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No.19828の一覧
[0] 少女の愛した狼 第三部完結 (和風ファンタジー)[スペ](2011/12/14 12:47)
[1] 命名編 その一 山に住む狼[スペ](2010/11/01 12:11)
[2] その二 出会う[スペ](2010/11/08 12:17)
[3] その三 暮らす[スペ](2010/10/23 20:58)
[4] その四 おやすみ[スペ](2010/06/28 21:27)
[5] その五 雨のある日[スペ](2010/06/29 21:20)
[6] その六 そうだ山に行こう[スペ](2010/06/30 21:43)
[7] その七 天外という老人[スペ](2010/07/01 20:25)
[8] その八 帰る[スペ](2010/07/03 21:38)
[9] その九 拾う[スペ](2010/07/12 21:50)
[10] その十 鬼無子という女[スペ](2010/11/02 12:13)
[11] その十一 三人の暮らし[スペ](2010/07/07 22:35)
[12] その十二 魔猿襲来[スペ](2010/07/08 21:38)
[13] その十三 名前[スペ](2010/09/11 21:04)
[14] 怨嗟反魂編 その一 黄泉帰り[スペ](2010/11/01 12:11)
[15] その二 戸惑い[スペ](2011/03/07 12:38)
[16] その三 口は災いのもと[スペ](2010/11/08 22:29)
[17] その四 武影妖異[スペ](2010/12/22 08:49)
[18] その五 友[スペ](2010/10/23 20:59)
[19] その六 凛とお婆[スペ](2010/10/23 20:59)
[20] その七 すれ違う[スペ](2010/10/23 20:59)
[21] その八 蜘蛛[スペ](2010/10/23 20:59)
[22] その九 嘆息[スペ](2010/10/23 20:59)
[23] その十 待つ[スペ](2011/03/25 12:38)
[24] その十一 白の悪意再び[スペ](2010/12/01 21:21)
[25] その十二 ある一つの結末[スペ](2010/11/08 12:29)
[26] 屍山血河編 その一 風は朱に染まっているか[スペ](2010/11/04 12:15)
[27] その二 触[スペ](2010/11/09 08:50)
[28] その三 疑惑[スペ](2010/11/13 14:33)
[29] その四 この子何処の子誰の子うちの子[スペ](2010/11/20 00:32)
[30] その五 虚失[スペ](2010/11/22 22:07)
[31] その六 恋心の在り処[スペ](2010/11/29 22:15)
[32] その七 前夜[スペ](2010/12/13 08:54)
[33] その八 外[スペ](2010/12/22 08:50)
[34] その九 幽鬼[スペ](2010/12/27 12:12)
[35] その十 招かざる出会い[スペ](2011/01/03 20:29)
[36] その十一 二人の想い[スペ](2011/01/07 23:39)
[37] その十二 味と唇[スペ](2011/01/16 21:24)
[38] その十三 雪辱[スペ](2011/02/16 12:54)
[39] その十四 魔性剣士[スペ](2011/02/01 22:12)
[40] その十五 血風薫来[スペ](2011/05/25 12:59)
[41] その十六 死戦開幕[スペ](2011/02/24 12:21)
[42] その十七 邂逅[スペ](2011/03/20 20:29)
[43] その十八 妖戦[スペ](2011/03/23 12:38)
[44] その十九 魔弓[スペ](2011/03/31 09:00)
[45] その二十 死生前途[スペ](2011/05/17 08:55)
[46] その二十一 仙人奇怪話[スペ](2011/05/22 21:31)
[47] その二十二 魔狼と魔剣士[スペ](2011/06/05 20:58)
[48] その二十三 真実[スペ](2011/06/20 12:56)
[49] その二十四 別離[スペ](2011/09/02 23:49)
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[19828] その二十一 仙人奇怪話
Name: スペ◆52188bce ID:97590545 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/05/22 21:31
その二十一 仙人奇怪話

 四方の壁と天井は、良く磨きこまれて黒く艶光る木板。ひなの背の三倍は高い所に一片二尺の窓があり、直径三寸の鉄格子が何重にも嵌めこまれている。
 山の民の少女凛と重鎮である祈祷集の長であるお婆に庇護されたひなは、集落の場所を秘匿する為に目隠しをされた上で山の民の集落へと案内されて、集落の一角にある隔離房にその居を移していた。
 本来は懲罰用に使われる隔離房であるが、予めお婆の指示でもあったものか、運び込まれた寝具は真新しく、床には青い匂いの薫る畳が敷き詰められている。
 他にも大人が目いっぱいに手を広げてようやく抱え込めるほど大きな火鉢や、金網の上で湯気を吹く鉄瓶と湯呑、もんぺや綿入れの他真新しい小袖や足袋、襟巻などが入れられた行李が用意されていて、衣と住には出来うる限り配慮がなされている。
 無論四方が木の壁に閉ざされて、出入りするには壁の一枚に設けられている鍵付きの開き戸を通るしかない、という事実は小さくない閉塞感をひなに抱かせてはいた。
 ひなは鬼無子や雪輝と別れた時と同じ格好のまま、座布団の上にちょこんと正座で座り、肩を落としながら、憂鬱な秋の光が差し込む格子窓を見上げている。
 雪輝と鬼無子と同じ空の下で離ればなれとなっている事が無性に悲しく、同じ空の下で闘争に身を投じて傷ついているかもしれない一頭と一人の事が心配でたまらなくて、ひなは小さな胸が張り裂けてしまいそうな気持ちだった。
 妖魔蔓延る魔性の山に住まう以上、いざ荒事となれば無力でちっぽけな自分は何の役にも立たず、足かせにしかならない事はひょっとしたら雪輝達以上にひな自身が理解していたかもしれない。
 しかしこう言う時の為に自分の身を守れるようにと天外仙人から、護身の術を学んでいた筈なのに、これではまるでその成果を発揮する事も出来ないし、学んだ意味というものもない。
 だから、ひなは心配と不安と無力感がたっぷりと込められた溜息を、薄い桜色の唇から零した。

