(大体お前には後先を考える以前に、謙虚さや自重という概念が、根本から消失していることが問題だ!)
(むぅ。久しぶりに話せたのに、口うるさいな。お爺様は心配が過ぎるぞ)
切り裂いたクラーケンの身体に寄りかかりながら、ケイスは心の中で返す。
クラーケンの神経節が集中した両眼の間を内側から切り潰して瀕死にしたはいいが、その代償で全身全霊を込めすぎて、ケイスはまともに動けなくなっていた。
指先1つも動きそうになく、声さえあげられない。
そんな状態だというのに、せっかく良い剣を振れたのだから、愛剣なら褒め言葉の1つでもあって当然だと、剣術馬鹿思考で不満を表明していた。
(この馬鹿者は……ここからどうするつもりだ! イカ諸共、底に叩きつけられるつもりか)
だがラフォスが心配するのは当然と言えば当然。これが地上なら少し休めば良いだけだが、触手との神経を切断され瀕死状態のクラーケンはその巨体を支えきれず、洞の中を落下し始めている。
弾力のあるクラーケンの身体がクッションとなって、中にいるケイスは偶然軽傷ですむかもしれないが、そんな幸運に期待するのは都合が良すぎる。
しかし光明もある。クラーケンが落ちた事で、爆裂ナイフがまき散らしていた魔力吸収の効果範囲を抜けたのか、仮面の暗視機能が復活していた。これなら軽量化マントも使用可能となっている。
戦闘のしっぱなしでそろそろ転血石の残存魔力量が気になるところだが、まだ石を交換しなくても数分は持つはずだ。
切り口から見える洞は滑らかな木面をさらしている。掴むところが少なく、昇るのは無理そうだ。
所々クラーケンが昇って来たときに開けた足がかりらしき、大穴があるので、それを足場に、軽量化マントを併用すれば上に戻れるかも知れないが、落ちた距離を考えると上まで石が持つか怪しい。
ウォーギンの作る魔具は市販品と比べて性能は段違いで良いが、その分調節が複雑で石の交換1つとっても微細な調整が必要。
本人でなければ判らない機微があるので、さすがのケイスでも手軽に交換というわけにはいかない。
(小言なら後で聞くからまずは脱出だ。底までの距離は判るか?)
(……下に水の気配を僅かながら感じる。今の落下速度であれば47秒もあれば到達するな)
存在自体は巫山戯ているが、基本的に根は真面目なケイスは、生き残るために情報を集め出す。
末の娘がそれを望み、動き出した以上、これ以上は言っても聞く耳さえ持たないのは経験で判っているラフォスも感知した水を伝える。
(なら30秒で身体を動かせるようにする。ちょっと意識を集中する)
息を深く吸い弛緩した身体の隅々まで少しずつ力を入れていく。この疲労感の原因は全身に回した闘気による肉体強化の反動。
心臓、そして枷を外した丹田から産み出す闘気には、暴虐な龍の力が濃厚に含まれている。
その龍の力に、ケイスの人としての肉体が萎縮してしまったようだ。抗えず傷だらけになるよりはマシだが、それでも我が身ながら情けない。
火龍と水龍。反発し合う異なる龍種の力は意思の力で、徐々にだが完全に従わせれる兆しを見せている。
なら今から目指すは更なる肉体強化。龍の力に負けない、人としての肉体を手に入れる。
探索者は迷宮を踏破し、天恵と呼ばれる超常の力を徐々に身につけていき、人の限界を超える存在となる。
探索者こそが、ケイスの目指す道。望む未来を手に入れるための答え。その為には、全てを喰らう。
顔の目の前にはクラーケンの肉体。何とか首を動かし覆面をずらして口元だけを露出させると、歯を立ててクラーケンにかぶりつき、肉を無理矢理に噛みちぎる。
味は淡泊すぎるが、新鮮なおかげか臭みが少なく弾力もあって食べ応えがある。ゆっくりと堪能したいところだが、時間も無いので二、三回咀嚼してから丸呑みする。
野生の獣のようにそのままもう一噛みして肉を噛みちぎった頃には、ケイスの肉体には力が戻っていた。
「がっむ…………ん。そこそこ美味いな」
立ち上がり、もう一度丸呑みしたケイスは大きく息を吐く。闘気による再強化はまだ出来ないが、通常戦闘に支障はない。
(味の感想を言っている場合か。あと3秒だ)
脳裏に響くのは呆れ気味のラフォスの声。先ほどの一撃でほぼ残っていない残滓となった龍の闘気でも、ラフォス自身の意思を目覚めさせる位は問題がないようだ。
「ん。判った」
力を込められなくなったラフォスの宿る羽の剣は腰へと戻し、左手に長剣を構えたままケイスは、一瞬の躊躇も無く、傷口から外へと飛び出る。
全身を叩きつける下方からの風が、つかの間の浮遊感を生むが、すぐにケイスの身体はクラーケンと併走して暗闇の中を落ちていく。
手足を振って体勢を整えながら、周囲を観察してみると木の洞は太さを変えることなく、すらっとした円筒が上下に伸びている。
