他の迷宮モンスターが潜んでいないかと、通路を区切る格子へと慎重に近づいてみると、横開きの扉には鍵が掛けられ閉まった状態となっている。
「格子の向こうに敵影は無し。突入前にあちらさんの遺体を確認するから、突っ込むなよ嬢ちゃん」
「むぅ、人を猪扱いするな。事前情報の大切さ位は分かるぞ」
ケイスの日頃の言動から考えれば、短慮扱いをされても仕方ないのだが、本人的にはいろいろ熟考した上の行動なので、頬を膨らませ抗議してから倒れていた看守兵らしき2体の白骨死体の検分をはじめる。
屋内警備に適した武具はオーソドックスな軽鎧系で、昼間に戦った看守兵達とほぼ同じ装備。
右の遺体の脇に落ちていた長剣は、刀身の一部が変色しボロボロになっており、触れただけでもろくも崩れてしまった。
柄には取り落とし防止用の腰ベルトから延ばした金属ワイヤーがつけられている。その長さは、なぜか手が届く範囲内で短く使い勝手は悪そうだ。
左側の遺体も同じように腰ベルトからワイヤーが伸びていたが、右の遺体より長く引き出された上に、途中で途切れ武器はついていない。
ワイヤーが途切れた部分はやけにきれいな断面を晒していて、なめらかな曲線を描く凸型になっていた。
武器が下敷きになっているかと思い、無手の左側の遺体を持ち上げてずらすと、武器の代わりに乾いた血で汚れた鍵の束が1つ。
石床にはかきむしった指でできた幾筋ものの血痕と、石の隙間に食い込みはがれた爪が何枚も残っている。
「ここまで何とか逃げてきたが、タダレビ蝶の幼虫が体内で孵化し動けなくなって、高熱で、もがき苦しみながら生きたまま喰われたみてえだな。血の乾き具合からして……数時間前って所か。迷宮内でモンスターが飽和して溢れてきたんじゃなくて、外に運んじまったパターンっぽいな」
検分を終えた遺骸に、ロッソは冥福を祈って印をきった。
迷宮モンスターは基本的に迷宮外へと出てくることはないが、モンスター達が異常増殖する迷宮閉鎖期明けに、モンスターの駆逐が追いつかずさらに増え飽和状態になると、迷宮外へとあふれ出し、群れをなして近郊の町村を襲うことがある。
その最たるものが大陸中でモンスターたちがあふれ出た暗黒期だが、今回は卵を植え付けられ、それが外で孵化した例外事例のようだ。
「先ほど私が斬った竜人の元となった者は、運良く寄生されず一人逃げおおせて、隠れていたということか」
「相当追い詰められて最後がアレか。同じ探索者として同情する」
せっかく助かった命だというのに龍に意識を乗っ取られて、最後はケイスに斬り殺される。
竜人へと姿が変わってしまったので、名前どころか本来の顔さえ分からないが、死体がある部屋の方に向かって、そちらにもロッソが冥福を祈って印をきる。
「他者の冥福を祈っているほど余裕はないぞ。この切断面をどう思う?」
姿が変わろうとも、非業の死を遂げようとも、特別棟の看守達は自らの敵対者として定めているケイスは、微塵も介さず意識を迷宮攻略へと向け、どうしても気になった武器に繋がっていたとおぼしきワイヤーの先端を指し示す。
「斬った、噛みちぎったって感じじゃないな。滑らかすぎるか……取り回しが悪くなるのに、
わざわざワイヤーで接続するなんぞ。こりゃ迷宮特性かもしれねねぇな」
「うむ。私も同意見だ。【離さず】の呪いでも、迷宮全域に掛かっているのやもしれぬ」
迷宮特性【離さず】は文字通り、武器に限らずあらゆる物が己の手の届く範囲外に出てしまうと、即時に消失する迷宮特性。
わざわざ使い勝手が悪くなるのに短めのワイヤーで繋げていたのは、もし取り落としても手の届く範囲内に止めるため。
