カンテラの明かりが地下水路の闇中で揺らめき、明かりを受けて鈍く光る刀身が暗闇を切り裂く銀閃となる。
閃光が奔る度に、ケイスを喰らおうと襲いかかってきたモンスターは、水音を立てて水路へと落ちていく。
数は多いが、連携など無くただ本能のまま、ばらばらに襲いかかってくるモンスターなど、ケイスの敵では無い。
速度重視の刺突を急所へと繰り出し、一撃必殺をもって、次々に屍の山を築いたケイスはゆっくりと息を吐いた。
「うむ。この近辺はあらかた斬り終えたぞ」
目に付く範囲に動く影が無い事を確かめたケイスは満足げな笑顔を浮かべると、自分が先ほど飛び込んで来た上の水路を見上げ手招きする。
「ケイス……あんたね。状況探る前に突っ込むの止めなさいよ。せめてウィーと一緒に行くとかいろいろあるでしょ」
「いやーボクは楽で良いけどね。さすがケイ」
「いいからお前らとっとと降りろ。一応ここの通路にも仕掛けとくぞ」
最後尾に付いていたウォーギンに促され、ルディアについで、ウィーが飛び降りてケイスと合流する。
ウォーギンは血の臭いに引かれたモンスター達の背後からの襲撃を避けるために、水路の壁に感知式魔具をくっつけ、即席の足止めトラップを設置していく。
「美味しそうなのもいるけど、刈り取っている時間が無いのが残念だね~」
「場所を提供してくれたヨツヤ殿への返礼だから手を出すなよ。本当なら私が持参すべきだが、ここで流せばそのうちつくから問題はなかろう」
巨大な鋏をもつ大蟹をもったいなさそうに見ていたウィーを、ケイスが嗜める。
突き殺したモンスターはヨツヤ骨肉堂直下の死骸処理場へと水の流れに乗って自然と運ばれ、処理場では積み上げられた死骸が一定以上になれば、死霊術によって肉と皮が腐らされ、殻や白骨化される仕組みになっている。
処理場で見張りをしている幽霊のホノカに世話になった礼に、処理場の骨を増やしておくと伝えてあるので、後は任せておけば良い。
「ふむ。一段落は付いたが、やはり数が増えている。特別区を抜けるのに少し時間がかかるが、受付は夕刻までだ。問題は無かろう。ウィーこの先の通路はどちらの方が多くいそうだ?」
剣を振って血を飛ばしたケイスは、背後で片目をつぶってモンスターの気配や臭いに意識を向けていたウィーに尋ねる。
地下のため今の正確な時刻は判らないが、昼少し前といったところか。
今日は管理協会ロウガ支部において、今期の初心者講習受講申し込み受付が行われている。夕刻の締め切りまでに、申し込みをしなければ、次の機会は半年後の来期となってしまう。
そんな大切な日だというのに、ケイス達が地下水路を進んでいるのは、やむにやまれない、もしくは限りなく自業自得な事情が原因だった。
「う~ん。このまま進むと巣があるっぽいかな。右側の通路からは気配が少ないから、迂回した方が良さそうだけど、ルディ。この先ってどこに通じてる?」
「旧市街北部方面みたいだけど、この先は地図に載ってないから探りながらで時間かかるわね。コウリュウ超えするなら、あと4階層は下に行かないといけないから……道が判っている正面を突っ切るか、地上に出るかの二択ね」
ロウガの旧市街と新市街を分断する大河コウリュウ。渡し船でも20分ほどかかるくらいに幅が広く深い大河。
ロウガの地下には、東方王国時代の旧地下水道跡が網の目のように張り巡らされており、大深度に掘られた水道もあるが、さすがにコウリュウの下を抜ける地下水道は数が限られている。
今の位置からコウリュウ超えが出来る大深度水路に到達できるルートで判明しているのは、ここから真正面に進む以外にない。
