魔術で作られた光球がうっすらと照らし出すのは、大昔に大型地中モンスターによって岩盤が抉り取られて出来た地下回廊。
北部山脈を貫く地底街道としても使われている主道と、そこから枝分かれして伸びる側道。
街道として整備された主道と違い、明かりがなければ先が見通せない側道は数え切れないほど無数にあり、蟻の巣のように複雑になっている。
中にはモンスターの巣が作られている箇所も少なくはない。
そんな側道の1つに、探索者を目指し、今期の始まりの宮へと挑む受講者達の姿があった。
牙を打ち鳴らし、高音の羽音と共にケイスに迫るのは、西瓜ほどの大きさで真っ黒な虫だ。
これはロウガ近郊でこの時期によく見かける虫種モンスターで、その鋭い牙と素早い動きで、獲物の腕や首などを一瞬で食いちぎる事から、通称千切り虫と呼ばれている。
迫ってくるのは一匹。それを見据えながらケイスは軽く息を吐く。
そのケイスの後ろには、後詰めとしてウィーが立ち、さらにそこから後ろにルディア達が控えている。
「前衛は真っ直ぐ突っ込んできた虫を避けて、腹部をねらえ! まず回避してから反撃だ! 後衛は前衛がミスしたときにフォロー出来るように気を抜くなよ!」
パーティ単位でのの戦闘訓練を講義するガンズが、セオリー通りの対処方を、くどいほどに繰り返す。
受講者の中には道場で剣術を会得した者や、猟師などの経験があり迷宮外に住まう野生モンスターを討伐した者もいる。
だが最下級とはいえ、迷宮モンスターを相手にした経験がある者はそうはいない。
迷宮外と同じ外見をしていても、迷宮モンスターは、その生命力や速度、堅牢さが全く別種と言って良いほどに強化されているからだ。
迷宮内の千切り虫の外骨格は、外と違い鋼のように堅く、普通の剣では歯が立たない堅牢な物となっている。
大量発生するので手に入りやすく、加工しやすい形状なのもあり、金のない駆け出しの探索者達の防具にもよく用いられているほどだ。
訓練といえど油断すれば、大怪我や死亡の危険性もある。だからこそガンズはくどいほどに、安全を考慮した戦い方の注意をする。
だがケイスはそれが気にくわない。
真正面から切らずして剣士と名乗れようか。最初から斬るのを諦めていたのならば、そこで終わってしまうからだ。
「だっ! ケイス! 人の話を聞いてんのか!」
背後から聞こえるガンズの怒声を気にせず、真っ正面から愚直に突っ込む。
最初から斬れないと諦めるのが嫌なのもあるが、何より初心者講習が始まってから座学が続いていた所為で、ここ数日はしばらく生物を斬っていない。
無論日課の鍛錬として剣は振っているが、やはり生物を、獲物を斬らないとどうにも落ち着かない。不満だ。
今日は久しぶりに生物が斬れる日。なら気持ちよく斬りたい。
そんな剣馬鹿思考のケイスは、斬ったときの斬りごたえが気持ちよく、少しでも長く続くのがほしいので、協会支部が受講者向けに貸しだしている剣の中から、一番長い剣を選んでいた。
真正面から突っ込んだケイスは、千切り虫が打ち鳴らす牙の隙間を狙い、身長と同じほどの長さの剣をただ真っ直ぐに振り下ろす。
幼く短身のケイスが見せるのは、見事なまでに綺麗な剣筋。無駄な動きなど一切なく、真っ直ぐに銀閃が奔る。
その剣捌きには、ケイスを快く思わない者も多い他の受講者達でさえ思わず感心の声をあげてしまうほどだ。
剣と虫がぶつかり合い音をたてる。
刃が触れた瞬間、ケイスはその天才性を持って理解する……外したと。
足りない物は膂力と速度ではない。一点を狙う純粋な精度。
『良いか嬢ちゃん。こいつらは堅いが、一匹一匹微妙に外殻が割れやすい箇所がある。そこを突けば……ほれこの通りだ』
目指す道とは違えど、モンスターの解体に精通した職人達は、ケイスが師事を受けるにふさわしい知識と技能、そして経験を持ち合わせていた。
千切り虫を含め、固い骨格を持つモンスター達を捌くときに、捌きやすくなる目を。
教わったときの死骸は固定してあったが、今は飛んでいて狙いがぶれるなどの、言い訳はケイス的にはあり得ない。
斬れたか。斬れなかったか。それだけだ。
刹那の思考と共に、ケイスは即座に動く。右足の力を抜き、体勢を大きく崩しながら虫を手元に引き寄せる。
傍目にはケイスが力負けしたかのようにみえる攻防。しかしケイスの狙いはその先にある。
そのままクルリと身体を回し、剣に噛みついた虫を、元々の速度と、己の力、さらに遠心力を持って、虫が飛んできた方向へと勢いよく投げ返す。
先にあるのは、土を固めあわせて作られた彼らの巣だ。
その巣の出入り口である穴の近くに投げ飛ばされた虫が、剛速で打ち込まれた。その途端、巣の中から、千切り虫が飛び出してきた。
その数は数十を超えるだろうか?
