ひたすらもがいて溺れていると、頭の中にシークレットノートが唐突に思い浮かんだ。
シークレットノートはひとりでにページを開き、声と共に二ページ目に文字が記されていく。俺の知らない言葉と文字だけど、何故か意味は理解できた。
『テステス。リキ、聞こえていますか? 聞こえていたら、全体チャットで書きこみってやってください。あ、ライバール語でね。わかりますか?』
ライバール語ってなんだ? そう思うと、ライバール言語を「思い出す」。何故か、なんで忘れていたのか不思議に思うほど、俺はライバール語についてよく知っていた。
全体チャットで書きこむ方法は、と考えると、これも頭に思い浮かぶ。
「ツトム、どうすればいいんだ? わけがわからない」
とりあえず息が出来る事に気づいて俺はもがくのをやめたが、途方に暮れていた。
赤ん坊状態からスタートって言われても困る。産まれてすらないじゃんか。
『今から説明します。まず、目の前の鏡を見つめて下さい。自分の姿が映っているでしょう? 最初より少し成長していますね?』
俺が鏡を見ると、微妙に成長した赤ん坊が浮かんでいた。少しずつ、少しずつ大きくなっていく。
「ああ、そういえば、少し大きくなってきた気がする」
『では、自分に混ぜられた種族を思い出して下さい。仕様確認と念じるだけでも構いません』
「うん」
俺が仕様確認と念じると、俺を含めた十人程の人間……亜人も含めた……の姿が浮かび上がってくる。そして、それぞれの人の特徴や種族特徴が出ていた。
『それをメモ機能ページに縮小して丸々コピーして、5-3、5-4とメッセージ機能に記す』
「メモ機能ページに縮小して丸々コピー? とにかく、書き写せばいいんだな?」
難しい作業だったが、なんとか俺はシークレットノートに書きこんだ。
メッセージ機能の5-3、5-4の部分の文字の色が変わり、俺がそれに注意を向けると、俺のメモ機能ページが浮かび上がる。そういえば、ページを見る事ができると言っていたな。
『はい、良く出来ました。そして、今から急いで成長のプランニングを考えます。時間がないから急ぎますよ。まず、リキ、貴方には前衛を頼みたいと思っています。要するに戦士です。これは承諾してもらえますか? ちなみに私は後衛、魔法使いです』
「戦士? 魔法使い?」
『戦士とは、リキが良くやる喧嘩のようなものです。魔術師は、呪文を覚えて、その呪文を放つ職ですね。リキが受かったのは戦闘力テストだけですし、希望職を戦士で届けてあります。戦士が良いと思います。何職になりたいか、というアンケートはあっても何職があるという情報はなかったので、その職がある事を信じるしかないのですが。まあ、戦士職と魔術師職はあるでしょう。いくらなんでも』
頭脳テスト。このゲーム、いくらなんでも敷居が高すぎるんじゃねぇか? そう思いながら、俺は喧嘩のような物と聞いてほっとしていた。それなら得意だ。
「ああ、わかった」
『承諾してもらって良かったです。では、メッセージ機能で強化するべき種族の血とその割合を送るので、その通りに成長させて下さい。念じればその通りになりますから。無論、リキが鏡を見ながら途中でこういう風に育てたい、というのがあったらそのようにしても構いませんよ』
俺はメッセージ機能から送られたデータを見た。
獣人、竜人、俺の順で割合が大きい。俺はとにかくその割合を念じる。
すると、俺は凄いスピードで成長を始めた。毛がどんどん生えて来て、俺は獣っぽくなっていく。あ、割合ってこういう事か。
『リキー。貴方を信じて、魔法職特化で作ってもいいですかー?』
「好きなようにしろよ。ゲームなんだし」
『それもそうですね。これは初めてのホムンクルスですし、何職があるかもわかりませんしね。一回目は失敗前提で考えますか。じゃあ、次はグループチャットの練習でも……』
『あの、俺の成長割合も相談に乗ってもらっていいか?』
横から見知らぬ人間のチャットが入る。IDは三。
『僕も、ゲームはあまりやった事がなくて……』
ID七。そうだよな、不安に思うよな、この仕様。俺は兄貴がいたから良かったが、一人なら途方に暮れていた。というより、ずっと水の中でもがいていたと思う。
『僕もこのゲームは初めてですが、それでよければいいですよ。僕の名はツトムです。まず、アンケートでは何職を書きました? 知られたくなければメッセージ機能でどうぞ』
それを皮切りに、俺達以外でも全体チャットを使い始めた。
『テステス』
『キャラ名ガストンです、皆さんよろしく』
『日本語ー』
『ライバール語―』
『教会は真名を見破る呪文を持っている上に、偽名を使えばとことん怪しまれますよ。名前は同じ方が無難です』
『え、え? そんな情報公式サイトのどこにも……あ、思い出した思い出した』
『ツトムさん、初めてなのに凄い……。関係者か何かですか?』
『簡単ですよ、初めに全部思い出すを選択しただけです』
『全部思い出す……うわ、情報量凄っやっぱりツトムさん、凄い』
会話がはずんでいる間に、俺は成長する事に精神を集中させた。
どうにかこうにか成長し終わり、さて次はどうするか、と思うと水が引いていく。