「よっと、地上は渡り船の発着場に網が張ってあるだろうな。コウリュウを泳いで渡るって訳にもいかねぇな。いっそ河口まで降りて、そこらの漁船でも借りるか?」
「ケイスが武闘会でやった中に、網元の一人娘ってのがいるわ。ケイス絡みでここまでお膳立てが整っていて、トラブルが起きないわけないでしょ」
トラップを設置し終え飛び降りてきたウォーギンの提案に、ルディアは首を振って顔をしかめた。
酒場のマスターから手に入れた追加資料を見ると、網子にも優しい気立ての良い娘だそうで、負けたのは自分の実力不足だと本人は納得しているらしいが、一部の若い衆が、うちのお嬢さんにと憤慨している様子。
この件に限らずロウガの街中には、ケイスが大暴れして埋め込んだ因縁という爆弾が、あちらこちらに眠っている。
ついに申し込み当日までケイスを発見できなかった恨みを持つ者達の中でも、質の悪い一部の連中が絶対に姿を現さざるえない、この日を狙って来るのは当然といえば当然。
街の要所、要所に検問が出来ており、何が起きるか判らない街中を進むよりも、モンスターが溢れている地下水道を抜けたほうが、まだ早く進めるというのは、なんとも皮肉な話だ。
だがさすがにモンスターの巣窟に突っ込むとなると話は別。
このままモンスターの巣に突っ込むか、地上に出てケイスのロウガ支部到達を妨害しようとしている集団と一戦交えるか。
地図を片手に慣れないマッピングをしていたルディアは、どちらにしろ戦闘を避けられない状況に判断に迷っていた。
「準備運動には良いではないか……しかしウォーギンの知り合いはすごいな。半分くらいは推測だと話だったが、ここまでほとんど間違いが無いぞ」
自分が全ての元凶だというのに斬る物さえあれば基本大満足な剣術バカは、今日はさらに輪を掛けてキラキラと輝く満開の笑みで朗らかに笑うと、地図を覗き込んでこの先の戦闘地点を予測しながら感心声をあげる。
ルディアが持っている地図は、広大な上に何階層にも連なる地下水路のほんの一部とはいえ、分岐の特徴などが詳細に書かれており、ナビゲートに不慣れなルディアでも道に迷うこと無く進める出来の良い地図となっている。
「筋金入りの迷宮構造マニアだからなファンドーレは。趣味が高じ過ぎて、高給取りの神術治療士を辞めて、今じゃ古書街に根を下ろして古地図を漁ってる変わり者だ」
この素人にも判りやすい地図を製作したのはウォーギンの古い友人だという、ファンドーレ・エルライトという人物のこと。
半年に一度。迷宮閉鎖期を挟んで大きく内部構造を変える永宮未完に魅入られた変人で、価値の無くなった古い攻略地図や伝聞を集め、その構造変化を調べることを生き甲斐としているらしい。
「ふむ。変わった御仁のようだが感謝だな。私とともに探索者を目指してくれるだけで無くて、こうやって地図も貸してくれるとはな。そのうちに厚く礼をしなければならんな」
「礼もなにも、初心者講習会に付き合ってやるから、探索者になったあとも迷宮情報を常にただで寄越せ。あと地下水路の予測地図を貸してやるから、情報の正誤を確かめてこいって、体の良い実験台にされている段階でお互い様でしょ」
ウォーギンが探索者志望の当てがあると言っていたのは、その件のファンドーレだ。
複雑すぎる上に、立入禁止区域も多く、禄に調査されていないロウガ地下水道。それなのに僅かな情報を元に、その構造や流れを予測し地図を自作していたようだ。
あくまで過去情報に基づいた推測地図とのことだが、その正確性はケイスが感心するほど。
いわゆる天才という類いの人間のようだが、未だ文面のやり取りだけで、ウォーギン以外は直接の対面はないが、癖が強いといっていた前評判に間違いはなさそうだというのが、ルディアの事前印象だ。
