船着き場に設けられた見張り小屋兼待機小屋は、嵐が来たときに備えてか、小さいが石造りの建物となっている。
扉を開けてはいると、中には簡易キッチン設備とテーブル以外にも、仮眠用のベットが二つあり、その一つに目を覚ました監獄長ナモンが力なく身を起こしていた。
その顔は真っ青に染まり、恐怖からくる震えで小刻みに揺れ、今にも気絶しそうだ。
「わ、私ではない! 私は関係無いんだ! だ、だから殺さないでくれ!」
その恐怖はケイスを目撃した瞬間に最高潮に達し、悲鳴混じりの命乞いへと即座に変わる。
部下を皆殺しに近い状態にしながら、化け物が一歩一歩部屋に近づいてくる恐怖を味わったのだ、当然といえば当然だろうが、それ以上の怯えように、ケイスが他に何かしでかしたのだろうかと思うほどだ。
「尋常じゃない怯え具合だな。他に何した嬢ちゃん?」
「抵抗できないように両手を刺し貫いたくらいだぞ」
両手の痛みを無視して今にも土下座しそうな勢いに、ロッソは同情さえ覚えるが、当のケイスは勘違いして眉をひそめる。
頭のおかしいケイスからすれば、そこまで怯えさせたつもりなど一切ないので、むしろ演技ではないかと疑う。
短剣を抜いたケイスは、尋問するために監獄長の両手を再度ナイフで貫こうとしたが、その前にロッソが無造作につきだした手でナイフの刃を押さえる。
「待て待て、いきなり抜くな」
世間の常識からは徹頭徹尾外れてはいるが、基本的にケイスが真面目な性分だと幸か不幸か思い知らされているロッソは、先ほどの首を落とす発言が冗談の類ではなく、本心だとわかっていて警戒していたようだ。
「むぅ。先ほどまでの状態に戻すために、両手を刺し貫くだけだ。あの程度の痛みで、ここまで露骨に怯えてみせる輩の証言なぞ信頼できるわけが無かろう。じっくり問いただすために必要だぞ」
「……却下だ。んなことせんでも、1から10まで、聞いていないことまで吐くだろ。ナモンさんだったな。嬢ちゃんが納得していないみたいだから、何でそこまで恐れているかまず説明した方がいいぜ」
「わ、私はあのときあの場にいたんだ! 前期の出陣式の式典担当の一人だった! あ、あのときの乗り込んできた乱入者は、か、彼女なんだろ! あんな気配をだ、だすば、化け、相手に逆らおうなんて思わない! 思う者がいるはずがない!」
ケイスなりに納得する理由がなければ、刃を引かないと思ったロッソのアドバイスに、ナモンはすぐに震え声で心のそこから叫ぶ。
さすがにケイスさえもそこに嘘はないとは感じるが、予想外の理由だった。
ナモンの指す出陣式は、勘違いからセイジを殺そうとした前期の事を指しているのは間違いない。
あのときは久しぶりに本当に頭に来ていたので、本気の殺気を無造作にばらまいてしまったのは確かだ。
「あれは私でないぞ。勘違いするな。なぜそう思った」
だがそれを認めるわけにはいかない。認めてしまえば、あのときソウセツがケイスに敗北したということになってしまう。
自分の実力ではなく、ソウセツの心情から来る躊躇故に拾ってしまった勝利など、ケイスは望まない。認めない。認めるわけにはいかない。
疑問はどこからばれたか、そしてその情報がどこまで広がっているかだ。
返答次第では、この男のみならず関係者も抹殺する必要があるかと、ケイスは剣呑な目を浮かべる。
「そ、双剣様の武闘会でき、気づいたからだ! ほ、他の出場者を皆殺しにしたあの体裁きは、あのときの乱入者と同じだと!」
過呼吸を引き起こすほどに引きつった声でしぼりだしたナモンの答えに、ケイスはしばし考えて、短剣の柄から手を離し、近くの椅子に不満顔で腰掛ける。
「二度とそんな不快な思い違いをするな。口にするな。斬るぞ。ロッソ。私は聞き役に徹するから何を知っているか聞き出せ」
ケイスにとってこの世で最上級存在は剣技。その剣技を見て、同一人物だと正体を見抜いたというならば、それで斬るのはケイスの流儀にはない。
むしろ自らに剣の才覚が無くとも、剣士を見る目を持っている人物には好感を覚えるほどだ。
だが自らを辱めようとしてきた輩の親玉に当たるナモンに、好感を向けるのはしゃくだ。だから憎まれ口をはき出し、むすっと顔をしかめていた。
単純明快なケイスの価値観ではあるが、それは中から見た場合。
