「あ、あれが、模魔コピー!?」
破れた空から巨大な顔をのぞかせるソレに、足が勝手に後ずさりをしてしまう。
体躯こそホバーと同じくらいだが、その形状がまた……なんと言ったらいいものか。
端的に言えば、虫だ。それも、よく見慣れた虫――カブトムシの形をしていた。
とは言え、仮面のハチドリやモノアイの鮫のように、そのままの姿をしているわけではない。
鈍色の鎧のような分厚い外骨格に、四本の脚。次いで四又の長い頭角に、突出した四つの複眼。
そして、悠々たる動きで広げられる四枚の鞘翅。
うげぇ……。いささかになんてモンじゃねェな。めちゃくちゃに気味が悪ィ。
コピーは下手くそな飛び方で、(むしろただの滑空かも)音も無く近場の屋根へ降り立つと、四つの目をせわしなくキョロキョロと動かした。
「なに、してやがんだ?」
「……誰を食べようかって吟味してるんじゃないの」
た、食べるって。
「笑えん冗談だぞ」
「あら。冗談かどうかは、身をもって確かめてみればいいわ。少なくとも笑えるとは思うけれども」
あたしにとってはね、と言い足してシャドーの指輪に口づけをするシャオメイ。
「あっ、テメェ逃げるつもりか!」
「当然でしょ? 霊鳴も霊獣も無しで、どーやってあいつと戦えってーのよ。第一、このあたしがわざわざ出張る必要なんて無いの。集束状態の猫憑きがいるんだから、あんな低ランクの模魔なんてちょちょいのちょいでしょ」
あんな低ランクのって――ジュゲムさんは名前だけじゃなくてランクまで知ってるのか。
「まぁね。たしかランクBだったハズよ」
それだけ言うと、ひらひらと手を振って闇の中に消えていくシャオ。
「ランクBが低ランクだとォ!? って、どこに行きやがった」
辺りを見回すと、意外にもすぐにそいつは見つかった。
右前方、建設中の超高層ビルの屋上――クレーンの先端に、さも自分は無関係な観客だと言わんばかりの態度で座っている。
つまりは、横柄なあぐらってヤツだ。
「くそったれが……」
大体、ランクAの模魔を持ってるクセに戦えないなんて絶対ウソだろ。
紗華夢の力でシャドーを捕まえたように、コピーもサクッと捕まえてくれりゃあいいのに。
そう俺がジーッと睨みつけていると、急に耳元に息がかかる。
「ひゃうっ!?」
振り向くと、ニヤリと唇をひん曲げたシャオの口がそこにあった。
なんだ、口だけシャドーを使って移動させたのか……。
相も変わらず何でもアリな模魔だな。
「きゃは。情けない声出しちゃって、ダッサー」
「うるせェな……。尻尾巻いて逃げ出したヤツが何の用だよ」
「あら、尻尾は巻いてないわよ。縮めただけだし。でもさ、コレ体の中に全部入らないからちょっと不便なのよね。二十センチぐらいは出ちゃうから、下着にいちいち穴を開けなきゃなんないのよ」
「そういう意味じゃねーよ。というか、そんな使いどころの無い尻尾ウンチクなんざどうでもいい。用があるなら、それをさっさと言ってくれ」
「ハイハイ。あれよ、ザコ虫のクセに目が良いなって感心してサ。よくあたしのことすぐに見つけられたわね?」
「そりゃあ……存在感のあるマントがバサバサ風になびいてりゃ、すぐに気付くって」
ふうん、と意味ありげにそいつは唇を尖らせると、
「ま、いいわ。見つけたご褒美に、一つだけ面白いことを教えてあげる」
「面白いことォ?」
「ふふっ……。模魔コピーはね、『脱皮』するの。そうなったら厄介なことになるわ。ま、あんたに出来ることと言えば、脱皮前に猫憑きが倒してくれるようお祈りするくらいしかないわね」
そう言い残すと、裂け目は跡形も無く消えてしまう。
脱皮。それは動物が成長の過程で皮を脱ぎさる行為。文字通りの意味だ。
未だに獲物を探している様子の節足動物を見ながら、あの重装甲の中に何が隠されているのだろうと考える。
「脱皮が厄介ねェ……」
ヘビやらクモの脱皮を思い出してみるが、やったところで姿自体はあんまし変わらないように思えるが。
つーか、戦闘中に脱皮なんてモンをしちまったら、体が軟化して不利になるんじゃないのか、という疑問が出てくる。
ううむ。模魔の場合は例外とか?
