悪夢の島。
ロウガ沖合に忽然とぽつんと姿を見せる孤島は、そう呼ばれている。
ロウガの中規模街区ほどの大きさの島だが、かつてそこには島などは無く、周りと同じように大海原が広がっていただけだった。
だがある日忽然と一夜にして、海を突き破る隆起とともに、溶岩を大量に噴き出しながら島は出現した。それは自然の手による物では無い。
火山島を産み出したのは、この世の最強種である龍の中の一つ。火龍。
龍は、その身に宿す暴虐にして傲岸な魔力を持ってして、万物を己の好む物へと変えてしまう。
動物も、植物も、大気も、大地さえも。
島が出現したのは、当時東域で隆盛を誇った東方王国最大の貿易都市狼牙が火龍に焼かれ、暗黒時代が始まったまさにその日。
空を埋め尽くす火龍の群による無慈悲な大虐殺の中、かろうじて出港して逃れた僅かな船も、火山島の隆起と共に、その火口から躍り出た火龍の別働隊によって、湾を出てすぐの所で1隻残らず焼き払われ沈没する。
護衛のため船に同乗し、周辺海域に使い魔を飛ばして警戒していた狼牙兵団の侍の1人が、致命傷を負いつつも最後の力を振り絞って、次の脱出船の準備をしていた港へと連絡していなければ、それこそ狼牙に住まう者は全滅の憂き目に合っていた。
紅蓮の炎に沈んだ狼牙で、生き残れたのは地下水路の奥深くまで落ち延びられた僅かな者達のみ。
だが惨劇はそれだけでは終わらない。
その後数百年の長きに渡り、火龍王の玉座たる狼牙北方山脈の地底奥深くに眠る地底火山を守る出城として、14を数える大海戦の舞台となり、一万を超える戦船と、百万を越える勇者達を海の藻屑へと変えて尚も、難攻不落の海上要塞として君臨しつづけた。
正視できない凄惨な戦いと心が折られる甚大な被害。
だがそれでも不屈の闘志で挑む人類連合軍は、暗黒期の終焉であるロウガ解放戦緒戦において、南方の雄ルクセライゼンやドワーフ国家エーグフォランを中心とする連合艦隊による15回目の島攻略海戦の戦端は開かれ、数多の犠牲の果てについに島へと初上陸を果たした。
島中央に開いた地獄への入り口。金の上位迷宮火口迷宮の迷宮主でもあった火龍王側近赤龍ナーラグワイズを、当時のルクセライゼン皇帝や、エーグフォラン国王にして最強の傭兵団金獅子団長が、命と引き替えに討伐を果たして、迷宮化を解除。
陸地側から進軍していた大英雄パーティを中心とした特攻隊を援護するための魔導砲艦隊を無事に送り込む下地を築きあげたが、その被害は過去の海戦と比べてもあまりに甚大であったという。
いつしか人々はここを悪夢の島と呼ぶようになっていた。
天気は快晴。初夏の日差しは眩しく、少し荒れだしているがまだ大人しい海面はキラキラと光る。
そんなさわやかな海には似つかわしくない、古びた、しかし頑丈で無骨な中型転血炉動力貨物船が海上を進む。
窓1つ無く、防錆塗料のはげ具合で修繕跡が丸わかりな船体。
甲板には操舵室と、荷の積み降ろし用に船倉に繋がる大きな扉がいくつかあるだけの簡素な作りだ。
船倉の1つは囚人護送用に改造されており、その中の檻の1つに、手枷足枷をはめ、得体の知れない汚れが残る床に直接座るケイスの姿があった。
手枷は闘気の発生を感知すると、強い電撃を流す魔具としての機能も持つ対探索者仕様となった特注品。
足枷の方も同様の仕掛けがしてあり、こちらは床に埋め込まれた大人の腕ほどもある留め具と鎖で繋がっている。
まだ幼いしかも一見美少女虜囚を捕らえておくには、大げさにもほどがあるが、ケイスの実体を知る者からすれば些か心許ない。
「なんか楽しそうだなケイス嬢ちゃん」
ロウガ治安警部部隊が1つ水狼隊長ロッソ・ソールディアは、その気になれば闘気が無くても素の力で鎖を引きちぎるか、刃物を持たせれば手枷くらい簡単に斬るんだろうかと思いながら、ニコニコと笑みを浮かべているケイスに問いかける。
