天に浮かんだ雷光平面魔法陣と、塔の表面に浮かび上がっていた魔力の流れから、塔の天辺と、基礎部分の両方から魔力を供給し塔を維持していると推測。
一瞥した魔法陣の構成式から、ゴーレム術式改変型が組み込まれていると判断。
防御拠点をあえて塔という目立つ形としたのは、攻めてこさせようとする意図があると考えれば、塔に対する直接攻撃には罠が仕掛けられている可能性が高い。
下手に剣を打ち込めば、ゴーレム技術を用いた自動防御機構が反応を起こすやもしれない。
かといってバカ正直にこれ見よがしに設置された真正面の扉から入っていても、敵の懐に飛び込むことになる。
どちらにしろ危険だというならば、ならばこそ叩き斬るを選ぶ。
塔を両断し、天辺と基礎の間の魔力伝達の流れを絶って無効化させるのが一番有効という判断。
だがそれ以上の理由がある。斬るのが困難だったり無理と言われれば、余計に斬りたくなる。それがケイスだからだ。
覆面の下の両眼で塔を睨みながらケイスは、即時に斬るための算段を考え、実行に移す。
胸元のナイフを引き抜き、腰のベルトに吊した機具からワイヤーを引き出し柄頭に接続。
一瞬だけ足を止めて、手近の木の幹に向かってナイフを突き出しながら、器用に足も使って強く蹴り込む。
怪我をする前ならば一突きで、簡単に抜けないほどにめり込ませることもできたが、今は足を使っても刀身の半分を打ち込むのが精々。
少し力加減を間違えれば抜けそうで些か心許ないが、なら力加減を間違えなければいい。それだけだ。
さらに腰のベルトから大振りのナイフを左手で引き抜き、その柄元に設置したボタンを押す。刀身の一部がスライドし穿孔が姿を現し、そこから真っ黒な粘液がにじみ出てきた。
幹に打ち込んだナイフが抜けないように、ワイヤー越しに伝わる突き心地を意識し速度を調整しながら走り始め、左手のナイフをワイヤーへと当てて、粘液を多めに滴らせていく。
塔の目前を横切り少しばかり距離を取ったところで、直角に曲がりつつ塔を横目で見上げながら、左手のナイフを鞘に戻す。
塔との距離、斬り込む角度を計算。息を整える僅かの一瞬で最適解を出し、その予測に従い地を強く蹴り、背中の外套型魔具の留め金型のダイヤルを回し、込められた軽量化魔術を最大稼働させる。
重力の束縛から解き放たれたケイスは、飛び立つ鳥のように高く飛翔しながらワイヤーの巻き取りを開始した。
ウォーギンが精製した魔力吸収液をたっぷりと塗りつけ黒く濡れたワイヤーがケイスの身体と打ち込んだナイフの間で引っ張られ、たるみが無くなりピンと張る。
剣士の意思の元、一つの大きな刃と化したワイヤーが、塔に対して並行するケイスの動きに連動して魔術塔の外壁に触れた。
その瞬間、ワイヤーが接触した部分の土壁が、魔力の光と共に沸き立ちはじめる。
ゴーレム生成魔術を応用した防御機構が、接触した異物を土壁の中に閉じ込める為の触手を産み出そうと蠢きだした。
その自動反応こそがケイスの狙い。
一部の組成を軟質に変化させる為に輝いた魔法陣に向け、右手で針のように細いナイフを三本引き抜き、間髪入れずに投げつける。
投擲したナイフの刀身には細やかな装飾めいた魔法陣が刻まれ、その中心には豆粒のように小さな転血石を埋め込んである。
壁面に浮かんだ魔法陣の要所へと寸分の狂いも無く、ナイフが着弾し、転血石に込められた魔力が、魔法陣へと浸食を開始。魔法陣へと、一時的にだが強制的に過剰魔力を供給しはじめた。
ウィーの見せた属性変化を起こさせる機構が最終目的だが、さしもの天才魔導技師とはいえたった数日で再現は不可能。
このナイフはその前段階。既存の魔法陣へと、数秒のみだが魔力を強制的に注ぐという能力が組み込まれている
通常では何の役にも立たない。むしろ一瞬だけとはいえ敵の魔法陣を強化するだけ。
しかしそれがケイスの手にかかれば、巨大な塔を切り裂く為の手段と変わる。
ケイスがピンポイントで狙った3カ所は、性質変化範囲指定の記述式が刻まれた部分。そこに過剰な魔力を流し込むことで、範囲を塔の外周を一周するまで拡大化させる誤作動を起こさせる。
魔力を失った、捨てたとはいえ、龍王直伝の龍魔術すらも扱って見せたケイスの知識と理解力を持ってすれば、平面魔法陣への介入など造作も無い。
