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No.19828の一覧
[0] 少女の愛した狼 第三部完結 (和風ファンタジー)[スペ](2022/01/30 08:17)
[1] 命名編 その一 山に住む狼[スペ](2010/11/01 12:11)
[2] その二 出会う[スペ](2010/11/08 12:17)
[3] その三 暮らす[スペ](2010/10/23 20:58)
[4] その四 おやすみ[スペ](2010/06/28 21:27)
[5] その五 雨のある日[スペ](2010/06/29 21:20)
[6] その六 そうだ山に行こう[スペ](2010/06/30 21:43)
[7] その七 天外という老人[スペ](2010/07/01 20:25)
[8] その八 帰る[スペ](2010/07/03 21:38)
[9] その九 拾う[スペ](2010/07/12 21:50)
[10] その十 鬼無子という女[スペ](2010/11/02 12:13)
[11] その十一 三人の暮らし[スペ](2010/07/07 22:35)
[12] その十二 魔猿襲来[スペ](2010/07/08 21:38)
[13] その十三 名前[スペ](2010/09/11 21:04)
[14] 怨嗟反魂編 その一 黄泉帰り[スペ](2010/11/01 12:11)
[15] その二 戸惑い[スペ](2011/03/07 12:38)
[16] その三 口は災いのもと[スペ](2010/11/08 22:29)
[17] その四 武影妖異[スペ](2010/12/22 08:49)
[18] その五 友[スペ](2010/10/23 20:59)
[19] その六 凛とお婆[スペ](2010/10/23 20:59)
[20] その七 すれ違う[スペ](2010/10/23 20:59)
[21] その八 蜘蛛[スペ](2010/10/23 20:59)
[22] その九 嘆息[スペ](2010/10/23 20:59)
[23] その十 待つ[スペ](2011/03/25 12:38)
[24] その十一 白の悪意再び[スペ](2010/12/01 21:21)
[25] その十二 ある一つの結末[スペ](2010/11/08 12:29)
[26] 屍山血河編 その一 風は朱に染まっているか[スペ](2010/11/04 12:15)
[27] その二 触[スペ](2010/11/09 08:50)
[28] その三 疑惑[スペ](2010/11/13 14:33)
[29] その四 この子何処の子誰の子うちの子[スペ](2010/11/20 00:32)
[30] その五 虚失[スペ](2010/11/22 22:07)
[31] その六 恋心の在り処[スペ](2010/11/29 22:15)
[32] その七 前夜[スペ](2010/12/13 08:54)
[33] その八 外[スペ](2010/12/22 08:50)
[34] その九 幽鬼[スペ](2010/12/27 12:12)
[35] その十 招かざる出会い[スペ](2011/01/03 20:29)
[36] その十一 二人の想い[スペ](2011/01/07 23:39)
[37] その十二 味と唇[スペ](2011/01/16 21:24)
[38] その十三 雪辱[スペ](2011/02/16 12:54)
[39] その十四 魔性剣士[スペ](2011/02/01 22:12)
[40] その十五 血風薫来[スペ](2011/05/25 12:59)
[41] その十六 死戦開幕[スペ](2011/02/24 12:21)
[42] その十七 邂逅[スペ](2011/03/20 20:29)
[43] その十八 妖戦[スペ](2011/03/23 12:38)
[44] その十九 魔弓[スペ](2011/03/31 09:00)
[45] その二十 死生前途[スペ](2011/05/17 08:55)
[46] その二十一 仙人奇怪話[スペ](2011/05/22 21:31)
[47] その二十二 魔狼と魔剣士[スペ](2011/06/05 20:58)
[48] その二十三 真実[スペ](2011/06/20 12:56)
[49] その二十四 別離[スペ](2011/09/02 23:49)
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[19828] その九 幽鬼
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/12/27 12:12
その九 幽鬼

 幽城国(ゆうきのくに)。
 妖哭山を領土の中に囲う地方の名である。
 鬼無子が遠出の行き先に提案したのは幽城の領内を貫くいくつかの小町道が交差して、それなりの活気を帯びる七風(しちかぜ)という町だった。
 幽城国の統治を織田家当主から任された重臣の構える城下のすそ野には、からぶきや板張りの屋根を持った民家が押し合いへしあいひしめき合って並び立っている。
 はるか天空の視点を持つ巨人が精密に線を引きでもしたのか、町の中心部に存在する城を中核とした武士階級の者達が住まう一角は、碁盤のように綺麗に整理区画されている。
 その外部をぐるりと囲むようにして猥雑に草臥れた風の民家や、商家が延々と連なって、この町に住まう人々の営みと共に広がりを見せている。
 神夜国内の三国間が冷戦状態に落ち着いた事で、男手を刈り取ってゆく戦の気運が静まり、物品とそれに伴う金と人との交流が惹起された事により、この七風の町も訪れた者達の落とす金品の恩恵を受けてわずかずつ拡大と繁栄の道を歩む最中に在る。
 町を構成する外部に行くほど計画性の薄れた雑多な家並みが続くのも、他所から流れ込んできた人間を積極的に取り入れるこの町の気風に腰を据えた者達が、その都度家を拵えてきた名残である。
 付近に植生していた森で雪輝と別れたひな、鬼無子、凛の三人は町の郊外で重々しく首を垂れる稲穂の群れの出迎えを受けながら、町道の一つへと合流して足を動かした。
 数年ぶりに見える青々とした田圃の作物の様子に目を丸くして驚いていたひなは、七風の外れの辺りにまで来た所で、ようやく疑問の口を開いた。
 周囲には足を休めず町の中へと進む人の影がちらほらとある。

「どうしてこの辺りはあんなに作物が実っているのでしょうか?」

 生まれ育った村の窮乏ぶりをじかに体験していたひなにとっては、夢物語に等しい光景であったのだろう。
 心底不思議でしょうがないという色を隠すことなく表に浮かべているひなに、ようやくひなと雪輝の衝撃的場面の目撃から立ち直った鬼無子が、穏やかな笑みを浮かべて答える。
 普段と変わらぬ穏やかな対応が出来たのは、頭蓋を割られて直接脳味噌を掻き回されたのかと錯覚するほどの凄まじい精神的衝撃こそあったものの、愛情を交わし合うひなと雪輝の姿に嫉妬や怒りと言った感情を欠片も抱かなかった事が、鬼無子の心に不可思議な安堵を抱かせていたからかもしれない。
 鬼無子にとってひなも雪輝も愛し、慈しみ、想う大切な存在である事は間違いのない事であり、そのひなと雪輝に対して良からぬ感情を抱きたくはなかったであろう。

「そう離れておらぬ所に長螺川(ながらがわ)という川があってな。かなり大きな川であったし、ここら一帯はそう日照りも酷いものではなかったから影響が少なかったのであろう。
 他にも確か緑風泉(りょうふうせん)という水の精の住まう泉があったはずだ。そこに住まう水の精と何代か前のここの領主が取引を交わして、水害の起こらぬ様に処置を施しているのだと文献で見た覚えがある。ここならさほど物が欠乏してもおらぬだろうとは思っていたが、外れではなかったようだな」