「雪輝と鬼無子さんの事が心配です、って書いてありそうな溜息だな、ひな」

「凛さん」

 いつの間にか、ひなの背後には菓子鉢を手に持った凛の姿があった。背後の開き戸の鉤を開ける音一つしていなかったと、ひなの聴覚は訴えていたが、ひなを驚かせようとしたのだろうか。
 告げられていた予定日よりも早く妖魔改達がこの妖哭山を訪れて、あろうことか山の民と消極的友好関係にある雪輝と交戦状態に陥った事は間違いない、という凛とお婆からの報告は、山の民たちに緊張の雷を走らせて集落全体が臨戦状態になっている。
 その事を表す様に凛が地肌の上に纏っているのはあの妖虎の革をなめした全身服で、その上に赤染の小袖を纏い、背中には修復を終えた刃蜘蛛を背負っていた。
 この状況で凛ほどの戦闘と鍛冶師としての才覚を併せ持った人材を遊ばせている余裕は、山の民には欠片ほども存在していないのだが、ひなは雪輝からの大切なという言葉では到底足りないほど重要な預かりものである。
 そうでなくとも、凛からすればひなは血が繋がっていなくとも実の妹同然に可愛くて可愛くて、仕方の無い少女だ。
無理にでも時間を作って労う事くらい、あとでどんな労苦となって返ってこようが、厭う理由にはならない。
凛はこちらを向いたひなの前に、入口の近くに重ねて置いてある座布団を一枚引っ掴み、ぞんざいな扱いで畳の上に放って、その上に尻を置いた。

「ああ、まあ、なんだ。変な風に誤魔化してもひなには通じないしな。とりあえずあたしの耳に入ってきてる事を教えてやるから、あんまり気を揉むんじゃないぞ」

「はい。あの、雪輝様達の事は何か?」

 うん、と一つ置いてから凛は腕を組んで自分の頭の中でどう話すべきか思案してから、口を開いた。

「とりあえず外の連中達は雪輝達にかなり痛めつけられたらしい。戦闘の現場に駆け付けた里の連中の話じゃ、ほとんどの奴が追いかけられないほど深手を負ったみたいだ。雪輝達は現場を見る限りは、特に怪我をした様子は無い」

 そうですか、とひなは安堵の息を吐く。外から来たと言う妖魔改の者たちの安否は、それなりにひなにとっても気がかりなことではあったが、やはり雪輝と鬼無子が無事かどうかというのは、何よりも優先される一大事だ。
 自分にできる事でなにか雪輝と鬼無子の役に立つと言うのなら、それが自身の命を絶つ行為であろうとも、おそらくは躊躇せぬほどにひなは雪輝と鬼無子を大切に思い、同時に依存してもいる。
 雪輝に必ず返ってくるという約束を貰っているからこそ、表面上の平静は維持できているが、下手な事を口にしてしまったらひなの精神は容易く均衡を崩してしまうだろう。
 凛はこれまで接してきた経験から、理屈よりも感覚的に凛はひなの精神の不安定さを理解していたから、とりあえず雪輝達に関する不吉な報告を行わずに済んだ事に、肩を凝らせていた余計な力を抜く。
 少し乾いた感のある咽喉を潤す為に、凛は腰紐に括りつけていた竹の水筒を取り出して、滋養強壮効果のある薬湯を煽った。ハッカに似た爽快さが咽喉元を過ぎ去る。

「凛さん達はこれからどうなさるのですか。協力するように要請されていらっしゃるのですよね」

「痛い所を突いてくるな。まあ約定より早く来たからこちらを騙したって文句を言ってはいるけど、だからといって放っておくわけに行かなくってね。怪我した連中が山の麓に野営するっていうから、取り敢えずの護衛と薬とか人手と物を貸してやることになった。代金はばっちり貰うけどな」

「お山の奥へは行かれないのですか?」

 雪輝の背の上にずっと居たが、それでも妖哭山の内側に足を踏み入れ、外側の環境をはるかに上回る血と怨念渦巻く内側の環境とそこに住まう大蛇の妖魔と遭遇した経験を持つひなにとって、いかに凛が手錬であると言い聞かされても、山の奥へ行く事は果てに死の待つ道行きとしか思えない。

「いや、それが奇妙な話というか命知らずというか。妖魔改の連中で一人だけ雪輝達を追って奥に向かったらしいんだわ。いくらなんでも命知らずに過ぎるとは思うんだけど」

「その方、大丈夫でしょうか」

 雪輝達を最優先に置くひなではあるが、生まれつき優しい性格であるのは紛れもない事実で、愛し慈しんでくれる雪輝や鬼無子らとの生活の中でその優しさはきちんと育まれていたから、雪輝達の敵となる妖魔改の人間であっても死なずに済むに越した事は無いと、極自然に考えている。

「う~ん、まあ、百に百は無事ですむ筈もないんだけど、それだけ腕に自信があるってことだろうな。妖魔改の連中が来たせいか山の妖魔達がますます殺気だっていてさ、あたしも警備の為に外回りに行かなきゃならなくってね。あたしらも流石に山の奥にはいかないって釘を指しておいたし、でもあたしが次にここに来られるのは日を跨いでからになりそうなんだ」