まぁ、考えたところで答えは見つかるはずも無いワケで……ともかく、この情報はチビ助に伝えておいたほうが良さそうだな。
俺は、無表情のままコピーを見上げているチビ助に向かって、
「ゆりな、シャオ曰くコピーは『脱皮』をするらしい。本当かどうかは分からないが、そうなっちまったら面倒なことになる! だから早めにケリをつけなきゃならねェ」
「うん……わかった」
やがて標的を見つけたのだろうか、コピーの複眼がいっせいにチビ助の方へ向いた。
「来るぞ!」
やにわに飛び上がったかと思うと、急速で滑空。
そしてチビ助の眼前へ降り立つと同時に、両前脚を振り下ろすコピー。
バッテンの軌道を描いたそれだったが、紙一重で避けられる。
……凄まじい跳躍によって。
グングンと空を駆け上がるチビ助に俺は唖然とするしかなかった。
「うっへぇ、なんてデタラメなジャンプ力……。集束状態だからあんなに高く跳べるのか?」
そう呟いたとき背後から、
「否定。あのジャンプ力はお姉ちゃまの能力なんです。パパさんがコロナの羽で飛べてるように、お姉ちゃまと契約すると特典として凄いジャンプ力が手に入るのです」
「はぁ。なるほどねぇ、霊獣ごとに色んな付加能力があるってワケね。いささかに凝ってらっしゃる……って、コロ美!?」
振り向くと、そこにはペリドットカラーのストレートロングという髪型の眠そうな幼女――チビチビ助が浮かんでいた。
そいつはパジャマ姿のまま、タッパーに詰められたすき焼きを、モグモグごっくんと美味しそうにほお張っていた。
何故ここにいるんだとか、もう石風邪は良くなったのかとか、色々訊きたいことはあったのだけれども。
まぁ、とりあず。
「行儀悪ィぞ、コルァ」
高速のフロストチョップをド頭にぶち込んでおく。
当然油断していただろうチビチビ助は、シラタキをすすってる途中だった為、「ふぐぅなんです!」というトンチキな鳴き声と一緒にそれらを吹き出した。
「けほっけほっ。パパさん、ひどいんですっ。コロナは病み上がりなのです、もっと優しいチョップにして欲しいんです」
「言ったじゃんか。治ったら厳しくするから覚悟しとけってさ。そんだけ元気があるんだから、もう優しさレベル下げていいだろ」
「やだっ、まだ治ってないんです。下げちゃヤなのです!」
「はーい、今下げましたァ。もう無理でーす、一旦下げたら一週間は上がりませェん」
そう言って、口角から垂れ下がってるシラタキを強引に口の中へ押し込んでやる。
コロ美は俺に抗議の視線を送りながら、それを頑張って咀嚼して、
「……それにしても、パパさんもお元気そうで良かったのです。一つだけでもビックリなのに、大きい気配が二つも同じところに出たので、急いで飛んで来たんです」
「気配――ああ、確か気配察知だっけか。でもそれって、おおよそしか出来ないんじゃなかったか?」
「肯定。でも、どっちも出してる魔力波が凄すぎるんです。あそこまで膨大だと、むしろ気付いてくれって言ってるようなものなのです」
コロ美の話をまとめると、こうだ。
一つ目の巨大な気配にびっくりしたコロナはすき焼きを持ってきたゆりなに気配のこと、ついでに俺とクロエが居ないことを伝えた。
それは大変、もしかしたら何か事件に巻き込まれたのかもしれないと、霊冥を呼んで俺たちを探しに出るゆりな。
見送ったあと、すき焼きを一人で食べてると、まさかの二つ目が出現。
これも強大で、さすがに旧魔法少女さんだけじゃ心配だと自分も慌ててベランダから飛び降りた、と。
一刻も早く魔力を回復させるために、すき焼きが入ったタッパーを大事に抱えて――
