微かな明かりを頼りに、落ちるような勢いでケイスは次々に根を伝って駆け下りる。
死にかけていた吸魔樹が、ケイスの持つ魔具とサナが使用していた飛行魔術から魔力を得た事で、一時的にだが活力を取り戻している。
更なる獲物を求め、細くなっていた根が太くなり、新しい根を途中から生やして、暗闇の中で広がっていく音が、四方八方から聞こえた。
下に落下したサナも心配だが、グズグズしていたら張りだしてきた根に行く手を塞がれ、囲まれ、最終的には押し潰されかねない。
伸びてくる根を払い、躱しながら数十回の跳躍を繰り返し、サナが落ちた中心部から少し離れながらも、ケイスは最下層に着地する。
底は所々ひび割れており、乾期で涸れた湖底と似たような地面を晒していた。右手に持ったナイフを降りた勢いと共に突き刺して足場を確認してみたが、表面だけが乾いた泥では無く、堅く締まった感触が返ってきた。
斬った感じから、水が枯れてから数日、数ヶ月では無く、この空間から水が無くなってからもっと長い年月が経過していると、剣士の勘で直感的に感じ取る。
水が涸れた原因は気にはなるが、今必要なのは足場の情報。問題無く動けると判断し、すぐに中央に向かって走り出す。
閉鎖された空間なので音が反響して距離感が判りにくいが、金属と何かがぶつかり合う音があちら側から聞こえてくる。
状況から下にいた何かとサナが戦闘を始めたとみるべきだろう。
「ん。成長は止まったか。ファンドーレが追いついたか。サナ殿は魔術を使っていないな」
上から下りてきた根が個々の樹のように乱立する林を抜けていくが、先ほどまでと違い、太くなったり枝分かれすることは無い。追加の魔力補給が無く、先ほどまでの異常な増殖成長は出来なくなったようだ。
(娘。僅かな怪我でも気をつけろ。我の血をひくお前は、この手の樹木共には爆発的な成長をもたらす格好の餌だ。意思を持つ恐れがある。戦場に下手に飛び込むな)
止まぬ戦闘音が聞こえてくると、ラフォスが細心の注意を払えと喚起する。
ケイスの血に流れるのは、迷宮の主、最強生物である龍。しかも龍の中の龍である龍王。それも火龍、水龍の二系統の血。
ケイス自身が魔力を持たずとも、魔力を増幅させる龍血は、血を餌とするモンスターにとってこれ以上は無い最上の餌となるのは、道理だ。
かすり傷一つでも負い、血が少量でも吸われれば、吸魔樹は、さらに上の段階のモンスターへと即座に変貌しかねない。
「ふむ。鞭のように蔦や根を伸ばして自在に動くという龍食いの樹か。強敵だというし、戦ってみたいが今は我慢だな」
ラフォスとしては闇雲に進むのでは無く、相手を確認してから戦闘しろという意味で注意をしたのだが、末の娘から返ってきたのは、いつも通りの戦闘馬鹿丸出しの答えだ。
(久しぶりだというのに成長無しか娘)
戦ってみたいから吸わせてみると言わないだけマシだろうかと、ラフォスは諦め半分で呆れるしかない。
ラフォスの心配を余所に、一切速度を落とすことなく根で出来た林を駈け抜けたケイスは、何故かそこだけ根の無い中央部分に躍り出る。
臑ほどまで浄水に満たされた小さな水たまりとなっていて、その中心部には先ほどケイスが斬り殺した大イカの死骸が突き刺さった先鋭した岩が鎮座する。
その岩の前では、大型犬ほどもあるフナムシのような甲殻類モンスター達に周囲を囲まれ飛びかかられながら、明かりを灯したカンテラを岩の出っ張りに引っかけ、魔術師の杖でもある兵仗槍を振るい追い払うサナの姿があった。
どうにかして無事に着地できたらしく、縦横無尽に槍を振るうサナの動きに怪我を負っている様子は見られない。
「ふん。失礼だなお爺様。ならば見せてやろう私の成長を」
