世界が変わる。
ケイスの殺気に反応したか、それとも楔から解き放たれた、赤龍魔力が本来の力を取り戻したか。
赤龍転血石が纏う幻炎が激しく燃えさかりナーラグワイズの姿をより鮮明に表しながら、熱波が奔る。
灼熱の熱波によって岩盤の表面はヒビ割れながら溶融を始め、沸き立つ岩から立ち上るガス蒸気が視界を覆っていく。
休止状態であった火山が再活動を始め、うなり声にも鳴動を伴いながら、地面は激しく揺れ動く。
生身の生物であれば、高温と有毒ガスによって一瞬で命を奪われるであろう死地。
これこそが火龍が好む世界。
火龍が住まう住処。
火龍の力がもっとも発揮される灼熱煉獄。
対峙するケイスが身に纏うのは、異種龍深海青龍から生み出されたルクセライゼン四宝が1つ生体魔導鎧。
鎧を構成する深青氷が、岩さえ溶かす灼熱を無効化し、青龍の面影を残す面当てが有毒な大気を浄化して清浄な空気をケイスへと供給する。
本来は鎧は、存在するだけで天変地異さえ引き起こす暴虐なる龍に挑む、か弱き人に与えられた対龍装備。
しかし龍の肉より生み出された鎧を、龍の血を引き、龍の闘気を生み出すケイスが纏う事で意味は変わる。
鎧に血が馴染み、闘気が充填されていく。
ケイスが魔力を持たぬ故に、火龍転血石のように周辺改変能力は発動せずとも、それは深海青龍が現界したのと変わりない。
剛炎赤龍と深海青龍。
火と熱を司る火龍。
水と冷気を司る水龍。
相反する属性をもつ二匹の龍。
互いが最強の名を冠する種の闘気と魔力が、鎧表面でぶつかり合い弾けながらも、互いに喰らい合い、この世から完全に消え失せる虚無を呼び寄せる。
それが龍の戦い。喰うか喰われるか。
頂に立つは常に1つ。
故に龍の中の龍。龍の頂点に立つ龍王達は互いの交わりを禁とする。
龍とは自然そのもの。龍の王とはこの世の炎を、水を、風を、大地を四大要素を司る存在。
自ら達の争いが、世界を消失させる物と、滅ぼす物と同等と知るが故に。
それがこの世の理。
しかしケイスは、ケイスだけは理の外を、理外を行く。
「帝御前我御剣也!」
押さえきれない嬉々とした感情のままに、誓いの言葉を口にしたケイスは太陽のように輝きを増し始めた赤龍転血石へ向かって突撃する。
赤龍転血石が放つあまりに膨大な魔力に押され、熱では溶けぬはずの四宝鎧の表面がみるみると消滅していく。
だが誓いの言葉と共に発動させた、心臓と丹田による闘気の二重生成と、意志の力による異なる属性闘気である炎氷融合によって、鎧属性が変化する。
深く澄んだ青色の滑らかなだった鎧表面が、紅色を含んだ青に変わり、揺らめく炎を纏う氷装甲が消失箇所を再生させていく。
さらには充填された融合闘気は、浸食し喰らおうとする赤龍魔力を喰らい赤龍闘気を強め鎧を赤く染め上げ、負けじとケイス自身が生み出す青龍闘気も猛る。
『理を犯す化け物がっ!』
あり得ない事が目の前で起き続けていく。複数の異なる龍種の力を操る者などいるはずがない。ましてや自らの魔力が目の前で喰われ、闘気へと変換されていくなど。
常識を壊し、未知なる力を発揮するケイスに恐怖を感じているとは気づかぬまま、ナーラグワイズが吠える。
雄叫びに併せて、熱として放射されていただけの魔力が収束し煌めくとほぼ同時に、ケイスの目前で岩盤が一瞬で溶け弾けとび、溶岩の波となってふくれあがった。
粘性の強い溶岩の中には、融点の高い強固な礫がいくつも混じっている。それらが爆発的な勢いでケイスに覆い被さるように迫る。
ただの熱や龍魔力であれば鎧の効果や反発する龍闘気をぶつけることで防げるが、物理的力も持つ魔術攻撃となれば違う。
借り受けた武器類を直接に打ち込めば、溶岩の高熱と含まれた有害物質でぼろぼろとなってしまう。
一度後方に下がってひく?
それとも上に跳んで回避する?
否!
