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No.19836の一覧
[0] 【異世界トリップ・建国】黄金の帝国【完結】[行](2020/12/25 19:28)
[72] 第一話「奴隷から始めよう」[行](2013/04/11 21:37)
[73] 第二話「異世界のでの生活」[行](2013/04/11 21:40)
[74] 幕間0・ラズワルドの日記[行](2013/03/01 21:07)
[75] 第三話「山賊退治」[行](2013/03/01 21:10)
[76] 第四話「カリシロ城の花嫁」[行](2013/03/08 21:33)
[77] 第五話「都会を目指して」[行](2013/03/24 19:55)
[78] 第六話「バール人の少女」[行](2013/03/24 19:56)
[79] 第七話「牙犬族の少女」[行](2013/03/29 21:05)
[80] 第八話「冒険家ルワータ」[行](2013/04/11 21:51)
[81] 第九話「日常の終わり」[行](2013/04/12 21:11)
[82] 第一〇話「エレブ潜入」[行](2013/04/19 21:07)
[83] 第一一話「エルルの月の嵐・前」[行](2013/04/26 21:02)
[84] 第一二話「エルルの月の嵐・後」[行](2013/05/06 19:37)
[85] 第一三話「ガフサ鉱山暴動」[行](2013/05/15 20:41)
[86] 第一四話「エジオン=ゲベルの少女」[行](2013/05/17 21:10)
[87] 第一五話「スキラ会議」[行](2013/05/24 21:05)
[88] 第一六話「メン=ネフェルの王女」[行](2013/05/31 21:03)
[89] 第一七話「エレブの少女」[行](2013/06/07 21:03)
[90] 第一八話「ルサディルの惨劇」[行](2013/06/14 21:02)
[91] 幕間1 ~とある枢機卿の回想・前[行](2013/06/21 21:05)
[92] 幕間2 ~とある枢機卿の回想・後[行](2013/06/28 21:03)
[93] 幕間3 ~とある王弟の回想・前[行](2013/07/05 21:39)
[94] 幕間4 ~とある王弟の回想・後[行](2013/07/12 21:03)
[95] 幕間5 ~とある牙犬族剣士の回想[行](2013/07/26 21:25)
[96] 第一九話「ソロモンの盟約」[行](2013/07/19 21:03)
[97] 第二〇話「クロイの船」[行](2013/10/05 20:59)
[98] 第二一話「キャベツと乙女と・前」[行](2013/10/08 21:01)
[99] 第二二話「キャベツと乙女と・後」[行](2013/10/10 21:05)
[100] 第二三話「地獄はここに」[行](2013/10/12 21:05)
[101] 第二四話「サフィナ=クロイの暴動・前」[行](2013/10/15 21:03)
[102] 第二五話「サフィナ=クロイの暴動・後」[行](2013/10/17 21:02)
[103] 第二六話「皇帝クロイ」[行](2013/10/19 22:01)
[104] 第二七話「眼鏡と乙女と」[行](2013/10/22 21:04)
[105] 第二八話「黒竜の旗」[行](2013/10/24 21:04)
[106] 第二九話「皇帝の御座船」[行](2013/10/27 00:44)
[107] 第三〇話「トルケマダとの戦い」[行](2013/10/29 21:03)
[108] 第三一話「ディアとの契約」[行](2013/11/02 00:00)
[109] 第三二話「女の闘い」[行](2013/11/02 21:10)
[110] 第三三話「水面下の戦い・前」[行](2013/11/05 21:03)
[111] 第三四話「水面下の戦い・後」[行](2013/11/07 21:02)
[112] 第三五話「エルルの月の戦い」[行](2013/11/09 21:05)
[113] 第三六話「ザウガ島の戦い」[行](2013/11/12 21:03)
[114] 第三七話「トズルの戦い」[行](2013/11/14 21:03)
[115] 第三八話「長雨の戦い」[行](2013/11/16 21:02)
[116] 第三九話「第三の敵」[行](2013/11/19 21:03)
[117] 第四〇話「敵の味方は敵」[行](2014/03/21 13:39)
[118] 第四一話「敵の敵は味方・前」[行](2014/03/18 21:03)
[119] 第四二話「敵の敵は味方・後」[行](2014/03/21 18:22)
[120] 第四三話「聖槌軍対聖槌軍」[行](2014/03/25 21:02)
[121] 第四四話「モーゼの堰」[行](2014/03/25 21:02)
[122] 第四五話「寝間着で宴会」[行](2014/03/27 21:02)
[123] 第四六話「アナヴァー事件」[行](2014/03/29 21:02)
[124] 第四七話「瓦解」[行](2014/04/03 21:01)
[125] 第四八話「死の谷」[行](2014/04/03 21:01)
[126] 第四九話「勅令第一号」[行](2014/04/05 21:02)
[127] 第五〇話「宴の後」[行](2014/05/01 20:58)
[128] 第五一話「ケムト遠征」[行](2014/05/02 21:01)
[129] 第五二話「ギーラの帝国・前」[行](2014/05/03 21:02)
[130] 第五三話「ギーラの帝国・後」[行](2014/05/04 21:02)
[131] 第五四話「カデシの戦い」[行](2014/05/05 21:01)
[132] 第五五話「テルジエステの戦い」[行](2014/05/06 21:02)
[133] 第五六話「家族の肖像」[行](2014/05/07 21:01)
[134] 第五七話(最終話)「黄金の時代」[行](2014/05/08 21:02)
[135] 番外篇「とある白兎族女官の回想」[行](2014/10/04 21:04)
[136] 人名・地名・用語一覧[行](2014/05/01 20:58)
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[19836] 第五話「都会を目指して」
Name: 行◆7809557e ID:aef4ce8b 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/03/24 19:55
「黄金の帝国」・漂着篇
第五話「都会を目指して」







 「カリシロ城の花嫁」の準備をしている間にアダル月は終わり、月が改まってニサヌの月(第一月)。年も新しくなり三〇一四年となっている。
 この世界でも一年は三六五日だが、春分が元旦・一年の始まりとなっている。季節の経過、一年の経過は元の世界と完全に同期しているのではないかと考えられた。
 ニサヌの月が終わってジブの月(第二月)、ルサディルは祭の季節である。竜也はハーキムやヤスミン達と一緒に町の祭に加わっていた。祭の様子は日本のそれと大きく変わらない。町の男が総出で山車を牽引し、港から神殿までを行進するのだ。元の世界と少し違うのは、山車が船の形をしていることだった。船形の山車は全長一〇メートルを超え、その上には神像が奉られ、さらに金銀赤青とあらゆる飾りで彩られ、神像が埋もれるくらいに花を積んでいる。見ているだけで心が浮き立つくらいに華やかな山車である。
 竜也もまたハーキム達と一緒に山車を牽く行列に加わっていた。山車は町の大通りを通り、神殿まで引っ張られる。竜也は神殿の敷地へと入っていく山車を見送った。見上げると、神殿の門柱には真ん丸が両側に翼を広げた紋章が刻まれている。

