3ケーラほどの高さの石壁が緩い曲線を描きながら伸び、その頂点には金属製の返し。しかもご丁寧なことに侵入者防止のために、飛んだり跳び越えようとすれば、近くの返しから雷撃が飛んでくる仕様。
高さは違うがロウガ全域を守る防壁と同じ作りとなっているのは、不埒な考えを持つ困った客から、遊女達を守る為だ。
この石壁の向こう側は、絢爛な建物が並ぶ風俗街たる燭華の表町。そしてこちらはその舞台裏。遊女達がくらす裏町と呼ばれている。
こういった裏町は、表町に囲まれながら小島のように燭華全体に点在していて、その全てが地下通路で繋げられた作りとなっていた。
日常から隔離された別世界。色町である表町の雰囲気を守るため、裏側は絶対に覗かせないという意思が感じられる作りだ。
「お爺様。ノエラ殿。魔力の流れが不自然な部分はないか?」
遊女や店関係者達が暮らす裏町の密集した裏路地を右手に石壁を見ながら、ゆっくりと抜けていくケイスは、魔力を捨てたことで自分では感知できなくなった魔力の流れの違和感がないかと剣と額当て、それぞれに宿る龍達へと尋ねる。
(人の手による魔術が多過ぎて、何とも言えん。娘が疑う儀式魔術となればなおさら大型化するであろう)
(右に同じく。俺が生身であった時代とは、魔術様式ががらっと変わっていて読みにくい。これが嬢を対象とするならまだしも、街全体を見渡しても判るかどうか)
「ロウガは防壁だけに留まらず、あちらこちらに照明用の光球灯があるせいか……ウォーギンの話では他にもいくつかの効果を持たせた複合魔具という事だったな」
ケイスが見上げるのは、石壁の前に立てられた一本の金属柱。
その表面には一見装飾に見える細やかな紋様が刻み込まれているが、みる者が見ればそれは魔力導線であり、これが複数の効果を持たせた大型魔具だとすぐに判る。
夕方になると、文字通り頂点部に光球を発生させる光球灯は、夜道を照らす街灯としての役割以外にも、探索者による街中での無断神印解放反応への監視機能、マーキングされた犯罪者への追跡機能等、治安維持機能を兼ね備えた物だ。
さらにそれぞれの個人宅でも、火力の調整が容易い調理魔具や、夏でも涼しい風を発生させる空調魔具、携帯用の照明魔具などが、昨今では普及している。
迷宮モンスター達の血から、魔力の塊である転血石の人工製造技術が出来てから、魔具は身近な生活家具となり、特に迷宮隣接都市であるロウガでは、それらの魔具や人工転血石の製造工房があるので、より多く出回っているのは当然といえば当然だろう。
「ふむ。魔術薬などによる体質の変化で無いのならば、存在その物の変化を疑ったのだが、なかなかはかどらんな」
燭華で最近連続している淫香発生事件。
淫魔では無い別種族から、異性を魅了し理性を奪う淫香が発生する理由が、魔術薬などによるものでは無いならば、淫魔へと変化させる中途半端な儀式魔術では無いかという疑いをケイスは抱いていた。
存在を変化させる術は、高度ではあるが不可能では無い。
高い魔力を持つ存在である高位迷宮モンスター。それこそ龍であれば、周囲の環境や動植物を、無意識的に己の心地よい物、都合の良い物へと変化させることが出来る。
火龍が住み着けば穏やかな草原に火山が出来るように、水龍が住み着けば砂漠が巨大な湖に変化するように。
(儀式による存在変質か。だがそれにしては対象や位置にばらつきがあったが)
「うむ。確かにお爺様の言うとおりぶれがある。だからこそ中途半端な、偶発的な儀式条件の発生を疑った。ある程度の魔力供給源、それと魔術触媒もしくは導線、そこに一定方向への集団意識が重なれば、条件を満たすかと考えた。しかし魔力発生源たる魔具がこうも多くては、供給源の推測は難しいか」
龍などの高い魔力を持つ高位迷宮モンスターは単独で成し遂げてみせるが、最強種たる彼らに比べれば、人種の中では高い魔力を持つ竜人や魔族さえも微々たる物。
だがその魔力の特性に大きな違いがある。
