ロウガ始まりの宮、今期挑戦者達、全員踏破し帰還する!
探索者となるための最初の試練【始まりの宮】の挑戦者達が全員無事に帰還するという、史上初の快挙は、最初の帰還者から全員帰還の情報がもたらされると同時に支部に先触れが走り、すぐに管理協会本部にも報告された。
最初の帰還パーティが平均的には2日目の朝までには戻ってきて、その後後続のパーティが続々と続く帰還し、3日目の終わりに2割から3割が未帰還となる。
それが例年の流れだが、今回は3日目まで未だ帰還者無しという非常事態に、全滅もあり得るかと騒ぎになっていたロウガ支部関係者一同は、大逆転の朗報に胸をなで下ろした者が多数だったという。
しかも最初に突破する第一功を競って、足の引っ張り合いになる事も珍しくないというのに、全挑戦者による協力体制が敷かれ、全員の踏破確認終了後に脱出をしたという彼らの行動が、探索者間での協力を謳う管理協会の理念に沿った物であったことが、一部の関係者達を大いに喜ばせた。
昨今、仕事にあぶれた探索者や、過剰な権益を持った支部での数々の不正、犯罪行為の頻発で、問題視されていた探索者や管理協会の悪評を覆せると。
ロウガ全員帰還の報を知らせる管理協会本部の知らせは素早く、大規模な物となり、僅か1週間ほどでトランド大陸のみならず、別大陸にまで、全員の名が記された記事と共に過剰に装飾された美談として、盛んに喧伝されていた。
南方大陸統一帝国ルクセライゼン。帝都コルトバーナ。
別大陸への出発地点である国際港と、大陸各地と繋がる大運河の基点に築かれた難攻不落の水上大要塞コルト大宮殿。
代々の皇帝居城であるその最深部。皇帝私室では、幾重にも敷いた防諜魔術を用いて、現皇帝フィリオネスとその側近達による、内容は極めて私的ではあるが、帝国の未来を憂う大切な話し合いが行われていた。
「こちらが調べなくても、ケイネリアの行動が、自然とわかってくるようになりましたか。少しは楽できますかね。もっと早くかと思っておりましたが、3年もかかるとは」
今はまだ大量に名前が乗ったリストの中段に家名もなく記された程度だが、家出中の孫娘の愛称【ケイス】を発見し、カヨウ・レディアスは面白げに笑う。
今回の騒ぎに乗じて情報を集めても、国内の潜在的敵対皇族達や、姉の敵である紋章院にも、全員突破が可能となった理由を探っているだけだと思われるだけだ。
探索者は、それぞれの陣営でも手が喉から出るほどにほしい人材。ましてや、自分の手駒が確実に探索者となれるならば、これほど有用な情報はない。ルクセライゼンだけでなく、世界中の国家やギルドも同じように情報を集めだしている。
木を隠すなら森の中というべきか、カヨウ自らが暗黒時代の途中からトランド大陸中に張り巡らした精鋭隠密情報網である【草】すらも、時折見失っていたが、探索者となった以上は、迷宮に潜るときと帰還時に最寄り支部に報告義務があるので、ケイスの動向を格段に探りやすくなるはずだ。
「3年も隠し通せたのが奇跡でしょう。ケイネリア様の本来の力があれば、国の一つや二つ滅んでいてもおかしくありません。しかも悲報ではなく、朗報で知れ渡ったことをひとまずは喜びましょう。さすがは陛下の血を引く御子様です」
堅物過ぎる幼馴染みにして守護騎士であるリグライトは、ケイスは実の孫だというのに、あくまでも隠し子ではあるが主家の血をひく皇女として扱う常の態度で語る。
「リグ。その冗談は笑えんぞ。ケイネリアが絡んだ革命騒ぎで滅んだ小国があっただろ。あの時も、カンナビスの時も、いつ表舞台に出るか、出るかとヒヤヒヤしていたが、ついにきてしまったか」
祖父母達はそれぞれ多少は喜んではいるが、実の父であるフィオは頭を抱えるしかない。