「ここの神様って何を祀ってるんですか?」

「ルサディルの守護神と太陽神ですね。ネゲヴの大抵の自治都市では町の守護神と太陽神を祀っています。太陽神ラーはケムト由来の神様です」

 竜也の問いに答えるのはハーキムだ。

「ケムトの神様がこんな遠くで拝まれているんですか?」

「ええ、ネゲヴ中で拝まれていますよ。太陽神殿の神官は熱心に自分達の神様をネゲヴ中で布教して回ったんです」

 太陽神殿の神官が言うには、太陽神ラーはネゲヴに数多いる神々の長であり、ネゲヴに住む全ての民が太陽神の氏子だとのこと。竜也は怪訝そうな表情をした。

「エジプト……じゃなくてケムトの神様と恩寵の民の部族神は全然別物なんじゃないんですか?」

「昔は別物だったんです。一五〇〇年くらい前ですか、当時のケムト王が『バール人の奉ずる神々や恩寵の民の部族神は、全てケムトの神々に起源を有する。それらは名前が違うだけで元は同一の存在である』と主張しだしたんです」

 このケムト流の本地垂迹説を受けて、ケムトの神官は恩寵の民の部族神を始めとする出自の違う神々をケムト神話のパンテノンに組み込む作業に没頭した。さらには太陽神を祀るための神殿「太陽神殿」をネゲヴ全土に設立し神官を派遣、再構成した神話を広く知らしめた。一五〇〇年間に渡るその布教の結果、今日では恩寵の民を含む全てのネゲヴの民がその説を受け入れてしまっている。

「ケムト王は太陽神ラーの末裔を称していて、太陽神殿の神官長としてネゲヴ全土に君臨しています。ただ、その代わり政治の実権は全て手放して宰相任せにしています。ルサディルや各地の自治都市がケムト王に臣従しているのも政治的理由よりも宗教的意味合いの方がよほど強いですね」

 君臨すれども統治せず、権力はなくとも権威は至高、現実世界は支配せずとも精神世界は支配する。それがケムト王のあり方だった。
 竜也は「ほー」と感心し、教えられた知識を脳内のノートに書き記して意識の上からは削除した。実際、この世界にやってきてから宗教について意識したのは今回が初めてで、冠婚葬祭等の大きな行事以外では特に宗教を意識せずに生活できるのだろう。その気楽さは竜也にとってはありがたかった。

「厳格なイスラム世界やピューリタン全盛のヨーロッパみたいな世界だったら息苦しくてたまらんだろうな。ここがそんな世界じゃなくて本当に良かった」

 竜也がこの世界にやってきてすでに八ヶ月。「カリシロ城の花嫁」の上演が無事成功したこともあって、竜也もこの世界に、この町にすっかり馴染んでいる。

「ああ、ヤスミンさんのところの新しい子だね。次の劇が楽しみだよ!」

 竜也は町の人々からそんな風に声をかけられるようになった。ヤスミンや一座の面々も竜也のことを一座の一員としてすでに受け入れてしまっているし、竜也にも異論があろうはずもない。

「――ただ、あのおっさんがそれをどう思っているのかが問題なんだけど」

 竜也はルサディルの戸籍にはアニードの使用人として記載されている立場である。これを単に雇用者と被雇用者の関係、現代風に置き換えて社長と社員の関係のように考えるのはとんでもない間違いだ。竜也の社会的身分はアニードによって保証されているのだから。竜也はアニードの許可なくしては転居も転職も結婚も不可能だ。その一方アニードは竜也の食住を保証する義務があるし、竜也がもし犯罪を行った場合アニードが責任の一端を問われることになる。

「あのおっさんに禁止されたらヤスミンさん達の手伝いもできなくなるんだよな。実際そう命令されないのが不思議なくらいだし」

 演劇に関わるようになってからはアニード邸での仕事は必要最低限、申し訳程度しかやっておらず、それもラズワルドに手伝わせて何とか体裁を整えているくらいである。普通の使用人だったらとっくに馘首になっているはずだ。

「そんな心配はいらない」

 とラズワルドが首を振る。

「タツヤはわたしのもの。アニードもそれは判っている」

 ラズワルドの言葉が足りないため誤解を招く物言いになっているが、足りないところは読心の恩寵で補うのがこの二人のあり方である。要するに、そもそもアニードが竜也を使用人にしたのもラズワルドの要求に応えただけで、竜也の管理監督はラズワルドの権限のうち。よほどのことがない限りアニードが口を挟むのはむしろ筋違いなのだ。

「あのおっさんからすれば俺はラズワルドのペットみたいなものか」

 と竜也が自嘲し、それが正鵠を射ていたためラズワルドは返答に困った。竜也は助け船を出すように、

「それでも、俺がこうやって劇で小銭を稼いでいたらやっぱりあのおっさんが首を突っ込んでくるんじゃないのか?」

「多分それはない」

 とラズワルドは再び首を振った。

「アニードは劇なんかやっても儲からないと思っている」

「まあ確かにそれほど儲かる商売じゃないしな」

 大道具や小道具や衣装、多くの座員と、必要な設備投資の大きさに対して実入りは決して大きくない。普通に日雇いで働いた方が収入が多いくらいだし、実際ヤスミン一座の面々は家計の不足を日雇いの仕事で補っている。

「タツヤがマゴルだってことはアニードも理解したけど、儲けにはつながらないとアニードは失望している。ただ、だからと言って今すぐタツヤを手放そうとは思ってない」

「ラズワルドのことも?」

 竜也の問いにラズワルドが頷く。

「もうそれほど役に立たないとしても他人に渡して利用されたら困る、そう思っている」

 そうか、と竜也は天井を見上げて嘆息した。

「自由になれるのはまだまだ先かな」

 それでも、この世界にやってきてまだ一年経っていないのだ。焦る必要はないと竜也は思っていた。
 そうやって、アニード邸の使用人とヤスミン一座の一員という二足の草鞋を履く生活が続いた。次回作は黒澤明の「隠し砦の三悪人」を元ネタにした冒険譚を構想しており、そのあらすじをハーキムと打ち合わせたりしているうちに月日が過ぎ去り、シマヌの月(第三月)である。
 シマヌの月の中頃。エレブから流れてきた山賊がルサディルに接近したため、竜也やハーキムは山賊退治の有志に加わっていた。

