「こっちの浄化は終わった! モンスター共が通路側から来る気配はないが、用心でトラップの設置中だ! 次はどこに行く!」
戦闘開始から既に三時間以上が経過。16の橋は全て勢力下に収め、対岸の洞窟へ侵攻した挑戦者達は9つの洞窟を制圧し終えていた。
10個目の洞窟。スケルトンで溢れていたカタコンベの制圧を報告に来てくれた、まだ少年の面影を残した血気盛んなメイス使いが率いるパーティに、全体の状況を確認し、戦力の割り振りや休憩、入れ替えの調整をしていたルディアは頭を下げる。
「みなさんありがとうございます! あっちで休憩を入れてください。負傷した方はあちらの橋を渡ってください。医療用の部屋にしてあります。武器の手入れや薬品類の補充ならあっちを」
サナパーティ達によりかなり強化されたとはいえ不安定な足場よりも、制圧した洞窟の方が安心して休憩や補給が出来るだろうと考えたルディアの提案によって、早々と制圧が終わった洞窟は安全を確保したのちに、それぞれのパーティから治療や武具補修を得意とする者達が集まり、継戦能力を維持する準備が出来つつあった。
「赤毛のねーさん! 俺らは武器の補修がすんだら、暴れ足りないからもう少しやらせて貰うぜ!」
リーダーのメイス使いとは違い、少し疲れた様子を見せる火神派神官の印をいれた杖を持つ少女が、ため息と共に杖で槍使いを軽くこづく。
「休憩出来るならまず休憩! 幾人か手傷を負ってるから治療させてもらいます。うちのリーダーが、ねーさんの所のちびっ子に触発されて突っ込む突っ込む。フォローするこっちの事も考えろっての」
神官少女の後ろでは、ほかの年若いパーティメンバー達も、再突入前に休憩が出来ると聞いて安堵の息と共に座り込んでいる。
深手を負っている者はいないが、鎧や盾に付いた傷が、つい今し方までの激戦を感じさせる。
「んだよお前ら情けないな。あのケイスってガキがまだまだやってんだろ。じゃあこっちも負けてられねぇぞ!」
どうやらケイスと同じく脳筋気味なのか、それとも激戦でアドレナリンが出ずっぱりなのか、対抗意識を燃やしているようだ。
「あの子と張り合うにはあんたじゃ実力不足もいいところ。情報聞いてる間くらいは休んでろ。ねーさん。戦況と、あと下の状況ってどうなってます?」
「洞窟は貴女達で10個目を制圧。後の6個も……オークの群ればかりで、安全に制圧できるだけの人を確保はできているから、今は休憩して英気を養ってください」
ファンドーレが展開した大地図を中心に臨時の野戦司令部と化していた中央で同じく情報整理、各所の指揮に廻ってくれている魔術師達に目を向けると、既に同じような質問を何度も受けて勝手がわかっている彼らは、問題無しと探索者が使うハンドサインで返してくる。
神官少女へと、ルディアは順調に進んでいる戦況を話し終えたあと、ちらりと足もとに心労からの息を吐きだし、腕につけた通信魔具を起動させる。
「それで下の方は……実際に聞いてもらったほうが早いわね。ケイス。そっちどう?」
『うぅぅっ、やはりどこもまずい。ルディ。オークを落としてくれ』
ルディアの呼びかけに、すぐにケイスの半泣き声が返ってくる。
下の状況が緊迫してきたのかと年下のパーティ達が顔色を変えるが、魔術師達は苦笑いを浮かべ、ルディアはもう一度心労からの息を吐いた。
大群相手での空中戦闘のコツを掴んだと宣う剣の天才は、ほぼ疲労しないどころか、軽量化マントを使い相手の勢いを喰らって大きく移動することで、僅かながらも休憩が出来るまで、この数時間で進化し終えていた。
このまま蝙蝠達が攻め疲れで疲労死するまで付き合っていられるとケイスがいうので一安心していたが、約10分前にケイスの小腹が空いてきた所為で、別の意味でルディアは心配が生まれ、それはものの見事に的中。
「だから蝙蝠を生で食べるなってさっきもいったでしょ」
剣で切り取った蝙蝠肉にかじりつき、固くて臭くてまずいと味の文句を言いだすケイスに、どうせ聞くわけ無いと思いながらも忠告をする。