「魔力が無くちゃパパさんがピンチのとき助けられないんです。変身も出来ないですし……だから大目に見て欲しいんです。普通のときはちゃんとお行儀良く食べるのです」
言って、大急ぎで豆腐を口の中へと詰め込むコロナ。
「むぐっ!?」
「お、おい大丈夫かよ」
チビっこい体して、あんなデカイ豆腐を丸々飲み込もうなんざ、無理に決まっている。
咳き込んだチビチビの背中をさすりながら、俺は気付かれないように小さくため息をついた。
こんなに寒い中。こんなに冷え切ったすき焼きを。こんなに急がせて。
なぁにが、「もうムチャはさせねェ」だよ。さっそくムチャさせてるじゃねぇか……。
「パパさん、ありがとなんです。背中さすさすのおかげで豆腐さんをやっつけることに無事成功したのです」
「そ、そうか。急がなくていいからな……。良く噛んで、味わって食べな」
「肯定なんです。そういえば、気配の一つがコピーということは見れば分かるんですが、もう一つの凄い魔力波を出してる模魔はどこにいるんです?」
おそらく最後の楽しみに取っておいたのであろう、パイナップルの一切れを口に放り投げてそんなことを訊ねるコロ美。
そうか、デカイ気配は読み取れても正体までは分からないんだったな……。
「ああ、もう一つの気配の正体はシャオだ。あそこに座ってるヤツだぜ。あいつは模魔じゃなくて――」
と、言ってクレーン先に座っているであろう黒マントを指さそうとするが、
「!?」
いきなり足元へと突き刺さった瓦の数々に、二人同時に固まる。
その瓦の雨は止むことを知らず、弧を描いてどんどこ飛んできやがる。
「あぶねぇあぶねぇ……。コピーめ、ヤケクソになってんな」
様々な家の屋根を渡り歩いては、未だに上昇を続けているゆりなに、前脚で剥がした瓦をぶん投げるという攻撃をしているコピー。
実は数分前からこんな調子だった。
だから、(一応チラチラ気にはしていたが)コロナと話せる余裕があったのだ。
しかしながら……駄々っ子のように瓦を投げまくるあいつを見るに、そんな悠長な時間はいささかにも――
「クッ……! らいらい、プラズマドーム!」
チビ助による突然の呪文に、ビクッと顔をあげた……その時だった。
俺の顔面、数センチ先で何かが飛散していき、そして同時に爆竹のような破裂音が聞こえた。
「こ、これは?」
俺とコロナの周りを覆うように形成された、小さな半球型の光るカゴ。
藍色の光と限りなく黒に近い紫光が網目状に交錯しており、その交錯した部分から時々小さな火花が発生している。
独特のスパーク音から察するに、おそらくこれはゆりなの出した雷防壁だろうな。プラズマドームとか呪文唱えてたし。
にしても、合間合間から見える星空も手伝ってか、凄まじく幻想的で綺麗な防壁だ。
「ふぁあ。まるでコロナたちメロンパンの具にされたみたいなんです」
「お前さんはこれがメロンパンに見えるのか。確かにそんな模様と形だけれども。つーかメロンパンって具が入ってない気がするぞ」
「とっても、とっても、不思議ちゃんなのです」
それは、この雷防壁自体のことを言ってるのか、それともメロンパンに具が入ってないことを言ってるのか。
ま、どっちも不思議だけれども。
そう俺たちが、ボケらっと防壁を眺めていると、
「ねぇ、キミさぁ。誰かを傷つけようとするってことはねぇ……」
網目の間から見えるチビ助が、ボソっと呟き、杖の持っていない方の握り拳をゆっくりとコチラに向けて突き出した。
ん、ちょっと待てよ。あんなに遠くに居るのに、なんで声がハッキリ聞こえてくるんだ?
