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No.19828の一覧
[0] 少女の愛した狼 第三部完結 (和風ファンタジー)[スペ](2022/01/30 08:17)
[1] 命名編 その一 山に住む狼[スペ](2010/11/01 12:11)
[2] その二 出会う[スペ](2010/11/08 12:17)
[3] その三 暮らす[スペ](2010/10/23 20:58)
[4] その四 おやすみ[スペ](2010/06/28 21:27)
[5] その五 雨のある日[スペ](2010/06/29 21:20)
[6] その六 そうだ山に行こう[スペ](2010/06/30 21:43)
[7] その七 天外という老人[スペ](2010/07/01 20:25)
[8] その八 帰る[スペ](2010/07/03 21:38)
[9] その九 拾う[スペ](2010/07/12 21:50)
[10] その十 鬼無子という女[スペ](2010/11/02 12:13)
[11] その十一 三人の暮らし[スペ](2010/07/07 22:35)
[12] その十二 魔猿襲来[スペ](2010/07/08 21:38)
[13] その十三 名前[スペ](2010/09/11 21:04)
[14] 怨嗟反魂編 その一 黄泉帰り[スペ](2010/11/01 12:11)
[15] その二 戸惑い[スペ](2011/03/07 12:38)
[16] その三 口は災いのもと[スペ](2010/11/08 22:29)
[17] その四 武影妖異[スペ](2010/12/22 08:49)
[18] その五 友[スペ](2010/10/23 20:59)
[19] その六 凛とお婆[スペ](2010/10/23 20:59)
[20] その七 すれ違う[スペ](2010/10/23 20:59)
[21] その八 蜘蛛[スペ](2010/10/23 20:59)
[22] その九 嘆息[スペ](2010/10/23 20:59)
[23] その十 待つ[スペ](2011/03/25 12:38)
[24] その十一 白の悪意再び[スペ](2010/12/01 21:21)
[25] その十二 ある一つの結末[スペ](2010/11/08 12:29)
[26] 屍山血河編 その一 風は朱に染まっているか[スペ](2010/11/04 12:15)
[27] その二 触[スペ](2010/11/09 08:50)
[28] その三 疑惑[スペ](2010/11/13 14:33)
[29] その四 この子何処の子誰の子うちの子[スペ](2010/11/20 00:32)
[30] その五 虚失[スペ](2010/11/22 22:07)
[31] その六 恋心の在り処[スペ](2010/11/29 22:15)
[32] その七 前夜[スペ](2010/12/13 08:54)
[33] その八 外[スペ](2010/12/22 08:50)
[34] その九 幽鬼[スペ](2010/12/27 12:12)
[35] その十 招かざる出会い[スペ](2011/01/03 20:29)
[36] その十一 二人の想い[スペ](2011/01/07 23:39)
[37] その十二 味と唇[スペ](2011/01/16 21:24)
[38] その十三 雪辱[スペ](2011/02/16 12:54)
[39] その十四 魔性剣士[スペ](2011/02/01 22:12)
[40] その十五 血風薫来[スペ](2011/05/25 12:59)
[41] その十六 死戦開幕[スペ](2011/02/24 12:21)
[42] その十七 邂逅[スペ](2011/03/20 20:29)
[43] その十八 妖戦[スペ](2011/03/23 12:38)
[44] その十九 魔弓[スペ](2011/03/31 09:00)
[45] その二十 死生前途[スペ](2011/05/17 08:55)
[46] その二十一 仙人奇怪話[スペ](2011/05/22 21:31)
[47] その二十二 魔狼と魔剣士[スペ](2011/06/05 20:58)
[48] その二十三 真実[スペ](2011/06/20 12:56)
[49] その二十四 別離[スペ](2011/09/02 23:49)
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[19828] その二十三 真実
Name: スペ◆52188bce ID:97590545 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/06/20 12:56
その二十三 真実

 つい数日前までは妖哭山の内側の大部分は樹木それ自体が悪意を持って成長したかのように絡まり合い、緑の天蓋となって樹海を暗黒の中に沈めていたが、まるで天空の彼方から無数の隕石が飛来したかのように木々の絡み合った根からまるごと吹き飛ばされている。
 横倒しになった巨木や途方もない衝撃に吹き飛ばされた木々の破片が山のように積み重なり、その上に巻き上げられた土砂や汚泥のように粘ついた血潮が降り注いで、吐き気を催す色彩をぶちまけている。
 土砂や木々の下に、あるいはその上に無数の妖魔の死骸が散らばり、繰り広げられた激戦の凄まじさを暗に物語っている。
 そして恐るべきことに地形が大きく変化するほどの激闘を繰り広げているのは、たった二体の妖魔であった。それ以外の妖魔達の死骸は二体の妖魔の戦いに巻き込まれた不運な者達のなれの果てに過ぎないのだ。
 実に丸三日に及んだその激闘もいま、終わりを迎えていた。
 七色の色に輝く羽に包まれた翼は羽ばたく力を失い、無数の傷から溢れる自分自身の血に濡れている。
 翼の羽ばたき一つで小規模な砦など基礎から吹き飛んでしまうだろう、巨大な鷹である。
 だが千里の彼方まで見通す瞳から生命の光は失われて、だらしなく開かれた唇からは紫色の舌がだらりと零れ、傷つけられた臓腑から溢れた血潮が滝のように流れている。
 妖哭山の空の覇者として恐れられた妖鷹族の長、穿鷹(せんおう)だ。
 血に刻まれた本能の為に妖哭山の外に出る事は無かったが、もし自由に空を飛ぶ事が出来ていたならば、妖哭山の妖魔に共通する残虐性と旺盛な破壊と闘争への本能から、それこそ神夜国に悪名を響かせる大妖魔となっていただろう。
 しかしいまや穿鷹の首には深々と牙が突き立てられて、野太い首の骨はへし折られた為に絶命している。突き立てられた牙から流れ込む毒によって、穿鷹の体は内側から紫色に変色し始めており、強烈な悪臭を放っている。
 穿鷹の生命の灯を奪ったのは、これまた見上げるほど巨大な蛇であった。どれほどの激闘であったものか、左目は潰れて今も激しく血を垂れ流し、這いずり回るだけで街を一つ壊滅させてしまう巨大な蛇体の鱗はあちらこちらが剥がれ落ちている。
 雪輝が妖哭山最強と認め、相討ちに持ち込む事も難しいと断ずる蛇妖の長である紅牙だ。
 牛馬を十も二十も丸ごと飲み込めるほど巨大な自身の口の中で、ようやく命の火を消した妖鷹族の長に一瞥をくれてから、紅牙はその場に吐き捨てた。
 辺り一帯に響き渡る落下音を立て、下敷きになった妖魔の遺骸や木々を押しつぶしながら穿鷹は血飛沫を撒き散らし、大地にもう二度と羽ばたく事の無い翼を広げた。
 妖哭山で一、二を争う戦闘能力を保有する蛇妖族は、妖哭山全体に広がった狂的な殺戮の嵐の中にあって、その脅威の度合いから立て続けに多くの妖魔達から襲撃を受けており、紅牙の腹心をはじめ、一族の多くの者達が戦いの中で命を失っている。
 紅牙は既に死した同胞達に対してさしたる関心を示す事もなく、鎌首をもたげてある方向に残る右の眼を向けている。
 長、長、紅牙様と生き残りの蛇妖達が周囲に集まって、声なき声で紅牙に呼び掛けるが冷厳な蛇妖の長はそれらの声が届いていないのか、瞳をじぃっと向け続けている。
 その視線の先では妖哭山の外からやって来た魔性の剣士である黄昏夕座と、妖哭山で行われている果てしない実験の産物である雪輝とが、対峙しているのであった。
 紅牙は耳にするだけで股間が思わずいきり立つほど、妖艶に濡れた声で周囲の同胞に呼び掛ける。

