「風の流れはここのようだ。魔術で排除が出来れば通れそうだが、根が反応する」
水が枯渇した地底湖の中心から少し歩いて、風の流れを探っていたファンドーレの先導に従い、ケイス達は外周部へと到達する。
魔力を使って浮遊することが出来ないので、ケイスの頭に腰掛けるファンドーレが指さす先には、か細いカンテラの光に照らされるアーチ状に組まれた石組みの遺構。
その中心は崩れ落ちたのか、それとも埋めたのか、瓦礫と土砂でふさがっていた。
瓦礫の亀裂に近づいてみると、頬に乾いた風の流れが感じ取れる。
人が通れそうな隙間は無いが、この向こう側に空間があるのは間違いないだろう。
短剣を手に構えたケイスは、アーチ表面の石組みに軽く剣を当て、音の反響から距離を探る。くぐもった音の反響が暗闇の中に響き、すぐにかき消される。
「埋まっているのは数ケーラ程度のようだ。ほかの場所を探すよりも、ここを崩して抜けた方が早そうだ」
「待て。いきなり崩そうと思うな。罠の可能性も疑え」
「ん。言うことは判るが、制限時間があり、ほかに出口があるかもわからぬ状況だぞ。どこに繋がっているか確かめるためにも開いてみるべきではないか」
「だがどうやって崩す? 魔術を使えば吸魔樹が反応するとさっきも言ったが忘れたか」
「ん~。体調が万全なら双刺突で崩すんだが……サナ殿。対陣型突破技で突き破れるか? 槍術ならば槍気刺突で十分だと思う」
闘気強化が出来れば突きの1つでこの程度なら障害にもならないが、まだ体調を考えれば時間がほしい。
自分が無理ならば、獲物は違えど同流派である同じオウゲンの流れをくむサナへと、対陣基本技の1つである技は使えるかとケイスは尋ねる。
「体得していますが、その技名をどこで知りましたか?」
「だから狼牙の先達の方々に教わったといったであろう。サナ殿は疑り深いな。時間が勿体ないから早くしてくれ」
疑いの眼差しに、ケイスは目をそらしながら嘘を答え急かす。
邑源流の様々な流派技をロウガ地下で狼牙兵団の死霊に教わったのは事実ではあるが、その時に見たのは、奥義や絶技など今は継承が絶えた技。
今も伝わる技はサナの祖父であるソウセツへと、祖母であるカヨウや、大叔母のユキが伝えた技なので、祖母、母経由でケイスも知っているという単純な理由がある。
大元の祖母は狼牙生まれなので、大まかに言えば嘘では無いという自己防衛をしつつ、生まれを隠すケイスとしてはバカ正直に知っている理由を言うわけもいかず、下手なごまかしをするしかない。
もっともそのあからさまな嘘と態度が原因で、サナが別の疑惑への誤認を徐々に強めているのだが、他者との関わりに対する経験値が低い上に、元々他者をあまり気にしないケイスが、サナの向ける目が持つ意味に気づくわけも無い。
「二人とも下がっていてください」
疑惑をますます強めながらも、今はケイスが言う通り時間が惜しい。サナは複雑な感情を押し殺しながらも、兵仗槍を水平に構えた。
丹田から生み出した闘気を穂先へと集中させながら、サナは脳裏に力の伝播を思い描く。
力が及ぶ範囲を広げつつ、力を全方位へと分散させるのではなく、一方向へと導き、効果範囲と貫通力を上昇させる。
闘気とは肉体強化の力。すなわち己自身。内界へと働きかける力。
外界へと働きかける魔術の方が、瓦礫の除去に適しているが、吸魔樹の根があって使えないのであれば、技によって乗り越えるしか無い。
「邑源槍流……槍気刺突!」
呼気をはき出すと共に、槍を一直線に瓦礫の上側へ向けて打ち放つ。
槍の穂先を中心にして円形状に広がった力の向きを、槍を僅かに回し穂先を微細にコントロールし制御する。
