「あーもう! ケイス速すぎ!」
長身のルディアが大きめのスライドで追いかけているというのに、迷宮へと飛び込んだ小さな背中はみるみるうちに離れていく。
ケイスが行うのは、闘気を足元に叩きつけて速度を稼ぐ戦闘歩法。あれを使っているときのケイスは直線的な速さだけなら、獣人にも匹敵する移動速度を稼ぎ出す。
ケイスから少し遅れてルディア達も、口を開けた扉から迷宮へと、不本意ではあるが侵入する。
飛び込んだ先の通路は、サナとルディアの二人が横並びで走ると肩が当たるほどに狭く、手を伸ばせばあっさりと天井に手が着くほどに低い。
燭台用の灯り置きが規則的に配置されており、水が通っていた痕跡は無く、迷宮化する前は点検専用通路としてでも用いられていたのだろうか。
とっさに飛びだしたので先行してしまったが、ケイスに追いつける可能性があるウィーかブラドに先頭を譲ればよかったと今更ながらに思うが、この狭さでは交代さえも難しい。
「いっそ拘束魔術を使いますか!?」
「無効化魔具を使ってくるだけ! 無駄撃ちさせるのも先を考えれば不安です!」
飛ぶことが出来ず窮屈そうに翼を畳んで横を走るサナの提案に、ルディアはすぐに首を横に振る。
自身が魔力を持たず、魔術攻撃に致命的な弱点を抱えていることを誰よりもよく知っているのはケイス自身。
対抗策にウォーギンに作成させ身につける魔術無効化魔具は幾種類にも及ぶが、それらは強力ではあるが、魔力吸収物質を撒く爆裂ナイフのような1回限りの使い捨て魔具や、邪視等を防ぐ仮面型の転血石動力魔具と、使用回数制限がどうしても付きまとう物ばかり。
迷宮入り口で同士討ちでいきなり消費して、肝心な時に足りないとか、魔力切れとなっては、あまりに馬鹿馬鹿し過ぎる。
となると結局は今現在出来る事は言葉で止める事くらいしか無いのだが、言葉くらいでケイスが止まる訳がないとも判っている。
それでも、言わずにいるのも業腹。
そうこうするうちに、通路の終端が見えてきて、響き続けていた音がさらに激しくなった。
広い空間が、迷宮本体がこの先にあることを感じさせた。
今の勢いのままだと、数秒だけだがケイスは単独で迷宮へと突っ込むことになる。何が待ち受けているかも判らないというのに。
「この馬鹿! ちょっとは慎重に行動しろ!」
制止よりも、文句の成分が倍以上に多い言葉をルディアが発すると、初めてケイスが反応しちらりと後ろを振り向いた。
不機嫌そうに頬を膨らませたケイスは、折りたたんで懐にしまっていた羽の剣を一振りして伸ばし、足元に好き刺すと、そのまま無言で前に向かってさらに加速を始めた。
通路に突き刺さった羽の剣は、ケイスが前に進むのに合わせて、刃先辺りから前方へと折れ曲がる。
「みんなストップ!」
それを見た瞬間、ルディアはようやくケイスの意図に気づき、とっさに足を止め、横を走っていたサナのマントを掴み制止した。
(むぅ。気づくのが遅い!)
後ろから追っかけてきていた仲間達が、ケイスが先ほど危険を感じて残した羽の剣前でようやく足を止めた事を察知し、胸をなで下ろしながらも、ケイスは心の中で不満を覚える。
別に同期が亡くなった怒りで我を忘れたのでも、焦りから先走ったのでも無い。
現状わかっていた情報。そして踏破すべき迷宮が初級最難度に分類される金の迷宮だと判明した段階で、もっとも手早く有益な手を考え、そして実行したに過ぎない。
迷宮でもっとも危険なのは入った直後。最大まで警戒を高めていても、予想外の事象で手痛い目に遭うのは、探索者にはよく有る話。
ましてや相手は全ての要素を併せ持つの金の迷宮。
まず自分が真っ先に迷宮へと飛び込み、危険度を、最短時間で計るという、単純明快な方法を。
どうせそれを伝えても、単独先行偵察はルディアやサナ辺りから危険だと反対される。
だがやることに変わりはないし、方針を変える気も無い。話す時間が無駄なら、だったら何も言わず、実行した方が手っ取り早い。
(生物的熱反応は無し! 水温が相当冷たい気をつけろ嬢!)
