「……一応尋ねるけど、ケイス。自分の言っている意味判ってる?」
なにやらやたらと気むずかしい顔を浮かべたルディアが、重い息をゆっくりと吐き出した後ずいっと寄ってきて詰問口調で尋ねる。
「うむ。オババに水揚げとやらの詳細を聞いた。要は鳳凰楼の店主が指名した相手と生殖行為をすればよいのであろう。対策さえすれば問題は無かろう」
「生殖行為ってまた生々しいというか。硬いというか……ごめん。質問変える。あんた正気? なに考えてんのよ」
尋ねられたから簡潔に判りやすく答えたのだが、それに対してルディアは最近よく見かける錠剤を取りだしてから水も無しでガリガリとかみ砕いて飲み干すと、額を抑えながら再度尋ねてくる。
「私は剣士だ。ならば剣士であるなら当然であろう」
ルディアが疲れているようなので気を使ったケイスは、難しく考えなくても済むように今回の選択に至った何よりも簡潔な答えをあげてみせるが、
「それ禁止! あんたの場合は一から十まで全部話す! 理解出来るか!」
耐えかねて赤髪を掻きむしったルディアからは、ケイス的には極めて理不尽な怒声が返ってくるだけであった。
ケイスには理解が出来ないが一般人の常識から見ればルディアの反応は当然。
ケイスの奇妙奇天烈で珍妙な思考を、剣士だからのひと言のみで理解しろとは、まさにケイス級の理不尽以外の何物でも無い。
「あのねケイ。ルディはケイが鳳凰楼の店主を斬り殺すかと思って心配してたんだけど、なんでそんな結論になったの?」
「何故、私が鳳凰楼の店主を斬らねばならん」
息切れしているルディアを見かねたウィーが引き継ぐが、ケイスは小首をかしげるだけで、質問の意図を理解していない。
仕方ないのでウィーはさらにかみ砕いた、判りやすい質問へと切り変える。
「ほら、ケイってそういうエッチな話、嫌いでしょ」
「ん。月の物でお腹が痛くなったこと、正確に言えばそれが原因で負けた上に、殺し損ねたことを思い出すから嫌いだ。しかし何故それと今回の件が関連する」
「いやだから自分にその手のことやれって言われて怒るんじゃないかって」
「なるほど。理解した。しかし嫌ではあるが怒ることか? 私はそれほど狭量では無いぞ。別に鳳凰楼の店主は、私を愚弄したり辱めるために、あのような申し出をしてきたわけではないようだしな」
いきなり切れて剣を躊躇無く振り回す狂人である自覚は一切無しで、ケイスは胸を張り堂々と答える。
「店主は店やあの壁画を一族の誇りと言っていた。そしてその弁済として私は金銭を払うと申し出たが、それでは代償にならんとして、代わりに水揚げを要求してきた。つまり店主にとっては誇りと同等の価値と認め求めたという事であろう。ならば私が怒るようなことではあるまい」
「あールディ……やっぱ任せて良い? なんかボク頭くらくらしてきた」
代役を買って出たは良いが、展開されるケイス理論に、ウィーは早々に白旗を揚げる。
ケイス最大の問題点はこれだ。あまりに考え方、論理の組み立て方が違いすぎる。
普通の一般常識であれば、楼閣の主人が弁償として年若き美少女(中身はともかく)の身体を要求してきたという実に世間体の悪い悪評となるのだろうが、ケイスに掛かれば、自らの誇りと同等と認めた正当な要求となってしまうのだ。
「むぅ。何故理解出来ん。オババも言っていたぞ。派手な水揚げは新造や禿の者にとって、最初の晴れ舞台だと。つまりは名誉ではないのか」
水揚げと呼ばれる一連の処女喪失儀礼が、燭華の遊郭や、そこで働く遊女達において、極めて重要かつ盛り上がるイベントであるのは確かだが、燭華外、特に昨今良識あると大人と呼ばれる者達からは眉を顰められる内容であるのもまた事実。
「この馬鹿に何を教えたんですか」
ケイスに何をどう伝えたのかと、飴屋の鬼女店主をルディアは睨むが、
「あしを睨むなや薬屋。こんおぼこには女心の機微やら、建前なんぞ通用せんのが悪いさね」
老鬼女は新たな葉を詰めた煙管に火をつけると、お手上げだと片手をあげてみせる。
新造の娘が悲喜交々な感情を抱くのを慰め誤魔化すための一番最初の建前の段階で、ケイスが納得してしまったのだから、手の施しようが無い。
ウィーは撤退、飴屋の店主も諦め顔だが、ここで引き下がれないのがルディアの付き合いの良さというか、貧乏くじを引く所以だ。