「左の遺体のワイヤーが長いのは、切り込んだときに刃が食い込み引きずられそうになって慌てて伸ばしたと私はみる。刃こぼれや腐食の痕から見て、堅い甲虫系、それも腐食性の体液を持つ虫系モンスターもいるのではないか?」
「となると、【赤の迷宮】か。嬢ちゃんの得意分野だが、問題は迷宮クラスだな。絶対に近づけたくない寄生系かいて、しかも大量湧きする虫系と。武器破壊系もとなると……中級以上、元の迷宮クラスも考えれば下手したら上級迷宮の可能性もあるな」
永久未完迷宮は、迷宮を表す、迷宮色ごとにそれぞれ特徴があり、ロッソが予測した赤の迷宮は、近接特化の迷宮となる。
高耐久、高魔力耐性モンスターなどといったモンスター群生傾向や、常に吹き荒れる強風や魔力暴走地帯などの自然環境、様々な事情で遠距離武器や魔術が使用できず、近接戦闘を強いられる迷宮。それが赤の迷宮だ。
しかも赤の迷宮に限らず、どの迷宮もより上位の迷宮になれば、難易度が跳ね上がるのが常識。
赤の迷宮であれば武器破壊や一定範囲外消失は序の口、一歩ごとに上下が変わる複雑に入り乱れた重量異常や、斬った端から傷がふさがる超回復持ちのモンスターと異常事態が牙を剥いて探索者へと襲いかかる。
島は今現在、地下坑道のどこかにある赤龍転血石の影響により、魔力暴走が懸念され魔術使用が極めて危険な状態。
さらに寄生系や、武器破壊系の虫型モンスターが沸いているとなれば、ロッソの推測通り、上位の迷宮が発生しているのも十分に考えられる事態だ。
「むぅ。下級であればよいが、中級ならば私が入れぬではないか。ロッソばかりずるいぞ。独り占めではないか」
始まりの宮を踏破し探索者となった者達は、最初の半年間。つまりは次の始まりの宮が始まるまでは、もっとも低難度である初級迷宮のみに挑める初級探索者であり、その後、次の始まりの宮終了と共に下級探索者へと自動的にとなる。
しかしケイスは例外中の例外。
あまりに迷宮を踏破しすぎた所為で、定説を覆し、半年を待たずに次の位階、下級探索者となった化け物だ。
だがそれでも所詮は下級探索者。より上位の中級や上級迷宮へは足を踏み入れることは出来無い。
「ずるいってな。こっちだってソロで中級迷宮に挑む気はねぇよ。中級迷宮クラスならどの色だろうとパーティ単位での攻略が俺らには常識だっての……ともかくまずは迷宮のランクと色を確認だ」
嫉妬の目を向けてくるケイスに呆れつつも、ロッソは先ほど見つけた鍵の束を拾い、格子扉の鍵穴で一つ一つ試していく。
鍵を半分ほど使ったところで、カチャリと鍵が回り、錠が外れる。
合図を送るロッソの目線に無言で頷いて答えケイスが剣を構えてから、ロッソがゆっくりと扉を開けていく。
きしみながら開いた扉の向こうには、またすぐに別の扉があった。
外界と迷宮を隔てる迷宮への入り口を示す扉は、ケイスの予測通り真っ赤に染まる縁取りがなされ、中央には血よりも濃い鮮血色の赤色に染まる宝玉が鎮座する。
自分の目で扉が見えると言うことは、迷宮へと入る資格を持つ。つまりはケイスでも入れる迷宮だという何よりの証拠。
「やはり赤の迷宮か……ん。どうしたロッソ?」
転血石となっているとはいえ、龍を倒すために迷宮へ挑む。
この胸の滾りが無駄にならずにすんだと胸をなで下ろすケイスだったが、その横で格子扉を開けたロッソが非常に微妙な顔を浮かべている事に遅ればせながら気づく。
「最悪じゃねぇか。またこの流れかよ……俺には黒一色で扉がみえねぇぞ。離さずの迷宮特性有りで初級はねぇだろ」
扉が見えない。その一言はロッソがこの迷宮へと挑む資格を持たない事を表す。
初級兼下級探索者であるケイスには見えて、中級探索者のロッソには見えない。となればこの迷宮はもっとも難易度が低い初級迷宮と分類される事になる。だがそれはおかしい。