ノエラレイドの警告と同時に、侵入した迷宮本体は真っ暗闇でなにも見えない。暗闇の中、幾重にも重なって聞こえてくる水音が反響しあって耳が痛い。
目の前にあるはずの自分の手さえ見えない暗さと響いてくる音が、空間認識を惑わし、足元をおぼつかなくする。
手探りで面当てをおろしながら組み込んだ仮面型魔具の暗視機能を発動。視界が昼間のように一瞬明るくなるが、即座にノイズが走り、仮面型魔具が機能停止する。
再度触ってみたが再稼働しない。
機能消失する直前の反応から考えて、ここが魔力吸収帯で魔力が瞬時に尽きたという感じではない。
さらに魔具の不調に続いて、全身に様々な痛みが襲いかかる。
右手は火に炙られたかのように熱く、逆に左手は熱を奪われ動きが鈍る。
背中は痺れる痛みがはしり、両足はなにも触れていないというのに、浅いが無数の裂傷が一瞬で生まれる。
複合的な痛みが発生する攻撃を受けた痕跡は、今の所感知できていない。
だが原因を模索するのは後だ。
周囲の景色が見えたのはほんの一瞬。
天から降り注いでくる巨大な水滴と、落ちてきた水滴を受け止める、段々畑のようにいくつも設けられた小さな貯水槽。
それぞれ独特の形をしている貯水槽に、水滴が落ちるごとに、水しぶきが飛び散り、微妙に違う音が響き渡り、反響して交じり合う。
ケイスが走る通路の周囲には水面から伸びた柱がいくつか。その柱の上には異形な怪物を模した石像が佇んでいた。
炎のたてがみを纏った魔犬でも模しているのか、やけに細やかな造形を施された石で出来た化け物達。
見えたのは一瞬。だが一瞬だけ有ればケイスには十分。そして一瞬でケイスは脅威を認識する。
魔具の不調も身体の痛みも後で考えれば良い。
両足を襲う小さな痛みに顔をしかめつつも、通路を蹴って別の通路へと飛び移る。
直後に、つい今し方までケイスが立っていた場所に、何かが飛びかかり、ついで閃光を放つ雷撃が水面を走る。
激しく響く水音に混じって聞こえるのは、通路を蹴るやけに重い音。
雷撃の閃光で一瞬だけ捉えたのは、先ほどまで柱の上に立っていた異形な怪物の姿を模した石像。
それがまるで生物のように動き出して、ケイスに襲いかかってきていた。
よく見るような宗教上の悪魔を模した物では無いが、あれは動く石像。いわゆるガーゴイルの一種だろう。
(視認した敵はガーゴイルが4体! ノエラ殿位置は判るか!?)
(近づいてこなければ無理だ! 水しぶきが邪魔な上に、奴等は冷えているぞ!)
水しぶきによって探知が妨害される上に、ガーゴイル本体が冷えている所為で、ノエラレイドの感知速度は落ちているようだ。
ならばと、ケイスは意識を集中させ耳を澄ませ、両手に2本ずつ投擲ワイヤーナイフを引き抜く。
重すぎる足音を頼りに、指先の動きで投擲方向を調整して予想する進行位置へと向かって、両手を振って4本のナイフを同時投擲。
ワイヤーを伸ばしながら飛翔したナイフが、それぞれの標的に命中。しかし硬い石材に覆われたその装甲を打ち破るまでは勢いが足らず、あっさり弾かれる。
それもケイスの計算の内。指先を再度動かし、ワイヤーを少しだけ波打たせる。
波打ったワイヤーが、石像の装飾部分へと引っかかったと、僅かな抵抗を感じ、
(お爺様! 形状変化!)