 妖魔怪奇の類を他国の人間以上に嫌うのが織田家の家風ではあったが、一方で実利主義的な一面も備えており、例えあやかしの類であるにせよ、自らの権力基盤に益ありとみればそれらを利用するために知恵を凝らすのを厭わぬ所もあった。
 緑風泉に住まう水の精との取引などは、織田家の実利主義者としての一面を表す代表的な話と言えるだろう。
 社を建立し祀りたて、その年最初に採れた作物を奉納することによって緑風泉の水は常にこんこんと大地から湧き続けて、如何なる天災に見舞われても変わらぬ透き通った水をこの町の人間達に供給しているのだ。
 七風の町はその緑風泉と長螺川という大きな二つの水源に加えて、移動時間の短さからあまりひなに実感はなかったかもしれないが、ここから苗場村まではゆうに二十里(八十キロメートル)以上の距離が離れている場所に在る。
 地理的にも気候的にも圧倒的に条件に違いがある以上、旱魃に襲われたと言ってもその結果に違いが生じるのは当然のことだろう。
 鬼無子の答えに納得がいったひなはそれ以上問う事はせずに、視界の端から端までを埋める家屋の群れを見回した。

「こんなに家がたくさん並んでいるのを見るのも、人がいっぱい歩いているのを見るのも初めてです! 凛さんや鬼無子さんはもっと大きな町を見て回った事もあるのですか?」

 ひなは小さく握った拳を胸の前に揃えて、うきうきと弾んだ声で凛と鬼無子に問う。この小さな少女の近くにいるだけで不思議とこちらの気分も弾む位に、ひなは驚きと興奮に包まれている。
 凛はひなの元気良い姿に胸中を暖かなものにしながら、傷と火傷の痕がそここそにある指で頬を掻きながら答える。

「あたしはそんなにないなあ。山の外の連中とはどうも気が合わないし山から離れると、ここはあたしの居場所じゃないって感じがするんだよ」

 生まれも育ちも妖気満ち溢れる妖哭山の凛にとっては、人の気と営みとで満たされた妖哭山外部の町はどうにも水が合わないようであるらしい。
 行き交う人の流れを見る目にはさほど愉快そうな光は浮かんでいない。とはいえそうそう山の外に出る機会もない事とあって、凛は口で言うほどに居心地の悪さを感じているわけでもなさそうだった。
 同行しているのが気心の知れたひなと鬼無子であったという事も大きな理由だろう。
 鬼無子はというとこの面々の中では唯一の都会生まれの都会育ちという事もあってか、ひなの言葉に細首を縦に振って肯定の意を露わにする。青い組紐で纏めた栗色の髪がかすかに上下した。

「大和の都や織田の終張(おわり)などは比較にならぬな。どちらも百万以上の人が住まう一大都市であったし、ここは隆盛の熱気に包まれているとはいえども、地方の小都市と言った所であるからね。それでもこの位の町としてはなかなか栄えているよ」

「ひゃくまんにん……」

 言葉でしか知らなかった数の単位に、ひなは驚きを隠さずに呆然と呟いた。苗場村の総人口が精々百人そこらで在ったのに対し、実に一万倍以上の開きがある。
 想像することさえ出来ない圧倒的な数に対して、ひなは目の回る気持ちであった。
 目を瞬いているひなの様子に鬼無子は新たな笑みを零して、止めていた足を再び動かすことを提案した。

「さてここで口を開いていも仕方がない。早く町へはいるとしようではないか。ただ見物に来たのではなく買い物を済ませる用が合ってこの町に来たのだからね」

「そうでしたね。最初はどこへ行かれるのですか、鬼無子さん?」

「何事を成すにもまずは軍資金調達。雪輝殿から頂いたものを換金してからだな」

 鬼無子はそっと懐に納めた雪輝の体毛を、着物の布地を豊かに押し上げる胸の上から左手で抑えた。
 妖魔や鬼、魔性と化した人間などを討伐して報酬を得るのは、それなりの町なら必ず置かれている妖魔改の番所で、非所属である流れの退魔士用の依頼を受けるか、依頼を受けずに野に散っている妖魔達を自主的に討伐し、討伐の証明としてその遺骸の一部なりを持ち寄るのが一般的だ。
 事情を表に出せない訳ありの武家や商人が自分の伝手を頼って私的に依頼を出す事もあるが、いまのひな達にはまるで縁のない話だろう。
 以前一泊したおりに七風の町並みを把握したという鬼無子を先頭に、ひな達は意気揚々と町の中へと足を踏み出す。
 埃を被って真っ白になった草鞋や裾の擦り切れてくたびれた旅装姿の人々は、体の中に重く溜め込んだ疲労にも負けず顔を挙げて歩き、通りに並ぶ店先で足を止めて品々を見繕う町民達の顔に、容赦ない日差しに喘ぎ苦しんだ者の影はない。
 ひなにとってはここ数年見慣れたふさぎ込み消沈する事にさえ疲れ果てた苗場村の村人達とは、まるで別世界に生きる人間達ばかりであった。
 きょろきょろと通りに並んで賑わう茶屋や呉服問屋、古着屋、米屋、乾物屋、青物屋、金物屋、両替商と挙げればきりのない商家に目を奪われるひなの様子に、その前後を守る様に挟んでいる鬼無子と凛は忍び笑いを堪えなければならなかった。
 初めて町に出てきた田舎者そのものの反応も、ひながすればなんとも庇護欲をそそる愛らしい所作に化けて見えるのだから、このあどけない少女の生まれ持った器量も大したものだ。
 しなびた僻村に生まれていなければ、苗場村での生活のような惨めという言葉のさらに底辺を舐める暮らしをせずに済んだだろう。
 ひなの様子に目を奪われていた鬼無子達であったが、むしろ周囲を歩く人々の耳目はひなではなく――ひなにも、ひなと同じ年ごろの娘が居てもおかしくない年齢の男や女達の暖かなまなざしが向けられていたが――鬼無子達自身に注がれていた。
 町民や旅人とも異なる雰囲気を滲ませる凛もそれなりに目を留める対象となり得てはいたが、やはりこの三人の中で注目を引くのが鬼無子である事は改めて語るまでもないかもしれない。
 武士姿の女人が珍しいという事もあったが、なによりもその美貌が人々の網膜に焼きつき心を奪っていた。
 それは男と女を選ばず、老いと若いとを選ばずに見る者の心を奪う類稀なる美貌であった。
 淡く口元に浮かびあがる微笑みを構成する唇の、まるで裂いたばかりの処女の肌から溢れる血潮を思わせる鮮烈な朱の色、穏やかに緩められている瞳は漆の様に艶やかで、月と星を取り払った夜闇と同じ深い黒、夜空を流れる星の尾のごとく典雅な線を描く鼻梁。
 目と鼻と口と眉と、いずれもが造作の神が吟味を尽くして選びぬいた素材を、繊細極まる神経と人ならぬ感性で配したとしか思えない黄金律の配置。
 潔癖ともいえる清廉さを全身から醸しながらも、見つめる者の背筋に妖しい電流を流す、一抹の妖艶さを纏う雰囲気。
 行き交う人々の足並みが遅れを見せて、傍らを通りすぎた者達が背後を振り返り、店先に並ぶ品々に熱い視線を送っていた者達は、不意に視界の端に映った武士姿の佳人の白いかんばせにおのずと視線を吸い寄せられる。
 鬼無子の意識しない所で、鬼無子を花弁の中心に置いた魅了の大輪花が周囲に咲き誇っているかのごとく、町民や旅人達の瞳は鬼無子へと吸い寄せられていた。
 ほう、と感嘆の吐息が誰しもの口から零れ、足を止めた誰かがまるで御伽草子から出てきた様な、と心底からの賞賛の言葉を呟き、ある大店の店主は身代を売り払ってでも手にする価値があると思った。
 心惑わす魅了の霧を頭を左右に振って払い、人々が正気を取り戻す中を、鬼無子は不可思議な現象の原因が自分自身である事の自覚なく、目的の場所へ向けて背後に凛とひなを連れだって歩き続けた。
 かくも鬼無子が周囲の人々を魅了して惹きつけたのは、雪輝との同居暮らしで彼の妖気に触発されて、体内の淫魔の血が活性化した事とその影響を受けてその美躯がより淫らに、より美しく、より豊かに変貌していた事が大きい。
 もとより腰の刃を捨てて艶やかに着飾れば傾国の美女足り得る鬼無子の美貌と肉体に、淫魔の因子が加わればこれはむしろ当然の帰結と言えただろう。
 ただ、今回の場合、佇んでいるだけでも周囲の同性・異性を性的に虜にする淫魔の血は、鬼無子の中で全く機能しては居なかった。
 もともと鬼無子には既に怨霊騒ぎの一件以来、自分の妖魔化が進んでいる事への自覚があり、人の町に出向く事で比率が増している妖魔の気配を、他の退魔士に感づかれて襲われる可能性を憂慮していた。
 その為に邪気退散、妖魔封滅の呪言を記した札を懐中や袖口に何十枚と忍ばせている。
 鬼無子自身が体内の妖魔の血の抑制を強く意識し、腰の崩塵それ自体が有する霊力による抑えに加えての、念の為の抑制措置である。
 もともと極端に緊張の糸を緩ませて気を抜かなければ、淫魔の血が発露する様な事はないのだから、これだけ意識して妖魔の血を抑える処置を施しておけば、周囲に影響を与えようはずもない。
 ではなぜこうも道歩く人々を魅了して心奪う事になっているのかと言えば、これは単純に鬼無子の素の美しさの為であった。
 淫魔の淫気を発しなくとも血の影響を受けて変貌した鬼無子の肉体が、元に戻るわけではない。
 為に、鬼無子はすでに強烈な媚薬効果のある芳香で虫を誘いこむ食中花にも似た雰囲気と肉体的魅力を、その身体で体得するに至っていたのである。
 周囲の寄せてくる視線を引き剥がしながら、といってもそんな事を知らない鬼無子達は久方ぶりの人いきれの中に、少々息の詰まる気持ちになりつつも一様に笑みを浮かべて、目当ての番所の前へとたどり着く。
 妖魔改の番所はさすがに代々の織田家当主の肝いりの直属組織とあって、見事な門構えの屋敷であった。
 妖魔の襲撃を想定しているのか黒く陽光を跳ね返す頑丈そうな門には、魔を退ける霊験あらたかな文言がびっしりと書き込まれた霊札が幾千枚も張り重ねられて、その上から厚みが三寸(約九センチ)の鉄板が打ちつけられている。
 門を守る四人の門番は揃って六尺近い背丈に、鍛え抜いた筋肉の瘤の鎧で固めた褐色の肉体を誇示している。
 手にしているのはよくある木の棒や鉄棍などではなく、鈍く銀光を辺りに散らす刃を備えた短槍を抜き身で構えている。
 不審な行動をとる者がいたら容赦なく突き殺す事を徹底された門番達である。辺りを睥睨する視線はそれだけ子供などひきつけを起こしそうなほど、峻烈に輝いている。
 中で控えている十数名はいるだろう猛者どもの戦闘能力と併せて考えれば、たかが一地方都市に設けられた番所の一つにしては十分に過ぎると言えた。
 鬼無子はそんな門番達が守る正門ではなく裏口に回った。
 正門はあくまで織田家の系譜に連なる家臣や正規の妖魔改の者達が訪れる為の場所であって、織田家の禄を食んでいない浮草同然の退魔士などは裏口の方に設けられた受付に顔を出すのが常識だ。
 凛とひなと鬼無子が正門から離れると、それまで口を横一文字に食いしばっていた門番達は、揃ってわずかではあるが頬を緩めて赤らめる。無論、視界に映った鬼無子の美貌のなせる業である。
 血を吐いてのたうちまわる修練を重ねて肉体と精神を鍛え上げた門番達を、こうも容易く弛緩させてしてしまう辺り、ここまでくるともはや存在だけで一種の生きた妖術と言っていい鬼無子の妖美さであった。
 正門に比べればいかにも後ろ暗い者達を迎えるのが似合いと見える造りの裏門に回る最中、鬼無子が足を止めて後ろの凛とひなを振り返る。

