アキラの言葉は続く。「例えば、小早川クン、前回のライブのチケット、いくらだった?」「二千円かな」「正解。ここのライブハウスのキャパは大体二五〇で、最大三〇〇近く入る。前回は二七〇だった。そして、チャージバック制で、僕らは七対三でギャラを貰う事になってる。一枚当たり、いくらになるかな」 話しを振られて藤野は慌てて頭で演算した。七〇パーセントなのだから、0.7かけてやればいい。「一四〇〇円?」「そう。前回のライブで、僕らを目当てにライブへ来たのが一七三人だった。つまりギャラは二四二二〇〇円」 そう言えば、入場する時にどこのバンドが目当てかと聞かれた。小早川に言われるまま、「白光」と答えていた。「つまり、僕らを動かすなら、最低でも二十四万必要になる。支払えるの?」 いきなり問われて、藤野は返答に詰まった。現時点で、どれくらいの費用が工面できるか試算すらできない状態だからだ。 しばらく黙っていてもアキラは見逃すつもりはないらしく、返答を待たれた。苦渋の末、「わかりません」と答えると、しかしアキラは怒る事も、残念がる事もしなかった。分かっていたからだろう。「さらに学校までの移動費や雑費なんかもそっち持ちになるから、実際はそれ以上かかるだろうね。知り合ったよしみでサービスって訳には悪いけどいかない。僕らは食べていかなきゃいけないからね」 反駁の余地を悉く潰しながらアキラの言葉は終わった。ぐうの音もでない。「じゃあ、出演は無理ってこと?」「相応のギャラを支払ってくれたら考えない事もないけど、ちょっと厳しいかな。高校生相手にライブして、いったいどれだけのファンがつくか分からないしね。自主制作のCDすらまだ出せていないんだから、僕らは」 利益を伴うファンが必要だ。次のステップへ進むために。 明確に言い放たれ、小早川は説得を早々に諦めた様子だ。彼のカンは鋭く、中々正しい。これだけの胆力を持つアキラを相手にするのは高校生程度では厳しい。言いかえれば、それだけアキラのマネジメント力が高いのだ。 理解した様子の二人に、アキラは少し首をかしげた。「でも、二人ともそんなに音楽が好きなんだったら、何だって自分たちでやろうって思わないの」 さらりと言い放たれ、二人は目を点にさせた。「小早川クンはもちろんだけど、藤野クンも音楽好きでしょ? 僕たちに対しての感想で分かったんだけど」 あれだけ抽象的表現で感想を言えるのは、音楽が好きじゃないとダメなんだよ。と言われ、藤野は顔を赤らめた。 しかしアキラの目線は藤野ではなく、小早川に向けられていた。あからさまに面倒臭そうな顔をしている、彼に。 あ、ちょっと期待かも。 のらりくらりと小早川は口が達者で逃れるのが得意だ。そんな彼にアキラの言葉がどこまで通用するのか。藤野にとってはこっそりワクワクとする対戦カードだった。「小早川クンは楽器できるでしょ。しかもマルチに、ピアノとギター、ベースにドラム。今から練習すれば何とかなるんじゃない? 藤野クンは何か出来る?」「アコギなら少し。ピアノもちょっとだけかじってました」「ほら。まずメンバー一人」 あれ? 勝手にメンバーその一にされちゃいましたよ、俺。 高みの見物決め込むつもりがキッチリ巻き込まれている。やはりアキラは校長によく似ている。「いやいや、メンドいってのもあるけど、無理っすよ。フツーに考えて。そりゃ探せば楽器やってるヤツなんているけどサ。学校の生徒盛り上げるぐらいのレベルじゃないし」「今は、でしょ。それは。練習すれば良いと思うんだけど」「それがメンドクサイっす」 成程。口で叶わないのだから、開き直るのか。 両手を頭の後ろで組みながら言う小早川をチラチラと見つつ厄介だなぁと思っていると、アキラは小早川を逃がさないように見据えながら次の手を放ってくる。「なんでメンドクサイのかな。音楽やってみたいんでしょ、本音では」 グイと踏み込んできた。小早川みたいなタイプはそれを嫌う。反発は免れないはずだ。案の定、不機嫌に眉を潜めて反駁してきた。「練習とか、何かの目標を持って、とか? 俺、そーゆーの性に合わないんすよ。アツイの苦手だし、一人のが好きだし」「それって一度は目標を持って突き進んだ事があるって意味だよね。