歪んだ楕円形を描く火山島は、島中央にボールをひっくり返した形の標高の低い火山が姿を見せ、元迷宮への入り口であった火口からは、今も細いながらも毒性の強い噴煙が上がっていた。
島の東側には虫食いのような凹みがあり、そこが悪夢の島唯一の港として防波堤などが整備されており、ケイスを乗せた中型護送貨物船は、転血炉の出力を落として船足を緩め、岸壁へとゆっくりと接岸している。
島内に無数にある溶岩窟を利用してそれぞれの棟は個別に建てられており、区域は高く分厚い壁と門で区切られ、厳重に警戒されていることが船上からでも容易に判る作りとなっている。
今回は通常の定期便では無く、ケイス一人だけを護送する為に空荷で出された臨時便。
通常であれば入港時は、島への食料や生活物資の搬入、そして海底鉱山で採掘された鉱石や宝石原石が搬出のために、囚人達が駆り出されるのだが、今日は港に囚人達の姿は無く、5人の完全武装の看守達が並んでいる。
人間族が3人に、身長も横幅もロッソの倍ほどある獅子族獣人が1人。そして耳の長いエルフ族が1人。種族事の違いはあるが全員が若く見える男性だ。
ケイスを搬送するために港に来た看守達の指には、これ見よがしに探索者の証である指輪が輝く。指輪は複数の色に染まり、小さいながらも台座が見えるので、全員が中級探索者であることが判る。
装備の方も柄頭に小振りな宝石を使った、些か装飾過多な物だが、鞘拵えは丁寧な高級良品。
「こりゃやべぇな」
書類上は初級探索者であるケイスの搬送に、上級看守となる中級探索者を5人も繰り出してきたことにロッソはどうにも嫌な予感を覚える。
前代未聞の問題を次々に引き起こしてきたケイスとはいえ、ロウガ評議会が下した今回の禁錮二ヶ月の島送りに、ロッソはどうにもきな臭さを感じていた。
極めて優れた能力を持つが問題児であるケイスを更生させるために、最悪の監獄を体験させ、深い反省をさせ、修正を期待する。
そんなお題目が掲げられているが、それを額面通りに受け取っているのは、治安警備隊には1人もいない。
だから人手不足のなか、それでも何とか1人の空きをつくり、島までの護送役という見聞役をだしたのだ。
海底鉱山監獄は収容定員一杯である二千人の囚人と、交代要員や上級職を合わせた看守千人に、炊事係や修理員など一般職員百人超。合わせて三千人を越えるその全てが”男性”だけの島だ。
大陸本土であるロウガに家族や持ち家を持つ上級看守や一般職員を除き、基本的には下級看守は、監獄を共同運営する各国から独身の若手探索者が配備され、不正防止のために数年単位で順次交代されているとの話だ。
いくら中身が化け物とはいえ、見た目だけならばケイスは幼くとも美少女。それも極上とつけても誰からも文句が出ないほど。男だけの監獄にたった1人だけとなる女を収監する。
普通ならこんな決定が通るわけがない。
それにロウガ支部としては、始まりの宮から半年も経たずに下級探索者となってしまったケイスの存在を秘匿したかったはずだ。
しかしこの監獄は周辺各国が共同運営しているだけあって、他国の目につき易い。どう考えても、ケイスを収監するには適していない場所なのだ。
故に裏の意図を感じてしまうのは致し方ない。
ロッソ個人としては無謀の極みだと思うが、監獄内での事故や事件に見せかけ、ケイスを抹殺しようと考えている者がいたとしてもおかしくない。
なにせケイスに殺したいほどの怨みを抱く者や組織は、ロッソが知る限り、ロウガだけでも両手両足の指を足しても足りないほど。
探索者となる前、大怪我の後遺症で力を失っていた頃でさえ、違法金貸しや盗賊闇ギルドと揉めて大騒ぎになって、ロッソ達治安警備隊が介入して結果的に相手方が壊滅した事例も珍しくない。
