「スマンかった!」 登校して早々。両手を合わせて頭を下げて謝られた藤野は、仁王立ちだった。 昨日絞め落とされたせいで五時限を欠席、六時限も遅刻しての参加となったからだ。正直そこまで怒り心頭という訳ではなかったが、何となくで流してやる気もなかった。一応筋というものは通さなければいけない。 それに、柚のファンクラブという存在を把握しなければならない。柚と付き合うという目標の前に立ちふさがる大いなる壁だ。「許してやらんでもないけど……条件がある!」「よし聞く!」 藤野が強気で出られる理由は二つある。まず、相手が反省していて罪悪感を持っている事だ。二つ目は、藤野が彼を校内暴力者として学校側に告発できる権利を持っている事だ。下手すれば停学という処分も視野に入るため、内申に大きなダメージが出る。 まずは実態を掴むことからかな。「まずファンクラブって何だ!」「前田女子ファンクラブっていって、一年から三年まで四十人くらいの秘密非公認非公式ファンクラブですっ!」 ほほう。既に一年にまで魔の手が及んでいるのか。 詳しく調査をする必要がありだ。藤野はさらに問い詰める。「活動内容は?」 内容に問題があれば即座に潰す。生徒会長になる事は来週発表だが、そんなもん多少フライングしてでも潰す。 後で校長からの呼び出しがそれはそれは恐ろしいが、しらばっくれたらいい話だ。たぶん。きっと。「いや、単純に彼女の試合の日に応援にいったり、でも迷惑になったらいけないから良識わきまえた応援で。後は遠巻きにこっそりと見ていたり。あ、話かけたりしたらいけないルールがあって、抜け駆けとかしたらリンチ刑。向こうから話しかけられない限り、こっちからはアタック禁止で、匿名の差し入れとかも禁止。気持ち悪がられたらイヤだし」 何その昭和の香りプンプンするファンクラブ。って言うかとっても弱気だし。それでいいのかファンクラブ。俺的にはいいけど。 そこまで常識的と言っていいか分からないが、ともあれなファンクラブであれば無視しても害はないだろう。藤野自身には危害くわえられる可能性は残るが、そうなれば正体暴いて晒して正々堂々と潰せばいい話だ。「じゃあ今後それ関連で俺に手出しするの禁止な。したら纏めて告発するから」 一応の釘を刺す。すると彼は目敏く聞いてくる。うっすら殺意すら乗せてくる辺り、彼も柚の事を気にしているのだろう。「え、それってまさかお前、前田女子と」「ちげーって」 防衛本能が言葉を先に吐き出させていた。今ここでそうだと言ってしまえば、確実にこじれる。「ゆ……前田とは話したりするからさ、その度にお前らに疎まれたり、こうして暴走されたりしたら嫌だからじゃん」「それは」「だから禁止。続けるけど、告発するついでに、ファンクラブの事も公にする。ただで済むと思うなよ。校内暴力までするカルト的なファンクラブって噂は一気に広まるぞ。そうなったら学校側からの潰しはもちろん、皆からも白い目で見られるだろうな」 即ち、健全な学校生活の崩壊を意味する。下手をすれば学校生活自体送れなくなり、自主退学すら考えられる。「むう。わ、分かったよ」 数秒間だけ天秤にかけて逡巡し、彼は了承を答えとした。よし。これで当分の壁は取っ払った。「じゃあ次の条件な」 藤野が並べた条件は、抜けた時間のノートを書き写させる事と、ジュースとパンだった。それで手打ちになるならば、と相手は特に抵抗せずに頷いた。 これでとりあえずの決着、と。 内心でエンドマークを付けると、登校してきた他のオトモダチとグループを作ってしばしの談笑タイムとなった。 朝のSHRが始まるまで教室はとても賑やかだ。挨拶から始まり、昨日のテレビの話や授業の予習、復習の話など、黙る暇がない。ほどほど程度に付き合っていると、チャイムが鳴った。 雑談のムードを残しながらも皆が席に座りだしてから、窓際の誰かが叫んだ。「おい、犬がいるぞ!」 クラスが騒然となるには十分な発言だった。我先にと窓際にたかり、外をのぞきこむ。二階にある教室からは、ちょうどグラウンドが臨める。 グラウンドを縦横無尽に駆けているのは薄汚れたように見える白い大型犬と、それを追いかける一人の少女だけだった。「あ、アレって」 良く目をこらせば、その少女を断定できた。柚だ。「くぉらあああ――――――――――っ! あたしの弁当返せぇぇ―――――――っ!!」 どっとクラス中に笑いが巻き起こる。確かに犬の口を見れば、何かをくわえているのが認識できた。アレが柚の弁当なのだろう。 思わずこけそうになった藤野の隣で、ファンクラブ所属のオトモダチが目をうっとりとさせている。 いや、カワイイのは分かるけどさ。 はてどう突っ込みをいれるべきかと悩んでいると、柚の「だから返せっつってんだろ焼いて食うぞコラァ!」などと冗談にはとても取れない恫喝が轟き、また笑いを巻き起こした。 