しかも、ちゃんとボソっと出した感じが分かったぞ。
「魔力を持つ者同士なら、どんなに遠くにいても無線のように声をキャッチすることが出来るのです」
「へえ、そうなのか。いちいち近寄らなくても作戦を立てられるってワケね。便利なこった。それはともかくとして……チビ助のヤツ、一体何をする気なんでェい?」
「うーん。目が光って尾を引いてるということは、集束をしてるってことなんです。とすれば、きっとまたとんでもない魔法を出すつもりかもなんです」
やっぱり、それしか考えられないよなぁ。
低速だがまだまだ上昇をやめないゆりなの目から放たれる藍色の光。
残光として夜を美しく彩るそれに、俺は不安を隠せない。
はたして、チビ助の突き出した拳がクルリと回りだす。そして、それがピッタリ百八十度ほど半回転したときだ。
「自分もね――自分も、傷つく時が来るってことなんだよ……ッ!」
叫んだと同時に、集束の光が一気に倍増し、真っ逆さまに落ちるゆりな。
そのままの格好で、そいつは握り拳を開いたかと思うと、
「反転ッ! らいらい、プラズマァア、ドォォオムゥウ……」
地響きと共に、俺たちを覆っていた雷防壁がメキメキと音を立てて裏返っていく。
次に、俺たちの足元に突き刺さっていた瓦や、さっき飛散していった何かの細かい欠片などが、裏返った防壁の中央へと、一斉に集まる。
「わ、わわ。ぱ、パパさん!? 恐いんですっ」
俺だって何が起こるか分からないし、いささかに恐いさ。
でもよ、あいつはあのドがつく程の優しいゆりなだぞ。俺たちに危害を加えるハズが無いだろ。
胸に飛び込んで来たチビチビの背中をぽんぽん叩きながら、
「落ち着けって。大丈夫、ジッとしてれば安全だ……。ゆりなを信じろ!」
「こ、肯定、なんですぅ……」
コロナが涙目で答えたと、ほぼ同時に、
「リフレクション!」
と、呪文を唱え終えるゆりな。
その声に呼応するかのように、中心部に溜まった無数の瓦や塵がコピーへと向かっていく。
もちろんそのままの形で向かうのではなく、それぞれ凄まじい電気を身に纏っているワケだが――
「これが『プラズマドーム・リフレクション』か……。瓦礫も何も、全部まとめて反射したってことかィ」
リフレクション、確かこれは反射って意味だったハズだ。
中学一年生の頃、英語の成績が二だった俺でも分かるぞ。
まあ、漫画で得た知識なのだけれども。知識は知識さ。
しかしながら――直撃を食らったコピーの苦しそうな様相を見るに、ただの瓦礫によるダメージだけではなさそうだ。
纏っている雷の力も当然の如くあるとは思うが、あのプラズマドーム自体の魔力も加算されている気がするぜ。あくまでも当て推量だけれども。
「いやはや、なんとも。バリアという役割だけではなく、攻撃も兼ねているなんざ、なんともまあ便利っつうか、強力な魔法だねェ」
あの魔法一辺倒で大体の模魔は倒せるんじゃないのかね。
うーむ、羨ましい限りだぜ。俺の氷魔法でアレと似たようなの作れねぇかなぁ……。
なんて、そんなことを考えていると、
「パ、パパさん。旧魔法少女さんが落っこちてるんです!」
「えっ!?」
コロナの声に慌てて空を見上げると、なんとチビ助がドンドンと急速落下してしまっているではないか。
そういや、ドームの裏返し魔法を詠唱し始めたときから落ちているような……。
もしや、反転魔法を唱える際にジャンプの勢いを殺してしまったからか?
って。んなことよりも早く飛んで行って、チビ助を助けねーと!