フォールセン主催の武闘会では、チーム戦となる予選段階で、いくら死なないように魔術ほどがされているとはいえ、単騎で他の参加者を全て壊滅させ、参加者に二度と消えないトラウマを多数植え付け、関係者のプライドを物の見事に踏みにじり、決勝が成り経たず払い戻しとなった闇賭博組織に大損をさせ、激怒させている。
今回の大華災事変でも、被害を受け廃業した遊郭店主達も含めれば、さらにその数は倍増していてもおかしくない。
ロウガにたどり着く前にも色々問題を起こしているであろうには想像に難くなく、どれだけの恨みを買っているか本人さえも知らないのではないだろうか。
「あの山を一気に駆け上がり火口へと突入したのであったな。身を隠す場所など無さそうだが、頭上から落とされる龍のブレスをかいくぐったと聞くがどうしたのだろう」
もっとも当の本人は、港に着く前に島の外観を見たいとあまりに五月蠅く言うので、根負けしたロッソが多少規約違反ながら甲板に連れ出してからは、楽しげに声をあげており、一切警戒している様子が無い。
この上機嫌がいつ大暴れになるかとロッソが不安に思っていると、迎えに来ていた看守達を一瞬だけチラ見したケイスが、ロッソに向き直り見上げてくる。
「ロッソは何故治安警備隊にいるのだ。ロウガ出身ではないのだろう。中級探索者を続けるよりお給金が高いのか?」
そして何を聞くかと思えば、全く関係ないことを口にした。
答えないという選択肢もあるが、その場合は無駄にケイスを不機嫌にさせかねないので、特に隠すことでも無いので素直に答えることにする。
「師匠筋のナイカさんの命令だ。昔馴染みが、腕が立つ何より信頼できる中級探索者を大勢雇うから、ロウガに来いってな。食堂の飯は美味いし、装備整備代は持ってくれて、毎月定額の収入もいいが、当たり外れが有っても現役時代の方が金回りは良かったに決まってるだろ」
中級迷宮に潜って稼いで、金が無くなる前でのんびりに過ごして、尽きたらまた迷宮へな、その日暮らしは、ロッソの性格には合っていたのだが、今も頭の上がらないナイカの命令となれば無視するわけにもいかない。
幸い他にナイカが声をかけたメンバー達も腕は立つし、気の良い奴ばかりなので、人間関係に苦労しなくていいが、ケイスがロウガに出没してからは仕事が激増する一方なので、特別手当が欲しいところだ。
「ふむ……ロッソはいつか斬りたいが、もどき共はどうでもいい。だがそれにしては装備が良すぎるな」
今までのはしゃいでいた声を一変させ、ケイスが小声でつぶやく。
いつか斬るという呟きは、物騒を通り越して、純粋な敵対宣言だが、頭のおかしいケイスにとって、現時点でロッソを自分より上と認める褒め言葉だと判る程度には、嫌でも付き合いが長くなっている。
世間一般で言われているように、ケイスがただの馬鹿で無いことも判っている。ケイスが気づいた違和感の正体にも。
船が完全停止し岸壁からタラップが伸ばされ、看守達がぞろぞろと昇ってくる。
「ケイス嬢ちゃん。気をつけろよ」
私的な会話が出来るのはここまでだろうと、ロッソは短いが警戒しろとアドバイスを送る。
「心配するな。私の命を狙おうとする輩がいたとしても、ロッソならともかくあんなもどき共が私の敵であるわけなかろう」
それに対してケイスは、一瞬だけ獰猛な笑顔を見せ、いつも通りの強気一辺倒の答えを返す。
この答えが告げる。
今回の異例の決定も、不穏な状況も、身に迫る危険も、全てを正確に理解し判った上で、先ほどまでは気にもせず、ただ純粋に観光気分で楽しんでいたと。
つまりはケイスはただの馬鹿では無く、他に類をみない大馬鹿なのだと。
「困りますね。我々に引き渡されるまで囚人は船倉から出さないというルールですが、ご存じありませんでしたか」
五人の看守達のうちリーダ格らしきエルフが、ロッソのルール破りに苦い顔を向けて、勝手をするなと告げるなか、後ろに立つ男達の視線がケイスやロッソの右手、探索者の証である指輪をはめた手に一瞬だけ向けられる。
ケイスは模造品である初級探索者の透明指輪。
