「所持品検査と拘束具の変更のため、囚人はあちらの一般棟へまず連行します。ソルーディア殿はこちらへ。中央管理棟で、まずは引き渡しのための書類手続きをお願いします。そのあとに獄長との面会となります」
ロッソが所属と二つ名を名乗った後、緊張感と呼ぶよりも、薄いながらも敵愾心めいた物を声の端々に覗かせるエルフ看守が立ち止まると、建物をそれぞれ指し示す。
中央管理棟は溶岩窟内では無く、港正面の島の狭い平野部、文字通り各棟を見張れる中央部に建つ。
一方でケイスがこれから連れて行かれるという一般棟は、大きな溶岩窟内にすっぽりと収まっており、唯一の出口となった門の周りは、二重の高い壁に囲まれている。
中の様子や構造は外観から把握出来ず、他の棟も大体似たような作りとなっているが、いくつかの棟が集まった一区画からは、港の船着き場に向かって軌条が伸ばされており、その辺りが島外から運び込まれた物資倉庫や、島内で採掘された鉱石の一時保管場所となっているようだ。
ここまでは、ロッソが切った切り札が一応は効いているのか、手枷、足枷に取りつけられた鎖の先を、先ほど揉めた獅子獣人看守に握られ、小柄すぎるケイスには些か早い早足で引かれるという地味な嫌がらせをされてはいたが、今の所は切れずに大人しくついてきていた。
物資倉庫周りには、馬ほどの大きさはある巨狼型モンスターが数匹ほど、寝そべって待機している。
雪のように白い毛並みと巨体に見合った太い四肢と、小型ナイフのように鋭く太い牙と爪。
美しい見た目とは裏腹に高い狩猟能力をもつ中級迷宮モンスター白銀狼。
躾けるか使役魔術で縛り付ければ、買い主や召還主に対して忠実で扱いやすいと評判で、金持ちの間では使役獣として人気がある種だ。
「くれぐれも我々の側を離れないでください。あれらは看守や職員。そしてその近くにいる者は襲いませんが、看守から離れたり、単独で行動する職員外の者がいれば襲う様に躾けられています。中級迷宮産の怪物ですので、いくら貴方でも複数の戦闘は避けたいでしょう」
脅かしの意味を込めてか、それともケイスに先ほどもどきと呼ばれたのが未だに腹立たしく、少しでも精神的優位を得たいのか、エルフ看守がロッソへと勝ち誇ったような成分を含んだ注意を促す。
隠れる場所もそうそう見つけられないここに放し飼いにされた白銀狼が数匹がいるだけでも、囚人達から逃亡の意欲を大きく奪う効果が有るのは容易に想像出来る。
中級探索者であるロッソとて、戦うならともかく、走って逃げ切れる自信はない俊足の狼たちに対して、
「白銀狼か……美味しそうだな」
ロウガ支部から人目を避けて日が昇る前に連れ出され、船に叩き込まれここまで飲まず食わずで来た美少女風化け物には、ご馳走に見えていたようで、小声でつぶやいている始末。
空腹を覚えているときの、ケイスの危険度と厄介度は時間経過事に跳ね上がる。
どうにも嫌な予感が抜けず、ここでケイスと離されるのは色々な意味で不安なのだが、ロッソの元々の仕事は、ケイスをこの海底鉱山監獄へと連行して看守達へと引き渡す事。
あとは獄長や看守達に、危険生物なケイスの取り扱い方を軽くレクチャーして終わり。
いくつも気になる事があり、不穏な空気も感じてはいるが、ここが周辺数カ国による共同運営となれば、権限も正当な理由も無く、無理が出来ないのがお役所勤めの悲しい所だ。
「マジで二ヶ月、大人しくしとけよ」
「しつこいぞ。私が自分から罪を背負うと決めたのだから、素直に収監されるに決まってい……むぅ」
「こっちだとっと来い屑娘。首輪をつけられた後も、その強気の態度がいつまで続くか見物だな」
話の途中で、鎖を強く引かれバランスを崩し倒れかけたケイスが鎖を握る獅子獣人看守を睨むが、ケイスを完全に見下している事が判る嫌な笑顔を浮かべ、鎖を強めに引いて引き摺っていく。
不意をつかれなければ、手足を拘束された小娘なんてどうとでも出来るとその態度が語る。
獅子獣人看守が引き摺るケイスのあとを、二人の人間看守が逃げ場を塞ぐためか付いていった。
「囚人との私語は慎んでいただけますか。先ほどの暴行も本来であれば、刑期延長や懲罰処分にあたりますが、特別に無かった事にしたと忘れないでいただきたい。こちらです」
「失礼いたしました」
監獄内では自分達の方が上だ。そう言いたげなエルフ看守にロッソは頭を下げ謝罪し、乱暴に引かれていくケイスを横目で見ながら、その後についていくしかない。
もう一人の人間看守も、まるでロッソを逃がさないかのように、すぐ後ろについてくる。
前後を看守達に挟まれ、連行される囚人気分を味わいながら、中央管理棟に入ったロッソは、エルフ看守の案内でまずは事務に赴き、引き渡しの為の書類手続きをこなす。
今回のケイスは異例も異例なので、自ずと手続きも増える。
嫌がらせかのように複雑で無駄に多い書類を一々確認して、ロウガ支部が用意したケイスの簡易経歴書も確認してもらいサインをもらい、さらにこの後に面会予定である監獄長にもサインをしてもらい、さらにロウガに戻ってからも、持ち帰った書類の確認手続きと、出だしから嫌になるほどの書類の山だ。
