廃墟都市の神殿広場の一角。迷宮神ミノトスを祭った半壊したミノトス神殿。その門にはミノトスの神印が浮かび、踏破した者が通過すれば迷宮外へと戻れる出口となっていた。
広場には、上から降りてきた挑戦者達が 最終仮拠点兼集合場所として陣を張っている。
陣と行っても適当に煮炊き用の火をおこし、怪我人を寝かすためにテントをいくつか立てただけで、後は天井となった龍の群れを見上げて土産話用に目に焼き付けていたり、そこらに座り込んで身体を休めたり、モンスターの気配はないが一応は周囲を警戒する等、思い思いに過ごしていた。
時刻は最終日となった3日目の明け方。あと1日しかないのだが彼らの顔に焦りはない。なぜなら彼らの指に嵌めた指輪は既に色を帯びている。
ここにいる全員が始まりの宮を踏破していた。後は門をくぐるだけなのだが、待機をしていたのは訳がある。
それは……
上部へと通じている横穴から、誰かが転げるような速度で駆け下りてきて、広場に駆け込んでくきた。
「残っていた連中も全員無事に踏破完了で指輪が色づいた! 負傷者はいるけど軽傷で問題は無し! これで全員で探索者になってロウガに帰れるぞ!」
待ち望んでいた知らせを持って現れた先触れの戦士の報告に大歓声が起きた。
「しゃぁぁっ! きたきた!」
「うそっ……ほんとに出来た。やったの!?」
「全員突破って世界初だろ!? つ痛ぇ! まじか!? 俺ら!?」
周辺警戒をしていた戦士が槍を突き上げ、疲労で座り込んでいたエルフの少女は涙ぐみ、怪我を負って横になっていた獣人の若者は思わず跳ね起きて痛みに悲鳴をあげる。
様々な反応を見せる若者達に共通するのは、驚き。そして笑顔だ。
管理協会発足以来。さらに言えばその遥か昔より、探索者となるための最初の試練迷宮【始まりの宮】は大陸のあちらこちらで半年に一度だけ開き、数多の若者が命がけの挑戦を繰り広げてきた。
だが挑んだ若者が誰も帰らなかった事は有っても、誰も犠牲にならず全員が帰還した事例は無い。
だがそれも今日までだ。
挑戦者全員が迷宮を踏破し帰還するという奇跡は、目前まで迫っていた。
しかもその偉業を自分達が成し遂げるという協会史に刻まれる名誉と共に。
歓喜の声は止むことなく、探索者となった後は商売敵となるギルドに所属する事が内定している者達や、何度も喧嘩騒ぎを起こした敵対武術道場の門下生達でさえ、朗報に肩を組み、互いの健闘をたたえる。
まだ脱出をしていないのに、前祝いだと早々と祝杯を挙げようとする者まで出てくる始末だ。
発展著しいロウガには、新旧様々な勢力が入り乱れ、争いの種があちらこちらに発生しており、その勢力争いには探索者を目指す若者達の大半は無関係ではいられない。
通常であれば始まりの宮は、ライバル達に負けぬように、出し抜き、誰よりも早く踏破しようという争いになる。
だから全員が協力し、ライバル達の無事を祈る等、考える事さえ無かった。
だが今回はスタートから違った。あまりに巨大な迷宮。いきなり始まった乱戦。
個々のパーティだけで挑んでいては壊滅必至な状況に、迷宮外の立場を一時的に忘れ協力して行動したことが、困難すぎた事が、良い方向に働き、一時的な同盟は極めて機能的にこの最終日まで維持され続けていた。
地図共有魔具を用いた効率的な探索。
獣人族による斥候情報を用いた、多人数による安全度の高い戦闘。
身体を安心して休ませられる仮拠点、充実した薬品類などの万全のバックアップ体制。
さらには先行してこの廃墟都市にたどり着いたファンドーレが、上部の詳細地図を発見しており、一気に全容を暴き出。
最初は多少のわだかまりなどもあったが、迷宮という極限状態の中で、これらの助けをありがたく思わない者など誰もおらず、3日目の今日ともなると、粗はかなり目立つが1つの集団と呼んで差し支えのない連携がそれなりには出来ていた。