船に乗った当初は、空っぽな船倉だというのに染みついた嫌な匂いに顔をしかめ、やけに鼻をならして気にしていたが、そのうち何か納得がいったのか、大人しく座っていた。
今は大人しく虜囚となっているケイスがなにかやらかした際に、油断せずに全力で確実に捕縛できる戦力として、現役中級探索者でもあるロッソが護送役として選ばれたのだが、本人としてはあの時チョキを出していればと悔やんでも悔やみきれない。
せめてもう一人くらい犠牲者が欲しい所だったが、大華災事変のせいで燭華が閉鎖したことで、無許可の遊郭があちこちの街区で営業。怪しげな夜鷹も増え、それにまつわるトラブルが急増中。
猫の手も借りたい今のロウガで、ただでさえ人手不足の治安警備隊からこれ以上は割ける人材がいないのは、ロッソもよく判っている。
護送後は監獄長や看守達には、ケイスの取り扱い方をくどいぐらいにレクチャーしてから夕方の船でとんぼ返り予定だ。
「うむ。だってあの島は一般人立入禁止なのであろう。古戦場として有名な場所だから一度行ってみたかったんだ。こんな僥倖を喜ばぬ者などおるまい」
そんな大人達の苦労や懸念は一切気にせず、高貴なお嬢様顔の化け物は、憧れの避暑地に行けると喜んでいるように口調が弾んでいる。
「この辺りじゃ、最悪だって評判の監獄に収監されるってのに、暢気だな。噂ぐらい聞いたことがあるだろ」
この化け物娘と付き合っていると、あきれ顔がデフォルトになってそのうち張り付くじゃないかという懸念をロッソはしていた。
悪夢の島と呼ばれ怖れられた島が、海底鉱山監獄として使われ始めたのは今から約四十年ほど前。
迷宮主だった龍は討伐され迷宮化も解除されたが、島全体に残る龍の気配が悪影響を産み出したのか、近隣の海には小魚1ついない死の海が広がり漁師は近寄らず。
また島近隣の海流も常に荒れているため、貿易船の航行ルートからも大きく外れていた。
何より死者が多すぎた。幽霊船が島の近くには彷徨っているという噂も拍車を掛け、戦後になっても誰も近づかない魔の島が出来上がっていた。
しかしこれを逆手に取った者達がいる。当時の闇密輸ギルド連合の面々だ。
他はともかく幽霊船が出るという噂も彼らが撒いた物で、実際に不用意に近づく船は幽霊船を装った彼らの船によって沈められていた。
いくつもの国の闇密輸ギルドが纏まった彼らにとって、誰も近づかない島は禁制品の取引場所として安全で、島に無数にある溶岩窟はその恰好の隠し場所となっていたからだ。
しかもその後、探検気分で深く潜った者がいたのか、ただ迷い込んだのかは知れぬが、いまだ地中深くには燃えたぎる溶岩がみち、有害な火山性ガスが溜まっている火口洞窟奥で、良質の宝石、鉱石が採れる鉱脈をいくつも発見したという。
これ幸いとばかりに、闇密輸ギルド連合は、自分達の商品の1つでもあった闇奴隷達を投入し、鉱山を開発。
コソコソ密輸をやるならばともかく鉱山開発などとなれば、さすがにばれそうな物だが、ロウガを初めとした近隣国家の高官や役人たちに、高価な鼻薬を効かせて、見逃させていた。
だがその裏では、劣悪な鉱山内環境によって多くの闇奴隷達が倒れ、崩落事故で亡くなっていた。それに耐えかねて島から逃げようとする奴隷も当然いたが、島近海の海流によって失敗に終わり、海にたどり着く前に捕まった者は、他の奴隷達への見せしめとして凄惨な処刑が行われた。
そんな彼らの悪行もついに海流を突破し、ロウガへと何とか泳ぎ着いた、名も無き奴隷によって終わりを迎える。
まともな食事も禄に与えられずやせ衰えた状態でロウガへと渡った奴隷は今際の際に助けてくれた探索者パーティへ、島の現状と、仲間達を助けて欲しいと懇願し力尽きた。
命を掛け海を渡った奴隷を偶然にも助けたパーティは、当時中級探索者だった現ルクセライゼン皇帝フィリオネスや、ロウガ警備隊隊長ソウセツ達のパーティ。