「換金しに中まで入るが二人はどうする。正直に言うがこういう場所に来る連中はろくなものではないぞ。稀に志ある者もいないではないが、それこそ夏の日に雪が降る様なものであるし、二人に要らぬちょっかいを出すものもおるやもしれぬ。というよりも十中八九いる。近くの茶屋で待っていてもらってもそれがしは一向に構わぬよ」

 鬼無子にしろ、ひなにしろ、凛にしろ、同年代の女子と見比べて頭一つも二つも突きぬけた美貌の持ち主である。
 日々を過ごす銭に困り、世に対する不平不満をたっぷりと溜め込んだ浪人連中や、人の道など屁とも思わぬ破戒僧、法術師の類がたむろしているのはまずまちがいなく、鬼無子の心配は当然の事と言えた。
 凛の気性も併せて考えれば下手なちょっかいを受けたら、火に油を注ぐような反応を見せて血の流れる沙汰に発展しかねず、ひなへの悪影響以外にその点も鬼無子は危惧していた。

「わ、私は鬼無子さんに付いて行きます。そんな所に鬼無子さんお一人で行かせるのは、申し訳ないですし」

 少しばかり怖がる様子を覗かせつつも、ひなは鬼無子を案じる心のままに同行を申し出て、凛はと言うと好戦的な、ともすれば獲物にとびかかる寸前の獣めいて見える笑みを浮かべて答える。

「あたしもこういう所に来るのは初めてだかんね。貴重な経験が出来そうだから嫌と言われてもついてくよ」

「まあ、そう言うだろうとは思っていたけれどね」

 思った通りの答えが返ってきた事に鬼無子は、つい唇からこぼれそうになる嘆息を堪えなければならなかった。
 雪輝からひなの身の安全を任された鬼無子にしては、危険の可能性がある場所にひなを連れてゆくのは、浅慮ともとれるがこれには鬼無子が自分と凛が居れば、番所であぶれている様な二流どころには遅れを取らぬと判断していたからである。
 有能と見ればすぐさま仕官の道を用意するほど異能と力の収集に貪欲な織田家が、放置して小間使い扱いしている様な連中など、下級妖魔を狩りたてて生活の糧としているような小物だらけである。
 たまさか子飼いにされるのを嫌う気概と力とを兼ね備えた傑物が顔を並べている事もあるが、玉石混交などそう滅多にあるものではない。

「では二人ともそれがしから決して離れぬ様に気をつけるのだよ。要らぬ諍いを起こしては今後ここを利用できなくなるからね」

 それでも一応は釘をさして、鬼無子は正門の門番と同じ格好の裏口の門番達の方へと足を動かす。
 正門を訪れるのが素性の確かな織田家ゆかりの者達であるのに対して、どこの馬の骨とも分からぬ在野の異能者達が足しげく訪れる裏口を守る門番達は、しっかと立つその全身から殺気さえ滲ませている。
 その殺気にひなが当てられるような事のない様、鬼無子は正面から門番達の浴びせてくる殺気を受け止めて、下腹に溜め込んだ気を放出して尽く相殺する。
 一滴の墨汁では桶を満たす水のすべてをを黒く染める事が出来ないように、常人をはるかに凌駕する質と量を兼ね備える鬼無子の気に、門番達の殺気はまるで最初から存在しなかったもののように霧散する。
 わずかに二人の門番の顔に驚きのさざ波が起きた。彼らが日頃目にする二流三流の屑どもとは、根本的な格の違う本物が目の前に立つ女武者であると悟ったのである。

