先ほどまで散発的に聞こえていた船の防御結界が砂弾を受け止めた衝突音は形を潜め、変わって渦を巻く風の音が響く。
風を起こしているのは船の直衛に残っていた魔術師のセラだ。
彼女が魔術で周囲の大気を操り空気中に漂ったままだったり、船体各部に積もっていた砂を、セラがつむじ風で集めては次々に遠くへと吹き飛ばしていた。
だがセラの使うのもまた魔術。
砂を集めている最中も砂に含まれるリドやカイラスなど魔力吸収性植物の影響でつむじ風はどんどん弱くなっていきすぐ消え失せてしまい、何度も術をやり直す羽目になっている。
もっとも友人、知人。はては家族にすら貧乏性と断言されるセラにとっては、次々と消費する魔術触媒を失う方が痛手のようだ。
うかない顔で『もったいない。もったいない……』と、まるで呪詛のような呟きを繰り返している。
「……ちっ。早いな。気配がどんどん離れていきやがる」
砂漠の闇を見据え遠方から響く音で気配を感じ取っていたボイドは、愚痴をこぼす妹を横目でちらりと睨みつけてから舌を打つ。
襲撃をかけてきたサンドワームは全部で三体。
大技を繰り出そうとしていたサンドワームの一匹は既に同ギルドの別探索者パーティが仕留め、二匹目への攻撃を始めている。
そちらは順調その物だが、問題は三匹目。そしてボイド達が助けた少女だ。
セラの話では本船から少女が飛び出して両者が戦闘状態に入った直後からどんどん船から遠ざかっていったそうだ。
ボイドが甲板に上がって来たときにはその姿は視認が出来る範囲に既に無く、辛うじて気配を感じ取れるくらいに離れ、こうしている今もどんどん遠ざかっている。
血清の効果で動けるほどには回復してきたが、麻痺の影響で四肢に上手く闘気を伝達できない今のボイドではこの距離を移動するには時間がかかりすぎる。
切り札である『神印開放』を使い、”本来”の下級探索者としての力を使えば、この程度の麻痺は即時無効化できるが、ボイドの所有する『宝物』で神印開放を出来る時間は精々三〇秒足らず。
サンドワームとの戦闘を考えればぎりぎりまで近付いてからでないと使えない。
だがそんな事はボイドも判っており対策済みだ。
砂漠を移動するための足は元々ある。
後の問題は乗り手だけだったがそれも何とかなった。
今は乗り手と少女へ届ける”物”が来るのを待ちながら、戦闘地点の予測をしていたのだが、どうにも妹の様子が気になっていた。
「さっきからうるせぇな。少しは黙って仕事しろ」
「うぅ。兄貴にはわかんないの。今日消費した分の触媒を買い直したら杖が新調できる位の出費なんだから……
想像したら気持ち悪くなってきた」
「あのなぁ、触媒代はどうせ必要経費で落とすんだから気にせずばっと使え」
改めて消費量を金銭換算したのか、ますます青ざめた顔を浮かべる妹の様子にボイドは溜息を吐く。
魔術師の場合はとにかく金がかかる。
術を使う際に速効性と正確性を考えるなら触媒を使うのが一番だが、ほとんどの触媒は使い捨ての品。
種類によって値段はピンキリではあるが、それでも安いという物ではない。
杖にしても探索者に成り立ての初心者が使う物でも、護符宝石やら魔術刻印を刻んだり等で手間がかりそれなりに値が張る。
だから魔術師が金に五月蠅くなるのも判らなくはない。
そしてセラの場合は日常生活はケチだと断言できるほどの貧乏性ではあるが、自分や仲間の命がかかっている武器防具や触媒に関しては逆に値が張る良品にこだわる所がある。
そのセラが杖相当というのなら結構な金額の触媒を使ったことは間違いないのだろう。
だがボイド達は所属する護衛ギルドからの依頼でこの貨客船に乗っている。
当然この触媒も必要経費として計上できるはずだ。ならそこまで気にしなくても良いとボイドは思うのだが、
「………………」
ボイドの苦言にセラは黙りこくっていた。しかもこの寒さの中でもなぜかだらだらと冷や汗めいた物をかいている。
あまりにも分かり易すぎる不審な態度にボイドは非常に嫌な予感を覚える。
「おい…………愚妹。お前まさかと思うが、取り分を増やすために経費保証契約を外したとか言わないだろうな」
ギルドからの紹介仕事には幾つか条件やオプションがあり、仕事の難易度や自分達の懐事情によって探索者側で指定することが出来る。
探索者側の取り分は一割と少ないが、損害補償、経費保証、必要装備支給及び私有装備整備保証。怪我死亡時の見舞金付与といった全ての責任をギルド側が負うローリスクローリターンな契約。
紹介料だけ抜き、残り依頼料は全部探索者側に。ただし何らかの人的、物的損害が出た場合は探索者側が賠償。
しかも被害の度合いによっては、ギルドの信頼を損なった懲罰としての多額の罰金や資格停止、剥奪なども有りうるハイリスクハイリターンな契約といった具合だ。