「お前達、いよいよ時が来たようだ。皆、胎を据えよ。我ら一族、滅びるか否かの境目よ」

 そう告げる紅牙のたった一つとなった右の瞳には、この性情冷酷無残な雌蛇がおそらく生涯で初めて浮かべているだろう愁いの揺らぎが宿っていた。


 小山ほども折り重なっている熊の死骸から降り立ち、夕座は冬の空を冷たく斬り裂く三日月の様に美しい妖刀紅蓮地獄を右手に、古代から降り注ぐ月光を底に集めたかのごとく美しい狼の妖魔を前にしてあるか無きかの笑みをうっすらと浮かべている。
 太陽が地平線の彼方から姿を覗かせて、黄金の光が世界を照らし出している筈であるのに、夕座と雪輝が対峙する一角でばかりは黄昏の陰鬱な光の中に沈みこんでいるかのようであった。
 世界の様相さえ変えて見せるほどの美貌と雰囲気を纏う、一人の若者と一頭の狼が居る為に。
 雪輝から数歩下がった位置で肢を止めた狗遠は、骨の髄まで凍える様な剣気を放つ夕座を前に、心胆の奥深くを戦慄させていた。
 初見の時は夕座が率いて来た妖魔改の隊員達を相手に戦っていた為に、真っ向から夕座の気を浴びるのは今回が初めての事になるが、妖哭山の中で争ってきた妖魔達とは根源的な質の異なる気は、狗遠の本能に警鐘を鳴らさせるものだった。
 ひなを連れた鬼無子と凛が赴いた街で不運にも遭遇してしまったこの妖しいほどに美しい若者との因縁を、ここで明確に断つべく全身に殺気を滾らせる雪輝も狗遠同様に夕座の剣気を真っ向から浴びてはいたが、既に夕座を殺すと決めた雪輝にはさして感じ入る物もない。
 手強い、ただその一語が脳裏に浮かび、波間の泡玉のように弾けて消えただけである。
 雪輝の全身は既に天外の庵を出る前から妖気が漲り、戦闘態勢を整えている。千の刀槍や百の銃を相手にしても、何ら恐れる必要の無い強大な妖魔たる雪輝の放つ殺気を浴びる夕座は、まるで動じる様子もなく面白げに見つめ返している。
 初撃のきっかけを探る雪輝を前に、夕座は右手の紅蓮地獄の切っ先をゆらりゆらりと気まぐれに動かしながら、口を開いた。

「お主、大狼ではあるまい。以前に見たあの狼めよりもお主の方が放つ妖気が強い。あれの纏っていた凶相もない。大狼はどうした?」

 大狼との面識があると告げる夕座から、警戒の意識を外さずに雪輝は答えた。いちいち応じる辺り、律儀に過ぎる狼である。

「あれはとうの昔に私が滅ぼした。大狼なぞ痕跡一つ残っておらぬ」

「ほう。それは見事。となればお主は上級妖魔に相当するか。これでは私以外の者には任せられぬな。よいよい、鬼無子姫を我がものとする余興程度に考えておったが、どうしてどうして余興では済まぬ楽しみができたわ」

 心底楽しげに笑む夕座に、雪輝はこれ以上口を開かせる事さえも疎ましく、足場と下大地が砂塵となって砕けるほどの踏み込みで、夕座へと迫る。
 まさに大地に走る白銀の流星。
 緑と茶と赤とで彩られた大地の色彩を切り裂く白銀の光明は、夕座に触れる寸前で大きく弾かれて、苔むした古い大樹を幾本もへし折りながらようやく停止する。
 目にも止まらぬ雪輝の突進をより早い太刀の一振りで迎撃した夕座の技こそ凄まじい。
 夕座の白く艶めかしい喉笛に牙を突き立てんとした雪輝の首を、雪輝から見て左斜め下から切っ先を跳ねあげて迫る紅蓮地獄の切っ先を躱した雪輝は、首の左付け根のあたりをかすかに濡らす自身の血に、視線を送った。
 完全に切っ先は避けた筈だが、その切っ先から放たれる剣気と音の壁を越えたことで発生した真空による鎌鼬現象によって、厚さ一尺の鉄に等しい雪輝の体毛と妖気による防御圏が切り裂かれ、皮と肉を斬られたのだ。
 鬼無子の一刀と同等の斬撃である。雪輝の戦闘能力を支える強みの一つである防御は、夕座相手には通じない事はこれで証明されている。
 傷を負った箇所に妖気を多量に流し込み、一瞬で傷口を癒着させて止血を施す。傷自体は浅く戦闘行動に支障をきたすほどではない。