「こちらが妖魔改の番所で間違いござらぬか? 妖魔を一体討ったので、吟味をしていただきたい」

 ひなや雪輝には決して聞かせぬ硬質の響きを含んだ鬼無子の言葉に、門番達は黙したまま首を縦に振り、開かれた門の奥へと続く道へと槍の穂先を向けて、先に進むよう促した。

「では失礼致す。ひな、ここからは手をつないで行こうか」

「は、はい」

 年の離れた屈強な男を前にすると同じような体格の村人に手酷い扱いを受けた時の事を思い出してしまうのか、門番達に対して怯えた様子を隠さぬひなを案じて、鬼無子が思いやりを込めた言葉を口にした。
 流石に利き腕を塞ぐような真似はせず、鬼無子が差し出したのは左手である。生まれつきの利き腕は右だが、左手でも寸分違わぬ武技を震えるように鍛錬を重ねているので、どちらの手が塞がっていても実のところ大差はない。
 鬼無子と凛に対する信頼に揺らぎはなかったが、初めて足を踏み込む場所への不安と恐怖がたしかに胸の内に巣食っていたひなは、差し出された鬼無子の手に救われた気持ち、というのはいささか大げさだが、安堵を覚えながら小さな手を伸ばす。
 触れ合う事で心に感じる精神的負荷と言うものは大きく減るようで、ひなは繋いだ手から伝わる鬼無子の暖かな体温と優しさに、全身を強張らせていた緊張をほぐした。
 鬼無子が手を差し伸べたのはひなの不安を取り除くためでもあったが、とっさの事態が勃発した際にひなの身体を抱き寄せて自分の体を盾にする為でもある。
 玉砂利がびっしりと敷き詰められて、石楠花、竜胆、芍薬、百合、躑躅、桔梗、椿と鮮やかな色彩の群れが広い庭を飾り立てている。
 塀際にブナや杉が小さな林を構築し、あちらこちらに遮蔽物が点在して屋敷の全容を望めぬ様に配置されている。
 だがそれらの中に鬼無子と凛は感嘆の吐息を零すわけにはゆかぬ物騒な品々を認めている。
 目を凝らしても見えるかどうかというほど細い糸が張り巡らされ、不用意にその糸に触れた者には、毒をたっぷりと塗った鏃や槍衾、投石の類が襲い掛かるのだろうが、これはまず序の口であろう。
 木々の葉や美しい花弁に偽装した呪符が裏口から続く道から外れたものに、紅蓮の炎や無から生じた土石流、身をくねる龍のごとき紫電を迸らせて滅ぼしにかかってくる可能性もある。
 不審者を容赦なく突き殺す心構えの門番達同様に、この屋敷それ自体が余計な行動をとる者や招かざる客人への殺意に満ちているのだ。
 ひなが庭先で咲き誇る花々に目を奪われて手を伸ばし、不用意に罠を作動させるのを防ぐのも、鬼無子が手を伸ばした理由の一つであった。
 四季を問わず花々が咲き誇っているのも、なにがしかの秘薬を投与されるか特殊な交配を繰り返すことで、妖魔さえも殺す毒性を付与されているのは容易に察しがついた。
 花々の美しさの奥底に秘められた殺意に気付かぬひなは、裏口から玄関に至るまでの間、目を楽しませて休む暇を与えぬ花々の共演を、心から楽しんでいる様子であった。
 裏口から続いていた番所の内部はざっと三十坪ほどで、十人ほどの浪人や僧形、陰陽師崩れの姿がある。いずれも荒んだ雰囲気を発して隠そうともせず、顔には凶相が浮かび上がっている。
 これまでどのような人生を送ってきたのか、そしてこれからどんな人生を送ってゆくのかが一目で分かる連中ばかりであった。
 誰かに求められるような事はなく、目を背けられて、耳に届かぬ所で悪口を並べ立てられ、死んだところで誰が悲しむでもなく清々したと笑われる、そんな人生がいままで続きそしてこれからも待っていることだろう。
 使える連中はいないな、と中にいる面々の顔を見回したうえでの感想を、鬼無子は口の中で転がすにとどめた。
 故国の討魔省への入省希望にこの連中が訪れようものなら、ことごとく叩きのめして追い出す低品質極まりない役立たずばかりである。
 実際、鬼無子は前職に在った頃にそうして何十人となく己が力を過剰に吹聴して、入省を迫る愚か者を半殺しにした上で放り出した事があった。
 討魔省が要求する妖魔との戦いの中で、肉の盾程度にしか役立たず、あっと言う間に命を落としてしまうのを防ぐためではあったが、圧倒的弱者を痛めつける不愉快な感触を思い出して、鬼無子はこちらを睨む雑魚どもを意識して視界から外した。
 ひなは鬼無子と手をつないで安心した様子で、無遠慮な視線の数々を受けても特に怯えた様子を見せずにいた。
 凛はと言えば生来の短気さや血の気の多さがにじむ笑みを浮かべ、くくく、と忍び笑いを零している。ひなの耳に届いたら小さな悲鳴を漏らしそうな忍び声であった。
 山の民の少女は天性の鍛冶士であるのと同様に戦闘者としての血潮も持ち合わせているようだ。
 要らぬ事はしてくれるなよ、と鬼無子は背後の凛を一瞥して釘を刺す。深々と刺された釘に、ちぇ、と凛は小さく舌を出して答える。悪戯を見つかった子供の様な仕草だ。
 これはさっさと目的を果たさないと要らぬ諍いが置きかねんな、と判断して鬼無子はすぐに換金を行う事にする。
 番所の入って正面は依頼の受付や報酬を受け渡す場所となっており、漆喰の壁で隔てられた受付の者達との間には、さらに厳重に鉄格子が嵌められていて、仕事を求めてきたあぶれ者達がいらぬ暴力を振るえぬように処置されている。
 右側には持ち込まれたさまざまな依頼の詳細を書き連ねた紙が、それぞれの依頼の難易度に応じて整理された形で貼られている。
 反対の左側は依頼外での妖魔討伐における報酬の受け渡し場と、妖魔討伐の証拠となる遺骸の引き取り場となっている。
 鬼無子は自分の全身に無遠慮に注がれる好色の色を隠さぬ眼差しを、まるで意に介さずに左手側の受付へ足を向けた。
 自分に注がれる分の欲情の眼差しまでは我慢する事が出来たが、屑同然の退魔士もどきどもの汚れた視線が、凛のみならずひなに至るまで浴びせかけられている事に、鬼無子は危うく堪忍袋の緒が切れそうになるのを堪えねばならなかった。
 凛も鬼無子と同じものに気づいてはいたが、鬼無子がひなに不安を与えぬようにと内心で怒りの業火を抑え込んでいるのを察して、自分自身の感情の荒波を押さえこむ。
 どうにも近くにいた異性が――狼の妖魔ではあるが――雪輝だけだった影響もあってか、鬼無子の中で男に対する判断基準と言うものが恐ろしく厳しいものになっていたようだ。
 受付の年かさの女は周囲の荒くれどもの視線などどこ吹く風と言う鬼無子や凛には、品定めをするような視線を送っていたが、まるで荒事と無縁の様子のひなにだけはぬくみを帯びた視線を送っている。
 同じくらいの娘か息子でもいるのかもしれない。その事が、少しばかり血の昇っていた鬼無子の頭を冷やす助けになった。
 懐から懐紙に包んだ雪輝の白銀に輝く毛の束を取り出し、それを鉄格子の下部に設けられた明け渡し口に通す。