ボイド達の今回の契約はパーティ単位ではなく個人契約にし、依頼料から紹介料と損害補償、経費保証を引き、オプションで迷宮内での戦闘回数による報酬アップを選択している。
これは平均的な契約で、取り分は探索者に四割、ギルド側に六割。
戦闘が多ければ取り分は最大で六:四へと変化する……ボイドが三人分をまとめて契約した初期状態のままならばだが。
「あはははっ……うん。止めたら七割もらえるからこの前外しちゃった。ほら特別区で出てくるモンスターは普通なら弱いし、兄貴もヴィオンもいるから出番が無かったし」
口調は軽いがどうしようとセラは半泣き顔を浮かべている。
小型船の行方不明は増加していたが、中型以上の砂船は特に問題は起きていなかった。
特にこの船の場合は防御がしっかりしていたので、襲撃されても速度を上げて振り切ってお終い。
先守船で先行探索しているときも操舵士のセラは船を操るのに専念している。
もっぱら戦闘は主にボイドでヴィオンがフォローという構成で、あまりセラが戦闘に出張ることはない。
たまにちょっとした術を使うが、それでも使う触媒は微々たる物。
契約変更した方が断然お得と兄に黙ってセラが変えたのは、今回の護衛依頼を受ける直前。
それが変種のサンドワームが出てきたことで今までの状況が一変し、契約変更がいきなり裏目に出るなどとはセラも予想していなかったのだろう。
「一応交渉はしてやるが期待するな……男だったらぶん殴ってる所だ。おかしいぞおまえ。いつもならもうちっと緊張感あるだろ」
頭痛がしてきたこめかみをボイドは押さえるが、先ほどからの妹の態度にどうにも違和感を感じる。
セラは確かに貧乏性ではあるが、今のような切迫した状況下であればもう少し抑えているはずだ。
所が今はどうにも緊張感が欠けているというか、少し様子が変だ。少女のことを心配する様子もあまり見られない。
「あのさぁ。兄貴……あの子を助けに行くの止めたら? たぶん大丈夫だと思う……それになんか変だよあの子。あんまり関わり合いにならないほうが良い気がするんだけど」
疑問を浮かべるボイドの視線に気づいたのか、セラが僅かに不安げな様子を浮かべながら告げた。
「なんでこんな多いのよ……しかも一般仕様じゃなくて改変型」
ぶつぶつと口中で文句を漏らしながらも、狭い通路の壁に背を預けたルディアは左手に持つ先守船のマニュアルに目を通して頬を引きつらせる。
魔法陣の記述式自体はオーソドックスな浮遊術式を改変した物だ。それが四つ船底に設置されている。
改変魔法陣の操作自体は問題無いが、難問は魔法陣四つそれぞれの出力や角度を変更して行う船の操舵だ。
改変型術式はルディアが読み取った通りならば、高出力状態では爆発的な加速を得ることができるが、低出力になると途端に浮遊の力が不安定になり挙動が怪しくなる。
ピーキー仕様に正直言って真っ直ぐ走らせる事ができるかどうかも、ルディア本人としても疑わしい。
「絶対まずいってのになんで引き受けたんだろ。あたし」
本来の操舵士であるはずの魔術師達は、それぞれがサンドワームとの戦闘やら船に積もった砂の除去で手は空かず、一人で闘っているであろう少女の元まで今は行くことが出来ない。
麻痺で倒れていたファンリア商隊の者達も常備している血清を打ってある。ほとんどの者はさすがにまだ動けないが大事はない。
この状況でルディアにやれるのは、かすり傷を負った者の治療くらいだが。それならいくらでも変わりはいる。
手の空いている魔術師はルディア一人。
少女へと渡す荷物と護衛の探索者を一人乗せて戦闘地点まで送り届けるだけで戦闘に加わるわけではない。
操縦は厄介ではあるが他に代わりがいないのでは仕方ないと、いつものルディアなら二つ返事で引き受けていただろう。
だが今回はルディアの本能は関わるな。関わり合いにならない方が良いと、引き受けた今になっても訴えている。
魔術師、魔力を多く持つ者の勘とは時に予知に似た精度を持つ。
これは魔力が己の外側。他者や世界を知り働きかける力だからとも言われているが、未だ明確な答えはない。
ただ魔術師が嫌な勘を覚えるときは、碌な事がないというのは確かな話だ。
「ったく……」
右親指の爪を苛立ち混じりに噛む。
結局の所、ルディアが嫌な予感を覚えるのも、その勘を押し殺して操舵を引き受けたのもあの少女が原因だ。
魔術師としての勘が少女は異常だ並の者ではないと訴える。
だがあの少女が目を覚ましたときに最初にみせた剣技……あれはルディアを助ける為の物だった。
あの時飛び込んできた砂弾の先にはルディアがいた。
茫然自失として腰を落としていたルディアは避けることが出来ずに直撃を受けて、簡単に命を落としていた。
思いだすと背筋がぞくっと震えルディアは背を竦める。
「無事なんでしょうね」
助けられた恩は返す。
嫌な勘を覚えながらもそれでも引き受けたのはそんな簡単な理由だった。
一通り目を通したルディアが再度見直そうとした時に、正面の小型船倉の扉が開かれた。
