鳴りやまぬ落水が奏でる音に重なり、刀、槍、拳、矢が、迫るガーゴイルを弾き、砕き、撃ち落とす破壊音も負けじと響く。
前衛を引き受けているセイジ、サナ、ウィー、ブラド達4人が四方から襲いかかって来るガーゴイルを通路からたたき落としながら、張り巡らされた点検用通路を進軍し、その後方に後詰めとしてレミルトが弓で援護をする態勢をとっている。
ガーゴイル達は周囲に漂う魔力を取り込み、己の武器と変えているが、その放出位置は爪と牙だけに限定される。
なら当たらなければ、もしくは当たる前にたたき壊せば問題無い。
前衛組が動くたびにガーゴイル達は破壊され、そして周囲に漂っている見えない魔力塊は、彼らの身体や武器に当たるたびに弾かれ、避けていく。
彼らの振るう武器や拳、そしてその全身には、好古による護符と、ルディアによる魔術薬によって水属性魔力が付与されており、その加護により周囲を漂う浮遊魔力を一時的に弾き飛ばす事が出来る効果がもたらされていた。
周囲を漂う魔力は様々な属性を内部に宿していて、触れれば極々弱いが魔力攻撃を受け他のと変わらず、下手に魔術を放つと干渉し、過剰に威力を発揮したり、逆に消滅するトラップとなっている。
属性の異なる魔力は通常状態では干渉しあい、長時間、同一空間に留めておくのは難しいのだが、ここではそれが可能となっている。その絡繰りは、この空間を漂う異なる属性魔力の周囲を、水属性魔力の膜が包む形で形成し、同属性魔力で互いを反発させ分離状態を維持するというものだ。
水魔力の膜さえ突き破らなければ、中の魔力が外に出ることも、それに反応して魔術が暴走する事も無い。
「とりあえずそろそろ何とか交代を入れてけ。効果がきれる頃合いだ」
その事に気づいて対策を考案したウォーギンは、移動しつつも魔力観測用の眼鏡で上方を観測しながら、残り効果時間に注意を発する。
今も落ちて来る水を受け止め違う音を奏でながら、水属性魔力で包まれた異なる魔力を発生させ続けている大水瓶を見上げながら、この施設の全体構造の把握にいそしんでいる。
一方で魔力的な意味では無く、構造的意味で周囲を把握し、この先の通路や進行方向を指示しているのは、迷宮学者でもあるファンドーレだ。
周囲を漂う魔力塊によって邪魔され探査魔術は使えないが、構造の様式からある一定の法則が出来ていることを見抜き、そしてそれによりガーゴイルの出現ポイントも大体把握が出来てきたので、早々不意打ちを食らう恐れも少なくなってきていた。
「次は右側に曲がる。その先に階段が有る。その途中で前方に数体。左壁側にもいくつかいるはずだ」
大きな円筒状となった内部には、蜘蛛の巣のような横通路が空中に張り巡らされ、側面側に上階や、壁面に取りつけられた様々な大水瓶へと昇るための階段が設置されている。
上手く上に上れる通路へと行ければいいが、違う通路を選ぶと、昇った先が大水瓶へと繋がる行き止まりとなっていて、余計な回り道をさせられる。
光球が使えず暗い上に、似たような構造ばかりで迷いやすい構造は、まさに迷宮だ。
だが周囲に漂う魔力塊の謎が解き明かされ、迷宮構造もガーゴイルの出現法則も判明してきた今の彼らにとっては、足元が滑り少しばかり大変ではあるが、苦戦するというレベルではない。
破竹の勢いで上方に向かってひたすらに進軍を続ける。しかしそのがむしゃらに上に向かうのにも、それなりの理由がある。
ただひたすらに上に向かって進む仲間達の戦いを、直接戦闘能力では劣るので後方から追いかけるルディア達と一緒に、ケイスはぶすっとした顔でただ見て追いかけているだけだ。
別にケイスは戦闘不能な怪我を負ったわけでは無く、むしろ自分だって戦いたいのに、出ると邪魔だからと、後方待機を厳命されていた。
「むぅ。ずるいぞルディ。補給交代の時くらい私がでても良かろう」
「しつこい! 魔術抵抗ないあんたじゃ、薬も、護符も悪影響が出る可能性が高いんだから大人しくしときなさい!」
小走りで移動しながら、浮遊魔力対策用の防御魔術薬を合成するという面倒にもほどがある状態に陥っているルディアは、もう何度目かも判らないケイスの文句を即時却下する。