「気に入る入らぬは別として手強い敵である事ばかりは確かな事実か」

 ぐる、と血に狂った肉食獣そのものの唸り声を咽喉奥から零し、雪輝はゆったりとした動作でこちらを振り返る夕座の顔を真正面から見据える。雪輝と対する夕座の顔からは笑みが取り払われている。
 たった一度の交錯に過ぎなかったが、それだけでも夕座は雪輝の実力を正確に読み取り、常に浮かべていた笑みを潜めて紅蓮地獄に左手を添えてふらりふらりと歩を進める。
 赤ら顔の酔漢の足取りの様に頼りなく見えるそれも、重心を定めず如何なる動きにも対応する為の独特の歩方であり、剣の道を何十年もかけて歩き続けた者でもそうは身に着かない。
 およそ武術や兵法と名の付くものにはとんと縁の無い獣である雪輝には、夕座の剣士としての技量のほどは正確に見極められるものではなかったが、警戒に警戒を重ねるべきと判断は着いた。
 もっとも警戒を重ねる事と攻勢に出る事を躊躇するのは全く別の話。雪輝は自分が激突したことでへし折れた大樹を足場に、再び夕座めがけて四肢を躍動させる。
 常人の眼には映らぬ速さで雪輝は夕座との十間の距離を零にすべく走り、小刻みに左右へと動き、急停止と急加速を織り交ぜて無数の雪輝の残像が夕座の前方に現れては消えてゆく。
 夕座相手にはさほど効果は無いだろうと雪輝自身考えてはいたが、何もせずに正面から突貫するよりはましと割り切っていた。
 数えても数え切れぬほど現れる残像に紛れる雪輝の狙いは、夕座の後方からの延髄を狙っての噛みつき。一噛みで人間の首を骨ごと噛み千切る咬筋力と牙の鋭さを有している事は、改めて語るまでもないだろう。
 例え牙が届かずとも雪輝の身体に触れるだけで木の葉のように夕座の体は舞い飛び、樹木か地面に激突して全身の骨を粉砕する。
 夕座の真正面から夕座を中心に半円を描いて背後へと風を切りながら疾駆し、雪輝は青い瞳の中に夕座の背後を捉えて飛びかかった。
 案の定、というべきか夕座の背まであと二間という所で雪輝の眉間めがけて夕座の左脇を通して紅蓮地獄の切っ先が、銀閃鋭く突き出されていた。雪輝の肢は止まらず、また止められない距離と勢いであった。
 わずかに体を左に傾けて切っ先を避けた雪輝は、紅蓮地獄の刃に数本の体毛を切り散らされながら、かまわずそのまま夕座の背へと猛獣の恐ろしさそのままに最後の一歩を踏みこんだ。
 牙が届かねば両前肢に二振りで夕座の頭蓋を、骨片混じりのひき肉に変える心算の雪輝に対し、夕座は左脇を通して紅蓮地獄を突きだす動きに連動して体を左旋回させて雪輝と真正面から相対し、そのまま膝を折って身を低く沈める。
 雪輝の牙はがちんと激しい音を立てて空を噛んで火花を散らし、視界から下方へと沈みこむ夕座を追って跳躍中の雪輝は、横に伸びた体を丸めて両前肢の爪を限界まで伸ばした状態で背の見える夕座へと振り下ろす。
 夕座の体を上下に別つ両前肢の一撃を、夕座は足を滑らせたように思いきり低く身を沈めた姿勢から左方向へと大きく飛んだ。
 雪輝の両前肢は夕座の残像を貫いて地面に大きくめり込み、それを利用して雪輝はめりこんだ前肢を支点にその場で方向転換を行い、横に逃げた夕座を再び視界正面に捉える。
 肢を蹴ったのは奇しくも雪輝、夕座共に同時であった。右手一本に握った紅蓮地獄の横薙ぎの一閃が、雪輝が跳躍を挫く絶妙な間で襲い掛かり、咄嗟に四肢を突っ張って前進を止める雪輝の左頬に短い一文字の斬痕を刻む。
 のみならず雪輝の首を落とし損ねた右から左への一刀は、飛燕のごとく切っ先を返して雪輝の右頸部を狙って二文字めを刻まんと動いている。
 これに雪輝は右前肢に多量の妖気の膜を積層させて振るい、紅蓮地獄の刃と打ち合って巨大な鉄塊が激突した様な轟音を立ててお互いを弾きあう。
 紅蓮地獄を弾く雪輝の巨躯に相応しい剛力に体勢を崩す夕座の腹めがけて、雪輝は急停止させた肢を動かし、牙を唸らせた。
 青い着流しの布地に真珠色の牙の先端が触れ、そのまま夕座の白蝋のごとき肌を突き破らんとした雪輝の牙は、右の頬桁を思いきり打ち据えてきた夕座の左膝に逸らされて、着流しの一部を裂くに留まる。
 夕座の左膝蹴りの勢いをそのままに雪輝はその場から飛んで夕座と距離を取り、青眼に構えた夕座と相対する。
 雪輝が背後を取ってから一連の攻防に要した時間は一秒か二秒にも満たないだろう。神経を限界まで研ぎ澄まし集中の限りをつくした攻防は、雪輝と夕座の主観においてはるかに時間的感覚が延長されていた。
 青眼に構えた夕座との相対状態は、しかしわずかも維持される事は無かった。青眼の構えを崩すことなく下半身の動きだけで、雪輝との距離を詰める奇妙な走法で夕座が迫り雪輝もまた迎える為に動いた。
 夕座の圧力の凄まじさが成せる業か、雪輝の視界の中で縦に構えられた紅蓮地獄の刃が、雪輝の視界を埋め尽くして夕座の姿を隠す。
 目晦ましか幻か、と雪輝の思考の一部が囁く間こそあれど、雪輝の視界を埋め尽くしていた銀刃が、吸い込まれる様にして雪輝の眉間へすいと伸びる。
 暖簾を推す様な力みの無い極自然な動きのようで、刃を突きだす予備動作の一切を雪輝は知覚する事が出来なかった。故に、突き出された刃を左に躱せたのは、ひとえに雪輝の反射神経と反応速度の賜物と言えた。
 夕座の背丈とそう変わらない巨体の雪輝がそれでも重心を低く抑えて、紅蓮地獄を握る夕座の右手を噛み潰しに掛る。首か胴に牙を突き立てて命を断つことよりも夕座の戦闘能力を削ぐべく方針を変えて挑んだ。


 天外に用意された石室の中の寝台に横たわったまま、鬼無子は意識を明瞭と保ったまま自分の体の中に透明な管を伝って入ってくる、神の血だという紫色の液体を一瞥してから天外の顔を瞳に映す。
 皺を寄せ集めて作った様な老人の顔には先ほどから謹厳な趣が浮かんでおり、少なくともその表情を見る限りにおいては鬼無子の治療を真摯に行っていると信じる事が出来た。
 輸血という耳に馴染みの無い行為を受けてからどれだけ時間が経ったのか、意識は明瞭としていると言うのにそればかりは分からず、雪輝はどうなったかとずっと考え続けていた鬼無子は、それを天外に問う事にした。
 正直に答えが得られるかは甚だ疑わしかったが、それでもこの老人に頼る以外の術を持たぬ事を、鬼無子は歯がゆい気持ちと共に理解していた。
 妖魔の血を妖しく疼かせた影響であるのか、ひと際赤みを増して艶めかしさを増す唇を動かして、短い言葉を紡ぐ。

「天外殿、外の様子を知る術はございませぬか」

 それまで鬼無子の体に流し込む血の量を、砂粒一粒一粒をつまんで城を築くような繊細さで注視して調整していた天外は、ちょうど調整作業が終わった事にわずかに相好を崩して、鬼無子の願いに応じるべく懐に手を突っ込んで小さな銅鏡を取り出す。
 ひなに与えた品と良く似たものである。遠距離間での映像と音声のやり取りを可能とする不可思議な鏡だ。おそらくこれに雪輝達の様子を映し出すものなのだろう。
 寝そべった体勢から上半身を起こそうとする鬼無子を天外は手で制し、小洒落た仕草で左手の親指と中指で小気味よい音を一つ立てると、鬼無子が背中を預ける寝台それ自体が置き上がり、鬼無子に一番負担をかけない角度で停止する。
 天外の気遣いに、鬼無子は小さく黙礼した。