ルクセライゼン皇帝フィリオネスの血を引く唯一の隠し皇女であるケイネリアスノーの存在は、国を揺るがす大きな火種。
国を思う皇帝として、そして無理、無茶、無謀と三拍子揃ってはいるが溺愛する愛娘を思う父としても、心配と悩みの種は尽きることなく、これから加速度的に増えていくことだろう。
「遅かれ早かれ、こうなる日はいつか来ると覚悟を決めていたでしょう。それにしてもイドラスの隠し子として私に似た容姿を誤魔化す予定でしたが、ソウくんの血筋として疑われるようになるとは。相変わらず読めない子ですね」
「それだカヨウ。元遊び人のソウタの奴はともかくとして、ユイナ殿に誠に申し訳ない」
「ソウタ殿を嫌い、何度か揉めた事から疑われたようですね。しかしソウタ殿は、ケイネリア様が是非話して剣を交えたいと常々あげていた武人の一人。何があったのでしょうか?」
「あの子のことだ。私達には判らない理由だろう……それよりも今回の件だ。どう作用すると思う」
理解出来るかどうかは別として、いくら考えても愛娘の行動原理は、本人から直接に聞かない限り判らない。
世間でよく聞かれる父親の愚痴と似たようで、決定的に違う本音をもらしたフィオは、父から皇帝としての表情に切り変え、この騒ぎがルクセライゼンにどう影響するか、相談役のカヨウに問う。
「准皇家による次期皇帝候補選抜圧力が、まず間違いなく強まるでしょう。長期にわたるメギウス家の皇位専有を面白く思わない方々も増えてきております。今回のロウガの踏破者の中に齢13の少女がいたという話も、適正年齢を満たすが突出した力を持たない後継者候補を、協会の年齢制限に満たない一族の若者にすげ替えたい准皇家にとっては、力尽くでねじ込む後押しとなりますでしょう」
「上級探索者となり、始祖様の天印武具を得た者が次代の皇帝となり国を治めよか……それが我が国の伝統とはいえ業の深い話だ」
自身も上級探索者であるが故に、皇位継承戦の困難を知るが故に、一族の血を流す争いにフィリオネスは憂いを浮かべる。
だがそれはパーティメンバーであるカヨウとリグライトしかいない、この場でしか口に出せない。
公言した瞬間、准皇家のいくつかと、国体を維持する紋章院との内乱となり、それは民を巻き込む大騒乱となるだろう。
人類存亡の危機となった暗黒期に、人種の力を結集させるため旧ルクセライゼン王国が南方大陸を統一して統一帝国ルクセライゼンが建国されて既に数百年以上。様々な歪みを今のルクセライゼンは内包している。
ロウガよりもたらされた快挙の報は、皇帝の出身であるメギウス家を含めて、旧王族であり皇位継承権を持つ各准皇家間での争いはもちろん、准皇家内での勢力争いも熾烈を極める事となっていく。
トランド大陸中央領域への入り口であり、大迷宮北リトラセ砂漠迷宮群に隣接する迷宮隣接都市カンナビスでも、ロウガからもたらされた報は街中での話題となっていた。
「今年のカンナビスの始まりの宮踏破率は8割弱か。これでも普通なら多い方だってのにな。ボイド。親父さんの方は大丈夫か?」
探索者向けの情報が載った新聞を片手に、杯を傾けていた魔族のヴィオンは、親友であるボイドとそして恋人であるセラの父親であるカンナビス支部長の心配をする。
ロウガ支部全員突破と本部からの転送記事を大々的な喧伝する横で、ひっそりとカンナビス支部が発表した始まりの宮の踏破率は、決して悪くない数字だ。
8割が帰還。しかも最初の踏破パーティは1日待たずにスピードクリアと、何時もなら酒場では期待の新人達への祝杯が飛び交い、亡くなった者達に多少の哀悼が捧げられるのが、始まりの宮後のカンナビスの酒場での常だ。