「ごぼっごほっごほっ」
液体の中での呼吸から、気体の中での呼吸に移る時、俺はひとしきり咳込んだ。
ぶるりと体を震わせて、自分の体を鏡で見つめる。
刺々しさ、禍々しさ、力強さを持ちつつも、いかにも細くてかよわそうな翼。毛で覆われた体。犬と竜の混じったような顔。でも、体格だけは俺と同じ。軽く体操をしてみると、体はギシギシいいながら、それでも徐々に言う事を聞いてくれた。
辺りを見回すと、そこは小部屋で、ライバール語で数字が書かれている五つのカプセルとその前の五つの鏡、鏡の横に同じくライバール語で数字が書かれている五つの箱、カプセルの横にベッドがあった。他に部屋にあったのは、テーブルとイス、棚くらいか。俺が入っていたカプセルは一番だ。
五つの箱を開けると、それぞれに同じ鞄があった。鞄の中身は全て同じ、野宿道具などが入った物だった。
ここから一つ貰って行っていいのだろうか。いいんだよな、俺は戸惑いながら鞄を一つ取ってドアから出る。
俺がドアから出ると、白髪に長髭の老人が笑顔で驚きと喜びを込めて言った。
「……成功した! 成功したぞ! ようこそ勇者達! さあさあ、こちらへおいで。わしは勇者様の父のマルゴーじゃ。父さん、もしくはマルゴー爺と呼ぶが良い。さあ、名前をいうてご覧」
まるで物語に出てくる魔法使いのような人だな。
ローブ姿が似合っている。とてもフレンドリーで、好々爺のおじいさんだ。
「リキ……」
「リキ! 良い名じゃ! さあ、こちらへ来るが良い。三着だけ服を配布する事になっておる」
俺はマルゴー爺の方に向かいながら、周囲を見回した。
どことなく、研究所のカプセルの置かれてあった階に作りが似ている。
いくつものドアがあって、あれが恐らく俺達の小部屋。その前に人数分の机と椅子があって、小部屋の向かい側には井戸と共用スペースらしきいくつかの部屋。服屋、装備屋、道具屋、食堂と書かれていた。
俺は服屋と書かれた方へと連れていかれる。なんだかみすぼらしくて変わり映えのしない服の山から、マルゴー爺が俺の体に合わせて二揃い選んでくれた。きちんと翼を通す隙間もある。それにマント。
そして、マルゴー爺は奥の方へ行く。奥の方には様々な仕立ての、しかし見るからに素材の生地が立派な服があり、そこからも俺に一揃い選んでくれた。
民族衣装だろうか? 思い出そうとすると、竜人族の服である事が分かった。
その後、俺は井戸で体を洗い、服を着た。
そこまで行くと、次々と部屋からプレイヤーたちが出てくる。
プレイヤー達は様々な姿をしていた。
竜、獣人、エルフ、人。そしてそれらが混じり合った生き物。
それらの生き物が、何も持っていなかったり、全ての鞄を引きずっていたり、鞄で股間を隠していたり、思い思いの姿で現れた。
「リキ。リキはどこですか?」
鞄を堂々と背に担ぎ、全裸のエルフが周囲を見回していた。どことなく兄貴の面影のある、目が竜っぽくて肌にうっすらと鱗が生えているエルフだ。全裸なのに威風堂々としているその様子で、すぐに兄貴だとわかった。
「ここだ、兄貴」
俺は手をあげる。
「ああ、翼を成長させることにしたんですね、リキ。しかし、その翼で飛べるものでしょうか?」
兄貴の言葉に、俺は口をとがらせる。
「俺はただ兄貴の言う通りの割合にしただけだよ」
「それもそうですね。すみませんでした。次からは、翼特化か、翼を完全になくしてしまうかは考えた方がいいですよ」
「わかった」
わかったと言いつつも、そういう微妙な調整は俺には分からない。複数の生き物を混ぜつつも調和を保っている兄貴が羨ましかった。なんだよ、教えれくれるって言った癖に。
「ようこそ、ようこそ、勇者達。わしはお主らの父じゃ。父さん、もしくはマルゴー爺と呼ぶが良いぞ。さあさ、並びなさい。服を選んでしんぜよう。鞄を持っていない者は持っておいで。そこに服を入れると良かろう」
プレイヤーがなんとなく列をなし、順番に服を身立ててもらう。兄貴は最後だった。
兄貴は薄い緑の服、俺が薄い茶色の服。
皆似たり寄ったりで、その装備に不満そうだった。全員が体を洗い、服を着ると、マルゴー爺は声を張り上げた。
「さあさあ、次は装備じゃ。どんな装備が良い? 武器はナイフが一つ、自由に選ぶ武器が一つずつ配られる事になっておる」
次に向かったのは装備屋という部屋。
ナイフが奥の壁に一列にずらりと並んでいて、左の壁に色んな武器、右の壁に鎧が陳列してあった。
「俺は棍が良いな。鉄パイプみたいだし。ナイフはこの大振りの物が良い」
「そうですね、僕は……あつっ」
兄貴はナイフに手を伸ばして引っこめた。
「指を切ってしまいました」
血が滲み、兄貴は指を咥えて血が止まるのをじっと待つ。
それに、なんでか皆が動揺する。
「おい……ここまでリアルって、やっぱり……」
「HPとかステータスとか、何それって感じだもんなぁ」
ぼそぼそと話しあう声。何が不安なんだか、俺にはさっぱりわからない。
「おいおい。大丈夫かよ、兄貴」
怪我の心配もそうだが、この空気が何か怪しい。俺の知らない事で重大な事があるんじゃないか?