「そうなのですか。それは寂しいですね。でも、凛さん、お怪我だけはしないでくださいね」

「お、おう。任しとけ。山の妖魔が百来ようが二百来ようがあたしと里の連中ならどってこた無いからさ。ひなには暇をさせてしまうけれど、ちょっと小屋の方も様子を見てなんか暇を潰せそうなものがないか探してみるよ」

「そんな、無理はなさらないでください。私の事よりもご自分の事とこの里の方々の事を一番に考えてくださればいいですから」

 凛相手だとこういうひなの言い方は逆効果になるのだが、ひなはそこまで考えが及んだ様子は無く、驚いた顔をしてしきりに首を左右に振っている。

「へへ、ま、そこは凛さんにお任せってな。暇で仕方ないかもしれないけれど、雪輝達が帰ってくるまでの辛抱だ。あいつの事だからすぐに帰ってくるよ」

「はい、そう信じています」

 まっすぐに凛の瞳を見つめて首肯するひなの瞳には、揺るがぬ雪輝への信頼が煌々と輝いている。


 ひなの身の安全が確保されていた頃、雪輝達は妖哭山内外を隔てる頂上部で妖猪の長である破岩との戦闘に明け暮れていた。
万全の状態ならば長級の妖魔とも戦えるものの体に負った傷の癒え切らぬ鬼無子は、氷の薙刀を振るって肉の津波となって襲い来る妖猪の雑兵を相手取っていた。
一頭一頭が体当たりで簡単に家屋の一つ二つ吹き飛ばす巨体を持った妖猪達の突進や、三日月のごとく反りかえった太く長い牙を、急流の中を泳ぐ魚の様に流麗に捌きながら、鬼無子は氷の薙刀を体全体を使って振るい、遠心力をたっぷり乗せた斬撃で、妖猪の油でぬめる皮や分厚い筋肉を切り裂く。
こちらを吹き飛ばそうとする突進を、妖気混じりの風圧に体勢を崩されぬぎりぎりの距離で回避してすれ違いざまに妖猪の四本肢を切り裂き、動くすべを失った妖猪の巨体を遮蔽物代わりにして、群れを成して突進してくる他の妖猪達の突進に飲み込まれぬように動きまわる。
妖気抑制の丸薬を服用した時点で八割ほどに体調は整っていたが、時折酷い鈍痛が体のあちこちに走り、鬼無子の動きを鈍らせる。
妖猪達の巨躯が風を切る音、大地を駆ける爪の音、炎の様に熱く激しい吐息、目の前の獲物を逃すまいと睨みつけてくる殺気混じりの視線、それら全てを聴覚と視覚、触角と嗅覚で感じ取る作業に鬼無子は集中していた。
こちらの腹に風穴を上げようと突き上げてくる牙に薙刀の刃を合わせて力の流れを合流させて、相手の重心を操作してその妖猪を転がし、手元で縦にくるりと回転させた薙刀で転がした妖猪の首の付け根を断つ。
かっ、と骨込めに鮮やかに首を切り落とした音がし、薙刀に宿る雪輝の妖気が妖猪の首と胴体をそれぞれ氷の中に飲み込む。
体力と気力を消耗した今の鬼無子がただ一人で妖猪の群れを相手にするのはいささか骨が折れ、どこまで相手に出来るものか鬼無子は冷静に考えていた。
雪輝に急遽与えられた薙刀は刃にこびりついた妖猪の血脂を瞬時に凍結させて、振るう間に剥がれ落ちる為、切れ味が鈍る事は無く重量もほとんど感じられないほど軽量で得難い獲物ではある。
だが足を斬り動くすべを失った妖猪達が絶命した妖猪達の死骸の数が増えるほど、足場が取られて鬼無子の動きに制限が設けられる。
まだ息のある妖猪の体を踏み台にして、海上の船から船へと飛び移るように跳躍し、鬼無子はまだまだ辺りに獣臭を撒き散らしている妖猪の数が減った様に見えない事に、かすかに苛立ちを募らせた。
ちら、と視線を外せば妖猪達とは比べ物にならない小山の様な巨体と大山の迫力を兼ね備えた妖猪の長と戦う雪輝と狗遠、二頭の狼の姿が映る。
突進に伴う風圧が妖気を孕み触れたモノすべてを破砕する脅威となるが、長である破岩の場合はその範囲と威力が桁違いに高く、普段なら紙一重で避けられる所を三尺近く距離を置いて回避していた。
白銀と灰色の二色の風となって破岩の周囲を肢を止めることなく駆けまわる雪輝と狗遠は、即興ながらも息のあった連携を見せて片方が破岩の視界に入って否応なく注意を惹く間に、残る片方が一撃を加える戦術を終始選択している。
単純にその巨躯故の大質量と分厚い毛皮と硬柔併せ持った筋肉に、妖気の守りを兼ね備えた破岩に牙や爪を届かせるには、こちらも妖気を一点集中させて攻撃を行う他なく相当な集中を強要される。
破岩の一撃の重さならこちらは軽く当てられただけでも意識を刈り取られかねない。
 回避した破岩がそのまま背後にあった大岩を砕き、砕かれた大岩の破片が粉状にまで粉砕されている事に、雪輝が目を細めた。単なる破片ではなく粉状になっていることが、どれだけの威力があるかを物語っている。