今現段階で予測される迷宮難易度は、初級のそれではない。少なくとも下級以上、最悪で上級迷宮さえ考えていたくらいだ。
だが事態はロッソをあざ笑うかのように、最悪の上の最悪へと突き抜ける。
「ふむ。なれば一度迷宮化完全に死んだ所為ではないか? 前期で人が死にすぎたり、逆に踏破されすぎて、難易度はさほど変わらぬのに、来期で迷宮の階位が上下することは希にあるでのあろう」
ランク的には、攻略が容易なはずの下位の下級迷宮であるが、油断や事故、あるいは探索者同士の争いで必要以上に人が死んでいた迷宮が、来期に中位迷宮となっていた。
またそれとは逆に、難度の高い上級や中級迷宮であったが、安易な近道や、安全な攻略法が確立されたことで踏破者が異常に増大し、閉鎖期明けに迷宮のランクが下がっていたという事例は、珍しい現象ではあるが、何度も報告されている。
ましてや今回は、暗黒期末期に一度完全に死んだ迷宮が、百年以上の時が流れた今になって復活したという前代未聞の事態。
常識外のことが起きているのだ。常識で考えるのがまず間違っているのだろう。
「簡単に言うな。その例の場合は、難易度は変わらないってのがほとんどだ。となるとこの扉の向こうは、実質上位迷宮と同じ迷宮特性持ちってことも十分あるって事だぞ」
頭痛を覚えてきたのか額に手を当て大きく息を吐くという、ケイスが絡んだ事象で誰もがよく見せる反応をロッソもまた行う。
しかし悩んだ所で事態は好転せず、むしろ悪化するばかりだ。
「ったく。島全体が迷宮化してくれれば、元から迷宮内にいるから問題ないってのに。どうしてこうも貧乏くじだよ」
このまま手をこまねいていれば、島の様子を探るために送り出された探査船が二次被害を受ける事態も十分に考えられる。
怪我の状態が思わしくない生き残りの看守や一般職員も多い。どうにかして赤龍転血石を処理しなければならない。
そしてそれを行うために迷宮に飛び込めるのは、今この島においてはケイスだけだ。
覚悟を決めたのか、ロッソは両手で頬を叩いて気合いを入れ直す。
「仕方ねぇ、出来る限りの準備をしてから迷宮に突っ込め……嬢ちゃんまずは偽の指輪をしたままでいいから宝玉に触れろ。それで本物の指輪を召喚できる。多少の天恵は失うが微々たるもんだ」
「ん。こうか?」
ロッソに言われたとおり手を伸ばして扉中央の宝玉に触れると、赤色に染まる宝玉から血が滲んで来たかのように、ケイスが右手にはめた偽の指輪が真っ赤に染まっていく。
初級探索者にして、下級探索者であるケイスを表す真っ赤な指輪へと。
指輪は探索者の証であると同時に、迷宮の入り口である扉を開けるための鍵として重要な物ではあるが、同時に迷宮探索の際に失われることも多い物。
指輪をした右手ごとモンスターに喰われたやら、トラップで体を押しつぶされて何とか助かったが指輪をなくしたというのはよくある話だ。
その場合探索者を引退する事になるとか、もう一度始まりの宮に挑むなどは必要なく、今のケイスのように迷宮の扉にある宝玉に触れることで指輪の再召喚を行うことが出来る。
指輪の再召喚には迷宮で得た力、天恵を僅かばかり必要とするが、迷宮で得られる莫大な財宝や力を思えば微々たる物だ。
「戻ったな。ん? しかしここに指輪があるのでは、ロウガ支部に預けた指輪はどうなるのだ?」
自分の指に戻った深紅の指輪を一瞥してからケイスはふと疑問を覚える。
監獄に収監されることになったため、一切の私物。ラフォスの宿る羽の剣や、ノエラレイドの宿る赤龍鱗の額当てなどの武具一式や、内部拡張の神術が掛かった天恵ポーチなどと一緒に、元々の指輪もケイスはロウガ支部に預けてきている。