「おい、チビチビ。変身して、ゆりなを拾いあげるぞ!」
「む、無理なんです。あんなに遠いところでは急いで変身しても間に合わないのですっ。コロナが元の姿だったら追いつくかもですが、戻るのにも時間がかかっちゃうですし……」
「チッ……!」
確かに距離が遠いし、それに最初にやったハイジャンプでいくらか高さに余裕があるとはいえ、あの落下スピードだ。
今から変身して飛んでいっても、十中八九間に合わないだろう。
でもよ――だからって、このまま見殺しになんてさせてたまるかってんでェい!
「つべこべ言ってねぇで変身すっぞ、コロ美。これはご主人様による直々の命令だ。否定つったら、お尻ぺんぺんの刑に処すっ」
「こ、肯定、」
チビチビが頷きかけたとき、
「しゃっちゃん、ありがとね。でも、ボクは大丈夫だよ……」
そんな優しげなゆりなの声が耳に入ってきたかと思うと、
「我は欲す、汝が纏う忌むべき力を。おいで、ホバー・ザ・ルヒエル!」
模魔の召喚を、それも完全召喚の呪文を唱えたではないか。
名前を呼んでキスをするだけでいいよ、なんてあの時言ってたのに――完全召喚の呪文を知っていたとは。
だったら初めからそう教えてくれりゃあいいのに。
頭の中がモヤモヤし始めたところで、
「旧魔法少女さんは、ネオンの召喚でたくさん練習をして、コツを掴んだのだと思うのです。詠唱を省略しても模魔が出るから大丈夫だって思って、それでパパさんにそう伝えたのかと」
「ネオンって、シャオが言うには俺が来る直前に捕まえた模魔のことだろ? 直前がどれくらいのことを言ってるのか分からんが、そんな短期間で詠唱カットをマスター出来るとは、いささかにも思えないのだけれども」
そう言うと、未だに俺の腕の中に居るコロ美はうーんと唸って、
「そういえばそうなのです……。でも、あの人の才能ならちょっとの時間でコツを掴めたのかもしれないんです」
「ふーん。才能、ねェ」
と、チビ助をちらりと見やる。
足裏から振りまかれている濃緑色の光の粒子のおかげか、落下せずに浮いている状態――いわば滞空モードとなっているゆりな。
おそらくアレは、背後に佇んでいる大人しそうな三つ編みメガネ少女、ホバー・ザ・ルヒエルの力によるものだろう。
しっかし。ホバーのヤツ、やけに顔色が悪いな。俺様の持っているピチピチ肌なハチマキ娘と比べるとまったくもって違うぞ。
ふうむ。いっちょ、コロ美に訊いてみるとするか。
「なあ、チビチビ。ホバーの顔がどうも青白いように思えるのだけれども。これって、やっぱし捕獲の仕方がマズかったからかねェ?」
捕獲方法。
それは、捕まえる対象の体力や魔力が残り少ない状態、もしくはそいつが魔法使いに服従を誓ったときに捕獲呪文を唱えることで成立する。
ダッシュはダメージを与えての捕獲という形ではなく、俺の力になりたいと言ってきたから捕獲呪文を唱えた。
対してホバーはといえば、圧倒的な魔力を持つゆりな――いや、『裏・集束状態の赤いゆりな』の放つ雷撃魔法によって一発で瞬殺され、そして捕獲となった。
というよりも。あの惨状を見るに、捕獲ではなく捕食と言ったほうが正しいのだろう。
今でもあのけったくそ悪い光景が頭に焼き付いているぜ……。
つーか、よくよく考えてみたら、捕獲する前にホバーは死んでいたハズじゃないのか?