「てえぇぃぃ!」

 接近する山賊に向け、竜也は槍を突き出した。竜也が用意したのは柄の長さが四メートルもある長槍だ。そんな奇妙な武器を使っているのは竜也一人なのだが、ロングレンジで一方的に敵を攻撃できるこの槍を竜也は重宝していた。
 山賊は槍の穂先をかわし、竜也へとさらに接近する。懐に飛び込まれたときにどうしようもなくなるのがこの槍の欠点なのだが、

「我が剣に――斬れぬものなし!」

 牙犬族の剣士がそれを補ってくれていた。竜也を護衛するように立っていたその剣士が山賊を一刀のもとに斬り伏せてしまう。その牙犬族は、

「ふっ……またつまらぬものを斬ってしまった」

 と空しげに呟きながら鞘に剣を収めた。

「ありがとうございます」

 竜也は内心「なんだかなー」と思いながらもそう礼を言う。その言葉に、剣士は片頬だけ吊り上げたような笑みを見せた。ニヒルな俺超格好良い!とか考えているのはラズワルドでなくても判る。
 山賊が全員死ぬか逃げるかして、その日の山賊退治は終了した。ルサディル側には負傷者はいても死者はいない。竜也はその長槍で山賊の何人かに手傷を負わせたものの、一人として仕留めることはなかった。

「タツヤ、怪我はありませんか」

「ハーキムさんも大丈夫ですか?」

 竜也とハーキムは互いの無事を確認し、安堵を共有する。ムオード達は残務処理に取りかかっていた。山賊の死体を集めて埋葬するのである。竜也もまたハーキム達と一緒に死体の一つを運んでいた。その男が山賊だったとは言われなければ判りはしないだろう。農村のどこにでもいそうな、くたびれた初老の白人男性の遺体である。竜也とルサディルの男達はその遺体を浅く掘られた穴へと横たえた。

「おっ、何か付けてるぞ」

「金になりそうか?」

 男の一人が遺体の首飾りに気付き、遺体からそれを取り外す。そして、

「何だ、ゴミか」

 とそれを投げ捨てた。それを拾った竜也は手に取ってじっくりと眺めた。

「どうかしましたか?」

 というハーキムの問いにも答えない。竜也は手の中の首飾りを見つめている。
 大きさは竜也の掌に収まるくらい。材質はおそらく鉛製、鋳造で大量生産されたのだろう。粗末な出来だが何が彫り出されているのかは判る。T字に組まれた棒に一匹の蛇が絡みついている、そんな形の工芸品である。

「ああ、聖杖教の象徴ですね」

 ハーキムが何気なくそう言う。

「聖杖教?」

 竜也がそれを問おうとしたとき、

「おい、あれ」

 と何人かが西を指差して騒いでいる。竜也達もその方角を見、その人影に気が付いた。
 ずっと向こう、何百メートルも離れた西の丘の上に、三つの騎兵の姿が見える。雑兵の類とは思えない。鎧で完全武装したその姿は、どこかの国の正規の騎士のように思われた。その騎兵が掲げている旗にもT字に蛇が絡みついた図柄が描かれている。
 騎兵は竜也達に背を向け、丘の向こうへと消えていく。それを見送った竜也は、

「何かが起こっている。起ころうとしている」

 そんな予感を抱いた――強い不安とともに。







 山賊退治の帰り道、竜也はハーキムからエレブと聖杖教について教わることにした。

「ムハンマド・ルワータという著名な冒険家がエレブについてこう書いています。『彼の地を他の地と違える最大の要因は聖杖教である』と。

 エレブには聖杖教という宗教があり、物乞いから王様までエレブの民の全てが一人残らずその宗教の信徒なのだそうです。何故なら、聖杖教を信じない者は殺されてしまうから――ムハンマド・ルワータはそう書いていますが、話半分くらいに割り引いた方がいいかもしれませんよ?」

 ハーキムはそう言って笑うが、竜也には笑えなかった。

「聖杖教徒は自分達の信じる神こそが本当の、唯一の神であり、それ以外の神は全て紛い物であると主張しています。だから、聖杖教の信徒にとっては我々のような恩寵を持つ民も皆殺しの対象なのだそうです。その昔、エレブにも銀狼族や灰熊族という部族がいたそうなのですが、聖杖教の手により村落ごと皆殺しになり、今は一人も残っていないとか」

「その聖杖教ってのは誰が始めたんですか? もしかしてマゴルが?」

「よく判りましたね」

 さらっと返ってきた答えに竜也は「最悪だ」と頭を抱えたくなった。

「エレブの地に聖杖教を伝えたのは預言者フランシスと呼ばれる人です。聖杖教の教会は公式に否定していますが、彼がマゴルであったことはまず間違いないと見られています。預言者フランシスが登場したのは七百年前、バール人の全盛期です」

「……えーっと」

 竜也の戸惑いを見て、ハーキムは苦笑を漏らした。

「もう少しさかのぼって説明しましょうか」

「お願いします」

 エレブや聖杖教について教わるために、その前提となるこの世界の歴史の知識が必要だったことに竜也達は同時に気付いた。ハーキムの説明が始まる。

「そうですね。まずおよそ四千年前、メン=ネフェルでセルケトがケムト王に即位します」

 えらいところから話が始まったな、と竜也は思ったが、話を止めたりはしない。

 ケムトは元の世界ではエジプトに相当するが、この世界のエジプトには四大文明と呼ばれるような華々しい文明は築かれなかったらしい。ケムトにあったのは古代エジプト王朝のような広大で強力な国家ではなく、メン=ネフェルという小国家を中心とする緩やかな小国家連合体だった。江戸時代の日本の各藩がさらに自治性や独立性を高めた状態、と考えれば判りやすいだろうか。

「メン=ネフェルのセルケト王朝は初代の王セルケトから今日まで実に四千年間、途切れることなく一つの血統により王位が受け継がれ続いています」

 とハーキムは言うが、竜也が「本当に?」と問うと肩をすくめた。

「……まあ、建前上はそうなっているというだけです。そもそも初代セルケトから千年くらいは歴史じゃなくて神話の領域ですし、王の子を排除して臣下が王位を継いだ話がいくつもありますし。臣下と言っても何代かさかのぼれば王家の血が入ってる者の即位ですし、その新たな王は例外なく先王の息女を王妃にしています。母系で見れば万世一系は貫かれている、と言えなくもない……ということです」

 ここ二千年くらいはそういう王朝の交代じみたこともなく、王位が受け継がれているそうである。だがそれはケムトの国際的地位が低下し、ケムトの王位の魅力が減じたことの結果に過ぎない。

「三〇一四年前、アシューのカナンにバール人が都市国家メルカルトを建国します。バール人は後にその年を海暦元年と定めました」

 とは言うものの、メルカルトは名前だけが残るのみで今日では所在すら不明となっている。三〇一四年という数字も神話の類であり、結局は伝説上の都市・伝説上の発祥地に過ぎない。(なお、カナンは元の世界のシリア=パレスチナ一帯に相当する地名である。)