しかし転血石の大きさからも判るように込められた魔力はごく僅か。時間にすれば僅か1、2秒。変化した幅は糸のように細い僅かな道。
だがそれがいくら短かろうとも、細かろうとも、剣の天才を自称し、そしてまごう事なき天才たる剣士にとっては十分。
斬る道筋があって、手には剣がある。
ならば斬るのみ。
過剰な魔力が放つ発光を追って、ワイヤーが極度に軟質化した土壁に食い込み、切り裂き始める。
ワイヤーに付着する高濃縮された魔力吸収液が、切り裂いた両辺に付着し、周囲の魔力を吸収しただの土塊へと変化させる。
その形を構成する為の魔力を失ったことで、斬られた部分を中心に、拳程度の大きさの土壁がぼろぼろと崩れ落ちていく。
高濃縮された魔力吸収液には、まだ魔力吸収の余力がある、斬るケイスの方はそうではない。
土壁を斬った抵抗によって、その飛翔速度は少しずつだが落ちている。塔を斬りきる前にその速度が完全に止まる。
それを察知したケイスは、魔力供給ナイフを再度引き抜き投擲。下向きに向かう新たな切断線を確定させる。
二筋の魔力光が発生すると、即座に外套魔具への魔力供給を停止、軽量化魔術の加護から外れる。
「はっぁ!」
重力を思い出し、落下を始める己の体を使い、呼気と共に右手でつかんだワイヤーを一気に振る。
最後のだめ押しとなり、直径20ケーラはある塔は、への字型に切断された部分の支えを失って、ゆっくりとずれながら倒れ始めていく。
「むぅ」
地面に降り立ったケイスは、その様を見ながら、覆面の下で不満げに息を漏らす。
思惑通りに斬れたが、及第点にはほど遠い。
時間優先で上に向かって跳びながら斬るよりも、最後にやったように最初から下に向かって斬ったほうが、結果的に早かった。土の抵抗を甘く見すぎていた。
そのおかげであまりの数の無い魔力供給ナイフを余計に使ってしまったこと、回収するつもりだったワイヤーとナイフが塔の下敷きになって、今は諦めなければならないことを反省する。
大きな轟音を立てながら横倒しに崩れ落ちた塔を見る化け物に、満足感などない。
ケイスが目指す剣は、世界最強の剣。たかだか塔の一つを斬ったくらいで、満足していては到底届かない。
もっと早く、もっと強く、もっと多く。
飽くなき渇望を訴える心のままに、より多くの斬る機会を得るために、濛々と土煙が巻き起こっている塔の瓦礫に向かって、腰から伸びたワイヤーを切り離した化け物は走り始める。
まずは勝利アイテムという魔術杖を確保する。それが無ければケイスの望みは叶わない。
斬る機会を多く得るために、不利だと判っているのに、わざと一人を選んだのに、杖を得られなければ本末転倒だ。
魔力供給を絶たれて完全に土塊に戻った塔の残骸の上を器用に移動しながらケイスは、人の気配を探る。
塔に詰めていた探索者達は5人。普通に考えれば、杖の所有者はこの塔を製作した女魔術師だが、それは最後。
これだけの塔を一瞬で組み上げるのに使った魔力量は馬鹿にならない。もっと上位の探索者ならば余裕であろうが、低位の下級探索者では魔具の助けがあっても、残存魔力はかつかつのはずだ。
魔力の切れた可能性の高い魔術師よりも、より警戒すべきは他の探索者四人。
しかし未だ収まらない土煙の中では、塔の瓦礫の下敷きになった探索者達を探すのも一苦労する。
あちらこちらで土壁の破片が崩れる音がするので、気配を探るのも難しい。
闘気強化が使えたころなら、探れた気配も今では難しい。だが無い物ねだりをしても意味は無い。
ケイスはわざと足を止めると、細剣を抜いて垂直に地面に向かって突き立て、目を閉じる。
息を沈め、切っ先に全神経を集中させる。剣から伝わる僅かな振動。それを頼りにケイスは周囲の気配を感じ取ろうとしていた。
微かな振動をいくつも感じ取るが、それは周囲の土壁が崩れ落ちたときに起きただけ。ケイスの高揚感を呼ぶ物では無い。
ケイスが望むのは斬る者。戦いを挑む者。ケイスの本能に訴えかける者。
斬るべき者を自分が間違えるはずが無い。もう間違えてはいけない。
力を失おうともケイスの、剣に生きる剣士の、総てを斬り尽くす化け物の本質は変わらない。
剣がこの手にある。だからこそケイスの本能は常に最大に高まる。
……捉えた!
