「いや、だから、君、今日から生徒会長だから」 もう一度繰り返された言葉は、やはり最初聞いたものと同じだった。人間、呆気にとられるとうまく頭が回転しないもので、藤野はしばらく何を言えばいいのか分からなかったが、とりあえず率直に聞いてみる事にした。「えっと、何でですか?」「うむ。簡単に説明すると、生徒会長がいなくなったから」 あまりに簡単にされすぎた説明に、藤野はまた混乱した。どうしよう。ってかどうしてくれよう。俺は何だ。試されてるのか? 思考がループを始めると、校長の温和な笑顔が逆に恐ろしくなってくる。 とりあえず藤野は一年間培ってきた学校の記憶をフルに掘り起こして反論に出て見る。「何でですか、生徒会長はまだ任期が残っているでしょう?」 生徒会は毎年6月に選挙が行われるため、したがって任期も6月までだ。まだ4月の時点で生徒会長が不在というのはあり得ない。「それが急に会長の転校が決まってしまってね。急に席が空いてしまったんだよ」「いやいや、だったら副会長がやればいいじゃないですか」 至極真っ当な反論をしたつもりだが、校長は一切揺るがない。何なんだこの校長は。まるで銅像じゃないか。「おやおや忘れたのかい? 転校してしまう生徒会長は副生徒会長も兼任していたんだよ。だから代わりもいないんだよねぇ」「だったら書記とかがやればいいじゃないですか」「もっともなんだけどねぇ、でも書記にしろ会計にしろ、兼任させてしまうのは負担が大きすぎてね。だから新しく選任しようとなったんだよ」「だったら公募か何かして選挙してってのがフツーの流れでしょ? なんだっていきなり呼び出して指名なんてするんですか」 返す刀でスパスパと藤野は言い募る。「だってお金と時間がかかっちゃうじゃないか。ウチ、そんなに余裕ないんだ」 ここでさらりと変わらぬ笑顔でオトナの事情を持ちだすのか。このヒトは。 しかし藤野は諦めなかった。オトナの事情なんてコドモの自分からしたらオトナのエゴでしかない。「だからって何で俺なんか選ぶんですか、意味がわかりません!」 自慢ではないが、藤野自身、特徴がないのが特徴だと思っている程に目立ったものはない。学力も平均、運動能力も平均。学習態度もいたって普通である。まさにどこにでもいる普通の生徒でしかない。 すると校長はにこにこしたまま机にトランプカードを並べた。ざっとみて数十枚ある。「このカードは帰宅部、つまり部活に所属していない生徒の名前が入っていてね。で、一枚引いたら、君の名前が出たんだよ」 ………………。つまり、テキトーにカード引いたら俺の名前が出たから指名した、と。なめてるのかこのジジイは。そうか。そうなんだな。よっしゃ良い度胸だ。ってか、いいよね。ここは俺、キレていいところだよね。 流れたほんの数秒の沈黙の中で藤野は理性を弾き飛ばした。「ふざけてんじゃないですよ! 俺はイヤです! 大体たまたまカード引いたら俺の名前があったからなんて理由で生徒会長に指名なんてすんな! そんな横暴が通るわけないでしょ!」 荒げた声はそれなりの激しさを持って校長室内に響く。いや、響いたはずだった。藤野を不安にさせたのは、一切表情の変わらないにこにこ笑顔の校長だ。「通るも通らないも、僕、校長だもん」「意味わかんねぇ!」「じゃあ言い方を変えようか。この学校で一番偉いのは僕で、この学校において最高の絶対権力者だからだよ」 藤野は絶句した。 発言内容がどう考えてもトンデモな事も一つだが、いきなり校長の雰囲気がずしりと重たくなったためである。 なんだ。なんですか。いきなりヤクザに変身ですか。くそう。何でこんな人のよさそうな笑顔にプレッシャー感じてるんだ俺。 負けてなるものか。去年体験した、ちょっとしたトラウマになりかねない部活勧誘の嵐に屈しなかった精神力を滾らせ、藤野は抵抗を続ける。「一番の権力者だからって横暴が許されるはずないでしょ。俺はイヤです」「何を言ってるのかな。僕は言ったでしょう。君、今日から生徒会長だから、って。これ、決定事項だからね」 またまた飛び出た横暴発言に藤野は口を開けたまま何も言えなくなった。しかもなんで威圧感が増しやがりますか。「決定事項って俺の意思とかは!?」「関係ないんだよねぇ。校長命令ということで」「関係なくねぇって! っていうか、命令ってどんな職権乱用!? 教育委員会とかに訴えるぞ!? 人権侵害だ!」「あっはっはっはっは」 ここで初めて、校長は声を出して笑った。「訴えられるものなら訴えてみなさい」 何だろう。何でこの温和な笑顔なのに深遠の闇を彷彿とさせるドス黒い凄みがあるんだろう。なんでひしひしとそれを感じるんだろう。アレだ、肌が痛ぇ。 背中にじんわりと脂汗を感じながら、藤野はどうにかして生徒会長を断る理由を探し出すが、今度は校長の方が先手を取ってきた。「でも、そこまで言われたら仕方ないねぇ。本当はこんな手を使いたくなかったけど」 と、もったいぶって懐から出したのは数枚の写真と一枚のUSBだった。 ちらりと見せられただけで藤野の顔はまともに引きつった。背中の脂汗が悪寒へと切り替わる。