気を失った監獄長を肩に担いだまま窓から飛び出したケイスは、雨どいや階下の窓枠を足場にして、勢いを殺しながら地面へと着地。
降り立った場所は正面玄関の目の前。
そこから中を見れば、看守兵の一部を相手にロッソが奮戦している姿がすぐに目に入るが、その様子はケイスが予想していた光景と少し違った。
若干名の下級看守とおぼしき者達と共闘し、フロアの一角にテーブルを積み上げた簡易バリケードの前で非武装の一般職員達をかばっている。
そのロッソ達に対峙し襲いかかる看守兵達は、大半はケイスが管理棟へ突入した騒ぎを聞きつけ増員された者達のようだが、よくよく見れば先ほどまでケイスが切り捨てた二階にいた看守兵達も混ざっている。
殺気を向けてきた者達は数十人を斬り殺しはしたが、それ以外の者も半年はベットから出られない深手を負わせ全滅させたはずだった。
だというのに、先ほどケイスが対峙したときよりもさらに強く俊敏な動きで襲いかかっている。
他の看守兵達にしても、手足が千切れようが、首が不自然に曲がろうが、腹に槍が刺さろうが気にもせず、何度倒されても跳ね上がって立ち上がりロッソ達に襲いかかっている。
自らの肉体の損傷を気にもせず襲いかかる様から見て、竜人化はしていないが、かつてこの島で倒された赤龍の意志が活性化した影響によって支配下に置かれたと見て間違いないだろう。
先ほど対峙した際の発言からしても、赤龍は、他者の血肉を、生命力を求めている。おそらくは滅びた自分の肉体を再度誕生させるためか。
その贄とするために、血、肉を求めている。
だがそれならば、同じ看守兵達の中に暴走せず、ロッソの側に立って正気を保っている者達がいるのが謎だが、今はその疑問を推理するよりも先にやることがある。
ロッソの実力ならば、この数相手でも無力化するのはたやすい。むしろケイスよりも広域戦闘に長けているので簡単なはずだ。
だがそうしないのは、詳しい事情が分からずとも、襲いかかって来る者達が正気ではないと気づき、殺さずになんとかしようとしている所為だろう。
見ればロッソの足下には薬によってか、無力化された者達も幾人も転がっているが、火龍の魔力が対応して、薬をすぐに無効化しているのか、すぐに立ち上がって来ている。
「ロッソ! こいつを預かれ! このような事態になった理由を知っているようだ!」
監獄長の体をバリケードに向かって投げつけながら、丹田に力を入れて闘気を生み出す。
赤龍が肉体を求めているならば、同じく赤龍の力を宿す自分の闘気に強く反応するはず。
「「「「「「!」」」」」」
ケイスの狙い通り、バリケードを取り囲んでいた正気を失った看守兵達が一斉に入り口へと目を向ける。
「こっちだ! ついてこい!」
自分たちの頭の上を飛ぶ監獄長には目もくれず、叫んだケイスに向かって殺到してきた。
一対多で戦うならば、攻撃方向を限定するために閉所で戦うのがセオリー。
だが今この管理棟には事情を知らぬ一般職員達も大勢いる。ならばここはケイスの戦場ではない。
数歩下がって外に飛び出したケイスは、くるりと向きを変えて走り出す。
ちらりと後ろを振り返ってみれば、連れ出してきた数は100には届かないくらい。
骨まで見える折れた腕をぶら下げていたり、腹わたをこぼしながらも追いかけてくる者、足が折れてそれでも手を使い走るのと変わらぬ速度で追いかける者。
正気を失っているのは確かだが、先ほど竜人と化した上級看守とは違い、赤龍の血が混じった転血石のかけらを所有している気配は感じず、赤龍の意志が顕現した様子もない。
一種の使役魔術によって操られているとみていい。
魔術によって動いているならば、心臓を貫き殺したとしても、おそらく問題とせずに戦闘を続けてくるはずだ。
解除系神術、もしくは使われた使役魔術を上回る魔力によって打ち消すのが最適解。だがそのどちらもケイスには不可能。
しかも火龍の魔力となれば、上級探索者でも荷が重い可能性もある。
危害を加えられないまで、それこそ粉みじんとなるまで切り刻むのが、ケイス的には一番楽な手だが、自分の意志でもないのに襲いかかって来る者相手に、そこまでするのはケイスとて乗り気には慣れない。