「わりぃ。姉ちゃん待たせたな」
中から出てきたのは武器商人のマークスだ。
麻痺の影響が残り若干ふらつき気味な大男は長く幅広い品物を抱えている。丈夫そうな布で幾重にも包まれたその形状は大剣の形をしていた。
元から狭い小型船倉に荷物が詰め込まれていた所に、先ほど解析魔法陣を作るために荷物をこちらにも移していたために倉庫の中はギュウギュウ詰めとなっていた。
そんな所に大柄なマークスと痩せ形ではあるが長身なルディアの二人が入って品探しをするのは難しい。
結局麻痺の影響はあるが取ってくる品が判るマークスだけが船倉へと入り、その間にルディアは先守船の操縦を極々簡易にではあるが覚えていた。
「悪いがこいつをあのクソガキに届けてやってくれ。散々虚仮にしてくれたあのガキに対する俺の意趣返しだ。使えるもんなら使ってみろってな」
頬に残る獣爪の傷跡を歪ませながらにやりと笑うとマークスは扉へと身体を預けて座り込んでしまう。
まだ麻痺が完全に抜けていないのに気力だけで立っていたのだろう。
「大丈夫ですか?」
ルディアは助け起こそうと手を伸ばすが、その手を拒むようにマークスは剣をルディアに差し出す。
こっちは気にせず早く届けてやってくれとその目は訴えている。
目に宿る力は強い。
これなら大丈夫だろうとルディアは無言で頷き、剣に手を伸ばしてそして目を驚きで見開く。
「……何これ」
目算でも長さはルディアの半分ちょっと1ケーラはあるだろう。横幅も握り拳二つ分ほど厚さもそれなりにある。
剣と言うからには金属、もしくはそれに準じる硬度と質量を併せ持つ存在のはずだ。この大きさならルディアが持ち上げるのも一苦労するほどの質量を持つはずだ。
だが渡された剣は軽い。軽すぎる。中身は空ではないのかと思えるほどだ
ルディアは包み布に指を触れてみる。
力など込めていないのにたったそれだけで包み布の中身は柳の枝のようにしなった。
驚き顔のまま包み布をずらすと鈍く光る金属が顔を覗かせる。
確かに刀身は実在しているようだがどうにも現実味が薄い品だ。
「驚いただろ。そいつは通称『羽根の剣』。見た目は金属剣だって言うのに、通常状態だと鳥の羽一枚分の重さ。折れはしないが簡単に曲がる上に柔らかな弾力があって切ろうとしても相手に当たった刀が跳ね返ってくるって巫山戯た奇剣だ」
とても剣を説明しているとは思えない言葉が並ぶがマークスの顔は真剣だ。
冗談でも巫山戯ているわけでもない。大事な説明だと肌で感じたルディアは驚きを覚えながら黙って続きを聞く。
「いろいろと転々としてきたみたいで出所も不明なんだが、俺の勘じゃドワーフたちの総本山エーグフォランで作られた試作品じゃないかと思う。下手すりゃ七工房のどれかが関わっているかも知れねぇな」
金属合成、加工においてドワーフたちに並ぶ者はこの世界にいない。
出所不明、製作法不明な金属製品が出てきたのならば、ドワーフたちの手による物と考えてまず間違いはない。
そしてそのドワーフたちの地底王国エーグフォランと王国直下の七つの工房は、その中でも群を抜いた知名度と常軌を逸した技術力で知られている。
中には戦闘中のモンスター相手に金属片を打ち込みハンマーで形成して、特性を残したまま生体金属の剣や鎧に変えてしまうと伝説が残るほどの名工達すらも存在する。
「ただこいつは失敗品だ。これを作った奴、もしくは考えた奴はまったく使い手の事なんて考えちゃいねぇ。ただ作りたいから作ったのが伝わってくる使い物にならない剣だ。だがあのクソガキならこいつを使えるはずだ。小生意気って言葉も裸足で逃げ出すほど傲岸不遜な奴だが……」
『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』
最後に少女が残した言葉をマークスは思いだしていた。
高速で迫る砂弾に一瞬の判断で剣を合わせ弾くなど、平凡な才しか持たない剣士や、ましてや年端もいかぬ子供に出来る技ではない。
肉体を操る能力『闘気』に長けてこそあの神業は成立する。
「ありゃ天才だ。なら闘気剣であるこのじゃじゃ馬を、あのクソガキなら上手く操ってみせるだろうさ」
天才に合わせた剣を武器屋として見繕ってやる。
少女を捜し出して武器屋としての誇りと矜持を賭けた一品を突きつけてやろうと決めていたマークスは忌々しげな表情ながらも口元にはにやりとした笑みを覗かせていた。
次のタイトルは弱肉強食②で行く予定です。
剣の性能やらは次話で軽く書けたらと。
後2話くらいで砂漠を抜けて次の短編的な地方都市話の予定です。
そこで探索者についての基本設定をやれたらと思っております
まぁその前に今回の剣の考案者側サイドでも入れようかとも考えておりますが。
稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。