山積みされた膨大な報告書を前に、イドラス・レディアスは机に突っ伏し、恨み節を込めたうめき声を上げる。
一事が万事、気のまま思うがままで無軌道に、後先の影響を考えず動くケイスの所為で、幾人の根の諜報員が精神的にやられたことだろう。
彼らと同じように倒れてしまえればいいのだが、根の長としての責任感か、それともケイスと近い血縁で少なからず耐性があった所為か、今のところ血反吐を吐くほどでもない、小康状態を保てているので仕事が出来てしまうのだからしょうが無かった。
遂にはケイス関連の情報は、部下達からの懇願で、組織の長だというのにイドラスが専門でまとめる羽目になっているあたり、人材不足もいいところだ。
「イド! 泣き言を言っている暇があるなら早く新しい情報を翻訳しなさい! こうしている間も、あの姪っ子が何をしでかすか! 現実に負けるなんて剣劇作家としての名折れ! 負けるわけにはまいりません!」
その一方、上の各劇場では今日も興業が大盛況だというのに、船主兼興行主のメルアーネは貴重な時間を使い新作の剣譜作りに余念が無い。
一応血縁上で見れば、ケイスに関しては姪と呼ぶよりも、従姉妹と呼んだ方が正しいのだが、イドラスの亡き姉にしてケイスの実母である剣劇師リオラ・レディアスの名をこの船につけるほどの世界一のファンを自称するメルアーネに、その辺りを指摘しても無駄だと知っているので、ため息混じりに返すだけだ。
「対抗心を燃やすのが無謀だからやめとけメル姉。ケイスの奴、最近じゃ完全に空想の化け物に足踏み入れてんだろ」
【根】の諜報活動の一環として、リオラの一部を利用させてもらう代わりに、劇場艦リオラの雑用係……もとい総務部長という肩書きをメルアーネから押しつけられたのが不運の始まり。
ケイス関連の最新極秘情報だというのに無理矢理にもぎ取っていく辺り、他家の重鎮を接待するという名目を立てつつも、連日連夜リオラに乗り込んで、娘の現状を聞かないと翌日の仕事が手につかないというのが一番の大きな理由であるケイスの実父皇帝フィリオネスとの血の繋がりを感じさせるものだ。
ただメルアーネの対抗心はともかく、オジキと慕うフィリオネスの気持ちは分からなくもない。
何せ娘のケイスがアレだ。アレ過ぎる。
長年の夢であった探索者となったはいいが、その後に大騒動に次ぐ大騒動を引き起こしたり、巻き込まれている所為で、報告書は日ごとに分厚くなる一方で事件の整理どころか、機密報告の解読も追いつかない有様。
挙げ句の果てには、イドラスも若い時代には幾度か世話になったロウガの色町【燭華】を破壊した大華災事件とやらで何をやらかしたのか、ロウガ支部に拘束されているのに、表だっては気に掛けることも出来無いフィリオネスの心労も察するに余りある。
それを思うと、心身ともに疲れ切っている体に鞭を打ったイドラスは、送られてきた剣譜や手紙、または荷物の中から、いくつにも分割されて紛れ込まされた暗号を拾い集め手早く解読していき……しばらくしてできあがった報告書に、二度、三度、目を通してから今度こそ盛大にぶっ倒れる羽目になった。
「ち、ちょっとイド! どうしたのですか!?」
さすがのメルアーネも筆を止め、心配げに声を掛けるほど。
だがイドラスの耳にはその声も入ってはこない。
「な、なにやってんだあいつは!? なんかの誤報告だろ!? ないだろこれはさすがに!? オジキにみせたら近衛艦隊出しかねねぇぞ!?」
翻訳を失敗していたと思いたくなるような内容と、これを見てもまだ何とか正気を保てている自分。
思わず、イドラスが天を呪いたくなる内容と担当している根の一人の悲痛な叫びが描かれていた。
最重要監視対象K。大華災事件に絡み、ロウガ沖合海底鉱山監獄に送られるも、その初日に島全域で大規模な火山活動に伴う地震や山体崩壊が勃発。かつてこの島で討伐されたナーラグワイズの残した転血石による物と推測。
Kが転血石破壊の為に向かったとのことだが、その後夜明け近くに起きた大規模な地震および陥没によって島の大半が海面下へと沈下。事前に救助されていた100人弱を除き、看守および受刑者のべ数千人が行方不明。非公開行方不明者リストの中にKの名も含まれている模様。
現在緊急調査中。事態があまりにも急展開している為に追加の人員急募っていうか無理! もう無理! イド君のたっての頼みでもこれ以上無理! 森に帰りたい!