そんな彼らの中心部。各パーティの中心人物達が集まっていた場の中心にルディアがいた。
「皆さん。ありがとうございます。本当に無茶な願いを聞いてもらって、これで全員で帰れます」
待ち望んでいた報告に安堵の息を吐いたルディアは、燃えるような赤髪の頭を下げる。
なし崩しとはいえまとめ役をやっている以上、過剰な緊張を強いられていたのだが、ようやく肩の荷が下りた気分だ。
「お疲れさんだなルディアさん。こっちこそありがとうな」
「そうそう。姉さんの気づかいのおかげで上手いこと廻ってたんだしよ。いやマジ助かった!」
「そうですそうです! ルディアさん達のおかげで、ロウガの始まりの宮に挑んだ全員が突破って、世界初の偉業が成し遂げられるんですから! この肩書は宝物ですよ! 私達全員期待の若手として色々仕事も斡旋してもらえますよ!」
一番年上のクレイズンが感謝の言葉を告げると、周りのパーティリーダー達も感謝やねぎらいの言葉を次々に贈ってくる。
これからの先の展望に期待を膨らませる者達も多いほどだ。
「いえ、ほんと、皆さんがあたし達を信じてくれたおかげですから……ほらあたし達はケイスがアレなんで。特にクレイズンさんが仲介してくれなかったら、こんなに上手く行ってないですし」
同期全員との協力体制を敷こうなんて無茶な案が上手く行ったのは、バイト先の薬屋の常連という繋がりが有ったとはいえ、あちこちに顔の利くクレイズンが仲介してくれたおかげというのがルディアの正直な感想。
共闘を呼びかけたルディアが別大陸出身で地盤がないというのもあるが、何よりも前評判も悪く、そして実際にも、色々と厄介ごとを起こすケイスがいるのだ。不信感を持たれても仕方ない。
それでも何とか協力体制を維持が出来たのは、奇跡だとルディアは思っている。
「俺はたいしたことしてねぇよ。それよりあんたのパーティの頑張りだろ。特にそのケイス嬢ちゃんだ。姫様の話じゃ、ここにいたモンスターもあの子がどうにかしたんだろ」
「そうそう。それだけじゃなくて、あの子が最初にあんな無茶したから、最初の罠は切り抜けられた。その上で迷宮主まで早々に倒してくれたおかげで、かなり楽だったからな」
「ありゃ大物になる。っていうか既に大物だろ。そのうち自慢できるかもな。あのケイスと同期なんだぜって」
無茶苦茶すぎるケイスを心底よく知るが故に、その評価がどうしても厳しくなってしまうルディアとは違い、比較的被害の少ない同期達の評価はかなり好意的になっていたようだ。
「さすがに双剣フォールセン様の最後の弟子と噂されるだけあります……でもその無茶の反動で彼女は倒れたままなのでしょ? 大丈夫なんでしょうか?」
心配げな顔でケイスを寝かしているテントの方を見た女性神官に対して、ルディアは何とも言えない曖昧な笑みを浮かべるしかない。
「あー……疲れているだけなので大丈夫だと思います。何時ものことなんで、えぇ本当に何時ものことなので」
何とか二日目の明け方頃にケイスとは合流できたが、嘘をつくのは心苦しいが、極度の疲労で今も寝込んでいる事にしてケイスを隔離している。
事態はもっと厄介で、馬鹿馬鹿しく、そしてケイスらしい事になっている。
考えると頭が痛くなるが、ケイスが昏睡状態であったのが僥倖だった思うことにする。
寝顔だけは深窓の美少女そのもので、見る者の目を引き大人しいから好評価を維持できているのだと。
「お。そうだケイス嬢ちゃんに伝えに行ってきなよ。嬉しい報告に案外すぐ目を覚ますかも知れないだろ。あの子が俺ら全員が探索者になるのを最初に望んでいたんだろ」
「あー……じゃあすみません。少しお任せします。ちょっとケイスの様子を見るついでに、サナさん達にも報告をしてきます」