「いまぁ、雪輝と黄昏夕座が殺し合いを始めて半刻(一時間)といったところだの」

 天井から見えない糸で吊るされていたのか、銅鏡は天外の手からふわりと浮きあがって離れるや、鬼無子の目の前までひとりでに動いて止まる。術の発動そのものがまるで知覚できぬ事に、鬼無子は微量の情けなさを交えた苦笑を浮かべた。
 仮に鬼無子が天外と敵対したなら、天外の仕掛ける術の類を発動前に察知する事は出来ず、一方的に追いつめられるだろうとはっきりと理解させられた事と、仮にも自分を治療してくれている恩人との戦いを想定した自分への嫌悪が浮かべさせた苦笑である。
 浮かべた苦笑を一瞬でひっこめ、瞳を細めて銅鏡の映し出す光景を見る。雪輝と夕座の直上から俯瞰する視点から、戦闘の様相を伺い知ることが来た。
 雪輝に同行した狗遠は手出しを禁じられているのか、その姿が映る事は無く銅鏡の鏡面に白銀の影と青い影とが時折交錯し、一瞬の間に無数の攻防が煌めいては消え、その都度巨木の根が絡み合った凹凸状の足場や灌木、乾いた血のこびり付いた巨岩が切り裂かれ、砕け散り、目に見えない衝撃の波が周囲の霊的存在を圧倒している。
 鏡越しに映し出された光景からそれだけの事を鬼無子の瞳と直感は見抜き、雪輝と夕座の戦いが互角の様相を呈していると結論した。
 全力を出した雪輝の瞬間的な最高速度は音の壁を容易く超える領域にある。その速度で雪輝の巨体が押しのける大気は剛腕を持って振るわれる鉄槌に等しく、さらに雪輝の妖気が混入することで破壊力を劇的に増している。
 雪輝に触れずとも雪輝の体が押しのけた大気に触れるだけで並大抵の妖魔など致命傷を負うが、その殺戮の風と雪輝の牙と爪を夕座は妖刀一振りを片手に凌ぎ切り、速度ではわずかに劣るも神業と、いや魔性の技と畏怖するほかない刀の冴えで反撃の刃を繰り出している。
 鬼無子はふと、この普段の態度からはまるで察せられないが、偉大な知慧を秘めているやもしれぬ老人ならば、自分の疑問の答えを全て知っているのではないかと問いかける。

「天外殿、あの黄昏夕座というもの。あれの正体を御存じなのではないですか。天外殿はこの山の事ならずこの世の闇と影の中に埋もれた知識にも通じておられる様子」

 いつの間にかどこからか取り出した樽椅子を鬼無子の寝台の左横に起き、座布団を敷いたその上に腰かけていた天外は、鬼無子の問いかけと深く艶のある闇の色をした鬼無子の瞳を見つめ返し、含む者のある笑みを浮かべた。
 雪輝が見たら、またなにか騙されるのではないだろうかと警戒するに違いない曲者の笑みである。

「そうさなあ、この神夜の国は北を源義経の源氏が、南は卑弥呼の起こした邪馬台国が支配しておった。そしてこの島国のちょうど臍のあたりは小国が乱立し、それを二百と数十年前に異世界から連れて来られた織田信長が制圧、その勢いのままに一度神夜全土が統一された事は、語るまでもないわな」

「それはそうですが、なぜその様なお話を?」

 天外の語った極めて簡略的なこの国の歴史は鬼無子ならずとも寺子屋に通う子供なら、知っている程度の極々基礎的な知識である。かつて織田に屈服させられた邪馬台国が母体となった大和朝廷に産まれ育った鬼無子にとっては、聞かされて楽しい話ではない。

「ではその織田家の四代目の事は知っておるかな?」

「……詳しくは存じませぬ。ただ、歴史にその名を残す事も憚られるほどの狂人であったと聞いております。知勇を兼ね備え、先見の明に富み、政略と謀略にも長け、希代の名君たる素質を兼ね備えながらも、八徳を母の腹の中に置き忘れて産まれ、血を見ることに喜びを覚える陰惨無比な性であったと」

 四代目織田家当主織田信風。織田家が神夜国全土を支配下に置いていた最後の代の当主にあたる。
あらゆる方面に傑出した才能を持ち、類稀なるそれらの才能をいかんなく発揮して隷属する者達に繁栄を享受させる一方で、日に最低でも一人は殺さずにはいられないと言うおぞましい性癖を、わずか齢九つの頃から露わにした、その存在を記録に残す事も憚られた狂君。
女中や小姓、臣下からその家族、領民と相手を選ばずに自ら振るう刀で切り刻み、突き出す槍で刺し殺し、引き絞った弓弦から放たれた矢で逃げ出す哀れな犠牲者の背中や後頭部を射ぬき、その手に掛けた者達の血を体に塗りたくって悦に浸っていたと言う。
時には妊婦の腹を裂いて赤子の性別を当てる賭け事をし、凶行の対象は人間のみならず野の獣や妖魔にも至り、妖魔を八つ裂きにした快感と興奮のままにまだ息のある妖魔の腹に手を突っ込み、腸を引きずり出してそれを喰らうなど、常軌を逸した言動を繰り返した。
でありながら君主としては領地経営、軍事、政務、外交とあらゆる面において神夜の歴史を紐解いても片手の指にも満たないほど極めて優れた能力を見せ、永らく臣下達の反発を抑え込んでもいた。
しかしそれも遂には限界を迎え、自らの褥の中で殺したばかりの女中のまだ暖かい死体を犯している所を襲われて、武装した兵三百二十四名、術師五十七名を斬り殺した末に、遂には首を断たれて葬られたという。
一説には四代目が手に掛けた人間や妖魔、動物の死体を積み重ねれば比喩ではなく一つの山が築き上げられ、流された血は川を赤く染めて海にまで届いたという。

「なぜ百年以上も昔に死んだ男の話に?」

「その四代目こそが、あの黄昏夕座の正体に他ならぬからよ」

 天外の言葉の意味を理解した鬼無子は愕然とした表情を浮かべ、次いで細めた瞳に銅鏡の中に移る夕座の横顔を映した。陽光も月光に変えてしまいそうなほど青白く美しい横顔には、無垢な童のような笑みが浮かんでいる。
 持てる全力の力を出し切っての殺し合いが心底楽しいに違いない。
 凄艶な笑みを浮かべる夕座の顔を見ながら、鬼無子は天外の言葉が事実であるのなら、それを可能とする外道の術を思い浮かべて口に乗せる。
 絞り出された鬼無子の事は、それでも風に揺れる風鈴の様に美しいのに、隠し得ぬ畏怖と嫌悪の響きを孕んでいた。

「死人をこの世に呼び戻す術となれば……反魂の法。しかしあれは、これまで成功した事の無い外法のはず」

 反魂の法。それを生み出したのが誰であるのか、それは分からぬが死後の魂の管理を司る冥府の神や、高位の神を除けば決して行なう事の叶わない、失われた生命の復活を人間の手によって成さんとした最高位の術であり、同時に決して成されてはならぬ術である。
 過去、数え切れぬ名もなき術者達が試みてはその都度失敗して、世界の法則に挑んだ代償を支払い、その悲惨極まりない結末が後の者達に対する訓戒となった禁忌。

「反魂の法というてもばらばらの死骸を集めた死体に新たに魂を宿すものと、本人の死体に失われた魂を呼び戻し、生者にするものとがあるが、四代目に施されたのはそれらの折衷案と言った所じゃったかのう。
 織田家の四代目はの、その性邪悪極まりなかったが、その邪悪さゆえに魂の強さも人並ならぬ凄まじさを誇り、それを惜しんだ事と怨霊となった四代目に復讐される事を嫌った反逆者達が変則的な反魂の法を施したのじゃ。
 おまけにただ蘇らせるだけではない。夕座と今は名乗っておる四代目の死体に国中の妖魔の死骸や呪詛や怨恨の類をありったけぶち込み、対人対妖魔戦闘用の兵器に生まれ変わらせたんじゃな。ちょうど鬼無子ちゃんや百方木家の様な形での」