ケイスは言葉だけは不満げだが、弾んだ嬉しそうな声で答えると、左手に持っていたカンテラから伸びた紐を口で咥え、手を空けると、腰のホルダーからぶ厚い戦闘用のナイフを二振り引き抜く。
そして一度足を止めると、水音を甲高く立ててモンスター達の注意をひきながら、水たまりをゆったりとした速度で歩き始める。
まるで襲ってくれと言わんばかりの無防備な速度で歩き始めたケイスに気づき、最後部にいたモンスターが踵を返し、群がってくる
「な、何をしているのですか!? 私達は大丈夫ですから!」
急に変わったモンスター達の動きに、ケイスの存在とその無謀な行動に気づいたサナが、槍を振るいながら逃げろと叫ぶが、ケイスは足を止めず、ゆっくりと前に進んでいく。
長い触覚を蠢かせながら接近してきた巨大フナムシ達の一部が、ケイスの目前で、身体を縮めて溜めを作ると高く跳ね上がる。
短い足がワサワサと動く腹側もぶ厚い殻に覆われており、上から来る者は自分の重さでケイスを押し倒し、下から迫ってくる者はそのまま攻撃を加え、群れで仲良くケイスに食らいつくつもりのようだ。
上下から攻めてくる大フナムシの意図が読めても、ケイスは歩みを止めず避けようともしない。
正確には走れない。悔しいがまだ走りながら、この技を使う事が出来ないからだ。
右腕を頭上に伸ばしたケイスは、短いナイフの刃を突きだし、大フナムシの体の一部と接触した瞬間に、手首と指の動きだけで大フナムシを投げ飛ばし、水面に強かに叩きつける。
投げ飛ばした勢いで崩れた体勢のままに今度は左腕を上に向け、違う大フナムシがナイフに一瞬触れた瞬間に同じ要領で、下から迫ってきた大フナムシに両者の殻にヒビが入るほどの勢いで投げぶつける。
身体を入れ替えた勢いで下から来た大フナムシの顎に右手のナイフを逆袈裟気味に振るい引っかけながら、同時に左手のナイフで上から来た大フナムシを受け止めた勢いで、己の体を支点として同時に投げ跳ばす。
次々と襲いかかってくる大フナムシを、ケイスは歩みを止める事無く真っ直ぐに進みながら、飛びかかってくれば休むこと無く投げ飛ばし、下から迫ってきた者は掬い上げ上に放り、次に投げ飛ばすための重りへと変える。
食らいつこうとする大フナムシの群れに対して、ケイスは綿埃を払うかのような気安さで排除して、ただ一直線にサナの元へと向かって歩みを進めていく。
ケイスが行うのは剣を使った投げ技。
剣が触れた一瞬の間に”掴み”、己の意図した方向へと投げ飛ばす。武器を持ったままの組み打ちを体技として持つ邑源の基本技の一つで、ただ投げ飛ばすだけならばケイスは昔から使えた。
今行うのはその本来ならば一対一で用いる投げ技を、さらに強化発展させた、一対多を得意とするフォールセン二刀流に属する歩法になる。
モンスターの群れが跳梁跋扈し禄に休憩も補給も出来ない暗黒時代に、己の体力と武器の消耗を抑えながら、大群を突破するためにフォールセンが編み出した剣技だ。
本来であれば全力疾走しながら、敵モンスター達の動きを、己の目配せ、息づかい、腕の振りで意のままに操り用いる技だが、今のケイスではそこまでは出来ない。
ゆっくりと歩き位置と体勢を調節しながらでしか使えない己の弱さには不満はあるが、それでもラフォスへと己の成長を誇れる技として、ケイスは剣を振るい大フナムシの群れの中を、真っ直ぐに突き破っていく。
ケイスが通った背後には、殻にヒビが入り、足がネジ折れ、触覚の千切れた半死半生の大フナムシの山が築かれていく一方だ。
急に飛び込んで来た暴虐無人な化け物に、知能は低い大フナムシたちもこれは自分達の餌にはならないと本能的に悟ったのか、包囲網の半分ほどを抜けた辺りで、攻撃を止めると怯えるように身を寄せて、その行く先を邪魔しないように道を空け始めた。