ルディアの薬にしろ、好古の護符にしろそれらは武具や身体表面に水属性魔力を纏わせるという物。
即席で作ったので効果時間は短く、安全面でも対策はほとんどしていない。
それでもさすがに普通の者なら、よほどの長期間でも使用しない限り、酷い影響を受けない程度には安全性はあるが、魔力を持たないケイスでは5分も経てば、水属性魔力の影響を強く受け、体内の血が薄まって倒れるか、最悪皮膚全体が溶解崩壊しかねない代物だ。
ケイスの戦闘能力は群を抜くが、下手に防御手段を使うわけにもいかないので、今はとりあえず温存。
ルディア達後方集団の中心において、周囲を漂う魔力から、ケイスをカバーするというのが一番効率的という結論だ。
もう少し時間があれば、外にだけ魔力放出を向けたケイス用に調整を施す事もできるだろうが、あいにくその程度の余裕さえも今の彼らには与えられていなかった。
「むぅ……水の勢いがまた少し上がった。4つ下まで上がってきたぞ」
頬を膨らませたケイスだったが、羽の剣を握る右手に力を込めると、視線を足元にちらりと向ける。
通路の下は真っ暗闇となっていて底は見通せないほどに暗いが、羽の剣を通じ周囲の水位が急激に上昇をしていると、ケイスは感じ取っていた。
移動しながら薬や護符を作らねばならないほどに、時間が追い込まれたまずい理由。それは足元から徐々に水がせり上がってきているからだった。
4つ下の階層を通過したのは10分ほど前。もう少しもたもたしていたら、足元を水で覆われさらに移動しづらく、戦闘に支障が出る状態となっていただろう。
「やれやれ。もう上がってきおったか。墨が乾く暇も無い。このままではあと2、3階層で追いつかれようのぉ」
迷宮入り口で対策や準備を話し合っていたときはまだかなりの距離があったが、それはこの数時間でほぼ無くなるほどに縮まっていた。
今までの水かさが増す勢いからも考えて、好古の予測したそれはまだ楽観的なほうだと捉えても良いくらいだ。
「薬師殿。今からでも水中呼吸薬は準備できるかの?」
「無理です! この下の水って魔力飽和水の可能性が高いんですよね! んな高魔力環境下でまともに稼働する魔術薬は作れないですって!」
ダメ元で尋ねてみたのか、ルディアの答えに、好古はやはりという顔を浮かべ仕方無しと頷く。
魔術薬とは繊細な作りとなっており、その状況状況に合わせて細かな調整も必要となるときも多い。
水中呼吸薬にしても、淡水と塩水で多少成分は違う位だ。ましてやただの水ならともかく、今足元からせり上がってくる水は、限界まで魔力を含んだ魔力砲和水の可能性が高い。
下手に薬を用いても、何が起きるか判らず使うのは絶対に避けたい状況だ。
「ったくどっから魔力を引っ張って来てんだここは。魔力飽和水を、周囲の形状の違う水瓶に落として、違う音階、一種の呪文として奏で、属性の違う魔力を大量発生。しかも水属性魔力で包んで同時存在させる。余った水で囲んで、水中に沈んだ浮遊魔力を極限まで圧縮させてさらに詰め込めるようにする。効率が悪いにもほどがあるが、アホみたいに単純に作りやがったな」
かなり状況的にはまずいのだが、技師としての血が騒ぐのか、ウォーギンは文句を言いつつも実に楽しげだ。
100の強さを持つ1種類の魔力と、1の強さを持つ100種の魔力。
両者ともトータルでは同じだけの強さは持つが、それを自在に操ろうとした時に格段に難易度が上がるのは、そしてその分、様々に応用して使えるのは後者の方だ。
この水が奏で出す巨大過ぎる空間は、複数の異なる属性の魔力を存在させ、何らかの高度な術を発動させる目的のために作られた巨大な魔具である。それがウォーギンの見立てだ。
もっともそれが判ったとしても、肝心の術の効果や、どの程度の魔力で発動するかは、まだまだ不明だ。
時間があればつぶさに観察して、予測も立てられるかも知れないが、それも命有っての物種。
今はとりあえず生き残ることが最優先だ。
しかしだからといって、水が上がってきてとりあえず下には行けないから上に向かうという場当たり的な対応をしているわけでは無い。
迷わず上を目指したのは、ケイスがぶ厚い水のベールの向こうに感じ取った気配。
