風の盾を張り続けていたサナは、腕に力が入らずケイスを取り落としそうになる上に、魔力も回復しきっていないので、速度は出さず安全優先で翼から弱めの風を産み出し、飛翔魔術の下位術である浮遊術を使用する。
疲労からなのか、ぐったりとしたままのケイスを抱えながら、ふわりと上空へと浮上していくと、先行させていた光球が廃墟都市の空を埋め尽くす異形の群れを詳細に照らし出し始めた。
近くでそれを眺めて改めてサナは息をのむ。
下から眺めているときも圧巻だったが、頭部だけで大型外洋船ほどもある巨大な龍達が絡み合って出来た天井は、途方も無い威圧感を放っていた。
石化し絡み合う龍達を縫い付けるのは無数の石柱。
「あの地面から突きだしたのは吸魔樹の根だ。この都市の古代魔術師達は、吸魔樹の状態で、その上位種である龍食いの樹の捕食能力を発現させることに成功したようだ。樹液と龍の血が混ざることで強力な呪術石化能力を発揮している。もっとも龍食いの樹も脅威的な力を持つモンスターだ。だから石化無効能力は発現させず、共倒れを狙ったようだが、この惨状を見ると都市防衛に成功したのか失敗したのかは判らんな」
「どこからその推測にたどり着いたのですか?」
ケイスの説明は状況的に十分に納得は出来る物だが、どうやってその仮説を導き出したのかが疑問として残る。
あまりに詳しすぎる予測に、元から抱いているケイスへの不信感が増幅させられるが。
「ん。お爺様が教えてくれただけで受け売りだ……あれか。右から二つ目の龍。あれの額の辺りにいってくれ」
サナの問いかけに対して意味不明な答えを返しケイスは、まともに答える気が無いのか、誤魔化すかのように一匹の石化した龍を指さす。
助力をしてくれた者がいるので礼を言いたい。しかもその人物の命は今にも尽きそうだと。
そんなケイスの求めに応じて一応ここまで連れてきたが、だがケイスが指さした場所に誰かがいるようには見えない。
姿は確認出来ないが、探しているのは今、ケイスが名をあげたお爺様とやらのことなのだろうか?
考えても判らず、聞いた所で、余計に困惑させられるだけ。ケイスの行動をみて判断するしか無いと諦め、ケイスが指さした部分へと向かう。
大きくせり出した翼を避けながら前方へとまわって、拳ほどの大きさがある石化した鱗が立ち並ぶ頭部の真正面へと出る。
「狭くなっていますね。このまま通るのは難しいので、着地します」
別の龍が上にのしかかるような形になっていて、翼を広げた飛行状態で通るのは難しいので、サナはおそるおそる狭い龍の鼻先へと着地する。
脆くなっていないかと心配したが、靴裏から返ってきたのは固い岩の感触だ。
サナとケイスが乗ったくらいではびくともしないほどに頑強そうなので、サナはほっと一息を吐く。
一応サナは周辺を警戒しようとしたが、ケイスは腕から抜け出すと、膝に力の入っていないフラフラした足取りで進んでしまう。
逆立ったまま石化した鱗で足場が悪いことこの上なく、躓けば落下は免れない。
「ケイスさん! 足場が悪いのだから」
「……ここだな」
見るからに危なっかしいケイスの足取りに慌ててサナは追いかけるが、無頓着に進むケイスはすぐに足を止めると、一枚の石化した鱗の前でしゃがみ込んだ。
「むぅ。反応がほとんどないな。礼を言う前に死ぬな、斬るぞ……仕方ない」
舌打ちをしたケイスはとても謝礼を言いにきたとは思えないぶっそうな台詞をつぶやくと、血が止まっていたこめかみの傷に爪を立てて軽く抉り、指先に新たな鮮血を付着させた。