「バール人はメルカルトを最初の拠点とし、数々の植民都市を地中海各地に建設しました。それらの諸都市は交易で結ばれ、航路の安全確保のために軍事的にも手を結ぶようになります。そうして海暦一五〇〇年頃に誕生したのがウガリット同盟(ブリット・ウガリット)、バール人によるバール人のための海洋交易・軍事同盟です。バール人は地中海の覇者として、千年以上にわたって君臨し続けます」

 バール人とは、元の世界ではフェニキア人に相当する民族なのではないかと竜也は推定していた。

「バール人に、宿敵となるような民族は存在しなかったんですか?」

 竜也の問いにハーキムは「うーん」と少し考え、

「ヘラス人は一時期海洋交易の競争相手でしたし、文化的には優越していたくらいなのでバール人にも多大な影響を与えました。ですが内部分裂で勝手に衰退しましたね」

「足みたいな形のあの半島にそういう競争相手はいなかったんですか?」

「レモリアですか? 植民都市が建設されたばかりの頃は土着の勢力と敵対していたそうですが、やがて吸収してしまったようですよ」

 ヘラスはギリシアに相当する勢力、レモリアがローマに相当するようだ。ローマという不倶戴天の強敵は歴史に登場する前に潰され、吸収されてしまっていた。強力なライバルをそうなる前に潰してしまったため、バール人は覇者となるまで勢力を拡大し続けられたのだろう。

「ヘブライ人は……いるわけないか」

 ハーキムが不思議そうな顔をしたので竜也は「何でもないです」と誤魔化した。
 元の世界のヘブライ人はフェニキア人と近い関係にある。この世界にヘブライ人に相当する部族や民族があったとしても、バール人に吸収され、同化しているだろう。竜也はそう考えたが、それは全く正しい。
 そもそも、元の世界のようにヘブライ人=ユダヤ人が成立するにはユダヤ教が成立する必要がある。そのためにはモーゼによるエジプト脱出が必要だが、この世界ではエジプトとシリア=パレスチナが海で隔てられている。
 さらにそもそも、海を挟んでいる以上ケムトがアシュー側と戦争をすることがなく、カナン近辺から奴隷が連れてこられることもない。ケムトは古代エジプト王朝と比較すれば素朴で小さな国家群に過ぎず、神官勢力と王家が先鋭的な対立をすることもなく、アクエン=アテンによる宗教改革も起こらない。アテン神を信仰していたと見られるモーゼが逃亡奴隷に一神教を伝道することもなく、一神教を紐帯としたユダヤ民族がこの世界に生まれるはずもないのである。
 竜也は脇道にそれた思考を元の路線に戻し、ハーキムの説明に耳を傾けた。

「……ウガリット、グブラ、シドン、ツィロ、カルト=ハダシュト、ゲラ。主導する都市は変遷しましたが、バール人の同盟(ブリット)は実に千年以上にわたって存続しました。バール人は地中海の覇者として君臨し続けます。

 バール語はアシュー・エレブ・ネゲヴの三大陸の公用語となり、地中海中の全ての民は母語の他にバール語を覚えるのが当然となりました。各地に入植したバール人と土着の民との混血も進みます。そんな状態が千年以上続いたのでネゲヴだけでなくエレブやアシューでも、多くの地で元々の母語がほぼ忘れ去られてバール語が母語化してしまっているくらいです」

 言語だけでなく通貨単位や長さや重さ等の計測単位、暦等の時間単位が各地のローカルなものからバール人のそれへと置き換えられる。バール人の基準がこの世界の、三大陸のグローバルスタンダードとなったのだ。だが、それでも盛者必衰、驕れる者は久しからず。バール人もやがて衰退を迎えることになる。

「……二七〇〇年代のゲラ同盟分裂を最後に海洋交易・軍事同盟は二度と再建されず、ここにバール人の時代は終わりました。ゲラ同盟分裂後はバール人同士の戦争が起こり、以降百年は無法時代と呼ばれる戦乱の時代となります」

 なお、海賊王グルゴレットが義賊や傭兵として活躍したのはこの時代のことである。

「航路の安全が確保されないために交易が途絶え、都市間の交流が絶たれ、各都市は自分の都市に閉じこもるようになります。戦乱の時代とは言っても戦う理由は交易利益の奪い合いで、戦場は海上にほぼ限られていました。つまり、交易さえ諦めれば都市の安全は確保できるんです。

 各都市がそうした、繁栄と引き替えにした安全を甘受することにより、戦乱の時代はやがて収まっていきます。そしてその後二百年、ネゲヴでは自給自足と相互不干渉による平和が続いている、というわけです」

「バール人と呼ばれる人達はどうなったんですか?」

「地中海中に広がったバール人は土着の民と混血し、外見や血の濃さでバール人かそうでないかを区別するのはナンセンスになりました。それでは何をもってバール人とそうでない人を区別するのでしょう?」

「バール人としての誇りや自覚。バール人としての文化や振る舞い。バール人としての美徳や美意識。そんなところですか?」

 竜也の答えにハーキムが目を見開いた。

「まさしくその通りです。バール人は海洋交易を誇りとし、生き甲斐としていました。そんな彼等が交易の道を絶たれてしまい、誇りも生き甲斐も見失ってしまう。仲間同士の繋がりも途絶えてしまう。

 そんな彼等の子供達は『自分はバール人ではない』『ケムト人だ』『ルサディル人だ』と思うようになります。血筋が絶たれたわけではないのですが、バール人はその数を急速に減じていくのです。

 今日でも海洋交易を行い、バール人として自覚している人も残っています。アニード氏も現代のバール人の一人です。ですが、今のバール人はかつての栄華と繁栄を極めたバール人とはやはり違うと思うのです」

 竜也達はしばしの間、しんみりと歴史に思いをはせた。

「ネゲヴの方は判りましたけど、エレブの方もそうして平和になったんですか?」

「そういうわけにはいかなかったようです。細かい事情はあまり伝わらないのですが」

 バール人の時代には盛んに行われていたネゲヴとエレブの交易・交流は、無法時代を挟んでぱったりと途絶えてしまった。ネゲヴの民が南の大陸に引きこもったように、エレブの民も北の大陸に引きこもったのだ。

「ネゲヴの民はさらに自分の都市に引きこもることにより平和を実現しましたが、それはネゲヴの気候が穏やかで農作物の実りが豊かで、引きこもっていてもそれなりの生活が維持できたからです。

 ですが、エレブは気候が寒冷で民も町も田畑も貧しかった。少ない実りを奪い合う戦争がくり返され、エレブの地は荒廃しました。聖杖教が急激に勢力を拡大するのはこの頃です」