サナの放った一撃は、まるで巨大な丸太で突き破ったかのように詰まっていた瓦礫や土砂の一部を吹き飛ばし、向こう側へと貫通する穴をあっさりと作りあげた。
背中に大きな翼を持つサナでも立て膝で進めば、どうにかこうにか通り抜けられるだろう。
「やはり人為的に埋めた跡のようだ。通路の天井に崩落箇所は見られない。通っても問題ないな」
「ん。先行して安全を確かめる。ファンドーレ、肩に移れ。ちょっと低いからかがむ」
同年代の子供と比べても小柄なケイスでも、立って抜けようとすれば頭を打ちそうなので、中腰で空けたばかりの穴を通り抜ける。
背中にくくりつけた10本の剣をガチャガチャと鳴らしながらも穴を通り抜けると、水平な通路はすぐに終わり、傾斜のゆるい昇り通路が伸びていた。先は暗く見通しなど利かない。
穴を空けた事で風の通りがよくなり、上の方からの風に交じり匂いが伝わってくるが、動物が近くにいるような匂いも気配も感じられない。
「問題無さそうだ。サナ殿、通り抜けられるか?」
安全を確かめてから声をかけると、ケイスと違い背中の翼があるので多少苦労して土埃に汚れながらも、サナも何とかこちら側に抜けてくると、辺りを見回す。
「古い様式ですけど、思ったより立派な通路ですね。ファンドーレさん、何か判りますか?」
「石の組み方は古代遺跡によくある滅亡したトランドドワーフの形式だが、土砂や瓦礫の中に魔力遮断性質を持つ鉱物が混じっていたようだ。吸魔樹を閉じ込めるためにわざと埋めたと見るべ……埋めてあったというべきか」
ケイスの身体から飛び降りて、通路を塞いでいた瓦礫や土砂の破片を観察していたファンドーレだったが、何かに気づきため息を吐き出す。
ファンドーレの目線に釣られ背後を見れば、今抜けてきたばかりの穴から、ゆっくりと這いだして伸びる根がちらりと見えた。
「二人ともすぐに上に駆け上がれ。吸魔樹が再成長を始めだした。どうやら上に魔力発生源があるようだ」
「塞いでいる時間も材料も無いか。仕方あるまい、サナ殿、走るぞ。距離を空ければ魔術を使うだけの猶予も出来るであろう」
ファンドーレを拾い上げるとサナの返事を待たずに、ケイスは行き先も判らぬ上への通路を駆け上がり始める。
「なんでこうも行き当たりばったりなのですか貴女は!」
文句は言いつつもほかに選択肢も無く、サナもケイスの後を追いかけるしかない。
幸いにも吸魔樹の根はケイスの魔具や、サナの魔力を吸収したときにみせた爆発的な成長ではなく、ゆっくり徐々に伸びているようで、すぐにこすれる物音は聞こえなくなる。
もっとも聞こえないと言っても、こちらに向かって伸びて来ている事実は変わらない。さらに最悪なのは、吸魔樹が求める魔力発生源に到達すれば、どう転んでも碌な事にならないだろう。
カンテラの明かりを頼りに、僅かに曲線を描きながら延びる上昇通路をただひたすらに駆け上がっていく。ゴールは見えないが分岐なども無いので、ただ走っていくだけ。
根から離れれば離れるほど、魔力を使用できる時間が稼げるのだから、今は少しでも距離を空けるのが得策だ。
「どう思う。ずいぶんと頑強のようだが何かの神殿の一部か?」
「神殿にしては華美さが足りん。松明を使った煤の痕跡も無い。地下湖の水面の高さをあの空間の上部だと想定すれば、この辺りの高さまで、当然水が来ていたとみるべきだ。だからといって地下湖から水を汲み上げる水路にしては遠回りが過ぎる。傾斜の緩やかさからみて、水中通路か何かだろう」
「ならば半水棲の虫人都市遺構という事ですか? それにしては狭すぎますが」
