とりあえず概要は纏まったので、部費予算関係の書類を朝イチで提出し、その昼に校長から呼び出しがかかった。 即ですか。即呼び出しとかいう奴ですか。 今度は何を言われるんだろう。やっぱりまずかったかなぁ。などと、どんどん後ろ向きに思考が偏りつつ、藤野は出頭した。「随分早いね、昼ご飯はちゃんと済ませたかな?」 ええ、そりゃもう。全速力で食べましたとも。食欲なんて一切湧かなかったし、緊張と恐怖で弁当が砂の味しかしませんでしたから、詰め込むだけ詰め込んできましたとも。 内心で突っ込み、表面で藤野は「はい」と愛想よく答えた。昼休憩に入るや僅か五分少々でご飯を食べ終え、出頭してきた次第なのだから心配されて当然ではある。 校長は朝に提出したばかりの書類に目を通して、温和な笑顔を見せた。「いやはや、思いきった事を考えたんだねぇ。学園祭予算を部費予算に割り当てて、学園祭予算に対して協力を募ると」 学校側から出してもらえないのであれば、外から集めればいい。乱暴に纏めてしまえばそういう理論になる。「物事には有限があり、限られた条件の中でいかに努力するか。それを学んで欲しいと思ったんだけど」 それ、後付けですよね。明らかに後付け設定とかいうヤツですよね。 言ってしまえば必ず鬼が出てくる。背中からそれはそれは恐ろしい黒い鬼が出てくる。悟っているからこそ、藤野は口にしなかった。「まぁでも、新しい可能性を探求した結果と思えば、認められなくはないね。うん」 勝手に自己完結すると、校長は藤野を見た。本当に、ただ見た。睨む訳でも、慈しむ訳でもない。 うわ。なんだろう怖い。 言いようの知れない別次元の恐怖を覚え、藤野は僅かに後ろへ下がった。「前任の生徒会長はものすごく優秀でね、学園祭でも無駄を大いに切り詰めてくれた。それだけじゃない。君もその恩恵を授かっているはずだけど」 その通りだ。学園祭予算関係だけではない。あらゆる業務で、前任の生徒会長の影が残っている。彼が残してくれた意見やマニュアルのお陰で藤野は何とか生徒会長業務をこなせている。 今まで一度も生徒会に関わってこなかった藤野が、である。「その生徒会長と比較して、君の能力は明らかに劣る」 教育者の発言じゃないですよね。まぁ当たってるから怒らないケド。 前任の生徒会長は学業においても非常に優秀だった。記憶が確かならば、学年でトップ5に入っていたはずだ。運動面においても優秀で体育祭ではリレー選手に選ばれている。加えて品行方正、人気も高いと来る。どこの超人だ。 そんな彼と比べて、むしろ劣らないと評価される方が少ない。 何より正当な手段を踏んで堂々と実力で生徒会長に就任した彼と、校長の勝手きままで任命されてなし崩し的に就任した藤野とでは能力に差があって当たり前だ。「部活に参加せず、運動能力は平凡、学業も音楽を除いては総じて中の下。見た目も平凡、性格も平凡。まさに世に埋もれる典型。まぁちょっと隠し持ってる秘密はアレだけど」 あれ、なんだろう。グサグサ刺さるんですけど。涙でそうなんですけど。「そう思っていたんだけどね。いや、実際そうなんだけど」 校長は初めて見せた。本当に面白そうな顔を。「君は面白い」「え?」「君は君で、前任の生徒会長とは違う一面を持っている。だからこんな突拍子もないような書類を書ける。常人なら思いつきにくい」 けなしてるんですか? 褒めてるんですか? 限りなく微妙な言い回しに混乱した顔を出したが、校長はもちろん無視して続ける。「うん、いいでしょう」 校長は引き出しから何か金の装飾が施された印鑑を取り出すと、書類に捺印して藤野に見せつけた。小難しい漢字なのはオーダーメイドのためだろうか。 一泊遅れてから気付いた。捺印は申請許可、つまり、商店街に協力を募るという企画が承認されたということだ。「学校側として可能な部分はバックアップを入れるから、もっと練ってきてほしいね。企画としては通るレベルだけど、仕様としては認められない。まだまだ改善の余地はあるはずだ」 例えば、と校長は前置きをつける。「出店や喫茶店の場合、コップや皿をどうするのか、ゴミの問題もあるしね。それに商店街のどの店がどのように協力をすればいいかも細かく決まっていないよね。これは相手側、商工会との折り合いもあるから、協議を持って決めなければならないだろうけど、ある程度こちらから要望を出す必要がある」 うわ。