「破岩、貴様までなぜ外側に姿を見せる? 飢刃丸のように若さゆえの短慮をするほど貴様は血気に逸ってはおるまい」

 口元から鋭く伸ばした六本の牙を振りまわしながら、雪輝の姿を真正面に捉えた破岩が答える。大岩をいくつも転がしたように濁った声であった。

「時が来たのだ。白銀の魔狼よ。大狼が死に、魔猿一族が滅び、条件が満たされた事で来るべき時が来たのだ」

「何を言う? 蒙碌したか偉大なる猪の長よ」

「お前は知らずとも良い。お前は知っても良い。妖哭山はすべてその時の為に在ったのだ」

 雪輝の視界を破岩の巨体が埋め尽くす。およそ六間の距離では、雪輝の反応速度と動体視力をもってかろうじて捉えうる破岩の巨体からは想像もつかぬ高速の突進だ。
 左方への跳躍の為に重心を動かす雪輝の目の前で破岩が四肢を踏ん張り、あろうことかその突進の威力と速度を完全に相殺して急停止して見せる。
 四肢に掛る負荷は想像を絶するだろう。おそらくは破岩の強靭な肉体をもってしてもそう何度は行えぬ行為に違いあるまい。
それゆえにこの行動は雪輝の虚を突いて、左方への跳躍動作に入っていた雪輝は、筋肉を無理矢理捻じ曲げるほどの勢いで後方への跳躍に切り替える。
しかしそれでも急停止状態から方向転換を終えた破岩の動きの方が早い。破岩が六本の牙を横殴りに雪輝へと叩きつける。
雪輝と同じ大きさの鉄塊も微塵に粉砕するだろう牙の殴打だ。いかに狼系統の妖魔としては破格の防御力を有する雪輝といえども、これの直撃を受けてはたまったものではない。
かわしきれん、と雪輝が瞬時の判断で破岩の牙が命中する部位の妖気を集中させて、防御の厚みを増し、その寸前に咄嗟に破岩の懐近くまで飛び込んだ狗遠の牙が、破岩の左後ろ脚の付け根に深々と突き刺さった。
牙を通じて一挙に破岩の体内に侵入する狗遠の悪意ある妖気が、破岩の気を逸らし雪輝への殴打が勢いを失し、雪輝の回避行動を許してしまう。
自分の左後ろ脚に喰らいつく狗遠に憎悪の視線を向けて、破岩は後ろ脚を持ちあげて思いきり地面に叩きつける。自身の体重を活かした押し潰しだが、流石に狗遠はそのまま潰されるほど鈍重な狼ではない。
牙を抜いてすぐさま離れて、口の中の破岩の血を飲み下しながら破岩の視線を真っ向から受ける。

「時が来ただのなんだのと。邪魔する者は全て踏み潰してきた猪にしては随分と遠回しな物言いをするものだな。それとも来たというのは貴様の死に時か? 蒙碌爺めが」

「狗遠よ、お主ら狼の一族も役目を果たし終えた。後は我が一族だけではなく、この山に住まう妖魔全てが滅びるまで殺し合うまでなのだ。器にお主らと同じ形が選ばれた事を考えれば、お主らがもっとも役目を果たしたとも言えるがな」

「ふん、いよいよもって蒙碌したな。だが他の妖魔共を滅び尽くすと言うのは悪くない話だ」

 口ではそう言う狗遠であったが、破岩の瞳はこれまで見た事の無いほど静かで、凪いだ水面の様に落ち着いている。決して破岩が老齢ゆえに蒙碌したわけでも破壊と殺戮の本能に、自身の生命と一族の将来とを委ねているわけではない事を物語っている。
 それはまるで自分達に訪れる未来を悟り、諦観に心を委ねているかのようで、奇妙な胸騒ぎを狗遠に与える。
 だが狗遠に思案する時間は与えられなかった。ようやく破岩に与えた一撃を切っ掛けに、このまま押し切るべく雪輝が狗遠へと吼えたのだ。