「ちょっと直接会ってくるから、サナ殿はここで待っててくれ」
「だ、だから待ってください。せめてもう少し説明を!」
碌な説明も無く自分勝手にどんどん話を進めていくケイスに何をやるつもりなのか問いただそうとしたサナだったが、急いているのかケイスはサナの問いかけには応えない。
血のついた人差し指と中指を伸ばし剣指をつくり、懐から取りだした丸まった何かと共に鱗に触れた。
「なっ!?」
ケイスが鱗に触れた瞬間、身の毛もよだつ気配が急に発生し、同時に全身を焼くような強烈な熱風を感じ、サナは思わず目を閉じた。
強烈な熱さを感じ目を開けば、周囲に煮えたぎる溶岩がぽこぽこと沸き立つ沼の中心にできた岩場へと変化していた。
呼吸をする度に肺が焼かれそうな強烈な熱気と、鼻を突く異臭。目の前には城塞かと思うほどに巨大な岩が鎮座する。
「……ん。上手く行ったか」
先ほどまでは一変した光景に驚きの色もみせず、全裸で立つケイスは鷹揚に頷く。
ここは触れた火龍の精神世界。このどこかの火口は火龍の抱く原風景だ。
おそらくはこれが彼の名高い火龍の住処であり最難関の迷宮の1つとして知られる、東域最大の火山『火龍口』なのだろうか。
他者の精神世界に入り込むには、極めて高度な精神魔術が必要になるが、魔力を有していた昔ならともかく今のケイスでは不可能。
だから失った魔力の代わりに、種は違うが同じく龍であるラフォスの手助けを借り、ラフォスの精神世界を中継地として、侵入してみたのだが上手くいったようだ。
だがケイスにも誤算が2つあった。
本来の火龍口は、その内部が全て溶岩で満たされた灼熱地獄と聞いており、このように生身で踏み込める場所ではない。
現実との差異は、減った溶岩が精神世界の主が、予想以上に死にかけ弱っていることを現しているのだろう。
こうやっている間にもみるみる減っていく溶岩は終わりが近づいている何よりの証左だ。
そしてもう一つの誤算は、背後に感じる気配と、驚き声も上げられぬ止まった息の音。
「どうしてサナ殿まで来られたのだ?」
振り返ってみると、ケイスと同じく全裸のサナが唖然として固まっていた。
「なっ!? 転位魔術ですか!? でも装備が、って私もない!?」
あまりに急変した状況に驚き固まっていたサナがケイスの呼びかけに再稼働して、次いで自分達が全裸になっていたことに気づき、恥じらいからか翼で己をくるむようにしてしゃがみ込んだ。
「なんで恥ずかしがる? サナ殿の身体はよく鍛えられていて誇って良いものだぞ。まぁ気になるなら少しイメージすれば良いぞ。こういう風に」
無駄な贅肉は少なく、女性の王族だというのに古傷が残る腕や足をみれば、ちゃんとした戦闘訓練を積んできた事が見てとれる。
一般的な羞恥心に興味も理解も無いケイスはサナの反応を不思議に思いつつも、いつもやっている通り自分の装備をイメージして纏ってみせる。
「っ!? ……まさか精神世界ですか!?」
先ほどまでの軽鎧と剣を一瞬で呼びだしたケイスを見て、少し間を置いてからサナもここがどういう所か気づいたようだ。
次の瞬間には無意識的にだろうが、気づいたことでサナも先ほどまで身につけていた装備を取り戻していた。優秀な魔術師としての証だと、ケイスは内心で感心する。
「うむ。助けてくれた火龍の心の中だ。この者に礼を言いたかったが、聞く耳も、答える喉も石になっていた上に、意識さえほとんどなく、みての通り死にかけだ。仕方ないから赴いてみた」
