小早川、柚、瀬川の三人に連絡がついたのはその日の夕方で、翌日の放課後に会議が開かれる事となった。本当は昼休みにでも、と思ったのだが、小早川からの申し出があったために断念した。学園祭の事でも話し合いがしたいらしい。 昼休み返上で可能な限り書類を仕上げたせいで、疲労の中で藤野は放課後を迎えた。「――――と言う訳なんだ」 校長にした説明と、校長から伝えられたアイディアを纏めて伝えた藤野は、まず三人の表情を伺った。「なるほどなぁ。こういう所にもオトナの事情って響いてくるのね」 率直な感想を口にしたのはやはり柚だった。だが、前回までと違って、否定的ではない。ただ漠然と浮かんだ感情を口にした、そんな感じだ。他の二人も同じような様子である。 敢えてオブラートに包まずに伝えたのが功を奏したようだ。手ごたえを感じつつ、藤野は続ける。「これからも何回も言うけど、学園祭を失敗させる訳にはいかない。だから、僕はこれが最善と考える」「確かに最善じゃね? 要は、商工会と上手くやっていくためって事っしょ? 俺らにボランティア精神とかそーいうの教え込むのと同時にさ。俺ら工学科の態度が悪いっつーのはもう誰にも否定できねーし」 助け舟は小早川から来た。最も反発を覚えやすいだろう彼が納得した言葉を吐いたのであれば、後はたやすい。「うん。今回は悪いんだけど、外させてもらった。その代わりと言ったら何だけど、学校から割と近い地点を担当してもらおうと思ってる」「いーって、別に。それにその五点救済システムっての? お前らにゃ効果あるだろーけど、俺らには効果半減だしさ」「半減?」「俺ら工学科は実技試験もあるからさ、筆記が悪い奴らはさ、実技で巻き返すってのが通例になってんの。だから多少点数が悪くても気にしないし、点数が悪くなったとしても巻き返せるって思いこんでるからさ、態度とか何も変わんねーと思うぞ」 鋭い指摘に藤野はまた無知を知らされた。校長が同意したのはこの辺りをも鑑みての事のはずだ。「工学科の代表委員がそう言うのであれば、他科の我々が口を出す権利はないな」「あたしもいいよ。学園祭は成功させなきゃならないんだしさ」「協力感謝。重ねてで悪いんだけど、その区画分けも手伝って欲しいんだけど、いい?」 言いつつ、ある程度は作成された紙を三人に見える形で広げた。「うっわ、ゴメン。それあたし無理だわ」 早々にギブアップした柚に対し、瀬川と小早川が真剣に検討を始めていた。「ある程度は完成されているが、甘いな。各科に振り分けられる面積はこの程度なのだろう。だったら、こうしたらどうだ」「待て待て。そんならここを移動させて、こう区分けしろよ。じゃないと境界線分からなくなんぞ」「むう。確かにそうだ。ではここも変えた方が良いか」「おっけ。いいんじゃね? ちょっと広いけど、そんなに負担でかくないっしょ」 あれ? こんなに仲良かったっけ、この二人。 などと思いつつ様子を窺っていると、ふと思い出した。そうだ。こいつら、仲悪いけど共通の何かを見つけたら一気に団結するんだった。 藤野に面倒事を押しつけてくれた時も、あれだけ反発しあっていたのに磁石のようにくっついていた。今回も同じで、振り分けるという共通の目的が出来たからだ。 次々とパズルのピースが埋められていく中、唯一柚だけは眠り姫状態だった。 二人の熱の入ったやり取りすら子守唄に清々しいぐらいの寝顔を披露している柚を見ながら、藤野は微笑んだ。ちくしょう。やっぱ全部カワイイ。でも。「あで」 軽めに入ったチョップは眠り姫を起こすのにはちょうど良かったらしい。「何すんのよフジチョー。せっかく気持ち良く寝てたのに」「そのどこぞの猫型ロボットに頼りまくるメガネ少年に匹敵する寝付きの良さは褒めたたえるけど、今は会議中だからさ」「うわ真面目」 え、何ですかソレ。俺が真面目じゃないと思ってたんすか。 