 たぶんに毒を含む天外の言葉であったが、鬼無子自身妖魔の血肉を代々受け入れて来た自身の一族に対し、人間とは呼べないのではないか、これではただの戦いの道具ではないか、と思う所があった為言い返しはせずに苦く口を噤むだけに留めた。

「もちろん反旗を翻して逆らわぬように服従の術を施したのは言うまでは無いわな。老いる事は無く病に倒れることもなく、人間の限界を越えた能力、生前から持っていた天与の剣才、死後に施された術によってより強化された強大な魂、冥府より呼び戻された異形の精神、異世界から招かれた英傑の血統、それらが合わされた結果、百方木や四方木の歴史にも匹敵する怪物が生まれたわけよ」

「その様な外法が行われた事を察知できなかったとは」

「南方生まれの鬼無子ちゃんにとっては、ある意味、夕座に感謝しなければならんかもしれんぞ。織田家当主であったあやつを暗殺するのに手古摺ったせいで、当時の織田家の重臣たちが何人か殺され、事態を収拾するのに膨大な時間を費やした事で織田家の支配は揺らぎ、源氏と大和に反旗を翻す隙を与えたのじゃからな。
もっともその後で支配力低下を危惧した織田の連中が自ら手に掛けた四代目を黄昏夕座として蘇らせる一因にもなったのじゃから、皮肉なもんよなあ」

 天外の言う事を全て信じてはならないと雪輝から前もって聞かされていたが、この時皮肉と揶揄を交えながら語る天外の声音に、偽りの響きは無しと感じた鬼無子は天外の語る内容に十中八九虚偽は無いと判断していた。
 だが天外の言葉を事実と考えれば、夕座の妖魔改に対する影響力なども納得が行く。弑逆の果てに刃の露と消えたとはいえかつては織田家を支配していた当主であり、その凶行の凄まじさで知られた相手となれば、例え術によって逆らう事は無いとしていても、そうそう夕座の意に反する事は出来ないだろう。

「しかし、天外殿、どのようにしてそれほど詳しい事を調べ上げたのです? 我ら討魔省でさえ掴めなかった秘事の筈」

「なあに、そこは仙人らしくな。千里眼と順風耳、さらに髪の毛の千分の一ほどの大きさのからくりをこの世のあちこちにばら撒いておってな、そいつらが情報をわしの元へと運んでくれるのよ。それにはるか天上にもわしの眼を配しておる。おおよそこの世の事でわしの目に着かぬ事はない」

「……」

 千里眼と順風耳については仙人などが備える特殊な力として知識にあった鬼無子であるが、その後の髪の毛の千分の一という目にも映らぬだろう極小のからくりや天上に配した天外の眼、となるとこれは何を指しているのかさっぱり分からず、何も言えずに再び鏡の映し出す戦いの光景へと瞳を映した。
 天外は山羊の様に顎から伸びる白髭を左手でしごきながら、苦渋に歪む鬼無子の横顔を一瞥してから、鏡に映し出された夕座と雪輝の戦いを見つめる。
 まるで牢獄の様に巨木が立ち並ぶ緑と赤の斑模様の木々の中を、疾風のごとき高速で大地を駆けながら雪輝と夕座は飽きることなく何度も激突を繰り返し、その余波が周囲の地面と木々を粉砕し、闘争の痕跡を無数に残している。
 雪輝は天外の庵で一晩休んだ事によって完全に回復した妖気を出し惜しみすることなく使い、凹凸の激しい地面から直径が十尺はあろうかという巨大な氷の槍が、夕座の体を串刺しにするべく次々と伸び、天へと向かって屹立する氷の槍を夕座は風に舞う蝶のように軽やかに避けていた。
 氷槍から立ち上る白い冷気が肌をくすぐるほどの近距離で回避しながら、時に夕座は回避の間に合わぬ距離や死角から襲い来る氷槍を、紅蓮地獄を無造作に振るって氷槍の先端部を切り飛ばし、時には足場代わりに蹴り飛ばして雪輝を追う動きを見せる。
 百人千人を貫き殺すほど大規模に展開された氷の槍を無傷のままにくぐり抜けた夕座が、徐々に雪輝との距離を詰めるその先で、氷結から炎熱へと攻撃方法を転じた雪輝の意思によって、夕座の美貌を正面から竜の顎と化した紅蓮の炎が襲い掛かる。
 肉体の深部、おそらくは骨に至るまで瞬時に炭化させる大熱量の炎は、夕座の全身を飲み込むその瞬間に二つに分かれ、夕座の後方に広がる木々を灰燼に帰してゆく。
 あろうことか夕座は術を用いるのではなく盾に構えた紅蓮地獄の刃を持って、襲い来る炎をまるで生ける生物のごとく縦に割り、自身には火の粉一つ届かせることなく炎の中を進んでゆく。
 鬼無子をして同じ芸当ができるかと問われれば、苦い声を零すことしかできない神がかった技の冴えである。立て続けに放った氷結と炎熱の二連撃を凌がれた事に、雪輝は白銀の毛皮に包まれた顔に、わずかな焦りと大きな驚きを浮かべる。
 雪輝と夕座の戦いの天秤を動かす切っ掛けは、まだ訪れてはいない様である。だが、天外は気付いていた。
夕座の底知れぬ魔性の剣技に鬼無子が目を奪われる一方で、戦闘開始時と比べてわずかずつではあるが、雪輝の身体能力が増している事、そしてこれほど連続して妖気による熱量操作を繰り出しながら、雪輝の妖気がいまだ底を晒さずにいる事を。
天外はほんのわずかに悪戯心を動かして、本来なら話すつもりではなかったある事を鬼無子に聞かせることにした。

「ところで鬼無子ちゃんや」

「なんでございましょう」

 雪輝と夕座の殺意を欠片も隠そうとしない、死力を尽くし戦いに意識を奪われている鬼無子の返事は、いささか気の抜けたものであったが、続く天外の言葉はそんな鬼無子の意識を天外に振り向かせるに足るものであった。

「雪輝の中身だがな、詳細な事までは分からぬし証拠もないが、大雑把な正体ならばわし、見当がついておるのよ」

「なればなぜそれを雪輝殿に黙っておられたのです」

 天外に敵意を含む寸前の険しい視線を向けて、鬼無子は硬い声音で問いかけた。一時とはいえ夕座と雪輝の死闘から目を離させるだけの衝撃が、天外の言葉にはあったのだ。

「話しても自覚が伴わなければ意味がなく、また確証はないのでな。下手な期待や思い込みを与えるのも良くは無かろうと配慮したからだの。雪輝の肉体に納められておるのは、おそらく神以外には干渉できぬ外の世界から連れて来られた魂じゃろう」

「外の世界、でございますか?」

 天外が雪輝とひなに伝えたこの世界が神々の遊戯場に過ぎず、閉ざされた世界である、という事実は、鬼無子をしても知識の外にあるこの世の秘事であり、外の世界という天外の言い回しに鬼無子はいまひとつ腑に落ちない様子である。
 そんな鬼無子に構わず天外は鏡に映る、戦闘中の雪輝の姿を見つめながら世間話の延長の様に話を続ける。