そしてロッソの指輪がグローブの中に隠れているのに気づき、看守達は、特に獅子獣人看守が見下すような侮蔑的な顔を浮かべた。
探索者にとって、多種多様な色に染まった指輪や玉石の台座は、その実力を示すための何よりの証。
指輪を隠すということは、自分の実力に自信がないか、他人に誇れるほど踏破していないからというのが、世間での捉え方で常識。
その常識に従い彼らもそう思ったのだろう……中級探索者だというのに。
この反応で遅ればせながらケイスが、看守達をもどきと呼んだ意味をロッソは悟る。
彼らは、ロッソが指輪を隠す意味に気づいていない。
だからといって、それを指摘して波立たせる気は無い。ここでの振る舞いの腹いせがロッソでは無くケイスに向く恐れがあるからだ。
もっともロッソが心配するのは腹いせが向かうケイスの身では無く、その後のケイスの暴走大暴れの方だ。
「申し訳ありません。あの大波で彼女が気分が悪いと言いだし、吐きそうでしたので、私の独断で甲板へと連れ出しました」
いくら野生モンスター並みに、他者の気配や強さに鋭いケイス相手とはいえ、現役中級探索者の自分が気づくのが遅れた事をさすがにちょっと恥じたロッソは、その情けない心情を少しだけ偽りの言動に乗せて、頭を下げる。
ケイスはむしろあの大波を楽しんでいたくらいだが、それらしい理由で茶を濁そうとしたが、
「はっ。あの程度の波で根を上げる塵が、ここで二ヶ月も持つと思っているのかロウガの幹部やあんたは。そんな軟弱精神で、収監してから自殺でもされると、片付けが面倒だ。今ならそこから飛び込んでも見逃してやるぞ。この屑むすがっ!?」
看守と囚人。絶対上下関係を早速叩き込むためか、演技過剰で牙をむき出しにして顔を近づけ威嚇してきた獅子獣人看守に対して、ケイスはノーモーションで両足を揃えた宙返り蹴りを放った。
さすがに予想外にもほどがある行動はロッソも読めず、止められるわけが無い。
蹴り上げられて空中に見事な放物線を描いた獅子看守は、そのまま自分が指さしていた甲板の縁から海に落ち、大きな水柱をあげる。
いきなりの凶行に唖然とする四人の看守を、ケイスは睨み付ける。
「やはり全員もどきか。ロッソが指輪を隠すのは当然だ。中級となればモンスター共の知能も上がり、その色で得意や不得意とする迷宮色がモンスター達に露呈する。自分から弱点を晒す愚か者がどこにいる。だから熟練中級探索者ならば隠すのが当然だ。なのにお前達はこれ見よがしに見せびらかす。どうせ下級から上がったは良いが、すぐに下級と中級の難度差に挫折して、1つも踏破せず……いや、出来ず、現役を退いた者達であろう。そんな中級もどきが私が実力に敬意をはらうロッソを馬鹿にするなど、気分が悪い」
わざわざ出来ないと言い直したケイスは、先ほど看守達が浮かべた侮蔑をさらに強めた嫌悪感と、背筋を寒くなる怒気をむき出しにして四人に告げる。
看守達が思わず萎縮するほどに強い怒りは、どうやら自身に対する屑呼びよりも、ロッソへ向けられた侮蔑が原点のようだが、まだ島上陸さえしていないのに、いきなり看守の一人を海に蹴り上げ落とし、本心からの言葉であろうが歯に衣着せぬ発言など、ケイス節が全開過ぎる。
「っこの屑娘が! その首ひねり潰してやる!」
怒声と共に先ほど海に落ちた獅子獣人看守が、海を突き破り甲板に戻ってくる。あまりの怒りで、ぽたぽたと水が落としながらも全身の毛が逆立っていた。
どうやらケイスの蹴りのダメージがほぼ無かったようだが、この体格差で、しかも闘気を使えない小娘相手に簡単に蹴り落とされたことが、誇りをいたく傷つけられたようだ。
相手の体重移動の力や隙をも利用し、最小限の力で大きく蹴り飛ばしたケイスの卓越した技量にも気づかないというのに。
この場でケイスを処刑しようという勢い。そして彼ら上級看守には反抗的な囚人や危害を加えた囚人を、自己判断で鎮圧する資格が与えられており、その際死傷しても責任に問われることは無いと明確に明記されている。