あれだけいれば十分だ。
ケイスは満足げな極上の笑みを浮かべると、改めて真っ正面から突っ込む。虫たちの中心へと。
足りないならそれを補うのは鍛錬のみ。
斬れないのならば、斬らなければ死ぬ状況に自分を追い込めば良い。
斬らなければ生き残れないなら、自分に剣士に斬れないわけが無い。
結果ありきの過程を導き出した剣術バカは、巣を壊され怒りに狂う虫たち相手に、大立ち回りをはじめた。
ロウガ支部が運営する北部鍛錬所は、初心者講習が行われるこの時期は、受講者のための合宿所として扱われている。
昼間に戦闘訓練を行った迷宮区への入り口に近く、有事には砦ともなる鍛錬所は、数百人が同時に寝泊まりできる設備を有している。
その広い大食堂では、色々と精神的に疲れた受講者達が、味は今ひとつだが量は多い夕食にありついていた。
そんな彼らの話題は、やはり初の戦闘訓練で、まごう事なき天才性と、それ以上に常識外の言動を見せつけたケイス一色となっていた。
テーブルの一つ。ロウガの姫たるサナ達の席も、話題の主題はケイスにあった。
「姫……あの娘、やはり相当な気狂いとみえる。関わり合いにならぬほうが御身の為ぞ、いまは始まりの宮に集中されよ」
鬼人好古が食後の茶をゆっくりと啜りながら、人をからかうのを好み、常に薄笑いを浮かべている彼女にしては珍しく、真顔でサナに忠告をする。
「好古に賛同するのは嫌だが、俺も同意見だ。あの数に真っ正面から突っ込んでいくだけでも頭おかしいのに、それを全部斬り捨てて生還するってどんだけだよ」
昼間の惨劇で散らばった虫の死骸を思い出すのか、スープに入ったエビを残したレミルトは、スプーンでいじりながら同意する。
剣の腕は確かにフォールセンの弟子と称するだけの事はあるが、それ以外はあまりに常識知らずな言動が目に余る。
申込日に英雄噴水を破壊したかと思えば、講習が始まって僅か数日だというのに、理由は様々だが日課のように、他の受講者者や講師と揉め事を起こし続けている。
しかもそれのどれもこれもが、どこかずれている。言葉は通じるが、思考や感情のあり方が全く別種の生きもの。それが好古の印象だ。
協調性皆無で、今日の訓練をダメにした馬鹿は、講師のガンズとなにやらそのあと揉めていたが、最終的にはガンズの振り下ろした拳骨で物理的に黙らされ気絶させられていた。
「なによりあれやこれやとしでかしても、あの娘が講義より追放される様子はみてとれない。協会に顔の利くよほどのパトロンがいるようよの。それこそ自称通りの」
「フォールセン様が私情のみで、圧力を掛けるような事をされるとは思えません。いろいろあるはずなのです。あの娘の真意を含め見極めるべき事が」
好古の推測をサナが途中で遮り、一部を否定する。
ケイスと名乗る娘との因縁を、好古達にはサナは話していない。 セイジにも口止めしている。
下手に触れるわけにいかない。それこそ祖父母達が歯切れが悪くなるほどの秘密を持っているはずだと、サナは察していた。
「セイジ達のように私も無理矢理にでも巣穴捜索に参加するべきでしたでしょうか。あの娘に恩を売り話を聞く機会でしたのに」
ケイスが大暴れした影響で虫たちは、鍛錬に使う予定だった場所の巣穴を放棄。入り口を埋めてしまった。
このままでは実戦的な集団戦闘訓練が無しとなりかねない為に、講師であるガンズ達と受講者の中から選抜された有志一同が、鍛錬を行った場所周辺で別の巣穴を捜索中。
サナ達のパーティメンバーからも、ロウガ出身で近場で鍛錬をしているため土地勘のあるセイジと、獣人ゆえ鼻の利くプラドが捜索隊に加わっている。
サナも参加希望はしたのだが、地上ならともかく、狭い地下通路では翼人としての能力は発揮できないと、ガンズ達に却下されている。
無論言葉には出していないが、サナの出自も影響しているのだろう。
「やめとけやめとけ、君子危うきに近寄らずだろ。っと噂をすればなんとやらってか、戻ってきたようだぜ。問題児が」
レミルトが指さす入り口側の廊下の方から、鈴がなるような可愛らしい声には似つかわしくない怒声の羅列が聞こえ初めてきた。
「納得がいかん! あれが私の剣の失敗は悔しいが事実なのだから認めよう! それが原因で他の者に迷惑を掛けたのも事実だ! だがならば何故元凶たる私が探しにいってはならんのだ! 探しに行くと言ったら気絶までさせられたんだぞ!」