持ちつ持たれつというか、互いに利用しているというべきか、どうにもルディアはケイスほど素直には感謝できずにいた。
「ん~ルディはそういうが助かっているの事実であろう。正誤を確かめるのはついでだから、礼は別にするべきであろう。では真っ直ぐだな。先行偵察にいってくる。ルディ達はゆっくり付いてくると良いぞ。怪我をすると困るからな」
「あ、っちょっとケイス……あ、あの馬鹿。まだ決めてないでしょうが!」
軽い足音だけを残してケイスは弾むような足捌きで暗闇の中に走り去っていき、ルディアの声だけが地下水道に空しく響く。
「いぁ~でもルディ。このまま地下しか無いでしょ。あれだけ楽しみにしているケイが、地上に出て邪魔されたら、人死にの山を作るでしょ。申し込み云々どころの騒ぎじゃすまなくなるねぇ」
「あいつ自分の邪魔をするなら、モンスターも人も区別が無く躊躇無く殺しにかかるからな。とことん街中に住んで良いタイプじゃねぇな」
友人を語るというよりも、危険生物か殺人鬼を語るような評価だが、あながち間違いではないのでルディアとしても反論に困り、大きく息を吐く以外なかった。
「あぁもう。言わないでよ……やっぱりあたし達もケイスと一緒に初心者講習を受けるってのはギリギリまで隠しとくべきだったわね」
人の話を聞かないのはケイスの通常状態だが、それに輪を掛けた暴走振りに、ルディアは自分達も探索者を目指すと告げた判断が誤りだったと少し後悔する。
ルディア達が一緒に探索者を目指してくれる。それが心底嬉しいらしく、この勢いなのだがさすがにはしゃぎすぎだ。
暴走気味のケイスがまた先行してしまったので、ついで戦闘能力の高いウィーが周囲の気配を探り、地図片手で手のふさがっているルディアが中央、後方を警戒しウォーギンが殿という並びで三人は地下水路を進んでいく。
「そうは言っても先に言っとかないと、ケイスの暴走をちっとはコントロールなんて出来ねぇだろ。同期全員を探索者にするなんて無謀な挑戦をしようってんだ。作戦も事前準備無しでどうこうなるかよ」
「あ、それそれ。なんか考えがあるって言ってたけど、どういう手なの?」
「中央にいた頃に、迷宮踏破率を上げるにはどうするかって研究コンペの没案の一つが使えそうだ。既存魔具を少し改良して相互位置情報をやり取りして……」
ケイスほどではないがまるで散歩中のように暢気に雑談をはじめるウィーに対して、魔導技師狂いのウォーギンが専門用語を交えた技術談義で答え始める。
「いや、ほんとあんたら少しは緊張感を持ちなさいよ……ファンドーレって人が、その辺の感覚だけはまともなこと祈るしかないわね」
状況が限りなく厄介だというのに、深刻にならないのは強みかも知れないが、それも限度がある。
一人だけ心配する羽目になっているルディアは、地図を見ながら自作の胃薬を取りだし口中でかみ砕き飲み込むことにした。
探索者管理協会ロウガ支部正門。ロウガ中央広場に面した正門前は今、奇妙な緊張感に包まれていた。
正門前には朝から臨時のテントが立てられ、そこでは今期の初心者講習の受講希望受付が行われている。
支部内では無く、わざわざ正門前でやっているのは、受付からすでに特別なイベントの一種故だ。
テントの周囲には朝早くから大勢の見物人が集まっており、今期の始まりの宮に挑む若者達を見守る者もいれば、賭けの対象ともなっている今期のロウガ支部最優秀初級探索者候補を予測する者もいる。
もしくは既に受付を済ませた若者達が、ライバルとなる同期を牽制したり、情報交換をしたりというのが何時もの恒例行事。
より人の目につき易く、大勢の人間が集まりやすい広場に面した正門前で行うのが通例となっている。
