ケイスの捕縛……もとい帰還。
この報に管理協会ロウガ支部の上層部はようやく胸をなで下ろしたが、その後の続報に再度対応に頭を悩まされることになっていた。
隠匿魔術による防諜処理がこれでもかとされた奥まった会議室へ、各部門の責任者と支部長が集まった今後のロウガ支部を左右しかねない重大な秘密会議は未だ結論は出ていない。
今回の一連の出来事を隠匿するのは最低限の前提条件だが、あまりにも功罪が多すぎ今後どう扱うかでの議論が紛糾し、ルーキー達がケイスを連れて帰還したことで、結論の先延ばしも出来なくなっていた。
「一月。この短期間で赤の初級迷宮ばかりとはいえ五十以上を完全踏破。さらには下級探索者へと昇格した上、長年未踏破だった下級の魔禁沼さえ完全踏破……判断を下すには時期尚早かも知れないが、これは上級探索者となるやもしれん」
報告書に書かれた内容は、長年管理協会の運営に関わっていた幹部達にとっても信じられない物ばかりが並ぶ。
始まりの宮直後、単独、踏破数。どれも前代未聞の記録。さらに初級探索者は、半年後に下級探索者となるという、彼らの常識さえ凌駕してみせる。
自分達の支部出身者から最上位探索者である上級探索者の誕生は、何よりの功績であり慶事だが、幹部の1人が呻き声と共に漏らした未来予測はおそれさえ含んだものだ。
功績だけ見れば多少の問題行動は不問にしてもいいほどの成果を上げている。だがその罪。問題行動も群を抜いて高すぎる。
「フォールセン殿の剣を継ぐ最後の弟子という名は伊達ではなかったか。だが数々の問題行動に異常性。どう考えてもコントロールできる輩ではないぞ」
「しかし放逐などすれば、この化け物が勝手気ままに彷徨うことになります。それこそ手の終えない事態になりかねません。他国の貴族にまで手をかけた疑いもあるとなれば、このままというわけにもいきません」
「その男爵とやらは、突風による建物崩壊とそれに付随して起きた火事に巻き込まれて死亡したとクレファルドから広報が出ているが、今の所、水面下での接触も無しか?」
「ルーキー達の遠征関連補佐であちらに向かった者達にそれとなく探らせているが、あまり突っ込むとやぶ蛇にならんか」
クレファルド王国のファードン男爵が死亡したという報が出されたのは確認されているが、それはあくまでも不幸な事故として、クレファルドでは処理されている。
ケイスの存在に気づかなかったのか、それとも男爵とやらが色々と企てていたという話もあり、クレファルド側も都合が悪いからと事故として処理したのか。
真相は未だ闇の中。だが下手に探ればロウガとの関連が疑われる。
男爵襲撃はケイスの独断行動だが、ロウガのルーキー達を巻き込んだ陰謀劇の芽を摘むために、ロウガ支部が暗殺者を送り込んだと思われてもおかしくはない。
「……実力は惜しいが、いっそ怪我の悪化という事で強制的に退場させますか。他のルーキー達の評判にまで影響が出る前に」
「まて! 小娘の後見人は双剣殿だ! それ以前に貴殿はこの娘の報告書を読んでいないのか。万が一仕損じれば、支部に真正面から喧嘩を売って我等の命を狙う可能性が高い! それこそ前代未聞の不祥事となる!」
「ロウガ地下水道精通。地下潜伏大規模討伐隊発見困難。下策」
結論を急ぐあまり、言葉は濁しつつも物理的に排除をという過激的な意見が出るが、すぐにそれは別方向からの意見で打ち消される。
さすがにケイスの詳細報告書を出された後となっては、たかが初級探索者。しかも相手は小娘1人と侮る者はいない。
「それにおしい。この娘が関わったことで得た利益を考えろ。初の全員踏破でロウガの名声は高まり、我がロウガでの来期の始まりの宮挑戦希望者の増加傾向が既に出ている。そして今回のルーキー達の遠征成果だ。この物資量は馬鹿に出来ない」
