気を失っている男は40才くらいだろうか。身につけている装備は使い込まれている跡はあるが、ついている傷は古い物ばかりで、鎧や槍の様式が昨今の流行から外れていてやや古い。
軽鎧を外して血にまみれたシャツを捲ってみると、包帯が乱雑に巻き付けられていた。
血で固まった包帯をナイフで切断し、はぎ取って傷を確認。ケイスの掌ほどの長さで、深さはさほどでは無い。
一応の応急処置はした痕跡はあったが、逃げている間にまた傷口が開いたようで、血がダラダラと流れている。
基本的に自身の怪我は、ご飯を食べて、闘気強化で肉体治癒能力をあげて直してきたので、応急処置は出来るが、本格的な治療はいくらケイスとて無理だ。
「ん。内臓までは達していない……ルディの作った傷止めと化膿止めを塗って縛っておくか」
始まりの宮の時にルディアに一応持たされていた塗り薬が、未使用のまま入っていたことを思い出し、岩場に戻り外套の内ポケットを漁る。
温泉で外套ごと洗ってしまったが、金属製の軟膏いれは密封がしっかりしていたので、水が入ってダメになった痕跡は無い。蓋を回して開けてみると、茶色で刺激臭の強い塗り薬がちょこんと入っている。
温泉の湯で濯いだ綺麗な布で傷口を拭いてから、薬を指で取って男の傷口へ厚めに塗っていく。
傷口に触れるたびに痛むのか男は小さな呻き声をあげるが、意識は戻らず昏睡状態は続いている。
薬をたっぷりと塗って、そのまましばらく手で押さえる。
ルディアの説明では、血と混じることで強く凝固して傷口自体を塞いでくれるとのことだったが、確かにその説明通りピタリと血が止まった。
「包帯は……ここに入っているか?」
手持ちの包帯やらガーゼはここ一月の間に使い切っていたので、男の持ち物らしき、内部拡張の術が施された天恵アイテムであるバックを漁る。
いくつか物を取りだしてから応急処置キットを見つける。中から新しいガーゼと包帯を取りだし、きつくならない程度に巻き付けて、とりあえずの応急処置は完了だ。
血が流れすぎて寒いのか顔色が青いので、もう一度拡張バックを漁り中から見つけた毛布を男に掛けておく。
「ふむ。鞄の方が入る量が断然多くて使いやすいな」
始まりの宮からの脱出時にその場へと出現し、ケイスが今所有している内部拡張のポーチと比べる、男が持つバックの内部容量は数段階は上の代物のようだ。
ロウガ支部講師でありケイスの恩人でもあるガンズの話では、背負い鞄型の天恵アイテムはたしか中級迷宮をいくつか踏破しないと得られないアイテムのはず。
探索者の証である右手の指輪を見てみると、青を下地にして黄色や緑の薄い線が走り、上級探索者の証である玉石は嵌まってはいないが、中級の証である空の台座は出現している。
天恵アイテムのバックと指輪から見て、この男が中級探索者なのは間違いない。
「お爺様。ノエラ殿。この男どう見る?」
(同じ武具としての観点で、大切に保管されておったがしばらく使われていなかったと我はみる)
(ラフォス殿に俺も賛成だ。この男は武人であるが香りが薄い。一度武器を置いた身だ)
2匹の龍が断定した答えはケイスの見立てと変わらない。
この男の装備、肉体の古傷は歴戦の戦士を感じさせる物はあるが、その割に今の体躯はあまり鍛えられていない。
現役探索者では無く、少なくとも数年は前に引退しており、最近になって復帰、下手すれば今回が久しぶりの迷宮のはずだ。
引退探索者が何故ごろつきな不良探索者達と一緒のギルド印をつけていたのか?
そしておそらくは仲間割れを起こしたのだろうが、その理由は?
気になる事は多いが、本人がこれでは話はしばらくは聞けそうには無い。
「この者が目を覚ます前に、聞ける方から聞いてみる」
手についた血を温泉で洗い流してから、寝かしておいた女性行商人の方へとまずは移動する。
未だ気絶したままの女性行商人は20代前半くらいか。
よくよくみれば髪に隠れた耳が少し長く、耳全体も薄い毛に覆われている。
触った腕の筋肉の付き方も、一般的な人間種女性よりもしなやかだが強靱で、良く引き締まっている。
獣人の血を引いているようだが、ハーフにしては特徴が薄いので、血の薄いクォーター辺りだろうか。
顎先を殴りつけたときに闘気も少し送って気絶させたが、闘気操作に長け耐性も強い獣人族の血を引くなら、何もせずともそろそろ目覚めるはずだ。
だが気の短いケイスは、その僅かな時間を待つのを嫌い無理矢理に起こすことにする
「そろそろ起きろ。そんな強く殴ってはいないぞ。目覚めないならこのまま温泉の中に放り込むぞ」
女性の頬に手を伸ばしたケイスは軽くはたきながら、脅しめいた台詞交じりで呼びかける。
「……や、やめ。お、起きるから」
もうほとんど目が覚めていたのか、それともケイスの口調からその本気を感じ取ったのか、女性行商人は上半身を起こす。
ただまだ頭がくらくらするのか、フラフラと揺れている。
「水だ。のむか?」
女性の脇に置いておいた水筒を掴み、目の前に差し出してやると、女性は無言で水筒を受け取り、一気に傾けごくごくと喉を鳴らす。
よほど喉が渇いていたのか、そのまま一気に飲みきってしまう。
