火道を塞ぐ積み重なった岩盤を次々に溶かしながら降下していくナーラグワイズを追いかけ、落下すると呼んだ方が正しい勢いで、ケイスは岩盤の僅かな凹凸を頼りに駆け下りていく。
眼下に見据えた赤龍転血石表面で燃えさかる幻炎に浮かび上がる赤龍ナーラグワイズが、その首を持ち上げ、口蓋を大きく開く。
その口中に複数の光を確認した瞬間、ケイスはもろい岩肌を両足で蹴り、さらに落下速度を上げながら進路を変える。
直後に、先ほどケイスが蹴った位置に、ナーラグワイズが放った赤熱化した光弾が着弾。
鋭い破砕音を奏でながら弾けた光弾の着弾地点を中心に、周囲の岩壁が一瞬で溶岩に変化する。
瞬時の見切りで溶岩化しなかった微細な岩破片を、空中で右足に捕らえ、それを大地として闘気を用いた爆発的な歩法を無理矢理に敢行。
矢継ぎ早に飛来してくる赤熱光弾をぎりぎりで躱すが、高密度で打ち込まれる光弾についにケイスは捕らえられる。
深海青龍の肉体と変わらぬ防御力と断熱性を誇る四宝鎧の深い青色の氷が、致命的な熱をもつ赤熱光弾をはじくが、衝撃までは殺しきれない。
「ぐっ!」
右腕の付け根に打ち込まれた赤熱光弾の衝撃に耐えきれず外れそうになった肩関節を無理矢理に力を入れて固持しつつ、苦悶の声を漏らしながらもその勢いを喰らう。
体を開き左手を振って、空中で転がるように大きく方向転換し、反対側の岩盤に叩きつけられるようにしながらも、左手を突き刺し横向きに着地。
僅かにダメージは負ったが、戦闘に支障は無い。
だが回避の間にナーラグワイズの魂が宿る赤龍転血石との距離が先ほどよりも僅かに開いている。
開いた距離は僅か。
しかしその僅かが遠い。
迷宮特性【離さず】の効果によって、投擲攻撃を封じられた以上、ケイスの攻撃可能範囲は、己の両手の間合い、そして握っている物体が届く範囲のみ。
一方でナーラグワイズは迷宮特性による悪影響を受けておらず、ケイスを近づけさせまいと、火龍の咆哮を模した赤熱魔術光弾の弾幕で迎撃をしながら、降下を続けている。
距離が開けば開くほど、ケイスの刃は届かなくなる。
だがこの程度の、難関で思い悩む正気などケイスは端から持ち合わせていない。
魔力を捨てたときより、剣を選んだときより、いつだってケイスの戦い方は1つだけ。
斬る……ただそれだけだ。
鼓動を感じるほどの、息が触れるほどの、匂いを感じるほどの超近接戦闘圏こそがケイスの戦闘領域。
剣を命を掛けるときこそが、ケイスが唯一、他者を、自分以外を理解でき心安らぐ刻。
ケイスが求める唯一の世界。
「ふん! ぬるいぞ! ナーラグワイズ! これで火龍のブレスのつもりか! 私を幾度も殺してみせた狼牙の火龍に比べればまるで児戯だな!」
かつて見た幻の狼牙に、受け入れた死霊達の地獄絵図に、幾度も焼かれ死した戦いに比べれば、この程度ではケイスを阻む壁としてはまだ生ぬるい。
もっと撃ってみせろ。もっと大きくしてみせろ。もっと自分を阻んでみせろ。
ケイスが足を止めたというのにナーラグワイズが追撃をしてこない物足りなさを感じた怒りのままに、岩盤の一部を苛立ち紛れにもぎ取ってから蹴りつけたケイスは再降下を開始した。
『くっ! なんだあの化け物は! ちょこまかと!』
一方的に罵られ、嘲られるナーラグワイズは混乱の極みにいた。
ナーラグワイズが放つ熱光弾は並の生物であれば一撃が必殺であるはず熱量を持つ。
ルクセライゼンの末裔を名乗る化け物が纏う鎧が、ナーラグワイズを長年縛り付け、その意志を封印してきた深海青龍の肉体であることを差し引いても、それでも数発を当てれば十分に打ち消し合えるほどの力を込めている。
だが化け物にまともに当たったのは最初の散弾の1つだけ。
その後の二撃目、三撃目とも、回数を増すごとに密度を濃くしているというのに、化け物は自らの手に握っていた石のかけらを空中に投げると、即座にそれを足場として不規則に軌道を変えて、回避してのけている。
何とか距離を縮めさせてはいないが、最初のように引き離すことも出来ずにいた。
もっとケイスの迎撃に熱量を向ければどうにか出来るか?