無数の振動のなか、手応えをいくつか感じとると共にケイスは動き出す。
「……っな、なにが、ぎゃっ!?」
大きな土壁の塊。その下から声が聞こえた瞬間に剣を突き出す。相手の姿を確かめるまでも無い。その声の聞こえてきた位置から急所ののど元を推測。
土を突き抜け感じたのは確かな肉と骨の手応え。
喉を潰し、さらにその奥の頸椎を断つ刺突の一撃が相手を絶命させる。
ただし奇妙なのは、その後の手応えが霞のように無くなったことだ。実際に打ち込んだ細剣はあっさりと抜けて戻ってくる。
下手に骨や肉に絡むと、引き抜くにもなかなか苦労するのだが、それが全くなかった。
相手がいたであろう場所を踏むと、抵抗も少なくあっさりとその周囲が陥没した。よくよく見れば、その陥没痕は人の形をしているように見えなくも無い。
「……ふむ。身代わりの腕輪とやらの効果か。肉体が外に転移されたか」
外したかと思いしばし考えたケイスは、それが身代わりの腕輪と呼ばれる魔具の効果だと気づく。
どうやら相手役の探索者達にも、保護アイテムが与えられているようだ。
相手役にも命の保証がされているとなれば、どんな無茶をしてくるか判らないので、警戒しなければならない。
他に気をつけるべきは、死体を盾にしたり、斬った死体を踏み台に跳躍するという手が使えない可能性も考慮すべきということだろう。
相手を殺すという行為に対する感慨などケイスには無い。行く道に立ちはだかる敵ならば斬るだけ。それだけだからだ。
まるで地面の下のもぐらを潰すようにあっさりと、同じ要領でケイスはさらに二つの気配を断つ。
これで残りは二人。その中に魔術師がいたかは判らないが、従者の従姉妹がよく話してくれたお伽噺では、宝物は塔の頂上と相場が決まっていた。
だからまだ先のはずだ。
次の気配を探ろうとしたケイスが地面に剣を突き立てようとした瞬間、違和感が背筋を駆け抜ける。足元から昇ってくる寒気がとっさに身体を動かした。
ケイスが跳躍するとほぼ同時に周囲の地面と化していた土塊が、轟音と共に一気に吹き飛ぶ。
バラバラと落ちてくる土の雨の中、立ち上がってきたのは筋骨隆々な年輩の老探索者だ。その右腕には、表面に細かな傷の目立つ年季の入ったハルバードが握られている。
真っ白に染まった頭髪と髭は土で汚れて、肩が外れたのか折れたのか判らないが、左腕はだらりと力なく下がっている。
どうやら右腕の長柄一つで、この範囲の土塊を吹き飛ばしたようだ。
「がっ! 無茶苦茶してくれるな若いの! 結構結構!」
口の中に入っていた土片を唾と共に吐きだした老戦士が、豪快な笑い声を上げる。
左手を怪我をしているが、それを気にしている様は見て取れない。
「ほぉ。しかも早速三人やりおったか! 最近の若い奴らは面白味が無い、真面目くさいのが多くてな。今回も子供のお守りかと思っておったが、思いのほか楽しませてくれおる!」
パーティを組んでいたのか、既に三人が倒されている事を知った老戦士は、何故か満足そうに頷き、そのひげ面に好戦的な笑みを浮かべた。
饒舌に語る老戦士に対して、ケイスは無言で剣を構える。
「なるほど! 己の武で語るタイプか! ますます結構! 一つお相手願おう!」
ケイスの返礼に合わせて、老戦士も右手一本で長柄を構えた。
油断できる相手ではないと、ケイスの警戒心が最大まで高まる。
あの一瞬で一気に闘気を高めて周囲を吹き飛ばした練度。
そして怪我を感じさせない自然体の構えは、ケイスが隙を見せれば一瞬で攻め込んで来る気配を感じさせる。
この老戦士を前にして浮かぶ感情はただ【強い】の一つだけ。
つまりは自分が越えなければならない壁だという意識のみ。
覆面の下のケイスは無言。だがその目だけが強く輝く。
小さな自分を前にしても、その心根が心地よく、好意を覚える。
だからこそ斬る。だからこそ勝つ。
小さく息を吐くと同時にケイスは、斬りかかっていった。