ベルトから投擲ナイフを一本引き抜き、斜め下方に向け落下の勢いも乗せながら投擲。
壁に刺してワイヤーを使い落下速度を減速、停止させようとするが、腰ベルトからワイヤーを引き出しながら飛翔する投擲ナイフは、樹壁には刺さらず、あっさりとはじき返される。
上部の樹壁は、脆く枯れかけていたのに、この辺りの樹壁はまだ生きているようだ。
今の威力が最大。投擲では埒があかない。とっさに判断しクラーケンの身体を強く蹴って軌道変更。
樹壁に向かって頭から突っ込む姿勢を取りながら、左手の長剣を逆手に持ち替え、右手を柄頭に。
闘気による肉体強化は出来ずとも、自分が好む逆手双刺突の型を取る。
高速で迫る樹壁に対し、ケイスはその才を持って、寸分も違わない好機に剣をあわせ、右手で柄頭を叩き突き出す。
失った剛力の変わりに、落下の勢いを込めた一撃は、先ほどの投擲を遙かに凌ぐ貫通力を発揮し、手が痺れるような衝撃と共に密度の濃い樹壁に甲高い音をたてて突き刺さった。
間髪入れず軽量化マントを使用し、己の体重を誤魔化して、壁に取り付こうとしたが、その前に限界を超えて酷使した一撃に長剣が先に根を上げる。
何時もなら闘気を剣に流し込み、強化した状態で使っていた技、さらに武器に対してはこだわりがあるケイスが愛剣として使うほど気に入った剣としても、所詮は吊し売りの一般物。
軽量化したとはいえ落下の勢いを持つケイスの衝撃に耐えきれず、刃元に生まれたヒビ割れが一気に広がり、剣が刃もとからぽっきりと折れてしまう。
「っ! 許せ!」
クラーケンを切り裂いた段階でかなり酷使していたのに、さらに無理をして折ってしまった剣に謝りながらも、とっさに腰のナイフを新たに引き抜き投げつけ、引き出されたワイヤーを操り、樹壁に突き刺さったままの刀身にナイフとワイヤーを幾重にも絡みつかせる。
腰ベルトから伸びたワイヤーを限界まで引き出しながらも、ケイスの身体はかなりの衝撃を伴いながらようやく落下を停止した。
「うぅ。無茶させすぎた……せっかく手に馴染んできたのに」
(お前は何かにつけて我等に対して扱いが乱暴すぎる。自業自得だ。それよりも下を見ろ。最深部のようだ)
九死に一生を得たが、それを喜ぶよりも剣を折った方が嫌で半泣きになっているケイスに対し、ラフォスが注意を促し、下を見ろと警戒の声をあげる。
促され下に目を向けてみれば、空洞の終わりには、出現地点と同じように枝葉で出来た足場が生い茂っている。クラーケンが落ちた大穴が中央に空いていて、こちらはまだ青々とした生きた枝葉で出来ていた。
上のルディア達と連絡を取ってみようと腕輪の通信魔具に嵌めた石を叩いてみるが、石に反応は無い。
「通信魔具は効果範囲外か……転血石の魔力残量を考えればこのまま上を目指すよりも、下を探索して上のルディア達と合流する道を探した方が良いな。お爺様下に降りるぞ」
伸びきったワイヤーに別のナイフから伸ばしたワイヤーを継ぎ足し延長。樹壁を蹴りながらワイヤーを徐々に繰り出し懸垂下降で降りていく。
手持ちの投擲ナイフをさらに三本使い下の足場へとようやく届く。上と違いこちらは頑丈でケイスが乗っても軋む事は無い。
手持ちのナイフの残数を考えれば回収したいところだが、いくらワイヤーを引っ張ってみても長剣が、がっちりと食い込んでいるので、落ちてこない。
「むぅ。羽の剣はまだ使えないし、ナイフが6本だけか。ここらの枝でも棍棒代わりにするか」
年相応と言うべきか短身のケイスでは、ナイフだけでは些かリーチに不安がある。無論負ける気はなく、しないが、戦いやすさでは段違いだ。
(武器を探すなら下まで降りた方が良いだろうな。下の水場にいくつか金属の匂いがある)
「下か……ん。アレかずいぶん小さい水場だな。群がって周囲から伸びているのは根か?」
クラーケンが開けた大穴の縁から下を見下ろしてみると、ぽっかりと空いた広い空洞の中心部に尖った大岩が突き出ており、岩を中心にして微かに光る水場が出来ている。
樹壁の最下部からは白く太い根が数え切れないほどに生まれていて、それが蔦のようにつり下がり、僅かな池を目指して伸びている。
中央の大岩には上から落ちてきたクラーケンが突き刺さって死骸をさらしていた。
「ん。水生生物のクラーケンがいるのだから、もっと大きな湖があるかと思っていたのだがな」
(どうやら水涸れだな。おそらくはこの空間を埋め尽くすほどのもっと大きな地下湖水であったのだろう)
「樹が枯れかけているのはこれが原因か。今期の閉鎖期での変化の影響か……ふむ。あの辺りの根を蔦って下までいけそうだな。降りてみる」
水を失い、死にかけているらしい巨木の迷宮が今回の始まりの宮となったのは何か意味があるのだろうか?