だが必要以上に熱を使ってしまえば、地下の溶岩溜まりまで掘り抜ける熱を失うやもしれぬ。
赤龍にとっての力の元である熱を補給しなければ、肉体を取り戻すどころか、幻炎で生み出した肉体さえ維持できなくなる。
それに熱量の低下はもう一つの致命的敗北を呼び込みかねない。今は押さえ込んでいるが、熱を失えば異物共が蘇り中から砕いてくるやもしれぬ。
せめて生身の肉体があれば、心臓さえあればいくらでもやりようがあるが、今の状態では手持ちの魔力だけでやりくりするしかない。
『くっ魔力が足りん! 人が! 我らの聖域から熱を奪うのみならず、今世では我から力を奪いおって!』
大地を脅かした東方王国は滅亡させたというのに、今の人共はもっと悪辣な手段を用いて、龍より力を得ようとしている。
いくら意識が発現できぬほど消耗していたとはいえ、自らの肉体である転血石が人の血と混ぜ合わされ、繋がりを経路として魔力を吸い出されていた事くらいは分かる。
意識が顕現したことで、僅かに奪い返したが、それはこの数十年で失った力に比べれば微々たる物。
周囲一帯が再迷宮化したことで、迷宮主たるナーラグワイズに、迷宮特性【離さず】によって炎と変わった物質の熱も入ってきたが、それもナーラグワイズを満たすほどの量ではない。
龍が、我が、ただ物のように使われたなど……屈辱だ! ましてや人などに!
やはり滅ぼさねばならない! 人という存在がこれ以上増長する前に!
ナーラグワイズは怒りを呼び起こすことで、力を高める。
魔力とは思い。感情。自らの心を持って、世界を浸食する力。
人に対する憎しみが、力を奪われた憤怒が、滅ぼさなければならないという義憤が、魔力の質を高め、幻炎の龍のアギトが最大まで開かれる。
生み出されたのは火道を埋め尽くすほどの熱光弾、いやまさに太陽と呼ぶべきか。
怒りが頂点に達すると共に、不意に今までに無いほどの力がナーラグワイズの中でわき起こる。
まるでどこからか、大量の力が流れ込んできたかのような高揚感。
これならやれるあの化け物を!
『龍を侮るな! 化け物が! 己が愚かさを恥ながら死を迎えよ!』
真昼のように赤々と照らし出しながら火道壁面を一気にとかし尽くし、蒸発させながら太陽が打ち放たれる。
それはまさに火龍のブレス。
狼牙の街を焼き尽くし、トランド大陸から人類を駆逐し尽くしかけた轟炎赤龍の怒りそのもの。
龍の怒りを持って、残り少ない魔力を高めることで可能として最大攻撃をもって、今一番の驚異である敵を駆逐しようとするその行いは正しい……常ならば。
しかし事ケイスに至っては、それは最悪の悪手。
ケイスを迎え撃つ為に怒りを呼び起こすならば、ケイスにだけ集中しなければならない。
ケイスのみを敵に定め、ケイスだけに全身全霊を向けねば、ケイスだけに怒りを向けねばならない。
一瞬でもケイスから目を、意識を離すことが、どれほど危険であるかをナーラグワイズは、理解していなかった。
大きな溜めと共に生み出されるのは巨大城塞都市さえ一撃の下に打ち砕く赤龍のブレス。
あの太陽の元で幾千、幾万、幾億の人が死んだだろう。
纏う鎧が深海青龍を用いた四宝鎧とはいえ、闘気はともかくとしても、魔力も込めなければ十全の力を発揮しない。
ましてや深海青龍であってもあの一撃をまともに受ければ無事には済まないだろう。
そう龍ならば。
だがケイスは違う。ケイスは龍の力を持ち、龍の血を引き、龍の魂を持つが、剣士だ。
邑源を、フォールセン二刀流を、レディアス二刀流を継承し、天才たる剣士。
もしケイス以外にも三剣を受け継いだ者がいたとしても、まともな剣士であれば死を約束されたブレスと真正面からやり合おうなどとは思わないだろう。
だがケイスは馬鹿だ。剣術で進むと、世界最強になると決めた剣術馬鹿だ。
受け継いだ記憶からブレスが放たれるまであと15秒ほどの余裕があると判断し、即座に手を考え実行に移す。
「双龍闘気浸透遠当て!」
横向きに着地したケイスは借り受けた右手の短剣と、左手の千刃手甲に、それぞれ赤龍、青龍の両闘気を込めながら壁面へと突き入れる。
回避する為に横穴を掘ろうなどという意図はない。あのブレスならば山体もろとも崩壊してもおかしくない威力があるはずだ。
それに逃げるなどケイスの流儀ではない。
楽しくない。つまらない。斬る機会が来たのだ。なら斬らなくてどうする。
逸る心のままにケイスは大地を掴む。
迷宮特性【離さず】は探索者が握った物体が手の範囲から離れれば、火の子となって消失する現象。
ではその効果範囲は?