「ここには男子高校生の恥じらいとか恥じらいとか恥じらいとかが詰まったある意味のメモリースティックです。僕はこのデータを僕と分からないようにバラ撒く方法も知っています」 何でいきなり敬語になるんですか、と言った突っ込みは頭に刹那だけ浮かんで末梢された。藤野にとってはどうでもいい。今、目の前にちらつかされている恐怖の物体の存在の方が重要だ。 下手をすれば高校生活、いやこれからの自分の人生に終止符を打たれかねないものである。「な、なんだってそんなモノを!?」 動揺しているせいでうわずっている声を聞いた校長は、ギリギリ見える部分で黒い表情を見せながらキッパリと言い切った。「だって、僕校長だもん」 そこですか。そこでそうきますか。経緯とか説明とか一切なしですか。「で、どうするのかな?」 やはり笑顔で問いかけられるものの、押しつけられた選択肢は一つしかない。「せ、生徒会長任命の件、謹んでお受けイタシマス……」 もはや藤野に抗うだけの力は残されていなかった。「そうか、それは嬉しいことだ。あ、ちなみに、ちゃんと今のセリフは録音させてもらったから。このUSBレコーダーで」 さりげなく出されたレコーダーに、藤野は今度こそ膝をつく。USBレコーダーで録音して証拠作りなんて、どこの刑事ドラマな展開だよ。くそう。ホントになにものだこの校長は。 自身の理不尽さを脅迫でねじ伏せ、屈した所をすかさず証拠にとる。ここまでされて、屈しない精神力の持ち主など、高校生ではまずいない。 校長から挨拶回りは明日の昼にして、生徒会長の心得なる書類を熟読しておくようにとのお達しを受けて、藤野はがっくりと肩を落としたまま退室した。「ってゆーか、生徒会長って何すんの、いったい」 トボトボと廊下を歩きながら、藤野は渡されたばかりの書類を見た。 生徒会やら委員会やらとは全く縁がなかった藤野は何をするのか知らない。だからこそ、生徒会関係への挨拶を後回しにしたのだろう。事前知識を与えるというフォローを入れたのだ。考えれば考えるほど校長という人物は恐ろしくなってくる。あの笑顔の裏に一体何を隠してやがる。 藤野が所属している高校は工業科、進学科、一般科、体育科とクラスが分かれており、生徒会運営陣は一般科から選出される。従って、藤野も一般科である。そのため、生徒会長は、学祭や体育祭の企画、運営、準備を始め、部活の予算の決算、課外活動やボランティア活動の企画や運営補助、HR等における連絡調整、愛好会から部活への承認……などなどの基本的な業務に加え、各科との折衝も受けなければならないようだ。この折衝が大変らしい。 どう大変なのか、藤野はイマイチピンとこなかった。 各科は校舎自体が分かれており、お互いに干渉しあう事は少ない。部活に参加していればまた別だろうが、部活はおろか、イベントにも積極的に参加しない藤野は他科との関わりは皆無であり、各科の折り合いなどは全く知らない。 事前知識として調査が必要かな、と思いながら資料の中の運営予定表を見て愕然とした。 部活動及び学園祭における各科予算決議「明日じゃんコレ!」 どうやら、いきなり折衝をやらなければならないらしい。なんてことだ。 頭を抱えながら藤野は帰宅し、とりあえずトモダチと呼べる知り合いに情報を求めたが、彼らも藤野と同じく帰宅部のため、それらしい情報は得られなかった。 悩みに悩んだせいで寝不足となった翌日、昼休み中に何とか顧問と生徒会面々に挨拶を済ませた。生徒会長交代はまだ公になっておらず、近々行われる全校集会の時にお披露目される、という事も決まった。 なんだかどんどん世界が変わっていくんですケド。 戸惑いを覚えながらも何とか順応しようと諦めた藤野は、まともに情報収集できないまま放課後の会議に挑むこととなった。「それでは、予算決議を始めたいと思います」 会議前に軽く生徒会長交代した事と、全校集会で発表するからそれまでは内密にする事を伝えてから、藤野は渡された原稿を棒読みした。 この予算決議は、タイトルの通り部活や学園祭などに使用される予算の割合の決定だ。基本的に学校が要望に沿って予算を設定してくれるが、もちろん限界があり、要望通りにはまず下りない。そのため、決議によって必要予算を協議して、各科ともに要望に近い予算を勝ち取ろうというのだ。 ここで面白いのは、各科の部活所属が見事に住み分けしている事だ。 進学系は文系、体育会系は運動系、工業科は軽音部やロボティクス、機械工作など。一般科だけは関係なく所属しているが、放送や吹奏楽、新聞部などの専門部が多い。 そういう訳で、一般科を除く各科の委員長が、科に所属している各部活の予算要望を取りまとめて予算要望を提出するシステムが出来上がっている。 このシステムが出来上がってから、決議に参加する人数は極端に少なくて済み、時間も大幅に短縮しているらしい。 今回も参加メンバーは生徒会面々と、各科の委員長と取り巻きだろう数人の委員だけであり、小さい会議室で済んでいる。 「ではまず、前年度予算の使用状況から纏めていきます」 どうかまともに早く終わりますように。 藤野は願いながら、会計が纏めてくれた書類を読み上げ始めた。