高位モンスターであればあるほど、その魔力は僅かでも強力な魔術効果、外世界への干渉力を発揮する反面、なかなか他由来の魔力と融合せず、むしろ別魔力を食い散らかし滅殺しようとする。
逆に人や低位迷宮モンスターの発する魔力は、高位モンスター由来の魔力ほど強力ではない分、他の魔力と混じり同化しやすいという傾向を持つ。
本来高位モンスター以外からは滅多に取れない転血石の、人口合成が可能となったのも、融合しやすい特性を利用し低位モンスターの血液を凝縮精製し結晶化させているからだ。
(魔力が微々たる物でも、それを束ねれば大きな魔術と変わるか。俺が生きていた頃の東方王国のサムライ達とはずいぶんと様変わりをした魔術だ。俺の好敵主たるあやつらは、それこそ嬢のように一騎当千の実力を持つ強者揃いだった。逆に戦う力を持たぬ者は、今よりも数多く存在していたな)
戦いを好む特性を持つ龍らしい龍であるノエラレイドは、過去との違いに懐かしさの入り交じった感想を漏らす。
ノエラレイドが生身であった時代は、天恵を得るために迷宮に挑む戦闘に長けた者達は少数で、それ故に一般の民の間には確固たる身分差が有り、また別種族なほどに力の差も歴然であった。
しかし皮肉と言うべきか、火龍達の侵攻、そして迷宮モンスターの長期異常増大。
いわゆる暗黒期の到来により、強大な龍や魔物達に比べ、非力な人種対抗する為に、様々な試行錯誤が繰り返され、力を得るために迷宮に挑む者も増えた結果、身分の上下差は多少減り、人類全体の能力の底上げがされたと言っても過言ではない。
「ひいお爺様達の魔術か。闘技法もそうだが、今とは技術体系も大きく異なり、高度な肉体操作や術式が必須で習得が困難ではあるが、その分強力な技が多いからな」
ノエラレイドの言葉に、ケイスも頷き同意する。
ケイスやロウガ王女のサナが受け継ぐ邑源流はその最たる物。中途半端な鍛え方で技を使えば、むしろ使い手が負傷する様な技とて珍しくないほどだ。
そんな話をしながら周囲の探索をしていたが、特にめぼしい物も見つけられずに、裏町の端へと付いてしまう。
そこには表町と裏町を繋ぐ検問所であり、同時に燭華外へと通じる地下通路への出入り口ともなっている。
朝営業の店が開店してから1時間ほどが経っているので、検問所には人の姿は見えず、どこぞの護衛ギルド所属の探索者が少し暇そうに立ち番をしているだけ。
しかもよく見れば、それはケイスと同期に探索者となった初級探索者の一人だ。
(どうする。このまま地下を抜けて他の裏町とやらも見て回るか?)
「いや、挨拶ついでに表町の方を見てみる。あちらは夜にしか行ったことがないから違いを見つけられるやも知れぬ」
ラフォスの問いに首を横に振ったケイスがフードを取って、同期探索者へと近づくと、槍を手持ち無沙汰に持っていた相手も、ケイスに気づき片手をあげた。
「よぉケイスの嬢ちゃんか。元気に……って聞くまでも無いか。昨日も散々暴れたって話だもんな」
「別にたいしたことはしておらん。怪我人もいなかったのだからな」
「まぁ嬢ちゃんの場合、確かにそれくらいじゃたいしたことないもんな。始まりの宮の後の暴れっぷりも、この間他の奴等と飲んだときに聞いたぜ。精神的にきついけどかなり儲かったって話だろ。俺も仕事が無ければなってちょっと後悔だ」
同期の者達は多少の差はあれ、ケイスに対して友好的な者達が多い。なにせ始まりの宮の全員踏破はケイスの貢献が大きい。
しかも本人はそれを笠に着るでも無く、恩着せがましくするでも無く、むしろ初日しか戦えなかったと詫びるくらいだ。
全員より年下という事もあり、色々と問題が多すぎて手は掛かるが、可愛い妹分という認識がされている。
「一応箝口令が敷かれているのだがな。あまり口にするな。それに仕事があるのならば、真面目にやれ。燭華の警備は、高給であるが信頼が無ければ回されないという話であろう」
警備担当者が、色香に血迷って違法行為などしたら目も当てられない。だから燭華の出入りに回される者は、護衛ギルドから信が厚い者となる。