これ以上は無いほどに明確な生殺与奪権が与えられているのだ。
いくらケイスとはいえ、闘気を出せない状況で、ケイスがもどきと呼ぶとはいえ、一応中級探索者までたどり着いた五人相手は無謀が過ぎる。
「私の首をへし折るだと。私はお前の首を折らないように手加減してやったのだが、それも判らぬのか?」
しかしケイスは、本人的に挑発の意図が無い生来の万物見下し癖を発揮し、徒手空拳で力が制限されたこの状況でも、勝つつもりなのか、手枷をはめた拳を握ってみせた。
だがこれがケイスだ。自分が気にくわなければ、その場でぶっ飛ばす。後の事は、その時になってから考える。
見た目は可憐な美少女であっても、本質は頭のおかしい美少女風化け物だ。
「そこまでだ」
一瞬即発となったケイスと看守達の間に、割って入ったロッソは右手グローブを外し、その指輪をつけた右手と左手を広げ仲裁に入る。
ロッソがつけた指輪は、近接迷宮の赤色と、毒物迷宮の紫が見事に混じる色鮮やかなグラデーションで染まり、大きくなった2つの台座には、いつ宝玉が、上級探索者の証が生まれても、おかしくないまでに成長している立派な物。
「まず制止が遅れた事を謝罪する。名乗り遅れたが、ロウガ支部治安警備隊水狼隊隊長【紫炎棍】ロッソ・ソールディアだ。ご覧の通り、この囚人は極めて凶暴かつ、一般道理が通じない。取り扱いは諸注意を必要とする。監獄長への取り次ぎを急ぎ頼む。我々の望みはこの囚人を無事2ヶ月間の刑期に服させる。それだけだ」
自分でも似合わないにもほどがあると思いながら、威圧感を込めた声でロッソは告げる。
自然発生したり、功績を評価されて、国や協会から与えられる等の違いはあるが、二つ名を持つ探索者は、誰もが優秀かつ特筆した力を持つ探索者達。
その中でも二つ名の中に、指輪の色と同系色を持つ者は、その迷宮の専門家、プロフェッショナルと認識される。
卓越した近接戦闘と、上級探索者であるエルフ仕込みの自然毒の使い手【紫炎棍】は、東域のみではなく、中央でもちらほらその逸話が聞かれる若手の有望株。その紫炎棍が、ロウガ治安警備隊に入隊したと、当時はロウガで話題になったほどだ。
同じ中級と名乗っていても、その実力は天と地ほどに隔絶すると、さすがに看守達も気づき、そして事と次第によっては、ケイスを守るために敵対すると、言外で宣言したのだ。
怒り心頭だった獅子獣人看守も、ロッソが魅せた威圧感にさすがに怯んだのか、ケイスを睨み舌打ちしながらも引き下がる。
「……今後この様なことがあった場合、その約束は致しかねますがよろしいですね」
エルフ看守が平静を装いながら警告を告げるが、その耳が怒りからか少し赤く染まっている。ケイスのもどき呼びから染まっていたので、図星を突かれて怒り心頭状態であろうことは容易に想像がつく。
「ふむ。やはりロッソは斬りたいな。今もどき共をやったら、お前とやれるか?」
しかし大馬鹿はやはり大馬鹿だ。ロッソが魅せる威圧感に一切怯まず、先ほどまでの不機嫌から一転、この上なく上機嫌となっている。
斬りたいがケイスの褒め言葉なのは判っていても、落ち着かない。
常識的に考えれば、ケイスが徒手空拳で闘気が使えない今の状態でなくとも、それこそ羽の剣や十刃や各種特殊ナイフなど押収されている各種武具が完全。
闘気もフル活用が出来てもも、今の実力差ならば、苦も無く勝てるとは思うのだが、それでも何をするか判らないのがケイスだ。
「嬢ちゃんの相手は面倒だから即逃げる。頼むから少しは大人しくしとけ。ガンズさんとレイネさんに報告すんぞ」
「ま、まて卑怯だぞ! ガンズ先生はまだともかく、レイネ先生には絶対言うな! 大人しくしてるから!」
グローブをはめ直したロッソは、ケイスが怒られることをもっとも怖れるレイソン夫妻という対ケイス用の切り札を使い、その闘争心を根本から消滅させることに成功した。