だが夕暮れ差し迫ったこの時間ともなれば、初心者講習受付もまもなく終了で、例年となれば自然と閑散となってくると相場が決まっている。
しかし今期はその時間が差し迫ったというのに、むしろ人だかりが出来るほどに混み合い始めていた。
その原因は他でも無い。今期の始まりの宮の事前予測でもっともロウガを騒がせていた【ケイス】と名乗る少女が未だに姿を見せていなかったからだ。
始まりの宮に挑む若者達に対して行われる初心者講習。
探索者になるためには【始まりの宮】を踏破すればいい。それだけが絶対にして唯一無二の条件。
極論を言ってしまえば、管理協会が行う講習会など受けずとも、直接本番に挑むことも出来る。
しかしそれでは超常の力を持つ探索者の把握、管理が出来なくなり、治安の悪化が懸念される。
だからトランド大陸のほぼ全ての地域では、国、もしくは国から認可された管理協会が初心者講習会を行い、講習受講者以外が始まりの宮に挑むことを法律で禁止している。
こうした初心者講習会は少しでも若者達の生存率を上げる事を目的にすると共に、超常の力を持つ探索者を管理するためという二つの意味合いがあり、そして初心者講習会を受け、管理協会麾下の探索者となる事で、管理協会からの様々なサポートを受けられ、協会を通した正規の迷宮物資の取引が可能となる。
管理協会に属さず、探索者生活を続けるのは困難な体制が、全世界規模で確立されているということだ。
初心者講習会を受けず探索者となった者達。管理協会管理外の探索者。
いわゆる【はぐれ探索者】と呼ばれる者達も若干はいるが、それは大体が国に準ずる力を持つ組織や、もしくは国の暗部に属する者達。
探索者となるにも、そして探索者を続けていくためには、管理協会に属するのは必須。
管理協会に属さず探索者になる事など出来無い。それが世間の常識であり道理。
それなのにケイスは未だ現れず、群衆の間からはざわめきが起き始めていた。
ケイスを疎ましく思い、その身を狙っているという者達がいるというのは、既に噂では無く、事実として語られはじめている。
何かが起きたのか。それとも何かが起きるのか?
何とも言いようのない緊張感は高まっていく一方だった。
「ただいま戻りました王女殿下」
「セイジですか。例の娘はまだなのですか」
協会支部正門にもっとも一番近いカフェの2階個室席。
日の出前に並んで朝一に受付を済ませから、この個室席に陣取っていたロウガ王女サナ・ロウガは、今日何度目になったか判らない問いかけを、周辺の偵察に出ていたパーティメンバーのうち一人。セイジ・シドウが戻ると共に苛立つ声をぶつける。
大きく開いた窓から正門を見下ろすサナの背中の羽根は、その焦燥を現すかのように焦れて小刻みに震えている。
本当なら自ら偵察にいきたいが、サナはロウガの王女であり、しかも背の羽根が目立つ翼人。
ここで大人しく待っているしか出来る事がないのも、王女という肩書の堅苦しさも苛立つ原因の1つだ。
「まだです。妨害を企てていた者達との争いがあったという話も、今の所はありませんでした。ご期待にそえず申し訳ありません。プラド殿は密かに受付を済ませたかも知れないと、受付に確認してくるとのことです」
八つ当たり気味の怒り声をぶつけられようとも何時もと変わらない鉄面皮のセイジは、背を正し深々と頭を下げ謝罪をし、連れ立って偵察に出ていたもう一人が、受付に確認にいったので少し遅くなることを伝えた。
この臣従で大仰な反応がまたサナの苛々を募らせているのだが、臣従体質は根の奥まで染みこんでいるセイジに期待するだけ無駄だというのはサナも自覚はしている。
「姫。まずはセイジ殿の労を労いませ。茶だ。飲まれよセイジ殿」