柚が心底嫌そうな顔をしながらぶついた言葉に刺されつつも、藤野は気にしないふりをして注意を続ける。「真面目で上等。俺は生徒会長だからね」「何偉そうぶってんのよーもう」 ぷぅと頬を膨らませてすねる柚に、藤野は眩暈を覚えた。やべぇ。「え、偉そうぶってないし。ってか、参加できないのは仕方ないとして、せめて起きてようよ」「はーい」 まだ少し不満そうではあるが、柚は従う姿勢を見せた。ちょっと斜め姿勢なのもツボだ。「出来たぞ」 その後もちょっとした会話を柚としていると、唐突に発言したのは瀬川だった。小早川も納得の言った様子で頷いている。何度も検討し直したのだろう、長机の上に消しカスがたまっている。 手渡された紙を見て、藤野はひどく驚いた。思わず唸りたくなる出来栄えだからだ。何一つ不自然さはなく、何一つ不満の出ないものだ。これなら、商工会から苦情が来る確率は限りなく低くなるだろう。 さすが、この二人にかかれば完成度高いなー。「ありがと。これ完璧じゃん」「うむ。今回の会議の用件はこれで終わりか。では」「ううん。もう一つあるんだ」 さらりと言葉を滑り込ませた藤野はファインプレーだった。さりげなく小早川とアイコンタクトを取りつつ、次の言葉を開く。「学園祭のメインイベントの事なんだけど」 切りだされて、まず訝しく眉を潜めたのは瀬川だった。「なんだ。フリーマーケットじゃないのか、メインイベントは」「生徒主体のイベントが必要なんだって言われたらしくて、開催はするけど、メインイベントじゃないのよ」 フォローを入れたのは柚だった。絶妙のタイミングである。流れを感じた藤野はそのまま後を引き受ける形で声を出す。「うん。でもお金をあまり消費する訳にはいかない。そこで考え付いたのが、音楽ライブだ」「ライブか。考えたな。設備なら既に揃っているし、新しく用意する費用か各段に安く済む。それに軽音部もいるから、メンツにも事欠かないだろう」「良いことずくめっぽいけど、唯一弱点ってか、肝みたいなのがあって」 少し言い出しにくそうにしたのは演技だ。ちょっとクサイかと思いつつ小早川に視線をやると、余計な事を、と言わんばかりの、しかし怒りではない視線を返してきた。 ここでバトンタッチだ。口車に関してなら小早川の方が優れている。何より、彼の仕事だ。「要するに、集客性があって話題性に富んでて、そして舞台を盛り上げられるだけの実力を持ったバンドが必要って事だ」 いつもよりかは控えめな――それでも十分――ふてぶてしい態度で、小早川が端的に説明した。集まる視線にも一切動じず彼は続ける。「ウチの軽音部がやるっつって、どれだけの集客性と話題性があるよ? 特に何か受賞してきた訳でもねーし、有名アーティストを輩出した訳でもねーぞ。格別超上手いってレベルでもねーしさ」「ふむ。現状では必要条件を満たせている訳ではないのか」「だからだ」 何やら小難しく考え出した瀬川を牽制するタイミングで小早川は口をはさむ。その呼吸の絶妙さは熟練の経験を思わせる。 きっと、昔のままの仕草、行動だったからなんだろうな。 改めて幼馴染であることを感じながら藤野は見守る。小早川が次に放つ言葉を。「俺たちでバンドを組むってのはどーよ」 沈黙は数秒間流れた。「は、はぁぁ―――――――――っ!?」 まず雄叫びをあげたのは柚だった。眠気も完全に吹っ飛んだようで、目をばっちりと開けている。「ちょっとアンタ何言ってんのマジなのそれねぇちょっと!?」「うるっせーな。お前は人間スピーカーか」「いやいやいやなるから。スピーカーだろうと拡声器だろうとマイクだろうとなるから。アンタ今バンド組むって言った? しかも俺たちって? 誰のことよそれ」 ほとんど詰問状態だが、小早川は耳をほじくりながら、藤野、瀬川、柚と順番に指差した。それも平然とした顔で。 