瞼を閉じて額に当たる赤龍鱗が感じとった熱を、脳裏に描いていく。
使い始めの頃は熱源との距離は判るが、闇夜に浮かび上がる蝋燭の炎を遠目で見ているように、ぼやけていた印象だった。
しかしここ一月に渡り常に使い続ける事で、探知距離は変わらないが、より温度差を細分化して感じ取れるようになっている。
脳裏に描かれる画像は、温度差によってくっきりと色分けされ、鮮明な地図となって通路や部屋を判別してのける。
描かれた地図には、外で不寝番をする兵士達だけで無く、建物内の人々も描かれる。
屋敷のあちらこちらに配備された帯剣した兵士達。
屋敷正面を見渡せる2階の部屋で明け方も近いというのに、なにやら落ち着きなく部屋の中を移動する片足が義足となった者。
その部屋へと繋がる通路の見当たらない隠し地下室に閉じ込められ、鎖で繋がれた少女らしき小さな者。
周囲が不自然に無人となった東側の貴賓室で、人型をした人形らしき物体に囲まれ一人椅子に座り佇む者。
さらには人だけで無く、屋根裏に潜む鼠や、庭の馬屋近くで羽を休める渡り鳥までも感じ取る。
「巡回の兵士は中と外を合わせて40人ほど。義足の者が男爵だったな。それは一人だけだ……モーリスおまえの娘のニーナは10才だったな。当てはまる体格の少女はここだ。構造的に通常の地下牢では無いな。隠し通路らしき先の部屋に拘束されているようだ。だが安心しろ。鎖に繋がれた手足を動かしているから元気そうだ」
ナイフを使い地面へと感じ取った館の見取り図を描き出し、特定した見取り図を描いていく。
赤龍の額当ては高性能ではあるが、有効範囲が半径200ケーラ程度が欠点といえば欠点。だが幸い領主館はそこまで広くは無い。モーリスを残して、館の周囲をぐるりと回ることで全体像を把握する事は出来ていた。
少し休めたことと、薬が効いたのもあって痛みが治まったのか、モーリスの顔色は先ほどよりは大分マシになっていた。
ケイスが描き出す内部図があまりに正確で、多少は希望が見えてきたのか、先ほどまでの絶望の色は少し薄れたのもあるだろうが、何よりも娘が生きていると判った事が一番大きいのだろう。
「ニーナ。待ってろよ……でもあんたすごいな嬢ちゃん。本当に今年のルーキーなのか? 指輪まで色づいているってのに」
ケイスがつい一月前に始まりの宮を踏破したばかりのルーキーだというのが、モーリスはとても信じられないようだ。
「そうだ。あとケイスでいい。それよりだモーリス。おかしくないか? この配置は」
「あぁ。従者がいない。それにこいつはまるでクソ男爵が軟禁されているみたいだな」
ケイスの書き出した地図を見下ろしていたモーリスの推測も、ケイスが気づいた違和感とほぼ同じだ。
いくら地方の下っ端貴族とはいえ、この規模の館を維持するならば使用人達が幾人もいて当たり前だ。
だがケイスの描き出した地図に描かれるのは、武装した兵以外は男爵とニーナ。そして人形に囲まれた者だけで、小間使いや女中達らしき者が館内に一切見当たらないのだ。
そして屋敷内を巡回する兵士達の動きは、侵入者を発見する為の物では無く、男爵が部屋から勝手に抜け出せないように見張っているような動きであった。
「うむ。それに気配を探ったのだが、どうも見張りの者達は外側への警戒よりも、何故か内側をやけに気にしている様な感じがした。立ち止まった者達が目を向けるのはここだ」
ケイスが指さしたのは、何故か一人隔離された位置にいる人形に囲まれた人物だ。
「少し確認したいのだが、この国は男爵の館に王族が逗留する際に、兵のみにするはよくあることなのか? おそらくこの人形をやけにはべらせている者が姫とやらだとおもうが」
国にもよるが、爵位が最も低い男爵の館に、王族が逗留するなど稀な自体なはず。ましてやここは辺境の村。警戒に警戒を重ねて厳重な警備網を敷くはずだ。