言い訳が出来無いほどに真っ赤に染まった指輪を他者に見られれば、ケイスが半年を待たずに下級探索者となった事が世間にばれてしまう。
普通であれば、快挙として誇れる事例で、ロウガ支部も大々的に喧伝したいだろうが、何せケイスの悪行というか行動は、その功績を真っ正面から打ち消した上に、完膚無きまでにたたきつぶすほどに問題行動も多いからだ。
「あっちの指輪は消滅している。だから島の異常事態が、詳細は分からずとも、何かが起きたってのはロウガ支部にも伝わるはずだ。何せ迷宮が今はないはずの島に送られた嬢ちゃんの指輪が召喚された。となりゃ、尋常ならざる事態になっているってソウセツさんやナイカさんならすぐに気づくさ」
「ん。だが指輪はその所有者が死亡しても消滅するのであろう。私が死んだと早合点せぬか? 実際に私に危害を加えようとした輩がいたわけだしな」
「嬢ちゃんが素直に殺されるようなタマかよ。心配するだけ無駄だろ。それよりか次は防具だ。今更だが、さすがにその格好で迷宮に挑もうっていうなら力尽くでも止めるぞ」
ロッソが指さすケイスの格好は、首輪はないが昼間の拘束機能付きの囚人服のまま。
ぬぐいきれない返り血の痕が残っていて普通ならば不気味この上ないのに、似合っていて可愛く見えてしまうのがケイスの恐ろしさだ。
その所為でついロッソも見落として、ここまで同行していたが、その服には防御力という要素は皆無に等しい。
「つっても俺の手持ちじゃサイズが合うのがねぇな。かといってこれらもでかすぎか」
長身のロッソが持つ予備の重防具ではケイスには丈が長すぎて、邪魔になりすぎる。
転がっている白骨死体から不謹慎に軽鎧をはいだとしても、そこは大人と子供ほどの差が有るのは変わらず、ケイスの行動を阻害して、かえって危険だ。
「ん。防具なら私に少し考えがある。それよりもロッソの手持ちで、予備の武器があれば貸してくれた方が嬉しい。相手が武器破壊系の要素もあるのならば、手持ちが多い方がよい。とりあえず身を守る物を調達してくるから、その間に用意していてくれ」
正直にいえばケイス的には防具よりも武器が重要だが、先ほどこのままの格好で行く気なら行かせないといったロッソの意志は強そうだ。
ならば一応は納得させるくらいの備えは必要だと考えたケイスは、思いついた考えを実行するために、ロッソの返事も待たずに、来た方向へと通路を逆走する。
「あ、おい! 待て。考えってどうするつもりだ嬢ちゃん!」
見せた方が早いとロッソの問いかけを無視したケイスは、扉をぶち明けた二つ目の部屋へと舞い戻る。
主不在の部屋へと勝手に再度押し入ったケイスは、先ほど破壊したクローゼットの中で見た記憶のあった厚手の毛皮付きの外套を引っ張り出す。
この火山島の気候では必要もなさそうな厚手のコートだが、おそらく故国での思い出の品か何かなのだろう。
持ち主が大切に保管してあったらしきそれに、ケイスは一切の躊躇なく剣を振ると、自らのが纏うのにちょうど良いサイズに丈を詰める。
次いで最初に飛び込んだ部屋に行って、倒れている本棚の下から本をいくつか取り出して、表面を触ってワックスで煮込んで硬化処理された表紙を選別する。
選んだ本を引きちぎってばらばらにしてから、極細剣として持っていた金属糸をもう一度ほどいて、それを金属糸として、本に使われていた表紙を何枚か束ねて縛り付け装甲板にして、持ってきたコートの腕や胸部、背中へと縫い付けていく。
「ん。こんな物か。むぅ、動きづらい。少し削るか」
早速着込んで動作を確かめて、あれやこれと手直ししてみたが、あまり着心地は変わらない。
使い手として前代未聞の天賦の才はあるが、作り手としてはそちらには遙かに及ばない劣った才しか自分は持ち合わせていないと、ケイスはあきらめてある程度で妥協する。