一瞬浮かんだ疑問を心の中に留めながら、ケイスは手持ちのナイフで、樹壁近くの足場を切り裂き、下までの穴を開ける。開けた位置からは根が見えた。少し離れているが跳べないほどではない。
一応安全のために軽量化マントに魔力を通して、根に向かってふわりと飛び降りる。
「っ!?」
だが根に取り付いた瞬間、視界は暗闇に染まり、身体が重量を取り戻す。
普通なら慌てふためく場面だが、ケイスは暗闇の中、ほぼ直感のみで手を伸ばし、手に何かが触れた瞬間にしっかりと掴み、足も出して抱きつき、なんとか身体を支える。
そのまま手探りで動いて、安定した体勢になってから、覆面を取り外し、ベルトに下げた小物入れから、掌サイズの折りたたみ式のオイルカンテラを取りだし、フリントを叩いて灯心に火をつける。
暗闇の中ぽわっとした明かりが広がり、僅かな範囲だが照らし出す。
全く同時に魔力が切れたと考えるよりも、下の空間では魔具が無効化されると考えた方が妥当か。
しかしタイミングがおかしい……根に触れた瞬間。
ふと気づき、腕につけた通信魔具を見てみると、赤い輝きを持っていた転血石が色を失い灰色に変わっていた。これは内蔵した魔力が消失した何よりの証だ。
使っていた仮面やマントだけで無く、使用していない腕輪の転血石まで色を失っているとなれば、思い当たるのは1つだ。
「お爺様。どうやらこの樹の根に石の魔力が吸い尽くされたようだ。ほかの魔具も軒並み使用不可能となっている」
(吸魔樹か……魔術不可領域があるとは厄介な。どうする?)
成長やその巨体の維持に魔力を必要とする迷宮植物は多く、物によっては根から土地の魔力を吸い尽くす有害樹もあるが、どうやらこの巨木もその1つのようだ。
魔力を持たず、生み出せないケイスならば魔具は使えなくはなったが、それでも無いなりの戦いが出来る。だが魔術前提の戦闘方を身につけている者達にとっては。この無数の根が張り出した空間は厄介な事この上ない。
「あのクラーケンを先に倒せたことを僥倖と思うしかあるまい。10本足でも戦ってみたかったが、下手したら死人の山となるところであったろうな。ともかく下に降りて……何か来るな」
対策や上に警戒を伝えようにも今のケイスに出来る手は限られている。まずは状況確認のために下に向かおうとしたとき、暗闇の中で羽ばたきの音が上方から微かに聞こえた。
先ほどの蝙蝠の生き残りがここまで降りてきたか?
足元は不安定で、手持ち武器は心許ないが、下にまで降りている時間は無い。
右手に大振りのナイフを構え、左手にカンテラを持ちながらケイスが警戒態勢を取ると同時に、猛禽の翼を持つ翼人が光球を片手に、中央部の大穴をくぐり抜け下に降りてきた。
それはロウガ王女サナで、何故かその肩にはケイスのパーティメンバーであるファンドーレが乗っている。
どうやらケイスを探しに、同期の中で自由自在に飛べる翼持ちの二人が降りてきたようだが、タイミングが悪い。
ケイスが警戒の声をあげる前に、サナが邪魔な根をどかそうとして手を触れてしまう。
「っ! 魔力が!?」
一瞬で翼に込めた魔力が消失したのか、驚きの声をあげたサナが浮力を失い落下していった。かろうじてファンドーレだけが難を逃れているが、周囲の根がサナの魔力で栄養を得たせいか急成長を始め、天井の大穴を塞ぐ勢いで伸び始める。
「ファンドーレ! 根に触れるな! 吸魔樹だ! 私も下にすぐ降りるからサナ殿を頼む!」
必要最低限の情報だけを叫んで伝えたケイスは、ファンドーレの返事も待たずに、ケイスは下に向かってカンテラの明かりだけを頼りに飛び降りてた。