サナに襲いかかっていた大フナムシたちも今は遠巻きに見守るようになっている。
「……ふむ。もう少し歩行速度を上げた練習をしたかったのだがな」
退いたモンスターの群れを見て、ケイスは少し不満げに頬を膨らませる。
どうせ襲いかかってきたならば、最後の一匹まで気合いを入れて襲いかかって来れば良いのにと、戦闘狂思考で考えるが、
(全く貴様は。本当に変わらぬな。どれだけ成長して驚かせれば気が済む)
傲岸不遜なケイスの何時もの態度はとにかくとして、確かに成長を見せられたラフォスは、遠回しながらも褒めてみせる。
「ふむ。天才の私が、天才の師に学んだのだ。急成長は当然であろう」
目指す先はまだまだ遥か先だが、一応今の技術では満足いくレベルの剣は振るえたので、ラフォスの褒め言葉に嬉しそうに笑いながらケイスはナイフを収める。
大フナムシたちが退いて道を空けたので、そのまま抵抗なく水たまりを歩き抜けたケイスは、唖然として固まっていたサナの元へと歩み寄って、
「すまん。待たせたな、サナ殿。ふむ、怪我は無いようだな。さすがだな……ん、ファンドーレはどこだ? 合流できていないのか」
その全身をみて怪我の有無を確かめて無事である事を確認し、安堵と賞賛の混じった花も恥じらう極上の笑みをみせるが、すぐにファンドーレの姿が近くに無いことに気づき眉を顰める。
「あ、貴女、何故突っ込んで、いえ、それ以前に今何を? どうやって」
一方でサナは槍を構えた体勢のままで、驚き、声を失っている。
モンスターの群れを突破して、さらには萎縮させたというのにケイスがみせるのは、待ち合わせに遅れた事を詫びるような軽さだから、反応に困っているようだ。
「俺ならここだ。それに姫。ケイスの非常識な行動理念は聞くだけで疲れる上に、理解が出来ず無駄だから止めておけとのことだ」
不意にカンテラの明かりが不自然に揺らめき、声が聞こえたので見上げると、大岩の表面に張り付いているファンドーレの姿があった。
馬鹿にしたような評価だが、その又聞きの評価の主が、ケイスを良くも悪くも理解しているルディアやウォーギン達であろう事は間違いない。
一応、極々少量だが、ケイスなりにルディア達には迷惑をかけている自覚はあるので、自分の評価へと不満は覚えず、それよりも石を詳細に調べているファンドーレがケイスには気になった。
「そこにいたのか。避難しているようでは無さそうだな。何かあったのか?」
「この岩には古代文字が書き込まれていて、どうやら自然の物では無く、意図的に設置した人工物のようだ。もう少し調べたいが、この突き刺さったクラーケンが邪魔だ。魔術も使うわけにはいかんから。どうにかしろ」
どうやら大フナムシとの戦闘よりも、迷宮学者のファンドーレはこっちの方が気になっていたようで、戦いそっちのけで調べていたようだ。
もっとも吸魔樹の根に囲まれて下手に魔術が使えない状況では、小妖精族の自分ではサナの足手まといになると割り切って、戦闘は任せて調査に専念していたともいえるのだろうが。
「ん。こいつは斬りづらい肉質だぞ。しかも私の方は長剣が折れたから、ナイフだけだと相当な時間が掛かるぞ」
確かに指さす先には何かが書かれているが、そこから上の部分は途中で突き刺さった大イカの死骸に隠れてしまっている。
しかしどうにかしろと簡単にいわれても、長剣を失い、ナイフのみのケイスの手持ち武器ではこのクラーケンを切り裂くのも一苦労。
(我を使うつもりなら少し休んでからにしろ。負担に耐えきれなくなる)
羽の剣を使うだけの闘気を産み出すにも、もう少し時間をおいてからにしないと身体への負担が大きすぎると、ラフォスも注意してくるので無しだ。