指を目で追っていた柚は、また数秒ほど沈黙してから、さらに反発する。顔はもはや鬼のように赤い。「そんなの出来る訳ないでしょ――――っ!?」「どう思うよ、生徒会長」 あえて無視して小早川は視線を藤野にうつした。 カイチョーではなく生徒会長と表現した裏の意味を悟った藤野は、用意していた言葉を舌に乗せる。「生徒会長と各科の委員がバンドを組むとなったら、話題性と集客性はあると思う。みんなは各科で慕われてるみたいだし、僕だっていきなり生徒会長になってるんだから、物珍しさってのも上乗せされるだろうし」「なるほど、特に我々は仲が険悪だと知られているからな。そういう意味でも効果的ではあるか」 実際、この三人の仲の悪さは結構広まっている。生徒会長になるまで知らなかった藤野の方が稀有な例である。 納得する方向で思案し始めた瀬川と対照的に、柚はまだ反発し足りないようだった。「でも、でも」と前置きをつけてから探し当てた言葉をぶつける。「じゃあ実力はどうすんのよ。盛り上げられるだけの力あるのか、あたしらに」 発言した本人にもダメージを与える自爆発言だが、小早川は予想していたらしい。素早く切り返しを叩きこむ。「何言ってんだ。ライブ本番まで何カ月あると思ってんだ。盛り上げられる最低限のラインまで引っ張り上げてやんよ」「誰が」「俺に決まってんだろ」「そうか。お前はバンドに必要な楽器を一通り扱えるんだったか」 瀬川の発言が決定的だった。柚は反発の言葉を失い、声にならない声が宙を舞う。追撃をかけたのは藤野だった。「それに、今回の学園祭の予算がないのは、柚たちも大いに関わってる事だしさ。だから先導する意味と罪滅ぼしの意味をこめて、ここは頑張ってみない?」 倫理的に攻撃すれば瀬川は納得するが、柚は納得しない。分かっていたからこその言葉だ。こういう情に訴えかける発言に柚は弱い。 柚は目論見通り数歩後ずさった。まだ何か言いたげに口をぱくぱくさせるが、やがて断念してうなだれた。 自分に嘘つけない性格だよね。そこもカワイイんだけど。「……分かったわよ。やるわよ」「おっけ。柚決定な。瀬川、お前は」「理論として考えて否定するものが見当たらない」「じゃあ決定って事で。カイチョーは?」 すでに参加決定は伝えてあるが、建前上の意思確認だ。藤野は僅かながら苦笑して頷いた。「ここで生徒会長一人だけ参加しないってのは何か変な話だしさ。いいよ、乗った」「じゃあ決定な。んで担当だけど、もう決めてあるから」 この手際の良さは少し生徒会に欲しくなる。と藤野は真面目に思った。書記にしろ会計にしろ、自分の担当の業務しかこなさず、しかもその速度は決して速いとは言えない。「リードギターは俺がやる。一番得意だし、色々指示できるし。瀬川、お前はベースやれ。お前は冷静で乱れる事があんま無いから、音の基盤のベースにぴったりだ」「良いだろう」 頷く瀬川を見て、今度は柚に視線をやる。見据えられて「うっ」と言葉を詰まらせ身構える柚にも容赦はしない。「柚、お前はドラムやれ。お前のリズム感は完璧だから。パワーもスタミナもこのメンツん中じゃ一番あるしな」「わ、分かったわ」 一度引き受けた以上は引き下がれない性格が出ているのだろう、柚はかなり怯えつつも了承した。「サイドギターはカイチョーな。後、ボーカル任せた」 おっけぇ。と言いかけて藤野は硬直した。完全に。「はい?」 思わず聞き返すが、小早川は一切表情を変えることなく再度言い放った。「だから、サイドギターとボーカル」 あ、ヤバい。冗談じゃなさそう。この感じ。って俺がボーカル!?「マジ?」 顔が引きつっているのが自分でも分かる。震える指で自分を指差すと、小早川は大きく頭を縦に振った。 あ。ああああああ。何か、とんでもない事になったんですけど。 心の底から不安に駆られた藤野は、辛うじて頭を抱えるのだけは制御した。