二人のやり取りに、同じくパーティメンバーの鬼人種で符師好古・比芙美が、式神を呼び出しテーブルの上に、新しいカップを用意した。
その席はわざわざ空けておいたサナの真横だ。
真面目くさった口調とは裏腹に、好古の顔はにやにやとしている。
「かたじけない好古殿。しかし主との同席は」
「いいから座りなさい。主である私からの命令です!」
好古にからかわれていると分かりながらも、こう言うしかセイジが座らないと判っているサナは、赤面しながらも命令を下す。
主の命であるならばと、セイジは一礼をしてからようやく用意された席に腰掛ける。
「出たよいつものやり取り。お前ら飽きないの? 東方系ってのはどうしてこう奥手かね。セイジお前も男なら、姫さんの気持ちくらい察してやれよ」
生真面目すぎるというか、融通が利かなすぎるセイジと、サナはサナでもう少し別の言い方は出来ないのかと、弓の手入れをしていたダークエルフ族のレミルト・ハスラが、同性としてセイジに忠告をする。
「私としても王女殿下のお気持ちを察し、ケイス殿を発見しようとしておりましたが、力及ばず申し訳ありません」
セイジはテーブルに額が着くぐらいに深く頭を下げるが、見当違いというレベルでは無く、ここまで来るとわざとはぐらかしているだろうと確信できる返しに、レミルトが愕然とする。
「おい、姫さん、好古、マジこいつ。なんなの? 前から手を出さないのなんでと思ったらマジか?」
サナと好古を手招きして集めると、ひそひそと声を交わす。
「ロウガのサムライが、主君筋の姫君に手を出せるわけが無かろう。士道というものだ」
「うわーめんどくせぇ……姫さんの苦労が少し判っちまったぞ」
「セイジはこういう人なのです。今更苦労などではありません」
レミルトの浮かべる同情目線に対し、腕を組んだサナは怒り顔で返しながらも、力強く答える。
「それにこれはこれでおつという物。お預けを喰らう姫を楽しむのも興よ。噂に名高いロウガの翼姫が色恋に悩む様をこんな1等席で拝める幸運を感謝されよ」
扇で口元を隠しているが、口元が邪悪に歪んでいるであろうと判る楽しげな声で好古が笑う。
「おまっ。マジ最低だな。姫さんあんたよくこんな性悪をパーティメンバーに引き入れたな」
「おやおや。そう仰るならレミルト殿こそ一国の姫に対して遠慮がないのでは。もしや寝取る気か? それであるならばそれもまた一興よな」
「んだと……悪趣味なお前と一緒にすんな。そういえば、逃げてばかりのてめーとはしっかりと勝負がついたこと無かったな。今からやってやろうか」
「そこまでです」
からかい続ける好古と、微妙なラインを越えられ少しばかり気色張ったレミルトが一瞬即発になりかけたところでサナが手を振り下ろす。
「お二人とプラドさんは良くも悪くも裏表が無く、信頼できる。だから私達のパーティに誘いました。もう誰かの思惑に乗せられるのは、私もセイジも望みません。文句ありますか」
好古もレミルト。そして未だ戻らない獣人のプラドは、セイジが鍛錬のために訪れた闘技場で知り合ったロウガ外の出身者達。
三人とも手練れだが、性格や生まれに訳ありで、孤立していたはぐれ者達。
しかしサナが一番信頼するセイジが剣を交えて、彼らは信頼できると断言している。ならサナが信じるには十分。半年前に起きた陰謀劇のようなことはもうこりごりだ。
自分達は自分達の腕と、信じる者達と共に、名を馳せる為に探索者になる。
それがセイジとサナの軸たる思いだ。
「セイジだけじゃ無くて姫さんも堅物だよな……好古。さっきのは二度と俺に言うなよ」
向けられた視線の真っ直ぐさに負けたのかレミルトが、怒りの様を潜めて、好古へと舌打ち交じりの忠告をし、
