結局夜明け近くまで説教を食らった藤野は、ほとんど死にかけの態で登校した。あそこまで激昂した親を見るのは初めてだった。「つぅか、眠ぃ」 小早川の宣言通り、耳鳴りは未だ続いていた。キーンという金属音のような音は周囲の音の聞き取りを遮断する。まるでフィルターをかけられたようだ。 実際、友達と会話していても何度か聞きなおす場面があった。会話の腰を折るような流れになりそうなら聞き流すこともしばしば。 なんか一人だけ年食ったみたい。しかも全身あます事無く筋肉痛だし。 とりあえず一時限目から三時限目までをほとんど居眠りで過ごし、体調を復活させてからアイディアの練り込みに挑む。大体の概要は昼休みまでに完成し、議事録もついでに纏めておく。いい加減提出しなければいけない頃合いだ。「今日も放課後コースだなぁ」 生徒会長というのはとにかく忙しい。副会長も兼任しているからだが、会計や書記も必要最低限の業務しかこなしてくれないので、必然的に雑務も請け負う事になっていた。くそう。庶務係か何か募集できないのか。 愚痴こぼしも兼ねて顧問に相談してみたが、上申書を書いて会議して、人員を選定して、臨時選挙を行って、と少なく見積もっても数カ月はかかると言われて諦めた。前任の生徒会長もこんな苦労をしていたのだろうなと思うと溜息がもれる。 何とかして書記や会計も働かせないと。これもカイチョーのシゴト? どんどん加速的に膨らんでいく悩みを抱えながら、決議を持ったのは三日もたってからだった。時間の余裕を見て放課後に設定した。例のごとく、書記と会計は欠席である。「ハァ!? だっから何なのよその物言いは! バカにしてんの!?」 拳が長机に叩きつけられ、悲鳴の轟音が響く。ああ。痛そうな机。「ウルセーな。すぐバンバン叩くんじゃねぇよ暴力娘が」 いえ、あの。その薄汚れた上履きで机をコンコン踏むように蹴るのも良くないと思うのですガ。「そうやってすぐ頭に血が上る辺りがバカに見えるんだ。脳みそ筋肉で出来ているんじゃないのか?」 お願いですから油性で長机にシミを作らないで頂けません? シミ抜きするのとか大変なんで。 っていうかさ。なんで決議始める前から揉めてらっしゃいますかアンタたちは。ってか長机がすっごい可哀想だし。 藤野は黙って静かに立ち上がると、耳栓をしてから後ろを振り返る。『ああああああああああっ!!』 耳に突き刺さり、背筋を凍らせる恐怖の音に、三人は纏めて震えあがった。もしかして音波兵器とかに使えるんじゃないだろうか。黒板ひっかき。 耳栓をしていたお陰でノーダメージの藤野は静かに着席してから、「とりあえず、決議を始めていいかな? イヤならもっかい黒板ひっかくけど。今度はロングでスペシャルなコースで」「いえ、遠慮しときますごめんなさい」 三人を代表して謝ったのは柚だ。その後に「会長、何だか逞しくなったいうか、強くなったいうか」と続くが、敢えて無視する。誰のせいで強くなったと思ってんだ。「それで、良い案は浮かんだのかよ、会長」 仕切り直しと言わんばかりに小早川はふてぶてしい態度を藤野に向けた。相変わらず上手い男だ。「まぁね。ちょっと大胆っぽいから、色々考えてる内に三日くらいかかったけど」「えっと、商店街のヒトたちに協力してもらうんだっけ? どーすんの、結局。寄付お願いして回るワケ?」「うん。最初はそれ考えたんだけどさ、無理」 キッパリと断定してから、証拠の資料を配った。「去年までの学園祭でさ、既に結構無駄省かれてて、予算の切り詰めはほぼ不可能。単純に寄付金を募って、大体集まるお金を試算して組み込んでも、去年の予算はかなわない。だから寄付を募るだけじゃ、規模を縮小するしかないってなっちゃう」 論より証拠、紙に並べられている数字が物語っている。三人が資料に目を通して納得する程度の時間をおいてから、藤野は口を開く。「じゃあどうすんのさ」「うん。結論は一つ。一体になればいいんだよ、学園祭と商店街が」「は?」 三人が三人とも、怪訝に眉を潜めて間抜けな声を吐き出した。うん。いい反応。藤野はまず瀬川を見て質問する。「お金を出す時ってさ、大抵どういう条件の元、発生すると思う?」「見返りだな。リスクはリターンがあって初めて負えるものだ。寄付にしろ、善意で感謝されるという見返りがあるからだ。偽善か善かはどこかに丸投げしての理論だがな」 そこまで深読みして即答できる辺り、やはり瀬川だ。「そそ。寄付金じゃ足りないんなら、利益を上げて還元する、リターンを前提とした出資をしてもらえばいいんだよ」「出資?」「つまり、商店街を学園祭に誘致するってコト」「なるほど。