「うむ。この世の森羅万象は神が造った。しかしながら神の手に依らぬ自然に生まれた世界が、この世の外には無数に広がっておる。越界者という言葉くらいは耳にした事があろう? 
彼ないし彼女らはすべからくこの世以外の世界から来た者達じゃ。源義経しかり織田信長しかり卑弥呼しかり、神の意思と手によってこの世界に連れて来られた者達は、大概が世の歴史というものに深く関わる事が多い。
 というのも異界の者達が連れ込まれるのは世界の変化を神が望んでおる場合が多いからじゃ。現状の秩序や混乱を変えうるものとして異界の者達が連れて来られ、時には異能の力を与えられる。
 神が整えた妖哭山という環境と繰り返される実験の果てに産まれた狼の妖魔という器。そこに納められるは異界の魂。そしてなぜ納められるが神の造り出した人形ではなく、異界の魂である理由は何か」

 天外の言葉を、鬼無子はわずかも聞き逃すまいと息を呑む事さえ忘れて待つ。

「この世のあらゆる生命にはいくつかの定めが神により刻まれておる。ひとつは必ず死を迎える有限の定め。ふたつは決して神を倒せぬと言う定め。過去を振り返れば神を打倒した英雄も居ないではない。じゃがそれは、別の神がその神を人間に倒させたい時のみに限る。ようするに神の意思と介入無くして人間が神を打倒する事は叶わんという事じゃ」

 ここまで語り、天外は試す様に鬼無子の顔を見る。神を打倒とは言うものの、実際にこの世に顕現する神は、高位次元に存在する神の本体の影の様なもので、この世の存在でも干渉できるように劣化させたものだ。
 仮にこの世界で神を打倒したとしても、高位次元に座する神の本体にはなんら痛痒を与える事は出来ない。それは例えば水面に映る自分や地に落とされた影を幾ら叩こうとも、自分自身にはなんら痛みがないのと同じようなことだ。
 そう、この世界では人間に限らず、妖魔も、霊獣も、植物も、獣も、鳥も、魚も、あらゆる生命が神に反旗を翻したとても、真に打倒する事は叶わないのだ。
 天外の言葉に含まれていた真意に気付いた鬼無子は、これまで考えもしなかった恐れ多い事に気付き、かすかに震える声で天外に問いかけた。なぜか、その答えを聞いてはいけない様な気がした。

「この世の人間では神を打倒する事は出来ない。ならばこの世の人間でなければ、打倒できると言う事を意味しているのですか。……神を」

「くく、そう言う事よ。神に造られたのではない異界に産まれた者ならば、神の定めに縛られずに牙を剥く事が出来る。これまた推論で根拠薄弱じゃが、おそらく妖哭山を造った神は、他の神を倒せる駒を造ろうとしたのじゃろう。
己が意のままに動く最強の妖魔の肉体と異界の魂を併せ持った神をも倒せる駒をの。そうしてその駒を解き放ち、この世に混乱を齎し神々の代理戦争を起こそうとしたのかもしれん。あるいは単に暇つぶしの為に、世の中が騒ぎ立つような強大な力を持った存在を造り、この世の秩序を崩そうとしたのかもしれんがの」

「では今の雪輝殿の精神は、その異界の存在のものであると天外殿は考えていらっしゃるのですね」

「そうじゃ。おそらく器に封入された段階で異界の魂の精神は強制的に眠らされ、神の与えた命令に従う様にされておったのが、わしとの戦いで不具合が生じ、神の呪縛が解けて本来の異界の魂の精神が目覚めたとわしは睨んでおる。
ただ記憶は失ってしまったようだがの。雪輝の奴、時々妙に小賢しい事を口にしたり、常識から外れた振る舞いをするじゃろう? 
それは雪輝が産まれた本来の世界での知識や常識を、いくらかは憶えておるからなのじゃろう。精神と知識や行動が吊り合っておらぬちぐはぐなあいつの言動も、そう考えれば多少は辻褄が合う」

「では本来の雪輝殿はいったいどのような方、いえ存在だったのでしょう。この世の外に広がる異界のモノ。朝廷の始祖である卑弥呼女王が異界より降臨した方である事は、存じておりましたが実際に異界に由来する存在を目にするのは初めてのこと故、恥ずかしながら想像もつきませぬ」

 再び遠方を映しだす鏡に戻した鬼無子の視線の先では、夕座の左肩の肉をわずかばかり食い千切り、口腔の夕座の肉を吐き出す雪輝と、間を置かぬ反撃の一手で雪輝の左後肢の付け根に右八双から振り下ろした刃を斬りつける夕座の姿が映る。
 雪輝と夕座それぞれの与えた傷から溢れる血潮で、白銀の体毛と青白い肌を双方共に赤に染めながら、妖魔と死人の戦いはより一層苛烈さを増してゆく。
 自分とは違う世界から連れて来られたと聞かされて尚、鬼無子の雪輝を見つめる瞳には思慕と慈しみの光が、変わらぬ強い輝きで宿っている。
この世の闇に蔓延る妖魔と欲望に塗れた外道との戦いしか知らなかった少女の胸に宿った初めての恋の炎は、そうやすやすと消える事は無いようだった。
雪輝の奴には勿体無い良い女だのう、と天外は心中で一つ吐き捨ててから言葉を繋いだ。

「さてな。そこまではわしにも分からぬ。ただ人間に近い精神構造の持ち主ではあるじゃろう。それに人間の外見に対して忌避感や嫌悪感を抱いておらぬ様子であるから、本来のあいつの肉体も人間に近しい外見をしておったのじゃろう。ただ狼の肉体を持っておる事に違和感を覚えておらんようじゃし、これはちと自信がない」

「雪輝殿……」

「恋する女の顔じゃのう。雪輝の奴、全く奇妙な縁を持っておる様だの。さてそろそろ動くの。雪輝の精神がようやく体に馴染み始めよったわ」

 天外の言葉に疑問符を投げかけるよりも早く、鬼無子は天外の言わんとしている事を朧気ながらに理解した。鏡に映し出される雪輝の動きが、徐々に、徐々に、それでもはっきりと分かるほど速さを、鋭さを増している。
 いやそれだけではない。純粋な動きの速さ以外にも鏡越しにも頬を打たれる錯覚を覚えるほどに、雪輝の全身が放つ妖気がその力強さと質を増しているのだ。
 天外の言う言葉が事実であるのならば、本来封じられ続ける筈だった雪輝の精神が目覚めた事によって、雪輝の肉体と精神の間に齟齬が生じ、十全に肉体の能力を引き出せずにいたのだろう。
 しかしそれが今、黄昏夕座というかつてない強敵を前にして精神と肉体が馴染み始めた事によって、本来の能力を発揮しつつあると言う事か。
 祈る様に切実な瞳で鏡の向こうの雪輝を見つめる鬼無子に、天外はもう一つの隠しごとは告げずにおく事を決めた。
 妖哭山の内側から離れて外側で暮らし始めてから、生命の危機に陥った経験がなく窮地に追い込まれなかった為に、雪輝の肉体と精神が同調する切っ掛けはこれまで存在しなかった。
 しかしそれも同族内での権力闘争に敗れた白猿王一派が外側に追いやられた事で雪輝は、真にその生命を追いこまれ、さらに続く怨霊との戦いでも死の淵に瀕した事でその持てる潜在能力を萌芽させる切っ掛けを得ることになった。
 短期間のうちに連続して生命の危機を経験したことによって、雪輝という器の完成度が増し、最終試験として予め規定されていた妖哭山内側に棲息する妖魔全種族による見境なき殺し合いが始まったのである。
 白猿王との死闘が切っ掛けになったというのなら、その死闘に至る前にも雪輝の未来に変化を齎したある切っ掛けが存在していた事を、天外は忘れてはいなかった。
 あの日、一人のちっぽけな少女が贄として奉げられ、それを哀れんだまだ名前を持たなかった頃の雪輝が引き取り、共に暮らし始めた事によって、雪輝の精神はようやく覚醒し始めたのだ。
 ひなが贄に捧げられたと聞いた鬼無子が妖哭山に足を踏み入れた事で、雪輝とひな達と出会ったが、もしひなが贄として奉げられず雪輝と出会う事がないままであったなら、鬼無子との出会いは無かったかもしれない。
 そうなっていたなら、白猿王一派やその後の怨霊達との戦いの結末も、また違ったものとなっていただろう。
 そして、あのひなという哀れでちっぽけな、そして愛らしい少女もおそらくは……。