『気軽に言うなこの馬鹿者が。死にかけの者の心に入り込む等危険な真似をするなと言う忠告を無視しおって。もしこの小僧が尽きれば、娘も引きずられ目覚められぬ死の眠りにつきかねんというに。のんびりしている時間は無いぞ』
右手に握っていた羽の剣から、苦言を呈すラフォスの声が響く。
精神世界のためそれは直接耳を打つ音で、サナにも聞こえてしまうが、残された時間が少ないので、ケイスを急かすことを優先したようだ。
「助けてもらって、礼も言わない無礼が出来るか」
「その剣!? やっぱり貴女があの時の!」
剣が話したことに対する反応もあるだろうが、羽根の剣を注視するサナの視線とその問いかけにさすがにケイスも、サナの驚きの意味を察する。
前期の出陣式でセイジ・シドウを襲撃した際に、取り落とした羽の剣は、サナにばっちりみられている。
誤魔化せないと観念するしか無い。
「とりあえず紹介しておく。お爺様だ。後で説明してやるから今は何も聞くな。少し意識を集中する剣が必要だから、黙っていないとサナ殿でも斬るぞ」
ラフォスの忠告通り時間が惜しくなってきたので適当にもほどがある紹介と、脅しにしか聞こえない注意を済ませる。
目と言葉にそれが例えで無く本気だと悟ったのか、サナが不信感が最大まで高めた目を向けるが、口は噤む。
サナの不審げな目を気にせず、黙ってくれたので満足げに笑って返したケイスは振り返る。
ケイスが目に捉えるのは、この空間の中央に位置した城の様に巨大な1つの大岩。
そっと手を触れるとほのかに温かい気がする。そして硬い。軽く打ってみた感触は金剛石にさえ勝るやも知れる。
そして身体に流れる火龍血が告げる。この物言わぬ岩の塊がこの世界の主だと。
呪術は対象の心を蝕み、そのあり方をねじ曲げる呪い。心を犯し、その肉体をも変える。
石化呪術は、龍の血に潜む魔力により術を強化し、心を石へと変化させ、肉体も石へと変える。
龍の血を持って、龍を殺す、龍食いの樹。その怪物さえも用いた対龍兵器。
『どうする娘? 意思などほぼ無い岩の塊のようだが』
「斬る。当然であろう」
ラフォスの問いに簡潔に答えると、大岩を見上げ羽の剣を両手で握る。
心を犯し変えたというのならば、ケイスが再度犯せば良い。己が望むままに、己の求めるままに。
息を整える。
脳裏に思い描くのは先ほど目撃した龍の姿。描いたイメージと目の前の物言わぬ石を重ねる。
龍はこの世の最上種。最強生物。肉体も心も他の生物の追随を許さない。
今のケイスでは力では龍にはとても及ばない。足元にも届かない。
だが心は違う。ケイスの精神は、心は、龍さえも凌ぐ。
なぜならばケイスは、ケイスだからだ。
己の意のままに生き、己の意のままに剣を振る。
己の望み以外は他者のことを鑑みない。他者が何を言おうとも、己の意に沿わねば変わらない。
それが心を犯す呪術であろうとも、ケイスには通じない。
人にして龍の中の龍たる未来の龍王の肉体はまだ未完成であっても、心は既にここにある。
己を変えるのは己のみ。
ケイスの意思は最強たる龍を凌駕し、世界さえも凌ぎ、己が思うままに暴虐に吹き荒れる。
心象世界を外へと放ち理を変化させる。それこそが魔術の基礎にして真髄。
故にケイスは最強の魔術を放つ世界最強たる龍王となるべくして生まれた。
その最強の魔術を、魔力を捨て去ろうとも、基盤たる精神に一欠片の欠損も無い。
そしてケイスの心は今ここに、手の中にある。
剣こそが我が心。我が言葉。我が魂。
ケイスの意思を具現化するのは剣。剣だ。剣が全て。
岩がケイスの体躯の何千倍もあろう質量を持とうが知ったことか。
