トランド大陸東域南西部には、広大な低地帯が広がる。
火龍が産み出した巨大火山が、探索者達との戦いの余波により崩壊して出来たカルデラ。
そこには、かつては十数カ国と数え切れない村々があった。しかし人の住まう地は今はない。
一呼吸で命を奪う毒の大気。全てを溶かす酸の湖。底の見えない無数の縦穴。支配者達たるは迷宮に住まうモンスター達。
そこは魔窟。人の侵入を阻む魔境。
かつての地名など記憶の彼方に消え去った東域カルデラ迷宮群より、物語の舞台は再び幕を開く。
神の一柱にミノトスという神がいる。
迷宮神とも崇められるかの神は、世界に災いが生まれたときに、人にその困難に立ち向かうべき力を与える為に迷宮を産み出す。
迷宮の試練を突破し、人外の力を手に入れ、人が災厄を打ち破るために。
力を、天より与えられる力【天恵】を求め、迷宮に挑む者達は探索者と呼ばれる。
ミノトスが産み出しその迷宮は、広大なトランド大陸全土に広がり、それでも止まること無く、拡張を続け、何度も生まれ変わり、再生され続けていく。
その特色によって、赤、青、白、黒、緑、黄、紫そして金色の8色で分類されし迷宮群はいつか現れる災厄を待ち続ける。
赤……近接戦闘技能
青……遠距離戦闘技能
黒……魔術戦闘技能
白……迷宮構造知識・地図作成技能
緑……罠察知・解除・気配察知・隠匿移動技能
黄……モンスターの生体知識及び解剖技能
紫……薬物・毒物知識及び取り扱い技能
金……総合的な力
永遠にあり続け、そして未だ厄災が現れないために、完成はしない生きた迷宮。
そこは【永宮未完】と呼ばれていた。
カルデラ迷宮群。赤の下級迷宮【魔禁沼】
得体も知れない死骸と腐った草木が絡み合う沼は、今も大地の底に残るマグマにより温められ不気味に沸き立つ。
臭気を伴う気泡が時折ぽこりと浮き上がり弾け、付近一帯に漂う晴れることのない霧の中で微かに響く。
このような環境下にも適応進化した植物たちは、石のように硬い樹皮に覆われ、根からの熱と栄養に全てを頼り、葉を失って久しい。
灰色に染まった葉の無い奇妙な木は、まるで石の柱のように見える事から石柱木と呼ばれる。
石のような木と奇妙ではあるが味のある形から、一風変わった柱建材として数奇者に時折求められるが、それ以外は特にこの迷宮でなければ採取できないという素材もなく、探索者達からは不人気な迷宮となっている。
不人気な理由はその迷宮名にもある。
沼から沸き立つ泡が産み出す霧は、僅かな火種や魔力に過剰反応して発火する性質を持つのだ。
地上迷宮ではあるが、昼間でも霧は深く、夜になれば真っ暗闇となり、足元はおぼつかなくなる。
しかも沼地に住まうモンスター類は大蛇の類いが多く、毒や、鉄鱗といった難儀な性質持ちも少なくない。
灯りのための火や、代用できる魔術も禁じられ、しかも鉄鱗の蛇を下手に攻撃すれば、放った斬撃で発生した火花で火だるまは免れない。
異常な高難度でここが下級迷宮だというのが、間違いではないかと言われるほど。
挑戦する探索者が少なく、それ故に迷宮主を倒す完全踏破はおろか、迷宮神の神印を見つけ迷宮を脱出するだけの踏破でさえ、ここ数期は果たされていない有様だ。
だがそれ故に挑む探索者達が時折現れるのも、不人気迷宮の常でもある。
「だっ!? クソがっ! こんな足元じゃあまともに逃げられねえぇぞ!」
「文句言ってないで足動かせ! てめぇが踏破してない迷宮なら天恵がっぽりだって言うからこの様だろうが! ウィードが喰われてる間に逃げるしかねぇんだよ!!」
無様に逃げる探索者の一行が怒鳴り合いながらも、沼の中に出来た僅かな道を必死に走っていく。