所属探索者の数=支部の力。彼らが持ち帰った迷宮資材が多ければ多いほど、地域経済は周り、国は発展する。ましてやロウガは上に立つ王家は名目上の君主であり、その国営の実体を握るのは、彼ら管理協会支部幹部達と主立ったギルド長が評議員となったロウガ評議会。
自分達の利益に直結するのだ、彼らがケイスへの扱いに慎重になるのは当然だ。
毒を含んでいると判っていても、あまりに美味しい匂いを漂わせる逸材は無碍に斬り捨てるにはおしすぎる実力と未来性を持っている。
結局はこれに尽きる。ケイスの危険性を理解しながらも、どうにか利用できないかという思いが誰にもあるのだ。
そしてケイスを利用する為に必要な一手は、最新の報告書の中でケイスが大人しく檻に入ってロウガへ搬送された理由として記載されていた。
しかし誰もがその手に気づいてはいたが、自らは決定的なひと言を口にしない。
口にすれば後にケイスが隠しきれない問題を起こした際に、責任を負わされるのは明白だからだ。如何に自分の責任を減らして、利益を得るか。
己の利を考える幹部達の牽制が続く中、今まで会議の進行役にだけ徹していた支部長が時計を気にする。
そろそろルーキー達が確保したケイスを連れて戻る時間。これ以上無駄な会議という名の責任の押し付け合いをしている時間は無い。
「レイソン夫妻をロウガの要職へと昇格させましょう。特にガンズさんは今までの実績と、今回の功績があれば反対する者はいないでしょう。来期以降も見越して、技術指導部門の一部を分離。ロウガの挑戦希望者及び若手全般への指導を専門に担ってもらう若手教育部門を創設。彼をトップに据えようと思います。幸いにもケイス嬢は彼の夫妻を慕っている様子です。上手く指導してくれることでしょう……賛成の方は挙手をお願いします」
ロウガの各派閥とは一定以上の距離を置き中立を保ち続け、調整役として期待され、実際にそれを担っている管理協会本部出向組の支部長は、全員で責任を分け合いそれぞれの負担を薄め、さらには恰好のスケープゴートを用意するという折衷案を提案した。
他者の目を気にして倉庫へと馬車のまま運び入れられた荷台の檻はようやく覆いが外され、その中ではケイスは、楽しげな顔で剣を握っていた。
機嫌がすこぶる良いのは斬る事が困難な対象が目の前にあるという喜び故だ。
物理的な力では破壊不能といわれた檻を斬って出ようとし見事に失敗したが、困難であれば困難であるほどケイスにとっても斬り甲斐があるという物だ。
「剣がすり抜けるか。すごいなウォーギン! どうやった!」
檻を構成する格子は一見は普通の金属なのに、まるで水面を斬ったかのように、剣がすり抜けて手応えが全くなかった。
これを斬るのは至難だと直感が告げる。だからこそ切れたときは自分の腕が上がった何よりの証左。斬るための考察が楽しくて仕方ないという剣術馬鹿の本領を発揮する。
「一定以上の衝撃で液化する魔導金属を使った特注品だからな。体当たりで逃げようとしても、再固体化した格子が絡みついて拘束捕縛するって仕掛けだ。拘束した後は電撃で麻痺させる事も出来るから今は大人しくしとけ。それよかケイス。後で勝手に持って行った外套魔具の使用感も教えろよ。おまえ対策に急造した奴だったから、試験も禄にしてない一品物だってのに無くしやがって」
笑顔のケイスに簡素な説明をした魔導技師ウォーギン・ザナドールは、意味の判らない無茶苦茶な剣を振るケイス相手でも効力を発した檻に満足げに頷きながら、動作チェックを続ける。
「この剣術馬鹿だけは……お前ら。すまんな。本当に無駄な苦労を掛けさせた」
自分が陰謀劇に巻き込まれているなどつゆ知らぬガンズ・レイソンは、この状況でも天真爛漫というか、平常過ぎるケイスに、憤懣遣る方無い表情で綺麗にそり上げた禿頭に血管を浮かび上がらせながらも、ずらりと並ぶケイス捕縛部隊の面々へと頭を下げる。
「気にしないでください。探索ついでに皆さんも色々と迷宮資材が手に入り、良い遠征になりましたので。私個人としても、そこの馬鹿娘に言いたい事が腐るほどありましたから」