龍が変化したその身体が金剛石にさえ勝る硬度を持とうが関係ない。
剣はケイスの意思その物。ましてやここは精神世界。心が強い者こそが望みのままに支配する世界。
剣を正眼に構え、息を整える。ゆっくりと頭上に振りあげ、
「……っはぁっ!」
呼気を強く吐くと共に、剣を真っ正面から真っ直ぐに振り下ろす。
そこに技など無い。唯々剣に己の意を乗せ、思い描いたイメージを乗せ、大岩にめり込んだ切っ先を一気に躊躇無く振り抜く。
羽の剣が刻んだ切り口からすぐに放射状に広がっていき、大岩の表面が、ぼろぼろと乖離して崩れて始めていく。
溶岩の海に落ちた岩の欠片が火の粉をまき散らし、熱と蒸気が狭い世界にあふれ出した。
その熱の霧の中で大岩は激しく崩落しながらも1つの形を徐々に描き出した。それはケイスが思い描いた姿。
巨木のように太い腕と鋭く尖った爪。巨体にふさわしい巨大な翼。鋭い眼光を持つ眼がついた大型船ほどもある頭部。
崩落が収まったとき、ケイスの目の前には、さきほど現実世界でみた龍と瓜二つの石像が出来上がっていた。
「姿形は心を変える。ならば姿を戻せば心を少しは取り戻すであろう。私の声が聞こえるな火龍、先ほどは助かった。礼を言うぞ。何か私に出来る事はあるか?」
剣一本で彫り上げた龍を見上げながら、ケイスは何時もと変わらない傲岸不遜な態度で呼びかける。
火龍が意思を取り戻せると疑いもしない。自分の剣に対する絶対的な自信をもってケイスは胸を張る。
『……戦を……戦を与えてくれ……俺の死はこのような場所では無い』
呼びかけに対して、苦しげな呻き交じりの慟哭が響く。
怒りと悲しみを含む憎しみを強く強く訴える。
『数を頼みに攻めるなど龍では無い。怒りに支配され誇りを忘れた汚れた王の傀儡として終われる物か。龍としての死を、龍としての生き様を求む。龍の心を知る娘よ。俺と戦え』
石の体にヒビに入れながらも、慟哭する龍は無理矢理に動き出す。
翼が崩れ落ち、爪が割れる。しかし龍は止まらない。
より速く死に近づいていく自殺行為。まともな戦いなど出来る状態ではないのは一目瞭然だ。
だがそれ故に、ただ座して死を待つことだけは拒否し、残り少ない命を燃やしている事をより強く感じさせる。
「お爺様」
『狂った若き赤龍王の呪いによって意思をねじ曲げられたようだな。龍が人の都市を焼き払う程度に群を駆るなど恥辱以外の何物でも無い。我の知る赤龍王ならば決して行わぬ愚行……この小僧の気配にはあやつの面影が有る。血族だろう。先王の血筋故に使い捨てたようだな。もっとも皮肉にもその呪いが、石化の呪いの効力を弱め、この時まで命を長らえる要因となったようだ』
「ん。得心した……お爺様は立ち会いになれ。ならば私だけで行く!」
恩人に刃をむけるのはケイスの流儀では無い。だがこの若い龍が望む物はケイスの琴線に触れる。ならば受けて立つだけだ。
恩人たる龍に報いるために、最高の名誉を与えるために、ケイスは全てを忘れることにする。
今の立場も。今の状態も。すぐ近くで驚きながらも事の行く末をみているサナの存在さえも。
死に瀕した龍が己の全身全霊で戦いを求めるのだ。ならばケイスも全身全霊で答えるのが礼儀。
『龍の心を知るか……お前は本当に我等よりも我等らしい生き様だな』
羽の剣をケイスが頭上高く放り投げる。
呆れるのか感心しているのかよく判らないが、ケイスの意思を察したラフォスも、本来の己の姿である巨龍の姿を顕現させ、ケイスと火龍の間に鎮座する。
『若き火龍よ。我は先代深海青龍王ラフォス・ルクセライゼン。我が血脈の末たる娘と牙を打ち合わせる貴殿の立ち会い。我が見届けさせてもらう』