見た目も不格好で動きにくさもあるが、無いよりは多少はマシというところの皮鎧もどきを速攻で仕立て上げたケイスがロッソの元へと戻ると、天恵バックを広げたロッソの足下にはいくつも武器が並んでいた。
「また妙な物をこしらえてきたな。無いよりマシだけど意味あるか……それ?」
表紙の絵やら文字があちらこちらに躍る珍妙な格好は、鎧と呼ぶよりも新刊宣伝用のオブジェと呼んだほうがしっくり来る。
そんな代物で迷宮に挑もうというのも頭がおかしな話だが、それでも衰えない美少女っぷりを発揮するケイスにたいして、ロッソは呆れ半分だ。
「五月蠅い。それよりどれが壊れてもいいのだ? 無事に返せる保証がないから、思い出の品があれば引っ込めておけ」
「借り手側の癖に偉そうだな。近接用の手持ちは全部を出したから好きに持ってけ。けちって嬢ちゃんに死なれたら、レイソンさんらに会わせる顔がねぇよ」
「うむ。感謝するありがとうだ。この借りは絶対返す。何か困ったことがあれば私に言え。喜んで力を貸すぞ」
太っ腹な発言をするロッソに、ケイスは笑顔で頭を下げてから、しゃがみ込んで武器の吟味を始める。
予備の長棍。短槍が数種類。ケイスが好む厚手で身の丈を超える大剣はないが、使い勝手の良いショートソードが数本。ナイフ類は厚手の鉈状の物から、刺突用の細身の物など複数。
変わり種では、棍の先につけるのか毒を添付する用の溝が掘られた穂先がいくつもあることか。
さすがに実力を認める中級探索者のロッソの手持ち武器なだけあって、いろいろと五月蠅いケイスが及第点を与えられる作りのしっかりとした物が多い。
欲をいえば、使ったことがない形状の武器もあるので、全部を持って行き試したいところだが、今のケイスは拡張ポーチを持たないので一度に運べる武器の数にも限度がある。
刃のついていない武器は好みではないので棍は除外し、短槍とショートソードを各一本ずつに厚手のナイフを数本を借り受け、防御用装甲としても使えるように、選ぶたびに四肢に鞘ごと縛り付けたり、背中に背負う。
そうやって一通り見ていった最後で、ケイスは最後に置かれた品に目を止める。
それは今まで並んでいた武器ではなく、重厚な金属を幾重にも重ねて作られた手首までを覆う左手用の手甲だ。
しかしその手甲は武具に精通しているケイスでさえ、一目ではどうにも判別できない妙な感じを覚える作りをしている。
やけに凹凸が多く、しかも薄手の装甲が手の内側、指先にまで何枚も重ねてあるのだが、それらは微妙に1枚1枚がずれており、動かしにくそうで使い勝手の悪そうなイメージを一見覚えるが、どうにもケイスの琴線に触れる部分もある妙な代物だ。
「これはなんだ? トカゲの鱗みたいに重ねてあるが装甲としては薄すぎないか」
スケイルアーマーのようにも見るが、毛羽立つように装甲板が立っていて無駄が多く、重量も意味なくありそうだ。
重さや作りなどを確かめようと伸ばした手を、ロッソにつかまれ止められる。
「あー触るな触るな。指切るぞ。武器だっつたろ。ロウガ工房街の試し市でよくある際物の1つ。それの手甲部分だ」
「試し市とは、たしか若手職人主催の武具市場だったな。参加料を取ってこの武具でこれが出来たらと課題を出して、参加者が成功したら無料で手に入るという物だったか。これはどういった物だ?」
「この手甲の場合は、これをつけてリンゴを傷1つつけずに掴めって奴だ。切れ味はこんな感じだ」
手甲を身につけたロッソが取り出した薄い紙を手甲の手のひらに乗せると、一瞬触れただけで紙が細切れと化し、石ころを掴み手で握ると、大して力を入れているようにも見えないのに、砂粒となってこぼれ落ちていく。