騒動はいつしか教室だけにおさまらず、校舎中に伝染しているようだ。隣のクラスから「がんばれー!」という応援が飛んでいた。「ってかスゲー。犬に追い縋ってんぞ」 誰からぼそりと言った。確かに、と藤野も内心で同意する。白い大型犬は犬にしては走る速度は遅いものの、ヒトと比べたら相当に速い部類だ。それに離されないという事は少なくとも犬と同じ速度で走っている訳で、いかに柚の身体能力が高いかが知れる。 しかし、走力に特化しているとも言える四本足に、汎用性に優れた二本足ではやはり叶わない。 一気にスパートをかけた柚がつまずいてしまったのだ。たたら踏んで何とか転倒だけは避けたものの、速度は大きく削られた。「ああ―――――……」 当然、犬は変わらぬ速度で逃げていく。それでも追いかけようとするが、頭よりも体が不可能だと知らせているようで、ジョギングぐらいの速度しかでない。「あ、あたしの、あたしのお昼ごはん」 その絶望はいかばかりか。柚はとうとうその場で膝をついて崩れた。ああもう。くそ。 藤野はいてもたってもいられない様子で教室を抜け出した。犬の追走劇が終わったので、みんなバラバラと自分の席に帰っていく間隙を縫っての行動なので、誰にも咎められなかった。 二段飛ばしで階段を駆け下り、廊下の曲がり角をほとんど滑るようにして曲がり、とぼとぼと歩いて校舎に入ってきた柚の前に着いた。「柚」「あ、フジチョーじゃあん! どうしよう、犬にお昼ごはん奪われたよぅ。あたしの元気の活力なのにぃ」 あれだけ走り回っていたというのに、ほとんど息を切らしていない柚は泣き言を漏らして落ち込んだ。「それは何というか、残念だったとしか言いようが。ってか、購買とかはダメなの?」「お小遣いくれるの明後日でさぁ、お金ないんだって。どうしよ、昼抜きはマジ倒れるわ」 背中にまるで黒いオーラが見えるかのような落ち込みぶりである。というかさっきまで校舎中の注目集めてたのは気にしないのか。「ああ、じゃあ奢ってあげるよ」 何気ないつもりで言うと、柚がぴたりと動きを止めた。刹那。「マジ!?」「うおっ」 まさに飛びつくが如く急接近され、思わず藤野は慌てふためく。 ヤバい近いヤバいかわいいってかいい匂いするって何かデジャブってかクソかわいいじゃねぇか心臓が一気に動悸がっ!「ねぇねぇねぇマジマジマジ!?」「うんマジマジ。購買のパンとジュースぐらいだけどさ」「それでもチョーありがたいってフジチョーって神様? 仏様?」 喜んでもらえるのは嬉しい限りだが、まるで犬のように尻尾を振ってくるのはいかがなものか。かわいいけど。 って犬。柚って犬。野犬。ああ、そうか。 二つ目のアドバイスの暗号が解けた。それはそれはもう簡単に。『野犬でも飼いならせば正しく制御できる』という一文だ。野犬とは言うまでもなく柚の事である。そして現状、藤野の行為は、表現は悪いが飼いならしている状態だ。「うん。どっちでもいいんだけど。とりあえず購買まだ売り出ししてないから、どうしよっか」 購買は基本的に文房具など、日用品は朝から夕方まで発売しているが、食料品、それも昼飯になれるぐらいのものとなれば、昼前からしか店頭に並ばない。納品の関係らしい。 つまり、今から購買にいったとして、昼に足りるようなものは売っていない。せいぜい駄菓子程度である。「あ、じゃあ授業終わったら落ち合うってのはどう? 購買売り出すの三時限終わったぐらいからだけど、あたし三時限と四時限はぶっ通しで体育でさ」「うん。オッケー。じゃあ昼に落ち合おっか。ついでにメシ一緒できるし」 あ、何気ないつもりだったけど下心っぽく見えるかな? 言ってから不安に襲われたが、柚はまるで気にしていない。「いいね、それ。じゃあアドレス交換しよ。四時限終わってすぐに合流できたらいいけど、着替えとかあるし。ちょっと時間かかるかな。だから、あたしからメール入れるよ」「あ、うん。オッケー」 アレ? もしかして俺さりげなくアドレスゲットですか? 緊張しながらも藤野はケータイを取りだした。柚も合わせてポケットから取り出す。ああ、なんか手が震えそう。 何とか赤外線通信を終えた時には、背中に汗をたっぷりとかいていた。「購買には先に買っておくよ。リクエストとかある?」「いいの? ホントにありがとー! えっと、激安特大ソーセージパンとお徳用大盛り焼きそばパンと小倉アンパンと牛乳で」 微妙に遠慮していると思われるそれは、質より量を優先していた。ちょくちょく購買を利用していて勝手知ったるの藤野は苦笑しか出ない。もっとも、購買の商品ラインナップは意外とレベルが高いので、味は悪くないのだが。 栄養バランスが微妙の上かなりの高カロリーだが、柚の運動量を考えると普通なのかもしれない。「了解、任された」「マジでありがとー! ホントに助かる!」