 交差した瞬間、右の首の付け根に走った灼熱を知覚した瞬間、雪輝はそこに妖気を注ぎ込み、すぐさま止血と傷口の癒着を施す。
 崩塵にも匹敵する高い霊的殺傷能力を有する紅蓮地獄の刃と夕座の技量が合わさった一太刀は、本来瞬時に癒える筈の傷の再生を妨害し、血が滲み続けている。
 戦闘開始から一刻近くが経過し、森と言わず岩場と言わず川と言わず、戦場を変える度に周囲の環境の外観を大きく破壊している。
 雪輝と夕座は深い亀裂の刻まれた崖に面した広場で対峙していた。崖の下を除きこめば突き出した岩塊に衝突して白い飛沫を上げる激流が見え、さらにどれほどの深さがあるのかまるで分らぬ激流の底に、時折妖しく仄光る無数の光や、途方もなく巨大な影が見えたことだろう。
 雪輝と夕座が飛びだしてきた森は輪切りにされた大木や、粉砕された岩の破片が散らばって、ほんの少し前までの光景を、面影ほどにしか残していない。
 ゆっくりと中天を目指す太陽の光が差し込んで、黄金の祝福が体の大部分を朱に染める雪輝と、あちこちの布地が破けた青い着流しから覗く肌を自らの血で濡らす夕座を照らし出す。
 夕座は美の神の寵愛をこの世の人間すべてから奪い去ってもおかしくないほどの美貌の頬にも、雪輝の爪痕が深々と刻まれて完全な調和を乱していたが、傷跡から零れる血の彩りが、この死せる若者に背徳的な美を与えている。
 瞬き数度分の停止から先に動いたのは雪輝である。乾き切らぬ血の滴を毛先から零しながら、一陣の風となって夕座の正面より真正直に吶喊。
 夕座が左八双からの左袈裟の刃を振り下ろす寸前、そのまま飛びかかると見せていた雪輝が、四肢の運びの変化によって夕座を中心に半円を描き、紅蓮地獄から最も離れた右方より夕座の右半身を噛み潰しに掛る。
 この雪輝の動きに対して夕座は、紅蓮地獄は間に合わぬと判断し、左足を軸に右半身を後方へ退き、かろうじて雪輝の牙が己の皮膚と肉を貫くのを寸前に躱す事に成功する。
 右半身を退く反動で左袈裟の太刀を巻きこむようにして雪輝の右頸部に叩きこむ。風切る音も凄まじく、鼓膜を切り裂くかのような甲高い音に先んじて振り下ろされる紅蓮地獄を、雪輝は左方に跳躍して躱す。
 紅蓮地獄の刃風に触れた白銀の体毛が数本、はらりと宙に舞い陽光を浴びて燦然と輝いていた。
 その輝きが消えるよりも早く、雪輝は左右に重心を揺らしながら正面に相対した夕座へと踊り掛り、右に、あるいは左に、あるいは上に下にと見せかけた動きを見せる。
 これまでほとんど虚のない実一辺倒の力押しの戦い方をしてきた雪輝が、虚と実を交えた戦い方を見せているのだ。
 雪輝の牙、右前肢、左前肢、熱量操作による炎熱と氷結。全てが一撃で必殺の威力を備えるそれらに、虚と実の役目を振り分けて用いれば敵対する者に与える重圧は飛躍的に増す。
 それは刃の影に伏せた刃、影と見せた実の刃、たった二振りの刀で夢幻自在の刃を振るう伏刃影流の術理を、狼の五体と妖魔としての異能を合わせた五つの武器によって雪輝なりに再現した戦法であった。
 右の前肢に纏わせた紅蓮の炎の影に隠した左前肢の爪が夕座の右頬を掠め、傷の周囲に凍傷を発生させて細胞を壊死させ、頸部を噛み千切りに掛った牙を紙一重に躱す夕座に、躱されると分かった上で唸らせた牙に続き、牙を咬みあわせた頭部の下に伏せていた左前肢が上弦の月を描いて、夕座の白く逞しい胸板にむざむざと爪痕を刻む。
 本来人間が二刀流を持って成す伏刃影流の技の冴えを、ただ一度戦っただけのましてや狼の体を持った雪輝が、再現し尽くすのはたぶんに無理があるが、伏刃影流の剣鬼蒼城典膳との戦いは確かに雪輝の中で血肉となっていた。
 それまでの戦い方を一変させた雪輝の動きに、反応が遅れた夕座は立て続けに傷を負ったが、それさえも戦いを盛りあがらせる要素に過ぎぬと艶やかに、そして凄絶に笑う。この死人の心が、常人とはかけ離れた世界にある事を、如実に表す笑みであった。
 息を吐かさぬ怒涛の虚実入り混じる雪輝の猛攻に晒されて、夕座はその冥府から蘇った死肉の体から、次々と赤い血を流してゆく。
 煙幕のごとく展開された炎の壁が、紅蓮地獄の一刀に真っ二つに割られた瞬間に、人間の頭ほどもある氷の弾丸が雨あられと夕座に殺到し、これを残像が幾重にも折り重なるほどの速さで紅蓮地獄を振るって夕座は叩き落す。
 斬撃の衝撃に氷の弾丸が微塵と砕ける中、夕座の背後を取った雪輝の振るった右の前肢が、夕座の背に新たな爪跡を刻む一方で、夕座は口の端から血の滴を零しながら右手の紅蓮地獄をくるりと回転させて右わきを通して背後に突き込み、雪輝の右肩に紅蓮地獄の切っ先が吸い込まれる様にして突き立てられた。
 紅蓮地獄の纏う霊力が妖魔である雪輝の肉体を焼き、雪輝の振るった爪は殺意を満々と含んだ妖気によって夕座の肉体を苛む。
 雪輝と夕座は双方共に灼熱の痛みを堪えながら、全く同時にそれぞれ後方へと跳躍して距離を置いた。もう何度目になるか分からぬ仕切り直しである。
 紅蓮地獄の切っ先を右下段に下げ、夕座が無垢な童を思わせる笑みを浮かべて雪輝に言う。