 フランシスの伝道から長い間、聖杖教は田舎の弱小カルト宗教の域を出ていなかった。だが同盟の衰退と混乱の中、聖杖教は荒廃した人心につけ込むようにして徐々に勢力を拡大させる。まず不安に怯える民に浸透し、次いでその信仰心を利用しようとする領主階級にも入り込んだ。そして無法時代の戦乱の中で勢力を一気に拡大させる。
 ムハンマド・ルワータの言葉を借りれば「燎原の炎のごとく」――聖杖教の信仰の灯火は業火となってエレブの大地を舐め尽くしたのだ。
 各地の国王・領主は聖杖教を国教とし、それまで崇拝された多神教を禁教とした。あくまで多神教を奉じる人々は火あぶりとなり、多神教を守ろうとする領主はよってたかって攻め滅ぼされた。そこまでいけば、教会と領主の上下関係を逆転させることももう容易い。こうして聖杖教の教皇は諸侯や国王の上に、エレブの頂点に君臨することとなったのである。

「聖杖教の今の教皇はエレブの全ての軍勢を率いてネゲヴに侵攻することを公言しているそうですよ」

 ハーキムは笑いながら朗らかにそう言うが、

「大変じゃないですか!」

 竜也は怒鳴らずにはいられなかった。ハーキムは竜也の反応に戸惑いを見せる。

「あの教皇はもう何十年も前から馬鹿の一つ覚えのようにそう言い続けているんですよ? ですが未だにエレブの軍勢はやってきていません。バール人の時代からエレブの軍勢がヘラクレス地峡を越えたことは一度もないんですよ」

 ハーキムはそう言って竜也を安心させようとする。だが竜也の不安はむしろ募る一方だ。

(今まで一度も起こらなかったことがこれからも起きないと、どうして言える? 教皇が何十年もネゲヴ侵攻を、同じことを言い続けているってことは、それだけ強い信念を持っているってことじゃないのか? 侵攻のための準備に何十年間かを使ったってことなんじゃないのか……?)

 竜也の胸の内に黒々とした暗雲が広がっていった。







 ルサディルに戻ってきたその翌日。竜也はラズワルドを連れて町に出ていた。行き先はハーキムと知り合いになった書店である。ハーキムによると、あんなひなびた書店でも品揃えはルサディル随一なのだそうだ。

「こんにちは」

 と竜也は店主に声をかける。店主は胡散臭そうに竜也とラズワルドを見つめた。

「聖杖教に関する本があったら見せてほしいんですが。あ、ムハンマド・ルワータの『旅行記』はいりません」

「聖杖教? まあいいが」

 店主は横柄な態度で店の奥に姿を消す。戻ってきたときは古ぼけた薄い、一冊の本を手にしていた。

「ゲラ同盟時代、聖杖教の宣教師がこの町に来たときに置いていった、あの連中の聖典だ」

「正確にはその写本」

 ラズワルドの指摘に、店主は少しの間言葉に詰まった。やがて精神的に体勢を立て直した店主が竜也に説明する。

「この町にはこれ一冊しかない、貴重な本だぞ。二〇ドラクマでなら売ってやってもいいが」

「二ドラクマで売れたなら上出来だと思っている」

 ラズワルドは容赦の欠片なくそう指摘した。しばし絶句した店主は、怒りで顔を真っ赤にした。

「この……! 悪魔が……!」

 店主が腕を振り上げた。ラズワルドは竜也の背後に隠れながらも、

「悪魔じゃない、『白い悪魔』」

 と自己主張をしている。竜也は慌ててラズワルドを庇いながら、

「じゃあ五ドラクマで買います!」

 竜也はドラクマ硬貨を五枚店主に押しつけ、代わりにその聖典を取り上げるようにして受け取った。そのまま「お邪魔しました!」と逃げるように店から飛び出していく。
書店からかなり離れたところでようやく立ち止まり、店主が追ってこないことに竜也は安堵のため息をついた。ラズワルドも呼吸を整えている。
 向かい合い、ラズワルドを見下ろした竜也はため息をつき、

「ラズワルド、あれはやり過ぎ」

 とりあえずそう言わずにはいられなかった。きょとんと不思議そうな顔のラズワルドが竜也の手を取る。

(でも、余計なお金を使わずに済んだ。あの店主はタツヤからお金を騙し取ることしか考えていなかった)

(近代以前の商売人なんてみんなそんなもんだろ、怒っても仕方ない。ラズワルドのやり方の方がルール違反だ)

(せっかくの力なんだからこういうときに使わないと損)

(でも、その使い方がいかにも不味い。あれじゃラズワルドがますます嫌われる)

(別に構わない。好かれようなんて思ってない)

 生まれたときから他者に忌まれ、恐れられるのが当たり前の少女にとって、「他人に嫌われること」は己が行動を制御する理由にならないのだ。他者の感情を誰よりも理解できる少女は、まさにそのために他者の感情に誰よりも無頓着になっていた。

「とにかく。力を使うなとは言わないから、もっと上手い使い方をしてくれ。自分のためでもあるし、周りの人のためでもあるんだ」

 竜也の言葉にラズワルドが頷く。竜也が心配してくれていることを感じ取り、ラズワルドの胸は幸せな思いでいっぱいになった。今まで少女を心配してくれる人など、一人もいなかったのだから。

「ほら、行くぞ」

 竜也はラズワルドの手を引いて歩き出した。少女はその手をしっかりと握った。決してそれを離すことがないように。







 竜也はハーキムの家を訪れた。
 ラズワルドの姿にハーキムが怯えた様子を見せたので、「絶対に勝手に心を読ませたりしない」と竜也が堅く約束し、何とか一緒に部屋に上げてもらうことができた。
 白兎族の少女にぺったり貼り付かれても平然としている竜也の姿を、ハーキムは畏怖の目で見つめる。

「何と言うか、貴方は結構大物なのかもしれませんね」

 ハーキムの感嘆を、竜也は的外れのように感じて適当に受け流した。竜也はハーキムに本を渡す。

「今日はこの本を読んでもらいたいと思いまして」

 竜也も一応字は読めるが速度はかなり遅い。ハーキムに読んでもらって内容を要約してもらった方が早いという判断である。立派な活字中毒であるハーキムにとっても、どんな内容であれ本を読めるのであればその提案に異存はなかった。

「昔はネゲヴにもエレブからの宣教師が来ていたんですね」

「一時期かなり熱心に布教していて多少は信者を獲得したそうですが、無法時代の間にほぼ消滅しましたね。ネゲヴで未だに聖杖教の教会が残っているのはメン=ネフェルくらいじゃないでしょうか」

 メン=ネフェルは元の世界ならエジプトのメンフィスに相当する町である。この町には「聖モーゼ教会」という教会があり、エレブの教皇庁からは離脱して活動しているという。
 竜也とハーキムはその日の午後を費やして聖典を精読していく。夕方には読み終え、内容についての意見交換の段となった。