『おぉぉぉっ! 種族は違えど真たる王の眼前ならば! 俺の死に場所にふさわしい!』
ラフォスの名乗りに、火龍が歓喜の雄叫びを上げ、空間が揺れる。
火龍の発した雄叫びに合わせ激しく溶岩が沸き立ち、熱風がかけめぐり、溶岩の海が激しく荒れる。
最後の輝きを放とうと、この空間に残る熱の全てが火龍の元に集まっていく。
「ならば名乗れ火龍殿よ! 私の相手としてふさわしき真名を!」
普段は誰に対しても上から目線のケイスは、この相手が自分が敬意を抱くにふさわしいと認め言葉を改めると、一足跳びに距離を取り後ろに下がり、決闘の口上を求める。
『真なる火龍の長! 剛炎赤龍王の名と龍の誇りにかけ、セオンガイルドが一子! ノエラレイド参る!』
ノエラレイドが名乗りと共に、石で出来た顔の造形を大きく壊しながらも、その口蓋を無理矢理にこじ開ける。
周囲の熱が集まりのど奥に激しい炎が渦巻始めたかと思えば、収縮をはじめ、やがては天に昇る日のように眩い輝きを放ち始める。
龍が持つ最強の技。全てを焼き尽くし、骨の欠片も残さず蒸発させる火龍のブレスを最後の一撃に選択したようだ。
地上に生まれた太陽。その熱量と輝きに誰もが恐れ、ひれ伏し、死を覚悟するしかない必殺の一撃。
しかしケイスは満足げな狂気と驚喜に満ちた笑みを口元に浮かべる。
戦いこそに心が踊る。龍よりも龍らしい人にして未来の龍王は笑う。
自分を正当に評価し、手抜きをしない者をケイスは好み、愛する。故に斬る。
全力に対しケイスは剣で答えるしか、全力を示す術を知らず、そして興味がない。
「ならば宣言しようノエラレイド殿! 私の真名ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンに誓って! 我が剣を持って貴殿の逆鱗を貫くと!」
ノエラレイドの名乗りに負けぬほどの裂帛の気合いを込めた名乗りをあげたケイスは、全身へと力を入れる。
「……帝御前我御剣也」
誓いの言葉と共に手の中に剣が生まれる。
今は姿形は無くとも、思い浮かべるは理想の剣。
何者にも負けず、決して折れず、万物を斬る夢の剣。
ケイスの身と心をまごう事無き現すいつか現れる剣。
やがて手に入れる剣を左逆手に持ち替え、左足を引き右足を前に出し半身に。
肩口の高さまで左腕を上げ、切っ先は突き込むべき一点を指し示す。
右掌をそっと柄頭に当て、息を深く吸いながら膝を曲げ突撃体勢へと。
それはケイスがもっとも好み、もっとも己を現すにふさわしいと誇る技。
全てをもって全身全霊の一振りを示す、ケイスを体現する技。
愚直に、ただ真っ直ぐに好敵手に向かって駈け出す。
『GRAAAAAAAAA!』
真っ正面から突っ込んでくるケイスに向かい、輝きを持つ火龍のブレスが放たれる。
それは眩い輝きを放つ高温の塊だが西瓜ほどの大きさしかない。一撃で街1つを壊滅させる火龍本来のブレスからみれば極小になっている。
避けようとすれば避けられるだろう。だが避けない。避けるわけがない。避けていいはずがない。
残り少ない命を全て注ぎ込んだ最後の一撃。
それを打ち破らず、食い破らず、何が勝利か。何が剣士か。
我が剣は全てを切り裂き、全てを撃ち砕く。
現実ではまだその領域は遥か彼方。未だに到達できない世界の果ての果て。
だがケイスは信じている。知っている。やがて自分は到達すると。到達できると。
ここは精神世界。思いこそが力となる。
ならばこの肉体はケイスが理想とする肉体。