「裂鞘分道(れつざやぶんどう)の近くに在る森で討った狼の妖魔の毛だ。それなりに手強くてな。旅の路銀に少々色を付けて貰いたいが」

 国巡りの最中、立ち寄った先々で民草を苦しめる悪鬼妖魔の類を討っていた事もあって、鬼無子の態度は慣れ切った風である。
 鬼無子から受け取った雪輝の毛を手に取り、受付の女は手元に置かれていた天秤の様な道具に片側に毛を置く。
 片側の盆に載せた妖魔の遺骸に残る妖気の残量と質から、もう片方の盆が上下する事によって、討伐された妖魔の格を図るもので、織田家では大量生産されている妖気判定の品である。

「さあてね。手強い手強いという妖魔に限って二束三文の雑魚、ていうのがここを訪れる連中のお決まりさね。もっともあんたは物腰と言い雰囲気と言い、ここらでくすぶっている阿呆どもとは違うみたいだけど」

 図りの動きに目をやりながら、受付の女は白いものが混じる髪を鬱陶し気に掻きあげた。愚痴めいた口ぶりからは、普段対応している退魔士もどき達の質の低さに対する苛立ちが感じられた。
 凶光を輝かせて抑える事を知らぬ荒くれどもと年がら年中、顔を突き合わせている所為か随分と横柄な態度ではあったが、鬼無子に気にした様子はない。

「世辞はありがたく受け取っておくが、査定には色を付けてくれないのだろう」

「そりゃ、ねえ? あんたらに渡す金は織田のご当主様から賜った金なんだ。無駄遣いするわけにはいかないだろ」

「もっともだ」

 受付の女に渡した雪輝の毛であったが、これは雪輝から斬り取ってそのまま渡した、というわけではなかった。
 雪輝は上級妖魔の端に名を連ねる程度には強力な力を持った個体である。
 そんな妖魔の体毛の一部を持ち込みでもしようものなら、どこにそんな妖魔が出没したのか、他に同じような者はいなかったか、と微に入り細に入り問われるのは目に見えているし、勧誘の手も伸びてくるだろう。
 その為に雪輝から譲り受けた体毛には、何度も何度も妖気を弱まらせるための処置を施してあり、いま雪輝の体毛に残留している妖気は精々が中級妖魔の中の中といった程度であろう。
 ほかにも雪輝から斬り取った毛は幾束かあり、中にはひなの禹歩や護身仙術の練習の的として使っているものもある。
 天秤の秤の動きを見つめていた受付女は、久しぶりに下級妖魔以外の遺骸を目にしたようで、へえ、と感心した様子。

「手強かったと言った通りだろう?」

「そうだねえ、ここ最近持ち込まれてきた屑とは一味違うさね。どうだい、あんた。いくつかこっちで仕事を回すから、それの結果次第ではいい話ができると思うよ?」

 背後で鬼無子に注目の視線を寄せるもどき共に軽蔑しきった視線を送る受付女に、鬼無子は苦笑した。
 精々が中級妖魔を討伐した、という程度で誘いの話が遠回しとはいえ出てくるとは、どうも織田の妖魔改は人手が不足しているらしい。
 すぐに採用と言うわけではなく、使えるかどうかを図るための仕事を回したうえでとは言っているが、使えると判断しようものならすぐさま妖魔の跋扈する最前線に投入するのだろう。
 神夜国内には人間の国家に匹敵する規模と勢力を兼ね備えた妖魔の一族や集団も存在しているが、それらが活動を活発化させたとは耳にしていなかった鬼無子は、織田家中でなにかあったのかと訝しむ。

「いや、まだ武者修行中の身でね。織田家の禄を食む栄誉は別の者にこそ相応しい。それに今は将来の安定よりもすきっ腹を満たす今日の米が欲しい卑しい身分だ」

 そういう鬼無子はいかにも落ちぶれた自分を自嘲する風を装い、清楚な美しさの漂う唇を自らに対する嘲りの笑みに形作る。
 雪輝やひなに対しては隠し事の欠片もせず、素直な言葉しか口にしない鬼無子であるが、必要に応じればこの程度の猿芝居は打てるようだ。
 受付の四十過ぎと見える女は、鬼無子が表に浮かべた偽りの表情を信じたようで、同情の眼差しを鬼無子に向けて、どこも不景気だと言わんばかりにやれやれと呟きを零す。

「そういう謙遜もできない奴らが多くて困ってんだよねえ。ほら、後ろの子らと団子でも食ってお帰りな」

 後ろの鍵付きの棚を開き、取りだした貨幣を木綿の袋に入れて、受付の女が鬼無子に差しだしてきた。
 鬼無子はそれを手に取り中を改めて真っ赤に咲いた椿の花びらをくり抜いた様な唇を、ほお、と動かす。鬼無子の予想よりも幾分多めの額がその中にあったためである。

「よいのか。幾分多いように思えるが」

「最近物が高いのさ。それくらい出さなければ食っていけない奴らが多くってね」

「そうか。日照りは収まったと言うが、そうそう回復はせぬのも道理であるかな。とはいえ久方ぶりに人間らしいものが口にできよう。機会があればまた寄らせていただく」

「はいよ。ところで登録はしていかないのかい? 依頼を受けるなら登録が必要だよ」

「考えておこう。とりあえずいまはな」

 布袋を懐に納めて、鬼無子は背後で待っていたひなと凛を振り返り用は済んだと退出を促す。

「さあ、第一の目的は終わりだ。ほかの用を済まそう」

 鬼無子が懐に納めた袋の中身を羨んでか、あるいは単に鬼無子の身体へ向けていた好色まるだしの視線に秘めた欲望に突き動かされてか、幾人かの素浪人や退魔士もどきがにやにやといやらしい笑みを浮かべて、動きを見せる。
 女と侮り手元に転がり込んできた三羽の見目麗しい小鳥達を思う存分可愛がってやろうと言う暗い愉悦に突き動かされての事だと、その顔を見るだけでも分かる。
 先ほどからの視線に加えて更に不躾に押し付けられてくる欲情の思念が、自分はともかく凛とひなに至るまで注がれている事に、いい加減鬼無子の忍耐も我慢の限界を迎えつつあった。
 例えひなが自分に寄せられる視線に気づいていないにしても、ごろつきと大差のない連中に、実の妹も同然に愛する少女がその視線で汚された気分になり、自分に悪意を向けられるよりもはるかに強い怒りが鬼無子の胸の中で渦巻いている。
 牛の首も落とせるような分厚い刃と五尺近い刃長を兼ね備えた人斬り包丁を背負った男が、伸ばしっぱなしの髭を生やした馬面をにやつかせながら、こちらに向けて歩いてくる機先を怒り心頭に至った鬼無子が制した。
 腰の崩塵を抜きうち様に切先を突きつけたわけでも、袖口に忍ばせた投げ刃を投じたわけでもない。
何の事はない。一瞥一つくれる事もなく、指向性を持たせた気迫を叩きつけただけである。
 殺気を一欠けらも込めていない鬼無子の気迫は、まともに浴びせかけた所で心身に障害を負う様なものではない。
 直接精神に攻撃を加える類の呪術に対する反撃のすべの一つとして学んだ技術であるが、これに殺気を込めれば荒事に免疫のない一般人なら、鬼無子ほどの力量の主になるとその場で気死しかねぬものになる。
 精神的な手加減を加えた鬼無子の無言の気迫を受けた馬面の退魔士もどきは、いやらしくにやついた顔はそのままに、顔色を青ざめてその場に腰を落とした。
 下級妖魔相手とはいえそれなりに死線をくぐったであろう馬面は、自分に何が起きたか分かった様子もなく、口を開いては閉じてを繰り返している。
 その頬をいやに粘っこい脂汗が滴り落ちる。
 いい加減苛立ちを貯め込んでいた鬼無子の放った気迫を受けて、腰を抜かして心身を萎えさせたのは、その馬面だけではなくその背後にいた仲間と思しい者達数名も同様の現象に襲われていた。
 朝廷に千年単位で仕え、その年月の間を常に対妖魔戦闘の最前線に立って死闘をくぐり抜けてきた四方木家最後の血統を受け継ぐ鬼無子とでは、血筋に宿る根本的な霊力も連綿と受け継いだ戦闘技術も骨を砕き肉を裂かれて身につけた経験も、なにもかもが違いすぎる。
 凛は鬼無子の放った気迫の密度と質に、愉快で残念なんて評価したのは間違いだったな、と下げていた鬼無子の株を上方に修正する。
 仮に自分が鬼無子の放った気迫を受けたとしたら、意識は保てるだろうが心臓を刃で貫かれた様な負荷くらいは覚えただろう。それはおそらく鎧武者の怨霊との戦いで与えられた心身への負荷にも匹敵しよう。
 雪輝とひなを前にしている時は温厚で誠実な人柄を表に見せる鬼無子だが、修羅場や長く関わったという妖魔関連の事態を前にすると、頼もしいことこの上ない所を見せてくれるようだった。
 ひなは突然腰を抜かして座り込む退魔士もどきの連中を心配そうに見ていたが、再び手を鬼無子に引かれた事で意識を鬼無子に向ける。