「素直に詫びよう。すまぬレミルト殿。私が見たいのは恥ずかしがる姿であって、不快にさせるのは外道であったな」
言葉にはまだ若干からかいの色を乗せてはいるが、扇を畳んだ好古もはっきりとした謝罪の言葉を口にした。
「ならいいけどよ……それにしてもプラドの奴は遅すぎだ」
若干の気まずさが残っているのを誤魔化そうとしたのか、レミルトが受付が行われている正門の方へと目を向けるが、人が多すぎてその中に埋もれて姿は確認が出来ない。
「締め切り期限も迫り、人も増え、苛立っている者が増えてきている。プラド殿の事。迷子でも拾ったかの」
「あいつの顔だと、ガキは喰われると思って大泣きするからすぐに判るだろ」
子とはぐれた親。または親とはぐれた様子の子も、ちらほらと見える。
悪人顔に似合わず気の優しい獣人プラドのこと余計な荷物を背負っている可能性は否定できないが、その場合は逆に目立つだろと、レミルトは否定する。
「プラドさんの場合は顔で喧嘩を売られている可能……どうしましたセイジ」
それ以外にも巻き込まれていそうなトラブルをサナが想像していると、不意に今まで無言を貫いていたセイジがさりげなくだが腰の太刀の柄に右手を掛けた。
雑踏の中に殺気でも感じたのかと思いサナ達も警戒をする中、セイジは無言で周囲に視線を飛ばしているが、その目線は定まっていない。
「お騒がせしました……気のせいだったのかもしれません」
しばらくしてから息を吐いて太刀から手を放すと、セイジにしては珍しくどことなく歯切れの悪い声で謝罪をした。
レミルト達は不可思議な顔をしているが、サナだけは無理も無いと一人、心の中で納得する。
この中央広場は半年前の出陣式でセイジが襲撃を受けた現場でもあり、あの時に襲ってきた暴漢は、身元不明で公式には自爆して死亡となっている。
だがサナとセイジだけは、あの時あの場で暴漢の顔を見ていた。
そしてその顔は今ロウガで話題になっている【ケイス】と呼ばれた少女と瓜二つ……いや同一人物だと断言できた。
顔はどうこうなるとしても……あの目だけは、力に満ちていた目だけは、見間違えようが無い。
何故あの謎の行動を起こした暴漢が生きていて、しかもフォールセンの弟子だということになった?
何故あれほどの力を持っているはずの少女が、武闘会では弱体化していた?
なにより何故邑源流を名乗る技を使えた?
しかも邑源流槍術の使い手であるサナが、邑源の当主たる祖父を持つサナさえ知らない、一刀一槍術という技はなんなのか?
疑問点が多すぎ答えを予測さえ出来ない。
祖父母やフォールセンに聞いてもはぐらかされるだけで、回答が見えてこない。
ならば自分で、自分達で調べるまでだ。自分達は探索者を目指す者。
道を自ら切り開く者達だからだ。
改めてその決意をしたサナが何気なく正門から目線を外し、少女が死んだはずの場所。
広場の中央に置かれた英雄噴水へと目を向けたその瞬間、再建されたばかりの噴水の一部ががらがらと崩れ落ち始めた。
「……なっ!? 何事ですか!?」
予想外の光景にサナは思わず立ち上がり、窓から飛び立っていた。
「ケイスあんた! いい手があるって、斬る以外に他に無いの!?」
頭上から落ちて来る石片交じりの水でびしゃびしゃになりながらも、ルディアは怒鳴り声を上げる。
地下から水を汲み上げるための設備とそのメンテナンス用の足場があるから良いが、それでも足を踏み外せば命は無いほどの高さの大井戸の淵。
そんな死と隣り合わせの場所に立つ恐怖を、少しでも紛らわすには大声を出す以外に他に出来る事は無かった。
「何をいっているのだルディ? 私は剣士だぞ。剣士が目前の壁を越えるなら斬るしかあるまい」