「……聖杖教が長い間広がらなかった理由がよく判りました」

 今エレブにここまで広がっている理由が理解できなくなりましたが、とハーキムは辛辣な笑みを見せた。竜也も全くの同意見である。
 聖典には、天地創造、エデンの園、カインとアベル、ノアの方舟、バベルの塔等、旧約聖書のよく知られたエピソードが書き連ねられていた。逆に言えば、よく知られたエピソードしか書かれていないということだ。しかもそのエピソードも竜也の知っているものとは微妙に、あるいは大幅に違っている。
 何故そんなことになっているのかは最後まで読み進めれば理解できる。預言者フランシスが作った教団は地元領主の弾圧により一旦壊滅しているのだ。

「預言者が我等に授けし聖書はその全てが炎の中へと投じられた」

 と聖典には大きな悲しみを持って記されている。さらにはフランシスも獄死し、教団が再建されるまで二〇年以上を要したという。再建に指導的役割を果たしたのはフランシスの弟子の一人で、名をバルテルミと言う。

「要するに、元の世界から持ち込んだ聖書がこのとき全部焼失して二〇年後にバルテルミ達が記憶を頼りに書いたのが今の聖典なわけだ」

 この聖典の中ではモーゼが一番偉大な存在として描写されている。推測だが、奇跡を連発しただけのキリストの生涯よりスペクタクルに満ちたモーゼの生涯の方が聴衆の受けが良かったのではないだろうか? フランシスの最初の布教は奴隷や貧民を対象としたものだったのだから。

「自分達にもモーゼのような指導者が現れて、この場所から連れ去ってくれないだろうか」

 布教を受けた奴隷や貧民はそんな風に、キリストよりもモーゼの方をより求めたのではないだろうか?
 その一方預言者ヨシュアと呼ばれているイエス・キリストの扱いは非常に小さなものとなっている。

「山上の垂訓を行ったのもフランシス、『罪なき者がまず石を投げよ』と言ったのもフランシス。一三人目の弟子に裏切られたのもフランシス、三〇枚の銀貨で売られたのもフランシス――イエスの名が残っているのはある意味奇跡かも」

 十字架に掛けられて刑死したイエスと、獄死したフランシス。両者のイメージが混同し、イエスの事績やエピソードの多くがフランシスのものへと書き換えられてしまっているのだ。出涸らしとなったイエスの名がほとんど痕跡だけになってしまうのも当然と言えた。こうして起こったのがキリスト教から聖杖教への移行なのだろう。
 フランシスが伝えたのはちゃんとしたキリスト教だったのだろうがその教えは断絶してしまい、その後バルテルミが記憶だけを頼りに再編した教えはキリストの名を冠すべき代物ではなくなっていたのだ。モーゼが神と直接契約を結んで一神教を創始し、預言者フランシスがその教えをエレブへと伝道――宗派の名前や象徴は創始者に因んだものが選ばれた。
 モーゼが神の命により作った青銅の蛇の旗印、蛇が絡みついた聖なる杖。それがこの新宗教の名前であり象徴であった。――だが、

「この、契約者モーゼの話などおかしいところだらけです」

 聖典の前半最大の山場はモーゼによるケムト脱出(エジプト脱出)である。

「『ケムトの皇帝はアシューのカナンを侵略し、獲得した奴隷をケムトへと連れ帰った』……そんな史実はどこにもないんですが」

 元の世界のエジプトやパレスチナを舞台にした話を、こちらの地理に無理矢理当てはめて記述しているのだ。そのためこちらの史実と全くそぐわない、奇妙な内容になってしまっている。
 モーゼは奴隷を引き連れてケムトを脱出する。神はモーゼとその民に「大河ユフテスから日の入る方の大海に達する全て」の地を与えると約束をした。「日の入る方の大海」とは地中海のことであり、つまり約束の地とは地中海東岸のシリア=パレスチナ一帯――この世界の地名ではカナンの地を指している。

「『モーゼの民はカナンの地に王国を作った』『だが王国は滅び、いくつかの国に服従する時代が続く』『ネゲブ全土を支配した皇帝がカナンも征服した』『皇帝により服従を強いられていた時代、そこに登場したのが預言者ヨシュアである』……もう無茶苦茶です」

 キリストの頃のパレスチナの支配者はローマの皇帝だったのだが、この世界にはローマに相当するような帝国は存在しなかった。そこで、モーゼにとっての敵役であるケムト王をここでも持ち出すしかなかったのだろう。その結果、ネゲヴにエジプト王朝とローマ帝国が合体したような超帝国が存在することになってしまっている。さらには時間を無視してケムト王が皇帝の名称を冠するようになってしまっている。

「だいたい、この皇帝(インペラトル)というのは何なんですか?」

 ローマ帝国が果たした歴史上の役割は、この世界ではバール人の海洋交易・軍事同盟が果たしていたと言える。だがその実態は都市国家連合であり、ローマ帝国のようにただ一人の指導者に支配される巨大国家ではなかった。「ネゲヴの皇帝」のモデルとなったケムトの王家にしても小国家連合に過ぎないのだ。
 どのような形にしろこの世界に「帝国」が存在しなかった以上、「皇帝」の称号がこの世界に由来するはずがない。それはフランシスが元の世界から持ち込んだ言葉であり、概念なのだ――聖杖教の宿敵として。
 巨大なネゲヴの大陸をただ一人で統治する、絶対の支配者。ネゲヴの魔物と軍勢を配下に置いた、恐るべき独裁者。聖典はそんな「皇帝」像をおどろおどろしく描写していた。「魔王」という言葉に置き換え可能と言えばどういうニュアンスで使われているのか判りやすいだろう。

「聖杖教の信徒は、エレブの人達は、ネゲヴがこんな状態だと信じているのか……?」

 竜也は暗澹たる思いを抱きながら呟いた。







 翌日、竜也は一人で港にやってきた。

「エレブと交易している船はありませんか?」

 竜也はその辺を行き交う人の中から温厚そうな人物を選び、訊ねる。多少時間はかかったが目的の船は何とか見つけられた。だがその船はアニードの所有する商船であり、間の悪いことに甲板で商品の積み込み等を監督していたのはアニード本人だった。

「何だ、お前は?」

 不機嫌そうなアニードがそう問う。竜也は内心天を仰いだ。そして、見つかったものは仕方ない、と竜也は気を取り直す。

「ちょっと調べていることがありまして。今のエレブの状況が知りたいんですが。エレブに戦争の動きはありませんか?」

「そんなこと、お前に何の関係がある?」

「エレブの軍隊がルサディルに攻めてきたら、無関係も何もないじゃないですか」

 アニードは「阿呆か、お前は?」と竜也をせせら笑った。

「そんなこと起こるわけないだろう。バール人の時代からエレブの軍がヘラクレス地峡を越えたことは一度もないんだ」

(阿呆なのはお前の方だろう)

