燭華で起きる謎の発光事件は人的、物的損害は甚大ではあるが、全員避難も終わり被害が限定されてきた8日目の夜ともなると、物見遊山気分で燭華隣接区域へと繰り出す者が出ていた。
不謹慎と眉を顰める者もいるだろうが、ここロウガは活気に溢れると同時に荒くれ者も集う迷宮隣接都市。
迷宮探索中だった探索者の死傷報告や、街中での揉め事や刃傷沙汰などは、日常の一景色。
今回の事件にしても、自分や知人に被害が無かった者達にとっては、東域最大の歓楽街である燭華が閉鎖して、娯楽に飢えていた所にもたらされた、恰好の見せ物でしかない。
何せ英雄譚に謳われるあの上級探索者ソウセツ・オウゲンの能力開放状態での、戦闘を遠目とはいえ見物でき、しかも街区を区切る街壁に設置された結界防御機能で、身の安全は約束されているのだ。
燭華内に店を構える楼閣店主の中で目端の利く者などは、隣接街区の宿屋を貸し切ったりして太客を招いて、自分の店の遊女に酌をさせながらもてなすなど、閉鎖中でも出来る営業活動に余念が無い。
若手探索者達にとっても、上級探索者の本気の戦闘を見られる稀少な機会とあっては、それなりの数の見物人が自然と集まった状態で、8日目の夜を迎えていた。
だがこの夜、彼らが目撃したのは、前日までとは全く異なる光景だ。
不気味な地鳴り音が響いたかと思えば、何時もは妖しげな光を放ち化け物を産み出す花びらをはき出す、燭華のシンボルともいえる大華燭台がいきなり轟音と共に弾け跳んでしまったのだ。
しかも異変はそれだけでは無い。
大華燭台直下から水が勢いよく吹き上がり始め、隣接街区からでも見えるほどに、巨大な噴水が産み出されたのだ。
月明かりを受けてキラキラと輝く水の頂点部では、まるで花が散るように無数の火花が次々に瞬いては消え、さらに展開された魔力防壁に何かが当たったのか、様々な色を伴う爆発を引き起こしていた。
瞬いては消える火花や、絶えること無く続く爆発によって産み出された色取り取りの大華が咲くような神秘的な光景に、娯楽に飢えていた観衆達は大歓声をあげる事となる。
その歓声が詳細な被害が判明すると共に、倍以上の悲鳴へと変わることになるとも知らず。
噴き出していた水は地下水道から逆流してきた物で有り、有害なレベルで高魔力を含んだもの。
さらに噴水のように噴き上げた水は全体の一部であり、大半は大華燭台根元から出水し、大量の水は鉄砲水となって燭華に流れ込でいた。
それだけで無く破壊された大華燭台の残骸や、水の中に混じっていた金属片や瓦礫は、水の勢いに乗って、空中に様々な属性魔力を含んだ無数の破片となって打ち上げられており、ソウセツが建物の少ない外周部、展開された防御結界を産み出す街壁近くに弾き飛ばしていなければ、燭華の街中へと、即席魔術が無差別に降り注ぎ、燭華全域が壊滅状態となっていた可能性さえあったのだ。
夜が明けてから行われた被害調査では、鉄砲水によって燭華中心部の4割の建物や地下施設が浸水したり、崩れるなどして全半壊。
水が流れ込まなかった残り地域にも、あまりの数にソウセツを持ってしても、外周部へと弾き飛ばしきれなかった、魔力を含む細かな瓦礫の破片が降り注ぎ、大小の差はあれ、大半の建物が修復や、残存魔力除去を必要とする被害を生み出していた。
事件発生から三日後に出された初期被害調査報告書は、ロウガ評議会を大いに悩ませ、紛糾させる物であった。
燭華完全復興には、莫大な金額と、年単位の時間が必要だろうという簡易見積もりと共に、今回の一連の事件は、花びらが産み出す化け物に始まり、防御結界が産み出した大華のような爆発で終わったとして、【燭華大華災事変】という名称でよばれ、出所の定かで無い風評が溢れており、事態沈静化のため、早急な公式発表が必要だという意見が記載されていた。
「ふぁぁっ……さすがに2日続けてはきついわね」
コポコポと音をたてる火に掛けた製作途中の魔術薬を見ている内に、いつの間にやら眠気が強くなっていた大あくびをしたルディアは、しょぼしょぼしてきた目を揉みながら、昨夜から4錠目となる眠気覚まし薬を、口の中に放り込み飲み込む。
どうにも舌に残る苦い薬草の味と、喉が飲み込むのを拒否するえぐみが問題点だが、効果だけは確かで、ここ2日ほど徹夜続きで、ぼーっとしていた頭がすぐにすっきりしてくる。