「いいって。お互い様だしね」 むしろアドレス交換できたりこうして話できたりして、メリットばっかりなんだけど。 口にしてはいけないものだらけなので、藤野は内心だけで付け足した。「じゃあまた後でね!」「うん」 軽快に走り去る柚を見送って、藤野は小さく溜息を漏らした。 これで残りの暗号は一つであり、自動的に小早川を指していると判明した。『カラスは自分の興味のある物事に対して遺憾なく能力を発揮する』。カラスの能力とは何だ。答えは簡単に導き出される。 カラスの最大の特徴といえば、三歳児並みの知能、知恵だ。これも適切だ。小早川は知識こそ多くないが、知恵は相当なものだ。「まさにカラスだけどね」 問題は彼の興味がある対象だ。それを導き出して、上手く学園祭に興味を引かせてやらねばならない。藤野が知っている彼の興味の引くところと言えば音楽しかない。 こりゃ調査が必要かな。 瀬川からの話によれば、柚と瀬川と小早川は幼馴染だ。おそらく最も彼のことを知る存在のはずだ。いくら縁遠くなっていようとも。 昼に柚とご飯を食べる約束を取り付けたのだから、その時に聞けば良いだろう。「やぁ、藤野君」 唐突にかけられた声は、とんでもない破壊力を持っていた。「こ、校長先生っ!?」 飛び退くようにして距離を取って振り返ると、いつもの温和な影に修羅を隠した校長が立っていた。「そんなに下がられたら何だか心外だなぁ。校長先生傷ついちゃうぞ」 それはアレですか。あまりな反応かましてると仕留めるぞ、って意味ですか。 冗談めかして言う校長が怖い。「い、いやあいきなり後ろから声をかけられたからつい驚いてしまって」「筋の通っていそうな言い訳だね。もっと自然な感じなら完璧だけど、棒読み状態じゃあ意味がない」「あは、あはは」「いいんだけどね。教育者は時として畏敬されなきゃならないし」 畏敬というよりかは畏怖なんですけど。っていうかむしろ恐怖大魔王? とりあえずの誤魔化し笑いで済ませつつ。さっきまでの幸せ気分はどこへやら。さあどうやって立ち去ろうかと頭をフル回転させていると、校長は矢を放って来た。「ところで、学園祭なんだけれど、何かイベントか何かは思いついたのかな」「え、あ、ああ、はい、何とか」「何をやるのかな?」「フリーマーケットをやろうかなと思ってます。あの、この近くでやってるフリーマーケットが一時的に休止しちゃうみたいなので、その合間を突いてやれば集客性あるんじゃないかなって思ったりもしたりもして、スペースもデッドスペースをかき集めれば何とかなりそうな気がしますし」 まくしたてるように言うと、校長はふむ、と口の中で声を押しとどめ、何か逡巡しているようだった。「確かに間隙を縫っての攻撃なら集まるだろうし、土地代を設定すれば収入も出る、か。考えてはいるけれど」 いる、けれど? もう嫌な汗しか出ていない。今度はいったい何を吐き出すつもりだ。戦々恐々としていると、校長はズバリと切ってきた。「主体性がないね」 訝しく眉を潜めかけたのを何とか制するが、校長は空気で察したらしい。「ちょっと営利に走り過ぎてるんじゃないかな? 出店を商店街の方々に協力していただく、というアイディアは生徒側も今までとちょっと違って楽しめると思うし、勉強にもなる。だから許可をしたのだけれど、フリーマーケットは違うよね。フレキシブルな対応が求められる以上、生徒に販売を任せることはできない」 フリーマーケットでは値引き交渉など日常茶飯事であるし、値段も随時変更される。これを生徒に一任する事は不可能だ。自分の出品物ならいざ知らず、他人の出品物で、他人の利益になるのだから、トラブルに発展しかねない。 この観点から見て、校長の言う通り生徒が参加できる領域は狭く、主体性があるものではない。 ホントにタマにだけど教育者っぽいこと言うなぁ、校長。「だから、生徒が楽しめるメインイベントを設定してほしいな。フリーマーケットは開催していいけれどね、収入になるし、それだけ赤が出る可能性は薄くなる訳だから」「分かりました」「うん。素直でよろしい。良いねぇ。あ、でもその素直さが故に赤が出ても請求はするからね」 語尾にハートマークなぞ付けられそうな勢いに、藤野は顔を引きつらせるしかなかった。 くそう。いったいどっちが本当の校長なんだ。「もうすぐチャイムが鳴るから、教室に戻りなさい。僕が呼びとめたせいで遅れた、なんて言い訳させないからね」 というかそんな言い訳したら呼び出しですよね? 即呼び出しですよね? そして圧殺するようなプレッシャーかけますよね? 裏に鬼を隠した笑顔で語られ、裏に戦慄を隠した笑顔で藤野は返し、「失礼します」と言い置いてさっさとその場を後にした。 あぁ、もう何かまた悩みごとが一つ増えた気がする。 階段を駆け上がりながら、藤野は大きな溜息をついた。