「ロウガで全員帰還が出来て、何故カンナビスはこれだけ未帰還者、死者が出たんだって問題になってるそうだ。踏破に湧いていたルーキー共も、仲間を死なせたって非難の声に凹んでいるのが多くて、しばらくはケアが必要だとよ」
「スオリーお姉ちゃんも、遺族の人達からの支部の怠慢が原因じゃないかって問い合わせが多くて大変みたい。探索者なら自分の命は自分の責任だって、覚悟が無くてどうするって話よ。盛り場での話題もあんな感じでロウガ一色みたいだし、地元なのにしばらく肩身が狭いかも」
出鼻をくじかれた後輩達を心配するボイドと違い、強制されたわけでもなく自分で選らんで探索者を目指していたのだからとセラは不満げだ。
今期は完全にロウガに話題を持って行かれ、聞こえてくるのも、今期に挑んだロウガ王女や仕えるサムライのラブロマンスやら、同期全員を恫喝して協力させた姉御肌の赤毛の大女といった根も葉も無い噂話が流れている。
「みんなを纏めた赤毛の大女ってルディアの事よね。薬師だってのに。しかもウォーギンさんまで探索者になったみたいだし、やっぱりこれってケイス絡みだよね」
「間違いなくケイスの仕業だろ。なんか噂じゃあ、あんまり名前が出てないのが妙だけどな。ルディアからの手紙じゃ、無事に発見して合流は出来たが、未だに、カンナビスの事は知らない、ロウガで初対面だって言い張ってるらしい。なに考えているか知らないが、相変わらずおもしれぇな。あのちびっ子は」
どうにも相性が悪くケイスを苦手とするセラと違い、ヴィオンの方はケイスを面白がっているので楽しげな声で笑う。
「全く死んだかと思って心配してりゃこれだからな。うかうかしてると、俺らもすぐに抜かれかねないな。中級探索者を目指してそろそろ本腰を入れるか」
「兄貴気合い入れすぎ。張り切るのは良いけど、その前にお仕事お仕事。今回もラズファンへの護衛で常連のファンリアさんは払いは良いし、ご飯もミズナさんの所で美味しいんだから、楽しみながら稼がせてもらいましょ」
ケイスと同じく近接戦闘を得意とするボイドが、ケイスに触発されたのか、金属製のカップがミシリとなるほどに力を入れるのをみて、セラはあきれ顔を浮かべていた。
「親父。この剣とこの斧は前ほど良くねぇぞ。あとこっちの弓はもう少し高値でもいけるんじゃねぇか」
日課の夕方鍛錬を済ませたラクトは、先ほどまで使っていた武器を馬車の床に並べて丹念に整備していく。
キャラバンは明日にはカンナビスの街へと入る。
始まりの宮が終わり1週間。閉鎖期で閉じていた迷宮が再開して、内部が変化し新造、改造された迷宮に挑んでいた探索者たちの第一陣が戻ってくる。劣化した武器や損傷した防具の代わりを求めた買い手や、職人達から頼まれている迷宮素材の仕入れには、丁度いい頃合いだ。
神術再生した両足は、寒いときは多少は痛むが、今ではほぼ支障がない程度に治っている。
脅威的な回復力の原因が、ラクトの命を救うためとはいえその両足を切断したケイスが教えた闘気生成法と回復強化のコツなのだから、恨むべきか、感謝すべきかラクトとしては微妙だった。
「おう。じゃあ仕入れ先を少し変えるか。そっちの武具工房は先代が引退して、代替わりで揉めてるみたいだから新規を開拓するしかねぇな」
ケイスとの一戦以来、武具の微細な感覚を直感的に捉える才能に目覚めた息子の批評を、武器商人としての矜持を持つマークスも、素直に受け入れる。
ラクトが実際に使って判断した感想は、マークス自身の目と同じくらい信頼できる物と今では思っているほどだ。
マークスの商売の師匠で商隊長のファンリアさえ、ラクトの武器鑑定には、武器の神様にでも見出されたか、それともケイスの殺気で生存本能が刺激された結果かと、煙草片手に感心するほどだ。
そのまま親子は背中合わせで在庫を調べたり、整備していると、ラクトがぽつりと告げる。