「そうですね、この調子だと味方には攻撃が当たらないとかありえなそうなので、弓矢はやめて置きましょう。例えゲームでも、間違えてリキに当たったら立ち直れません。ここは大人しく短剣にしておきます」
兄貴は俺の大振りのナイフより少し大きくなった程度の短剣と、隠しもてるくらい小さなナイフを受け取った。
「杖じゃなくていいのか?」
「武器はいずれまた買う事が出来ます。まだ魔法使いじゃないですし、魔法使いになれても初期呪文がないみたいなんですよ。チュートリアルでどうにかなるなら良いですが……そうでなくば、呪文を手に入れるまで、無力になってしまいます。だから杖じゃなくて、短剣なんです」
それを聞いて、杖に手を伸ばしていた幾人かが手を引っ込める。
「マルゴー爺さん、魔法はチュートリアルで手に入らないのか?」
混じり気なしのエルフが爺さんに聞いた。すると、マルゴー爺は首を傾げた。
「チュートリアルとはなんじゃ? 魔法は、入信してルビスタルを使えば使えるようになるぞ。ルビスタルは、魔物を倒すと手に入る。安心するが良い、この近くは結界が張ってあって無人だからの、強い魔物は入れんし狩る者はおらんしで弱い魔物がいーっぱいおるんじゃ。ちなみに、いくら弱い魔物と言えど、何度も殴れば杖は折れるぞ。杖が欲しければ、ルビスタルは他の者に取ってもらうんじゃのぅ」
それを聞いて、エルフが短剣を取った。他の者もそれに続く。
「兄貴、ルビスタルが欲しければ俺が取るけど?」
「魔物を倒すと、他に貢献度が手に入ります。それは経験値のようなもので、個人にしか入らないのですよ」
「ツトムさん、凄い……。経験者みたい」
竜人がキラキラした瞳で言う。それに兄貴は微笑んだ。
「いやぁ。公式サイトは繰り返し見ましたし、全て思い出すをなんども使いましたし。努力でどうにかなるものですよ」
そこで、マルゴー爺が声を張り上げる。
「さあ、次は鎧じゃ」
これは、全ての鎧が似たような物なので、サイズを合わせるだけで終わった。
鎧を着るってなんか面白いな。ちょっと動きにくいけど、ゲームって感じだ。
「次に道具じゃ。特別に、パワーポーションとマジックポーションを一瓶ずつ渡してしんぜよう。高級なものじゃから、大事に使うんじゃぞ。これはすぐ出せるよう、腰に下げて置くが良い。他の旅に必要な道具は全て鞄に入れておいた」
クッションの入った袋に、試験官のような物に入った赤と青の液体。それを俺は腰にぶら下げた。
「さあ、最後じゃ。それぞれの種族に合った食料を用意してしんぜよう。混ざり物の種族が多いから限界はあるがの。その間、料理を食べるが良い。生まれたばかりじゃから、よく噛んで慎重に食べるんじゃぞ」
マルゴー爺が食堂の奥に消える。食堂には様々な料理が用意してあり、俺達は歓声を上げた。見た事もない料理ばかりだ。特に肉に強い食欲を感じた。
俺は一つ一つじっくりと味見していく。食い散らかすもの、ひたすら同じ料理を食べる者、俺と同じくいろんな料理を食べる者、様々だったが、高校生男子に相応しく、食べない者は一人もいなかった。
食べている最中に、マルゴー爺が食堂からよたよたと荷物を運び、俺達に渡して行く。
ちょうど全員が食べ終わった頃、配布が終わった。
マルゴー爺は腰に手を当てて、俺達を見回した。
「息をした、歩いた、水浴びをした、食事を食べた。全て問題ないようじゃの。さあ、いよいよ入信するのじゃ。信じる神を決めたら、わしが洗礼をしてしんぜよう。その後は魔物を退治するのじゃ。一週間を限度に、満足いくまで戦えるようになったら出立じゃ。ただし、必ず一週間したら戻ってくるんじゃぞ。道具箱には反対側に傾けようとも、一方向に砂が落ち続ける特殊な砂時計が入っておる。それの砂が全て落ちるまでに戻るのじゃ。出ないと、向こうの体が持たん。まあ、砂が落ちると同時に自動で自室に転送されるんじゃがのぅ」
「は……?」
今、体が持たないと行っただろうか。
あれ? もしかして俺ら、騙されてるんじゃね?
やっぱりこれは研究所の実験か何かなのだろうか。