「なるほど……装甲板に見えたあの一つ一つが刃か。ずいぶんと切れ味が良いな」
「それが売り。要は工房街工房主連盟が宣伝目的で作った際物で、こんな小さな刃でこれだけの切れ味が出せるって技術を見せるパフォーマンス用だな」
表側の手首部分に触れないように慎重に外したロッソが手甲を床に置いてみせるが、今しがた石を粉砕した手のひら側の刃には欠けは一切みられない。
「光沢から見て、普通の金属ではないな。耐久性はどうだ?」
「材質はドワーフ工謹製の秘匿合金。耐久性は中級迷宮クラスでも十分耐えて、大抵の酸や溶解液なんかの腐食をはねのけるっての謳い文句の、全身が刃で出来たソードメイルだったかな? 昔、酒に酔った弾みで参加して、偶然にリンゴつかみに成功して手の部分だけは手に入れたんだが、見ての通り実際に使おうと思ったら、何かの拍子に自分の体に触れただけで大怪我って可能性が高くて危なくて使える代物じゃねぇよ」
「同素材で覆う全身甲冑なら問題はあるまい」
「そっちはそっちで、未だ誰も試しを突破したことがない上に、全身刃物まみれで数千、数万の刃がついていても、その全部を有効的に使えるわけ無いだろうって噂だな」
使えるわけがない。ただの見せ物用。そう語るロッソだが、あきれ顔の中に浮かぶ目は、どこか期待を寄せるような色をたたずませる。
わざわざ見せてきたのは、ただ手持ちにあったからではない。
高耐久、高腐食性、そして身につけることで絶対に離すことがない刃。
有効距離に問題はあるが、元々近接戦闘を極めようとするケイスの体術を持ってすれば、今から挑もうとする迷宮では十分に使える代物だ。
無言で促すロッソの視線を感じながら、ケイスは無造作に手甲を掴み自分の左手に装着する。
ドワーフ工による技術の賜か、手を入れたときはぶかぶかだった手甲は指先が先端に触れると、カチャカチャと軽い音を立てながら刃がうごめき、自動的にケイスの手にフィットする形へと変貌する。
そのまま何度か手を開いて握ってと感触を確かめ、次いで素早く左手を動かし、胸のあたりにつけていたナイフを引き抜く。
金糸が施された豪奢な毛皮の表面はもちろん、握ったナイフの柄にさえ傷1つつけずケイスは、身につけたばかりの手甲に生える無数の刃を、己の意志の元に制御してみせる。
「……で、嬢ちゃんならいけるか?」
「当然だ。私は剣士だからな。これも借り受けるぞ」
指先の組み方、動かし方1つで、己の左手そのものが様々な剣と化す感触は、剣士であるケイスにとって実に心地いい。
これが手甲だけでなく、全身揃えであるならばどれだけおもしろいだろうか。
「ロウガに戻ったら試し市に行ってみる楽しみが増えた。それについても礼を言うぞ」
立ち上がったケイスは、ロッソにもう一度感謝の意志を込めて頭を下げてから、迷宮へと続く扉へと目を向け、ふと気づく。
純粋な意味で一人で迷宮へと挑むのは、久しぶりだと。
ルディア達仲間がいない状態は良くあるが、そのときでも常に剣に宿るラフォスや、額当てに宿るノエラレイドがいた。
忠告や警戒の声を発してくれているので、ずいぶんと頼もしかったのは間違いない。
仲間はいない。親身になってくれる武具もない。
だがそれがケイスの足を止める理由とはならない。
手に剣があり、斬るべき物が目の前にある。
なら斬るだけだ。
「では行ってくる。ロッソは戻って生き残りの警護を頼む。何が起きるか分からぬから警戒しておけ」
「台詞が逆だと思うんだがな……気をつけろよ。嬢ちゃん」
「うむ。任せろ」
ロッソの忠告に1つ頷いて答えたケイスは、右手の指輪で宝玉を強く叩く。
澄んだ音色と共に血のように赤い光が広がっていき、赤の迷宮への入り口が、まるでケイスを喰らう獣のように大きく開いていった。