「立ち眩みにでも襲われたのかもしれないな。さ、行こう。あまり雪輝殿を待たせるのはひなも嫌だろう?」

「あ、そうでした。雪輝様が寂しがっていらっしゃるかもしれませんね」

 手のかかる子供が目の届く所に居ないのを心配する母親か姉の様な口ぶりで言うものだから、鬼無子と凛はおもわずくすりと零す。
 ひなといる時は基本的に雪輝は父親か兄めいた言動をとるのだが、周囲の方はまるで逆の判断を下しており、ひなの方が雪輝の保護者として見ている。
 鬼無子は自身の放った気迫で腰砕けになった者達には目もくれず、用はないと妖魔改の番所を出た。
 鬼無子が姿を消してしばらくしても、腰を抜かした馬面をはじめとした退魔士もどきの屑連中は、立ちあがることさえままならなかった。



 雪輝を待たせては、と妖魔改の番所を退出する口実に使った鬼無子ではあったが、その後もなにくれとなく細工物を見て回ってはひなの黒髪に似合う簪や櫛を見繕ったり、反物屋を訪れるなどして、普段ひなが接する事のない品々を見て回って時間を潰した。
 辺境の僻村では一生縁のない品々を見て触れるのは本当に楽しくて、ひなは心を弾ませていたが、雪輝を待たせる時間が長引く事が心に引っかかっているようで、困ったように眉根を寄せて、自分の手を引く鬼無子を見上げた。
 いまは本来の目的であった塩や米、味噌を取り扱う各店を見て回って値段を確認している。最低限必要な金額を確かめるためである。

「あの、鬼無子さん。早くお買い物を済ませるのではなかったのですか?」

「ん? はは、それもそうだが雪輝殿が楽しんでおいでと仰っていただろう。もう少し見て回っても雪輝殿は文句など言いはしないよ」

 ひなの為に値段は控えめだが黒髪に良く映える造りの丁寧な簪や竹櫛、笄(こうがい)に古着などを入れた竹で編んだ葛籠(つづら)を背負ったまま、鬼無子はかんらかんらと笑ってひなの心配を気にも留めない。

「本当の所はひなの為に新しい着物の一つ二つも買ってあげたかったのだが、次の楽しみにしておこう」

 基本的に庶民の着衣は古着の使い回しである。子供が成長して丈の合わなくなった服を古着屋に売り、それをまた丁度着ごろの別の人間が買ってまた着回す、といった塩梅であとは継ぎを何度も当てて使い古すのが一般的だ。
 流石に新しく着衣を仕立てるとなると今後の生活に必要な金子も考慮すれば、ひなに買ってやりたいという気持ちが山ほどあっても堪えねばならない。
 今度来る時はどうやって金の用意をするか、と頭の中で考えつつ、鬼無子は値札の掛けられた味噌樽から目を離した。

「番所でもらった報酬が思ったよりもあった事もあって、服を仕立てるほどではないにせよ財布の中身が残っているな。時間もまだあるし、ちと寄りたい所があるのだがよいかね? 二人はその間、団子でも食べていてもらえるかな」

 細工物や饅頭屋の店先を見ていた時よりもうきうきと弾んだ声で言う鬼無子に、ひなと凛は互いの顔を見合わせて、これを拒絶するのは悪い、という結論に至る。
 味噌樽や米の重量を考えて、購入するのは最後にして先に鬼無子の行きたい所へ向かう事になった。道中鬼無子がこれから向かう先についての説明をしはじめる。

「以前ここに寄った時、大狼の噂を聞いてすぐに出立したから寄らなかったのだが、この七風の町には撃神裂斬天武流という流派の道場があるのだ」

「げ、げきしんれつざんてんむりゅー?」

 舌を噛みそうな名前だったが、かろうじてひなは言い終える事に成功した。

「うむ。なんでも金剛斬断一刀流(こんごうざんだんいっとうりゅう)の目録を得てから諸国を回り、四方天夢業流剣法(しほうてんむぎょうりゅうけんぽう)を極めた方が開いた新興流派だとか。一角の流派と耳にして一手指南に預かろうと楽しみにしていたのを思い出してね。さてどれだけ腕に覚えのある者がいる事か」

 名ばかりが先行する流派の多さに以前はすっかり失望して諦めていたが、雪輝とひなにであった事で気力を取り戻した鬼無子は、淡い希望を抱きながら角の向こうに門を構えているはずの道場へと思いを馳せた。
 しかし、その鬼無子の思いは呆気なく裏切られる事となる。
 撃神烈斬天武流の道場を尋ねる間、ひなと凛には近くの茶屋で茶と団子を楽しんで待ってもらっている。
 入り口で道場の門下生らしい若いのに一手ご指南を戴きたく、と口上を述べた時に、すでに鬼無子にはこれは外れかもしれないという予感があった。
 まず、頼もう、と伺いを立てる鬼無子の姿を見た二十そこそこの道場生が浮かべたのが、鬼無子に対する欲情の色であったためだ。
 それはある程度仕方のない事と鬼無子も認めていたが、指南を求める口上を鬼無子が続ける間も欲情の色は収まるどころかより色濃く浮かび上がり、頭の中で鬼無子を裸に剥いて淫行に耽る妄想に浸っているのが傍から見ても分かる有り様だ。
 噂に聞くほど厳格な気風の道場であったなら、例え訪ねて来た相手が女人であったとしても、このような無様なことこの上ない応対をする道場生には仕上がるまい。
 稽古の最中に在った道場の中に通されてもその予感を拭う事は出来なかった。むしろ確信の思いへと悪化してしまう。
 稽古を止めて道場の両端に別れた二十名ほどの門下生たちが鬼無子に向ける視線は、さりげない足の運びから姿勢、毛の一本一本、爪先指先に至るまで充溢している意識に気付いた様子はなく、あわよくば打ち据えた後に犯してしまえ、という黒々とした欲望が渦巻いていた。
 この時点で鬼無子は自分の期待が完全に外れた事を否が負うにも理解していた。羽織と腰の崩塵を預けて、稽古用の木刀を手に取る鬼無子の最初の相手は、鬼無子を案内した若者である。
 どいつもこいつも嘲りと侮りと好色の三つを浮かべている道場の門下生と、それを見守る師範や師範代達に、先ほどの妖魔改の番所での苛立ちの名残があった鬼無子は、これは一つ目に物見せてくれると決めたのであった。
 最初に師範や師範代が出ずに下から数えた方が速いだろう門下生を出してきたのは、単純に鬼無子を侮った事と、もっとも敗れてはならない師範に出番が回ってくるまでの間に、服数名の門下生と立ち合わせて、相手を疲れさせなおかつ太刀筋を見極めようと言う姑息な目論見がある。
 その程度の事は二年の旅路の間に嫌というほど体験してきた鬼無子は、精神的に動揺した様子はなく、また仮にこの場にいる門下生すべてを一度に相手にしても息一つ乱さずに勝つ自信があった。
 そしてそれが鬼無子の驕りでも己に対する過信でも何でもない事を証明するのに、さしたる時間はかからなかった。
 肉を打つ響きが道場生と師範、師範代の数と同じだけ鳴った後、磨き抜かれて艶々と輝く板張りの床の上に立っていたのは鬼無子ただ一人だけであった。
 一人の例外もなく頭頂部に鬼無子の木刀の一撃を受けた門下生や師範達は、白目をむいて床に長々と伸びて気を失っている。
 頭部への強烈な一打を容赦なく見舞った鬼無子ではあったが、後に目を覚ました全員には何の後遺症もなく、また打たれた一瞬で気絶した為に痛みを感じさせる事もなかった。
 対妖魔の武技を戦闘能力の中核に置いている鬼無子ではあったが、対人戦闘の方も十二分以上に技術を積んでいることの表れといえよう。
 師範でさえ一合として受ける事も出来なかった事実に、鬼無子は重い溜息を吐いて渡された木刀を壁に掛け直してから、預けていた羽織と崩塵を見つけ出し、それから一言も発することなく道場を後にする。
 ひなと凛、さらには雪輝を待たせてまで訪れる価値は、まるでなかったと言わざるを得ない。その事が鬼無子の胸に重くのしかかって、申し訳なさの嵐が吹き荒れていた。