見える範囲内か。触れる範囲内か。認識できる範囲内か。
答えはすべて否。
探索者が持つ事の出来た範囲内がすべてその影響範囲内に入ると、既にケイスはここまでの戦闘と探索で見極めている。
そして持ったことで探索者の持ち物と認識される時間は一瞬。
異なる龍種の闘気は互いを喰らい合い、反発し合い、膨張し、やがて消滅する。
打ち込んだ闘気はケイスの手から繋がったまま、地中を駆け抜け周囲を消滅させながら一直線に突き進み、突き抜ける。
ラフォスを最大加重で握ったような時のずっしりとした重みを感じ瞬時に両手を引き抜くと、火の子となって目の前の岩盤がぽっかりと消え失せ、ケイスが潜り込めるほどの長く一直線に伸びる即席坑道が目の前に現れた。
「むぅ。少し小さい。やはりお婆さま達のようにはまだまだか」
かつて祖母と大叔母は、龍の大群へ背後から奇襲を掛ける主の為に、大陸に名だたる山脈を、一撃の剣技を持って貫いて道を開いたと聞く。
実際に旅の途中で目にした、その大穴は今も山脈越えの大街道として使われているほど。
それに比べれば、まだまだ未熟。まだまだ届かない。距離も大きさも。
ましてや迷宮特性の力を借りるのだから、比べるまでもない。だからこれからも精進あるのみ。
だがそれでも道は開いた。
くるりと身を翻したケイスは、両足を岩盤にめり込ませ垂直で立つと下方を見つめる。
まともに見れば目が焼かれそうなほどに煌々と輝き始めた太陽の向こうに、赤龍転血石と幻炎たるナーラグワイズは隠れ姿は見えない。
だから思い描く。その姿を。斬るべき姿を。貫くべき位置を。
最初に見た四宝鎧の配置から読み取れた陣の中央地点を。
おそらくそこにいるはずだ。
実に今日は良い日だ。
龍を模した兜の中でケイスは見惚れるような笑顔で笑う。無邪気に、狂った笑顔で。
魔力だけとはいえ伝説の龍と戦え、そして龍を倒せば、かつてその龍を倒した伝説の探索者達と戦う機会があるやもしれぬ。
「ふむ。頃合いか」
高まる殺気、渦巻く熱量、輝く光量。
そして背後の大穴からは、微細な振動と共に、潮の香り。
火龍のブレスが来ると確信すると同時に、ケイスは岩盤から足を抜き自由落下を開始。
『龍を侮るな! 化け物が! 己が愚かさを恥ながら死を迎えよ!』
雷鳴のような怒号が響き、殺意の塊である太陽が火道岩盤を蒸発させるほどの熱量の塊が、超高速で打ち放たれた。
絶対たる熱を前にしてもケイスの笑みは変わらない。
実に心地よい。
喰うか喰われるか。これこそが、これだけがケイスが遜色なく完全に理解できる他者との交流。
魂からの邂逅の瞬間。
今回は貫きつつも掴まなければならない。ならば左手で行くべきだ。
つくづくちょうど良い武器を借りられた物だとロッソに感謝しつつ、左手を貫手技に構え千刃手甲の五指をぴったりと合わせ刃をそろえる。
この技を空中で放つのは初めてだが、何とかなるだろう。何せ自分は天才だ。なら出来ぬはずがない。
大きく身を捻り左腕を引き絞ったケイスは、猛烈な勢いで打ち上げられた太陽に向かって一直線に落ちていく。
それは無理。それは無謀。それは不可能。
誰もがそう声をそろえて断言するだろう。
だがケイスは己の勝利を疑わぬ声と共に、また1つ必勝という事実をこの世界に積み上げる為に技名を唱える。
「邑源一刀流! 逆手双刺突!」
ケイスが左手を突き出すと同時に、先ほど開けた大穴から大量の海水が火道へと一気に流れ込み、ケイスの背中を強く押しだす。
ここは深い海から海底火山が隆起してできた絶海の火山島。