さらに予想外にロッソの精神を削ってきたのは、身内からのフレンドリーファイヤー。ケイスの簡易経歴書だ。
書類上ではケイスは普段自称している剣士という区分では無く、極めて強力な魔具を扱う魔具使いという説明がなされていた。
画期的な非市販品の特殊な魔具を多数保有していた為に、年齢離れした高い戦闘能力を持っていたが、それらは今現在ロウガ支部によって押収。刑期が終わるまで管理保管されているので、本人の戦闘能力は著しく減退しているというものだった。
大嘘にもほどがあると、ロッソが思わず口に出しそうになったほどだ。
多少無理な言い訳を重ねても、ケイスを過小評価させて、その力を隠そうとするロウガ支部の意図が物の見事に現れた代物だ。
確かにケイスは、天才魔導技師ウォーギン・ザナドールのオーダーメイド魔具を多数所有していて、それが大きな力となっていたが、それはあくまでも副次的な物。
ケイスの強さの本質は、その圧倒的知識量と、卓越した技量。何より化け物じみた闘気コントロールにある。
迷宮に素っ裸で放り込んだとしても、モンスターを狩り、その皮を衣服とし、骨を武器とし、肉を食料として、潜り続ける事が出来るだろうケイスは、もはや探索者と呼ぶよりは、迷宮生物と呼んだ方が近い存在。
この本質を隠して、監獄長や上級看守達にケイスの危険度や、取り扱い方を説明するのは、骨が折れるを通り越して、無理難題に近いのではないか。
今からでも判る見通しの悪さに陰鬱な気持ちになると、作業効率もどうしても落ちて来る。書類が多い所為もあって、かれこれ手続きを初めて五十分くらいは経っていた。
横に立ってロッソの一挙手一投足を、何故かつぶさに見張っている二人の看守達も、あまりに時間が掛かるので、苛立ちを隠そうともしない舌打ちが20を越えた当たりで、異変が起きた。
甲高い警報音が突如ここ中央管理棟のみならず、島全体に響き渡り、それに続いて建物の外から、甲高い遠吠えと共に狼達があげる激しい唸り声が響いてきたのだ。
一般職員も多い事務所の中が騒然となるなか、エルフ看守がロッソの側を離れ、事務局の前を丁度通りがかった下級看守を捕まえる。
「何の騒ぎだ!」
「倉庫棟に侵入者。囚人のようです! た、ただどうやったのか判りませんが、首輪を外していたため発見が遅れたと! 今は港側に出たようで白銀狼がっ!?」
「なっ!?」
下級看守の報告途中でエルフ看守が、表玄関扉側から飛んできた何かに弾き飛ばされる。
飛んできた何かをロッソの目は捕らえていた。
それは玄関扉を突き破って激しい勢いで建物内に飛び込んで、そこら中に血と臓物を撒き散らかした白銀狼の首無し死体だった。
エルフ看守諸共反対側の壁に叩きつけられた白銀狼の死骸は、その名の下になった白色の毛を赤い血の色に染め、まだ殺されたばかりでピクピクと痙攣する足を振るわせ、頭部が消えた首から血を激しく噴き出していた。
「うげっ! なんだよこれ!?」
「は、白銀狼!? 獄長に至急連絡を! だ、大規模反乱の恐れがあると!」
目に見えて判る異常事態に蜂の巣を突いたかのように中央管理棟内が騒がしくなる中、幼くとも良く通る華やかな声が響く。
「ん。ロッソ。ここにいたか。あのエルフの顔が見えたので、すぐに見つかって良かった」
人混みの中で知り合いを見つけ喜ぶ少女のように弾む声をあげる声の主が壊れた玄関から入ってくる。
その姿を見た誰もが声を失う。
囚人用拘束着に身を包んだケイスだ。
だがその首には、囚人の居場所を知らせるとともに、拘束着全体に麻痺から致死レベルまでの電撃を放つ、電撃魔術調整用の首輪をつけていなかった。
首輪の代わりに右手に宝石がごてごてとついた趣味の悪い剣から血を滴らせ、左手には斬り殺したばかりの白銀狼の頭部をもち、しかもあろう事にかその頭にかぶりついていたのだ。
「うむ。白銀狼は初めてだがやはり狼は美味いな。特に耳がいい。ちょっと硬い毛が多いがこの程度なら肉との歯触りの差が楽しめるアクセントと思えばよいな。さっき首を斬って首輪を外したときに、ちょっと血を失ったから、生肉は血の回復に良いな」
右耳の辺りに噛みつき、ブチブチと毛ごと肉を噛みちぎり、数度かみこみ飲み込んだケイスが、肉質が好みにだったのか天使のような笑顔で嬉しそうに感想をこぼすが、その言葉の意味が判らない。
首輪を外すために首を斬った。
そう宣ったケイスの細い首元に目をやれば、既に治りかけているが、首を一周する切り傷が見てとれた。
現実感の無い言葉を呟き、狼の頭部に噛みつき顔面を血にまみれさせながら微笑む少女に、一般職員達はもちろん、看守達さえも誰も意味が判らなく、動けず、ひと言も発せなくなる。
幸か不幸か、多少ながらケイス耐性がついていたロッソを除いて。
「まだ1時間も経ってねぇ……なんでそんな事になってんだケイス嬢ちゃん」
しかしさすがにロッソも、この状況にどうしてなったか見ただけで判るわけもない。
それこそ元凶のケイスに聞くしか無いのだが、
「ん~色々有るが、食事量が少ないのが気になったのが切っ掛けだな」
あっけらかんと答え今度は左の耳に噛みついたケイスの答えは、食事が少ないから牢破りをした以外には解釈しようが無い物だった。