渡された腕輪の認証機能を使って開けた表町への門をくぐり抜けると、生け垣に囲まれ隠された小道が続く。
立ち並ぶ店舗裏口の木戸や、干された洗濯物の群れを横目で見ながら小道を歩いていく。
周囲の建物に設けられた隠し窓のいくつかから視線が飛んでくるが、特段敵意は感じないのでケイスは気にせずそのまま抜ける。
この路地の監視は出ていく者では無く、入ってくる者。泥酔して迷い込んだ客や、金も払わず店外でお気に入りの娘に接触しようとする不埒な者を排除する為に設けられた作りだ。
人気のない路地裏を抜けて、賑やかな表通りへと出ると世界が一変する。
原色多めの派手で人目を引く看板が店舗の壁には立ち並び、店先では宝石や金銀細工をふんだんに使い花の形をもした魔具灯籠が燦然と輝く。
華灯籠と呼ばれるそれは一つ一つが異なる姿をしており、店頭に吊された華灯籠の数が、今店に出ている遊女達の人数を現していると、インフィからは事前に聞いていた。
この一角は両脇に酒場が立ち並ぶ飲食店区画となっているが、それらはケイスが知る普通の飲食店とは大きく異なる。
サシで飲める完全個室を謳う店や、大人数宴会向けの豪華な食事と芸達者な綺麗どころを売りとする店。
各地の地方出身遊女が郷土の料理や酒を提供する店があるかと思えば、応対する遊女が獣人やら、エルフ、ドワーフなど各人種だけといった種族専門店。
石畳が綺麗に敷き詰められたメインストリートには、まだ昼前だというのに軽く酒を引っかけた千鳥足の男達が数え切れないほどに行き交い、そんな男達の隣には艶やかで扇情的、ケイスから見れば実用性皆無で、防御力の無い薄着な服を身につけた女性達が寄り添う。
相手がいない者、もしくは今から飲む店探している者には、格子で遮られた店内ら遊んで(何故食事では無く遊びなのだろうと、ケイスには判らない)ってと、呼びかける遊女や、飲食を売りにする区画であるはずなのに、食べ物よりも従業員の方を強調する客引き等も目だつ。
「夜よりも灯籠の数が少ないか。それに機能が変わっている。夜の方は光るだけだったが、似姿を映しているな。思ったよりも高度な魔具か」
夜はただ薄ボンヤリと幻想的に輝くだけのはずだった華灯籠は、この時間は通信魔具の機能を応用しているのか、その華灯籠に対応する遊女達が、踊ってみせたり、身体の一部をアピールする映像が繰り返し浮かび上がって、盛んに宣伝している。
ただの灯りとしてだけで無く、あれだけの機能を持たせれば、魔具が用いる魔力は数倍に跳ね上がるはずだ。それがこの一区画だけでも百以上は並んでいる。
形は微妙に違うが、華という同じモチーフ、看板という同じ意味、投写という同じ機能を持たせた魔具が大量。数を束ねより大きな力とする儀式魔術に用いるには恰好の魔力供給源だ。
しかしこれだけでは個別の華灯籠を、1つの儀式に用いる魔力源とする要素には弱いと、ケイスのもつ魔術知識が否定する。
華灯籠は常に同じ物が出ているのではなく、その遊女が店にいるときだけ展示される代物。
その時によって有ったり無かったりでは、不安定で繋がりが弱くなりやすい。
魔力を通しやすい銀糸や、モンスター由来の素材を使い、物理的に魔力導線を繋げてあるのなら、1つの魔力供給源として利用可能だが、そのような仕掛けが街に施されている様子は見られない。
夜になってもこの状況は変わらない。
ここ燭華は夜が本番であり、吊された華灯籠の数は多くなるが、店に出られない体調不良の者が出ることも有るだろうし、年中無休を売りとする燭華では、遊女達は交代制の休みを取っているので、儀式に用いるには無視出来ない変動が発生する。
(この街で働く遊女とやらの総数はどのくらいだ娘?)
「流動が激しく、ちゃんとした統計が取れていないが、営業許可をちゃんと取っている店の数から推測すると、現役の者、新造や禿も合わせれば、数万人くらいという話だ」
(ならば全てでは無くいくつかにしぼり、点として用いるのはどうだ? 晴れの日の夜だけに現れる理由付けとはなるぞ)
「だがそれでは魔力源としては弱い。いくら中途半端な不発の儀式魔術といっても存在その物を変える術だ。限られた数の灯籠と、その魔力だけでどうにか出来るとは思えん。魔具に用いる転血石が、高位モンスター由来であるならば少数でも可能だろうが、浪費が出来るほど安くは無いし、出回る数も稀少だ。それ以前に高出力過ぎて魔具が壊れる」
ラフォスの問いに答えるケイスも考えれば考えるほど、手がかりだと思った物が、的外れな予感がひしひしとしてくる。
魔具の専門家であるウォーギンならば、詳細調査をすれば違った見解を出せるかも知れないが、偶発的な儀式魔術でないかとケイスが個人的に疑っている段階で、決定的な証拠には弱い。
灯籠が魔力供給源であると証明、もしくは否定するための詳細調査に掛かる手間と時間を考えれば、今はまだ可能性の1つとして扱う程度の労力しか割けない。
「何か芯となる物があれば別だが、これだけの魔具を遠隔的に束ねるとなると、相当に強力かつ大がかりの仕掛けとなろうな。近傍の立て直しや新造された建物を探してみる方が良いか」
最初の淫香発生事件が確認されたのは、ケイスがロウガに戻る数日前。
それ以前には何も起きていないのだから、少し長めに見積もって1年ほど前から、二ヶ月前までの間に、何らかの変化があったと見るべきか。
その期間に行われた工事や、怪しげな建造物を探してみるだけならば、資料を当たるだけなので、魔力を持たないケイスでも調査には問題はない。
(嬢。少し気になるのだが、火龍の気配をうっすらと感じないか?)