接続通路へと残しておいた羽の剣へと繋がる腰につけていたワイヤーを通して、闘気を送り込む。
「い、いきなり! ごほっ! 何を!」
「すみません! 説明は後で! ウィー! 前に出れる!?」
「ごめん! ちょっと無理!」
とりあえず何とかサナを止められたが、掴んだのがマントだったため、首が絞まって咳き込むサナに謝りながら、この後の予測をしたルディアは、ウィーを最前列に呼ぼうとする。
しかしルディア達のすぐ後ろにいるのが、大柄な熊の獣人のブラドなので、さすがに即座に前に出るのは難しいようだ。
しかも事態は、ルディアの予測よりも速く進行する。
先ほどケイスが飛び込んだ迷宮本体で落雷のような稲光が奔ったと思えば、そのすぐ後にはバネ仕掛けのオモチャのように、迷宮側を向いていた羽の剣が、入り口側に向かって勢いよく跳ね返る。
見れば羽の剣の柄頭には、ケイスがよく用いるワイヤーがくくりつけられており、迷宮に向かって真っ直ぐ伸びていたワイヤーがたるみ、迷宮から何かが、洒落にならない速度で飛んでくる。
身体を丸めて飛んでくる物体。他でも無いケイスだ。
羽の剣の変幻自在な形状変化特性を用いて、いろいろとケイスがやっているので、ルディアには予測はできたが、判っていてもさすがにこの短時間で対応するのは難しい。
ケイス本人は小柄で軽量だが、軽鎧を身につけ、他にも武具でフル装備状態。投石機で飛ばされた石弾とさほど変わらない。
魔術による防御壁で防げば、こっちが無事でも、さしものケイスでも大怪我は免れない。
ウィーなら互いに怪我が無いように受け止めることも出来るが、ルディアにはさすがに無理だ。
しかもこの狭い通路では避けるスペースも無い。
せめて距離があればケイスならどうにかするだろうが、ルディア達が近づきすぎてしまっているのでどうにもならない。
この先の戦闘を考えるならどうするべきか。
しかしそれなら考えなくてもすぐに判る。
サナを守るためにも1歩前に出たルディアが自分を盾にしようとすると、顔の横から大きな腕が伸びる。
すぐ後ろにいたブラドだ。
五指を真っ直ぐ伸ばしたブラドは、勢いよく跳んできたケイスに触れると、腕全体を引きながら同時に指を少しずつ下げて、ケイスをふんわりと受け止める。
そのまま勢いを完全に殺して、ケイスを通路へと降ろすとほぼ同時に、通路の先、闇の中で何かがぶつかり派手に壊れた破砕音が4つ響いた。
「積み卸しの荷よりは軽いからまだマシだな。無事かケイス嬢?」
「ん。ガーゴイルがいたが壁に当てて破壊したから問題無しだ。どうしたルディ。呆けて? ブラド殿がいるから心配する必要はなかったぞ」
どうやらケイスは隊列から対策も織り込み済みだったようだ。しかし、さすがにいきなりでそこまで判断しろや、心配するなは無理がありすぎだ。
「うっさいこの馬鹿! せめて心配ぐらいはまともにさせなさいよ! あーもうあんただけは」
脱力したルディアが、それでもケイスを立たせようと右腕に触れた途端、ケイスが僅かに顔をしかめた。
その表情の変化に気づきしゃがみ込んだルディアが、ケイスの袖をまくってみると、赤くなってごく軽度の火傷を負っていた。
しかし服や鎧の手甲には火で炙られた痕跡など無く、不可思議なことにその下の皮膚だけが赤く腫れている。
「これはガーゴイルにやられたのですか? とても直接的な戦闘による物とは見えませんが」
普通では無い怪我の状況に、サナもケイスが先行偵察に出ただけと気づいたようで、訝しげに推察を始める。
「右腕は火傷だが、左腕は軽い凍傷状態。背中側も火傷しているが、火よりも電撃系の魔術でやられた痛み。両足も細かな裂傷を少し負ったが、筋肉に力を入れれば塞げるレベルだ。背中は手が届かないから薬を塗ってくれ。ルディの薬と自己治癒力を高めれば1時間もあれば治るから問題はない」
手早く鎧を外したケイスが、仲間の目を全く気にせずそのまま上着を脱いで上半身の裸身を晒して、怪我を見せる。
「躊躇無く脱がないでよ。あー男連中は後ろを向くか下がってて。好古さん。符で痕跡って拾えますか? 魔術攻撃ぽいです」
「やってみよう。ほれほれ男共は邪魔よの。退くかしゃがめ。姫とセイジ殿には前方警戒を頼もう。最後尾のレミルト殿は撤退できるか一応の確認を頼む」
「さっき俺が最後に入ったときに扉が閉まるっていうか、通路ごと消えたから、無駄だと思うが一応見てくる」