だが館の防壁周りはともかくとして、貴賓室周辺には警備兵らしき者の反応は無い。
側仕えの者が待機する付随した従者部屋も無人で、中庭も巡回の兵士さえいない。
「人形か……王族旗の個人紋章は確認は出来たか?」
ケイスが人形に囲まれていると推測を口にすると、モーリスの顔色が目に見えて変わる。
先ほどまでの娘の安否を気遣う父親の顔が、眼光が鋭くなり深く考える仲介屋としての顔を覗かせた。
仲介屋とは、管理協会に持ち込まれた依頼を委託され、各探索者達に仕事を斡旋していく商売になる。
宿屋だったり、酒場だったり、もしくは買い取り屋など探索者達がよく利用する店等と兼業して行う者も多いが、有能な仲介屋とは裏表の情報に精通し、その探索者に適した依頼を紹介できる者と言われている。
モーリスもつい最近まで……妻が大病を患うまでは、それなりに知られた宿屋の親父兼仲介屋だったとのことだ。
「一角獣と鎖を組合わせていたな。心当たりがあるのか?」
「あぁ……そりゃ間違いない【人形姫】だ。となると妙だ。大物過ぎる。俺が聞いていたのは愛妾が生んだ姫で傍流だが、横を流れている川の水利権に口出せる伯爵家子息へ嫁ぐ姫とかだったはずだ。ここの下流は貴族領地が入り乱れている。通過する際に一々持って行かれる川の利用料がでかすぎて、男爵は禄に裏金を作れないで付け届けが出来ていないって話だ」
「将来の伯爵婦人の口利きで、一つ一つの家に払うのでは無く一括形式にでもするつもりだったということか。しかし傍流とはいえ、一国の姫が嫁ぎ先も決まっているのに探索者になるのか?」
これ以上は無いほどに自分の事を棚にあげたケイスの疑問だったが、その一言でケイスがクレファルドの内情に詳しくないとモーリスは察したのか、かなり端折りながらだが、説明を開始する。
「クレファルドは2世代前の王の時代に、隣国との領土問題に端を発したお家騒動があって国を二分するほどの王侯貴族間の争いがあった。最終的に隣国の影響を国内から排除し戦争も辞さないタカ派の王子と貴族が、かなり譲歩した融和を謳っていたハト派の王侯貴族一派を全粛正して、国の中枢を完全に抑えている。だから貴族の連中は、今も武を重んじる傾向が強くて、嫁に求めるのは、いざとなれば兵を率いて戦え、強い子を産める女傑だ」
「ふむ。男爵が功績を譲ろうとした姫に箔が付けば、嫁ぎ先の公爵家の名声も高まるという事か……武を重んじるのは好みだが、人に譲ってもらって誇るのはどうなのだ」
「戦争に明け暮れた一世代前ならケイスみたいに言う連中も多かっただろうが、現世代は親世代の武勇伝を聞いて育っただけで、実際に戦場に立った者なんて少数だ。功績は自分に献上される物って子弟も多い。実際、俺が現役の仲介をしていた頃には、王命を受けた貴族の坊ちゃんの代わりに討伐やら調査をって依頼が多かった。他言無用だが報酬が良くて探索者受けも良い上等な依頼だ」
「ならば男爵もか?」
「いや……あのクソ野郎は違う。内乱時の武功で新たに貴族として列せられた、文字通りのたたき上げだ。武功つってもまともな戦働きじゃなくて、野盗のふりしてハト派貴族の領地の街や村を次々に襲って、金品を略奪するだけじゃなく、自国内だってのに奴隷狩りもやってたって噂だ。ただその上がりを自分の懐に収めるんじゃ無くて、上に提供して取り入っていたからあくまで噂の域を出ない。だから汚れ仕事をしていたってのに、上手いこと立ち回って貴族に成り上がれた連中の1人だ。そんな連中が少なからずいて、領地が細かく入り乱れているから国内は今ひとつ纏まりきって無いのが現状だ」
「ますます斬りたくなってきた……では今屋敷にいる人形姫とは何者だ?」