 そう言い返したいところを、竜也はぐっと飲み込んだ。竜也は感情的にならないよう努めながらアニードを説得しようとする。

「過去に一度も起こらなかったことがこれからも起こらないと、どうして言えるんです。ルサディルには軍隊はないし、大した城壁もない。もしエレブの軍が本気で攻めてきたらこんな町ひとたまりもないですよ?」

「無駄飯食いの小僧が、誰に知ったような口を利いている!」

 アニードが竜也に罵声を浴びせた。

「屋敷から放り出されたいのか! 戻って自分の仕事をしろ!」

 竜也は「失礼しました」と頭を下げ、その場から逃げるように立ち去った。
 調査に行き詰まった竜也はアニード邸へ帰ることにする。が、足が前に進まなかった。竜也は波打つ海を見つめながら立ち尽くしている。

「どうせ見つかって叱責されるならラズワルドを連れてくればよかった」

 と自分の無力さ加減を噛み締めた。そのとき、

「あれ、どうしたの?」

 声をかけられた竜也が振り返ると、そこには立っていたのはヤスミンだった。ヤスミンの隣には見知らぬ少女が佇んでいる。竜也は「ちょっと調べ物があったんですけど」と簡単に事情を説明した。

「ヤスミンさんはどうしたんですか?」

「ついにスキラに行くことになったんで用意していたの」

「え、もうですか?」

 スキラはネゲヴで最も大きい町の一つである。場所はネゲヴのちょうど真ん中、元の世界で言うならチュニスとトリポリの中間に位置する。

「こちらが後援をしてくれるカフラマーンさん」

 ヤスミンは隣の少女を竜也に紹介した。カフラマーンという名のその少女は竜也と同年代の、闊達そうな美少女だ。身長は平均より若干高いくらいで、めりはりのあるプロポーション。バール人の血が強く肌の色は薄めで、明るい茶色の髪はおかっぱが少し長くなったくらいのセミロング。耳に付けているのは大きな琥珀のイヤリングだ。その琥珀と同色の、好奇心いっぱいの黄色い瞳が竜也を見つめている。

「初めまして。スキラのナーフィア商会に所属しているカフラマーンといいます。カフラと呼んでくださいね。あなたがあの劇の脚本を書いたんですよね?」

 竜也が「ええ」と頷くと、カフラは竜也の手を取る。

「あなたも是非スキラに来てください! こんな田舎町に引きこもってるなんてもったいないですよ!」

 目を白黒させた竜也が、助けを求めるようにヤスミンに視線を送る。ヤスミンは苦笑を見せた。

「『カリシロ城の花嫁』だけでこの先ずっとやっていくわけにもいかないし、わたし達もタツヤには一緒に来てもらわなきゃ、って思ってるのよ。それに、タツヤも前にそんな話をしてたじゃない」

 確かにその通りだが、こんなに急な話だとは思っていなかったので何の用意もしていなかった。

「返事はいつまでに?」

「来月、ダムジの月の一日には出港しますので、それまでには決めてくださいね」

 竜也はそれを了解し、二人に頭を下げた。

「一緒に行けるように努力しますので、よろしくお願いします」







 竜也はその足でハーキムの家へと向かった。

「残念ですが、私はこの町に残ります。私はこの町の出です。しがらみやら父祖の墓やら色々ありまして、簡単に捨てるわけにもいきません」

 ハーキムは以前にもスキラ行きをヤスミンから誘われたそうだが、そう言って断っていた。

「エレブの状況については、こんな田舎町よりもスキラの方がよほど情報を得やすいと思います。何か判ったら私にも教えてください」

「それはもちろん」

 ハーキムの依頼に竜也は頷いた。
 その夜、ラズワルドのコテージ。竜也はラズワルドにスキラ行きの件を説明した。

「この町には何も未練はない。わたしはタツヤについていく」

 ラズワルドの回答は以前にこの話をしたときと全く変更がなかった。竜也もまたラズワルドを置いて一人で行くことを考えもしていない。

「問題はアニード。例え邪魔になっていても、簡単にわたしを手放しはしない」

「確かに」

 竜也は腕を組んで考え込む。そんな竜也にラズワルドが提案した。

「アニードの弱みならいくらでも握っている。脅すのは簡単」

「最悪はそれも選択肢に入れるとしても、もっと穏便な方法はないのか?」

「アニードと交渉して手放させる。わたしがアニードの考えを読めば、交渉に勝つのはそんなに難しくない」

「言い負かすだけなら簡単かもしれないけど、それは交渉で妥協させるのとは違うんだ」

 竜也はたしなめるようにラズワルドに説明した。

「こっちにはろくな手札はないし、下手に追い詰めると失敗する。こっちに都合のいい答えを逃げ道にして、相手をそこに誘導するのが一番理想的な交渉術なんだけど……」

 竜也の脳裏にある考えが閃いた。竜也が脳内で材料を組み立て、崩し、再度組み直す。その過程はラズワルドでも読み取れないくらいの速度である。しばしの時を経て、竜也の脳内ではほぼ完全な作戦が組み上げられていた。ラズワルドもそれを読み取る。

「カフラさんに協力してもらおう」

 アニードは交易のためつい先日までルサディルを離れていたので、カフラが何をしにルサディルを訪れているのか知らない可能性は高い。

「それはわたしが確認すればいい。アニードにはお似合いの手」

「ふふふ」

「くすくすくす」

 竜也とラズワルドは悪辣そうな微笑みを交わし合った。







 それから数日後、アニード邸をカフラが訪れた。
 スキラのナーフィア商会と言えばネゲヴ有数の大豪商であり、その使者が会見を求めているなら会わないという選択肢はアニードにはない。例えその使者がほんの小娘であろうとも。アニードは最大限へりくだってカフラを出迎え、客間へと通した。その隣室ではラズワルドがいつものように待機している。

「――白兎族はもう用意されていますね?」

 挨拶も何もなく、カフラが先制する。アニードは返答に詰まった。

「さ、さて、何のことでしょう」

「下手な芝居は結構。白兎族の悪魔がそちらの手にある以上、普通の交渉は成立しないでしょう。ですが、わたしは交渉に来たのではありません。スキラ商会連盟の総意を通告しに来たのです」

 ラズワルドはいつものように手鏡を使ってアニードに合図を送った。アニードはカフラが嘘を言っていないことを知らされる。(なお、商会連盟とはバール人商人が中心となって組織している商人同士の互助会みたいなものである。)