そうなればケイスがとれる手は一つだけだ。
船着き場まで走ったケイスは、船着き場の先端まで到達し足を止める。
三方向を海に囲まれた窮地。
だがこの場所こそが、ケイスが目指した勝機。
追い込まれたのではない。ケイスがここへと獲物を追い込んだのだ。
「おまえ達が助かるかどうかは運次第だ。自分の日頃の行いが良いことを祈れ」
聞こえていないとは思うが、一応の警告を発したケイスは、両手にナイフを引き抜き逆手に構えると、腹の中で沸き立つ炎のような熱を持つ赤龍の闘気をそのままに、心臓よりわずかな龍の闘気を生み出す。
氷の固まりが血脈を流れるように冷たい極寒を覚える青龍由来の闘気。
互いに最強の名を冠する故に矛盾する龍種の闘気は、異種の闘気と混ざる事を良しとせず反発し、暴れ狂いながら互いを喰らい合って、やがてはどちらか、もしくはどちらも消滅する性質を持つ。
だがケイスは違う。その意志の力で自らの中で荒れ狂う異種の闘気を支配下に置き、自らの物とする。
最強主たる龍の中の龍。真に最強たる龍王。だがその龍王さえもしのぐ存在。
未だこの世に生まれず、生まれるはずがない存在。
四龍王を統べる龍帝としての可能性を持つケイスだけが可能とする、異なる龍種の闘気を自在に操る双龍闘技。
「フォールセン二刀流千仞灯火」
生み出した青龍の闘気を両手に握るナイフへと浸透させながら、群がる看守兵達に対峙し、真名も名乗らぬ不義理から師とは呼べずとも、師と慕うフォールセンの技を借り受ける。
突き出された槍を火花を放ちながら右のナイフで受け止め、同時に触れた槍を通して闘気をたたき込みながら、その勢いを喰らい投げ技へと変え海へとたたき落とす。
崩れた態勢のまま次の攻撃をまた火花を放ちながら今度は左手で受けとめ、さらに投げ、左手でまたも受け止めさらに投げ、それでも足りなくなれば右足で柄を蹴りとめ海に蹴落とし、そこで流された勢いを乗せた左足の足払いで、また別の者を海にたたき落とす。
敵の進入を拒絶する山のように、追っ手をとどめる谷のように、自らの身を千仞とし、絶対不破の砦とする不動技。
同時にその戦技が放つ火花は、後退する仲間にとっては、敵との距離が開いたことを悟らせ希望の明かりとなって暗い闇の中で輝く希望技。
全く用途は違うが師の技を用いたケイスは、三方向が海に囲まれたという立地を使い、襲いかかって来る者達を次々に海へとたたき落としていく。
「わぷっ!? な、なんで海に!? ぎゃっぁぁっ、お、俺の腕が!?」
最初に海へと沈んだ看守兵の一人が正気を取り戻したのか浮かび上がってくるが、傷だらけな体に染みた海水に悲鳴を上げ、さらに骨折した腕を見て絶叫する。
同様に正気を取り戻した者が次々生まれてくるが、中には致命傷に近い傷を負っているためか浮かび上がってこない者もいる。
「片手ぐらいで五月蠅い! 左手が使えるならば意識がない者を引き上げろ!」
この瞬間も無数の刃を捌き、次々にたたき落としながらケイスは怒鳴る。
「お、おまえの仕業か! 暴動を起こすだけじゃなくて何しやがった! 小娘が!」
「だから五月蠅い! 気にくわないなら立ち会ってやるが後にしろ! 動かなければ斬るぞ! この船止めに足を止めて落としていくから、可能な限り助けろ!」
さっきまでケイスの前に立ちはだかっていた者であろうが関係無い。
別にそれは正義感から来る貴い行為でもなければ、自分の心証を良くしようとする打算でもない。
ましてや操られた者達への同情心からでもない。
自分が斬るのは自らの意志で刃を向けた者達のみ。剣士としての自らの矜持に従い剣を振るだけだ。
「おまえが仲間を斬り殺したことは忘れないぞ! いつか報いを受けさせてやる! ……動けるやつは隣の船止めからあがれ! ロープでも小舟でもいい何でも持ってこい!」
必死の形相のケイスと、明らかに正気を失ってケイスに襲いかかっている同僚達の姿に、尋常ではない事態が起きているとさすがに察したのか、ケイスに対する敵愾心は一切消えていないが、他の正気を取り戻した仲間へと指示を出す。