巷の噂だけで無く、最近では公式でも燭華大華災事変と呼ばれるようになった、あの事件からは、既に半月ほどが過ぎた。
報告というよりも取り調べと呼んだ方がしっくり来るほど、しつこく詳細や事実確認を何度も問いただしてきたロウガ支部の呼び出しも先週でようやく終了。
晴れて自由の身になったルディアは、臨時休業の間に溜まっていた、本業の薬師としての仕事を再開していた。
しかし本来の生活に戻れたのは今の所、ルディアのみだ。
大衆人気のあるロウガ王女であるサナは、パーティメンバー全員と共に、燭華での瓦礫除去や残存魔力除去作業に参加し、今回の燭華大華災を防げなかったロウガ支部のイメージ回復に一役買っている。
ウォーギンと、ファンドーレは、実際に現場最前線にいた魔導技師と迷宮学者としてそれぞれの技能や知識を買われたことも有り、今もロウガ支部が行っている、金の迷宮跡地での現地調査に協力中で地下生活中。
ウィーは、今回はさすがに目だちすぎたので、故郷の面々にばれると面倒だからしばらく雲隠れすると、関係者以外立入禁止の燭華に密かに潜り込んで隠遁中。
そして何時ものごとく一番の問題はケイスだ。ケイスは今もロウガ支部で拘束され、処分待ちのまま据え置かれている。
今回の事件の発端が、ケイスが龍の血肉を地下水道に落としたのが切っ掛けだと報告するのは、ケイスが隠そうとしているだろう出自を含めて、事態を余計に複雑化させる可能性があるとして、ケイスを除いた全員が同意し、公表を主張しごねるケイスを何とか説得し、全員で口裏を合わせ隠匿している。
それでもケイスだけが今も拘束されているのはとある事情からだ。
原因となった魔法陣は、東方王国時代の遺物を、大英雄の1人火華刀が改良を施し、さらに東方王国派が利用していたという曰く付きにもほどがある代物。
さらには迷宮内から、火鱗刀と紅十尺という大英雄2人に縁の剣を持ち帰るという、おまけと呼ぶには大ニュース過ぎるおまけ付き。
まともに公表できない秘匿すべき情報が山盛りの上、もしその魔法陣を処理していなければ、被害は燭華だけでは無く、ロウガ全域に渡り、より大きなそれこそ都市壊滅さえ十分に考えられたという非常事態。
本来ならば諸々を含めて功績として評価されるべきなのだろうが、そうするにはあまりに燭華の被害が大きすぎた。
住民全員が避難し人的被害は皆無とはいえ、燭華はほぼ壊滅状態で、復興に莫大な資金と時間が必要となれば、詳細は公表できずとも、事態の解決に当たっていたロウガ支部関係者の中から、誰かが目に見える形で何かしらの責任を取らなければならない。
そんなジレンマに陥りロウガ評議会が責任転嫁で紛糾する中、燭華に魔力水を導くように私が提案したのだから責を負うなら私だと、馬鹿正直にケイスが宣言してしまったのが、よろしくなかった。
実体はともかく公式には一介の初級探索者でしか無いケイスに、普通ならば押しつけられる責任では無いのだが、大小様々な問題を起こして、巷に聞こえ始めていたケイスの悪名がその懸念に勝った。
あのケイスならば、頭のいかれた小娘ならば、狂人が何かをしでかした所為で、今回の大華災が発生したとしてもおかしくないと、街の者でも思う者が多いだろうと。
「あの馬鹿……なんでも正直に全部言えば良いってもんじゃ無いでしょうが」
薬の飲み過ぎか、それともケイスが原因か。どちらが原因ともつかない胃の痛みをルディアは覚える。
正直なのは美徳であるだろうが、今回は事が事だ。ケイスと違い真の意味で一般人であるルディアでは、出来る事など皆無。
しかもケイスは、ロウガ支部や評議会にとっては、好ましくない表沙汰に出来ない問題を次々に起こしている要注意人物。
この機会に排除しようと思う者がいてもおかしくは無い。
サナが復興支援にでているのも、ケイスへの処分を少しでも軽い物とするためだ。
ケイスの後見人である大英雄フォールセンがいれば、事態はもっとマシになっているだろうが、フォールセンは今は極秘にロウガを離れ、サナの祖母である前ロウガ女王と供に中央の管理協会本部へと赴いている。
支部職員であるガンズやレイネも動いてはくれているが、政治力という意味ではかなり弱い。
さすがに死罪という事は無いだろうが、どういう処分が下るか。予断を許さない状況は続いており、ルディアに出来るのは軽い処分で済むことを祈るのみだ。
ケイスの心配で気もそぞろになっていたルディアは、焦げ臭い匂いが漂っていたことに気づくのが少し遅れる。