ならばこの剣技はケイスがやがて手に入れる剣技。
空に浮かぶ太陽であろうが月であろうが、己の敵に回るならば斬り捨てるのみ。
ならば斬れぬ訳がない。斬れぬはずがない。斬れないなど認めない。故に斬れる。
1つの剣となったケイスは真正面から突っ込んで渾身のブレスをあっさりと叩き斬り、ノエラレイドののど元に一気に到達する。
目前には一枚だけ逆さになった鱗。最強種たる龍が持つ唯一明確な弱点である逆鱗。
弱点を捉えた邑源の剣士ならば、龍殺しの剣士ならば、ここから放つ技は1つしかない。
「邑源一刀流! 逆手双刺突!」
技名を言霊にのせ、切っ先が逆鱗に触れた感触を肉体が感知するよりも刹那の瞬間だけ早く、右手の掌打を柄頭に打ち放つ。
のど元にぶつりと抉り深く突き込んだ剣をぎゅっと握りしめ、硬い龍の身体を大地としてその上に降り立ち、
「逆鱗縦断!」
全身の力を使い一気に剣を振り切る。
逆鱗に刻まれた縦一文字の傷口が上下に走り、ノエラレイドの巨体を瞬く間に両断してのける。
それは龍殺しの技。多少の傷ならば一瞬で治癒してしまう龍を一撃で屠る剣。
大英雄。双剣が一人邑源雪が、その生涯でもっとも磨き上げた剣技。
かつてこの技を持って狂った赤龍王を叩き斬り、暗黒時代を終わらせ、トランドを、ロウガを開放した奥義。
「ふむ。私の勝ちだな。ノエラレイド殿」
クルリととんぼ返りをうって着地したケイスは大きく息を吐く。全身からは汗が噴き出し、極度の疲労感を身体が訴えるが、ケイスの心は満足だ。
今はまだ精神世界でしか理想の剣を振れないのが癪だが、それでもケイスのまずは目指すべき道の果て。そして真に進むべきはその先。道無き道の先。敬愛するフォールセンが立つ領域。
『……礼を言うケイネリアスノー。我等が誇るべき仇敵である邑源と最後に戦えたことを。俺の命の終わりにふさわしい戦いだった。深海龍王殿にも立ち会っていただき感謝する。恥辱に満ちた終わりを迎えるかと嘆いていたが存外の喜びだ』
両断されたノエラレイドの石像は崩壊する速度を速め、それと共に全ての熱を生命力を使い果たしたのか、急速に溶岩が冷えて塊、周囲が石の世界に変わっていく。
響くノエラレイドの声にも、先ほどまでの怒りの熱はすっかりと消え失せ、静かな物になっている。その落ち着きが己の死を受け入れたと感じさせる。
『先代赤龍王セオンガイルドの名に恥じぬ戦い。確かに見届けさせてもらった。貴殿の死に様は火龍の里に届けよう』
『感謝する……ならば恥知らずにも願いたい。その言葉を父に伝えてもらえるだろうか。火龍口の奥底に繋がれ捕らわれてはいるが生きているはずだ。末裔たる若龍嬢ならばいつか俺達の牙城にも攻め入る事が出来るだろう。その運命に生まれたとお見受けする』
『先代はまだ存命……ならば貴殿も知る者か。それ以上は口にするな。死すら消える』
龍達がなにやら会話を交わす中、息を整えていたケイスは立ち上がり、
「ならその言葉は自分で伝えろノエラレイド殿。貴殿は私に負けたのだぞ。龍の戦いは己の全てを掛ける物だと始母様が仰っていた。敗者は勝者の所有物になるだと。つまりは貴殿は私の物だ。死んでいいと誰が言った。貴殿の生き様が気に入った。私と共に行くぞ」
空気を一切読まない唯我独尊な言葉を発する。
相手が死に納得し、既に覚悟が決まっていようが関係ない。自分が気にいったのだから生きろ。
その傍若無人な我が儘こそがケイスであり、まさにこの世の最強種であり暴君の龍その物だ。
『……あの痴れ者は。悪癖を子孫に武勇伝として伝えておったか』