「合わせろ、狗遠!」

「私に命令するな」

 反発を示しながらも、狗遠は雪輝の動きを見逃さぬようにと破岩と雪輝に対して意識を割り振る。破岩を前後に挟んで雪輝と狗遠が鉄の様に硬い剥き出しの大地を蹴る。二頭の狼が蹴り出した大地が、あまりの圧力に爆発して狼達は老いた妖猪へと襲い掛かる。
 巨体とそれを活かした一撃の重さを最大の武器とする破岩相手には、もっとも基本的で有効な戦い方だ。
無論破岩もその戦法に対する対処の仕方は心得ているだろうが、雪輝や狗遠ほど基礎的な身体能力が高い敵を相手にするのは、初めての事だろう。
破岩の巨躯を支える四肢を狙い、身を低くして襲い来る雪輝や狗遠達に対して、破岩は足を踏み上げて踏み潰す行為や、蹴り飛ばす行為、または牙を唸らせて振り回すことで白銀と灰色の狼を近づけまいと荒れ狂う。
小山ほどもある巨体が旋風の速さで動きまわり、足踏み一つをするだけで辺り一帯の地面が揺れ動き、巨大な罅が広がって鉄並みの硬さを持った大地を粉砕してゆく。
破岩の体が動くたびに巻きおこる風は物質化寸前の妖気を交えて、それ自体が一種の武器と化して破岩の周囲を取り巻いている。
雪輝と狗遠はこれに対して自身の肉体から発する妖気を同調させ、多少の圧力が掛るのみに抑え込み、破岩の足や牙をかいくぐって自分達に数倍する破岩の巨躯に一撃一撃を与えて行く。
一対一ならばともかくも、雪輝と狗遠の強力な魔狼二頭の組合せは意外にも見事な連携によって破岩の巨躯に傷を与え続けて、殺気を込めた狼達の妖気は破岩の肉体を徐々に衰弱させてゆく。
 腹、肩、首、足と破岩の体に着けられた傷は数を増し、分厚い毛皮と筋肉は破岩の衰弱に比例して弱まり、より容易く雪輝と狗遠の牙と爪を通してゆく。
 雪輝と狗遠が左右から同時に飛びかかり、破岩の首筋に一気に牙を深く突き立てて、血管の束を纏めて噛み千切り、そのまま肉と骨を食い千切るや、破岩の首から血が噴水の様に噴き出す。
 返り血で頭から真っ赤に濡れそぼった雪輝と狗遠は肩を並べて後方へと跳躍して、血を流す破岩と距離を置いて真正面から相対した。常に妖気の防御膜を強く展開しなければならない為、かなりの消耗を強いられてはいたが両者ともにいまだ肉体的な傷は無い。
 破岩の正面に並び立つ雪輝と狗遠目がけて破岩が、急速に消えゆく命の炎の最後の燃焼を見せるがごとく、これまでで最も早く最も強く最も重い突進を見せる。
 破岩の巨躯から放たれる迫力の凄まじさは、相対する雪輝と狗遠の体に重しを乗せられたような重圧を与えるほどだ。
 正面からの真っ正直な突進だ。雪輝と狗遠がそれぞれ左右に跳躍すれば回避できる。しかし雪輝はその考えを意識化で否定した。破岩の視線は雪輝の全身に鎖の様に絡みついており、狙いを雪輝の身に定めている事は明白だ。
 左と右、あるいは上と後ろどちらに雪輝が飛んでもその姿を追って、破岩は突進してくるだろうし、そうすれば雪輝は一撃でほとんど戦闘不可能な状態にまで追い込まれかねない。
 そうなれば残る無事な狗遠が破岩に絶命の一撃を与えるのは間違いないが、その事を破岩はまるで度外視している様に雪輝には感じられる。自身の命を捨ててまでも雪輝を殺すことに執着している。
 例え首だけになろうとも相手を殺そうと狂的な執念を見せるのが、妖哭山内側の妖魔に共通する本能の様なものだが、それにしても破岩が見せる執念はどこか違う、と雪輝の心が囁いていた。
 狗遠が右に飛んで破岩の突進を回避するには間に合う余裕を持って動くが、雪輝は変わらず不動。雪輝が自分同様に回避すると思っていた狗遠にとっては寝耳に水の様な雪輝の行為だ。
 狗遠が咄嗟に雪輝の名前を呼ぼうとした時、不意に雪輝の足元を中心に妖気が高まっている事を感知する。雪輝が見せた妖気を媒介とする熱量操作の異能。それを行っているのだと狗遠が気付いた瞬間、雪輝がようやく後方へと跳躍した。
 だが本気で破岩の突進を回避しようとするほど距離を取ったわけではなく、ほんの二間ほどの跳躍である。

「我ら尽く滅びるともお主だけは、お主だけはこの手で引導を渡す!」

「そこまで恨まれる心当たりはないが、ここで死ぬ理由は無いのでな。返り討ちにさせて貰うぞ、破岩」

 先ほどまで雪輝が肢を置いていた空間に後ろ足までを踏みしめた瞬間に、その大地が一気に灼熱して融解する。この地点に至るまでの氷の道を作ったのとは逆に、分子運動を加速させて莫大な熱量を産み出し、山の一部を局所的に溶岩に変えたのだ。
 はたしてどれだけの深さを持たせたものか、突進の勢いを下方向に変えて、破岩の肉体が溶岩の高熱によって焼かれながら沈みこむ。
 雪輝と狗遠の連続攻撃に晒されてあちこちに傷を負って衰弱していた破岩は、全身を包み込む溶岩に抗う事叶わずに、次々と炭化してゆく。

「貴様が万全の状態ならばあるいは脱出も出来たろうし、そもそもこのような簡単な罠というのもおこがましい罠に引っ掛かる事もなかったろう。破岩、思慮深さを持ち合わせていた貴様が、なぜそうも短慮的な行動を取るようになった」

 既に首から先を残してほとんどの体を灼熱に焼かれる苦痛に襲われながらも、破岩が不思議と落ち着いた声音で雪輝に答えた。

「誰にも死に時がある。だが我らはそれをこの時と定められておる。死に様くらいは自分で決めようとしただけの事よ」

「飢刃丸の行動が原因、いや、切っ掛けか?」

「いいや、お前だよ」

 最後にそうつぶやいた破岩の鼻先が、船が海に沈むようにして雪輝の造り出した溶岩溜まりの奥底へと沈みきる。破岩の残した雪輝が原因だと言う言葉は、少なからず雪輝に戸惑いを抱かせたが、それよりも鬼無子の状況を把握しなければと頭を切り替える。
 狗遠は破岩の血肉を貪る機会を逸した事に歯噛みして悔しがっていたが、雪輝が破岩の最期に頓着せずに鬼無子へと視線を向けている事を知ると、こちらも鬼無子の方へと目線を動かす。
 氷の薙刀を振るい十数頭に及ぶ妖猪を屠っていた鬼無子だが、肉体が不完全である事が響いて、肩で息を荒くしてやや顔色を青く変えている。周囲に溢れる妖猪達の大量の血潮と妖気に触発されて、抑制していた体内の妖魔の血が疼きだしているのかもしれない。
 まずいな、と一つ吐いて、雪輝はその場から駆けだして鬼無子を囲い込む妖猪の群れに牙を唸らせて、自分とそう変わらない大きさの妖猪の頭を一撃で噛みつぶす。口内に入り込んだ脳漿や潰した頭蓋骨を吐き捨てて、雪輝が吼える。