龍の戦いは喰らい合い。一度、いや一瞬でも引けば負けを認める事になる。
真正面から突破し食い破るが正解。
始母から授けられた龍と対峙する時の教えは、ケイスの性根と実に合う。
溶岩の波に直接触れる事は出来ない。ならば触れずにはじき飛ばすだけ。
しかし迷宮特性【離さず】によって、技の効果範囲にもケイスの手が届く範囲内という距離制限がある。
今の手持ちの技ではこの状況を乗り越えられない。ならばいつもの通り今この場で技を作るのみ。
左手の五指でそれぞれ曲げる角度を変えた鈎を作り、音の速さで空を掻く。
発生させたのは火麟刀と対峙した際に生み出した乱れ風化をさらに強化した、無数に蠢く衝撃波の渦。
同時に鎧へと意識を向け、剣のイメージを重ねることで、表面形状を変化。沸き立った表面装甲から無数のトゲが発生し鎧全部を覆う。
それは千刃手甲を元に、ケイスが全身へとイメージした細やかな刃の群れ。
「乱れ千刃風花! 鏑矢!」
自らが空気をかき乱した空間へと、強烈な踏み込みと共に回転しながら飛び込む。
かき乱した空間に残る衝撃波を、自らの全身に生えた細やかな剣でさらにかき乱すケイスの全身が甲高い音を立てながら、溶岩の壁に大穴を開けながら突入。
身に纏う衝撃波。音の壁によって、溶岩はケイスに触れる前に吹き飛ばされ、はねのけられる。
迷宮特性【離さず】は、探索者当人が己の物と認識している物体に発動すると、ケイスはここまでの戦闘で結論づけている。
ならば自らの技で斬った物は、生命として個の意識がないならばすべて自分の物だ。
だから溶岩の波であろうとも自分の技で斬りさき、撥ねのけたならば自分の支配下にある物質である。
傲慢、傲岸、強欲。龍よりも龍らしいと龍より評されるケイスの資質が、精神が、世界を浸食していく。
しかし左手が生み出す音に比べ、他の部分が生み出す音壁は目に見えて弱く、予想以上に突破に時間が掛かりケイスの不満は募っていく。
原因ははっきりしている。
左手はドワーフ工による武具。それ以外の全身を覆う鎧は龍由来の武具ということだ。
強度的にはむしろ龍武具が勝るが、衝撃波を発生させる為に追加した鎧表面の形状変化はケイス自身による物。
いくら武具に精通していようとも、造形、作成に関してはケイスは素人。
ラフォスには散々言われてきたことだが、剣だけでなく、そろそろ防具の方にも力を入れてもいいかもしれない。
もっとも忠告している者達は防御面を心配してのことなのだが、あくまでも斬ること、攻撃面だけを考えて忠告を気にし始めるのが、実にケイスだ。
威力に不満を覚えようとも、剣を振るうはケイス。
天才性を遺憾なく発揮し、打ち消しあって弱まった音をより強める最適な位置、タイミングを計り、溶融し柔らかくなった地を蹴って四肢を最大限に使い音速越えの衝撃波を次々に追加。
質を量でカバーし、ナーラグワイズの攻撃を、力任せに蹂躙し蹴破ってみせる。
『ぐっ! 貴様の一族は待たしても我の前に立ちはだかるか!』
避けるか、下がるか。
この技を用いた際に、相手が選んだのはほぼそのどちらか。真正面から打ち破ろうとし、実際に成し遂げて見せた敵は、過去に一組だけだ。
自らの肉体を失うことになった敗北の記憶が刺激され、さらに今の肉体である転血石内でトゲのように居座る異物への不快感を感じ、激怒したナーラグワイズが再度地面に向かって熱線を打ち放つ。
「なめるな! 同じ攻撃が私に、なにっ!?」
一度防ぎ突破してみせたのだ、ならば規模が大きくなろうが、速度を増そうが自分に通用するはずがない。
侮られたと感じ怒り覚えたケイスだったが、その予測は外れる。
ナーラグワイズの一撃によって、表面だけが泥のように溶けていた岩盤が、一気に液体化し、地面が広範囲で崩壊を始める。
巨大な赤龍転血石と共に溶岩の海に飲み込まれかけたケイスは、とっさに闘気による歩法で溶岩流を蹴り、宙に跳ぶ。
踏み込みを邪魔し、攻撃の威力を落とす算段かとも思ったが、事態はケイスの予測を軽々と超えてくる。
溶けて崩落した地面は止まることなく、さらに下降していき、みるみるうちにケイスと赤龍転血石の距離が離れていく。
どうやらナーラグワイズの熱線は直下の地面だけではなく、さらに下の階層までぶち抜き、広範囲の坑道を一気に溶融崩落させたようだ。
逃げたか?
いやそれは無い。
心に浮かんだ疑念を、即時に否定する。
逃亡は龍にとっての負けだ。選ぶはずがない。
逃亡で無いならば、より己に有利なフィールドに引き込む為の誘い。
先祖達とナーラグワイズの直接対決は火口で行われたと聞く。ならばこの穴は出来たのではなく、元々あった火道が後に塞がって出来た空間と解釈した方がしっくり来る。
つまりこの下は火山の本体とも言える溶岩溜まりへと直結している。
より強大な火が、熱が渦巻く戦場が、地獄が待ち構えている。
「良かろう! 受けて立つ!」
一瞬で理解し、判断し、そして決意する。
そのあまりの思考の早さと思い切りの良さは、世間から考え無しの馬鹿だと思われる一因だが、どちらにしろケイスの異常性を表していることに変わりは無い。
溶けずに残っていた壁面を蹴り下りながら、ケイスは高まる胸の鼓動と共に追跡を開始した。