もっともそれはケイスが起きるまでの短い平和だとも知っていた。
「……まだ目覚めない。人払いはしているからばれてはいない」
ケイスの眠るテントの入り口にルディアが近づくと、その脇で番をしていたサナのパーティに所属する熊の獣人プラドが低い声で告げる。
傷の目立つ厳つい顔と丸太のような腕と威圧感はあるが、この獣人がその見た目に反して、信頼の置ける好人物だとルディアもこの数日の付き合いで判っている。
何せ獣人は体力があるからと、禄に休憩も取らず最前線を駆け回り救援に赴き、この3日間不眠不休で働き続けていた上に、ケイスの見張りまでかって出てくれたのだ。
「ありがとうございます。もう少しお願いします」
軽く頭を下げてテントの中に入ると、狭いテントの中にはウォーギンとサナ、そして鬼人の好古が中央で眠るケイスを囲み、その状態をみていた。
「おうルディアか。でかい声が上がってたが全員分が終わったか?」
「まぁね。セイジさんだけでなくウィーとファンドーレが後詰めに行ってるから問題も無く、すぐ戻ってくるでしょ。それで、ケイスの様子は?」
ウォーギンの問いに答えながら、安らかな寝顔ですやすやと眠るケイスの顔を覗き込む。
その幼いながらも美少女過ぎる寝顔は、まるで天使のようで何とも平和的なのだが問題はその額だった。
ケイスの額にはルディアの握り拳より、さらに一回りほど大きな深紅色の鱗がべたりと生えていた。
合流したときにはごま粒大の赤い発疹ほどだったが、一晩でこのあり様だ。
「みての通りだ。さっきから目に見えてでかくなってる。魔導技術的に解析したらガチの龍鱗だな。好古さんあんたの鬼道的にはどうよ。呪術の蛇憑きとかの間違いだったりしないか?」
「いやはや。何度も調べてみたが間違いなく龍鱗。それも赤龍由来の赤鱗よの。龍憑きは生き残れば竜人と転生が世の理。されど赤色は狂いて人を襲うが必定。滅せよは人が理。はてさてどうしたものか姫よ。ロウガを継ぐ者として災いを呼び込むかの?」
扇で口元を隠した好古は穏やかな口調とは裏腹に笑ってはいない目で、合流時から黙り込んで禄に会話も返さず何かを悶々と悩んでいるサナに問いかける。
龍はその強大すぎる魔力で周囲を、己の都合の良い物に変えてしまう。
それは動物も植物もそして人も変わらず、龍の住処の近隣に住まう生物はその影響を受け姿形を徐々に変えていく。
竜人種族はその典型で、龍由来の頑強な肉体と強力な魔力生成能力を持ち、他種族とは一線を画すほど強力な力を持つが、その代償としてか、時折龍の力に意識をのまれ抑えきれない衝動に狂う者が一定以上でるという特性がある。
特に暗黒時代を引き起こした赤龍由来の赤い鱗を持つ者は、一人の例外もなく確実に暴れ狂い大きな被害をもたらす為、鱗一枚でも生えた段階で狂っているので、鱗の確認と共に即時抹殺という法で定めている国も珍しくない。
そして赤龍に滅ぼされたロウガも、例外ではない。
このままケイスを連れ帰れば、最悪発覚したその場で処刑。良くても魔術研究のために解剖送り。どちらにしても死は免れない。
プラドが外に控えているのはこの状態のケイスを他の者に見られないためだが、同時にケイスが狂った時にすぐに対処する為ということもある。
「…………待ってください。ちょっといろいろありすぎまして。せめてお爺様達に相談してからでないと」
かなりの間を置いてから苦悩の色を浮かべたサナが、重い声で先延ばしの答えを口にする。
何が原因でこうなったのかさえも、サナが語らないのでルディア達には判らずじまいだ。
「姫……もしやあの噂。真実であったか?」
青ざめているサナの顔色に何かを想像したのか、好古が声を潜めながら再度問いかけた。如実にサナの顔色が変わる。