顔色が悪いとはいえ、よく無事な姿で出てこられたな。
「いや――もしかしたら他にもおかしな点があるかもしれねェな」
と。もう一度、人間の姿のホバーを観察してみる。二つに分けた三つ編みおさげを夜風になびかせている儚げな半透明少女。
特徴的なところと言えばディープグリーンという髪色程度で、他はメガネくらいしかない。
メガネつっても普通のどこにでもあるメガネだからなぁ、なんともそれ以上言うことが見つからん。
てか、ゆりなと同じか少し上くらいに見える容姿のくせに、やけにキチンとした制服姿だな。
着こなしの問題かもしれないが、どうも固っ苦しいねぇ。長すぎるスカート丈をちょいと短くするだけでだいぶ垢抜けて見えると思うのだけれども。
俺の舐めるような視線に気付いたのか、ホバーはゆっくりとした動作でメガネをクイッとあげると、コチラへと顔を向けた。
その表情たるや……。明らかにヘンタイを見る目つきだった。
最大限の侮蔑を込めた冷ややかな琥珀色の双眸に耐え切れるハズもなく、すぐさま目を逸らし、
「コホン……」
小さな咳払いを一回だけしておく。
と、ともあれ。顔色以外のおかしな点は無さそうだな。
だとすれば。ホバーはダッシュやシャドーのように通常の模魔として機能するということなのだろうか。
「ふわぁ。なんだか難しいこといっぱい考えてるのです。パパさんって、テキトーさんな時とマジメさんな時の差が凄いんです。別人さんみたいなのですっ」
「おっとっと。それは褒め言葉として捉えて良いのかィ?」
「いささかに、なんです」
おいおい。いささかにの使い方、ちと間違ってねーか。
ま、俺も人のこと言えないケドさ。
「んで、それはともかくとして。恐縮だけれども、ホバーの顔色についてそろそろ回答のほどよろしく頼みますんで」
言うと、そいつは腕の中から飛び出して俺の頭上へとよじ登った。
「た、高い高いしてくれたら答えてあげないこともないんです」
突飛な発言に、少々面食らってしまう俺。
「……なんだァ? んなもんイヤに決まってんだろ。てめぇの羽があんだから、それでセルフ高い高いしろってんでェい」
「うーっ! 否定、否定っ! パパさんにしてもらいたいんですぅ!」
「おい、やめろって。人の触覚を引っ張んなっ」
猫つかみの要領でコロナをひっぺがし、眼前に持ってくると、
「うー、パパさぁん……」
涙目で懇願してきやがる。
急にどうしたんだよ、こいつ。
なんでこの場面でワガママを言い出すっつうか、甘えてくるんだ?
別にすんなり答えてもいい質問だろうよ。
「うーうー言っても、やりたくねぇモンはやりたくねぇの」
「じゃあ、じゃあ。良い子良い子って撫でて欲しいのです」
「……チビチビィ、いい加減にしろよな。この状況わかってんのかぁ? こう着状態とはいえ、チビ助とコピーはまだ戦ってんだぞ。いくらなんでも緊張感無さ過ぎだって」
戦ってる最中、いきなり俺がチビチビを高い高いし始めたらおかしいだろ……。
シャオメイのヤツになんて言われるか。それにクロエにも文句言われそうだ。ゆりなとの合体中で俺たちのことが見えるのか知らんが。
ま。一番の理由は、単純に面倒くせェからだけれども。
「肯定……なのです」
頑なに拒否する俺に、コロ美は諦めたようにため息をついて口を開いた。
「さっきパパさんが言っていた捕獲の仕方が問題じゃないんです。旧魔法少女さんがホバーを完全に『破壊』したのが問題なんです」
「んん。破壊ってのは、ホバーが死んだことを言ってるんだよな」
「うーん、まぁそういうことなのです」
奥歯に物が挟まったような言い方だな。
「模魔は丈夫に造られているので強い魔法を受けてもそうそう壊れないんです。それにホバーはランクもCと高いほうですし、自己治癒能力もあったハズなのです。でも、あの魔法はその治癒が発動する間もなく一瞬でホバーを……」
あの魔法――ヴォルティック・エンドのことか。
赤い満月のような巨大な雷球。
確かに、あんなバカげた魔法ではホバーと言えどひとたまりもないだろうな。
「あそこまで破壊してから捕獲しちゃうと、ちょっと困ったことになるんです。多分、それが顔色の悪さに繋がると思うのです」