建築許可の申請書ならば、ロウガにおいては役所機能も兼ね備えた管理協会の管轄。後でロウガ支部に向かったときに次いでに調べようとケイスが考えていると、ノエラレイドが訝しげな声で問いかける。
「ん? ……確かに言われてみればあるな。だが相当弱いぞ。あの店か」
言われるまでは気づかないほどに弱い気配の出所を探してみれば、一軒の店が目に入る。
そこは酒の種類を多く取り扱っている事を売りにする店だ。やけに丈の短い薄手のシャツとスカートを身につけた女性店員が忙しそうに走り回っている。
背の高い店の棚には各地の銘酒、稀少酒の瓶が取りそろえてあって並んでおり、客が注文するたびに、女性店員がやけにのんびりとした動きで梯子を昇ったり、透明なガラス製の踏み台を使って瓶を下ろしている。
高い酒ほど上の棚にあるようで、その最上段に昇った女性店員が、瓶の表面に火龍を施した飾りを入れた一際高そうな酒瓶の蓋を開けている所だった。
「火龍酒または龍命酒という代物か。何でも火龍の血を原料にした酒らしい。あれだな気配の出所は」
龍由来の代物であれば多数の魔力を強制的に支配下に置くのも難しくないので期待したのだが、気配の正体を知ったケイスは当てが外れて軽く肩を落とす。
龍の血を元にしているとは言え、ただの酒が儀式魔術の芯となるとは思えない。強化する触媒が精々だ。
(龍の血すら己が嗜好品へと変えるか。人の力と本当に強くなった物だな。しかも血を欲するほどに火龍への怨みがまだ残っているのか)
「早々作れる物ではないらしいぞ。しかもそこまで火龍を恨む者など少数だろう。何せ今や龍はお伽噺の代物らしいからな」
ケイスにとっては身近な存在の龍だが、一般市民や大半の探索者にとっては知性が低く獣と変わらず、力も弱い竜ならばともかく、本物の龍など一生目に掛かることなど無い伝説の存在。
最強種であることに変わりはないが、数も減った龍は、一部の上級迷宮の奥地にひっそりと住まう存在でしかない。
(しかし俺達の血を酒にしても美味いのか? それ以前に何故龍の血を酒にしようと思ったのやら、魔術触媒ならば判るが)
「私は酒を嗜まないから味は知らん。ものすごく辛くて強いが酒好きには美味いそうだ。由来の方はお婆さまに聞いたことがある。なんでも火龍酒を最初に作ったのは大伯母様で、憂さ晴らしに火龍口で火龍を倒しに行った時に、持ち込んだ酒が切れた上に水も無くて、試しに残っていた酒と血を混ぜてみたら、発酵が進んで美味かったからという偶然らしい。その後も個人的に作って楽しんでいる龍命酒を知り合いに差し入れしているうちに、幻の名酒と知られるようになったそうだ。今では酒好きの探索者。特にドワーフが、たまに狩りにいくくらいで生産数は限られているから、相当稀少な酒なのだろうな」
火龍酒の瓶から酒を汲み取る女性店員の動作一つ一つに、その周りに詰めかけた客の男達から大きな歓声が上がり盛り上がっているので、その稀少さや旨さが、酒を知らないケイスも多少は理解が出来た。
(嬢の大叔母というと邑源の姫か。あの一族には時折人とは思えない力を持つ者が生まれていたが、その姫も相当な人物だったようだな)
憂さ晴らしで火龍達の本来の住居である大火山へ火龍口に行くなど正気の沙汰ではないが、それが邑源の者、しかもケイスに近い血縁者となれば、さもありなんとノエラレイドは納得している。
「しかしあの女性店員は何故上も下も下着を身につけていないのだ。動きももたもたしているし、間が抜けているのだろうか? 早く飲みたくて待ち望んでいる客がいるというのに」
(そういう習慣の部族なのではないのか。この間の夜にも服を着ない裸主義者とやらがいたであろう)
(いやラフォス殿。あれは雄であったぞ。今日は暑いからではないだろうか)
きわどい衣装でノーブラノーパンで棚の酒を取る。高い酒ほど時間を掛けてたっぷりとサービスシーンを演出。
そういうサービスが売りの店だという事が理解が出来ないケイスが龍達に尋ねるが、人外の二匹に正解が答えられるわけも無かった。
「華灯籠くらいか気になったのは、一応ウォーギンに教えてみるか。ロウガ支部に行く前にちょっとこの近くの飴屋による」
魔術的なことならばともかく、風俗的な事に関してはどうにも見当違いな推測しか出来ない1人と2匹では、今ひとつはかどらない調査という名の散策を1時間ほど続けてみたが、当然のごとく碌な手がかりは無く、成果もあまり無しのまま、一度打ち切ることを決めたケイスは踵を返す。