しかしサナは僅かに首を横に振って否定する。言葉にする事もできないとその表情が語っていた。
何とも緊迫した空気を出すサナと好古だが、ケイスをよく知るルディアとしては何とも口をはさみにくい空気に困り果てる。
なぜかこの状態のケイスを心配する気が起きない。
無論状況が悪いとは自覚しているのだが、どうしても既視感があるのだ。
こっちの心配を全く無駄にする馬鹿の寝姿には。
怪我でもしていない限り、真面目に考え深刻になるだけこっちが馬鹿になる。
「サナさん。好古さん、あまり気にしない方が良いですよ。どうにかしますからケイスの場合。起きさえすればですけど」
「まぁ、そうだな。元々頭おかしくて狂っているから逆に正常になるんじゃないか。それより好古さん噂ってアレか。ケイスがソウセツさんの血筋とかって馬鹿げたやつ」
どうやらウォーギンもルディアと同意見らしく、あまり心配していない口調で、禁忌を軽く口にした。
ルディアがケイスが激怒するだろうと思っていた伝えていなかった噂話を。
「むぅ……誰だそんな不快な噂をしている奴は。斬るから出所を教えろ」
今まですやすやと寝ていたケイスが、ウォーギンがその噂を口にした瞬間、眉を顰めるとむくりと突如起き上がった。
そして脇に置いて合った剣を、早抜きで抜刀して構える。
「お前。寝てたんじゃねぇのか? 出所なんぞ知るか。酒場の馬鹿話だぞ」
首元に刃を突きつけられながらも、ウォーギンはあきれ顔で答える。ルディアほどではないが、ケイスに対する耐性が出来上がっていた。
「うむ。疲れたので気持ちよく寝ていた。しかしそんな不快な噂を、耳にして目が覚めぬわけが無かろう。私にも、あれにも、そして何よりサナ殿の祖母ユイナ先王殿に失礼であろう」
「おはようケイス。予想はしていたけど無事だったわね。心配かけんじゃないわよ」
「ん。ルディか。そっちこそ無事だったようだな。うむ。そうか二人とも踏破したか。よかった」
言動が相変わらずおかしいがそれが通常運転のケイスの気をそらすために、ルディアもあえて普通に話かけると、ケイスは偉そうに頷き、次いで二人の指輪の色を見て満面の笑みを浮かべて剣を脇に置く。
どうやら怒りは、二人が踏破できた嬉しさで収まったようだ。
「で、ケイス。額のそれって?」
ルディアが自分の額を指さし尋ねると、ケイスは自分の額に手を当ててなで回す。
「ん? ……ふむ。こうなったか。っ! ウォーギン。火龍の魂入り鱗だ。額当てにでも加工してくれ」
そしてかさぶたでも剥がすようにしてあっさりと龍鱗を剥がして、ウォーギンへと渡した。
ちょっと涙目なので少し痛かったようだが笑顔だ。
「どこで手に入れたんだ。こんな貴重品」
「ん。石化状態でまだ生きていた火龍殿がいて、ちょっと助けられたので礼を言いに行ったら、命が尽きる前に戦いを望んでいたから戦って、勝ったから食べて私の物にした。ただそのまま一緒だと、私が意識を乗っ取ってしまいかねんから分離してみた。良い武人だぞ……うむ。この場合武龍と呼ぶべきか?」
「知るか。それより額当てだな。火龍っていうと熱探知か。火除けの加護も併用して精度あげてみるか」
ケイスのこだわりにはどうでもよさそうに答えたウォーギンの意識は、既に火龍素材へと完全に向けられている。
ケイスやウォーギンの様な天才達が何をしでかそうが、細かい事を気にしたら負けだし、きりが無い。
それが凡人であるルディアが、ケイス達と付き合うための真髄であり秘訣。
「ケイス。あんたに馴れてないサナさん達が反応に困るから、人間離れもほどほどにしときなさいよ」
突っ込み所はいろいろあるが、サナが茫然自失となって口数が少なくなった理由の一端を垣間見たルディアは、意味はないだろうと思いつつも、そのフォローをするために一応の忠告をしておいた。