道から足を踏み外せば、沼に足を取られ、後ろから迫っている迷宮主にすぐに追いつかれる。
この沼の迷宮主は大木と見間違えるほどに太い胴体と、二つの頭を持つ多頭蛇。その全身は金属鱗で覆われており、着火の危険もあって下手な攻撃が出来ない。
先ほどまで聞こえていた仲間”だった”者の断末魔の叫びは既に聞こえなくなり、代わりにじゃらじゃらとなる鱗の音がまた響いてきている。
「いや! いやっ! こ、こんな所で終わるなんて!? もうじき日が暮れるのに出口まで戻れるの!? だ、だから、やだったのに! 初めての下級迷宮で未踏破宮を選ぶなんて!」
「巫山戯んな! ロウガの連中に負けられないつったのは誰だ!」
先頭を進む女剣士が恐慌状態で泣き叫ぶが、落ち着かせる余裕のある者など誰もいない。
ここまでのマッピングをした地図を何度も何度も見返しながら、何とか沼から出る為の道を思い出して選んでいくが、辺りを漂う霧は、不吉なほどに赤く染まってきている。
もうじき夜の帳は完全に降ろされる。そうなれば今はかろうじて見えている足元の道を確認する手段は無くなってしまう。
そうなればもはや逃げる手段もなくなり、自分達は先ほど喰われてしまった仲間の後を追うしかない。
彼らは、半年間に渡る初級探索者としての期間を終え、今期から下級探索者となった若者達だ。
始まりの宮を突破した者達は探索者となるが、それから次期の始まりの宮が終わるまでは、初級探索者と呼ばれる身となり、挑める迷宮も初級探索者だけが挑戦できる初級迷宮となる。
そして半年後。次期の始まりの宮の終了と共に自動的に下級探索者となり、初めて上位の下級迷宮へと挑めるようになる。
これは神の温情だと言われている。まずは難度の一番優しい迷宮に挑み、ある程度の経験を積み、本格的な探索者となるため、もしくは己の才に限界を感じ、諦めるために与えられた猶予だと。
そして彼らは、この上なく順調に始まりの宮を踏破し、初級迷宮も同期の中でも群を抜く功績をみせた。
だから増長した。自分達ならばここ数期は踏破されていない未踏破宮も踏破できるのではと。
そうでもしなければ、別の街ではあるが、話題になっている今期の者達に後れを取るという焦りもあったのだろうが、その結果は見ての通りだ。
彼らの命運はここで終わる。誰にも知られず、誰も知らず。
それはよくある話。別段トランド大陸では、珍しくもなく、ありふれた探索者の死。
つまりは傲りと高ぶり。そして油断が招いた死だ。
「ひっ!?」
ふいに悲鳴をあげて女剣士の足が止まる。前方から漂ってきた恐怖をもたらす気配に、これ以上先に進むのを拒否し竦む。
「と。とまるな! に、にげっ!?」
「な、なんだ……あ、あれ」
その背中に体当たりをかましそうになった後続の獣人も、その気配に気づき全身の毛を逆立て声を無くし、殿を勤めていた若い重装戦士も、二人とほぼ同時に足が止まり、そして異変に気づく。
赤く染まった霧にうっすらと浮かび沈み掛けた夕日が、いつの間にやら二つに増えていた。
霧の中急に現れた二つの夕日のうち1つは不動。だがもう一つの夕日は、血の色よりもさらに赤い深紅の妖光を纏い上下に動きながら、彼らの方に迫ってくる。
怪しく動く夕日から、その身の毛もよだつおぞましくそして恐怖を覚える気配。何よりも濃厚な血の臭いが漂ってきた。
あれは夕日などではない。化け物。そう化け物だ。
その妖光が進むごとに、沼から生えていた石柱木の一本が轟音をたてながら折れ、沼に沈む。