(甘いものばかりではまた女医に叱られるぞ)
「飴が目的では無く話を聞く、飴を買うのはついでだ。飴屋のオババは燭華が長いらしいから独自の習慣や意味を聞くのに丁度よかろう。あの老鬼女殿はインフィみたいに面倒で無いからな」
一応の怒られない理屈をひねくりだしたケイスは、遊女達への土産物を扱う店が立ち並ぶ区画へと移動し、古い佇まいのこぢんまりとした商店の扉を開け中に入る。
扉を開けた瞬間に、ケイス的には酒の匂いなどよりも百倍嬉しい甘い匂いが漂ってくる。そこは飴細工や干菓子など細工の細かな菓子を扱う店となっていて、色鮮やかな菓子類が所狭しと並んでいた。
値札を見れば、燭華外と比べれば似た商品でも数倍以上と、値が張る物が多いのは、これはいわゆる燭華価格というやつだ。
遊郭の目当ての遊女、そのお付きの新造や禿など女、子供相手に手土産として菓子などを持ち込む客は多いが、それらは全て燭華内で製造販売された物に限定されるという不文律のルールがある。
外から持ち込まれた物など何が入っているか判らないという、それらしい理由があげられているが、燭華内製造に限ると限定されている大きな理由はもう一つある。
それは身請けもされず、年齢や病気で客が取れなくなり引退したが、燭華以外では生きる知恵を持たない元遊女者達へと、日々の糧を与えるため、それらの製造販売などに関わらせる、福利厚生でもあるからだ。
「誰か思えば疫病神の小娘かい。あんたは夜のはずだろ。真っ昼間から出んじゃないよ」
他の客の姿はなく1人暇そうに店番をしながらキセルを吹かしていた鬼人の老女が、店内に入ってきたケイスを見るなり嫌そうな顔を浮かべた。
流行廃りの早いロウガでは、些か流行から取り残された感のある古式な菓子を扱うこの店の老女店主もそんな引退した遊女の1人だ。
顔や手足の皺は目だつが、若いときは涼やかな美人であったと思わせる程度にはその名残が残っている。
「誰が疫病神だ失礼だぞ。今日はこれをもらうぞ」
「探索者なん誰も疫病神さ。共通金貨1枚」
ケイスがどうこうというよりも探索者相手だと常に無愛想。というよりも嫌っているのが、この界隈で飴屋のオババと呼ばれる老鬼女の特徴だ。
なにやら色々と探索者と過去に有ったようだが、ケイスは特に気にしない。
相手が自分を嫌っていようが、自分が相手を気にいっているならば、さほど気にしないからだ。
「手持ちが無いからつけておけ。それよりオババに聞きたいことがある」
自分勝手なケイスは、オババの口が悪いのは何時ものことだと流して、金も払わず勝手にケースを開けて気になった飴玉を取りだし、口に放り込む。
雑味の少ないすっとした甘みが口の中に広がり、微かな林檎の香りが楽しく、思わず笑顔になる。
「ふむ。オババの店の品はどれも上質で良い物が多いな。何故これで流行らん」
ケイスがこの老鬼女を気にいった理由も単純明快。好みの甘いお菓子があり、そのラインナップを選んだのがオババなので、それだけで好評価というまことにケイスらしい理由だ。
「余計なお世話さぁ。ほんと疫病神だよ。この娘は……で、なんよあしに聞きたい事は?」
傍若無人過ぎるケイスの行動に関しては、もはや諦めの領域で、アメ代はその保護者役の某薬師から利子込みで取り立てればいいと考えつつ、老鬼女は煙管を横に置くと、ケイスをとっとと追い出すために、話を進めることにする。
「ふむ。燭華独特の言い回しや言葉の意味についてだ。鳳凰楼の主人から弁償だけでは面子が保てんから、私の水揚げをやらせろ等と言われてな。他にも華替えの祭りとやらの詳細も聞きたい。あと華灯籠について何でもいいから聞かせろ」
「注文が多いさね。おぼこ娘に教えるのは骨さね。情報1つにつき飴玉1個は買いぃな。しか、鳳凰のとこの馬鹿旦那も、また恐ろしい事を平気で口にしなさん。見た目だけなら燭華の一番花になるや知れんけど、こんな娘なんぞ店に出したら後で痛い目見るに決まってろうに」
現役の頃は、ケイスよりも幼い禿の娘達に、燭華の常識のみならず話芸、手妻やら色々と教えてきたが、その時よりも遥かに苦労するであろう予感がひしひしと感じたオババは、飴玉の旨さに思わずフードの下で華のような笑顔を浮かべているケイスに向け、心底嫌そうな顔を浮かべていた。