通路の立派な石組みが虫人族ではなく、他種族のドワーフの手による物ならば、今の時代でも少なくとも地方諸侯クラスの権力と資金を必要とする。
だが人が二人ほど並んで走れる幅はあるが、都市への物資の搬入に使うにはいくら何でも狭すぎる。
「非常時の隠し通路の一種として水没させる仕掛けもある。姫の住まうロウガ城にも狼牙地下水路に繋がる道がいくつかあるだろう。城の構造から城内礼拝堂辺りの井戸か」
「な、なんで貴方がそれを知っていますか!?」
「趣味で地下水路地図を作っていて立地から疑っていただけだ。姫、正解だと教えてどうする。いくらロウガ王家がお飾りとはいえ、少しは腹芸を覚えろ。ロウガ市民としては素直すぎる王族など不安しか無い。俺に悪意が有れば良からぬ企てに使われかねんぞ」
相手が王族のサナだというのに、何時もの毒舌で平然と告げる。
王の居城へ繋がる隠し通路の情報は、人によっては値千金の価値が有るのは間違いないが、ファンドーレの場合は、旧地下水路の全容を明かすのを趣味にしているだけだ。
「なんだ地下水路から行けるのか。ファンドーレならば今度、私に教えろ。あの男に奇襲を仕掛けてくる」
だがそのファンドーレを遥かに上回る非常識さをデフォルトにするケイスは、さらに物騒なことを宣う。
ケイスが指すあの男が誰かなど言うまでも無い。
「ほら見ろ、このような馬鹿がでる。今の台詞はレイネに伝えておく」
「むぅ、卑怯だぞレイネ先生に告げ口なんて。パーティメンバーを売る気か」
「卑怯云々は、ソウセツ殿に奇襲を仕掛けようとするお前が言えた義理か。元同僚のよしみで後輩の頼みを優先するだけだ」
「ふん、アレの実力ならば奇襲されたくらいでどうこうなるか。むしろ本気を出させるための仕掛けだ。私だと知ればまた手を抜かれるからな……だからレイネ先生には言うな」
自分だと知れば、ソウセツは手を抜く。
ケイスの言葉はまたもサナの疑惑を助長させる物だが、当の本人はレイネに発覚する方が気がかりなので、気づきもしていないようだ。
「本当にお前が地下水路から仕掛けたら、レイネの事だ。俺の資料を全部燃やすとか言いだしかねんから断る」
「うー判った。断念する。絶対にやらん。剣に誓ってやる」
ケイスがほかに何か口を滑らせるかと、黙ってサナはケイス達の会話を窺っていたが、その後に続いたのは拗ねたケイスの文句だけだった。
そんな馬鹿な話をしているうちに、通路の終点へとケイス達は到着する。目の前の石造りの階段を上がると、狭い小部屋へと繋がっていた。
こちらも石造りの小部屋ではあるが、地下通路のように隙間無くびっしりと敷き詰められた物と様式が違い、もっと乱雑な作りだ。
ここは倉庫だったのか、壊れた樽や戸棚らしき物の残骸があちらこちらに散らばっているが、四方は壁となっていて出口らしき扉は見えない。
壁際にはこの階段を隠していたとおぼしき板と金属の持ち手が朽ち果てたままにされている。ファンドーレの予測通り、今抜けてきた部分は隠し通路とみれる。
「これだけ距離が空いていれば、飛翔魔術を使うくらいなら問題はないな。出口を調べるから大人しくしていろ」
「では私は魔力の流れを確認します。方角がわかれば魔力発生源を発見して停止させられるかも知れませんから」
ケイスの肩を蹴って飛翔したファンドーレが、周囲の残骸を調べ回り始め、サナも術を使って風に含まれる魔力の流れを探り出したので、ケイスは根への警戒を一応するために今上がってきた階段へと意識を向ける。
「閉める暇も無く逃げ出したのか、それとも戻れなかったのか。どちらであろうな」
自分の背中に背負った柄に手を当てながら、ケイスは考える。水辺の岩場に落ちていた剣。そして塞がれた通路。