なんかいきなり教育者発言ですよ。って教育者の長なんだし当たり前か。 今までが教育者らしからぬ言動だったためか、妙な新鮮さと感動を覚えさせた。何かの作戦だろうかと疑りつつも藤野は耳を傾ける。オトナの意見はオトナの世界で通じるものだ。商店街の協力を募るなら、即ちオトナの世界であり、オトナの意見を聞き入れた方が今後やりやすいだろうと考えたのだ。「商工会への打診は僕から入れておくから、今月中にとりあえずは纏めてね」 商工会を通すという行為はオトナの世界だ。藤野は商店街一軒一軒に協力を頼まなければいけない、いや、頼めばいいと思っていた。商店街の大本たる商工会を通す必要があるなどと想像もつかなかった。 ああ、まだまだガキなんだなぁ。 思い知らされながら、「はい」と返事を返して藤野は頭を下げた。「あ、そうそう。言い忘れてた」 ん? 何か今黒いモノが見えましたよ。何をのたまうつもりでおられますか? 途端、背中に嫌な脂汗が染みつく。「赤字が出たら、足りない部分は君たちで負担してね」「へ?」「金銭面では学校側は一切協力しないから。これ以上お金出せないしね。学園祭予算を部費に回して、足りない部分を商店街から出資させても、たぶん足は出るだろうから黒を出さないといけないだろうし。足が出た分は君たち負担だからね。企画を見る限り、商店街にある程度出資させて、利益として最低限でも元手回収させるつもりらしいから、叶わなかったらこの損害金も君たち負担」「え?」「商工会にはその方向で話を進めるつもりだから」「ええっ」「きっと赤字が出た時のことなんて考えてないだろうし、もし出たとしても学校側が負担するだろうと甘い考えを持っているんだろうけど」 校長はこれ以上とない最上の笑みと最凶の黒いオーラを放ちつつ言いきった。「ありえないから」 まるっきり図星、言い当てられた藤野は顔をひきつらせたまま黙り込んだ。赤字の事なんてまるで考えていなかった。金銭的にも商店街の協力を募るというオトナの世界の理論で行くのだから、責任を持つのは当然だと言いたいのだろう、校長は。どこまでドSなんだ。 まずい。絶対にまずい。ひたすらにまずい。もし赤字が出たとしてもあの三人が素直に支払を負担するはずがない。生徒会長なんだからと言われて全責任を押しつけられる。絶対だ。誓っても絶対だ。「だから、死ぬつもりで頑張るように」「ちょ、ちょっと質問っ!」 命の危険を感じつつも、話を畳もうとした瞬間を狙って言葉をねじ込んだ。「何かな?」「げ、現状、僕だけじゃもう手詰まりです。決議だってまとまったのが奇跡っていうか、最後には押しつけられたり物別れに終わったりで、結論、全面的に協力を受けている訳じゃありません。むしろ協力的じゃないっていうか」 実際の所、柚は協力的になってくれているが、悪いと思いつつあえて一括りにした。「つまり、彼らの協力を得るにはどうしたらいいか、もう分かんなくて、だから教えてもらえたらなぁと」 なるほどねぇ、と頷きつつ一瞬だけ逡巡を見せ、口を開く。「それは困るよね。君たち三人が死ぬほど根性振り絞ってやらないと成功する見込みないんだし。苦しみながら落ちぶれていく様子を見るのも好きなんだけど、教育者として如何なものかと思うしねぇ。とりあえずまぁヒントをあげようか」 今日はホントに遠慮ないなぁ。このひと。 純金と見紛うばかりの万年筆をメモに走らせる様子を伺いながら、藤野も遠慮なく言う。内心で。 サラサラと書き心地抜群の音が終わり、校長は藤野を机のすぐ前まで手招きしてからメモを渡した。鮮やかなインクは教育者のお手本のようなキレイな字を描いている。「これは?」「だからヒントだよ。そのまま教えてしまったら面白くないでしょう」 いや、面白いとかそんなレベルじゃないんですけど。 音読しなさい。と命令されて、藤野はメモを目でなぞった。「図書館にはレファレンスというサービスがある」「うん」「カラスは自分の興味のある物事に対して能力を遺憾なく発揮する」「うんうん」「野犬でも飼いならせば正しく制御する事ができる」「はい。よく出来ました」 いったい何の暗号だ。これは。 読んでみても目で見てもまるで訳が分からない。訝しく眉を潜めていると、校長がその隙を突いてきた。「じゃあ頑張るように。以上」 しまった。話を畳まれてしまった。 畳まれてしまった以上、食い下がっても命を縮めるだけである。