どうやら部位を変えて試食しているようだが、どこもケイスはお気に召さない様子だ。
「それにさっきからオークじゃなくて、ちゃんとした食べ物を落としているけど、あんたの所に行く前に蝙蝠に取られてるのよ」
もちろんケイスが蝙蝠の大群を一人で引きつけてくれているのは判っているので、ルディア達も手をこまねいているわけではないが、ケイスを囲む蝙蝠達の包囲網が分厚すぎて、食べ物を落としても、蝙蝠達に先に奪われる始末だ。
『だからオークを生で落とせ! そうすればこいつらが食い尽くす前に私が確保できるのでないか!』
蝙蝠はまだ見た目が獣獣しているが、オークはモンスターとはいえ人型。
一応迷宮内での食料としての捌き方も周知されているが、人に似た見た目で、迷宮食材初心者にはあまり好まれない食材の1つ。
もっとも悪食なケイスは見た目など気にせず、豚に似て脂肪分が少なくてそこそこ美味いとそれなりの評価で、ルディアもちゃんとした下処理をして食肉となっているなら、まぁ我慢はでき無くはない。
しかし今回は生でいこうとしている。オークの血にまみれた口元に笑みを浮かべる美少女風化け物という正気を失いそうな光景を想像して、ルディアは気が滅入ってくる。
一人で蝙蝠に突っ込んで引きつけたおかげで、多少なりとも同期達からの視線が変わる切っ掛けができたのに、そんな化け物が下から出てきたら台無しだ。
「あーごめん。オークはもう全滅させたから後はスケルトンだけよ」
今後も考え、しれっと嘘をついたルディアは、メイス使いパーティへと目を向ける。
「……あんたが同じような状況で味云々とか文句が言えるなら、休憩無しで戦闘続行も良いけど」
「わりぃ俺が比較対象を間違ってた。休憩しよう」
神官少女からの呆れ目を向けられたメイス使いは、ケイスの非常識な言動で、冷静になったのか、それとも疲れを自覚したのか神官少女の横にぺたりと座り込んだ。
突入役と抑え役が機能している良いパーティのようで羨ましい限りだと、ルディアが微笑ましく見守っていると、
『ルディ! ちょっとまずそうなっく!?』
繋がったままの腕輪からケイスの緊迫した声が響いて、通信が途絶する。
間髪入れずに、下方から閃光が上がり、通信魔具越しではなくはっきりと聞こえる爆音がルディア達の乗る足場を揺らした。
「ファンドーレ!? なに起きたか判る!?」
揺れる足場の上で倒れないように片膝を突いたルディアは、大地図の中央に浮かぶファンドーレに状況を確認する。
「蝙蝠の群れの中に、何かが二つ突き上がってきて薙いだようだ。今もかなりの速度で群れを引き裂き続けている。今の閃光と爆発はその1つにケイスが何かを仕掛けたようだが、遠目で詳細まではわからん」
蝙蝠達を刺激しないように極小の虫型使い魔を散らして情報収集を続けているファンドーレが、地図上の表記を弄り、今現在ルディア達のいる足場下方に、突如出現した二本の柱と、それに引き裂かれた蝙蝠の群れをいくつかの塊に散らす。
『ルディア! 今の爆音はケイスが使う爆裂ナイフだな! 何があった!?』
洞窟の1つで魔具の修理や簡易改造、魔力補充を引き受けていたウォーギンからの通信が、腕輪に嵌めたケイスとは別の石から響く。
「何かが下から上がってきたみたい! ケイスとの通信は途絶中!」
『魔力吸収効果が悪い方向に行ったか。下から上がってくる風もあって、粒子が細かいから数分は途絶するな。軽量化魔術も使用不可能になって、浮遊魔術も無効化されるから直接救援に行くのはこりゃしばらく無理だぞ』
ケイスが使う爆裂ナイフの爆発は二次効果にすぎない。あくまでも魔力を生成出来ないケイスにとって最大の弱点である魔術を打ち消す魔力吸収物質を広範囲に散らす事が主目的となっている。
だが魔術封じは同時に、今の魔具を多用するケイスには諸刃の剣。空中戦闘をこなすために必要だった軽量化や、この暗闇で敵を見据える仮面の暗視機能も無力化されてしまう。