「なぁ、親父。16になったら俺はカンナビスで挑む。あんな事が出来る無茶苦茶な奴に勝つ為には、少しでも時間を無駄に出来ない」
何がとか、どうしてだとはマークスは問わない。
ラクトが当に決めていたことを知っているし、改めて声に出して決心をさせた原因もわかっているからだ。
盛んに喧伝されるロウガで行われた快挙の報は、耳の早い商人達の間でも大いに話題になっている。
その派手な情報の中、特別枠の13才という年齢以外はひっそりと書かれていた名前のみの少女の名を親子が見逃すはずもなかった。
「そうか……それまでに俺の生涯で最高の武具を仕入れなきゃならねぇな。ケイスにやった羽の剣を凌ぐ奴をな」
今の息子にならどんな武器でも扱えるだろう。親馬鹿と笑われようが、それがマークスの今の見立て。
武器商人として大成したくば人を見る目を鍛えろという、小生意気にもほどがあったケイスのアドバイスに従い、跡取りを失う代わりにマークスが得た力は、胸を張って武器を託せる戦士を見出す力となっていた。
だがその目を持ってしても、そして実際に刃を交えたラクトを持ってしても、ケイスの力の限界は見極められない。
人の領域を越える力を持つケイスに挑むのが、無謀なのか、それとも必然なのか。答えが出るのはまだ先の話だ。
「申し訳ありません。ロウガ支部は元より、協会本部でも、まだ詳細情報は極秘とされており噂や喧伝された内容以外は、細かな事実は詳細不明です」
砂交じりの風が吹くカンナビスの上空。月明かりを受けながら陰行魔術で足元を隠しながら、カンナビス支部の受付嬢であり、隠れ中級探索者、草の構成員でもあるスオリーは、臨時調査の一次報告を済ませる。
「街中の噂にも情報操作の疑いがあった。協会本部が意図的に隠している可能性が高い。その馬鹿皇女を知っている竜獣翁様に頼った方が良い。情報収拾のためだからって、お酒ばかり飲まされて、仲間にならないかという誘いを断り続けるのもそろそろきつい」
調査指示が出て3日しかないが、酒場やらギルドを廻り雑多な情報を集めてきた同僚の女魔獣師のニズラが、特徴的な入れ墨を入れた頬を赤くしながら酒臭い息を吐きながら抑揚の無い口調で告げる。
基本的にはスオリーが情報収集担当で、相方のニズラは迷宮内情報収集を専門とする実行担当なのだが、今のスオリーは表の仕事での問い合わせが多く、禄に動けないので、ニズラが情報集めに動いていた。
ニズラはスオリーと違い、協会に正規登録した探索者であり、様々なパーティを渡り歩くフリー探索者。モンスターを捕縛し使役できる珍しい職業の魔獣師ということで、固定パーティやギルドへの勧誘の誘いも多く、話を聞き出すついでに口説かれて苦労しているようだ。
『それが出来たら苦労しない。死んだはずの者のことなど知らんで完全拒否だ。緑帝の爺様がケイネリアの事を知って動くことを警戒してんだろうから仕方ない』
草を管理する元締めであるリグライトとカヨウの息子であるイドラスは、ニズラの提案を即時却下し、顔をしかめる。
コオウゼルグと同じく元フォールセンパーティの一員である協会本部理事の一人であり大英雄が一人『緑帝』ミウロ・イアラス。
龍嫌いで知られる老エルフの種師は、相手がかつての仲間の血を引こうとも、悪意ある龍と認定すれば良くて隔離、場合によっては死滅を掲げる対龍強硬論者。
彼の基準からすればケイスなど勝手気ままに暴れる龍その物。即殲滅対象となりかね無い。
『ともかく今回の詳細記録を至急あつめろがスポンサー様のご意向だ。全員が帰還するなんてシチュエーション。剣戟舞台の題材としちゃ美味しすぎるからな。ただどう書いても、後からケイネリアに覆されそうだって、筆が進まないそうだ。あの放蕩変人女侯爵様は』