味方が皆無という状況でも何とか気力を振り絞ったルディアは、再度切り込みはじめる。
「第一よケイス。今のどこに剣士として当然って要素が有るのよ」
「ん。修繕費や保証に相当お金が掛かりそうだ。だが私の初めてとやらだけで済むならば、その分を武具に回せるでは無いか。剣士が武具を求めずどうする。それに水揚げとやらは一晩であろう。断然早いではないか」
そしてすぐにあっけらかんと答えるケイスによって撃沈される。
貞操観念という概念など粉みじんにまで切り刻んで、どこかに捨て去っている剣術馬鹿にとって、武具代と迷宮に潜る時間の方が何千倍も尊いようだ。
「ほんとーに何するのか判ってるのあんた! よく知らないおっさんに抱かれるのよ!?」
「生殖行為の詳細はよく知らんが、オババが言うには火箸を身体の中に打ち込まれるほどに痛いというが、その程度の痛みであればたいしたことはあるまい。噛みついた牙が体内に食い込んで肉を爆砕する爆弾鮫に片手を吹き飛ばされた時は気絶するほど痛かったし、毒一角兎の角で腹を突かれた際は、腸の一部が腐りかけたから、火で焼いたナイフで無理矢理切除したこともある。痛いと言ってもその時ほどではあるまい。ならば耐えられるぞ。心配するな」
ケイスが自信満々堂々と答えるので、自分の方が間違っているのではないかという錯覚にルディアは捕らわれそうになる。
恥ずかしいとか、悲しいとか、そういった感情が一切なく、ただ痛いか痛くないかで判断して、さらには痛みの一例として挙げてくるのが、なんでそれで生きてんだあんたはと突っ込みたい物ばかりだ。
「むぅ。さっきからルディが何故反対しているのか判らんぞ。生殖行為は悪いことなのか? この街ではちゃんとルールとして守っていれば違法なのでは無いのであろう。鳳凰楼の店主が申し出て私が納得している。双方の合意があるのだ。ならば問題はあるまい」
1文字1句があまりにケイスだ。ケイスが過ぎる。そうとしか言いようが無い。他に例えるべき慣用詞が無く、これ以上にふさわしい言葉など無いほどにケイスだ。
この馬鹿を説得し、反意させる手立てが全く思いつかず、しかし放置していると本当にやりかねないので、放っておくことも出来ないジレンマにルディアは陥る。
だがそのルディアの窮地に、思わぬ所から救いの手がさしのべられる。
「おぼこ。水揚げ自体は一夜やし、しかその前に最低限、座敷と伽の作法ってもんを身につけなきゃ話ならん。鳳凰楼の遊女となりゃ二、三年は姐付いて勉強が必要やし」
「なんだオババそれを先に言え。私は忙しいのだぞ。さすがに年単位で付き合ってられるか。手っ取り早いと喜んで損をしたでは無いか」
飴屋の鬼女から水揚げ前に準備として修行期間があると聞いたケイスは、不満げに頬を膨らませると拍子抜けするほどにあっさりと意見を撤回する。してしまう。心配したルディアの事などまるっきり気にもせずに。
「ケ、ケイス。あんたね。ほんと人騒がせもいい加減にしときなさいよ」
徒労というか、無駄な心配というか、常に自分の都合最優先なケイスに振り回されるルディアは脱力し、店の床にへたり込む。
幸運の象徴である自分の赤毛がストレスで抜けるか、白く染まるのではないかと、ついつい心配になるほどだ。
「なんだルディ? 疲れているのか。ならば飴でもなめろ。ここのは美味しいから元気になるぞ。ウィーも奢ってやる」
最終的な払いはともかくとして今この場でその金を出すのはルディア本人なのだが、そんな事は全く考えもせず近くの箱から飴玉を勝手に取りだしたケイスは、二人の口に勝手に放り込んでくる。
「あーえと。ルディ大丈夫?」
「大丈夫に見えるなら、良い薬を処方してあげるわよ」
「もう、ただで良いから、とっとと帰ってくれんかね。これ以上疫病神共に付き合ったら店の前にあしが潰れん」
景気の悪い顔を浮かべる二人と、存在その物が疲れさせるケイスを見た飴屋の鬼女は、虫を追い出そうとするかのように煙を吹きかけてくるが、ケイスはそれを手で払いのけると自分用の飴玉を取りだし、口に放り込む。
「潰れるようなたまではあるまい。それに飴玉1つで情報一つであろうオババ。飴玉3つだ。次は華灯籠と華替えの祭りについて聞かせろ。私は今回の騒ぎの原因がそこにあるのでは無いかと疑っているのだ」
どこまでもマイペースを貫くケイスは、何事も無かったかのように情報収集を再開し始めた。