「サナ殿は、斬れるか?」
生きている獲物なら他人に譲る気は無いが、死体となればあまり斬っても面白くない。
未だ大フナムシに囲まれているこの状況下で、平然と打ち合わせを始めた変人達に戸惑った目を向けていたサナに尋ねる。
「わ、私の槍は斬るよりも突き刺す方に重点を置いていますから不向きです」
状況の変化に戸惑ってはいるが、それでも重要性を感じ取ったのか、遠巻きに囲む大フナムシ達を警戒しつつもサナが首を横に振った。
「ん。やはりそうか……よし」
半分予想通りだったので落胆することも無く、ケイスはしばし考えてから次の手を見出す。
ケイス一人では斬るのは大変だ。サナがいてもそうは変わらない。ならあるものを使えば良い。
ケイスは振り返ると未だ周囲を包囲しながらも、二の足を踏んで、遠巻きにしている大フナムシたちに目を向ける。
ケイスを恐れながらもこのフナムシたちが逃げない理由、それをケイスは野性的な本能で、見抜いていた。
膨大な数の彼らの腹を満たすには、ファンドーレはもちろん、小柄なケイスだけで無く、サナを足しても到底足りない。だがそんな彼らそれぞれに、十分に行き渡るほどの肉がここにはある。
「ん。お前達の本来の狙いはクラーケンの死骸であろう。これは私が斬り殺した私の獲物だ。だがら喰らいたいならば私に協力をしろ。これが邪魔だから喰らえ、ただし私達に襲いかかってきたなら逆に喰うぞ」
その無い胸を張ったケイスは、いつも通りの傲慢な口調で、まるで人に語るかのような口調で大フナムシたちに命令を下し、さらには脅してみせた。
普通なら言葉の通じない者同士では意思の疎通は極めて難しい。
ましてや人と虫型モンスターだ。
だがケイスは気にしない。ケイスにとって他者とは自分以外の何か。
ケイスにとって周りの者とは、自分が気に入る者か、嫌いな者かだけ。
ケイスには、種族も、種別の違いなどもなく、そして理解が出来ない。
この世は自分と、自分以外。その二つだけ。
傲岸不遜にして傲慢なこの世の最強種、龍。
その龍の中の龍。未来の龍王の勅命はモンスター達の生存本能を強く強く刺激し、その身と心に刻み込まれる。
私の思い通りにしろ、従わねば喰うぞと。
ケイスに脅されたフナムシたちが、そろそろと大イカの死骸に近づき、おそるおそるといった風情でその身に群がり喰らい始めた。
一匹一匹が咀嚼するスピードはさほど早くないが、数だけは多いので、邪魔なクラーケンの死骸はすぐに排除されるだろう。
「よし。これで良いな。ファンドーレ。間違えて喰われると危ないから一度降りてこい。休憩するから、上の状況を教えろ」
モンスターを己の意のままに動かすという非常識な言動をみせるも、自分に従うのはさも当然といわんばかりに平然としたケイスは、大岩の出っ張りに腰掛けると、懐から飴玉を取りだしてなめ始める。
周囲の大フナムシは見た目からして平べったくて、殻を割っても食べられる部分は少なそうなので、どうにも食指が動かない。それに疲れている時は甘い物が1番だ。
「あぁ……ファンドーレさん……この娘はいったいなんなんですか」
幼女のように邪気の無い幸せそう笑みを浮かべて飴玉を楽しみ始めたケイスに聞いても無駄だと悟ったサナが、前にルディアにした質問を今度は下に降りてきたファンドーレに投げかけるが、
「俺の友人曰く、ケイスについては考えるだけ無駄だそうだ。何をやらかしてもこれがケイスだと納得しろとの事だ」
その友人であるウォーギンからケイスに負けず劣らずの変人だと見られているファンドーレは、あまりにシンプルで、そして何の解決にもならない答えをサナに返すだけだった。