『イド! 聞こえておりますよ! あーあの姪っ子は! 何をしたらどうやって全員を踏破させれたというのですか!? さすがは私の愛するリオラ姉様の血を引く逸材! リオラ姉様への愛に誓って私の劇場で世界に先駆け公開しなければ!』
事実は小説よりも奇なりを地でいく姪っ子に、真逆な意味で悩まされる叔父と伯母の声がカンナビスの夜空には響き渡っていた。
「コオウ老。すみませんが。調査をお願いします。ロウガの始まりの宮となった舞台はどうも対龍都市の遺跡の一つのようです」
年齢は既に600を超えるが、上級探索者であり元々老化が緩やかで長寿のエルフ族出身故に若々しい風貌を保ち続けるミウロ・イアラスは、気心の知れた老賢者へと現地調査の依頼書を渡す。
「この辺りは今は人外未踏の危険領域ばかりか。地図を造りながら進むとしても、地形は大幅に変わり、都市遺構も地下深くに埋まり場所の特定が難しいがなんとかなるだろう。半月後には季節の新作が出る予定だったが、戻ってからの楽しみとするしかなかろうな」
出された茶受けを右手で鷲づかみしながら好物の甘味を味わうコオウゼルグは、左手で資料を速読し終えると、上級迷宮をいくつも踏破した先の、活火山が活発に活動した山岳や毒ガス溜まりが点在する高原地帯など、第一級の危険地域への調査だというのに、さほど気にした様子も無く引き受ける。
コオウゼルグにとっては、調査中に売り出されるであろう、新作の甘味が味わえないことの方が問題のようだ。
「いえ、それがさほど難しくないと思われます。始まりの宮終了と共に、この地域に未曾有の大地震が発生し、同時に天に昇る巨大な魔力攻撃反応を、年単位攻略を必要とする近隣の上位迷宮に篭もっていた探索者パーティが観測しています。遠く離れた地域でも、岩石の落下や土の堆積が確認され、おそらくは地層ごと吹き飛んでいるので、一目で判るかと」
「資料にあった脱出用の魔力砲撃を何者かが使用したというのか?」
「判りません。最後の挑戦者達が踏破後すぐに全員で脱出したという事なので、残っていた者はいないと報告されています。始まりの宮が踏破されたことで、上位の迷宮へと変化して発生したのかも知れません。都市を覆うほどの火龍の石化天井の存在は捨て置けません。情報が漏れれば龍の遺骸を求め、調査や採掘を行おうという国や、ギルドはいくらでもあります。争乱の火種となるまえに協会で直轄管理が出来れば良いのですが」
「おまえも苦労が絶えぬな。リンドレイの1/10でも人生を楽しめれば楽になろう物を」
「大切な戦友で、今となっては対等に話せる得がたい友人ですが、彼のように一族から死亡扱いされるほど奔放なのはちょっと」
「本人は喜んでいたがな。これで自由に旅が出来ると。目的が覗き旅行なのがどうかとは思うがな」
数年前に一族から死んだ扱いにされ、それはそれは盛大な葬儀が執り行われた大英雄の一人【妖精光】リンドレイ・クロゼリスの事を話ながらも、竜獣翁コオウゼルグは脳裏に、もう一人のどうかと思う、死んだ扱いの理解不能少女のことを思い浮かべていた。
「なんじゃ土産と言うからには当時の面白い物かと思えば石版か」
「死人がふらふら出歩くな。へんた……大師匠。なんのようだ?」
身の丈以上もある石版の前で解読作業をしていたファンドーレは、いつの間にやら部屋を訪れていた所属クランの創始者にして、妖精魔術の師匠の師匠、さらにその上、開祖である【妖精光】リンドレイを邪険に扱う。
リンドレイは間違いなく一族の誇りであるが、同時に類い希なる陰行魔術を自由自在に使い、覗きやら痴漢まがいのセクハラに及ぶ厄介すぎる変質者で、その名声が汚れることを危ぶんだクランの上層部が一致して死んだことにしてある。