敵意の目が海からは無数に向けられるが、今は優先すべき事態ではない。ケイスは気にもせず、ただひたすらに剣を打ち合わせ、全身を使い、海にたたき落としていく。
一歩間違えれば、一つでも対処を誤れば、あっという間に人の波にのまれて、殺される窮地。しかし四方を敵に囲まれるのはケイスにとって日常茶飯事。
むしろいい鍛錬だと心底思いながら、さらに技の速度を上げ、動きを効率的にし、そして闘気を操る精度を高める。
海へたたき込むまではフォールセンの技だが、そこから先、正気を取り戻させているのは純粋にケイスの技量からなる。
そちらは至極単純な話だ。
赤龍は別名火龍。熱を好み、火山を住処とする。
青龍は別名水龍。水を好み、海や湖を住処とする。
火山島であるこの島の上では熱の力が強く、どうしても赤龍の魔力が活性化し、それを打ち消すためにはその数倍は青龍の闘気をたたき込む必要がある。
だがそんな量の闘気に晒され、しかも体内で争っては、いくら看守達が探索者といえど耐えきれるはずもない。
そこでケイスが選び出した戦場、戦術が、この場所この戦い方だ。
看守兵達を動かす赤龍の魔力と、たたき込んだ青龍の闘気が喰らいあいはじめ、体に多大な負担を与える消滅を起こすよりも早く海へとたたき落とし、海という青龍の闘気を最大活性化させる場を使い、逆に苦手とする水に取り囲まれた赤龍の魔力を弱体化させ、必要とする闘気の量と消滅のダメージを最小限に抑え一気に決着をつける。
襲いかかってきた者達、96人すべてをケイスが海へとたたき落とすまで要した時間はわずか5分ほどだった。
「正気を保っていて動けそうな看守は13人。嬢ちゃんが海に落としたのはどいつも怪我しているし、いつまた正気を失うか分からないから護送船の船倉に隔離した。死亡者は管理棟で死んだ一般職員を合わせて72人だ」
船着き場で生き残りの点呼や、治療の指示をしていたロッソは、ある程度のめどがついたのか、集団から離れ夕日に照らされる船着き場の先端でパンをかじっていたケイスに、重々しい表情と共に伝える。
「管理棟に38人を足しておけ。私が二階と三階で斬り殺したのがそれだけいる」
「……ちっとは悪びれろ。あっちの連中の中には、嬢ちゃんが原因だろうから、とっとと殺せって声まで出てんだぞ」
「ふん。自分が殺すではなく、おまえが殺せであろう。自ら剣を持つ気概を持たぬ者の戯れ言など気にしてどうする。ロッソが望むなら相手をしてやるが、おまえは好ましいから殺しはせんから安心しろ」
事情はどうあれ同僚を虐殺したケイスに対する不信感や敵意は、最悪なまでに高まっているが、圧倒的な戦闘力に及び腰で、憎悪や恐れの視線を向けてくるだけ。
嫌われるのはいつものことだと慣れているケイスは、ロッソの忠告にはケイスなりの感謝するが、他は気にもとめないことにする。
「そりゃどうも。この状況下で戦力が減る真似をする気はねぇよ。さて、どうするかだな。本土との通信魔術施設は管理棟にあったらしいが、魔力障害が激しくてしばらく無理だな。海も大荒れに荒れているから、脱出は出来そうもない」
島周辺は静かだが、外海はここから見てもわかるほどに波が大荒れに荒れており、この状況で船を出すなんて自殺行為だと、護送船担当職員が即時に断言するほど。
さらに魔力障害が発生していて、下手に魔力を使えば暴走しかねず、大怪我を負った者にも治癒魔術は使えず、薬によって痛みを抑えるのが精々でまともな治療は出来ていない。
「神術師でもいれば良かったが、どうにかしないと重傷の連中がまずいな。この島の赤龍が復活したって嬢ちゃんの話が嘘かホントか別にして、やばい魔力が島の地下にあるのはたしかっぽい。おそらくそいつが原因だ」
魔力を失ったケイスでは感知できないが、ロッソは落ち着きのない様子で島中央の火山へと目を向け、その視線を手元の地図へと落とす。
魔力探知が示す先は、島の地下。それも反応的に相当深い位置だ。労役によって掘られた坑道の最下層辺りだろうか。