愛した者からの願い。民と共に歩む王の道を受け継いだフィリオネスや、自らの行いを恥じ生活を改め、ロウガの守護者となると誓っていたソウセツには、そのような悪行を見過ごす事など出来るわけが無い。
フィリオネス達は、友好パーティに声をかけ数を集めると、すぐに島へと向かいたった一昼夜で、密輸ギルド側の探索者達を打ち倒してみせる。
さらに返す刀で密輸ギルドの大半を壊滅させ、島で行われていた違法鉱山開発による犠牲者数と賄賂を受け取っていた高官達のリストを公開して、どれだけの地位にあろうとも関係諸国が処罰に動くしかない状況を作りあげたという。
その後、この事件によって発生した大量の逮捕者を収容するため、悪行は自らに返って来るという戒めのため、島の奴隷を収容する為の粗末な建物が補強され、監獄として用いられ、労役として危険極まりない鉱山開発が受刑者達には課せられることになった。
酒場で謳われる英雄譚の中でも好まれる定番の1つとなっている有名な話だ。
島の鉱山はこの四十年で掘り進められ海底よりも深い大深度にまで達しているが、未だ鉱脈は尽きず良質な鉱石や宝石を日々産み出している……数多の囚人の犠牲と引き替えに。
「うちの大将。ソウセツさんらの英雄譚じゃ綺麗に終わってはいるが、元々は無かった上に、どこの国も価値が無いからって所有権を主張してなかった島だからな。何とか落とし所として各国の共同管理ってことにして、鉱山の上がりは受刑者数に合わせて等分ってことにしたけど、管理がぐちゃぐちゃで、今は面倒な事になっているって話だ。看守も国ごとからの派遣で派閥があって、上がりに関わるからって、自分の国以外の受刑者をいじめ殺したって噂も絶えない場所だからな……んな、楽しめる所じゃないだろ」
国が違うためどうしても複雑な人事関係になり横暴な看守。死を伴う鉱山開発。
受刑者達が最悪の監獄として怖れ、ロウガの若い親たちが悪さをする子供に島送りにすると脅す定番にもなっているほど。
「中級探索者が何を言っているのだ。ちゃんとご飯も出て、寝る所もあるのだろ。ならば迷宮よりはずっとマシでは無いか。私的には斬り殺せるモンスターがいないのが不満だがな……ふむ。代わりに斬りたくなったら死刑囚を斬れば良いか。どうせそのうちに死罪であろう」
だが頭のおかしい謎生物なケイスは、地獄の監獄でも、迷宮内よりは環境はマシだと言ってのけ、自分が斬りたくなった時の代案として、手枷をはめているのに器用にぽんと手を打って名案だと頷いてみせる。
そのテンションの高さは、これから向かう先の説明を聞いても些か衰えることはない。
なにせロウガ評議会で島送りを言い渡された際、歓声をあげたくらいだ。そんな受刑者は今まで誰1人いなかった。
ここでも地味に史上初な快挙?を成し遂げたケイスの出自を知らないロッソには判らないが、ケイスの気分が高揚するのは仕方ないだろう。
攻略戦で亡くなったルクセライゼン皇帝はケイスにとって直系の先祖。その墓参りをする絶好の機会。
なにより四十年前の奴隷解放のお話はケイスが好む類いの英雄譚で、しかもその登場人物は大好きな父や祖父母、今は嫌っているが、それでも変わらない敬意も同時に持つソウセツに、いつか会って戦ってみたいと願っているロウガ前王女ユイナだ。
「ん。波が荒れてきたな! 早く島に着けば良いな!」
島に近づいた証拠にいきなり大嵐の中にでも飛び込んだかのように、上下左右に激しく揺れだした護送船も、ケイスにとってはお楽しみ前の前座の出し物扱い。
「……絶対斬るなよ。刑期が延びるぞ」
受刑者としての自覚が無いにもほどがあるケイスに、唖然とし、ようやく口から出て来た当然すぎるロッソの突っ込みも、今のケイスの耳には禄に届いていなかった。