「なにあの嬢ちゃんの感想はどうだったかと思っての」
「あれは馬鹿だ。腕は立つが、大馬鹿だな。ロウガ支部の上層部が頭を抱えるのも当然だ。しかし大師匠がどうしてあいつを気にする」
腐っても師匠筋にしてクランの元最高指導者。ウォーギンからの声掛け以外にも、リンドレイの頼みがあって、ケイス達のパーティに加わったが、そのケイスの行動が予想以上に理解不能すぎた。頭がおかしいが結論だ。
「ちょっと気になってな……あの幼さと将来性が混じった未成熟な身体は来る物があっての。亡くすのは惜しいとな」
一瞬真面目な表情を浮かべたかと思えば、下らない理由をあげたリンドレイに、作業の邪魔をされファンドーレは呆れかえるしか無い。
「なら触りに行けば良い。そして斬り殺されてこい変態」
卓越した回復魔術と幻影魔術によって不死者とまで呼ばれるリンドレイを殺せる者などそうはいない。
だが訳の判らない強さをもつケイスならどうにかするだろうと、一族の期待を込めてファンドーレは吐き捨てた。
「名誉にこだわらぬ。というか開催を知っても戻ってこないのは、ケイス殿らしいといえばケイス殿らしいな」
「笑い事ではありません祖父殿……あの大馬鹿娘は何を考えている!」
「もう諦めましょうソウタ殿。あの方をコントロールしようとするのが浅はかだと、私も思い知りました」
フォールセン邸の応接室。大英雄フォールセン。鬼翼ソウセツ。そしてロウガ前女王ユイナの三人は遅めの茶会を開きながら、ソウセツの愚痴に耳を傾けていた。
昨夜に王宮で行われた踏破と帰還を祝うパーティに、来賓として招いたフォールセンへ出席の礼を言うのが本来の目的だったのだが、ケイス関連が主となるのは避けられない話だ。
全員踏破という偉業に、異例ではあるが、ロウガの挑戦者達、いや新しく初級探索者となったルーキー達が全員が招かれ、怪我をしている者も僅かな時間とはいえ出席をした盛大なパーティではあったが、唯一の欠席者がいた。それがケイスだ。
「ギリギリまでまで始まりの宮から出てこない! 出てきたと思ったら、捕縛しようとした支部所属探索者達を返り討ちにしてそのまま初級迷宮に挑むなんて前代未聞だ!」
すぐに出てくるはずのケイスは、セイジに支えられたサナが脱出しても出てこなかった事から、おそらく迷宮内で戦闘を始めたという予測は、誰もがすぐに想像は出来ていた。
最初はその帰還を待ってから龍王湖を離れるという意見もあったのだが、怪我人がいることや、全員踏破完了という知らせが、先頭で出てきたルディアからもたらされた瞬間に、ロウガ支部に使いが走ってしまい、その支部から帰還命令が出てしまったので、同期全員と新人教育の総責任者のガンズが離れた事が、後の喜劇にして悲劇に繋がる。
龍王湖に残った支部職員でもある下級探索者達は、油断せずに連れて帰れとガンズから指示をされていたのだが、探索者に成り立ての小娘とケイスを侮ったのか、力尽くの無理矢理に連れて帰ろうとして、怒ったケイスによって返り討ちの憂き目にあってしまい。
しかも当の本人は一番乗りを目指して、そのまま開いたばかりの赤の初級迷宮へと突入。そして1週間が過ぎたのに、未だロウガに未帰還という有様だ。
初級迷宮は成り立ての初級探索者しか入れない迷宮。同期から有志一同が捜索に出て、途中で何度か遭遇したがそれも全て逃げられ、慰労パーティのことを叫んで知らせても、行けたら行くという行く気のない回答が帰ってくる始末で、結局パーティ当夜になってもケイスは帰還せず迷宮攻略を未だ優先中。
踏破した者達の証言を信じるならば、今回の全員突破の快挙の立役者は間違いなくケイス。
だがその当人が未帰還で、またロウガ支部に正式登録していないので、規則に原則に照らし合わせると未だ未帰還者扱いになる。
