崩れ落ちた塔を象っていた土塊はふかふかとしていて沈みやすく、足場としては極めて悪い。
外套魔具の軽量化魔術を発動させ、柔らかな足場を跳ねるように左右へと不規則にケイスはフェイントを入れる。
一方対峙する老戦士はその場で僅かに動いて、少しずつ足場を踏み固めながら、右手だけで構えたハルバードの穂先を揺らし、視線だけはピタリとケイスを追跡し牽制を続けている。
いくらフェイントを入れようとも、目で追われることに焦れたケイスは、左手で引き抜いたナイフを老戦士の顔めがけて投擲。
ナイフの軌道を追って、地を這うような低い体勢で剣の間合いへと入るために踏み込む。
上下二段同時攻撃に対し、老戦士がハルバードを振りあげる。
長柄の利点を生かし、間合いに入られる前に、ナイフをたたき落とし、さらにケイスを斬ってしまおうというのか。
狙い通りの反応。右手を引き絞り、細剣による狙い澄ました突きの一撃を放つ。
しかし踏み込みは足りず間合いが剣一本分は遠い。だがそれは承知の上。
ケイスが狙うのは老戦士でも無ければ、その獲物であるハルバードでも無い。
ケイスの狙いはただ一点。自分が投擲したナイフの柄頭。
高速で放った突きが、ナイフの柄を捉え飛翔速度を爆発的に加速させる。
僅かに力点がずれればナイフの軌道は、あらぬ方向に流れる。
だがケイスは軌道を一切ぶらすこと無く、ただ純粋に加速させてみせる。
ハルバードの柄が振り下ろされる前に、加速したナイフは老戦士の懐へと飛び込み、その顔面を目指す。
自分が投擲したナイフ。そして自分が握る細剣。天才たるケイスの意思の元に振るわれる剣達だからこそ可能な、曲芸じみた共演技。
さすがに予想外だったのか、老戦士が面白そうに歯を見せ笑う様を見ながら、ケイスはその柔軟な身体を使い、左膝を曲げて倒れ込むように軌道を変えながらクルリと一回転する。
耳元で轟音を奏でながら振り下ろされた斧刃を紙一重で躱しながら、刃を返し刺突剣の刃を老戦士の首元に向かって叩き込む。
しかし次の瞬間に手元に返ってきたのは、のど笛を掻き斬る肉の感触では無く、堅い金属の感触だった。
自分の攻撃が防がれたと頭が判断するよりも速く、ケイスは本能的に横っ飛びに跳び退る。
一瞬遅れて、ケイスがつい今の瞬間まで立っていた場所をなぎ払う一撃が、老戦士によって振るわれた。
もし考えてから回避行動に移っていれば、今の一撃で足を叩き折られていたはずだ。
「むぅ」
せっかく入った自分の間合いを早々に退散することになって、ケイスは不機嫌に唸りながらもさらに数歩分跳び下がり仕切り直しを計る。
「ふぉ、あぶふぁい、あぶふぁい……若いの器用だな!」
ケイスが投げたナイフを吐き捨てた老戦士は、危ないというわりには、裏腹の余裕綽々といった豪快な笑みを浮かべる。
地面に吐き捨てられたナイフの柄には、ケイスが先ほど打ち込んだ斬撃の傷が残っていた。
投げつけられたナイフを口でくわえ受け止めたばかりか、ケイスの渾身の一撃もまさかそのナイフを使って受け止めてみせるとは。
どちらが器用だと返したくなるが、ケイスはただ無言で剣を構え直す。
この老戦士の前では、無駄な会話、つまり一呼吸でさえ命取りになりかねない。
「ほうまだ語らずか! 無口も結構! しかし少しばかりは年寄りに付き合っても罰は当たらんぞ!」
老戦士がハルバードを不意に地面へと突き刺し、そのまま一塊ほどの土塊を宙に向かって放り投げる。
ついでその穂先を細やかに動かして、空中に飛んだ土塊に何かの形を刻み込み始めると、宙に浮かぶ土塊が不規則に躍動を始めた。
刻んでいるのはおそらく魔術印。しかしケイスから見て裏面に刻み込まれた印の形は判らず、術の種類や効果範囲を推測する事は出来無い。
即時退避するべきか、それとも発動を待って見極めてから動くべきか。
刹那の思考の末にケイスが選んだのは、あえて謎の土塊に向かって飛び込むという選択肢だ。
形式が判らないなら、発動前に斬る。
細剣をその場に突き立てると同時に飛び出し、無手になった利き手の右手で魔力吸収液内臓の大振りのナイフを腰ベルトから引き抜く。
指先でボタンを弾き、機構開放。