商店街の人たちに出店、出店してもらうという事か」 いち早く理解した瀬川は納得したように手を打った。次いで小早川と柚も「おお」と唸る。「そそ。従業員はもちろん生徒だから人件費は実質タダ。場所にしろ道具にしろ、学校である程度揃っているから、そこもタダ。もちろん専門的な道具になったら借りなきゃダメだけど、借りるんなら予算いらないでしょ。で、光熱費は当然学校持ちなんだからタダ。絶対いつもより安い値段で品物を提供できるから、ちょっとしたセール価格でできると思わない?」「要するに、学園祭の場所と人員で、商店街の人たちに商売してもらうってこと?」「そそ。そうしたら出店関係、喫茶店関係の予算はほとんど削れる上に、利益の何パーセントかを還元してもらったら、そのお金で他の学園祭予算に回せるし」 確かにそれならば、商店街側にも利益が生まれる。なるほど、いいアイディアだ。「アリかもな。それをウリにして商店街に張り出ししたら、一般客の誘致も簡単になる」 ただでさえ消費を抑えてデフレ傾向にあるのだ、セールとなれば一般客も集まるだろう。学園祭のビラは毎年商店街に設置してもらっているので、そういう意味での広告費は去年並みにセーブする事ができる。「でしょ? 商店街側としても名前売れるから、食いついてくると思うんだ」「確かに色んな面白いコトできるかもな。ってか、それだったら、商店街の人らにゴハンのおいしい作り方とか、そういうのもレクチャーしてもらえんじゃね?」 いい所に目がいく。それも藤野は織り込んである。毎年、学園祭には専門的知識を持つ人間を誘致していて、生徒たちの指導に当たってもらっている。やはり専門知識な集団だけに、結構な値段もかかっていた。上手くいけば、そこもゼロにできる。「出資してもらって、元手はキッチリ回収してもらって、利益も上げてもらう。良いコトづくめだね。ま、客を呼び込めればって話になるけどさ」「そこは商店街の人たちにも協力してもらうさ。出資する以上、元手回収は絶対なんだから、呼び込みとかにも力入れるだろうし」 商店街は長年賑わいを保っており、いろいろ戦略を練っているため、そういう技術に関しては一日の長があるはずだ。「お互いの良い面を出し合って共有する。だから一体になる、か。中々言葉にセンスがあるぞ、会長」 何か褒める場所違うんですけど。 突っ込みは内心で封じ込め、藤野は素直に「ありがと」と返した。「でも商売する以上は、割高になるんじゃないの?」「いや、大丈夫だろう」 柚の懸念を一蹴したのは知識の宝庫、瀬川である。「学園祭で出店をやる場合、俺たちだと仕入れはスーパーとかになる。どれだけ安売りを狙っても、スーパーの利益になるように計算されているんだ。だが、問屋から仕入れを行っている商店街の人の協力を直接受けれれば、間に挟むだけのコストが減るから、仕入れの値段は逆に下がるはずだ」「上手くいけば去年よりも安い値段で提供できるかもね。しかも去年よりも格段に美味くて。ま、これは利益還元云々を差し引いて、って前提がつくけど」「うっそマジ?」「オッケー。じゃあ出店関係の予算はかなり削れるな。それで、他はどうすんの? 演劇とか、研究発表とかにかかる材料費とか」「商店街には工務店とか金具店とかもあるでしょ? スポンサーになってもらう事で安くしてもらおうかなって。演劇って毎年脚本をオリジナルに改変してるでしょ? そこにスポンサーの名前を出してもらうとかさ。研究発表にしても、スポンサーの事を掘り起こして発表するとかね」「要するに、CMみたいな感じ?」「そそ。演劇のプログラムのパンフにも提供、○○工務店とか入れてさ」 利益を上げる事は不可能だが、出費を抑える事はできる。まだまだ練り込みが必要な分野だが、ある程度の威力はあるようだ。三人は特に反駁することもなく納得した。「利益のパーセントはどう設定するのさ?」「そこが悩みどころでさ」 と、藤野は相談を持ちかける。どうか紛糾しませんように。「出店関連だけで予算を引っ張り出そうとしたら、結構なパーセントになりそうなんだよね。だから、他にも要素がいると思う」「要素なぁ」「結構考えてみたんだけどさ、俺じゃ浮かばないんだよ」「浮かばないんならさ、そこらへん取材でもしてみれば?」 さらりとアドバイスを入れたのは小早川だ。上手なのは投げやりで押しつけ気味なところである。自分がやるつもりはさらさらないらしい。しかも、瀬川をうまくくすぐっている。「そうだな。情報収集で知識を吸収するのは基本だ」 そうは問屋が卸さない。藤野は素早く口をはさみこんだ。「俺もそう思う。でもさ、俺一人じゃやっぱり限界あるんだよね。