「ふふ、これほど楽しいのは久方ぶりよ。ともすれば鬼無子姫と斬り結ぶよりも心躍っておるかも知れぬ。おお、聞こえるか、美しい狼よ。脈打つ事を忘れて久しい私の心臓が動いておる。冷たく凍えた血を私の五体に送り出しておる。股ぐらがいきり起つかのようよ」

「私は楽しくなどない。貴様の顔はもはや見飽きておる」

 にべもなく答える雪輝の声音は、ひなには一度として聞かせた事の無い妖魔という存在に相応しい、冷厳そのもの。
 対する夕座は恋文を目の前で破られた少年の様に、拗ねてみせた。その所作に、雪輝の顔に新たな苛立ちが浮かび上がる。この一頭と一人、とことん相性が悪く生まれついている。

「つれない事を言うものよ。とはいえ私もいささか疲れを感じておる故、決着を望むのは私とて同じ。時に狼よ、紅蓮地獄の意味を知っておるか? 紅蓮地獄とは仏教で言う所の地獄の一つ、あまりの寒さゆえに肌がひび割れて、そこから溢れる血によって蓮の花のごとく染まるからよ。お主はどうやら氷と水の相が強く、寒さは感じておらぬようだがな」

 夕座の言葉が終わると同時、雪輝は全身に走る違和感に気付き、その直後既にある程度塞いだはずの傷という傷から、筆舌に尽くし難い痛みと猛烈な喪失感が発するのを、牙を噛み砕かんばかりに噛み締めて耐えた。
 夕座との戦闘開始から流した血の量をはるかに上回る新たな失血と、雪輝をしても苦悶の声を堪え切れぬ痛みに、折れそうになる膝と消えそうになる意識を必死の思いで支え、雪輝は朦朧と霞む視界の先に移る夕座を睨みつける。
 妖刀・紅蓮地獄の所有者が与えた傷は望む時に、例え塞がれていたとしても再び斬りつけられたばかりの鮮やかな傷と変わるばかりか、激烈な痛みと出血を強いて敵対者を死への旅路に誘うのだ。
 もはや死に体と化した雪輝へと夕座はゆるりと歩を重ねて行く。さしもの雪輝も体内の大部分の血を失い、傷の治癒も不可能とあっては生命の灯が消える寸前の、最後の反撃を加える事も難しいのでは、いや不可能なのではないだろうか。
 まさしく紅蓮の花を全身に咲かせて、元の白銀の毛並みが顔の一部を除けば一切なくなり、血の匂いを香らせる雪輝に反撃の力が残されていないと悟ったのか、夕座は余裕を湛えた声音で歌うように告げる。

「楽しい一時であったぞ、名も知らぬ魔性の狼よ。お主の様な斬り刻み甲斐のある妖魔と出会えたのは久方ぶりであった。そして私は鬼無子姫という極上の花嫁を我が腕の中に抱こうぞ」

「させぬ、と言っておる」

 意識とはまた別に、意思ばかりは変わらぬ強さを堅持していたが、雪輝の口から出た声は耳をそばだててもかろうじて聞きとれるかどうかという、あまりにも弱々しいものにすぎなかった。
 雪輝を前に大上段に紅蓮地獄を振り上げ、切っ先が青い空を指した所で制止する。

「運が悪かったな。狼よ。ちょうどこの山に入る所で狸を三匹ばかり可愛がったお陰でな、今日の私はすこぶる機嫌と調子が良いのだよ」

 狸、という単語に途切れそうになる意識を必死に繋いでいた雪輝は、あの穏和で見ている方が和やかな気持ちになる狸の親子の姿を脳裏に鮮明に思い浮かべた。
 主水と朔と嶽と、仲の良い親子の姿が思い浮かび上がるのと同時に、雪輝の背筋を黒々とした悪寒が貫いていった。この若者と出会った主水達に訪れる運命が暗く閉ざされたもの以外になにがあるというのか。
 愕然と雪輝が体を強張らせる様子に、夕座は不思議そうな視線を向けていたが、どうでもよい事と斬り捨て、振り上げた紅蓮地獄を真っ向唐竹割に振り下ろさんと意思を働かせた瞬間、今にも膝が折れんとしていた雪輝の全身から嵐のごとき物理的圧力を伴う妖気が迸り、夕座の全身に鳥肌を泡立たせる。

「!?」

 黒髪を煽られ咄嗟に後方へと跳躍して距離を置いた夕座の目の前で、雪輝の全身の毛が逆立ち、更に白銀の毛並みをべっとりと濡らしていた血が瞬時に蒸発する。
 主水達の辿った運命を理解した瞬間、雪輝の精神の全てをかつてない怒りと悲しみが満たし、それは雪輝の肉体の潜在能力を爆発的に開花させ、同時に激しい感情は新たな力を生み出している。
 紅蓮地獄の持つ異能によって全身に刻み込まれた、塞がらぬ筈の傷は紅蓮地獄の霊力を上回る雪輝の妖気の迸りによって見る間に癒着して、傷痕は一つ残らず消える。
 周囲の大地や虚空を満たす気や、残留妖気、更には怨念さえも渦を巻く様にして急速に雪輝の肉体に吸収されて、更に雪輝の戦闘能力を急速に高める。
 窮状から一転、消耗した妖気も体力も流出した血も完璧な状態へ戻り、燃え盛る太陽のごとく強大な力の塊と化した雪輝の姿に、夕座は隠しきれぬ感嘆の吐息を零す。

「見事、だが……」

 言葉を紡ぐその刹那、夕座は浮遊感に包まれ、首筋から瞬く間に力が流出してゆくのを痛烈に感じた。なに、と疑問を言葉にする事もできぬまま、夕座の視界は徐々に天を仰ぐものに変わり、その先に口元をべっとりと赤く濡らした雪輝の姿が映る。
 憤怒という言葉では何万回重ねても足りぬほどの感情を全身から迸らせながら、その青い満月の瞳は凍える様に冷たい。
 雪輝が夕座の知覚をくぐり抜け、反応することさえ許さぬ速度で夕座の首筋を噛み千切ったのだ。
 首を半ばほどまで噛み千切られ、零れ出る血潮で赤い花を空中に咲かせながら、吹き飛んだ夕座の体は、白い激流が轟々と音を立てる崖下へと今まさに落下しつつあった。
 ただただ冷たく憎悪の炎を燃やす瞳を自分へ向ける雪輝の姿を仰ぎ見る夕座の心中には、自らに二度目の死を与えた雪輝への恨みや憎しみは無く、ただこの想いだけがあった。

「なんと、美しい狼よ……」

 そうして瞼を閉じつつ、人ならぬ美しさを持った死人の若者は、呆気なく激流の只中に飲み込まれて消えた。
 夕座の姿が激流の中に飲み込まれまでを見つめ続けた雪輝は、やがて陰惨な運命を迎えただろう主水親子たちの冥福を祈る様にして、遠く、遠く、妖哭山の隅々へと悲しみに満ちた狼の遠吠えが木霊した。

<続>
いただいたご感想への返信はまた後日にて。お読み頂きありがとうございます。

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