入り口とはいえここはもう迷宮内。前後に広がって警戒態勢を作ってからケイスの治療を始める。
下も脱ぎそうな勢いだったので、それはさすがに止めて、裾だけまくらせてケイスの全身を見ると、確かに身体のあちらこちらに系統の違う軽い怪我が出来ていた。
左手は冷たくなっており紫色にそまり、背中にはみみず腫れ状になった火傷。両足の裂傷は細かな傷が無数だが、どれも浅く表面だけすっぱりと切れていて、ケイスが闘気によって治癒力を高めているのですでに塞がりかけている。
「微かに魔力痕跡があるようのな。奇妙なことにそれぞれ属性が違うも、攻撃といえるほどではなさそうだが。さてはて」
ケイスの傷口へと好古が当てた符の色が、それぞれ違う色へと変わった。
残留魔力反応は傷口に合わせた右腕火、左腕氷、背中雷と属性を示し、無数の裂傷を負った両足は風属性反応となった。
しかし、魔術攻撃にしては残存魔力痕跡が少なすぎる。
「風と言うことは、かまいたちに突っ込んだような物か……ふむ。ウォーギン。怪我とほぼ同時に暗視用魔具が停止した。何か判るか?」
「投げんな。おまえみたいに死角から飛んでくる物を受け取るなんて無理だこっちは」
ケイスが投げ渡した仮面が頭に当たったウォーギンが文句をいいながらも拾って、少しだけばらして点検を始める。
「転血石は残ってる……魔力は廻っている……おー。やっぱり自動防御対応用の魔力動線がきれてるな。切り替えが速すぎて対応しきれなかったか。となるとこの先まさかの多属性増幅炉かよ。そりゃケイスが顔以外に変な怪我をするのも不思議じゃねぇか」
ちょっと弄っただけだがすぐに故障箇所を見つけたのみならず、ケイスが怪我を負った原因にも合点がいったと頷く。
「なんだ故障理由だけじゃ無くて、怪我の方も判ったのか?」
「まぁな。簡単に言えばこの先で、目に見えないが複数の属性魔力の塊が乱反射してる。内部に魔力を止めながら、外部から注ぎまくって高める魔力増幅機構の1っぽいな。仮面の方は、暗視だけじゃ無くて幻視対応もあんだろ。感知したそれぞれの属性にあわせて対応を変える仕様だ。異なる魔力属性を次々感知して対応しきれずショートして安全機構が落ちたな。だけど仮面全体に魔力が残っていたから、顔だけは怪我しないですんだってところだ」
「むぅ。ならば対抗するだけの体内魔力を持たない私だけに影響が出ると言うことか?」
ケイスは魔力を持たない、生み出せない魔力変換障害。魔力影響をダイレクトに受けやすい体質。
攻撃魔術という形ではないが。属性を持つ魔力に触れた事によって、肉体に直接的な変化が生じたようだ。
幸い顔を覆った仮面には魔力が流れていたので無傷で済んだが、それが無ければ目にも何らかの被害が出ていたかも知れない。
「ならいいが増幅炉だって言っただろ。時間ごとにそれぞれの魔力が強まるはずだ。そうなると俺らでもいつまで耐えられるか問題だな。おそらく最大に高まるのは深夜だろうよ」
毎日深夜に地上の燭華では光体が発生して被害をもたらしている。
その魔力の大元はこの迷宮へと繋がっている。最大出力時刻が連動していると考えるの当然の話。
「技師殿の推測が当たっているのであれば、私達の魔術も予想外の動作を起こしそうではあるな。効果減少で済めばよいが、目の前で暴発となれば下手な手も使えぬか……1つ試してみよう」
好古の手から放たれた一枚の符が、光を纏った鳥へと変化する。
迷宮内に向かって羽ばたいていった鳥は、通路を抜けた辺りで、運悪く見えない魔力塊に触れたのか、強い光を放ちながら弾け跳んでしまう。
鳥は光を放つだけの物だったから良いが、攻撃用魔術が目の前で弾ければ術者本人が怪我を負うことになるはずだ。
「戻った。やっぱり後ろの方はダメだな。入り口が消えてやがる」
「ふむ。後退は出来ず、前も厄介か。なるほど、さすがは金を名乗る迷宮だけはあるな。先ほどのガーゴイルの雷撃攻撃はその魔力塊を破壊したのか、それとも取り込んだか。斬りごたえがあるようだな」
「楽しげにいうなこの馬鹿……対策を考えるわよ」
まだ迷宮入り口だというのに前途多難にもほどがあるが、ケイスに付き合っていればこの程度は何時ものこと。
嫌な意味で逆境に慣れてきた自分に諦めながら、この段階で判った事が幸運だと思おうと、ルディアは建設的な方向で考える事にした。