お互い情報収集するにしても得意分野と不得意分野ってあるでしょ? だから情報収集に協力してもらって、どんなのがいいか、意見も出し合ってほしい。これは生徒会長として各科の委員長に助力を願い出るって形になるかな」 要するに、生徒会長権限を使用しての協力要請だ。瀬川と柚はこれであっさりと陥落してくれたようで、反論はこなかった。問題は小早川である。明らかに面倒臭い表情を浮かべていた。権限云々で指示を出しても、曲者たる彼が納得するはずがない。 前回は面倒臭そうにしながらも協力する素振りを見せつつも、結局うまい具合に押しつけられたが、今回はそれを事前に防いだ。 さあ、どうでる。 全く予想がつかない中、一人緊張して小早川を見ると、彼は少しわざとらしく視線をそらして口を開いた。「あー、協力したいけどサ、俺じゃ役立たずだと思うんだ。だって、俺が得意な分野で何が出来るよ。不良の意見なんて、組み込める訳ないっしょ? それか、不良の誘致? 治安悪くするだけだぜ」 そう来たか。さて、どう返そうかとした時に、藤野は失念していた。超瞬発娘がいることに。「うっわ、アンタってホントそういうトコで逃げるよね。何それ」「逃げてねぇよ。役に立てそうにないから素直に言ってやってんだろ?」「それを逃げって言うのよ。あんたバカ様ですか? 大体、予算不足はアンタにも原因あるんだから、協力しなさいよ惜しみなく」「何だよその連帯責任的なノリ。うぜぇー。超うぜぇ。だいたい責任感あるんだったら不良なんてやってないって。やめてくんない? そういう汗臭くて体育会系ノリ」 あ、ヤバい。 論戦を繰り広げた所で、柚が小早川に勝てるはずがない。正論と正義よりも清濁併せのむ方が強いのは明らかだ。「そんなのカンケーないでしょ!? せっかく会長がここまでやってくれたんだから、協力しなさいよ!」「だからそれがうぜぇってんの。人が努力してるから自分も努力しろとか、何のオシツケだよ。それこそ何様?」「ムカついた! ちょっとアンタ表に出なさいよその曲がった根性叩き直してやるわ!」 息巻いて机にドンと足を置いて腕をまくる。どこの江戸っ子だ。「あれ? そうやって口で勝てなかったら力で訴えるんだ? そこらの不良と変わらねぇな。それで正義のミカタぶるんだから余計タチが悪いぞそれ」「何ですってぇ!? だったら――」 まずい。それを言わせたらいけない! 藤野は口を挟もうとするが、遅かった。「アンタの協力なんていらないわよ! バーカ!」 言っちゃった。 にやり、と小早川は笑うと、さっさと立ち上がって教室の扉を開けた。曲者らしい話の持って行き方だ。「あっそ、じゃ協力止めるわ。ああ、でも一応カイチョーたちの決めた事には従うからサ、後はよろしく頑張れや」 しまった、と柚も気付いたが、今更発言を撤回できない。すると瀬川も静かに席を立った。「会長の意見は半分は受け入れる。道理だからな。だから俺は俺でやらせてもらう。情報は提供しよう。だが、意見を出し合うなど、慣れ合いは好きじゃない」「瀬川! アンタ!」 睨み殺しそうな勢いで視線をぶつけられても、瀬川は一切動じない。「なぁなぁで情報収集するつもりはないと言う事だ。集めた情報は会長に渡せばいい。どう纏めてどう生かすかは会長の仕事だろう」 知識を第一に、割り振りをキッチリとする瀬川らしい発言だ。天上天下唯我独尊と言われる所以のひとつだ。「では俺も失礼する」 開けられっぱなしの扉を瀬川はくぐった。残されたのは青ざめた顔の柚と、気まずい顔の藤野の二人。 あちゃあ。なんだろコレ。まとまったのにまとまってないぞ。 決議はうまくいっていた。商店街にリターンを与えることで全面的なバックアップを受けるという意見も方向性もまとまった。しかし、肝心の協力体制はてんでバラバラで、こうして物別れに終わった。 個性的すぎて仲が悪い三人と決議するのだから、考えられる可能性の結末だった。もちろん、最悪の結末だ。「えっと、その、あたしはちゃんと協力するからね!」 何の罪滅ぼしのつもりだよ、その発言。違うだろ。柚、アンタが引き金を引いたかもしれないけど、アンタのせいじゃないだろ。 結果として、三人を御しきれなかった藤野に責任がある。三度目は許すまじとしたたかに立ち回ろうとした結果だ。「ありがと。でも責任感じないでね」 フォローを入れてから、藤野は悩みの種に一つ加えこんだ。 この三人をどうにかして協力させる。 なんか世の中の真理に挑むが如く難題だ。思わず頭を抱えなかったのは、柚が気にしないようにとの配慮だった。「とりあえず終わろうか。できるだけ情報収集してきてね」「うん、分かった!」 何故か握りこぶしを作られたらとっても不安になるんですけど。 思いつつ、藤野は決議をたたんだ。