先走った一部の者達が既に協会本部に全員踏破と伝えてしまっており、今更戻っていない者がいると告げることも出来ず、しかもそれが大英雄フォールセンの最後の弟子。
対応に困り果てた支部は、ケイスだけが怪我の状態が重く欠席したとしつつ、他の踏破者達の噂や情報を多く流して、ケイスの存在を薄めて面子を保つのが精一杯の工作だった。
「それにしてもガンズ殿も相当に怒っていたが、ソウタも負けず劣らずだな」
「まぁ、でも今回一番怒っているのはどうもウチのサナらしいですよ。なにやらケイス様との間に色々と抱えることになったのか難しい顔をしております。今日も迷宮帰りにケイス様の御親友の薬師殿の所によると言う話でしたので、若いっていいですね」
ケイスに関しては当事者となるより、傍観者に徹底している方が精神的疲労が少ない。理解不能なケイスに積極的に関わる気力の続く孫娘の若さを、ユイナは少し羨んでいた。
「なんであの娘はまだ戻っていないのですか!? 隠しているならルディアさんでも許しません!」
「隠しませんって。あの馬鹿を発見次第、俺を呼べってガンズ先生も怒り心頭なんですから」
カウンターで魔術薬の調合をしながら、ルディアは迷宮から帰り道にそのまま寄ったサナの何時もの詰問に、何時もの答えを返す。
「王宮での慰労パーティさえあの子だけ欠席した所為で、その実力が疑われているというのに! これでは私達がバカみたいではないですか!」
今回の件は聞いた者全てが褒め称えるわけではなく、全員が踏破できるほど温いのだろと小馬鹿にする者や、たった13才の小娘でも踏破できるなら俺も受ければ良かったと冗談交じりで嘆く者も僅かながらに出ている。
命がけで迷宮を踏破したというのに、少しでもそんな風に言われる事が腹立たしいのか、サナの背中で翼がバサバサと怒りに揺れた。
室内で風を起こすのは勘弁してほしいのだが、それを指摘すると余計怒りそうなので、ルディアは黙って聞き役に徹する。
後ろに控えているセイジが頭を下げ、落ちた紙束や依頼書を丁寧に拾っているが、激怒しているサナは気づいていない。
こうやってルディアの所に顔を出す同期達は、何もサナだけではない。
ケイスの行方を尋ねてくる者や、魔術薬を求めに来る者。はたまた単に雑談に来る者と、いろいろあるが、概ね同期間の仲は良く、ギルド間のいざこざが絶えないロウガでは、近年まれにみる良好な関係が築かれているというのがガンズの弁だ。
どうも始まりの宮内で皆の動きを仕切ったために、その流れで同期の幹事役というか仲介役にされている節をルディアは感じている。
面倒ではあるが、世間には理解されない、そして理解が出来ないケイスを、上手いこと世間と繋げる役目をするには、ある意味で好都合だ。
「戻ったら一番に知らせますから落ち着いてお茶でもどうですか。胃薬もありますけど」
「……両方、頂きます。よく効きますから常備薬としたいほどです」
ルディア自身、ケイスと関わってから常備している茶や薬を勧めると、サナは胃の辺りを抑えながら、それを不承不承ながら受け取った。
大国の皇帝を父として持ち、不義の子として生まれた隠されし皇女は、生まれながらにして世界の敵となる為、神に見そめられ、迷宮に捕らわれ、迷宮と共に成長を続けていく。
だがその神の定めた運命さえも、少女はもっとも可能性の少ない数奇な道をただただ走り抜けて進んでいく。
かつての迷宮であり生まれ故郷でもある【龍冠】を離れ、世界で唯一今も生き続け拡張をし変化をつづける大迷宮【永宮未完】へと。
世界に知られていなかった皇女がその三年に及ぶ旅の途上で出会った者達は数多い。