「さっき正気だった看守に確認したが、あいつらは2週間くらい前に赴任した新人達で、まだ地上勤務だけで、狂っていた連中は軒並み囚人の監視で地下坑道まで降りていたそうだ。同じように降りていた囚人が収容されている一般監獄や地下坑道も、そこの看守と連絡が途絶している。想像したくないが、ひどいことになってそうだな」
げんなりした顔を浮かべるロッソに答えず、ケイスはパンをかみちぎる。
先ほど落とした看守達は竜人化していなかったが、島内には似たような気配をまだいくつか感じている。
殺した死体をせっせと火龍の元へと生け贄として運んでいる姿をケイスも想像はするが、相手がそのうち斬ってやろうと思っている囚人なので、特に思うところはない。
精々それらが全員赤龍の配下となっていた場合、さすがにここに避難した一般職員をかばうのは骨が折れるということくらいだ。
それより気になるのはその場所だ。
「火龍の最後は、ルクセの皇帝とエーグフォランのドワーフ王が崩れ落ちる火口と共に地下深くにたたき落としたという逸話であったな。その後、迷宮化が解除されたから討伐されたのは間違いない……気になるのは火龍の宿していたであろう転血石だ」
転血石は、激しい戦いのさなか絶命したモンスターの血管中で魔力が物質化して生まれる、大きな魔力を秘めた石。
龍ほどの魔力を有する存在ならば、確実に生まれるはずだが、それは二人の王の亡骸と共に地下深くに沈んだはずだ。
そこに火龍の意志が残っていたと考えるべきだろうか。
「竜人になったっていうやつに刺さっていた剣を拾ってきて確かめたが砕かれた欠片も、他の看守長の剣も、確かに宝石に混じって目立たないが転血石が加工された物だ。それも相当な高位種の血でできた石だな。鉱山で掘り出したって事か。だがそれだけでこんな事態になるか?」
「龍の意志が目覚めた方は少し心当たりがあるが、それ以外に気になることがある。監獄長はどうした。やつに尋問している途中だったが、特別棟がどうこうと言うところで竜人化した看守の気配にやられて気を失いおった」
赤龍が目覚めたのはケイスが闘気を使った所為か、それとも島に上陸したからか、それとも首輪を外す際に首を一度切り落として大量の血を流した所為か。
思い当たる事はいくらでもあるが、それらはケイスが意図しない不可抗力が生んだ事態。
だが監獄長に関しては違う。
監獄長は、上級看守が竜人化したことを恐れはしていたが、なぜという驚きはあまり感じられなかった。むしろ恐れていた事態が起きたという反応だったように思う。
それに剣の宝石に混じって装飾のように転血石を用いていたことも気に掛かる。魔術杖の触媒として用いるならわかるが、あれでは意味がない。
ケイスの嗜好とは合わないが、持っていたのはいい剣であったが、あくまでも剣でしかなく、魔術的な力を期待した作りではなかった。
装飾として用いるには、龍の転血石、ドラコンブラッドストーンはあまりに高く希少すぎる。
他の意図があったと見た方がいいだろう。
「心当たりね……」
ケイスがロウガに来て以来、それなりに関わっているので、ケイス関連では謎が多い事には慣れたか、それともソウセツやナイカ辺りから深入りしないようにでも忠告されているのか、詳しい話をしないケイスに対して、ロッソはあまり問わず肩をすくめるだけで済ませた。
「監獄長、ナモンさんつったか、あの御仁はたぶんそろそろ目を覚ま……覚ましたな」
ナモンが寝かされている船着き場の小屋の方に顔を向けたロッソにつられてケイスも目線を向けると、船着き場の根本でまだ若い職員がびくびくとして戸惑っている姿が目に入った。
どうやらロッソに知らせに来たようだが、ケイスが一緒なのを見て恐怖で足がすくんでいるようだ。
「ほんと少しは省みた方がいいぞ。せっかく助けても怯えられるのはきついだろ。嬢ちゃんと平気でつきあえる赤毛の姉ちゃんやレイネ先生みたいに、剛胆なやつの方が少ないんだからな」
「五月蠅い。ロッソは私が監獄長を斬らないか心配でもしていろ。禄でもない企みなら首を落としてやる」
感謝されたいから助けるのではない。助けたいから助けるだけ。
あくまでも自分の意志を最優先するケイスは、怯える職員には目も向けず、ロッソを伴い小屋へと向かった。