外側から見ていれば、複雑怪奇すぎて、いきなり剣を納めたのも本心かどうかなんてわかるはずもない。
むしろ最後の台詞で、不用意に情報を漏らせば殺すと脅しをかけられたような物。
この後一生ケイスの陰に怯えて暮らすことと引き替えに見逃されたとは知らずナモンは、ただただ助かりたい一心で、自分が知る限りのこの島と海底監獄に関する秘密を吐露し始めていった。
島で最初にその現象に気づいたのは、最初にこの島で鉱山を開発していた密輸ギルドの者達だったという。
不法奴隷を使い、劣悪な環境で鉱山を違法開発していた彼らは、その奴隷達の中に極希に、竜人化の兆候を見せる者がいることを。
それも普通であれば怒り狂い周囲をすべて殺し尽くす赤い鱗の赤竜人のはずなのに、理性を保ち続けたままで。
この情報は、裏の商売関係でつきあいのあった大手魔術ギルド長に秘密裏にもたらされ研究が始まり、ロウガ評議会の有力評議員でもあったギルド長一族によって、島の開放後も隠匿されたまま、今に至っている。
影響力を鑑みて死刑にする事が出来ず離島追放刑となった貴族階級の収監者用の特別棟には、魔術ギルドによる研究室も密かに置かれており、長年何らかの研究が続けられており、偶にそのための物資や人員が送られてくる。
さらに収監者の中から竜人化の兆候を見せた者が搬送されており、戻って来た者がいないことから、幹部職員からは生け贄と隠語で言われている。
一部の看守達は、その魔術ギルドからの派遣であり、書類上は監獄長であるナモンの部下ではあるが、そちらの件に関してはナモンよりも権限が上の命令系統があり、ナモンも研究の詳細は知らず、肝心の赤龍の転血石がある位置も秘匿情報として、公から抹消されており、坑道のどこにあるかは不明だという。
ナモンから一通りの証言を聞き終えたロッソに視線で促されて、ケイスは席を立つと、小屋の外へと出る。
無言のケイスが目の前にいてプレッシャーが掛かり続けていた所為か、扉をしめるのとほぼ同時に、ナモンがベットに崩れ落ちるように倒れた音が響いた。
「どう思う嬢ちゃん?」
「赤竜の竜人となりながら理性を保つか。それが本来はこの島で竜人化した者達の症例。だが先ほど竜人化した看守は、赤龍の意志の元に捕らわれていたな。竜人化には至らずとも他の看守達もそうだ。研究内容とやらを確かめなければ詳細はわからん」
「魔導学は専門外なんだが俺。にしても、また大物が出てきたな。守旧派の派閥元締め一族かよ。確か嬢ちゃんの島送りを主張したのもその派閥の評議員だったな。ロウガに戻ったらまた仕事が忙しくなりそうだな」
それが偶然だと思うはずもない。何かの企みがあるのだろうが、長年秘密裏にしてきた計画にケイスを加えるなど正気かと思いつつ、ロッソは面倒そうな表情で首をならす。
管理協会がケイスの功績や所行を隠し続ける所為で、ケイスが関われば、一事が万事、大事になるとまだ理解していない者達がいる事に、むしろ恐怖を覚えるほどだ。
さらに言えば、今回の黒幕であろう魔術ギルド長であれば、ロウガの大物評議員でもあるのでケイスの情報にも詳しいはずだが、それでもケイスを無理矢理な手でこの島に送ったとすれば、よほどの重大事があると言うことなのだろうが、
「そちらは後で斬れば良かろう。まずはその特別棟とやらから研究室を探し、赤龍の転血石がどこに埋まっているか、坑道の見取り図を探すのが先決だ。私も行くぞ。文句はあるまい」
当の本人は全く気にせず、ちらちらとこちらを見てくる、正気を保っている看守達の視線にうっと惜しさを感じながら、ロッソに同行すると勝手に決めていた。
「むしろ俺一人で行くから嬢ちゃんを見張ってくれとか言ったら、生き残りから非難囂々だっての。危険人物は連れ歩くって事で納得してもらうか……薬師の姉ちゃんやら姫さんは大切にしろよ」
「うむ。わかっている。ルディやサナ殿たちは私のかけがえのない友人だ。心配しているだろうから、手早くこの件を片付けて顔を見せてやろう」
島全体を恐怖に陥れている化け物とは思えない可憐な笑顔を浮かべた美少女風化け物は、友人達が、ケイスよりもむしろそれに関わった者達の安否を気にしているとは夢にも思わず、満面の笑みで頷いて見せた。