地上から千ケーラを超える深さまで地下に潜っても、島の周囲は大海原に囲まれている。
火龍のブレスに勝る為、水龍の鎧を最大限に力を発揮させる為に、海へと繋げたケイスは水流を纏いながら、地下からの昇る太陽へと真っ正面から突っ込んだ。
赤龍魔力のこもった火と青龍闘気を纏う水がぶつかり合い、太陽と刃が鎬を削り合い、巨大な圧力と共に両者の間に力がたまっていく。
「ぐっっ! はぁぁぁぁぁっ!」
思っていた以上に勢いと熱が強い。
一気に突き抜けるはずの逆手双刺突でも全く進めない。
地を蹴ることが出来れば良いがそれも出来ぬ以上、背中を押す水を大地とし全身の力と、闘気で押し込むケイスは、太陽のごとき火龍のブレスに真っ正面から拮抗してみせる。
さすがは名を知られた轟炎赤龍ナーラグワイズのブレス! 魔力で生み出された疑似ブレスといえど遜色なし。
四宝鎧でなければ一瞬で蒸発して、まともに相手など出来無かっただろう。
海と繋なければ、鎧の力もすぐに尽きて骨さえ残さず死しただろう。
ドワーフの特殊鋼性の手甲でなければ打ち込めなかっただろう。
思わず笑い出したくなるほどの強さと、自分の運の良さにケイスの心は跳ねる。
もっとだ。もっと力を込めろ。もっと超えろ。
限界を。
常識を。
今を。
剣を持って月は斬ってみせた。
ならば剣を持って太陽を突き破れぬはずがない。
足らぬなら足せばいい。
借りていた短槍とショートソードをそれぞれ指の間に挟むことで右手一本で掴み、ブレスに打ち込む。
「レディアス二刀流! 弧乱真白!」
それは本来は1つの力の流れとなって突っ込んでくる敵集団に対して、両手の剣を持って力の向きを乱し同士討ちさせる防御技の1つ。
本来は両手で行う技を自らの天才性を持って片手で行うケイスは、短槍とショートソードが熱に負け溶け落ちるまでの一瞬で、僅かながらもブレス表面のほんの一部だけだが、流れを乱してみせる。
乱れたのは一瞬。ほんの僅かな領域。
しかしそこは紛れもなくナーラグワイズの意志を離れた力。
ならば喰らう。相手の力を喰らい、相手を喰らう迷宮剣術を持って。
「フォールセン二刀流! 木霊綴!」
左手の千刃手甲の小さな刃の1つを持って、乱れた力の1つを喰らい、自らの力も乗せて、もう少し大きな乱れをうみ、さらに違う刃で受け止め、また少しだけ足して少しだけ大きな乱れに、さらに違う刃で受け止め……
音が響き反響させるように力を蓄え、刃を増やしながら、ブレスを少しずつ割り自らの推進力に変換する。
ぶつかり合い膠着し、拮抗していた火と水が混ざり合い、ケイスの物へと、ケイスが扱う力へと。
小さなヒビが入り、それは見る見る間に広がり、割れた火の一部は水と混ざりながら爆発を生み出して、一緒にケイスの背中を押し始める。
力任せに無理矢理ブレスを割り進むケイスの気配を感じたのか、ナーラグワイズの狼狽した声が響く。
『あ、あり得ない! 何をした! なぜ我のブレスを受け止めれる! 喰らえる!』
それはもはや龍の、絶対的強者が放つべき声ではない。喰われる者の、弱者が放つ悲鳴。
自分では理解できぬ答えを求める哀れなる被害者に対して、加害者たるケイスはいつもの台詞を無慈悲に投げかけるのみだ。
「決まっているであろう! 私が剣士だから!」
理不尽かつ誰にも理解できないであろう暴虐なるケイス理論によって、ナーラグワイズの心が折れたのかブレスから力が消え失せ、一気に拡散する。
千載一遇のチャンスをケイスが見逃すはずもない。
目の前の障害は抜けた。ならば一気に突っ込み貫くだけ!