正確にはケイスが額に装備した赤龍鱗とそこに宿るノエラレイドの魂が、同じ属性の気配を上の方から、しかも1つや2つでは無い複数を感じ取ったからだ。
この迷宮は金の迷宮。それは神印宝物が有る証。そしてそれ自体が迷宮主と化した状態で。
あまりに都合が良すぎる上に、色々と疑問が残るが、状況的にその神印宝物の予測もついている。
それは赤龍人と化した人達の鱗をまとめ作られた呪物。華凜刀もしくは火鱗刀と呼ばれた一振りの刀だ。
ケイスが何度却下されても、戦いたくなってきているのは、その気配が徐々に強くなっているからに他ならない。
慌てるルディの右手をあいている左手で掴んだケイスは強く握る。
「慌てるなルディ。上に上がるのもそろそろ終点だ……気配が強まった。ファンドーレ! 天井が近いぞ!」
周囲に漂う濃い水の気配で相変わらず感覚の大半は遮られているが、それでもケイスの額が赤龍鱗が熱く熱く燃えるように訴える。
敵がいる。強き者がいる。龍が居ると。
そのケイスの予言はすぐに当たる。
二つ上の階層にあがり、すぐ下の階層まで水が上がってきたせいで、あれほど響いていた複数の水音が、一つの音に減ってきこえてくるのとほぼ同時に先頭を進んでいたセイジが階段の終点と、硬く閉ざされた大扉の前へとたどり着く。
上がってきた勢いのままブラドが体当たりを掛けるが、門はびくともしない。
「閂は見られませんが開きそうにはありません。開閉装置を探しますか?」
金属製の両扉には取っ手も無く、ここ数年、下手すれば数十年近く閉ざされた状態であったのか動いた形跡さえない様子だ。
ケイスも素早く門の周辺を確かめるが、それらしい機械設備は見当たらない。
扉に刻まれた紋様を確かめていたウォーギンが違和感の篭もった声をあげる。
「妙だな。ここまでの設備は旧東方王国系の技術がメインだ。だけどこの門だけが様式が新しい。つっても、40,50年前くらいの技術、いや、にしちゃちぐはぐな懐古的な術式だな」
「ふむ。気にはなるが緊急避難だ……斬るか?」
「水が入ってくるかもしれないじゃないですか。ケイスさん。貴女は後先を少しは考えてください……この形式の門の解錠には私が心当たりがあります」
せっかく上がってきたのにここで扉を開けられず水死などはケイスの望む未来ではない。開かぬならば、いっそ斬るかと剣を構えようとしたが、その手をサナが止め門の前に立った。
ウォーギンの言葉に僅かに表情が硬くなったサナの様子に、ケイスは違和感を覚える。
どうやら解錠方法を知っているようだが、どうにも望まない顔をそこに見出したからだ。
「説明は後で……私達ロウガ王家にとって、あまり好ましくない人物、組織がどうやらここには関わっていたようです……開けます」
しかし今はサナは話している場合ではないと思ったのか、それとも長くなると考えたのか最小限に留め、親指を噛んで血を滲ませるとその指で門の中央に触れる。
血を鍵に用いた古典的な魔術門はサナの血に反応したのか全体が一瞬光り、今まで微動だにもしていなかったのに、内側に開いていく。
扉が開いた瞬間、一瞬でケイスの全身に警戒心が浮かび上がり、そしてそれ以上の闘争本能がかき立てられ、右手に羽の剣を構え、左手に防御短剣を引き抜いた二刀へと自然に戦闘体勢へと移行。
仲間達へと突入の声もかけずに真っ先に飛び込む。
そうしなければならない。まずは最初の一手を防がなければならない。
そうケイスの本能が告げていた。
扉の隙間から転がり込むように飛び込んだケイスの目に写ったのは、闘技場にも似た広い円形の空間だ。床の上には複雑な積層魔法陣が立ち上がり、妖しげな光を放っている。
魔法陣の光りがあるおかげで、部屋全体を見通すには苦労は無い。
周囲の壁には、今ではほとんど見なくなった東方王国様式の大鎧と呼ばれる、古代甲冑がまるで生きているかのように、魔法陣を守るように数十体以上が整然と並べられている。
その魔法陣の中央。そこにはガラス製だろうか、透明な筒が部屋の天井から床を貫き、その中を轟々と大量の水が流れていた。
どうやらあそこは部屋の中心であると同時に、この巨大な魔具全体の中心として機能しているようだ。あの魔法陣が水に無限ともいえる魔力を与えているのだろうか。それとも別の効果が有るのだろうか?
