多少は目が慣れてはきたが、それでも闇が勝るなか、噎せ返るような死臭と、目と鼻に刺さる酸臭が感覚を惑わす。
斬り、引き裂き、貫き、惨殺した虫達の死骸の山には、時折人の四肢らしき断片や、食いかけの頭蓋骨の欠片が混じるが、暗くて判別が難しい
上の階層で虫を壊滅させた時間よりも遙かに早く、虫達の駆逐を終え屍山血河を生み出したケイスは、息を整えながら周囲に意識を飛ばし、気配を探る。
……周辺の物陰に敵影や気配無し。一定の間隔で落ちる水滴音がいくつか。
音の出所に当たりをつけたケイスは、天井を見上げ、周囲の暗闇よりも色が濃い部分を発見する。
よくよく目をこらしてみてみれば天井には大型通風管らしき管が走っており、その一部が溶解液によって溶かされでもしたのか、周囲より黒い影をさらす穴らしき部分から、ぽたぽたと刺激臭を伴う水滴が落ちている。
あそこが虫達の進入経路だろうと推測すると同時に、虫達の数が少ない理由にも気づき、少し不満気に息を吐く。
「むぅ、道理で歯ごたえが足りないはずか」
先ほど斬り殺した虫達は、上の階層で行った戦闘時に逃げ出した虫達の残りなのだろう。
通風管に逃げた虫達は、生き残りが籠城していた下の階層にたどり着き、その空腹を満たすために彼らを食い荒らしたようだ。
上の階層でも、ケイスとの戦闘中だったというのに、虫達は他の虫がやられ死骸を晒すと、食欲を優先して、ケイスを無視してその死骸へと群がっていた。
一匹斬るごとに圧力が弱まるおかげで、殺せば殺すほど楽に斬り殺せたが、どうにも違和感を覚える。
虫達に何よりも食欲を優先させるという習性があると仮定するのは簡単だが、それでは一部の虫達が、命惜しさにケイスから逃げた理由の説明がつかない。
ここは迷宮内。
手から離れた物が消失する迷宮特性【離さず】以外にも、何らかの精神的作用を持つ迷宮特性を宿している可能性も排除は出来無い。
虫達はいなさそうだが、油断しないためにケイスは警戒を深め、この階層の探索を始める。
周囲は灯りもなく相変わらず暗いままだが、周囲をなで回して感触を確かめたり、陰の濃淡で判別していくと、小屋ほどの大きさがある陰が均等に距離を開けて設置されている。
その陰の一つを触ってよくよく調べてみれば、大型魔具である転血炉であるのがすぐに分かった。
ウォーギンの部屋で読んだカタログを思い出して、最新型ではないが最大出力に優れた名品という評価がされていた名機だと判別する。
ここが探していた重要施設の一つである動力室と見て間違いないだろう。
油分を多く含んだ虫もいたので、それを灯りにしてさらに詳細を調べたい所だが、火山島であるこの島では、どこでガスが噴出し充満しているか分からないから、安易に火を使うわけにもいかない。
むろんガス溜まり対策として、ここの天井にもあるように、風系魔術を組み込んだ換気設備が島内には設置はされているが、動力源である肝心の転血炉が停止しているので、島全体の換気機能は止まったままになっている。
魔力を失ったケイスでは魔力感知が出来ず、火龍の放つ魔力の余波の影響が今はどれほどあるか分からず、転血炉が暴走を起こす可能性は高いので、再稼働させることはできないが、それでも、いくつも情報を得ることは出来る。
元々持っていた魔術知識に加え、最近はウォーギンから得ている最新の魔導工学知識をもって、操作盤から分かる使用転血石の種別や、転換魔力量などを調べていく。
転血石を分解して魔力を生み出す転血炉は、太陽や星の位置に応じて、魔力導線の流れを変えることで、より効率的に魔力を生み出すことが出来る。
特にこの大型転血炉は、最初に天体情報を登録する事で、季節の天体配置に併せて、自動調整を行う機能がある高級型だったはず。
手で触れた感触で分かった操作盤の配置から逆算してみると、使われている転血石は、人工転血石混合タイプ。
元になるモンスター血の種別にこだわらず複数種を混ぜ合わせ、ともかく安価で魔力を多く含有させる事を優先した大量消費向け転血石。
発生魔力の属性にぶれが生じるので、精密な属性調整を必要とする高位の魔術や魔具には用いられないが、一般生活に用いられる魔術や魔具。灯りや空調などに使うのには全く問題がない代物だ。
転血炉が停止した天体配置は、まだ太陽の位置が高いので約半日前ほどだろうか。
ちょうどケイスが管理棟で暴れ出したくらいの時間。その時に赤龍の魔力が活性化したことになる。
これは必然か。それとも偶然か?