そして挫折して失敗して、諦めたんだよね。だから嫌になって、もうそんな思いしたくないから、そうなったってか、そう振る舞ってるんだ。君は」 ズバズバとアキラは切って捨てて、小早川の持つ無意味な矜持を真っ二つに折りにかかった。「でも裏を返せば、君はもう一度目標を持って進んでみたいんだよね。でも、今の環境がそうさせてくれないんだ。何かを目標とすること、突き進むこと、誰かを本気で仲間と思うことを、置いてきたんだよね。何より自分を守るために、今を手に入れるために」 鼻っ面に一撃食らったが如く、小早川は鼻白んだ。まるで抵抗を許されない。 何、この一方的。圧倒的。小早川がまるで反論できないじゃん。 底の知れなさは校長と同レベルである。藤野はアキラに対して戦慄を覚えた。この人も何ものだ。いったい。 何も言い返せない内に、アキラは畳みこんでくる。静かな調子で、静かな眼差しで。「過去に置いてきた思い残しがあるのなら、取り戻してみなよ。今、君の中で」 どくん、と心臓が高鳴った。 藤野に響いたのだから、小早川にも響いているはずだ。二人の共通点は、過去に親友と袂を分かっていること。それが今も楔になっていることだ。置いてきたもの。自分が、置いてきたもの。取り戻せるのだろうか。 いや、違う。 取り戻してみせなければならない。置いてきたもの。人と付き合うということ。 藤野はそれを生徒会長になることで、柚や瀬川や小早川と触れ合う事で、少しずつ取り戻している。だが――。「そんなの無いっすよ。穿ちすぎって言うの? 別に、俺は今の自分で満足だし。音楽なんてヤるだけが全部じゃないじゃん。ライブにオーディエンスで参加したりするのも音楽じゃん」 用意されている逃げ道は詰まれている。アキラはすかさず叩いた。「今の自分で良いとか、立ち上がるのを諦めるなよ。今の自分で良いなんて自惚れるなよ。まだお前は高校生だろ? 青臭いガキじゃん。まだまだ何でもできる、なんでも取り戻せる年齢でしょ。デカい夢を持てとか、そんなクサい事は言わないけど」 言葉がまるで物理的な何かを持っているかのように突き刺さる。小早川はとうとう捕まえられた。 すげぇ。マジですげぇ。そしてアツい。すげぇアツい。 新宮のようなイタイ発言ではない。まさに実体験を伴ってきたような重みがある。「まだ何もかもを諦められる程、モラトリアムしてないでしょ。老成してないでしょ。そんな簡単に捨てんな」「じゃあさ、じゃあさ。音楽やって、やったからって、それを取り戻せるんすか」「それ、音楽を侮辱してる発言だからね」 追いつめられるだけ追いつめられ、とうとう爆発した小早川の上をアキラは行く。言葉の強さも、重みも。放つ威圧感も。「取り戻せるか取り戻せないかは自分次第だ。音楽にそんなもんを頼るな。音楽はそんなもののためにあるんじゃない」 音楽とは何か。何のためにあるのか。確固たるものを持つアキラに、小早川が敵う道理はなかった。「自分がやりたいことを、取り戻したいことをしろよ。それと音楽をやりたい気持ちが重なるんならやれよ。今の君なら、重なってるんだろう。重なるんだろう。だったら、やれよ」 なんで。なんで。どうして。 過去を話した事がないはずなのに、ここまでピンポイントで刺してくるんだろう、このアキラって人は。 揺らいでいる。初めて突き刺されて、徹底的に追い詰められて、小早川は揺らいでいる。あの淡々とした調子も、のらりくらりと何もかもを回避して押しつける彼もいなかった。 置いてきたもの。それは、柚と瀬川との絆。やりたいもの。それは音楽を通して、誰かと繋がること。何かに突き進むこと。置いてきたものを取り戻す。絆を取り戻す。音楽を通して。 無造作に顔を下に向け、ふふっ、と小早川は笑った。「負けた。ここまで言われて、やらなきゃ何かダメっぽいし、俺」 照れ隠しが明らかなので、アキラは突っ込みを入れなかった。「会長」「分かってる。メインイベントは僕らのバンド演奏によるライブで決定。だね」 メンバーは言わずもがな。柚と瀬川、藤野に小早川だ。四人いれば形になる。柚と瀬川がどんな楽器が出来るか不明だが、小早川がマルチに楽器をこなせるのだから、指導も出来るだろう。