「猪どもよ、貴様らの長は滅びた。命が惜しくばこの場より退け。退く者を追いはせぬ」

 恫喝の為に肺の中の空気を絞り出した雪輝の咆哮を受けても、妖猪達の間に動揺や怯む様子は見られず、それどころか自分達の長が滅ぼされたことで返って戦意を煽られたかのようにしきりに鼻を鳴らし、地面を蹴る動作を繰り返している。
 雪輝は妖猪達のその様子を訝しく見ている。猪突猛進という言葉そのままの生き物ではあるが、もう少し知恵を働かせる様子を見せた筈だ。それがまるで熱病に浮かされて正気を失ったかのように、命尽きるまで戦い続けようとしている。
 破岩の時が来た、という言葉と関係があると言うのだろうか。このまま戦い続けても埒が明かん、と雪輝は判断して鬼無子のすぐ傍へと跳躍する。
 このまま妖猪達と戦い続ければ多少時間はかかるが全滅させられるだろう。だがその間に他の妖魔達が嗅ぎつけてくるのは間違いなく、あるいは妖魔改の者達が追いついてくるかもしれない。
 その懸念は鬼無子も共有していたのだろう。自分のすぐ傍に雪輝が着地すると、なにかを言われるよりも早く雪輝の背にひらりと軽やかに飛び乗る。

「いくらか息が荒いな。大事ないか?」

「ご心配なく。それよりも雪輝殿、喋る暇も惜しゅうございます」

「承知、狗遠。このまま駆け下るぞ。送れぬようついてまいれ」

「誰に物を言っている」

 まるで山津波の様に一つの流れとなったこちらに鼻先を向ける猪たちの中を、鬼無子を再び背負った雪輝と狗遠は、妖猪達が反応を上回る速さで駆け抜けて、一気に妖哭山内側へと向かう足を速めた。
 緑の海が広がる内側へと進む雪輝達に妖猪達の足では到底追いつけず、見る見るうちに両者の距離は開いてゆく。
 雪輝は猪との戦闘で取られた時間を考え、後方から迫ってきているだろう妖魔改との距離を推し量ろうとし、前方から吹きつけて来た風の臭いに思わず眉をしかめた。
 雪輝にとって誕生の地であると同時に思い出すのも苦痛な年月を過ごした場所であるが、頬を叩いた風に混じる血の匂いと妖気の濃厚さ、霊魂の恨みの籠った呻き声がこれまで感じた事の無いほどの強さになっている。
 狗遠を長の地位から追いやった飢刃丸が妖狼族を率いて他の一族にただ戦いを仕掛けているだけではこうも行くまい。妖狼族をはじめとする主要七種族のみならずありとあらゆる妖魔や魔植物が凄惨極まりない殺し合いを行っていなければ、こうはなるまい。
 この内側の空気は鬼無子にとっては苦痛以外の何ものでもないだろう。氷の道と破岩戦で相当に消耗を強いられてはいたが、雪輝はそれでも体内を循環している妖気を体表に表出させて、鬼無子を保護する防護膜を形成する。
 目には見えない雪輝の妖気の膜に覆われて、内側に近づくにつれて増す苦痛を堪えていた鬼無子の顔色が、幾分か落ち着いたものに変わる。

「鬼無子、気休めにはなったか?」

「はい。幾分、落ち着きました」

 疾走は維持したまま雪輝は背後の鬼無子に問いかけ、鬼無子は多少無理をした笑顔を作って、雪輝に答える。
雪輝が鬼無子を保護する為の防護膜を作る一方で、鬼無子も雪輝の背に倒れ伏す様にしてしがみつき、呼吸を整えて血流の流れを操り、人間の肉体が発する気の生産量と純度を高めて、体内の妖魔の血の抑えに回す。
 夕座との戦闘で予想外の苦戦を強いられた影響は長く鬼無子の心身を蝕む事になりそうだった。

「おい、雪輝。それであのしわくちゃの所をまっすぐ目指すので良いのだな」

 雪輝の傍らを走る狗遠だ。少量とはいえ破岩の血肉を胃に納め、生まれ故郷に戻って来た事で愚弟に対する憎悪の念を轟々と燃やしているせいか、鬼無子と反比例するようにこちらは精気を迸らせている。
 実際、こうして雪輝と話しながら走っている間にも狗遠の体は憎悪と復讐の感情を活力に変えて、急速に傷を癒しつつあった。あと半刻もすれば狗遠の肉体は万全の状態に戻るだろう。

「ああ。私が先導する。しかし、この様子では妖魔達の頒布図が随分と変わっていそうだな」

「一族の根城も変わっているかもしれん。だが外にかなりの数が向かっているから、数自体は常よりも減っている筈だ。その分凶暴になっているのだろうがな。普段ならお前に牙を剥かぬ様な小物まで襲い掛かってくるぞ」

「相手にするのは面倒だ。先ほどのような荒技も使えんし、速さで切り抜けるしかあるまい。狗遠、遅れるな」

 だから命令するな、と抗弁しようとした狗遠であったが、言い終わるやすぐさま更に加速を重ねる雪輝に、口を開く間を惜しんで肢を動かさざるを得なかった。
 外側よりもさらに鬱蒼と生い茂る木々から垂れ下がる蔦や天に向かって伸びる枝、どれだけの年月をかけて成長したものか苔むした幹と、あちらこちらに新鮮な赤い飛沫に濡れて、様々な色の肉片がこびりついている有り様だ。
 常であれば骨まで残さず食いつくすだろうに腹の辺りや体の一部を食われただけ転がっている死体や、そもそも口を着けられた様子の無い死体もそこかしこに散見されて、純粋な殺し合いが行われている事を雪輝と狗遠に暗に伝えている。
 薄もやの様に木々の合間を漂っているのは、死んだ妖魔の霊魂が融け合い自我を無くしてただ生命を憎悪する最もけがらわしい類の悪霊であろう。
 三つ首大百足や百本角甲虫といった昆虫の類なども、お互いを見つけた端から殺し合っており、雪輝達が蹴る大地やそれを覆う草花は得体の知れない汚汁に濡れていて、ただの人間が触れようものなら即死する猛毒性を発揮している。
 妖魔の体液の混合液が大地を濡らし、気化した混合液と元から溢れている魔花妖草の花粉の類が混濁した大気は、久しぶりに内側を訪れた雪輝を汚らわしい歓待で迎えている。