「いや、あんたの場合、別の巣穴を探している途中で、斬るのに夢中になって野生化するか、見つけてもまた壊滅させかねないでしょ」
生物を斬っていない日が続くとストレスが溜まるという、頭のおかしい小さな友人の手を掴みながら食堂へと向かうルディアの脳裏には、その様がありありと浮かぶ。
大好物が目の前にあると自制が効かなくなるといえば、見た目通りの子供らしいと表現が出来るが、好物がモンスターの群れという辺りが実にケイスらしいといえばケイスらしい。
ケイスの暴走っぷりは、ガンズもよく判っているので、とりあえずケイスを気絶させて強制帰還させたのも納得だ。
「それにうちの班からはウィーとファンドーレが捜索に加わっているんだから、連帯責任って事でいいでしょ。あたしとウォーギンはあんたの見張り役で戻ってきたけど」
「それだ! あと気にくわないのは! 何故私が逃亡防止用の首輪をつけられなければならん!」
不機嫌顔のケイスは、自分の首元につけられた、皮で出来たチョーカーのような拘束魔具を指さし怒鳴る。
これはこの訓練所で戦闘訓練などに使われるモンスター用の首輪で、逃走防止用にいくつかの魔術効果が付与された魔具となっている。
「目を覚ましたら、すぐに戻ってこようとするだろうってガンズの親父さんの判断だ。モンスター用のを人間用に書き換えるのって地味に面倒なんだからな。あと高いから斬って壊すなよ。斬っても、即座に麻痺の魔術が発動して動けなくなるからな」
面倒というわりには手早く魔具の調整をしたウォーギンが、自分の首元にあろうが平気で刃を振るいかねないケイスへと忠告した。
魔力を持たない、生み出せないケイスにとって、抵抗の出来ない魔術は天敵。首輪として身体に接触している状態では、回避する事も不可能だ。
「ぐっ……判っている! 大人しく待っていればいいのであろう」
さすがに状況的にどうしようもないと認めざるえず、ケイスは不満げに頬を膨らませた。
しかし自分の尻ぬぐいを他者に任せっぱなしは、どうしても気にくわない。だがいい考えが思い浮かばずに、余計苛々していた。
「そういう事。あんたが大人しくご飯たべてるのが一番平和。それとただでさえ目だってんだから、食堂内では少しは静かにしてなさいよ」
注視や敵意を集めるなと、既に腫れ物扱いされているケイスに、今更言っても焼け石に水だと理解はしている。
しかし食事中くらいは、周囲からじろじろと見られるのは精神的に疲れるので勘弁してほしいところだ。
「ルディとウォーギンだけ食事にいけ。私はいらん! 先生やウィー達が食事を取っていないのに私が食べれるか!」
ここまで無抵抗できたケイスは、ルディアの手を無理矢理に振り払い、踵を返した。
確かに空腹を覚えているが、自分の所為で食事にありつけていない者がいる状況で、自分が食事をするというのはケイス的には絶対不可だ。
「食事を取らないのは良いけど、ケイスどこ行くつもりよ?」
「剣を振ってくる! この首輪がある限り外には行けないから心配はするな!」
肩を怒らせながら食堂とは反対側に歩きさったケイスの背中を見ながらルディアは、息を吐く。
他に食べていない者がいるのに自分が食べるわけにいかないと、多少なりとも可愛げがあるのは良いが、ケイスの場合は空腹になると余計に面倒事を引き起こしそうな気がするのは、ルディアの気のせいではないだろう。
「あの馬鹿は本当に、とことん集団行動に向いてないわね。どうするウォーギン?」
「俺らが喰わなきゃ喰わないで、あいつ不機嫌になるだろ。ほっとけほっとけ。それよか少しでも賛同者を作る方が重要だろ。予定がたて込んでいるから食事の時くらいしか接触する機会ないんだからよ。今日、声を掛ける予定はルディアの知り合いの知り合いだから、お前いないと話にならねぇしな」
ケイスを一人で放置しておくのは極めて不安であるが、ウォーギンの言う通りにも一理ある。
誰も死者を出さずに始まりの宮を突破しようとしているのだ。準備に掛けられる限られた時間は貴重だ。
「ったくケイスの所為で二の足を踏んでいる人が多いってのに。少しは大人しくしてほしいわね」
死者を出さずに始まりの宮を全員で突破する。恩義のあるガンズのためだと一番に望んでいるのがケイスだ、
だが、その為にルディア達が計画した協力案に今ひとつ、他パーティや受講者から賛同を得られないのは、ルディア達がトラブルメーカーであるケイスのパーティメンバーだというのが一番の理由となっていた。