瞬時ににじみ出した魔力吸収液を纏うナイフを強く振って、黒ずんだ液を前方に向かって散布。
不気味に蠢いていた土塊の収縮が液が付着すると同時に、急速に収まっていく。それを確かめつつ、ナイフを腰に戻した右手で即座にもう一つのメイン武装であるロングソードを抜刀。
そのままロングソードの刀身で目の前に浮かんでいた土塊を横薙ぎに両断。さらに切り抜ける最後の瞬間に合わせ僅かに刃を横に捻りねかせる。
ハルバードを弾き飛ばし、老戦士の懐に飛び込もうとし、
視界の隅。足元から昇ってくる銀閃。
とっさにロングソードを胴体に引き寄せると、間髪入れずに金属同士がぶつかり合う激しい音が響き、強い衝撃が剣越しに身体に伝わる。
強い衝撃に数ケーラは後方に弾き飛ばされながらも、ケイスは何とか転ばずに着地をし体勢を整える。
「なるほど腕も立つが、魔具使いか! 隠し技が他にもありそうじゃの! 次は何を見せてくれるか楽しみだな!」
自分の魔術攻撃をかき消されたというのに、老戦士は動揺する様子も無く笑っている。
ケイスを吹き飛ばしたはずのハルバードは、最後にケイスが目視した位置から一切動いていない。
だが受け止めたのは間違いなくあのハルバードのはずだ。自分の勘がそう告げる。
なら答えは簡単。ケイスが認識できる速度よりも遥かに早く、この老戦士は長柄でケイスの身体をかちあげてきた。
それだけのことだ。
これが最速かは判らないが、相手の剣速はケイスより遥かに早い。ならばますます長丁場は不利だ。
まだ足場が不安定だからこそ、軽量なケイスが、重鎧を身につけ年のわりに筋骨隆々な老戦士を機動力で勝っている。
だが老戦士は着実に足場を踏み固め、自分が動きやすい場を広げている。
自由に動かれたなら、今のように斬り込むのさえ苦労する。
老戦士の隙を窺い周囲を回る際は、なるべく自分の踏んだ足跡を踏み、地の利を維持しているが、さすがに一定の場所を踏んでいることもそろそろ読まれかねない。
もしくはもう読まれているか?
読みながらあえて見逃している?
何故か兜を着けていない頭部に向かってケイスは攻撃を繰り出しているが、老戦士はあえて隙を作って狙わせている?
虚を突くためにあえて分厚い装甲に固められた膝関節や、腕部を狙うべきか?
まだ倒していない敵は一人。魔術師が魔力を回復させ、参戦してくれば勝機は大きく減る。
早急に倒す必要がある。
だが今の力では、届かない。
息を整える僅かな一瞬の間にも、頭の中でいくつもの仮設や推測を問い、戦闘方針へとケイスは織り込んでいく。
総ては勝つために。今の自分を、一秒後の自分が越えるために。
だから考える。総ての違和感を。総ての手を。
今手にある総てをもって越える道を。
「とんでもねぇなあのガキ。なに者だ!? 下馬評で名前上がってる奴か?」
「ありゃ見せ方が上手いだけだ! 名勝負メーカーのセドリック爺さんだぞ!」
「さすがに出来すぎじゃ無い? 運営の仕込みとかじゃないの。ほら短身種の探索者だったりとか」
使い魔によって届けられた映像が映る大鏡を見た観客達の間に広がっているのは、熱狂といった熱とは、ほど遠い戸惑いという名の空気だった。
巨大な魔術塔を崩壊させ、動けなくなっていた探索者をそのまま三人屠り、4人目に苦戦しているとはいえ、曲芸じみたとてつもない剣技を見せる。
ケイスのその現実離れした強さが、観客を困惑させていた。
ある者は、その正体を探ろうと、大会非公認で配布されていた予想紙をつぶさに見始める。
またある者は、相手をするのが下級探索者であり、ロウガで人気の剣戟興行一座を率いるセドリック老だから、わざと盛り上げて見せているだけだと否定しようとする。
また別の者は、あれは本当の参加者ではなく、大会を盛り上げるために投入された仕込みでは無いかと疑いの目を向ける。
一部を除いて、あれは、あの挑戦者はあり得ないという否定的な空気が大半。それほどまでにケイスの見せる剣技は理解しがたい物だ。
「あれが世間一般の普通の反応よね……嫌な慣れかたしてるわね。我ながら」
果たして自分が今の周りのような反応をしていたのはいつだったろうか?