「はあ」

 鬼無子の溜息に答える者はなかった。
 肩こそ落とさなかったものの意気消沈した様子で道場を出てきた鬼無子に、茶屋の店先で団子をもぐもぐと食べていたひなと凛が気づき、片手を挙げて自分達の据わる長椅子に招き寄せる。
 鬼無子の食欲を考慮して二十本ほど団子が積み重ねられている皿を左手に持ち、鬼無子は手招きされるままに着席する。
 乾いた笑みを浮かべてがっかりした様子の鬼無子に、凛がからかう様に声を掛けた。

「その顔じゃあ当てが大外れしたってところかい?」

 まとめて三本ほど団子の串を握り、一辺に頬張った鬼無子は頬を栗鼠よろしく膨らませて、もぐもぐと咀嚼しながら首を縦に振る。
 よほど咬筋力が強いのか、ろくに噛んでも居ない内に鬼無子は口の中の団子を纏めてごっくんと飲み込む。

「うむ、凛殿の言うとおりに当てが外れてしまったよ。二人と雪輝殿をお待たせしてまで通う価値はまるでなかった。まったく、撃神烈斬天武流に限らず昨今は名ばかりの口先剣術が我が物顔で跋扈していて嘆かわしい」

 そう言って憤慨を飲み込むように、鬼無子はまた新たな団子の串を握って口の中に運ぶ。いささか下品な所作ではあったが、口の中に物が残っていない内は言葉を発しないあたりは一応気を付けているらしい。

「はは、まあ鬼無子さんの目に叶う様なのがそうそう辺りに転がっちゃいないだろうさ。でっかい戦もそう起きちゃいない御時世だからね。道場剣法が実戦よりも形式ばったのに傾倒しだしてるってよく聞くし、なおさら無理な話だよ」

 湯気を立ち昇らせる茶で団子を流し込んだ鬼無子は、ううむ、と一つ唸る。そうしてもなお鬼無子の美貌の調和が崩れる事はなかった。

「鬼無子さん、そう気を落とさないでください。ほらお団子はまだまだありますし、お好きなだけ食べて、元気を出してください」

「そうだな。団子でも食べて気分を切り替えるか」

「はい。鬼無子さんはお元気な姿が一番素敵です」

「嬉しい事を言ってくれるものだ」

 ひなの笑顔にささくれた心を癒されて、鬼無子はとても穏やかな気持ちで笑みを浮かべる事が出来た。
 鬼無子の気分が乗った事も相まって団子を口に運ぶ速度が速まり、鬼無子は瞬く間に団子を全て腹の中におさめて、日差しのぬくもりを感じながら茶を啜る。
 湯呑の底に溜まっている一番渋い所を呑み終えた鬼無子は、湯呑を置くのと同時になにかに気付いた様な顔をして、袖や懐の中に手を入れてもぞもぞと動かし始める。
 同じように茶店で寛いでいた男客が、懐の中をごそごそと探る鬼無子の姿に羨ましそうな視線を向けているのだが、それが女の客にまでも及ぶのだからすごい。

「いかん、忘れ物をしてしまったようだ。道場に戻らねばならんな」

 道場の期待外れっぷりに始まり今日はどうにもツキに見放されてしまったようだ、と鬼無子は今日何度目かになる溜息を吐く。

「今日は鬼無子さんの運がお悪い日なのでしょうか?」

「かもしれぬな。はあ、すまぬが二人は先に買い物を済ませて入ってきた時のあの場所で待っていてはくれまいか。すぐに済ませてくるから」

 長椅子に立てかけていた崩塵を腰帯に押し込み、立ちあがった鬼無子が茶目っ気のある仕草で左目を瞑り、凛にだけこっそりと目配りをする。
 それで何に気づいたか、凛は肩を竦めて了承の意を伝え返す。

「まあ、忘れ物取ってくるだけならたいして時間はかかんないか。ひな、先に味噌とか欲しいもの買っておこうよ。米俵の一つ二つならあたしでも担げるし」

 厳しい暮らしの中で細く引き締められた体の凛ではあるが、自分で言うとおりに米俵くらいなら肩に二つずつ担いだ状態でも、平気な顔をして走り回る位の膂力と体力はある。
 米俵や味噌樽、塩と重量のかさばる物を一人で運ぶくらいはどうという事はない。

「わかりました。鬼無子さん、待ってますから」

「うむ。それがしの我儘で色々と済まぬな」

 土産の団子を包んでもらい、さきほど値段を確認していた味噌や塩を買いに行くひなと凛と別れた鬼無子の足は、撃神烈斬天武流の道場ではなく町はずれへと向けられている。
 凛への目配せと言い、実際に鬼無子の言った忘れ物はないのだろう。
 人通りが少なくなり、行き交う人々の足音も遠のいてきた頃、鬼無子は角を曲がった先に在った廃寺の門をくぐった。
 仏教の発祥は海の向こうの大陸であるが、十三大神の中でも慈悲深いことで知られる仏の教えは、八百年ほど前から神夜国にも伝播して、それなりに信者を獲得している。
 シラツキノオオミカミの神血を引く帝を頂点にいただく大和朝廷は割と仏教とは友好的な関係を築いていて、鬼無子も仏教に対して特に敵がいの意識などは抱いていない。
 茫々に草が思う様に伸び、屋根は傾いで門の蝶番は外れ落ちて表面は腐り始めている。人の気配は絶えて、信心深い人々が足しげく通っていたのは数十年以上昔のことだと、荒れ果てた境内と寂寥の気配が鬼無子に伝える。