仕方なく藤野は「失礼します」と頭を下げて退室した。 誰なら分かるかな、この暗号。 知り合いを頼ろうにも、柚たちの事まで含まれている以上、相談はさすがに出来ない。次回の集会で発表されるまで、自分が生徒会長であると言ってはならないと緘口令も敷かれている。「あ、いたいた! おーいフジチョー!」 後ろから響いた声が藤野の集中を解いた。 ん、どこかで聞いたことのある声がする。フジチョーって誰だろ。「ちょっとフジチョー!?」 声と足音がどんどん近付いてくる。あれ? もしかして俺ですか呼ばれてるの。 振り返ると、手を大きく振りながら走ってくる短髪女が一人。ああ。柚だ。遠くから見ても可愛いなぁ。 最終的には駆け足で藤野の隣まで来た柚は肩に手を置いて「やぁ」と言う。「って。フジチョーって俺?」「他に誰がいるのさ」「すんごい突拍子もないアダ名なんだけど」「そう? だって藤野生徒会長でしょ? 略してフジチョー。ほら完璧」「いやいや、だったらフジとかでいいじゃん」「フジって呼び名の子はもういるんだもん」 うわ反則だろそれ。唇尖らせて言うんじゃねぇ。奪うぞ、その唇。「それで? すっごい嬉しそうに話しかけてきたってことは、何かあったの?」「えっ、すごい良く分かったね」 真面目に感心する素振りを見せた柚に、藤野は辛うじて姿勢を傾がせるのを防いだ。 スゴイも何も。表情が丸っきりそうなんだけど。でもそこもカワイイ。やべぇ、俺、マジで恋してんじゃん。「で、何があったのさ」「そうそう。結構いい情報手に入れてきたんだよ。手芸部の子たちに聞いてきたんだけどさ」 手芸部は一般科に所属する部活だ。体育科の柚が関係しているのはちょっと意外だった。それとも関係なく手当たり次第アタックしていったのだろうか。「今年の夏でさ、定期的にやってたフリマが休止するんだって」「フリマ?」「そうそう。結構規模が大きいらしくて、毎年季節ごとに開催されてたんだけど、会場がショッピングモール建築予定地に入ったみたいで、別の会場を確保したはいいけど、使えるのが来年の春以降みたい」「へぇ」 フリマとはフリーマーケットの略称だ。イベントにもよるが、それなりの規模のフリーマーケットの場合、集客性は結構高い。「学園祭は秋じゃん? だから、フリマできたら結構お客集められない?」「なるほど」 問題はスペースだ。藤野は脳内で去年の配置図を再生した。デッドスペースをうまく潰せば、結構な規模の会場が出来るかもしれない。 逆に、広告は手芸部を通して夏のフリマ会場に掲示すれば広告費は最小限に抑えられるだろう。コストの面からみても優秀だし、有効性のあるイベントの一つと言えるだろう。「うん。使えそう。そのアイディア頂き。ありがとう柚」「ホント!? もっと褒めていいわよ」 えっへん、と両手を腰に当ててふんぞり返るのを見て、藤野は苦笑した。ああでも可愛い。ってか、周りから俺たちはどう見られているんだろう? 仲の良い友達? それとも――カップル?「偉い偉い」「えへへ。それじゃ、あたしもう行くね。次は体育なんだー」「そっか、怪我すんなよ」「うん、ありがと」 とても女子とは思えない瞬発力で、柚は廊下を駆け抜けていった。「っほほおおおおう」 地獄の深遠の底から湧いてでたような恨めしい声はすぐ真後ろからした。大きくびくついて距離を取ろうとしたが遅い。相手が一拍早く藤野の首に腕を回した。 あ、ヤバい。これはマジでヤバい。入った! ジタバタと抵抗してみるが、体格にしろ筋力にしろ相手が勝っているようで振りほどけない。「貴様ぁ、いつからあの前田女子と仲良くなってんだぁ?」「ちょ、まっ」「言い訳無用っ! 前田女子ファンクラブ会員番号第三七号の俺の前でイチャついた罪は万死に値するっ! しかも藤野の分際で!」 説明を求めたのはお前だろ――――っ!? 口を開いたら言い訳無用ってなんだそれ!? 声の正体は誰か知っている。藤野と同じクラスの、それなりに仲の良いオトモダチだ。柚のファンクラブの会員であるとは知らなかったが。それよりも本当に存在してたんだ。ファンクラブ。 キュッと首を締め付ける力が強くなる。完全に極まっているのに、タップをしても聞き入れてもらえず。必死に暴れる内にも藤野の意識はどんどんと遠くなって――――。 でも、周りから嫉妬されるくらい仲良く見えてたんだ。それだけは満足。 意識が落ちる瞬間、藤野は妙な冷静さでほくそ笑んだ。