「これは酷いな。なにかの疫病でも流行ったとしか思えん狂いぶりだ」

 鼻を突く言語に絶する異臭の凄まじさに、雪輝は嫌悪の念を露わにして鬼無子を保護する為の防護膜の遮断性を更に高める。狗遠も最後に見た妖哭山の光景からかけ離れた辺りの様子に、灰色の体毛に包まれた眉間に幾筋かの皺を刻んでいる。

「病に侵される弱い奴が悪い、と言いたい所だが流石にこれはなにか尋常ではないとしか言えんな」

 そう言う間も二頭の狼は足元や木々の隙間を縫って襲い来る虫怪や妖魔の類を相手取り、肢を振るい牙を唸らせて、二頭の通った後には新たな死骸が点々と残されてゆく。
 全速力で駆ける二頭の狼の動きに追従出来る妖魔は極めて限られて、たまたま二頭の進路上に居た妖魔や、空か二頭を獲物と見定めた飛行型の妖魔が時折襲い来るだけで数自体は少ないのが救いではあった。
 かつてはひなを背負って目指した天外の庵が立つ湖目指してひた走る雪輝が、不意に肢を止めて正面上空に青い視線を向ける。狗遠の知覚に触れるものは何もなかったが、より鋭敏な雪輝には上空の空間を押し退けて出現した存在に気付いたのである。
 それまでの疾走からゆるやかに歩を緩めて肢を止める雪輝に気付いて、狗遠が再びその傍らで肢を止めて雪輝の視線を追う。
 そこには皺まみれの肌がかろうじて骨に張り付いたと見える人型が、絹の光沢が眩い紫色の袖の広い衣服をまとった姿で空中に胡坐をかきながらこちらを見下ろしているではないか。
 雪輝が妖哭山内側での活動拠点を求めて尋ねようとしていた相手、自称仙人の天外その人に他ならない。地面に着くほど長く伸びされた顎の白髭を左手でしごきながら、天外は愉快そうに瞳を細めて声をかけて来た。

「直接会うのは随分と久しぶりになるの、雪輝。それに初めましてだな、先代妖狼族の長よ。それに鬼無子ちゃんもか。なんの用があって今時この山にやってきおった?」

 何もかも分かった上で言っているのだとはっきりと分かる厭味ったらしい天外の口調である。雪輝の背中の上の鬼無子も、うつ伏せにしていた体を起こして、空中の天外を見上げている。
 どこから雪輝達の行動に気付いたのかまでは分からぬが、雪輝達が自分を探している事を察して、重い腰を上げて姿を見せたのだろう。

「伺いも立てずにすまぬが、お前の所で少し休ませて欲しい。特に鬼無子の体の事で相談がある。それと今、この山で何が起きているのか知っている事があったら教えて貰いたいのだ」

「頼みごとばっかりだのう。まあ話くらいは聞いてやろう。それに鬼無子ちゃんの体の事は前から気になってはいた事であるし、特別に妖狼も一緒にわしの庵に入れてやろう」

 以外にもすんなりと承諾の意を露わにする天外に雪輝が拍子抜けした様子を見せるのと、狗遠が自分の知りつくした場所に連れ込んで始末する気かもしれん、と警戒の意識を高めるのと同時に、天外が右手を上げて指を鳴らすと世界が一変した。
 天外が雪輝と狗遠をまとめて空間ごと転移させたのだ。天外になにか力が集中しているのを、雪輝は察知していたが敵意は感じられず放置したのだが、よもやこのような事をされるとは予想しておらず、一瞬で変化した周囲の光景に驚きを隠せず、両耳をピンと直立させて周囲を観察する。
 それまで様々な液体でぬかるんでいた地面は硬質の感触に変わり、床も壁も天井も繋ぎ目一つない白い金属質の物体で構成されていて、壁の構造材と同じ構造材製らしい机や椅子が一つの組合せとなって規則正しく並んでいる。
光源が天井の中央に浮かんでいる白い光の球のようだ。まるで小さな太陽がそこにあるかのように輝き、周囲を照らしていた。
 大気に穢し尽くしていた悪臭もすっかり消え去って澄んだ大気に変わり、かすかに花の芳香が混じっている。
 天外の背後の壁だけは巨大な玻璃(ガラス)の板の様なものが埋め尽くしており、そこに妖哭山のあらゆる場所の光景が、細かく区切られて映し出されていた。

「ここは以前訪れた庵とは違う場所か?」

 背に跨っていた鬼無子を降ろしながら、雪輝が興味を隠さぬ調子で天外に問うと、天外は空中からふわりと柔らかく着地して、椅子の一つの上に腰を降ろすと足を組んで頬杖を突く。

「無論別の場所よ。今ではわしと祈祷のお婆しか知らぬ場所だ。とりあえずは鬼無子ちゃんを休ませるのが良かろう」

 もう一度天外が指を鳴らすと床の一部が割れてその奥からなにか巨大な筒の様な寝台が競りあがってくる。
好奇心に駆られた雪輝が筒型の寝台に近づいて観察すると、ちょうど天井を向いている面は緑がかった玻璃のような物体が嵌めこまれていて、ちょうど人が一人中で横になれる位の大きさだ。