いつも通りの調子で答えながらケイスは突きを繰り出し、石の目を読み次々に崩していく。
思ったよりモンスターの数が多く時間が掛かって、新市街の中心地に到達したのが遅くなったのは計算外。
だがいくつも回廊を抜け階段を上がる時間を無視して、大井戸から直接中央広場に出ればまだ間に合う。
「あーほんと無茶苦茶だよねケイって。これってロウガ名物の英雄噴水でしょ。壊して良いの?」
「非常事態だ。それにこの間再建したばかりで、歴史など無い。また作れば良かろう」
「今回はもう時間も無さそうだし諦めねぇか? こんな風に間近で見られるなら研究がはかどるんだがよ」
「却下だ。必要ならいつでも斬るか、もう一度ここまで連れてきてやる。それよりしっかり掴まっていろ。炸裂ナイフで一気に吹き飛ばして地上に出る。5秒でセットした」
「バ、バカ! ケイスこんな所でそんな爆発物をって、ちょっとは人の話を聞きなさいよ!?」
ルディアが止める間もなく、ケイスが胸のホルダーから投擲ナイフを外して、投げつけていた。
ウォーギン特製の魔具ナイフは今も進化を続けており、今では炸裂時間調整も出来るようになっているが、ケイスの使い方はウォーギンの想定を越えていく。
「安心しろ。爆風はほとんどが外に出るように計算して斬ったからな。耳を塞いでおけ」
「せめて、もうちょっ!!!!!!」
もう少し時間をよこせ。
ルディアの真っ当すぎる訴えは、最後まで伝えられること無く爆発音によって、かき消されていた。
「ふむ。よし間に合ったな」
開けた大穴から外へと這い出たケイスは、大分沈んできたがまだ日が顔を覗かせているのをみて、満足げに頷く。
全身はずぶ濡れで、しかも所々モンスターの返り血を浴びた凄惨な姿だが、その美少女然とした美貌は一切損なわれることは無い。
ふと足元を見下ろしたケイスが見てみれば自分が破壊して飛びだしてきたのは、巨大な剣を持つ鎧武者の像。
どうやら穴を開けたのは、自分が写し身のように似ているという大叔母の像だったようだ。
これも何かの縁だろうかと思うが、今のケイスには関係ない。
周囲の群衆は理解が追いつかないのか、いきなり飛びだしてきた美少女風化け物のケイスに唖然と視線を向けているがそれも気にしない。
ケイスが目指すのはいつだって1つだ。
「よし。受付に行くぞ」
ロウガ支部の正門へと目を向けたケイスは像から跳び降りて、中に残っている仲間に呼びかける。
「ケイよくこの状況で平気だよね……ルディとウォーギンが気絶してるし、しょうが無いからボクが担いでいくから先に受け付けお願い」
ルディアとウォーギンの二人を小脇に抱え込んだままでも造作も無く像から飛びだしてきたウィーは、動じなさすぎるというか、なにも考えてないのか、理解不能なケイスに告げてから、その意味不明な状況に茫然自失としているらしき群衆に同情の目を向けた。
空を見れば愕然とした表情で固まっている翼人が一人。まるで縫い付けられたかの様に空中で止まっていた。
「うむ。では先にいってくる」
力強く頷いたケイスは、正門前へと元気に走っていき、同じく唖然として固まっていた受付担当職員の前に立つと、
「ケイスだ! 私の仲間も含めて4人分の受付を頼む!」
花は恥じらい、月は姿を隠すほどの人を魅了する満面の笑みを浮かべ力強く自分の名をケイスは名乗った。
ロウガ英雄噴水再破壊事件。
謎の美少女改めてケイスがロウガを騒がす事となった最初の事件は、その様を目撃した民衆によって瞬く間に広まり、酒場での話の種となるが、それもすぐに消えていった。
なぜならロウガに住まう者達はすぐに知る事になるからだ。
美少女風化け物がこれから起こしていく騒動からすれば、これはまだ可愛げのある、些細な事件であったと。