彼らを代表して前に出たロウガ王女サナが言葉とは裏腹に深い溜め息を吐きながら、疲労感の多い表情をみせる。
他の者も多かれ少なかれ同様の精神的疲労をみせている。その理由は無論ケイスに、他国の貴族殺しの嫌疑があるからだ。
当初は暴走娘を連れ戻しに行っただけなのに、最終的にはこの始末だ。
ケイスが捕縛した襲撃者はロウガの入り口門で警備隊に密かに引き渡し、助けたモーリス親子と行商人のミモザもその時に事情聴取のために別れている。
彼らから詳しい事情が聞かれてからロウガ支部の方針は最終的に決まるだろうが、いくら事情があったとはいえ他国の貴族を手に掛けたとなっては、ケイスにどのような処罰が下るか。
このまま支部に引き渡しても良いかと、彼らが思い悩んだのは仕方ない。
その中でももっとも悩んだのが誰かと問えば間違いなく最多票が集まるのは、この中ではケイスとの付き合いが一番長いルディアだ。
「それでガンズ先生。例の件はどうなりましたか?」
「まだ基本方針さえ聞いて無い。事が事だけに公表も難しい。何せケイスは怪我で療養中ってのが、支部の正式な発表だったからな」
懸念の色が濃いルディアの問いかけに、ガンズも状況が難しいと答えるしかない。
始まりの宮で大怪我を負いその療養のため、一時的に表舞台から姿を消している。
それがロウガ支部の発表したケイスに関する情報だというのに、迷宮挑戦への申請も出さずに勝手に迷宮を踏破しまくったあげくに貴族殺しだ。
事を穏便に収めるための偽装工作が完全に裏目に出てしまっている。
もっとも当の本人はそんな事を微塵も気にもしていない。
「なんだルディも先生も気にするな。私が戻ったからには先生達を首になどさせんぞ。もしそういう戯れ言をいう支部幹部がいるなら斬るから安心しろ」
むしろ何故か支部上層部への敵意をみせる始末だ。
あまりにも聞き捨てならない不穏な発言に、ガンズが訝しむ。
「おい。どういう意味だ今のこの馬鹿の発言は?」
「今は聞かない方が良いですよ。そのガンズ先生も振りあげた手の落とし所に困るというか」
「いいから答えろ。この後、この馬鹿を連れて幹部連中に詫び安行して廻る予定だってのに、落ち落ち面会もやらせられねぇ」
言葉を濁すルディアに対して、ガンズが再度強めに問いただすと、
「あー……ケイスが大人しくロウガに戻ってきた理由ってのが、このままあんたが戻らず暴走していると、講師のガンズ先生や面倒を見てくれてたレイネさんの責任問題とかになって、ロウガ支部を首になるかもって伝えた結果でして。そうでも言わないと男爵を確実に殺せたか判らないから、現場に戻って確認するって聞かずつい」
殺意の塊のようなケイスを、ロウガに帰還させる為の説得というか、了承させるために口にしたとっさの出任せ。
その出汁にした事を申し訳なさそうに伝えるルディアの様子に、相当説得に苦労したのが手に取るように判ったので、ガンズとしても責めるわけにもいかない。
そして何よりだ。
「うむ。当然だ。先生達には恩義しか無いからな。だからこそその恩に応えるために、皆を無事に帰還させたというのに、私が原因でその功績が皆無になるうえに、首にするなどという不条理を許すわけが無かろう。私の責ならば、私が戻ることで私だけに向ければ良かろう」
檻に入れられた捕縛の身だというのにどこまでも上から目線で胸を張る馬鹿が、あまりにも快活な笑顔をガンズに向けた。
そこに含まれるのは、紛れなど一切ない純粋無垢な好意のみだ。
「クソ……確かにルディアの言うとおり、後で聞けばよかったか」
檻から出したらとりあえず拳骨の1つでも全力で落としてやろうと思っていたガンズだったが、その意気を大いに削ぐ素直に捕縛された理由を宣うケイスをみて、握った拳の落とし所を、ルディアの予測通り見失ってしまっていた。