「詳しい事情は今ひとつ俺ら庶民には伝わってこないが、王家の中でも特別な一族ってのがもっぱらの噂だ。先の内乱にも全く関わらず、王位継承権を持たない上に、領地さえ持たない。王宮の一区画がその居住地で、王都で孤児院を管理している以外は、王国内で仕事らしい仕事をしている形跡が無い謎の一族。その長が【人形姫】って代々呼ばれている」
「複数の人形を抱えているという事は、王家の闇……呪術師か何かの類いかもしれんな」
「実際そういう噂もある。王城の小間使いなんかがたまに姫を目撃しって流れてきた情報だと、代々の姫は、綺麗だが生気がない白い肌をして無口。それこそ人形みたいな娘ばかりで、しかもその居室には、手足が欠損したり、目や口を太い糸で縫い合わせた不気味な人形であふれかえっている。ほかにも人形と同じ傷をつけられた幽霊が姫の部屋を出入りしているやら、それを目撃した小間使いが殺されて人形に詰め込まれたってのが、クレファルドの定番な怪談話になるくらいだ」
「むぅ。途端に胡散臭くなったぞ」
「仕方ない。それくらい表に出てこないって事だ。姫は初代から代替わりしていない上級探索者だって話もあるくらいだ。だけどなんで人形姫が男爵の屋敷にいるんだ。しかも男爵を軟禁しているってのは」
「むぅ。考えても埒があかん。とりあえずその人形姫とやらは気にするな。この配置とそれぞれの位置なら……うむ。それが動く前に私が何とか出来そうだ」
描いた地図をもう一度見たケイスはしばし考えてから、男爵を斬って、ニーナを助ける算段を導き出す。
ケイスが算段を立てたのを聞いて、モーリスが覚悟を決めた表情を浮かべてから、傷が痛むのも構わず深く頭を下げる。
「ケイス。迷宮内でみせてもらったからあんたがすさまじく強いってのは判ってる。だから情けないがケイスに全部を任せる。俺がおとりになって、死ねって言うならそれでも構わない。だから改めて頼む。ニーナを助けてくれ」
娘のために命を捨てられる父親の強い愛情は嫌いではないが、一応はこれでもニーナと同じく父親を持つ娘であるケイスとしては、父親に死なれる方が嫌いだ。
もし父のフィリオネスが自分の為に死ぬ気だと言って無茶するようなら、とりあえず言った瞬間に斬って動けなくするくらいには、ケイス的にはあり得ない。
「むぅ。覚悟を決めるのは良いが、怪我をしていないならともかく、今のおまえは足手まといだからいらん。私が屋敷には1人で突入するから、その間にあそこの船着き場の船を確保しておけ。追っ手が来たら全部を斬っても良いが、一応ほかの船には穴を開けておけ」
それにこの程度の事で誰かを犠牲にするつもりなどケイスには無い。なぜならケイスは天才だ。
「見てみろ。屋敷の正門から男爵のいる部屋とそしてニーナの捕らわれた地下室。期せずしてほぼ一直線に並んでいるではないか。だから正門を斬って、そのまま屋敷と男爵ごとニーナのいる地下室まで一気に斬ってしまえば良い。剣の二振りですむからな。簡単な話であろう」
地面に描いた地図に持っていたナイフで2つの切り込みを入れて、ケイスはあっさりと造作も無いと断言してみせてから、あまりの力技に唖然としているモーリスを放っておいて立ち上がる。
ケイスは剣の天才だ。その隔絶した剣は、他者には到底到達できない領域にある。自分の考えが他者に理解されない事にもさすがに慣れている。
だから百万言を語るよりも、実際に剣を振ってみせた方が早いと、ケイスが言葉少なになるのは致し方ない。
自分の中で幾千も重ねた熟考の末に到達した行動方針が、他者から見ればどれほど短絡的で、無謀で、無茶苦茶で、馬鹿なことなのか、今ひとつ気づいていないのもその諦め故だ。
「夜明けまでには、会わせてやるから楽しみにしていろ」
それだけ告げると、モーリスを残してケイスは明けが近くなった空を一度見上げてから、館の真正面へと通じる坂に向かって駈けだしていった。