もっとも槍使いの彼が燭華の警備に回されたのは個人への信頼というよりも、この裏町に危険生物であるケイスが滞在しているからに他ならない。
一応怒らせなければ気の良い奴だと槍使いは説明はしてみたのだが、燭華で起こした様々な騒ぎが噂を加速させ、ケイスと接触する可能性が高いのと、淫香発生に巻き込まれることも考え、辞退者続出で抜擢された上に、危険手当も出ているほどだ。
だがこの辺りの事情を教えると、何かやらかしかねないのがケイス。
地雷を避ける思慮が出来るから、ケイスと遭遇する可能性が高いここに彼が回された理由だ。
「……それよりかさっき鳳凰楼の店主がフラフラ戻っていったけど何かあったのか? 来たときは絶対に落とし前付けさせるって息巻いてたけど」
「インフィがなだめた結果だ。それとは別に修繕費や営業補償もする事にしたから心配するな」
「鳳凰楼って、俺らじゃ敷居もまたげないほどの高級店って話だけどな……嬢ちゃんならどうにかするか。で、今日は調査の一環か? 出入りするならこっちの書類にサインを頼んだ」
自分だったら一生返し続けても利子分さえ払いきれない借金漬けになるだろうが、ケイスの事だろうからなんとでもなるだろうという謎の信頼感が有るので、さほど心配はしていないようで、槍使いは本来の仕事へと戻ることする。
「気になる事があるので、ちょっと表街の方を調べてくる。その後、ロウガ支部へと金策にいく予定だ」
渡された書類に名前と滞在場所としている青葡萄の蔓を記載し、外出する理由も簡易に書いていく。
何時もの癖で、ケイスという短い名前を書くにはやけに左詰にして書いてしまったが、それ以外には特に不審な所も無いので、槍使いが軽く目を通しただけですぐに判子が押される。
「装備品はポーチに入れた上封印してあるな……羽の剣は見つからないようにしろよ」
後は軽い持ち物検査を兼ねた身体検査をされるが、鞘にも入れず丸めて腰に差して持ち歩いている物体、闘気剣【羽の剣】を見た槍使いは、闘気を込めていなければ軽くグニャグニャと曲がり武器には見えないので、実態は知っていても同期のよしみで見なかった振りをしてくれる。
非常時以外は、大小に関わらず刃の付いた武器の類いは持ち込み禁止が燭華の伝統。許されるのは護身用の殺傷能力の低い短物だけ。
目だつクラーケン爪製の十本の剣である十刃や、投げナイフなど武器類は内部拡張されたポーチにしまってあるが、剣を一切持ち歩かないというのはケイス的には苛々して落ち着かないので助かる。
「その辺りのごろつきならば体術で十分だ。心配するな」
「騒ぎは起こさないって言わない辺りが、ケイス嬢ちゃんらしいよな。ほれ表町用の腕輪な」
自分が身につけていた腕輪型魔具と、あきれ顔の槍使いが差し出した品と交換する。
表裏の出入りだけで一々書類を書いて、身分証替わりの魔具を交換するのも面倒な話だが、この辺りも警備の一環だというのだから仕方ない。
管理厳重で金の掛かった警備態勢があるからこそ、これだけの規模の色町が、多少の問題はあるが維持されている。
だからこそ逆にそんな街で、何かの企みをしようとするのは、事が大きければ大きいほど難しいはずだ。
「ん。では行ってくる。何か怪しげな奴が通ったら後で教えてくれ」
街のあちらこちらで淫魔が誕生しようとしている。そこにどんな意味が、意思があるか未だ不明。
とあれ魔力を失った、捨てたケイスには、魔力の流れを見ることも感じ取ることは出来ない。
被害者達の身体を調べても外傷以外は判らない。
それらは、淫香に影響される可能性があって、中には入らず燭華外でサポートしているウォーギンやファンドーレに託すしか無い。
とにかくあらゆる情報を、総当たりで総ざらいする為に、フードをかぶり直したケイスは槍使いの開けてくれた門をくぐって、昼夜問わず賑わうトランド大陸東部最大の歓楽街、燭華の表町へと繰り出した。