若龍時代は、目についた強そうな同族やら巨人族との戦闘に明け暮れていた娘である現深海青龍王ウェルカの所行を思い出し、大きな息を吐く。
何度言っても止まらなかったウェルカの悪癖を何倍にも濃くして煮詰めたのが、末たるケイスなのだから止まるはずが無いとすでに諦めの一手だ。
「私の中には、御婆様が討伐した赤龍王の火龍の血も混じっている。だからお爺様と同じように私が力をわけてやる。青龍と赤龍の血は開放したばかりだから、しばらくは全力を出せないから、ノエラレイド殿の力を全て発揮は出来ないだろうが、意思と熱源探知能力の発現くらいなら出来るであろう。あとお爺様の愚痴に付き合え。甘い物が多いとか小うるさくて敵わん」
『待て一緒に来いといってもどうする気だ。ケイネリアスノー。俺はもう死ぬ身だ。魂魄写しの魔術を使う時間など』
「ん~。何となくだがこうすれば良いだろ。食べるぞ」
一方的な宣告をしたケイスは切り割った逆鱗の欠片を掴み、そのまま口に運び噛みつき、文字通り喰らう。
ケイスは本能的捕食者。相手の精神をほかの物体や生命体に移す魔術は使えずとも、自分も相手も精神世界にいるのだ。なら喰えば良いと単純な結論を出して喰らい、
「……ごりごりしていてまずい。しかし上手く行ったようだな。赤龍の血が何時もよりコントロールしやすい感覚があるな。うむ。予想外の効果だ」
手を何度か開いて閉じてを繰り返して感触を確かめてから、自分の中にノエラレイドをあっさり取り込んでしまう。
その証拠にこの世界は熱を無くし終わるはずだったというのに、冷えて固まっていた溶岩の隙間からは、ちょろちょろと水が湧き出し、熱湯に満たされた温泉が出来上がった。
そしてその湯の中からは先ほどとは比べものにならないほど小さいが、深紅の鱗を持つ火龍の姿を取り戻したノエラレイドが姿を現した。
どうやら火龍と水龍の血が交じり安定した状態を表しているようだ。
「そっちの方が美味そうだな……青龍も使いやすくするためにお爺様も食べるか。お爺様は生だから美味いかもしれんし」
世の魔術師、魔導技師達がこれを知れば頭を抱えるであろう事を、あっさりやってのけたケイスはそんな事は気にもせず、石だったからまずいのならば、生まれ変わったノエラレイドや、生身で顕現しているラフォスなら美味しく食べれるかと、空腹の獣の目を向ける始末だ。
「むぅ。なんか眠くなってきた。しばらく寝る……後。今のふぁぁっ……私はケイス……だ。そうよ……べ……」
だがすぐにあくびをして、そのままその場でころんと丸くなってすやすやと寝息を立て始める。
ここは既にケイスの精神世界でもあるので、安心しきった美少女らしい寝顔だ。
『……青龍王殿。末裔殿は一体』
『聞くな。貴殿もこれからこの娘の無茶苦茶に付き合わされる。そのうち諦めがつく』
あまりの流れに何とも言えない顔を浮かべる小さいノエラレイドに対して、ラフォスはケイスに関しては馴れるではない。何をやってもケイスだから仕方ないと諦めるしかないと告げる。
そしてその言葉はノエラレイドだけで無く、一連の流れについて行けず唖然としているしかないサナに対しても告げた物だ。
『羽根の娘もだ。いくらこの化け物娘でも龍を取り込んだ以上、しばらくは眠りについて精神調整を必要とするのだろう。面倒を掛けるが世話を頼む。せめてもの忠告として、早めに薬師の娘と合流することを勧めておく』
自分達は精神的存在だからまだ良いが、物理的な意味でも世話を掛けることになるサナに対して、同情と申し訳なさを含んだ言葉を与えた。