「スキラ商会連盟に属する全ての商会はアニード商会との一切の取引を打ち切ります」

「そ、そんな……」

 ラズワルドがアニードに合図を送る。アニードの口から唸り声が漏れた。

「一体何故……?」

「貴方が普通に取引や駆け引きに勝ち続けただけなら、こんな決定はされません。ですが、貴方のやり方はあまりに卑劣だった。商人同士の仁義を踏みにじり、一方的に自分だけボロ儲けをし続けた。そのために他の商人からどれだけの恨みを買ったのか、まさか理解していないのではないでしょうね?」

 ラズワルドがアニードに合図を送る。アニードが大量の冷や汗を流した。

「……スキラと交易できずとも、ハドゥルメトゥムやカルト=ハダシュトの商人がおります」

「スキラの動きを知れば、ハドゥルメトゥムやカルト=ハダシュトの商会連盟も同じ決断をするのは間違いありません。ウティカやイギルギリもいずれは追随するでしょう」

 ラズワルドがアニードに合図を送る。アニードが顔面蒼白となりながら言い訳した。

「その、正直申しまして、私も少々やり過ぎたことを反省しているところなのです。白兎族の悪魔は故郷に帰しまして、元のように真っ当に商売をしようと思っていたところでして」

「故郷に帰したところで、貴方や他の商人が悪魔をまた利用しようとするかもしれません。手放すのであれば引き渡していただきましょう。悪魔は我々の商会連盟が共同で管理します」

 アニードが眉を跳ね上げた。

「……あの悪魔は私が高い金を出して白兎族から買ったものです。それを引き渡すとして、我が商会への見返りは?」

「悪魔が貴方の手元にないのであれば、取引を打ち切る理由もありません。それは見返りにはならないと? それに、白兎族に払った対価など端金に過ぎないでしょう? 悪魔を使って得られた儲けから見れば――我々スキラの商人が受けた損害から見れば」

 カフラが斬り捨てるような視線でアニードを見下ろす。アニードは身震いした。

「……最近スキラの商人の幾人かと疎遠となっているのですが……」

「口添えくらいはしましょう。取引を再開できるかはそちらの努力次第です」

 アニードはがっくりと肩を落とす。アニードが落ちたことを、カフラは理解した。







 交渉の翌日にはラズワルドはアニード邸を出てカフラの商船へと移動した。鞄二つにまとめられた着替えと多少の貯金、それがラズワルドの全財産である。竜也がその二つの鞄を持ってラズワルドに同行する。
 ラズワルドは踊るような軽やかな足取りで歩いていた。

「タツヤはすごい、こんなに簡単にアニードから自由になれるなんて」

「あのおっさんが迂闊なだけだよ。ラズワルドが敵に回ることを考えもしていないんだから」

 カフラがアニードに通告した内容は、実は全てカフラのはったりだったのだ。普通の商人ならこんなはったりは相手にもされないだろう。アニードが自力のみでカフラと交渉したなら、あるいはカフラの嘘を見抜けたかもしれない。

「でも、あのおっさんはラズワルドの力に頼って自分で考えようとしなかった。その肝心のラズワルドがカフラさんに協力していたんだから、あのおっさんが負けるのは当たり前だよ」

「当然の報い」

「そういうこと」

 竜也達が港に到着し、やがてカフラの商船が見えてきた。竜也達の姿を認めたカフラが大きく手を振っている。竜也は早足でカフラの元へと急いだ。ラズワルドは少し遅れて竜也に続く。

「カフラさん! ありがとうございます!」

 竜也は真っ先にそう言ってカフラに頭を下げた。

「にゃははは! 別に構わないですよ。わたしもこんなに楽ちんで愉快な交渉は初めてでした!」

 カフラはそう花咲くような笑顔を返した。

「それにしても、随分どきついはったりかましたんですね」

「ん? 全くのはったりってわけじゃないですよ。アニードさんの振る舞いはスキラの一部ではすでに問題になっていましたし、万一交渉が決裂したときは『白兎族の悪魔』の事実を知る限りの商会連盟に言い広めるつもりでしたから」

「『悪魔』じゃない」

 そのとき、ようやく追いついたラズワルドがカフラにそう言う。カフラは恐縮した。

「あ、ごめんなさい。でもあのときの交渉者の振る舞いとしてはあの言い方が最適だったから――」

 ラズワルドはカフラの言い訳を無視し、一方的に告げた。

「『悪魔』じゃない。『白い悪魔』」

 きょとんとするカフラの一方、ラズワルドは偉そうに胸を張っている。竜也は内心「余計なことを教えてしまったかも」とちょっと後悔していた。

「――ええと、ああ、うん。判りました、『白い悪魔』ですね」

 カフラはそう納得して見せてその話をさらっと流し、次の話題に移る。

「それと、ラズワルドさんの力を商会連盟で管理する、というのも嘘じゃありませんよ。少なくてもラズワルドさんにはどの商人にも力を貸さないことを確約してもらいますし、力を使うときは特定の商人のためにではなく、連盟のために使ってもらおうと思っています」

「その報酬は?」

 ラズワルドの疑問にカフラが答えた。

「不自由な思いはしないくらいの金額はお約束します」

 今度は竜也が自分の疑問をカフラに訊く。

「カフラさん自身はこの子の力を利用しようとは思わないんですか?」

「考えなくもなかったんですけど」

 とカフラは苦笑した。

「昨日のアニードさんの醜態を見て考えを変えました。ラズワルドさんの恩寵は強力すぎです。それに頼ると商人として駄目になっちゃいます」

「確かに」

 竜也は深々と頷いて同意した。

「――さて、出港まであと七日です。お二人の戸籍の移動とか、必要な手続はこちらで進めます。タツヤさんには船員の一人として働いてもらいますから、そのつもりでお願いしますね」

 判りました、と竜也が頷く。ラズワルドは用意された船室に移動し、竜也はカフラと一緒に船内に案内された。







 竜也はアニード邸で仲良くなったメイドのリモンと、ラズワルド付きのばあやに別れの挨拶をする。ばあやはラズワルドを孫のように可愛がっていたので、非常に寂しそうにしていた。ラズワルドも別れを惜しんで涙ぐんでいる。

「ラズワルドがいなくなったらおばあさんはクビになるのかな?」

 竜也はリモンに確認する。

「なるかもしれませんが、おばあちゃん一人くらいわたしが養ってみせますから大丈夫です」

 とリモンは胸を張った。そうか、と竜也は安堵する。

「それじゃ、元気で」

「ええ。タツヤさんも」

 リモンはどこか寂しそうな微笑みで竜也を見送った。
 そして七日後、月は変わってダムジの月(第四月)。竜也やラズワルド、ヤスミン等を乗せた船はルサディルを出港した。行き先はスキラ、約一ヶ月の旅程を予定していた。





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