そもそもいつから赤龍の意志は目覚めていた。本当に目覚めているのか。
さらに言えばなぜケイスを”邑源”の名で呼んだ。龍がケイスを呼ぶなら、もっとふさわしい名がある”青龍”と。
ケイスが青龍の血を引くことを、赤龍が認識していない可能性は極めて高い。
異なる龍種の血を取り込むなど、この世ではケイス以外には自殺行為。
それはまさしく、火に水を注ぐ行為。互いを喰らいあって、弱体化し、最悪で消滅してしまう。
なのに赤龍は、ケイスを喰らおうと、自分が復活するための贄にしようとしている。
この差違は……
「ちっ! のまれたか」
推測のみで答えの見つからない思考の海に沈みかけたケイスだったが、その直前に警戒を強めていたおかげで、自分の精神に発生した違和感に気づき、正気を取り戻す、
「むぅ……思考の集中、いや単純化か、厄介な」
どうやらこの迷宮内では、思考が単一に絞られやすくなる精神効果があるようだと気づく。
一点に集中すると言えば聞こえはいいが、それは時に悪影響を生む。
虫達は食欲に縛られ、天敵であるケイスを無視して死骸に食らいつき、そして今のケイスも答えが出しようもない推測に捕らわれ、時間を浪費しかけていた。
そう考えれば、時間もあまりないのに、上の階層でつい虫達を執拗に殲滅していたのも、思考が単純化していた影響だろう。
極限まで剣に集中している時のケイスは無類の強さを発揮するが、それは斬る者が無くなるまで止まらないと同義。
この迷宮特性は、極めてケイスと相性が良く、そして時間がないこの状況では致命的な弱点となる。
思考が単純化すれば、思い込みや見落としが発生する可能性も高い。
「甘い物が欲しくなるが仕方ない……ふぅぅぅっ」
大きく息を吐いたケイスは、頭の中で剣を振るい、次々に思考を分割して、並列処理を開始しながら、数秒ごとにメイン思考を切り替えていく。
複数の思考で同時に考え始めたことで、頭の中に余裕が生まれ、いくつもの打開策が展開されていく。
頭を全開で回すので疲れるが、一つの思考に捕らわれて、致命的な失敗を起こすよりもマシな状態にしたケイスは、ようやく火ではない灯りを自分が持っている事を思い出す。
「うっ、せっかく借りたのに忘れるとは。反省せねば」
ロッソから借り受けた蛍光塗料入り極小陶器壺を取り出すと、それを短剣で割って、か細い灯りを放つ燭台代わりにして、先ほどまでの手探りよりも格段に効率の良い探索をはじめる。
転血炉が設置された動力室区画は、厚い隔壁で囲まれた独立区画となっているようで、出入りは先ほど降りてきた縦坑のみで、他の出口は見あたらない。
昇降機部分もケイスが開けた非常扉以外は、分厚い壁で遮られ、まるで城塞のように頑強な補強がされている。
転血炉で事故が起きたときに周辺崩落を防ぐ効果も持たせてあるのか、今の手持ちの武器で斬るのはいささか困難だ。
しばらくあたりを探索してみたが、人の断片が落ちているのみで資料らしき物はなく、彼らが動力源となる転血炉を守るために来ていたのか、ただ逃げ込んだだけなのかは不明のままだ。
他の転血炉も調べてみると、どれもが完全停止した状態で、その数は10機以上もあった。
地下の海底鉱山の換気、照明設備、採掘した鉱石の運搬を含めて、島全体の魔導機に必要となる予測魔力量は、確かに膨大な量となるが、それでもこのタイプなら予備を含めて8機もあれば十分なはず。頭の中でおおよそで換算してみる。
「転血炉の数が多いな…………過剰魔力の使い道が魔導研究所にしても多すぎる」
予想通りではあるが同時に疑問点も浮かぶ。
あまりに魔力発生容量が多すぎる。
魔導研究に魔力を用いるといっても、計算した余剰魔力が常時必要かといえば、そこまでは必要としない。
ならば研究だけでなく、何かを製造しているとなれば、まだ話が通る。
