「だからふっざけんじゃないわよ! こんなの譲れる訳ないじゃない! そっちが譲りなさいよ!」 長机が真っ二つに割れるんじゃないだろうかと思う程の轟音が響く。「さっきからガンガンうっせぇんだよ! 犯すぞテメー! ってか譲れる訳ねぇだろバーカ!」 ふてぶてしく長机に置かれた足でまた長机が悲鳴を上げる。「お前の声も十分にうるさいぞ。少しは大人しくしたらどうだ。これだから脳が発達していないバカどもは困る」 コツコツと油性ボールペンのペン先が長机に黒いシミを作っていく。 いったいなんですか。何なんですか。この長机にとっても優しくない決議は。 藤野はもはや調停する気力もなく机に突っ伏していた。 滞りなく進行すると思っていた決議は、各科が予算要望を出し終わり、それに対する今年度の予算配分を発表した瞬間に紛糾した。いや、暴走した。むしろちょっとした戦争である。 最初は静かに、とか、やめなさい、とか注意していたのだが、そんなものはまるで空気が如く流されていて。予算の話し合いは奪い合いに発展し、いつしか各科の委員長の言いあいというか罵りあいに成り下がっていた。今にも殺し合いが起きそうなノリである。こいつら全員「いのちをたいせつに」という言葉を知らない人種だ。 始めた当初はあんなにおとなしかった空気は踊り狂っていて、罵りあいはもう雑音としか聞こえなくて。しかしそれを聞いているだけではいつまでたっても終わらないというのに、同席している書記や会計は既に諦めの悟りを開いて沈黙しているという有様だった。 ああ。帰りてぇ。 全てを投げ出したい気分に狩られたが、投げ出すと待っているのは校長によるアイデンティティ崩壊データ公開だ。それだけは避けなければならない。 罵りあいはとりあえず放置する事にして、藤野は何故か書記が用意していた各科の委員長のプロフィールに目を通した。もしかしたら何か役に立つものがあるのかもしれない。 まずは一番憤慨しているベリーショートの少女。体育科委員長であり、女子総合格闘部部長である、前田 柚。通称、体育科の女王。全国大会でもぶっちぎりの優勝を飾るなど、野性味溢れる武闘派。密かにファンクラブもあるらしい。各科の委員長と仲が悪い。 次に一番冷静な、前髪で片目をかくしている文系少年が、進学科委員長で、PC部部長でもある、瀬川 元就。通称、進学科の覇王。外国生まれの試験管ベイビーらしく、超がつくプログラミングの天才。天上天下唯我独尊。各科の委員長と仲が悪い。 最後に、セミロングのどう見ても不良の男が小早川 順。工学科委員長で、軽音部部長。通称、工業科の魔王。巷ではちょっとした有名なワルのカリスマらしい。同じく天上天下唯我独尊。各科の委員長と仲が悪い。 うわぁ。全然役に立たねぇ。ってか、女王だの覇王だの魔王だの、なんだこのとびっきり濃ゆい三人は。俺なんかが纏め切れるはずねーだろうが。 愚痴を内心で吐き出していると、ポケットに忍ばせているケータイがバイブした。バイブの感覚からしてメールだ。机の死角を利用してこっそり確認する。知らないアドレスからだ。 迷惑メールか何かだろうかと思いつつも開くと、藤野は完全に硬直した。【生徒会長へ】 会議室の下は校長室です。とってもうるさいです。早く黙らせて決議をとらないとバラ撒きます。 校長だ。校長しかいない。ってか何でメアド知ってるんだ。 決議が終わって問い詰めても、おそらく「だって校長だもん」の一言でたたまれそうな気がするので不問に付すしかないだろう。何より、全身を駆け抜ける恐怖の悪寒がそれを許さない。 ダメだ。一刻の猶予もねぇ。今すぐ何とかしないとバラ撒かれる。 焦燥感が目を素早く走らせて、頭の回転もグッと上昇させた。 閃きは本能で、行動は反射だった。だからこそ誰も予想ができず、止めることもできなかった。「いい加減に黙れぇぇぇ――――――――――――っ!」 怒鳴り声と金切り音が重なる。不快にも程がある音は見事に三人を黙らせた。さすがは「黒板ひっかき」だ。最も、一番近くにいた当事者である藤野が最大のダメージを受けている訳だが。「ちょっ、何すんのよいきなり」 両耳を塞ぎながら講義してきた前田に、びしぃ! と人差し指を向ける。「今、ここにいるのはお互いに罵りあうためじゃないでしょ。予算決議のためにいるんでしょうが。熱くなるのは分かるけど、少し落ち着けって」「う……ゴメン」 素直でよろしい。 一番着火しやすい前田を鎮めると、残りの二人もとりあえずは静かになった。とはいえ、また議論を再開させたらヒートアップする事は間違いなく、何とかそれを避けなければならない。「っつうかさ、今年の予算少なくねぇ?」 ふてぶてしい姿勢のまま発言したのは今年の予算額関係の書類に目を通していた小早川だった。言われてみて藤野もはたと気付く。 確かに少ない。前年度からの予算繰り越しを合わせても、前年度の予算には四割程届かない。