「ちょっと困ったことって?」
コロナは少しだけ考える素振りを見せてから、
「模魔の召喚は、変身や、杖が無くても呪文を唱えて宝石にキスをするだけでいつでも発動出来るのが強みなんです。さらに言えば、パパさんの魔力がすっからかんでも、召喚可能なのです」
「ああー。ダッシュを召喚したとき、やけに気前がいい話だなって感心したっけか。俺の魔力が無くても出せるなんざ、本当に便利な指輪だねェ」
「どんなピンチも切り抜けることの出来る、さいきょーの切り札! と、言いたいところなんですが……指輪による召喚には弱点があるんです」
まあ。
そりゃあ、なんのデメリットも無しに使い放題ってぇのは、さすがに出来すぎた話だよな……。
「オーケイ。んで、その弱点っつーのは一体なんなんでィ」
「……乱用すると少しずつヒビが入ってきて、最後には消滅しちゃうんです」
「消滅だぁ!?」
思いがけない言葉に、俺はすぐさまダッシュリングへと視線を落とした。
「さ、さっき、チビ鮫にちょっとだけムチャさせちまったような……。大丈夫なのか?」
色んな角度から見てみるが、どうやらヒビどころか傷ひとつない新品状態だったようで。
「あっぶねぇ。やっぱ引っ込めておいて正解だったみてーだな」
ふぅっと、安堵の息をつきながら指輪を眺めていると、遊泳しているダッシュと目が合った。
俺に気付いたそいつは、一生懸命にバシャバシャ泳いでこちらへと向かってくる。
「これはこれは。元気そうで何よりってね」
なにげなしに鮫状態のそいつを指先でつついてみる。すると、俺の指に合わせるようにぴたりとヒレをくっつけてきた。
試しに指をひょいひょいっと動かしてみると、そのたびに様々な泳ぎ方でついてくるじゃねーか。
ははっ、おもしれぇヤツだなコイツ。なんか水族館の調教師にでもなった気分だぜ。
これを見世物にすりゃあ、いささかに金が稼げるかもな……なんて内心ニヤついてると、
「むーっ! パパさん、ダッシュと遊んでる場合じゃないんです。説明してる途中なのですっ」
むくれっつらのコロ美がヌッと顔を出してきたではないか。
「あ、ああ。わりィわりィ」
つーか、遊んでる場合じゃないって。高い高いしてくれとかダダをこねてたヤツの言うセリフじゃないような……。
「ともかくですね、破壊しての契約だとヒビが急激に入っちゃうんです。つまり、ホバーはいつ消滅してもおかしくないボロボロな状態になっちゃったんです。きっと顔色の悪さはそれかと。まあ、フツーに弱らせてから捕獲すれば、ヒビがあまり入ってない指輪になるのですが」
「つぅことは、捕獲するだけなら大ダメージ与えたほうがいいけれども、それだと契約してもあまり召喚出来なくなる――だから、なるべくダッシュのように円満解決しろってこと?」
「肯定なんです」
「肯定ですよね」
言うは易し、行うはなんとやら……。
こちとら死に物狂いなんだ、円満解決を試みている間に頭からザックリとやられちまうっての。
大体、成功例のダッシュについても、なんで俺を認めてくれたのか未だによくわかんねーし。
ともあれ、これでようやっと顔色について納得がいったぜ。
「いやはや。こう言っちゃあなんだけれども、死んだのにケロッと出てくるわ青ざめた顔をしてるわで、まるでホラー映画のゾンビみたいで気味がわりィよなあ。おまけに半透明だし、幽霊も混ざってらァ」
と。ケラケラ笑いながら冗談を言う俺に、
「そう、ですよね……。あの姿を見たら普通の人は気味が悪いと思うです。それが当然なのです。当たり前の反応なんです。わかって、いるのです……」
なぜだか寂しそうに呟くコロナ。
予想だにしない反応に首を傾げていたのも束の間。
そいつが泣く前兆――鼻をすすり始めたところで、
「ダメ! お願い、戻って……プラズマドームッ!」
ゆりなの声がしたかと思うと、裏返っていたままのプラズマドームが爆音とともに俺たちを覆っていく。
「…………?」
再び防御壁モードとなったドームを驚くままに見上げていたのだが――耳をつんざくような凄まじい破裂音に、ハッと気付いた。
そうだった、チビ助とコピーはまだ戦ってる最中だってーのに。いつまでもノンキに道のど真ん中で喋ってる場合じゃねぇだろ!