「先ほどからの気配と視線、それがしに何の用だ?」

 鬼無子の問いは自分の背後にではなく、左手側に生えている雑木林の中へと吸い込まれた。
 方々に伸びる枝葉が折り重なって陽光を遮り、影の世界と化している雑木林の中から、水が滲むようにして一人の男が姿を見せた。
 その姿を透かして背後の光景が見える様な、不思議とそこにいるのかどうかあいまいな奇妙な雰囲気を纏っている。
 青い着流しに一刀を佩いた若者だが、一目見た瞬間から鬼無子は、全身の血が饐えた匂いを放つ腐水に変わった様な悪寒に囚われた。
 さきほど叩きのめした道場のボンクラどもや番所で屯(たむろ)していた二流どころとは別格の、本物だと鬼無子の退魔士としての本能が声を大にして警告を発している。
 警告――鬼無子は、目の前の剣士を敵性存在として認識していたのである。
 若者は、覗きこんだ者の魂を吸い込む虚ろな黒瞳、赤い血潮など一滴も流れていないかのような白蝋の肌、すらりと伸びた鼻梁の線、吸いつく事を夢に見る者が後を絶たぬ唇と、淫魔の血を引く鬼無子をも凌駕しかねぬこの世ならぬ美貌を湛えた凛々しい若武者姿であった。
 年は鬼無子より五つか六つは上だろう。氷の冷たさと夜空の虚しさばかりが宿る若者の瞳は、鬼無子の顔をたしかに映している。
 道場を後にして茶屋の店先で団子を食べつくしたあたりから、鬼無子に向けて送られていた氷雪の視線の主は、まず間違いなくこの若者であろう。
 全身から余計な力を抜いて自然体に整え、崩塵を抜き打つにせよ、左手の一振りで投げ刃を投じるにせよ、一息で移れるよう構える鬼無子に若者は笑みを向けた。
 刃の軌跡の様に鋭い三日月の笑みであった。男の扱いに手慣れた女郎達も、この笑みを向けられれば未通女のように頬を染めることだろう。

「番所でお主の放った気迫を感じ、これは面白いと後を追った非礼は詫びよう」

 見目に相応しく美しいが、確かに男と分かる低い声であった。声からその主の美貌が鮮やかに連想できるほど美しいのに、しかし、なぜか鬼無子の全身が総毛だった。
 これが雪輝殿のお声であったらな、と鬼無子は思う。惚れた贔屓目もあるだろうが、あの狼の声には狼の妖魔だが、人柄の良さが滲んでおり、親とはぐれて泣いている子供も安堵を覚えて笑顔を浮かばせるものがある。
 声の異質さはともかくとして、思っていたよりもまともな返事が返ってきた事に意外性を感じつつ、鬼無子は自分の短慮が招いた事か、と悔いた。
 しかし、それ以上に鬼無子を戦慄させたのは若者の言葉を信じるならば、番所から尾けてきたという若者の気配にまるで気付けなかった事だ。
 茶屋での視線は尾行に飽きを覚えた若者が、わざと鬼無子に気付かせるために送ったものだったのだろう。
 影そのものの妖魔の気配や、風や炎といった現象に近い身体を持つ妖魔の存在も看破する鬼無子の知覚をくぐり抜けたというだけでも、目の前の妖異な若者が尋常な存在でない事は明白。
 硬質の沈黙を維持する鬼無子に、笑みを維持したまま若者は口を開く。

「私は黄昏夕座(たそがれゆうざ)。お主の振るう太刀に興味がある。よって、一手ご教授を願いたい」

 夕座の手が腰の太刀に伸びていた。鬼無子の是非と問わずに斬りかかってくる腹積もりである事は明白である。
 かすかな鞘鳴りの音を立てながら陽光を跳ね返して銀の軌跡を描く刀身が、ぴたりと右下段に切先を伸ばす。
 その刀身から立ち上る妖気と剣気の凄まじさに、鬼無子は我知らず目を見張った。
 目の前の妖剣士の技量が計りきれぬほど高い次元で完成されている事と、そして自分と同種の気配を感知したためである。
 かつて風の噂に耳にした、幽城国の秘事を、鬼無子は思いだしていた。鉄鞘より崩塵を抜き放ちながら、鬼無子は口を開いた。
 口の中が渇いていた。刃を交えずとも分かる強敵の出現に対する緊張と、そして興奮とに。鬼無子は我ながらどし難いと呆れるものを覚える。

「幽城国は織田の軍勢とは別に古来より、その名の通りに幽鬼によって守護されていると聞く。幽鬼とはすなわち貴殿を指しての事か?」

 はたして本名か偽名なのか怪しいものがあるが、黄昏とは逢魔ヶ時、人と妖(あやかし)の交わる時刻の意であり、昼でも夜でもない混沌の時を指す。
 ならば夕座とは、幽座、すなわち幽鬼の座する時に生きる者と言う意味であろうか。人でも妖でもなく、人であり妖でもあるもの。
 夕座のそこに確かに存在しているのに、まるで姿形だけが幻の様に立っていて、本人は存在していないかのような奇妙な存在感と相まって、鬼無子は目の前の妖美なる剣士の身体に、人以外の血が流れている事をほぼ確信していた。
 もしこの夕座なる者が織田家妖魔改の剣士であるとしたならば、妖魔の血の混じる鬼無子を危険分子とみなして処断に踏み切ったとしても不思議ではない。
 夕座は鬼無子の問いにあるかなきかの笑みを浮かべて答える。

「さて。口上はもうよかろう。お主の氏素性は問わぬ。ただ、刃を交えてもらえればそれで私は満足よ」

 騒動を招くのは雪輝殿ばかりではなかったな、と鬼無子が我が身の軽挙を呪った時、夕座の身体が夏の日の陽炎のごとく揺ぐ。
 常人の眼には映らぬ恐るべき踏み込みは、二人の間に存在した三間(約五・四メートル)の距離を、瞬く間に無へと変える。
 鬼無子の右手に握られた崩塵と、夕座の手にする銘も知れぬ刀とが風をも切り裂く神速で交差した。

<続>

>マリンド・アニムさま
>あれですよ、成人男性×ひな(少女)はちょっとまずいかもしれないですが、雪輝、人じゃないですし。むしろ動物でいえばひなの年齢ならとうに成人ですよ!無問題じゃないですか!

ああ、問題ないなあっていやいや。そりゃ動物として考えればひなの年齢は立派な成人成獣ですけれども、そもそも人間と動物というキワモノは倫理的にアレですよ。書いている私がいえた義理ではありませんけれども。
それにしても雪輝の人化には賛否両論なのですね、どうしようかしら。


>ヨシヲさま
( ゚∀゚)o彡°モッフる!モッフる!(挨拶返し)

というわけでひなのターンでした。戦闘はいるとどうしても出番がなくなってしまうひなの、見せ場ですね。鬼無子のファーストキスは雪輝でしたが、雪輝の初体験はひなと済ませていたという罠。鬼無子も本人はそういう色事に免疫のない初心な人なのですが、体が言う事を聞かないので仕方がないのです。


>taisaさま

ひなも最終目的である子作りを目指して子供なりに頑張っている証拠ですね。鬼無子も同居暮らしで人生初の体験が続いており、思い悩む事が増えてそれが妄想に繋がってしまっている感じですかね。ただ鬼無子も愉快で残念でエロイだけではないので、今後頑張ってもらいます。

>白いクロさま

面白いと言っていただけるその一言が力になります。ありがとうございます。

>天船さま

鬼無子の出番が多いのですがひなと雪輝のイチャイチャが少なくなってしまうのが欠点でございますだ。なんだかんだでひなも積極的になっており、雪輝とのコミュニケーションは活発化していたりするのです。

今回の鬼無子は、清楚な見た目と雰囲気なのに、なんとなくエロイな、そこはかとなくエロイな、どことなくエロイな、と見ている人に思われています。単純に美人というのもありますけれども。


誤字脱字ありましたご指摘くださいませ。ご感想ご助言いただければ幸いと存じます。では、又次回でよろしくお願い致します。

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