「……これだけの魔力を必要とするとなれば大型工房クラス……上級看守が持つ混ぜ物がされた転血石……近隣王家、いやこの場合は赤龍討伐隊と呼ぶべきか、その血縁者を収監……それに私を拐かそうとした……」
断片的情報を、分割した頭の中で思考し統合していくと、おぼろげだが輪郭がみえ出す。
この島の地下坑道のどこかには、赤龍、それも火龍王より重要拠点を託されるほどの、上位古龍の意志と魔力を宿した転血石が存在する。
龍の魔力を宿す転血石は、上位存在であるほど強大な魔力を宿すが、同時にその元となった龍が強力であればあるほど、周囲の生物や環境を、無理矢理に己に、龍に適した物へと変える性質も強まる。
特に赤い鱗、赤龍の影響を受けた者は、赤龍王の呪いなのか、人への凶暴な殺意に捕らわれ、誰かに討たれるまで暴れ狂うのが常だ。
それなのに、鉱山の地下に眠る転血石の影響で変化した竜人化の兆候を見せた者達は、赤い鱗を宿しながらも、理性を保っていたという。
現在巷に出回る龍由来の武具や転血石、はたまた龍の血を元に作った希少種龍命酒などに用いられるのは、上級探索者が数人がかりで何とか討伐できる最下級の若い龍や、先の大戦時に討ち取られた古龍の死骸を喰らい影響を受けたモンスター経由の物が大半。
元来転血石とは、高位迷宮モンスターの中で高まった魔力が結晶化して発生する物で、普通に低級、中級モンスターを狩っているだけではなかなか目にしない希少素材。
しかしそれも昔の話。
かの暗黒時代において、無限に迷宮からわき出るモンスターにより多勢に無勢の劣勢に追い込まれた人類は、魔導技術を発展させ対抗手段を模索し、多量の魔物の血を合わせて、魔術処理することで人工転血石を作成する技術を生み出し、強力な魔術を、誰でも惜しみなく使える魔具をもって対抗してきた。
今も魔具への信奉に近い魔具重視の傾向は強く、庶民の生活にも灯りや調理にと一般用魔具が普及し、転血石の需要は常に右肩上がりで、今ではブラッドハンターと呼ばれる、各種属性強化型転血石用に、要望のあったモンスターの血を専門に集めるギルドも珍しくない。
龍血の危険度を下げるために他種の血を混ぜた転血石の再結晶化もやろうと思えば出来るだろうが、その場合は魔力含有量は元より激減する上に、一度石化を解いた龍血を制御するために必要となる使用魔力を考えれば、むしろ作成魔力量よりも消費魔力量が上回る。
高位火龍の転血石の利点と問題点は、使い勝手の良い火属性の高い魔力を宿すこと。
その魔力を用いれば、携帯可能な城塞破壊級魔具を制作するのも容易い。
欠点は、龍の魔力には、物や生物を蝕む危険性があり、竜人化の危険もあって即時破壊、破棄が推奨され、小指ほどの欠片であっても、各地の国家や管理協会によって所有や取引が禁止された禁制品ということ。
もっとも危険度はあっても、制御方を確立するために、隠匿している国や、有力ギルド、有力者はいくらでもいる。
今回の件は人間側の思惑はおそらくそちらだ。
そしてその制御法として目をつけたのが……近隣王家の血脈。
彼らの祖は赤龍と長年戦いを繰り広げ、大陸を解放してきた勇者達。
その戦いは、心身を蝕む龍血との戦いでもある。
龍を倒せば倒すほど、その血を浴びれば浴びるほど影響を受ける。
いつしか限界を超え、竜人化の兆候を見せた者達は仲間に狩られることになる。
竜人化を恐れたり、またはやむにやまれぬ事情から討伐隊から去った者達も多数いるという。その中から最後まで残り、ロウガ解放線に参加した勇者達が、ロウガ近郊国家の祖達。
彼ら、彼女らが長年戦って来れたのは、龍の血に抗う抵抗力を持っていた何よりの証。
龍を数多に殺しながらも、龍にならない者達。龍に抗う者すなわち【龍殺し】
耐性と抵抗力を持つ龍殺しの血を転血石に微量に混ぜる事で、赤龍の呪いを押さえようとしたのだろうか?