「邑源一刀流!」
水流を纏うケイスは咆哮と共に全身を捻る。
偶然か。それとも必然か。
ケイスが体捌きによって、纏う流水がまるで龍の頭部のような形を描き出す。
『ま、まさか! 貴様が次代のっ!』
「逆手蹂躙貫き!」
技を放つ態勢に入っていたケイスは、ナーラグワイズが放つ断末魔の叫びなど耳にも入らずに、ただ一直線に赤龍転血石へ突っ込み左手の千刃手甲を力任せに打ち込む。
龍の鱗とまでは行かずとも、龍血が固まった赤龍転血石は鋼並みの強度を誇るが、それをまるで飴細工のようにケイスの左手は食い破り、真っ二つにぶち砕きながら両断していく。
「これか」
そのほぼ中心点で鮮血色に染まっていた赤龍転血石の欠片に混じる黒い不純物を見つけたケイスは右手で素早くつかみ取るとほぼ同時にナーラグワイズの気配が消え失せる。
すると周囲にあったナーラグワイズの転血石の破片が、一瞬で霧状に変化してケイスが右手にはめている指輪へと吸い込まれ、徐々に周囲が暗闇に閉ざされていく。
難易度はそこそこ高いが、やはり初級迷宮だったので迷宮主であったナーラグワイズを討伐しただけで迷宮化を解除できたようだ。
しかし龍を倒した割には、天恵による増幅はあまり感じられない。
「むぅ。やはり鱗無しだと本物より大分弱いか……下まで下ろして復活を待つ方が良かったか。しかしロッソの約定もあるし、怪我人もいたので致し方なしか」
多少物足りなさを覚えるが、状況が状況だけに仕方ないと納得したケイスは水流を蹴って脱出して、溶けて柔らかくなった壁にとりつく。
龍魔力の影響で治癒魔術が上手く使えず、怪我人に処置も出来ずにいたがこれでどうにかなるだろう。
問題はむしろケイスのほうだ。
ここが相当に地下深いことや、先ほどまでの戦闘の余波で、上の方も崩壊がひどくて戻れる道があるか不明なことだが、ある意味で脳天気なケイスはあまり気にしていなかった。
「ん……少しおなかがすいたな」
柔らかい表面の手応えにケーキを思い出して少しだけ気が抜けたのか、腹が鳴って空腹を訴えだす。
何か食べ物が欲しいところだが、手持ちになし。
先ほどから流れ込んで来ている海水も、即席坑道のどこかで崩落が起きて塞がれでもしたのか、水音が弱くなってきている。
「中にいるのが、お一人かお二人か分からんが食べ物でも持っていれば良いがあまり期待できぬか」
先ほどナーラグワイズ転血石の中から持ってきた異物、緊急用待避結界魔導具は暗黒期時代の代物だが、どうやら正常に稼働している様子だ。
しかしさすがに現代の物と術式が違いすぎて内部時間の設定が遅延状態か停止状態かは、ケイスでも判断できない。
それにどうせ無理矢理に開けられたとしても、ここでは実にやりづらい。どうせやるなら平坦な場所がいい。
「ふむ。とりあえず下まで降りてみるか」
下がどうなっているか分からないが、上手くすれば先ほどの水流に巻き込まれた魚が地熱で焼けているかもしれない。
まずは食べ物探しが最優先だ。何せ相手は上級探索者が1人か2人。しかも伝説とつくほどの先達達。
「ん。少しでも良い状態で戦えるようにしなければ失礼という物だな」
やはり今日はいい日だとケイスは心からの笑みで笑いながら、暗闇の中を下り始めた。
戦闘終了
前回記録より低レベルなれど赤龍龍王化兆し再確認
全世界消失海水量測定……補充必要有り
特殊クエスト【龍の血に抗いし者達】続行承認
南方帝国、地下王国共に新戦乱クエスト【望まれぬ王の帰還】作成開始
迷宮群【悪夢の島】を主軸にした戦乱クエスト作成開始
赤龍影響による世界戦乱化23%から44%まで上昇
全現行クエスト調整開始
賽子が転がる。
賽子の内側で無数の賽子が転がる。
無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。
賽子が転がる。
神々の退屈を紛らわすために。
神々の熱狂を呼び起こすために。
神々の嗜虐を満たすために。
賽子が転がる。
迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。