これで前年度と同水準の予算を申請されている訳だから、どこも足りなくなって当然である。 さらに、平均的に予算を削って分配しても、各科ともおそらく譲れるだろう予算削減額ラインを超えてしまう。これで揉めるなという方が無理だ。加えて、良くも悪くも我が強い彼らにとって、与えられた条件に順応してお互いに譲り合い、妥協するという行為は非常に高度であり、相当の難題と言える。「っていうかさ、PC部とか物理部とかの予算申請何よコレ、異常じゃない?」 と、相手にケチをつけて予算を奪うという短絡的行為に走る。「前年度とほとんど変わらない。それに必要経費だ。逆にお前たちの経費はなんだ。無駄ばかりじゃないか。もう少しモノを大切にしたらどうだ。壊れたら新しいものを買うなど、脳みそ単細胞の考えることだ」 当然手痛い反論が帰ってくる。ついでにこの瀬川という男は口がとても達者なようで、皮肉も交えてくるからタチが悪い。「なんですって?」「なんだ?」 また飛び散る火花は今にも爆発寸前だ。慌てて藤野はガタンとわざと音を立てて席を立った。相手の注目を確認してから素早く後ろを振り返る。「おっと待った待った! 悪かった! あたし達が悪かったから黒板攻撃はやめてお願いだから!」 ぎょっとした前田が制止してくる。身ぶりも大きいのは仕様らしい。藤野は一つテンポを置いてから席につく。今、自分は生徒会長であり、この場をまとめなければならない。まとめられなければ待っているのは恐怖だ。「とりあえず揉めるような事はしないで。とにかくさ、今与えられた予算はこれだけしかないんだから、ケンカしたってどうしようもないよ」 藤野はあえてオトナになることを選んだ。例え背伸びした結果であろうと分不相応であろうと、この場では有効だと考えたのだ。 流れた沈黙の中、気に食わない。そんな表情を浮かべたのは小早川だった。彼が不機嫌そうな表情をとると少し怖い。「だったらさぁ、予算増やせばいいんじゃね?」 思いもよらない方向からの槍に、藤野は反撃の機を逃した。たたみかけるようにして小早川は続ける。「このままじゃ埒があかねぇんだろ? 俺らも代表な訳だしさ、譲れないモンってのもあるし。だったらさ、予算を増やしてもらうのが一番だろ」 落ち着いて考えてみれば、詭弁でめちゃくちゃな理論だ。だが、小早川の放つ言葉は巧妙にそれを隠している。今、この部屋に流れている雰囲気すら利用しているせいでもあるだろう。 単なる不良と思っていたが中々どうして曲者だ。「それもそうね」 一番に乗ったのは前田だった。コイツ。ホントに単細胞だ。絶対勧誘詐欺とかに引っかかるタイプだ。「一理はあるな」 続いて同意したのは瀬川だった。頭が良いのだから、どれだけの無茶難題なのか見抜いているはずだ。それでも同意したのは、藤野の味方ではないからだ。正義感だのなんだのを、コイツに期待してはいけないらしい。 今更ながらに思い知らされる。彼らは本当に仲が悪い。そしてそれは生徒会に対しても同じなのだ。だから敵の敵は味方の理論が通じる。「じゃあ生徒会長サン。予算の増額お願いするわ」 言うだけ言って小早川はささっと席を立つ。まずい。ここで反論して押し潰さなければ押しつけられる。「って何言ってんの、そんなの無理に決まってるじゃん!」「はぁ? おいおい、何言ってくれちゃってんのよ生徒会長。俺たち生徒が困ってるんだぜ? それを何とかするのが生徒会長ってもんじゃないの? まさか教師から言われるままに踊っちゃうダメダメ君なんだ?」 またまた飛び出す詭弁に、しかし藤野はすぐに反論できなかった。「じゃあ決定ね。今日の決議はこれでおしまい、次回に持ち越しってコトで」「そうだな」 呼応して前田と瀬川の二人も立ち上がる。完全に面倒を押しつける形だ。「いやいや、だから待ってって」「いやいや、次回に持ち越すんだからさ、俺らももうちっと考えてみるよ。予算要望削れるかどうかサ。これでいいでしょ? お互いドリョクするって事で」 小早川はワルのくせに論戦でも強い。完全に押し黙らせる形で、藤野をたたみこんだ。「じゃあ次の予定決まったら教えてくれよな~」 まだ閉会の言葉も言っていないのに、小早川たちはそそくさと部屋を後にした。金魚のフンのように取り巻きたちもついていく。残されたのは生徒会の面々だけである。「えっと、どうするのかなコレ」 救いを求めるように視線を巡らせると、書記と会計は視線をそらしつつ立ち上がった。えっと何かな。同じ生徒会だよね? 同じ一般科だよね?「僕はこれから予備校あるんで」「同じく」 あ。見捨てられた。 という事は彼らも校長のオソロシサを知っているのだろうか。それとも面倒だから関わりあいを避けただけだろうか。どちらにせよ、藤野は孤軍奮闘を強いられてしまった。 予算増額と言っても、どうすればいいか分からない。とりあえず顧問に相談するべきだろうが、果たして上手く通じるかどうか。「あぁ……メンドクセェ」 膨れ上がった悩みの種の重さに、藤野は負けて突っ伏した。