舞っていた砂ぼこりが晴れていくと、その先には分厚い鎧をガチャガチャと鳴らすカブト虫――コピーの姿があった。
あれだけリフレクションの雷撃を喰らったにも関わらず、四つの黒い瞳の輝きは一つも失われていない。
そいつは、すっかりハゲてしまった家から三軒ほど離れた家に飛び移ると、またぞろ瓦を投げてきやがった。
しかし、ゆりなもそれを見逃すことはなく、もう一度リフレクションを唱える。
そんな応酬の中、
「しゃっちゃん。ボクの声が聞こえるかな?」
不意に耳に入ってきたチビ助の声に、
「あぁ、聞こえるぜ! すまねぇ、逃げなきゃいけなかったのにボーっとしちまってて……」
慌てて俺は謝った。
せっかく攻撃から守ったというのにいつまでも無防備なまま突っ立ってるんだ、怒られてもしょうがない。
つーか、俺だったら絶対キレてるぜ……。
だが、ゆりなは一言も俺たちを責めることなく、
「あのね。せーのでドームを持ち上げるから、その隙にしゃっちゃんはコロちゃんを抱いて安全な場所まで逃げてほしいの。にゃはは。ちょっち、守りきれる自信がないかもだから……」
「チ、チビ助……」
「ごめんね、しゃっちゃん」
どうして。
どうして、そこでお前が謝るんだよ――謝らなきゃいけないのは俺のほうなのに。
足手まといの俺が謝らなきゃいけねーのに……。
悔しさでこみ上げてくる涙をどうにか押し戻しつつ、俺はゆりなに向かって叫んだ。
「オーケイ。いつでも準備出来てるぜ!」
「ほいっ」
次の瞬間、チビ助の手に暗い光が集まっていく。
藍色のオーラじゃないってことは、これは霊冥の放つ光か?
「ぽ~よよん、ぽいぽいー、ぽんっ! らいらい、サンダーシックル!」
三枚刃の鎌へと姿を変えた霊冥をプラズマドームへと投げつけて、
「掴んで、シックル!」
言うが早いか、三枚の刃が器用にも雷の網をガッチリ捕らえていた。
てか、掴んだはいいのだが、霊冥を丸ごと投げつけちまってどうするんだ?
「パパさん、霊冥と旧魔法少女さんの間に雷の鎖が見えるんですっ」
コロナの指差す方向には、確かにキラキラと光る鎖のようなものがあった。
鎌とチビ助を繋ぐ雷鎖――
「これってもしかして、鎖鎌ってヤツか?」
しかし、感心してる暇もなく、
「しゃっちゃん、いくよ! せーの!」
掛け声とともに分銅(ここからではよく見えんが、おそらく霊冥の宝石部分だろう)を引っ張って、ドームを持ち上げていく。
「おおっ」
コスチュームの力だろうけど、すげぇパワーだな……。あのドームを軽々と持ち上げてしまうだなんて。
「わっ。パパさん、はやくはやく!」
やべぇ、だから感心してる暇はないんだっての。
上がったドームの隙間からコロ美を抱いて無事脱出。
ふーっ。あとはチビ助の邪魔にならないところまで逃げるだけだな。
そうだ、その前に礼のひとつでも言っておかねーと。
「さんきゅうなっ、チビ助」
浮かびながら肩で息をしているそいつに呼びかけたのだが――俺はそこで気付いてしまった。
ホバーの出す光の粒子の量が減っていることを。
魔法の詠唱が省略化されていないことを。
いつもの口調に戻っていることを。
「ゆ、ゆりな? おまえ、まさか……」
ゆっくりと顔をあげたその瞳からは光が失われつつあった。
切れかかった電球のような激しい点滅。
つまり、それは――
「ごめんね。しゃっちゃん……逃げ、て」
辛そうな笑顔でもう一度俺に謝ったゆりなの背後に、けたたましい翅音が迫っていた。