甘さを伴う焦げ臭さに慌ててみれば、薬を煮詰めていたビーカーの火が強すぎたのか、少しだけだが底が焦げていた。
僅かな焦げだが、こうなってしまうと薬としては使えない。この二日間の徹夜は全てご破算。もう一度最初からだ。
「あーもう。今日はもう飲んで寝る!」
幸い納期まではまだ日があるので間に合う。
これ以上徹夜を続けるのは、集中力も続かず無理なので、とっておきのワインでも開けて、がぶ飲みして死んだように眠ってやろうかと、その燃えるような赤毛が栄える頭をテーブルに突っ伏していると、ドアベルが鳴る音と共に勢いよく扉が開かれ、誰かが飛び込んでくる。
顔を上げてみれば店に飛び込んで来たのはサナだった。
どうやら作業の途中で抜け出してきたのか、服や翼には泥がついたままだ。
「ケイスさんの処分が決まりました! 重大な過失を起こした責任として禁錮二ヶ月だそうです!」
大きく乱れた息で告げたサナの顔は酷くこわばっている。
サナの告げた禁錮二ヶ月は、ルディア達が予測していた中では軽い処分に当たる物だ。
それに二ヶ月後には次の始まりの宮が開く。
その頃までケイスを拘束できれば、ケイスが初級探索者でありながら、赤の迷宮を完全踏破し続けて、既に下級探索者になってしまったことを、世間一般には隠匿できる。
普通ならば、次の期を待たず下級探索者となった事も、世界初の快挙として功績として語られる類いの物だが、どうしてもそこには赤の迷宮を次々に踏破した化け物レッドキュクロープスと、他国の貴族殺しが付きまとう。
来期の探索者志望者への悪影響も考えて、これらの事実を隠したいと考えるロウガ支部の思惑も見てとれる処分だ。
しかしサナの表情は、どうみてもそれだけではすまないと如実に語っていた。
視線で続きを促したルディアに対して、息を整えたサナは恐れを大いに含んだ口調で告げる。
「拘禁場所は、ロウガ沖合の海底鉱山監獄だそうです」
「はぁっ!? ちょ、ちょっと待ってください!? なにを考えてるんですかロウガ評議会は!? 島送りする気ですかケイスを!?」
サナの告げたケイスが2ヶ月間の間拘束される場所を聞かされ、その恐れの意味を悟ったルディアの眠気が一気に吹き飛ぶ。
通称で【島送り】と呼ばれるロウガ沖合、数時間ほどにある島に作られた海底鉱山監獄は、ロウガのみならず近隣諸国が合同管理する流刑地兼処刑場を兼ね備えた犯罪者収容施設。
数十年単位の刑期を言い渡された常習犯罪者や、闇ギルドなど犯罪組織に属する者、政治犯や殺人犯など、重犯罪者が収容されている。
どう間違ってもたった二ヶ月の禁固刑のケイスが送られる場所ではない。
だがルディアとサナの恐れはそこでは無い。
「ケイスさんの問題行動の多さと、人並み外れた才能を鑑みて、劣悪な監獄を一時的に体験させる事で、この機会に大いに反省させ修正を試みようという主旨らしいです」
自分で言っていて頭痛を覚えたのか、サナが額を抑え首を何度も振る。
確かに不良少年、少女の更生目的で、監獄の実情を見せたり、収容体験をさせる事もあるが、ケイスをそれらと同レベルで語るのは、大いなる勘違いにもほどがある。
「いやいや。だって噂じゃそこ極悪犯の巣窟ですよね……そんな所にケイスを突っ込んだらあの馬鹿、収容犯が気にくわないからって、その日のうちに全員を叩き殺しますよ。すぐに支部に行きましょう。かなりまずいですよ!」
眉をしかめたケイスが斬り殺しまくる姿が容易に思い浮かぶというのに、ロウガ支部は、評議会は何故に思いつかないと焦ったルディアが、なんとしても食い止めようと立ち上がるが、サナが絶望的な表情で首を横に振る。
「既に今朝早くケイスさんを乗せた特別護送船が、ロウガ港から出航したそうです。手遅れです」
「……本気でなにを考えてるんですかそれ提案した議員は。自分から蜂の巣に頭を突っ込んだようなもんですよ。頭おかしくないですか」
ケイス+極悪犯多数。これで騒ぎにならないわけが、大被害が出ないわけが無い。そんなのちょっとでもケイスに関して知っていれば誰でもわかる話だ。
ケイスを、あの化け物を、一体何だと思っているのだと、ルディアは正気を疑いたくなる。
「正直、まだ自分から蜂の巣に頭を突っ込んだ方のほうが、私は正気を保っていると思います」
ルディアとサナの顔からは血の気が失せ青白く染まっていた。