遭遇した事件は、歴史書に載るような物から、すぐに記憶から忘れ去られる些細な物も含めれば、枚挙に暇など無いほどに濃密。
正体を知らずとも、存在を知る者は多く生まれた。
だが知りはしても、その思考を、生き様を理解、共感が出来る者は未だ皆無。
生まれ育った迷宮を出ることで幼き皇女は、広い世界と多数の人を知る。
知れば知るほど、その孤独は強くなっていく。
誰にも理解出来ない。理解されない。
それでも皇女は駆け抜ける。
ただただ斬り続ける。
己を現す剣に、己の全部を、いつか理解してくれる者がいるだろうと期待と希望を持ち続け、迷宮を踏破していく。
この世の生きとし生ける全ての存在の天敵。
龍の中の龍。龍王。
だが皇女の至るべき頂点はそこではない。そこで終わるはずがない。
なぜならそこは誰かがいつかたどり着いた道でしかない。
至るべきは未踏の地。
人にして全ての龍王を統べる龍。
この世の頂点として君臨し、それ故に矛盾した属性を抱える4種の龍王。
火の山に捕らわれし剛炎赤龍王。
地の底に沈められし地底黄龍王。
天に縛り付けられし蒼天白龍王。
水面の底で微睡みし深海青龍王。
混ざれば互いに消滅するはずの龍王達を統べ全てを喰らい、己が力とし龍王の中の龍王。
世界を滅ぼし、世界の全てを斬る、この世の殺戮者にして、神々すら斬る。
それは存在しない、あり得ないはずの可能性。神に勝る、人などいない。いてはいけない。
そのあり得ない目を出すために、迷宮神に求められた龍帝となるべき皇女の真名はケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼン。
しかし世間に知られる名は、また違う。
近接戦闘を司る赤の迷宮のみを踏破し続け、やがては探索者としての二つ名に、赤の迷宮の色名そのものを与えられる。
その迷宮を代表し、その分野においては並ぶ者は無しの探索者として最上の名誉【赤のケイス】と呼ばれることになる皇女。
そんな人外を行くケイスを理解する者は、人であった。
人でありながら、ケイス以上に歪み、ケイスさえも凌駕する、剣しかみない狂った鍛冶師と出会うまでは、まだ幾ばくかの時が過ぎるのを待たねばならない。
神の一柱にミノトスという神がいる
生命に試練と褒賞を与える迷宮を司るミノトスは常に悩みを抱えていた。
いかに趣向を凝らした悪辣な罠を仕掛けようとも凶悪なモンスターを徘徊させようとも一度踏破されたダンジョンはその意義を失う。
難敵を攻略する為の情報が飛び交い、迷宮の秘密は暴露され、略奪された宝物が戻る事はない。
何千、何万の迷宮を製作し、やがて彼は一つの答えに到達する。
そしてその答えを、長い年月をかけ、形として作り上げた。
それこそが『生きる迷宮』
街を飲み込むほど巨大な蚯蚓が、複雑に入り組んだ主道を作る。
地下を住処とする種族が、その穴を通路へと変え、末端を広げていく。
迷宮から持ち出された宝物は、所有者の死亡や物理的な消失に伴い、神力、魔力の粒となり大気へと消えやがて、風や水に運ばれて迷宮に再び舞い戻り宝物として再生する。
神域へと近づいた職人や理を知る魔術師。
異なる世界を観る芸術家。
彼らによって生み出された新たなる宝物には、神印と呼ばれる記章が浮かび上がり、やがて運命に導かれるように迷宮へとたどり着く。
数多く存在する宝物が放つ神力、魔力に魅了されたモンスターが自然に集まり、大規模な群れを形成し異種交配を重ねて新たな種族が生まれていく。
その存在が世に知れ渡って既に幾年月。
いまだ拡張を続け、古き宝物が戻り、新しい宝物が発生し、太古より生き続ける伝説のモンスターが徘徊し、日々図鑑にも載っていない未知の種族が生まれる。
世界で唯一の生きた迷宮。
そこは【永宮未完】と呼ばれていた。