「ただの寝台ではなさそうだな」

「服を着たままでよいから鬼無子ちゃんはそこで横になりなさい。それは中で眠っておる物の治癒力を高める特別な代物よ。ついでに鬼無子ちゃんの体の中で人間と妖魔がどのような具合になっておるか調べられる」

「本当に大丈夫か? 鬼無子、こやつが信用できぬようなら無理に寝ずとも良いぞ」

 天外への信頼が欠片もない雪輝の言葉に、天外は幾分か気分を害した素振りを見せる。ただそれも本気ではなくあくまでそう見せているだけなのかもしれないのが、この天外という奇妙な仙人の面倒な所だった。

「かー、この畜生めは己の都合を押しつけるくせに、好意で返せばそれを疑いよるか」

「しかしな、お前の過去の行いを鑑みるに素直に信じられぬのだ」

「雪輝殿、その程度でおやめ下さい。天外殿、それがしは貴方をお信じ申します」

「ふむ、素直でよろしい。履物を脱いで横になれば勝手に体を調べてくれるから、何もせんで良いぞ」

 かすかに空気の抜けるような音を立てて筒状寝台が蓋の様に開き、天外の言葉に従って鬼無子は草履を脱ぎ、腰の帯に佩いていた崩塵と雪輝の造った氷の薙刀を寝台の傍らに置いて、横になる。
 鬼無子が横になるのを待ってから開いていた蓋が元の通りに閉じて、鬼無子が筒状寝台の中に閉じ込められる形になった。その様子を心配そうにしている雪輝の様子がよほど面白かったのか、鬼無子は寝台の中でくすりと笑んでいた。

「調べ終わるまでちと時間がかかるでの、その間に話を聞いてやろう。鬼無子ちゃんにも聞こえておるから、聞こえているかどうかは気にせんで良いぞ」

 ひっひっひ、と咽喉の奥からいかにも腹に一物あると言わんばかり奇怪な笑い声を零し、ここまで沈黙を保っていた狗遠がその声が癇に障った様子で口を開いた。天外から不穏な事を口にすれば、即座にその首に牙を突き立てかねない危険な様子だ。

「まずは私の愚弟の所在、ついでこの山で起きている異常な事態に着いて貴様の知っている事をあらいざらい喋ってもらおう」

「は、血気に逸っておるわ。その元気の良さに免じて話してやろう。お主の弟じゃが一族を率いてあちこちを走り回って食い殺しまくって力を蓄えておるわ。探さんでもそのうち向こうがお主らを見つけて襲い掛かってくるじゃろ。わざわざ探し回らんでも良いと思うがな」

 これは雪輝と狗遠も予想していた事なので、確認が取れたと言うだけの事なので特に驚いた様子は見せずに共にふむ、と一つ頷いて納得した様子だ。

「次にいまこの山で起きておる事じゃが、まあ噛み砕いて言うとの、ここはちょっとした実験場なんじゃよ。その実験が終わりの段階に近づいた事で妖魔共がそれぞれの役割に従っておるだけの事」

 ずい、と一歩前に出て雪輝が答えぬ事は許さぬという意思を込めて天外を睨み、問いかけた。

「実験の目的とはなんだ。破岩と戦ったが奴は時が来たと言っていたが、この事か? そして奴は私にいやに執着していた」

「ふむ、相変わらず小賢しく頭が回るの、お主。実際、この妖哭山に生きておる妖魔の中でもこの山の意味を知っておるのは最古参の連中でも極一部。破岩の言うとおり時が来た、という表現は的を射ておるな。そしてお主に執着しておったと言うのは、ま、この実験場の目的にお主が成るかもしれんからじゃろなあ。
 この山はな。ある者が器を作る為にこさえた実験場なのよ。試作品として何百年か前に大狼が産み出され、大狼をたたき台にして次にお前さんが産み出されたというわけよ。そしてお前さんが及第点を得たことで、既存の妖魔共と性能を比べる為に殺し合いが始まったというわけだ」

「待て。器といったがそれはどのような器だ。そして実験場を拵えたのは誰だ?」

 気恥ずかしげに天外はこの老人には意外な素振りで禿頭をぼりぼりと音を立てて掻いた。

「それはわしにも良く分かっておらんでなあ。まあとりあえず妖魔として強力な個体として設計されておるのは確かよ。ただ大狼もお前さんもなかなか強力な妖魔である事からも分かるじゃろう? 
この実験場を拵えたのは、どこぞの神さんかなんかとしか言えんわ。なにしろ自然環境そのものに手を加えて造られたほどの規模であるからの。これからはわしの推測混じりだがな、雪輝よ。おそらく妖哭山の主要な妖魔共とお主が殺し合うのが最後の仕上げ。お主が死ぬか他の妖魔共が尽く死に絶えてお主の性能が立証されるかするまで、妖哭山の現況が続くであろうな」

「お前の言う実験とやらが事実なら、私が死ねばまた新たな実験がやり直されるわけか」

「大狼、お主と続いて三頭目の特別な狼が産み出されての」

 思わぬ所で自身の誕生の理由を知らされる形になり、雪輝の内心は複雑極まりない心境であったが、それでも表面上は意見に深い皺を刻んで寄せるだけに留めて、もう一つの疑問を天外にぶつける。

「では天外よ。この山の存在の意味を知るお前は、一体何者だ? ただの仙人界からの追放者ではあるまい」

 雪輝の問いに、天外は亀裂のような笑みを浮かべた。

<続>

頂いたご感想への返事はまた後日に。お読み頂きありがとうございます。これからよろしくお願い致します。


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