「よしよし。上出来だね。お互いコンセンサスも取れてるみたいだし。じゃあお兄さんからご褒美だ」 ライブ出演を引き受けてあげられない代わりに、とアキラは笑顔を振りまく。「特別に君たちのバンドの監督をやってあげる。基礎練習やって、形になったら連絡しておいで」「マジですか!?」 飛びついたのは小早川である。藤野も同じ感想だ。 あれだけ実力のある、ほとんどプロと遜色のないミュージシャンに監督をしてもらえば、それはそれはハイレベルな仕上がりになる。 やるからには本気で。アキラは言外に言い放つ。「うん。容赦はしないけどね」「むしろ歓迎っすよ。俺らじゃ分かんない部分絶対出てくるし、第三者から見てもらった方が指摘されても身に着きやすいし」「うん。助かります。至らないと思いますけど、よろしくお願いします」 対照的な二人を前に、アキラは鷹揚にいいよ、と引き受けてくれた。この助っ人は強力だ。水と油を混ぜる界面活性剤の役目を果たしてくれるだろう。 藤野と小早川はお礼とばかりにアキラの手伝いをしてから、ライブハウスを後にした。 外はすっかり暗く、少し肌寒い。今回は事前に親へ連絡入れてあるので、帰っても怒られる心配はない。学習とはすばらしい。「なぁ、会長」 夜風に当たっていると、小早川がいつになく神妙な声をかけてきた。「俺さ、柚と瀬川と仲悪いじゃん。ズタズタなんだ。もっかい修復できると思う?」 言いかえれば仲直りしたいということか。 内心でゆっくりと言葉を選んでから、藤野は口を開いた。「絶対なんてこの世にはないんだから、断言できないけど、出来るんじゃないかな。お互いに関係を修復したいと思ってるんなら、一からやり直すって感じでさ」 やり直したくてもやり直せない藤野だからこそ思い浮かべられる言葉だった。「もちろん、もう前のようにはいかないと思うけどね。皆が皆、それぞれ変わっちゃってるんだもん」 やり直そうとして失敗する典型である。前と同じと思って行動してしまう。具の極みだと気付く時は何年も経ってからだ。 理解した小早川は何かを考え直している様子になった。藤野の言葉を噛みしめるようにぶついている。「そっか。何かすっげぇ参考になった。さんきゅ」「うん、それなら良かった」「でさ、また会議持つの?」 唐突に聞かれ、藤野は何も考えていない事に気がついた。 生徒会長の仕事は学園祭だけではない。日々こなさなければならない業務もある。特に全校集会で予算発表と生徒会長就任の発表があり、その後は立て続けに委員会が動き出すため、報告の取りまとめなど、一際に忙しくなる。 最低でも一週間以上は後になるだろうが、具体的な日程は組めない。何日が委員会なのかはうろ覚えなのが致命的だ。「持つ事は持つけど、たぶん結構先になると思うよ。学園祭以外にも、こなさなきゃいけない業務とかあるしさ」「そっか。なら仕方ないか。決まったら教えてよ」「うん、分かった」 と、ここまで会話した所で、小早川は早々に道が違うからと別れていった。嫌にあっさりしている辺りは地らしい。「でも、バンドを組むのかぁ」 アキラに言われるまで思いもしなかったが、実に利にかなっている。明らかに生徒主体の上、生徒会長と各科の代表委員が組むバンドとなれば注目も高く集まるだろう。加えて軽音部や吹奏楽部にも協力を要請すれば、規模も大きくなる。 パッと出のアイディアと思ってたけど、中々深く考えこんであるなぁ。 その辺りは校長とは違う部分だ。と勝手に論表する。藤野の中でアキラはもはや善人の校長という位置づけである。 自転車に跨り商店街を駆け抜ける中、想像が想像を呼ぶ。自分たちがバンドを組んでいる想像を。「あれ、なんだろう」 思わず頭を抱えそうになったのは仕方がない。「ケンカしてるイメージしか思い浮かばないんだけど」 そして仲裁役は確実に藤野だ。どう考えても、自分が仲裁しているイメージしか沸きあがらない。 一つの悩みが解決したと思ったら、もう新しい悩みかよ。もう。「何か、悩みが浮かばないで済む日って来ないのかなぁ」 叶うべくもない願望をぼそりと口にしつつも、藤野は気付いていなかった。 面倒臭いと思わなくなりつつある事に。