現役探索者相手に善戦してみせる様や、平気で殺していくぶっ壊れた性質を見ても、ケイスだから当然だと思ってしまう。
ケイスの無茶苦茶さ加減を嫌というほど知っているルディアは、自分の感性が世間とかけ離れたことを今更ながら自覚し自虐的に笑う。
「あーケイの装備がいくつか減ってるね。胸の部分の新しい奴が2、3本かな」
「あいつ早速新型を使いやがったのか。貴重だから大事に使えつったのに」
一方でウォーギンは、遠目の効くウィーに頼んでケイスが使った魔具の残量をチェックしていた。
基本的にケイスは扱いが乱暴なのか、それとも無茶が過ぎるのか、あるいはその両方か。
武具。特に剣の消耗が激しい。ひたすら頑丈なのを好むのもすぐにポキポキと小枝のように折ったりかけさせ、投擲ナイフは、まるで鳩に餌を撒くように無造作に盛大に使う。
新作の強制魔力供給ナイフは時間も無く、作れたのは5本だけで、しかも繰り替えし使用の出来ない1回こっきりの使い捨て。
それをいきなり半分以上使うとは。
何せこれは挑戦者同士の生き残り戦。今戦っている探索者だって本来は最初の障害でしかなく、本命はケイスと同じようにフォールセンの推薦を得ようとする、大勢の若者達。
その本命達はまだ無傷で全員が控えているというのに、今のケイスはあの老探索者に対して、どう見ても全力で挑んでいた。
「あいつ考えて戦ってるのかどうか、たまに判らなくなるな。そこらへんどうなんだウィー? 昨日やってみた感想は」
後先考えているのかと、ウォーギンはさすがに呆れかえって、ケイスの昨日の鍛錬に半ば強制的に付き合わされていたウィーに尋ねる。
技術者のウォーギンでは判らないが、ケイスと剣を交えたウィーならば少しは判るだろかと、あまり期待はせずに尋ねる。
「あー、うん。ケイかぁ。頭おかしいからねぇ。なに考えてるんだか……鍛錬に付き合わないなら本気で斬るって脅してくるし、どちらにしろ自分に斬りかかられるなら、まだ寸止めしてやる鍛錬のほうがマシであろうなんて真顔で言うんだもん」
「すまん。無茶な質問をした」
一晩稽古に付き合ったくらいでケイスを理解出来るなら、誰も苦労しない。自分の質問が実に意味の無い物だと悟ったウォーギンは頭を下げるしか無い。
「それのどこが快く引き受けてくれたなのよ。どこまで自分本位の言いぐさしてるのあのバカは」
ウィーを説得したら快く鍛錬相手を引き受けてくれたとケイスから聞いていたルディアは、事の真相を聞いてその非常識が過ぎるケイス理論に頭を抱える。
「いやーまぁケイの場合は、自分が強くなって、ボクの目的に全力で付き合ってくれるとも言ってくれてるんだけどねぇ。行き倒れのボクを助けてくれたし、一応善意含みだと思うけど」
ウィーが困惑を表すかのように尻尾を不規則に動かしながら答えていると、急に観客席から大きなざわめきが上がり始めた。
話し込んでいる間に何か大きな動きでもあったのかと、ルディア達は大鏡に目を戻し、そしてその騒ぎの意味に一瞬で気づき、さらに支離滅裂なケイスの行動に言葉を無くす。
「はあっ!? うそだろ!?」
黒く濡れた艶のある黒髪が風にたなびく。
「…………女の子だと!? しかも人間種だろあの顔!」
意志の強さを現す髪と同じ色の目は、真剣な眼差しで老戦士のセドリックを凝視する。
「いやいや! 無いだろ!? あんなの可愛らしいのが今までの見せてたってのか!?」
お伽噺の中から抜け出してきたような、幼くとも人目を引く端整で深窓の令嬢然とした気品を漂わせる美貌は、10人が10人、口を揃えて自分が今まで見た中で一番の美少女と評価するだろう。
「……いやほんと。なに考えてるのよ。あの馬鹿だけは」
あれだけ油断されたり、侮られたりするのが嫌だと、素顔を晒すのを嫌っていたというのに、何故かケイスは自らの手でその顔を隠す覆面を取り去っていた。