その魔法陣の前には空中に浮かび上がった半透明の人影が一つ。
意識は無いのか首をこくんと前に倒した古い服装の少女は、ケイスも見知った者。ヨツヤ骨肉堂の看板幽霊として知られたホノカだ。
ホノカの周囲には、風も無いのにキラキラと赤く光る何かが、無数の花びらのように舞っていた。
部屋に飛び込んで1秒にも満たない時間でケイスが周囲を確認し終えると、まるでそれを待っていたかのように、ホノカの周囲で舞っていた花びらが、一枚一枚が剃刀のように尖った赤龍鱗数百枚が一斉にケイスに向かって飛んでくる。
「レディアス二刀流! 重ね風花塵!」
とっさにケイスは普段は隠している、もう一つのもっとも慣れしたんだ二刀流技を解放する。
ただ剣で弾くだけでは防げないと本能が訴えたからだ。
左手で振った防御ナイフによって音の速さを超えた衝撃波の壁を産み出し、さらに間髪入れず右手の突きも音の速さを超えて打ち込み、重ね合わせた衝撃を崩して、衝撃波の残骸による壁を産み出す。
相手の力を利用し返す迷宮剣技フォールセン二刀流でも、闘気による強化を前提にした剛力無双の邑源流でもない。
ケイスにとって第1の剣技にして、もっとも得意とする卓越した技量によって産み出す技巧剣。防御に長けた技が多いレディアス二刀流は、今までケイスがひた隠しにしてきた、己の出自に直接に繋がる剣にほかならない。
爆音と同時に産み出した結露を纏った空気が、その技名のごとく花が散ったかのように前方へと広がる。
とっさに音壁を産み出して稼いだ僅かな時間で、ケイスは扉前から横へとステップして、その動きを追いかけてくる攻撃から逃げつづける。
ケイスがほんのつい今し方蹴った床を抉り赤龍鱗が刺さり、さらに高熱を持って床を溶かし斬り、跳ね上がり元の位置へと戻っていく。
連続で斬りかかってくることは出来ないようだが、数が数だ。しかもあんなものに一瞬でも直接触れていれば、骨ごと焼かれかねない。
だが戦闘開始からまだ2秒ほど。未だ状況を把握出来ていない仲間達が後ろにいる。ならば突っ込む。
「火鱗刀だ! 私が最初は引き受けるから矢弾きの術をはれ!」
未だこちらを見ようともしないホノカに向かって方向転換。頭の中に浮かんだ対策を怒鳴り、仲間達に伝わったかも確認せず、後方を振り返りもせず、突っ込む。
火鱗刀の攻撃は、数は多く切れ味も鋭く特殊能力も持つが、一つ一つは小さい。あの大きさ、速度ならば、ちゃんと張った矢弾きの魔術で防御できるはず。
今の一撃には剣技などと呼べるものは無い。ただ侵入者のケイスに向かって矢雨のように振らせただけの、技量も、意思もない、ただの、そう。ただの攻撃。
それが気にくわない。
相手は火鱗刀。伝説にも謳われた、大英雄が1人火華刀の愛刀。
なのに、いくら慣れ親しんでいるとはいえ、とっさに数年ぶりに出した一撃で防げていいはずが無い。
防がなければ死んでいたという事実はさておき、防げてしまったことにケイスはこの上なく腹が立っていた。
「火鱗刀ほどの名刀を使って今の一撃か! 私を舐めるなホノカ! 意思があるかどうか知らんがとりあえず斬られたくなければ、もっとまともな一撃を放て!」
せっかく火鱗刀とやり合えるというのに、いきなり期待はずれな攻撃をされて、戦闘馬鹿はこの上なく激怒して、実に自分勝手にもほどがある暴言を吐いていた。