「……うわぁ……夢じゃねぇし」
水を飲んで人心地が付いたのか、全身を一度弛緩させ力を抜いた女性は、横にいたケイスの全身をじろじろと見た後、目を丸くする。
その口調やあまりしゃれっ気の無い実用一辺倒の服装からみるに、自分が女性だとあまり考えていないタイプのようだ。
もう一度ケイスをじろりと見てから女性は周囲をざっと見渡した。
「湯気……さっきお嬢ちゃん、温泉に叩き込むって言ったな。じゃあここはウェルムの泉か?」
「名前までは知らん。魔禁沼の近くの安全地帯だ」
ケイスが脳裏に覚えている地図はもっと大まかな物で、細かな地名は書いていなかったので、とりあえず近場の迷宮名を答えておく。
魔禁沼の名を出すと目に見えて女性の表情が変わる。それは驚きや恐怖などでは無く、安堵の色が目立っていた。
「あぁ。じゃあ間違いないわ。何とかつい……た……って! おい、あのおっさんは!?」
どうやら行商人達はこの安全地帯を目指して逃げて来ていたようで一瞬安心しかけたが、怪我を負った連れのことを思い出したのか顔色を変えた。
「安心しろ。傷薬を塗って包帯を変える程度だが応急処置はした。血を流しすぎていて体力が不安だが、中級探索者であるなら何とか持つであろう」
「はぁぁぁっ。良かった。助けてもらっておいて、お礼も言えない不義理を犯すとこだった。お嬢ちゃんが助けてくれたんだ。感謝感謝」
女行商人が今度こそ深く深く安堵の息を吐いて、顔から緊張の色が抜けた。口調は軽くがさつさだが、どこか人なつっこい笑顔をケイスへと向けて頭を下げた。
「ん。気にするな。それよりもあの男の治療を優先するためにおまえを気絶させた。許せ」
「あぁ! そう! それ! うぁ。情けねぇぇぇっ! こんなちびっ子に一発って!」
気絶させた件一応だが謝ると、女性は今度は叫んでから一気に落ち込みはじめた。どうにも喜怒哀楽の感情の幅が広いタイプなのか、色々と忙しい。
「あぁぁぁ……商売っ気ばかりじゃ無くて。ちっとは身体も鍛えろって兄貴共の言葉が今ほど痛いことない……業務報告出したら特訓確定……」
頭を抱える女性の右手の指輪は、薄い赤色が下地となって、緑、黄、紫の細い線がはしっている。宝玉はもちろんのこと、その為の台座も影も形も無い。
指輪の色をみるに一応は近接戦闘を得意とするようだが、ほかにも色々と雑多な迷宮を踏破している行商人兼下級探索者のようだ。
「落ち着け。いろいろ聞きたいことがあるからまずは答えろ。おまえ名前は?」
なかなか話が進まないので、ケイスはとりあえず名前から確かめる事にする。
「あ……あぁぁっ! 悪い悪い! お初に名乗り忘れるなんて商人失格だな! 珍しい物あれば東へ西へ! 世界を股に掛ける大商人を夢見て今日もあちらこちら! 商人ギルド猟犬商会のミモザ・フルワードとはあたいの事さ!」
なにやら色々と情報の多い名乗りと共に、それらが事細かく書かれた名刺をミモザが懐から取りだしケイスへと差し出した。
よく見れば、【こちらをギルド本店でご提示いただければ全品一割引致します】とでかでかと目立つ様に書かれたその横には、見落としそうな小さな文字で(ご来店2回目まで)と注意書きがしてある。
元々行商人は印象に残るためか、勢い任せで調子の良い者が多いが、ここまでハイテンションな名乗りも珍しい。
「……くそっ、おやじ、兄貴共、恨むぞ。こんなこっぱずかしい名乗りをギルドルールにしやがって」
どうやらギルド員は絶対しなければならない挨拶のようで、ミモザは本意では無いのか顔どころか耳まで赤くしつつ、小さく愚痴をこぼしている。
「ケイスだ。家名は大願を果たすまで名乗らぬと誓っている。許せ」
しかしマイペースなことでは他の追随を許さないケイスは、特に何の感想も抱かず名刺を一瞥してから、通称であり、今の唯一の名で返す。
「ケイスね。あーちょいとケイスお嬢ちゃんの疑問に答える前に聞いてもいいかい?」
「ケイスで構わん。聞きたい事とはなんだ」
「んじゃ聞くけど……なんでケイスは裸なんよ?」
額当てをつけ、右手に羽の剣だけをもつだけの全裸状態だというのに、堂々と受け答えをするケイスを指さしたミモザは、心からの疑問だとばかりに問いかけてきた。
「いくら安全地帯って言ってたも、ここだって迷宮内だってのに。防具どころか服さえ無いって、さっき助けてくれたときもそうだったけど、現実感ねぇにもほどがあるから。天使のような超絶美少女の全裸バーサーカーって」
「温泉に入るついでに着ていた服をそこの温泉で全部洗っていたからだ。生乾きは気持ち悪いではないか」
鍛錬を積み、だらしない贅肉など一切ないという自負と、こう見えても元は従者付きの隠されし皇女。
着替えや風呂に世話係がついているのが当たり前だったケイスは、他人に裸を見られる事に一切の羞恥心を感じない。
「……迷宮内に野生化した人食い原住民が現れるって、アホみたいな噂を思い出してたけど、やっぱり噂だったか、現実の方が妙じゃぁねぇか」
ケイスのあまりに堂々とした的外れな答えに、呆気にとられたミモザは、冗談なのか、本気なのか判らない呟きをこぼしていた。