そしてその人造転血石を、宝石と偽り、探索者でもある看守達に持たせ、経過観察実験していたのでは。
それならケイスを狙ったのにも合点がいく。
ケイスは龍殺しの血を色濃く継ぐ存在。
赤龍王を直接討伐したパーティの一員だった祖母のカヨウはもちろんだが、元々龍殺しとして名を馳せた一族邑源の末裔。
龍殺しにして龍たるルクセライゼン帝国現皇帝直系の隠されし姫。
なにより異なる二つの龍種の血さえ我が物とするケイスならば、竜人化させる龍の呪いなど歯牙にも掛けない。
その理屈で言えば、ケイスの血は極上の素材となり得る
だがそれらの情報はルクセライゼン最秘奥とされ、隠匿された最大の秘密。
ケイスの存在が本当に漏洩しているか、漏れたとすればどの経由で漏れたか。
「……むぅ。下手に藪をつつくよりも、証拠を掴んでからだな」
不義の子である自らの出自の漏洩は、父や母の名誉を汚し、さらに皇帝唯一の子であるケイスの存在が、ルクセライゼン全土を巻き込む大きな戦乱を呼ぶ可能性も高いとなれば、さすがに傍若無人なケイスといえど慎重にならざる得ない。
だがこれらもすべては推測で、証拠は一つもない。
これ以上に一つのことを考えていては、いくら思考を分割化しているとはいえ、また思考が捕らわれる危険性もある。
場合によっては生き残りがいても、後腐れがないように全員を斬ればいいと、今は結論づけたケイスは、次の目当てである魔導研究所を目指すことにする。
それぞれの転血炉の制御板を見て、使われている転血石の種別を調べていくと、一つの転血炉だけ、同じ人工転血石であるが、混合型ではなく、高価かつ希少な単一型の転血石が仕込まれていた炉を発見する。
さらにその炉では属性調整を行い、無属性の純粋魔力への調整をわざわざ行っていた。
様々な魔導実験に用いるには、この純粋魔力が必要不可欠。となればこの配管の先に魔導研究所があるのは必然。
その炉から伸びた配管をたどっていくが、すぐに床に埋没して行き先が不明となる。
方向的には地下に向かっているようだが、どこから行けばこの配管の場所にたどり着けるかは定かではない。
いっそ配管の中をたどってたどり着けないかと、剣を打ち込んで切り裂き、一部を無理矢理にもぎ取り外して中を確認する。
配管の中身は空洞となっていて、内側壁面には魔力導線となる銀を用いた金属線が束となって走っていた。
この形式の配管の内部整備は、小妖精族魔導技師達が専有しているので、内部は移動できる形式となっているが、さすがに小柄のケイスといえど入り込める太さはない。
配管自体は交換しやすいようにか、一定の長さで区切ったパーツ構造になって、ボルトで留められているが、さすがに手を伸ばしても届きそうにはない。
「むぅ……遠回りする時間は惜しいし、正解かどうか分かるまで時間が掛かるか……よし!」
配管そのものを排除すれば、ぎりぎり装備込みでも入れ込めそうだと気づいたケイスは、剣手甲をつけた左手を広げて、床に沈んでいる配管に打ち込み爪を立てる。
そのまま闘気を使った肉体強化による馬鹿力で、無理やりに配管の一部を掴むと、ねじりちぎり、ボルト部分を破壊して持ち上げる。
力業で引きちぎった1ケーラほどの長さの配管が、完全に取り外せたのを確認してから、放り投げると、迷宮特性【離さず】が発動し、今もぎ抜いたばかりの配管が火の子となって消え失せる。
「ふむ。やはりいけたか」
もくろみが上手くいったケイスは、ほれぼれするような笑顔で頷き、道を見つけた喜びを露わにする。
先ほどまでの戦闘でも、かろうじて生きている虫達は投げ飛ばしても消えはしなかったが、完全に絶命させた虫は、すぐに消えていたので、気づいていたが、どうやら考えは上手くいったようだ。
【離さず】は厄介な迷宮特性で、自分の持ち物だけでなく、自分の手で持てる非生物であるならば、一度掴んでから離せば、今のように無条件で消えてしまう。
これは天恵ポーチに仕舞っても変わらず、この迷宮特性を持つ迷宮では、得たアイテムや物資は常に手に持つか、身につけていなければならない制約が発生する。
その所為で、手がふさがっていたり、重さが増している所為で上手く武器が使えずモンスターに苦戦したという話はよく聞く失敗談であるが、この特性を逆に使って、トラップを解除したり、無理矢理に扉を消失させたという冒険譚もいくつか聞き覚えがあった。
無理矢理に道が造れるならば、遠回りする必要など無い。
行き先が見通せない穴の中に潜り込んだケイスは、モグラが土をかき分け進むように、配管を引きちぎっては離して、引きちぎって離してを、繰り返して、配管を消し去り、地下へと潜行するという、力任せにもほどがある迷宮攻略を再開した。