「ケイスがそれに思いつかないわけないし……本気でまずいかも。すみません! 夜目が利いて視力の良い獣人か魔族の人がいるか、各パーティに問い合わせてください! 後火矢の用意と弓手を!」
下で何が起きたのか? ケイスを案じてはいるが、今は状況確認の手しか打てないもどかしさに歯がゆい思いをしながらもルディアは動揺をみせる同期達に、協力を要請した。
ルディアとの会話中に感じたのは強烈な殺気。
とっさに剣を盾にし軽量化を最大まで稼働させていたおかげで、蝙蝠の群れを突如突き破って飛び出てきた触腕にも対処ができ、手が痺れるほどの衝撃で受け止めていた。
攻撃を防ぐと同時に即座に左手の防御ナイフを腰の爆裂ナイフと入れ替え、時限機能を選択し一度下がった蝕腕にむけて投擲。
蝕腕を受け止めた勢いで蝙蝠で出来た壁を突き破りながらも、それでもケイスは一気に数十ケーラは跳ね上げられ、安全圏までとりあえず退避した直後に、爆炎爆音と同時にナイフが炸裂していた。
「クラーケンそれも亜種か!」
上空で体勢を立て直しながら一瞬の閃光の明かりで視認した攻撃の主は、周囲の木壁に8本の足を突き立て、洞を塞ぐほどの巨体で下から這い上がってくる大イカの化け物。クラーケンだ。
また普通のクラーケンとは違い、蝕腕全体がいくつもの小石や岩で完全に覆われており、先端に至っては、吸盤ではなくまるで大剣のように鋭く太い爪状となっていた。
相当頑強なようで、表面の岩は砕けているが、動き続けている蝕腕に爆発の影響はあまりなさそうだ。
一度打ち上げられ手いたケイスの身体が重力を思い出し落下を始め、すぐに仮面に仕込まれた暗視機能が不安定に揺らぎ始め、ルディアとの通話も途切れていた。
周囲の粒子に魔力が吸収され、動作が停止するか不安定になる魔具には頼れない。ならば己の視覚、聴覚に頼るのみ。
幸いにも石をつなぎ止めるために蝕腕から可燃性の体液が出ているようで、岩の表面で炎がちろちろと燃えているので、うっすらとだが敵の姿を見通せる。
8本の足で壁を昇りながら、それらより遥かに長い二本の蝕腕で、今も蝙蝠達を次々にたたき落とし、一枚が民家の屋根よりも大きな嘴を大きく広げて、むさぼり食っている。
このまま蝙蝠達を喰らいながら上まで上がり、挑戦者達も喰らうつもりなのだろうか。
その時にケイスは気づく。右手の指輪が訴える。アレがケイスの乗り越えるべき試練だと。打ち倒すことで迷宮を踏破した証となると。
それに気づいた瞬間、ケイスの怒りは頂点に達した。
何故この状況で現れる! 何故こんな所で出てくる!
上にはルディア達がいる。仲間達の安全を確保するために、退くわけにはいかない。
だからここで戦うしかない。
こんな場所でだ。
今は見逃してやるから下がれと言いたいが、どうやら先ほど蝙蝠達を引きつけるために龍の気配を使ってしまったことで、このクラーケンも大きく魅了してしまったようだ。
爆裂ナイフに怯むこともなく、己の体の表面が燃えていてもすぐに消えると無視しているのか、ただ貪欲なまでの食欲に支配されている。
だからいくら脅そうが、攻撃を加えようがここで戦うしかないようだ。
不満だ。極めて不満だ。
”せっかく”10本の足があるのに、2本しか相手が使えない状況で戦わなければならないことが大きく不満だ。
もしこのクラーケンの本来の住処で10本足と戦っていたのなら、それはどれだけ激戦で心が弾み、ワクワクしたことか。
相手が使う蝕腕は、剣は2本。ならば自分が勝つに決まっている。
なぜならケイスは剣の天才だ。
生まれてからこの方自分よりも実力のあるものはいくらでも見てきて、幾度も戦ってきたが、純粋な意味で剣の才能で自分より勝ると断言できるのはフォールセンのみ。
だから気づいてしまう。判ってしまう。2本の蝕腕しか使えないクラーケンの防御をすり抜け斬る剣を。
気にくわない! こんな不完全な相手を斬るのが自分の趣味ではない! 何より楽しくない!
だがルディア達を危険にさらすのはもっと気にくわない!
だから斬る! 斬り殺す! 自分が満足するほどの一撃で!