どのような気持ちで、過去の使い手達はここを抜けてあの場へいったのだろうか。
なんとなく、おそらく、それはケイスの勘だが、剣士として何かを守るための戦いだったのだろうと判断する。
「どうやら出入り口は天井のようだ。縄梯子の残骸があった」
残骸を漁っていたファンドーレが、天井へと向けて光球をあげるとぽっかりと空いた穴が姿を現す。
飛行能力を持つサナが周囲の安全確認をするために先行して、穴から部屋の外へと出て、
「っ!? ……だ、大丈夫です。二人とも上がってきてください」
驚き声が思った以上に大きく周囲に響き渡りそうになって、すぐに口を噤んだサナが小声で手招きする。
その顔には驚愕の色が色濃く表れていた。
ファンドーレが外に出たのに次いで、残骸を踏み台にして部屋の壁を蹴ったケイスも脱出し、
「……これは」
目の前に広がった光景に、さすがのケイスも驚き、言葉を失うしか無かった。
ケイスの目に飛び込んできたのは、光球やカンテラの灯り程度では全容が見通せないほどに広がる都市の廃墟群。都市のあちらこちらから数え切れない無数の石柱が、建物や道路を突き破っている。
だが真に驚かせるのはその石柱の先だ。そこには龍が居た。見上げる天を埋め尽くす巨大龍の石像が存在した。
それも1つや2つでは無い。
無数の石で出来た龍が連なり重なり、天を埋め尽くし都市を覆う蓋となっていた。
背後を振り返ればケイス達が転位してきた吸魔樹の大木が鎮座し、こちらも無数に伸びた枝が龍を貫き、龍と共に石となっている。樹上部は龍で埋め尽くされているので見通せないほどだ。
「ファンドーレ。これは本物の龍……火龍だな」
今にも炎を吐きそうな獰猛な顔や、突き出た牙、鱗の一枚一枚まで数えられるほどの造形。これが飾りで彫られた物などとは思えない。
そして何よりケイスの中の龍血が告げる。これは全て本物の龍。完全に命は尽きているが、龍だったものだと。
「対龍都市の遺構か。火龍達の住処があった東域とは違い、離れた西域の諸国は多少なりとも滅亡するまでの時間があり、いくらかの成果は上げたと聞いた事はあるが、おそらくこれもその1つだ……まさかここまで完璧な姿で残っているとは」
何時も冷静なファンドーレの声にも、僅かだが驚きと興奮を含んだ色が含まれる。
(貪欲な火龍共の性質を利用した罠であろう。吸魔樹のままで龍食いの樹の力の一部を開放し、対龍兵器として用い石化させたか。飢えた顔をさらしながら絶命しおって龍の名折れ共が。娘、早く出口を見つけるように仲間達に伝えよ。死しても龍は龍。こやつらの死骸その物が魔力の塊。封ずる術など無い)
ラフォスはあからさまな罠に掛かった火龍の骸が不愉快なのか嘲るように吐き捨てると、ケイスへと注意を発する。
(龍食いの樹は自由自在に動く根や枝を突き刺し龍を石化させ、その魔力を吸い取るが、吸魔樹の段階では、石化能力も、自身の毒による石化への無効化能力は持っておらん。そこをうまく利用したようだな)
この都市の虫人達は、魔術改良で龍と吸魔樹が相打ちになるように、吸魔樹のまま龍食いの樹の石化能力だけを発現させる事に成功したと、ラフォスは断言する。
(ん。感謝するお爺様……だがその前に斬らねばならん物達がいるようだ)
情報をくれたラフォスに感謝を述べながら、ケイスは背中に背負っていた剣の1つを掴み、抜刀して構える。
気を取られてはいたが、周囲への警戒を緩めてはいない。ケイスの目は都市の残骸の中に浮かび上がった灯りを見逃しはしない。
「二人とも気をつけろ! 何かに囲まれている!」
ケイス達の周囲を取り囲むように赤黒い灯りがいくつも浮かび始めていた。