自分の行く先の邪魔をする木を叩き折って進む化け物の姿は、霧に隠れて見えない。ただ赤く光る目だけが空中を奔り、彼らから少し離れた沼の上を一瞬で通り抜けていった。
「い、今の、ま、まさか、赤の初級迷宮を荒らしまくっているって言う、あ、赤目の単眼巨人! レッドキュクロープス!? 下級迷宮にも出たの!?」
真っ赤な明かり。濃厚な血の臭い。そして化け物じみた剛力で障害物を叩き折る。それは極最近噂に囁かれるモンスターの話と一致した。
ここ最近赤の初級迷宮を次々に渡り歩き、迷宮主を食い殺す赤目のキュクロープスが発見されたと。
発見されたと言っても、その巨人の姿を見た者は誰もいない。
ただ赤く輝く単眼だけが確認され、それが抜けた先には、ばらばらに引きちぎられたモンスターの血肉の山が広がり、目が消えた後には、心臓を抉り殺された迷宮主の死骸だけが残っている。
「う、噂だ。そうだろ。んな化け物がいるわけ! な、なんだ次は!?」
あまりにも荒唐無稽な怪談話。迷宮食いレッドキュクロープスの噂は、迷宮に怯え逃げて、迷宮踏破の手柄を誰かに横取りされた新人達が、自分達の不甲斐なさを誤魔化すために、慰めるために噂していると。
誰も信じていない最近出来た噂話だと獣人が否定しようとすると、不意に何かの影が彼らの頭上を覆った。
慌てて防御態勢を取ろうとした彼らの目の前の沼に、大きな何かが轟音と共に落ちて来る。
「ひっ! ウ、ウィード!?」
熱泥を盛大に撒き散らかしながら頭上から振ってきた物をおそるおそる確認した女剣士は腰を抜かし、後ろに倒れ込む。
それは先ほどまで彼らを追いかけ回していた双頭大蛇の切り裂かれた頭部と、そしてその口からはみ出し苦悶の表情で絶命している仲間の死体だった。
「ん。ノエラ殿。上手く届いたか?」
沼の中に立つ石柱木の天辺に立ちながらケイスはゆっくりと息を整える。
(嬢の狙い通り逃げていた奴等の元に首は届いた。しかし仲間を囮に逃げるとは、最近の武人共は嘆かわしい)
「ん。己を犠牲にして、仲間を逃がしたかも知れぬから、悪く言ってやるな。埋葬は仲間達の手で故郷で行ってやれば良かろう。ここで埋葬してやるよりそちらの方が喜ぶだろう」
火花を飛ばさないように速度重視で斬った大蛇への警戒をしながら、額当てにつけた深紅の龍鱗に宿るノエラレイドの報告に覆面の下で頷く。
(娘。沼の中よりほかの蛇共が迫ってきておる。どうする……かなど聞くまでも無いな)
迷宮主よりは小さいがそれでも大蛇と呼んで遜色無い気配をいくつも探知したラフォスが、諦め半分の警戒の声をあげる。
「うむ。全部斬るぞ。ここの主は頭が2つで心臓も2つか。蛇の心臓は焼いても生でも美味しいからな。楽しみだ」
額当てを通して、迷宮主の双頭蛇の弱点を探りながらも、ケイスは弾んだ声をあげる。
双頭の蛇の片頭は、突っ込んできた勢いで斬り跳ばせたが、完全に足を止めたので、もう一度今の速度を出すのは少し時間が掛かる。
しかも仲間の蛇が近づいてきている以上、そこまで自由には動けない。
だが気にしない。同じ斬り方をしてもつまらない。
「大分、体調も戻ってきた。全開で行くぞ。お爺様。ノエラ殿」
始まりの宮から一ヶ月。斬って斬って斬りまくって、食べて寝る。
それを繰り返したケイスは怪我を急速に回復させ、全盛期の力を取り戻し始めていた。
これは迷宮に挑む、英雄の物語ではない。
英雄に憧れ、迷宮に挑み、死に行く者達への鎮魂歌でもない。
迷宮と共に生きる人達の暮らしを弾き語る詞曲でも無い。
ましてや世界の敵たる、災厄となるべき化け物の伝説でもない。
一人の剣士と、一人の鍛冶師が、出会うべくして出会う二人が出会うまでの物語である。