思考は一瞬。判断は即時。そして行動は随時。
ここまで使っていた長剣を左手に移したケイスは、右手をマントの内側に突っ込み、本来の愛剣を、先代深海青龍王ラフォスの宿る羽の剣を手にする。
引き抜いた剣には力なく刀身はだらりと垂れ下がり、重さもほとんどない。
それは当然だ。楔を捨て去り龍の力を解放した今のケイスでは、羽の剣を自由自在に使うだけの闘気を常に生み続けることは出来ない。
だが一瞬なら出来る。この半年で積み上げた鍛錬により、今のこの身なら一瞬だけであろうと剣を使いこなせる。
振ることが出来るのは一振り、一技のみ。
たった一度だけの剣。外せば次に剣を振れるまでしばらく無防備となる。
無謀、無茶、無理と凡人は考えるだろう。
しかしケイスは理外の天才。
剣をもって世界を制すだけの狂人にして天才。
一振りだけの剣。ならばそれはケイスの理想。ケイスの目指すべき世界。
最強の一振りを持って全ての敵を切り倒す。
それこそ剣士。それでこそケイス。
「行くぞ大イカ! 住処から出てきおって! 私の楽しみを奪った報いを受けてもらおう!」
右手に羽の剣。左手に長剣を構えたケイスは体を入れ替え、八つ当たり気味の怒号と共に、頭を下に向けると、逃げ惑う蝙蝠達を次々に蹴りながら加速を始める。
目指すは一点。激しく動くイカの嘴とその口蓋。
蝙蝠達の身体を一瞬で引き潰す鋭く重い嘴に触れれば、重鎧さえも簡単に引きちぎられるだろう。
しかしケイスに臆す心はない。あるのは縦横無尽に繰り出される10本の蝕腕相手に戦える楽しみな戦闘を、食欲如きで潰した相手に対する怒りのみ。
重力と脚力に任せて最大まで加速したケイスは一本の矢となり、蝙蝠や燃える蝕腕を蹴りつけ、一気に激しく躍動する口蓋へと到達。
「行くぞお爺様!」
轟音を立てて噛み合わさる嘴を見据えながら、半年前までは何度も口にした言葉と共に、ケイスは心臓と丹田に力を込め、闘気の二重化という、この世でケイスにしか使えない非常識な力を生み出す。
赤龍と青龍。異なる龍種の闘気が、燃えさかる炎となり全身を焼き尽くそうとする。冷たい氷の棘が血管を駈け巡り、身体を内側から突き破ろうとする。
正気を失いそうな激痛はケイスを心身共に壊そうと暴れ狂う。
しかし一度体験し、それを征そうとする天才は遥かに凌駕し、一瞬でも自らの意思で凪を産み出す。
生まれた凪の一瞬を見逃さず、全身に闘気を巡らせ肉体強化し、両手の剣にもありったけの闘気を込める。
羽の剣の刀身がすらっと伸び、硬度と重量を瞬時に極限まで増加し、刀身に宿るケイスの遥か祖先。先代深海青龍王ラフォスが目覚める。
『無茶をするなこの馬鹿娘は! イカの分際で我ら龍を喰らおうというこの痴れ者を斬り終えたら説教してくれよう!』
目覚めと共に頭に響くのはラフォスの怒声。どうやら外に意思を向けれるほどの力は無くとも、剣の中で微睡みつつも周囲の状況は把握できていたようだ。
無茶ばかりするケイスに対しての怒りは伝わってくるが、返してくるのはケイスが望む重さと硬度。
さすがは我が愛剣。我が祖先。
怒られているというのに嬉しげな笑みをこぼしたケイスは、剣を持つ両手を交差させ、
「合技! 水面双刃月!」
ケイスの身体を両断しようと嘴に両剣をあわせて剣を勢いよく弾かせ、その勢いのまま身体を回転させつつ、双剣を身体に引きつけながら振り回す。
相手の食欲さえも喰らい産み出したのは、真円を描く剣の月。
邑源流とフォールセン二刀流をあわせたその技は、触れた者を全て切り裂く魔剣と化し、嘴を一瞬で切り裂き、ケイスの身体を無事にクラーケンの口の中に通過させる。
飛び込んだ場所はクラーケンの頭部。胴体部にある胃に落ちるまでも無い。
嘴の破片を蹴ったケイスはクラーケンの胴体と頭部を繋ぐ力が集中した弱点を、野性的な本能と、剣士としての本質で見抜き、残った力を全て喰らえとばかりに切りつけた。
振り切られた剣が弾力のある肉を易々と切り裂き、クラーケンの身体に十文字の斬撃が深く刻み込まれる。
通常であればケイスの剣は深手ではあたえたが、致命傷とまでは行かなかっただろう。
だがここは空中。クラーケンは己の巨体を支える為に8本の足を伸ばし、蝕腕を勢いよく振り回している最中だ。己の自重と剛力によって、刻み込まれた傷から瞬く間にクラーケンの体躯は切り裂かれて割れていく。
大きくバランスを崩した巨体の自重に負け、木壁にめり込んでいた触手の一本が大きな木片と共に、壁面からはずれた。
一本が外れるとさらにバランスは悪化し、重さに負けて次々に足は外れていく。一本はずれるごとに、巨木を揺らす大きな揺れが発生し、さらにその揺れが足が食い込んだ木壁を崩し、次の足を外す。
クラーケンの巨体を支えた足が全て外れ、口の中に飛び込んだケイスと共に、その巨体が深い闇の中に落ちていくまでは、1分足らずの時間もあれば十分だった。